表紙
はじめに
作品リスト
作品紹介

■街のあかり
■過去のない男
■白い花びら
■浮き雲
■愛しのタチアナ
■ラヴィ・ド・ボエーム
■コントラクト・キラー
■マッチ工場の少女
■レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
■真夜中の虹
■パラダイスの夕暮れ

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アキ・カウリスマキ

■ 過去のない男
   Mies Vailla Menneisyytta (The Man Without a Past)
    …2002/フィンランド

夜行列車でヘルシンキにやってきたひとりの男(マルック・ペルトラ)。しかし公園のベンチで暴漢におそわれ、荷物も記憶もなくしてしまう。
なんとか辿り付いた寂れた港町で、コンテナを借りての一人暮らし。電気をひいてジュークボックスをならし、汚れた服を着替え、イモを植え、仕事をさがし…近所の人々に助けられ、ときにはふんだくられ、しだいに充実した生活を送るようになる。救世軍バンドにロックを教え、職員イルマ(カティ・オウティネン)をデートにさそう。
行動的な彼を頼もしく思うイルマ。愛し合うふたり。
しかしひょんなことから身元が判明、妻がいることがわかり…


過去のない男


「記憶をなくした主人公」が出てくる映画は多い。大抵はサスペンスや新たな自分探しといったテーマのために用いられるんだろうけど、カウリスマキはいつものカウリスマキ。謎解きのスリルも、身元が判明してさあどうする?というドキドキハラハラも、大仰な価値観の変革もない。こういう立場になったらまあ、がんばってこんなふうにやってくしかないよなあ、という話。
じゃあなぜ「自分のことが何もわからない男」を主人公にしたんだろう、と考えてみるに、それは作中で男が飲んだくれオヤジに言われる「人生は前にしか進まない。後ろに進んだらたいへんだ」という言葉…これはこの作品のキャッチコピーにもなってるのですが…を最も効果的に体現するためかもしれない。過去がないんだから、今やれることやるしかない。



アキに言わせれば「前作(「白い花びら」)はモノクロでサイレント、これ以上取り去るとしたら映像しかない。だから方向転換してセリフだらけでカラフルな映画を作った」とのこと。相変わらずうさんくさい言い様ですが、たしかに観易い作品に仕上がってます。

暗い背景にも関わらずアキ映画が愛らしいのは、いつだって「ボーイ・ミーツ・ガール」を描いているから。
今回も男はひとめでイルマに恋をし、とんでもなく無骨な方法で最初のキスをする(「ごめん、紳士じゃなかった」なんて可笑しすぎる)。妻の新しい男は今頃みつかった夫に向かっていきなり「決闘か?」などと言い出す。なぜ彼や彼女を好きなのか、恋ってなんなのか、そんなことどうでもいい。映画には愛が必要なのであって、ただそれだけなのです。



はじめてカンヌで賞をとったこともあり、メディアでは「最高傑作」などと評されてますが、私はそうは思いません。
つまらなかったわけではないし繰り返し観たいけれど、アキ自身の言うとおり、彼の映画は、すべての映画は、いや彼のように似たような話ばかり撮り続ける人の映画は、「たった一本の傑作」を追い求めつつ作られる「合わさって何かになり得るもの」だと思う。だから一本だけ取り上げて、最高傑作とは言いたくない。

でも賞取ったのは嬉しいです。サントラだって堂々と売ってるもんね。
音楽は今回もすごく良かったです。
生真面目で仏頂面のイルマが家に帰れば髪をおろし、制服を花柄のネグリジェに着替え、ラジオをロック(というよりロックンロール、というのがしっくりくる)の流れる局に合わせてベッドに入る。
(余談ですが、カティはベッドの中でもいつも目を見開いてるイメージがある。今回もそう)
ロックって何だ、音楽ルーツって何だ、などと考えるのはときに無意味だ。人が生きててロックがあって、それでいいじゃん、とアキ映画を観ると思う。だって映画の中ではレニグラもマルコ・ハーヴィスト・バンドも、教えられてはじめてロックに挑戦(笑)してるもの。でもやってみたら楽しくて。最初戸惑ってる観客も、いつしか輪になって踊りだす。なんてすばらしい。



カウリスマキが小津を敬愛していることは有名ですが、パンフレットの文章によれば、自分の墓碑に小津映画のタイトル「生まれてはみたけれど」を刻むのが希望なんだそうです。
世の中には、ほんとに必要とされてる人なんていないと思うのです。誰がいなくたって世の中まわってく。だけど、生まれてしまったものは生きてくしかない。それは決して絶望的なことじゃなくて、だからこそ根元で皆平等であり、生きてていいんだよ、ということだと思うのです。しかし世の人々はそれぞれ違いすぎる環境に生まれ、その中で自分はどうすべきか思い悩み、なんとか生きていく。そういう人間の悲哀、愛らしさがアキの映画にはいつもあふれてるように感じられるのです。
もっともアキの映画はどこまでも「映画的」だから、登場人物は複雑な思考や言動はしない。嬉しい出来事に喜び、辛い出来事に悲しみ、恋をすれば手をとりあってデートする。その姿が胸を打つのは…なぜなんだろう?ただその真摯な姿、その後ろに見えるアキの、人間や映画に対する真摯な姿にチカラづけられ、生きててよかった、皆愛してる、と今日も思えるのです。



「本当のことを言うと、無意識の自我の中に、自分が「普通」の監督であることを望むなにかが潜んでいるのかもしれない。
願わくば、作品そのものから、今の社会に対する私の社会的、経済的、政治的視点、それから道徳観や愛を感じ取ってもらえますように」
 〜アキ・カウリスマキ




(03/04/20)