表紙
はじめに
作品リスト
作品紹介

■街のあかり
■過去のない男
■白い花びら
■浮き雲
■愛しのタチアナ
■ラヴィ・ド・ボエーム
■コントラクト・キラー
■マッチ工場の少女
■レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
■真夜中の虹
■パラダイスの夕暮れ

リンク
アキ・カウリスマキ

■ ラヴィ・ド・ボエーム
   Boheemielamaa (La Vie de Boheme)…1992/フィンランド

パリの下町。ひょんなことから知り合った画家のロドルフォ(マッティ・ペロンパー)、作家のマルセル(アンドレ・ウィルムス)、音楽家のショナール(カリ・バーナネン)の中年男三人は、貧しいけれども気ままな共同生活をはじめる。
マルセルは新聞王、ロドルフォは砂糖会社社長(ジャン・ピエール・レオ!前作「コントラクト・キラー」に次いで出演)に取り入って貧乏生活から脱出しようとがんばるものの、ことはそんなに上手くいかない。おまけに不法滞在がばれたロドルフォは強制送還をくらってしまう。
やっとの思いでパリに戻ってきた彼はかつての恋人とヨリを戻すが、あまりの貧乏暮らしに疲れた彼女は出て行ってしまう。
しかし季節はめぐり、恋人は戻ってきてくれた!だがその身体は病魔にむしばまれていた…


ラヴィ・ド・ボエーム


貧しくとも芸術に身も心も捧げる男三人。芸術論だってお手の物だ。
しかし、彼等の作品はどうみても…ロドルフォの絵はまるでドラマ「愛していると言ってくれ」の最終回で披露された常盤貴子の肖像画なみだし(この説明で何人がわかってくれるかな)マルセルの戯曲は死ぬほど長いだけで(21幕もある!)どう考えても面白くなさそう。ショナールに至っては、前衛的というにはあまりにもムチャクチャな曲を作っている。(彼がこの新作を皆に披露するシーンは爆笑ものだ)
そんな具合に、どう考えても将来大芸術家にはなれそうもないむさくるしい男三人の物語。大仰な友愛シーンが披露されるわけではなく、ただなんとなく一緒にいるだけなんだけど、なにげないシーンのひとつひとつから彼等の心のつながりがしっかり感じ取れるのです。

ロドルフォと恋人・ミミの関係にしても、たいした愛の言葉が交わされるわけでもないのに…それどころか互いに言葉少なでぶっきらぼうなのに…ふたりの仕草、目線や足取りから愛情がひしひしと伝わってくる。

「仕事はやめろ 僕が絵を売って食わせるよ」
「じゃあ 私はなにを?」
「犬の散歩 それに掃除や家事も」
「こきつかうのね」
「いや 掃除は僕がする 君は窓から公園を見てればいい」


ああ、なんて無骨な会話。
(しかもその後、財布をスられたためにレストランの勘定ができず警察を呼ばれてしまう…)
アキ映画には珍しく濃厚なキスシーンも何度か見られるのですが、ペロンパーの黒々としたワンレングス?の髪が恋人に覆い被さる様ときたら、どうにもきまっていない。



ストーリーだけなぞると暗くって仕方ない話のようですが、淡々とした描写とギャグセンスは相変わらずです。
たとえば、不法滞在のために収容された獄中で、ロドルフォが洗面台を壊してしまうシーン。これ、私の中では「思い出しただけで笑える映画のシーン」ベスト1なんです。例によって何事もなかったかのように次の場面に移ってしまうのが、おかしくて仕方ない。
あと、3人がそれぞれ恋人を連れてピクニックに行くのですが…バックには流麗なクラシック、しかしそれぞれのカップルの様子はやはり笑える。
(そしてここでさりげなく挿入される、ロドルフォの犬や池の白鳥までもがペアになってるカット…こういうところ好きなんだよなあ)

「白い花びら」(1999)ではサイレント映画に挑戦したアキですが、もともと彼の作品はできるだけ、セリフに頼らなくとも理解できるように撮られています。
ことギャグシーンにおいてはその傾向が顕著で、たとえばこの「ラヴィ〜」の冒頭でマルセルが安酒場に入るとすかさずボトルキャップに酒が注がれる場面、「浮き雲」(1996)で店の用心棒がひょろひょろのお兄ちゃんからごついマッチョマンに変わっている場面。シンプルで正攻法なギャグなのに、タイミングや見せ方が絶妙なので、おかしくてたまらない。
カウリスマキを評して「シュールなギャグ感覚」などとよく言いますが、たんに世の中に「シュールを目指すもの」が氾濫しすぎた結果、ひと周りして彼がシュールに感じられるだけで、実際これほど真っ向勝負な映画作家も少ないと思います。



とにもかくにも、アキの映像・音楽センスが最高に光る一作。
(しかし、夭逝する恋人を見送ったマッティ・ペロンパー自身が数年後には若くして亡くなってしまうことを考えると、見直すのがちょっと辛い…)



(02/06/09)