は、単行本への収録を示します。
「蒲団」の読まれ方、あるいは自己表象テクスト誕生期のメディア史 |
『文学研究論集』第14号、1997年3月、pp.67-90 |
[紹介] 日露戦後、作家自身が作中人物として登場する小説が増える。こうした事態が起こった経緯を、田山花袋「蒲団」に対する発表当時の読解のようす、作家たちの自己表象への認識などから追究し、小説ジャンルの境界変動のありさまを検証する。 |
機械主義と横光利一「機械」 |
『日本語と日本文学』第24号、1997年3月、pp.12-26 |
[紹介] 横光利一の小説「機械」が、同時代の文化現象としての〈機械主義〉とどのような相関をもっていたのかを明らかにする。文学のみでなく、板垣鷹穂の美術論や写真・絵画テキストも視野に入れ、機械に「美」が見出されていく時代における、機械・人間・ロボットをめぐる境界のゆれ、運命論のありかたに分析を加える。 |
「モデル問題」とメディア空間の変動――作家・モデル・〈身辺描き小説〉―― |
初出、『日本文学』No.536、1998年2月、pp.10-21 のち、和田敦彦編『読書論・読者論の地平』(日本文学研究論文集成47、若草書房、1999年9月、pp.185-200)に採録 |
[紹介] 明治40年後半に起こった、小説のモデルをめぐる道義的論議「モデル問題」を、読書慣習と文芸メディアにおける発言権、作家情報・モデル情報・作品3者の連関などの観点から総合的に検討し直す。 |
帰国直後の永井荷風――「芸術家」像の形成―― |
『日本語と日本文学』第26号、1998年2月、pp.21-33 |
[紹介] 一人の作家の「イメージ」がどのように形成されたのか、永井荷風を例にとって考える。アメリカ・フランスでの生活を終え明治41年に帰国した荷風は、当初は無名の青年作家だった。その荷風が自然主義文壇の中で特異な位置を占める有望作家として立つまでの過程を、作品中に見られる芸術家像と、作者である彼自身のイメージのオーバーラップから追う。 |
文芸用語としての「モデル」・小考――新声社と无声会―― |
『文学研究論集』第15号、1998年3月、pp.77-95 |
[紹介] 現在われわれが普通に用いる、「この小説のモデルになった人」などといういい方は、どのようにしてできたか。文芸用語としての「モデル」の社会的な流通の1パターンを、明治30年代の出版社兼文学集団「新声社」と日本画の青年画家サークル「无声会」との交渉から浮き彫りにする。 |
作品・作家情報・モデル情報の相関――『新声』の活動を視座として―― |
『日本近代文学』第58集、1998年5月、pp.44-57 |
[紹介] 日清戦争後、作家の個人情報や作品の由来を穿鑿する題材/モデル情報が、投書雑誌メディアを中心に顕著に増えはじめる。本論は『新声』を視座としながら、この種の情報の取り上げがいかなる編集方針の下でなされていたのかを検討し、同時にそれらの情報に対する読者たちの反応を分析する。作品と作家情報との関連づけはどうなっていたか、作品と題材/モデル情報との場合はどうか、また作家情報と題材/モデル情報との場合はと、それぞれ具体的に当時の理解の枠組みや読書慣習を明らかにする。 |
創刊期『太陽』の挿画写真――風景写真とまなざしの政治学―― |
『植民地主義とアジアの表象』筑波大学文化批評研究会編集・発行、1999年3月、pp.61-87 |
[紹介] 明治28年創刊の総合雑誌『太陽』は、日本の雑誌が写真をその誌面に取り込み始めた初期の例である。日清戦争期に現れたこの巨大雑誌が、どのような外国像・日本像を読者の前に差し出したのか、また戦争への熱狂の後、『太陽』はいかなる被写体をもってその代替としたのかを考察する。 |
日露戦後の〈自己〉をめぐる言説――〈自己表象〉の問題につなげて―― |
『日本語と日本文学』第30号、2000年3月、pp.29-42 |
[紹介] 日露戦後の文芸評論界に見られる〈自己〉論の隆盛を分析する。そこに現れた言説群を「自己の文芸論」「自己の描写論」「自己の探求論」の3種に分類し、その特徴や背景について考察。さらにこうした評論壇の言説が、小説ジャンルにおける〈自己表象テクスト〉の形成過程と絡まりあってゆくようすを明らかにし、〈自己表象〉の持ち得た二つの機能――アイデンティティ形成とイメージ闘争――を指摘する。 |
〈翻訳〉とテクスト生成――舟木重雄「ゴオホの死」をめぐって―― |
『多文化社会における〈翻訳〉』筑波大学文化批評研究会編集・発行、2000年6月、pp.219-238 |
[紹介] 大正元年に発表された舟木重雄「ゴオホの死」は、ゴッホに憧れ、彼のような芸術家になりたいと苦しむ小説家志望の青年の一日を描いた短編小説である。このテクストが、同時代のゴッホ神話・神経衰弱小説・自己表象テクストの三つの相関と言説的翻訳のなかから生成していることを論じる。 |
〈自画像の時代〉への行程──東京美術学校『校友会月報』と卒業製作制度から── |
『明治期雑誌メディアにみる〈文学〉』筑波大学近代文学研究会編集・発行、2000年6月、pp.206-225 |
[紹介] 東京美術学校(現・東京芸術大学)の諸制度・資料を分析し、近代日本における自画像の出発のようすを考える。東京美術学校西洋画科の卒業製作制度(自画像)、同校『校友会月報』、校友会文学部の活動などを扱い、同時代の文学ジャンルとの交渉を指摘しつつ、制度の整備、絵画の読解枠の形成、〈自己〉への関心の深まりを明らかにした。 |
〈自己〉を語る枠組み――中等修身科教育と〈自我実現説〉―― |
『国語と国文学』第77巻第7号、2000年7月、pp.41-54 |
[紹介] 明治20年代後半に移入された倫理学説〈自我実現説〉と当時の文学的思考との交差を検証する。この学説のもつ論理を明らかにし、それが中等修身科教育に組み込まれていく様相をたどる。そこから修身教育を経ることで〈自己〉をめぐる思考が成型されていった道筋が明らかになる。倫理学説と文学的思考との接続を具体的に解明、〈自己表象テクスト〉が誕生する一つの契機を考察した。 |
翻訳と感化の詩学──「野分」の人格論をめぐって── [pdf版] |
『国文学 解釈と教材の研究』第46巻第1号、2001年1月、pp.118-125 |
[紹介] 夏目漱石「野分」の登場人物白井道也が展開する『人格論』は、漱石自身の思想と重ねて考えられることが多い。これに対し、同時代の〈人格〉をめぐる言説の水準と照らし合わせることの重要性を指摘し、具体的な資料をもとにその異同を確認した。「野分」は、当時の修養論系の人格論を援用しつつも、それを相対化する視点を含んで小説化されている。 |
〈文芸と人生〉論議と青年層の動向 [pdf版] |
『日本近代文学』第65集、2001年10月、pp.150-162 |
[紹介] 「芸術と実生活」「実行と芸術」などとも呼ばれる自然主義文壇を代表する論争、〈文芸と人生〉論議を、青年層の動向に着目することによって再検討する。論争の過程で「観照」派とされる花袋・天渓・抱月らの姿勢が変化していった背後には、文芸と人生の「一致」を理想とする青年たちの指向性があった。彼らの傾向は、明治30年代から引き続く〈人生観論〉の系譜に、自然主義という新しい思想動向が接続されることによって形成された。〈文芸と人生〉論議の推移は、著名文学者と青年層の双方を視野に入れ、その相互交渉による変化の要素を加えることによって、より正確に理解される。 |
吾輩の死んだあとに──〈猫のアーカイヴ〉の生成と更新── |
『漱石研究』第14号、2001年10月、pp.149-163 (商業誌に発表したため、全文のweb公開は当面控えます。リンク先にやや詳細な内容紹介を置いておきましたのでご参照下さい。) |
[紹介] 文学作品は、発表後も、社会内においてさまざまな形で「生存」を続ける。本論文は夏目漱石「吾輩は猫である」を題材に取り、この作品が全集・教科書・映画・舞台・他作家による奪用など、多くの形態を取って流布・展開を続けていったようすを、〈アーカイヴ〉という概念を導入しつつ検証する。とりわけ、『我輩ハ千里眼』など、膨大な量が書かれた「追随作」の分析を中心に据える。 |
絵の様な人も交りて展覧会──文学関連資料から読む文展開設期の観衆たち── [pdf版] |
『美術展覧会と近代観衆の形成について』(平成11-13年度科学研究費補助金(萌芽的研究)研究成果報告書、研究代表者 五十殿利治、課題番号11871009)、2002年3月、pp.23-36 |
[紹介] 文部省美術展覧会(文展)の観衆を、文学資料──小説・文芸雑誌の記事・川柳などをあつかった──を検討することにより分析する。通常の美術関連資料だけを用いていては「見えにくい」観衆を、ある程度まで可視化しようとした試みである。美術の大衆化のはじまりと評価される文展には、その当初から多様な種類の観衆が集まっていた。これを四層に切り分け、それぞれ文学資料の分析により浮かび上がる特質を指摘した。また、文展という作者・批評家・メディア・画商・国家・観衆がからみあって成立しているシステムが、いかに人々を「観衆化」したのかという考察も行った。 |
「モデル問題」の発生──内田魯庵『破垣』 |
『国文学 解釈と教材の研究』第47巻第9号、2002年7月、pp.31-35、7月臨時増刊号・特集「発禁・近代文学誌」 (商業誌に発表したため、全文のweb公開は当面控えます。リンク先にやや詳細な内容紹介を置いておきましたのでご参照下さい。) |
[紹介] 「モデル問題」は実在の人物を小説の題材としたことが原因となって発生する。近代文学の歴史において、この問題がある程度社会的に共有された事件にまではじめて発展したのが、内田魯庵の『破垣』(1901年)の場合である。本論は発売頒布停止の処分を受けた理由を整理しつつ、この事件が魯庵のその後の小説作法に与えた影響を考えている。また、発禁処分に対する魯庵の態度を、「士君子」意識に立脚した「恥」の倫理であるとし、権力とそれに対する抵抗といった左翼的ビジョンで捉えることの危うさを指摘した。 |
「モデル問題」の発生──内田魯庵『破垣』 |
国文学編集部編『発禁・近代文学誌』共著,2002年11月,学燈社,pp.31-35,他共著者36名 (商業誌に発表したため、全文のweb公開は当面控えます。リンク先にやや詳細な内容紹介を置いておきましたのでご参照下さい。) |
本書は上記『国文学 解釈と教材の研究』第47巻9号の書籍版です。 |
〈城〉からの眺め |
米村みゆき編『ジブリの森へ──高畑勲・宮崎駿を読む──』共著,2003年12月,森話社,pp.56-81,他共著者7名 (出版社より販売中のため、全文のweb公開は当面控えます。) |
[紹介] 宮崎駿のアニメーション映画を、〈城〉の表象に注目しながら横断的に分析した。『未来少年コナン』から『千と千尋の神隠し』にいたる作品中の〈城〉の表現を、主人公たちが演じる活劇の舞台、構造論的に配置された上下の構図、終末論や敵味方の対立構造の複雑化といった同時代的な思想文化状況との交渉に着目して論じた。諸作品を横断的に考察することにより、宮崎作品における〈城〉の変容と機能を明らかにしたものである。 |
堀辰雄の反−私小説──夢・フロイト・「鳥料理 A Parody」── |
『国文学 解釈と鑑賞』別冊,2004年2月,至文堂,pp.128-137,他共著者22名 (出版社より販売中のため、全文のweb公開は当面控えます。) |
[紹介] 堀辰雄の文学と1930年前後の私小説をめぐる言説との関係を考察した。堀文学は私小説とは異質のものとされることが多いが、実際にはもう少し複雑な交渉を取り結んでいた。その様相を、「鳥料理 A Parody」などの小説に描かれた夢や無意識のあり方、評論やエッセイにおける超現実主義や同時期に紹介が進んでいたフロイトへの言及、またパロディという表現形式そのものに注目することによって明らかにしたものである。 |
漱石の「猫」の見たアメリカ──日系移民一世の日本語文学── |
『〈翻訳〉の圏域』筑波大学文化批評研究会編集・発行、2004年2月、pp.227-243 |
[紹介] 本論文は、『吾輩の見たる亜米利加』(保坂帰一著、1913-4)というある日系移民が書いた小説を分析することを通じて、一世たちの日本語文学の位置・意味を考えることを目標とする。この小説は、夏目漱石の『吾輩は猫である』の続編という体裁をとりつつ、サンフランシスコを中心とした20世紀初頭の日系人社会を描いたものである。現在では知る人のほとんどないこの作品をわざわざ取り上げるのは、それが次のような移民をめぐる問いに答えを示してくれると考えられるからだ。『吾輩の見たる亜米利加』は、一世の日本語文学が隆盛する時期にあらわれ、しかももっとも大部な長篇小説であり、移民の生活を詳細に描いており、近代日本文学との興味深い関係を示す、という特徴をもつ。論文では、移民地の日本語メディアの発展と、書店・取次などの流通網の整備状況を資料をもとに明らかにし、「本国」の日本文学との関係性、移民の表象をめぐる具体的な作品の分析を展開した。さらにその結果を、明治期の殖民論とのつながり、「郷土文学」という評価と「移民地文芸」の登場などの諸問題につなげて論じた。 |
日系アメリカ移民一世の新聞と文学 [pdf版] |
『日本文学』第53巻第11号(No.617), 2004年11月,pp.23-34 |
[紹介] 日系アメリカ移民の日本語新聞『新世界』(サンフランシスコ)を検討し、移民地における新聞の機能と、移民文学との関係について考察した。移民地においては日本国内で刊行された出版物と移民地で刊行されたものの双方が流通しており、その複雑な構成のなかから一世の文学が現れた。また新聞掲載作品を分類・分析すると、それら文学の誕生と維持には連載をはじめとする日本語新聞の機能が不可欠であったことが明らかになった。 |
大衆の意地悪なのぞき見──『講談倶楽部』のスポーツ選手モデル小説── [pdf版] |
『大衆文学の領域』大衆文化研究会編集・発行、2005年6月,pp.197-213 |
[紹介] 1930年前後に大衆誌『講談倶楽部』を舞台に展開した、スポーツ選手モデル小説を分析する。近代文学の歴史上、モデル問題は数多く生起しているが、本論の対象とするモデル小説は、スポーツ選手を題材としている点において特異である。〈純文学〉の領域においてそれまでに形成された枠組みが、大衆文化の領域に奪用されていることは確かだが、それだけではない。〈スター〉という祭り上げられた偶像に対する、大衆の屈折した欲望が、その表象の中に織り込まれていると考えるのが適当だろう。 |