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  心の旅路
忘れの面影
シャクンタラー
The Buried Giant
Winter Cruise 冬の船旅
密やかな結晶
 

  
     記憶喪失もの

  男と女が出会って、愛し合うが、男はふとした事故などで記憶を失ってしまう。永久に失われるとドラマにならないが、ふとした拍子に男は記憶を戻す。そのような古い映画を最近、見返した。

心の旅路」1942
   主演:ロナルド・コールマン、グリア・ガースン
忘れの面影」1948
   主演:ルイ・ジュールダン、ジェーン・フォンダ

 少し前に読み終えたインドの古典劇『シャクンタラー』も、狩りに出た王様が、そこで出会った娘シャクンタラーと愛し合うようになるが、帰国後すっかり忘れてしまうという話である。記憶を取り戻し、娘と子供と出会い、めでたし、めでたし、で終わる。

  記憶喪失はかっては映画や劇となるほど珍しいものだったが、今や日常の中で認知症とう形で身近なものとなってきた。
  我々の「生」のなかで記憶が大きな存在であることを思い知るのである。

今読んでいるThe Buried Giant by Kazuo Ushiguroは老夫婦が息子を訊ねていく話であるが、この国は記憶が薄れていくという風土病のようなものがある。
 どのような終局を迎えるのだろうか?
 
「心の旅路」記憶がもどってきて、元住んでいた家に帰るところ。

  
   6 忘却の霧

 The Buried Giant では、人々は、物忘れが激しく、その原因が、竜の吐く霧のせいと考えられている。詳しくはKazuo Ishiguro参照。

記憶が蘇ることを望む者は、その竜を退治しようとするし、忘却を望むものはその竜を守ろうとする。

サクソン人の武士は前者だし、ブリトン人のガウェインは後者である。

憎しみの記憶は、民族団結の基ともなり、忘却は民族抗争が止み平和と繋がる。

個人でベルでも、記憶と忘却の功罪について、この作品は老夫婦もモデルに問題を提起している。

老夫婦の妻の方が、物語の初めに方で面白いことを言っているので、右欄訳しておきます。

記憶や忘却に神様が関与されているかも知れない。恩寵? 罰?贖罪?
 (忘れやすくなっていることについて)

「アクセル、今朝、目が覚めた時、こんなことを思いついたの。」

「どんなことを思いついたの。姫」

「ちょっとした思い付きよ。ひょっとしたら、神様は私達のやった何かに怒っておられと。それとも、怒っておられないかも知れないが、恥ずかしく思っておられるのではと。」

「変わった考えだね。姫。でも、お前の言う通りなら、神様はどうして私たちを罰せられないのかね。どうして、1時間前のことさえ、バカのように忘れるようにされたのかね?」

「ひょっとしたたら、神様、私たちのやったあることにひどく恥ずかく思われて、ご自身忘れたいと思われたのかもしれないわ。知らない人が、アイボアに言っていたように、神様が思い出したくないと思うときは、私たちが出来ないのも不思議ではありません。」

「一体、私たちが、神様を恥ずかしく思わせるようなことをしでかすことができる?」

「分かりません。アクレックス。でも、私たちのやったことではないことは確かね。神様は私たちをいつも愛してくださっているもの。神様にお祈りして、私たちに最も大切なものを、神様がご存じのはず、いくつか思い出させてほしいと、お祈りしたら、神様は、聴きいれ、願いをかなえてくださるかもしれません。」

(原著83頁 拙訳)

  
     7 高校の英語

 
当時、モームは入試によくでる作家として、高校生の間でも知られていた。
 モームが大人向けのユーモア作家であることがわかるのは60を過ぎてからだった。

Winter Cruise
by Somerset Maugham
モームの「冬の船旅

中年の女性が一人でドイツの貨客船に乗って旅する話である。船は各地に貨物を積み下ろし、客も降ろしながら行く。途中から乗客は彼女一人、他は船長以下全員男性となる。
この本は、私が読んだ最初の英語の小説で、60数年前、高校の英語の授業で習った。楞野聰先生は、大学出て間もなく、元気で発音のきれいな先生だった。
少し前からこの小説を読みたくて、amazonで探したが、4巻本のThe Complete Short Storiesのどこにあるか分らず、また、「日本の古本屋」では、古い中野好夫、小川和夫の訳注本が出ているが、買う気を起こすようなものではなかった。そこで、しばらく使わなかったKindleにアクセスして、この作品が短編全集の3巻にあること突き止め、そのまま注文した。(265円也)
主人公の話好きと人の善さの描写を、ゆっくりと物語に巻き込むモーム一流の語り口に乗せられて、読み進むうちに、いつの間にか、男たちがそれをどう受け止めているか、に変わっていく。男たちにとって、彼女の饒舌は、うんざりするほど退屈なものとなっており、クリスマスを前に、なんとか彼女のおしゃべりをどう止めたいと思っている。そこで編み出した策とは?
 今頃になって、この作品を急に読みたくなったのは、実は最後の一行を読みたかったからである。記憶にあるのと少し違っていたが、面白かった。*下記
  大人向けのこの小説を高校時代に味わえたと思えないが、私にとって記念碑的な作品なのである。 
2020/8/9 FB

物語は、出迎えた友達に、旅の感想を述べる所で終わる。

" Things of no importance really. Just fanny, unexpected, rather nice thing. There's no doubt that travel is a wonderwul education."

2022/12/17 追記
 




モームについては別ぺ―ジ参照:
Somerset Maugham

  
   8 物も記憶も消える。やがて自分は?

小川洋子『密やかな結晶1994

    この島では、物が消えて行く、それと共に記憶も消える。例えば鳥。これを飼っていること許されなし、やがて記憶からも消える。これをコントロールしているのは秘密警察である。
  主人公の女性は作家で、今書いている小説は、声を失った女性の話で、タイピライターを使ってしか意思疎通できない。その小説も並行して示される。秘密警察に追われる編集者のR氏を隠し部屋に匿う。・・
  ・このようなことが、青少年用の物語のように、単純な文章で、時には詩的な表現で重ねて行く。どこか日本離れして、外国の翻訳書を読んでいる感じである。秘密警察はナチ、隠し部屋は「アンネ・フランクの日記」の世界である。 しかしカフカ的な文芸作品として終わる。

この作品の英語訳『The memory police』)がブッカー国際賞の最終候補にノミネートされたと知って、読み始めたのだが、途中で、落選したことを知った。20年以上前のこの作品が取り上げられたのは、国家統制の怖ろしさを内容としており、翻訳が原文の詩情をよく写しいるためだろう。
Kindleで読んだ。

       * * *

  この作品は、語り口は面白い。物、声、記憶の喪失というテーマと、国家統制というテーマとが交差しているのであるが、どちらも、掘り下げがいま一つという所で終わっている。
  なぜ、物と記憶が消されるのか?
  どんなものが対象なのか?
  秘密警察を支配しているのは誰か?
  この島はどんな島か?
  作者の本当に問題としているのは何か?
こんな点、もう少し書き込めていたら、リアリティーが高まって、ブッカー国際賞が取れたかもしれない。
  この賞は、これまでノミネートされた日本人の作品は大江健三郎の『水死』(英訳タイトル『Death by Water』)のみ(2016年)という難関である。

  小山洋子は『博士の愛した数式』と『ゴリラの森、言葉の海』で接した。抽象的思惟を楽しむ人かもしれない。

  2020・9・5