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昔、彼の本は3冊読んでいたが、映画の「日の残り」を見て、自分はこれまで十分に読めていなかったと思った。The Buried Giantを読んで彼の凄さが少しわかってきて、ノーベル賞受賞も納得できた。その後、高屋一成さんとのメールのやり取りで、刺激を受けて Never Let Me Goを読むことになった。 続いて読んだThe Unconsoledは彼のこれまでの作風とはかなり異なり、時空が歪み、一種の実験小説のようであった。(2)へ |
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Kazuo Ishiguro Never Let Me Go 「わたしを離さないで」 この小説の表題は、小説の中で、主人公Kathyが持っている、ガセットテープ Judy Bridgewaterの歌うSong After Darkの歌詞の一節である。YouTubeで聴きことができる。 Judy Bridgewater - Never Let Me Go - Bing video ジャケットに煙草を吸っている女の写真あるのまで同じである。 主人公がこの曲を掛け一人踊る場面や、カセットを失うが、後に古道具屋で巡り会うといった挿話や物語の終わりにも出て来る。物語は、ケティーという女性の回顧として語られる。回顧というスタイルは、カズオ・イシグロの得意とするところで、淡々と語られる、その細やかな描写を私はどれだけ読み取ることができたか分からないが、飽きることなく、読まされた。、ネタバレをしたくないのだが、自分が、臓器提供のために作られたクローン人間だと思って読むのがよいと思う。生きていることの意味を問いかけ、人間存在の迷宮へと誘う。何処か懐かしさを味あわせてくれる文体で、読み終えると、また最初から読み始めていた。 人さまざまの読後感を持つと思うが、その一つ、高屋一成さんのメールの一部を引用させていただきます。 「そういう圧縮された環境の中に人間を放り込んだら、人生の意味も、青春の意味も、恋愛の意味も、芸術の意味も…全て強調されて、鮮明に浮かび上がってくるはずです。 そちらが彼の目的で、そういう架空の状況を「手段」として利用したのではないでしょうか? 花火のように短時間、鮮烈に輝いて、フッと消える。 その意味では、トミーは本物の芸術家です。 イシグロ自身の肖像でもあります。」 私はまだ見ていないのだが 翻訳『わたしを離さないで』土屋正雄訳があり 舞台にも映画になっている。 わたしを離さないで - Wikipedia を参照 2021・2・10 |
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イギリス映画 Never Let Me Go 2010年:マーク・ロマネク監督、キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ主演 二度目を読み終えてから、映画を見ようと思ったいたが、途中で見てしまった。 映像としては、とても優れたものである。舞台となった寄宿舎、農家、海浜の風景・・・美しい。子役を含め俳優たちの演技も素晴らしい。私の好きなシャーロット・ランプリングも出てくる。 内容としては、原作の半分も映像化されていない。 例えば、タイトルの「Never Let Me Go」は、Judy Bridgewaterの歌う歌詞から来ていいることは上記に書いたが、原作ではこのような心に残るエピソードが散りばめられているのだが、映画では省略されている。 Youtubeで歌も映画も見ることができるので興味があればどうぞ! そして、原作へ戻って欲しい。 なお、映画の日本版はまだ見ていない。 2021・4・22 |
(138) NEVER LET ME GO | Official Trailer | FOX Searchlight - YouTube | |
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The Buried Giant by Kazuo Ushiguro 2015
* * * 失われた時には、楽しいもの、嬉しいもの、不快なもの、悲しいもの、憎むべきもの・・・色々なものが、記憶として蓄積されるのであるが、それを思い出すことの功罪、得失は難しい問題である。楽しいもの、嬉しいものだけを覚えていて、反対のものはすべて忘れることが出来れば、幸せな生活できるのだが、そんな器用なことはできない。嫌なもの、憎むべきことを、忘れないことは、ある時は、民族結束の源泉にもなるし、現に、日韓の歴史問題をはじめ、世界の至る所に見られ、そのために戦火が絶えない。この小説では、雌竜クエリグが記憶を弱める霧をまき散らしていて、サクソン人とブリトン人の抗争は一応静まっており、夫婦はかってないほど愛情に満ちた生活をしている。 「私はこんな風に思ったのだがね。姫。もし、霧があんな風に私達から(記憶を)奪わなかったら、私達の愛情は、この歳月、こんなに強くなりえなかったのではなかろうか?おそらく霧が傷を癒してくれたのだろ」(原書344頁 拙訳) だが、忘却の竜が殺された後に、すべての人の記憶が蘇り、サクソンとブリトンとの抗争が再発する。この老夫婦はどうなるのであろうか? イシグロは問題提起して、答えは読者に委ねている。 * * * 私はこれまでペーパバックで次作品を読んだ。An Artist of the Floating World (1986) The Remains of the Day (1989) When We Were Orphans (2000)雑駁な読み方で、本も人に上げたりして手元にないが、イシグロ、が記憶を重視した作家だと思っていた。The Buried Giantは「記憶」を正面から取り上げた作品であった。ノーベル賞受賞も納得できた。 |
2015年 初版 |
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------------------------------------------------------ 忘却の恵み カズオ イシグロのThe Buried Giantでは、良いことも、悪いことも記憶が薄れるという世界なのであり、そのために、サクソン人とブリトン人との抗争も静まり、夫婦の愛も深まっているのだが、 忘れてはならないと強調される個所がいくつもある。 その一つ。 サクソン人武人ウィスティンがサクソン人の少年に言って聞かせる所。(原書264頁、拙訳) 「もし、わしが倒れて、お前が生き延びたとしたら、約束してくれ、ブリトン人への憎しみを抱き続けますと。」 「どうしてなの? どのブリトン人を?」 「ブリトン人全部だ。若い仲間よ。たとえ、親切してくれた人もだ。」 「おっしゃることが分かりません。お侍さん。パンを分けてくれたブリトン人も憎まなければなりませんか?さっき、私達を敵から救ってくれたあのガゥエイン卿のような人もですか?」 「ブリトン人の中には、尊敬したい人、いや、愛したくなる人もいるのは確かだ。それはわしも分っている。だが、互いにどう感じようが、もっと重要なことが今、我々にはあるのだ。我らの同胞を殺したのはアーサー王の部下のブリトン人だ。わしやお前のお母さんを奪ったのもブリトン人だ。我々は、男も女も彼らの血を引く子も全部憎む義務があるんだ。こう約束してくれ。もし、わしがお前に武術を伝授する前に倒れても、心の中にこの憎しみをしっかりと抱きますと。憎しみの炎が消えそうになったら、もう一度燃えるように気を付けて守りますと、わしに誓ってくれるか、エドウイン君?」 「分かりました。誓います。・・・・」 いわゆる歴史問題は、このように絶えず憎しみの炎を絶やさないため、民族のアイデンティティを確保するためのもので、、(国内結束のための道具として、政治家に利用されることもある)、地球上至る所にある。慰安婦問題、徴用工問題もその一つ。 このようなことは、夫婦間、個人間にもある。 イシグロはこれを問題にしているのである。 これを回避するには忘却しかないのだろうか ? 2020・7・19 |
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--------------------------------------------------------- 忘却の霧が晴れ、記憶が蘇った時に、逆に現在のことを忘れないでくれ、と言っているのは老夫婦の夫アクセスである。妻のことをいつも姫(princess)と呼んでいる。以下、原書280頁 拙訳 「お願いって何ぁに?アクセル」 「簡単なことだよ。姫。もし、クエリグが本当に死んで、霧が晴れ始めたら。記憶が戻り、その中に、私ががっかりさせた時のことがあったとしてもだ。それとも、お前がもう見るもいやあと思うような行いがあったとしてもだ。これだけは約束してくれ。姫よ、約束してくれ、今この瞬間、お前が私に抱いている感情を忘れないと。 もし、霧から記憶が戻ってきて、他のものを押しのけるなら、何の良いことがあるだろか? 約束して呉れ、姫。この瞬間私に抱いている気持ちを、霧が晴れて、何も見えても、持ち続けると約束してくれ。」 「約束します。アクセル。そんなの難しいことじゃあないわ。」 「お前がそう言ってくれて、こんなにホッとしたことはないよ。姫」 2020・7・20 |
失われた時を求めて 6.忘却の霧 参照 |
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