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松本章夫『西行』平凡社 2008
西行について知っていることと言えば、彼が出家の際、すがる幼い娘を蹴落としたとか、晩年、源頼朝に会った際、土産にもらった銀の猫を、門前の子供にやってしまったとか、そんな逸話ぐらいである。「ねがわくば花の下にて・・・・」「・・・命なりけり佐夜の中山」とか、素晴らしい歌を知っているのだが、その人間像ができていなかった。そんな私に本書は渇を癒してくれる本だった。
西行の境遇、人間関係が丁寧に調べられており、西行が身近なものとなって立ち現れる優れた評伝である。何よりも、彼の歌そのものに、深い理解を示しているのだが、これには当時の歌壇全体の広範な深い知識、理解力があってはじめてできることである。
「志賀の山越え」では出家前の西行の歌作の実力を能因を中心に先人の歌作を踏まえて論じる。
「忍ぶ恋」では、西行の恋の相手を措定する好編であるが、堀河(百人一首では「長からむ心もしらず黒髪の乱れてけさは物をこそ思え」)との関係は後々まで続く。
一章一章がそれだけでも完結した趣があり、全編、だれることがない。
『百人一首』の登場人物が多く登場するのも嬉しい。
 

  
   
百人一首(16)和歌から連歌へ

Pさんの百人一首英訳で感じたことの一つは、掛詞(かけごとば)が訳せていないことである。先の「有馬山伊名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れはやする」では、固有名詞に「有り」「否」を含ませ、「そよ」にはそよそよとした風の動きを「そうだ」という意味を持たせてる。英語ではこんな芸当ができないが、和歌ではこの掛詞を楽しむものが多い。
もう一つの問題は、(翻訳だけの問題ではないが)歌が作られた機会が分からないと、意味が十分取れないものが多いことである。歌は応酬が生命で、日本の詩歌の本質でもある。百人一首は、半分近くが恋の歌で、そうでないものも、誰かに呼び掛けて、あるいは、呼びかけに応えているものが多い。
芸術は、個人の独創で、それ自体が独立したものではならないという、西洋的芸術観が何時の頃か根付いてしまった。
応答の文学こそ、日本文学の独自の領域だと思うのだが、日本人はそれを忘れてしまった。Pさんには少し難しいと思ったが、一緒に、連歌の最高峰、『水無瀬百韻三吟』を読んだ。私には美しいと思うのだが、Pさんにはちょっと「しぶ」過ぎたかもしれない。8か月かかった。

  
   雪ながら山本かすむ夕べかな   宗祇
       行く水とほく梅にほふさと  肖柏
   川風に一むら柳春見えて       宗長
      舟さす音もしるきあけがた   祇
   月や猶霧わたる夜に殘るらん    柏
      霜おく野はら秋は暮れけり   長



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清水 英之
文学は作者と読者の応答で成立する現象なのだと思いました。連歌いいですね。

Toshiro Nakajima
丸谷さんたちが一時、連歌を発表されましたが、その後どのようになっているのでしょうか。大岡信さんも連歌をよくされていました。応答の文学という設問は面白いですね。キーンさんの日本文学史でもよく説明されていません。

·宮垣弘
ここしばらく、有名文人たちの連句を見ませんね。
衰えたと言え、各地で細々と続けられているようです。確か300ぐらいのグループがあると読んだことがあります。
神戸では鈴木獏さんのグループが「おたくさ」を中心に、活動を続けておられます。
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連歌・連句についてはここも読んでください。