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百人一首 (6)

「百人一首」は、第―首天智天皇(626-671)から、最後の順徳院(1197-1242)、この間600年ほどの人たちの作品の、しかも、ほんの一部を拾ったに過ぎない。この背後には膨大な文芸作品がある。ちなみに、定家が、そこから選んだとされる10種の勅撰和歌集に収録されている歌数は12,180首である。
Pさんと読んでいて、私が日本人として密かに優越感を感じことは、欧米の人は、この時代の作品をおそらく直接楽しむことはないだろうということである。例えば、英国人が自国の文芸を直接楽しめるのは、例えばチョーサー(1343?-1400)からだとすれば、日本の文芸の古さがわかる。勿論、中国の古さにはかなわないのだが、古典文芸を直接味わうことができ、更に、かるた競技というゲームの形で遊ぶという国も珍しいのではなかろうか?
最近では漫画『ちはやぶる』の人気で、小学生までが「百人一首」に興味を持ち始めたのは嬉しいことである。内容が半数近くが恋歌なので、小学生にはちょっと早いのであるが、解説本も出ており、図書館から借りでして見てみると、内容はレベルが高い。
写真は『小学生のまんが 百人一首辞典』学研の裏表紙と中身の一部
自国の文化の素晴らしさは、自分ではわからない。多くは外国人の手によって発見された。私はPさんの胸を借りながら、自国の文化を味わっているのである。

 

  
   

「百人一首」  (7) 序詞(じょことば)

「あしひきの(枕詞)山鳥の尾のしだりおの」(序詞)は、「ながなし」を引き出すためのものであるが、単に「ながながし夜をひとりかも寝む」とは比べ物にならないほど豊かな世界を提示してくれる。和歌では、枕詞、序詞、掛詞、縁語などの修辞法が多用されて、西洋の詩歌に見られない豊かな世界を作り上げる。こんな言葉遊びは、シェイクスピアにもキャロルにも見られない。私の恋の歌における序詞が好きである。
  筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる   陽成院
  陸奥のしのぶもぢずり たれゆえに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣
  みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ  中納言兼輔
  浅茅生の小野の篠原 忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき    参議等
  由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな  曾禰好忠
  風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな 源重之
  御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ  大中臣能宣朝臣
  かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣
  瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ  崇徳院

山川草木、鳥獣、虫に至るまで、外界の風光、エネルギーを大きく取り込んで、自分の心を表現する。あらゆるものに神を見、自己を見る一種のアニミズム。これは万葉の昔から現代の俳句に至るまで貫く日本精神だと思っている。

 

  
   

「百人一首」 (8) Slow Dusk

36番 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいずこに月宿るらむ
  清原深養父
この歌を読みながら、Pさんの心に過ぎったのは、なかなか暗くならず、また、明けやすいヨーロッパの夏の夜のことであった。そう言われれば、私も、40日過ごした夏のアイルランドで、夜10時頃まで明るく、子供たちが外で遊んでいたこと、すぐ夜が白らんで来たことなどを思い出した。なかなか宵が暗くならないのを表す言葉、slow duskを含むWilfred Owenの詩Anthem for Doomed Youth(1917)を教えてくれた。戦死の兵士が、戦場で何の儀式らしいことができずに葬られる悲しい姿が、詠われていている。ロウソクもなく、死装束もなく、花もなく、死体安置の部屋に下ろされるブラインドもなく、そのブラインドの代わりに夜の帳がゆっくりと降りてゆく(slow dusk)というのである。Pさんは全部暗唱でき、書いてくれたのだが、最後の2行だけ、ここに写しておきます。
  Their flowers the tenderness of patient minds,
  And each slow dusk a drawing-down of blinds.

百人一首の世界と全く異なるのだが、月を愛でる平安貴族の上にも、戦死した兵士の上にも夏の短夜が過ぎていく。
(清原深養父は清少納言の曽祖父)

 
     
   

百人一首(9) 恋の5段階

英人Pさんとの百人一首の勉強は、毎週1回2首程度のスピードで、現在67番まで来ています。
驚いたことに、彼は歌の番号、作者、歌を全てを暗記してしまうことです。例えば、
私が27番と言えば、中納言兼輔 「みかの原わきてなかるゝ和泉川いつみきとてか恋しかるらん」と出てきます。
河原左大臣と言えば、14番「みちのくの忍ふ文字すり誰ゆへに乱れ初にしわれならなくに」
また「契きな」というと、42番清原元輔「契きなかたみにそてをしほりつゝすゑのまつ山波こさしとは」と、このように、自在に取り出すことができる程記憶しているのです。彼の脳はエクセルのように表形式になっているのかも知りません。先生の私は、歌は知っていても番号、作者は覚えていないのがほとんどです。毎回、新しい歌を前に、彼の記憶をリフレッシュするために、ランダムに10首ほど復習します。作者についての質問もよくあり、この間は、清少納言は女であるのに、なぜ「少納言」なのかと聞かれ困ってしまいました。
愉しみは色々ありますが、その一つは、恋の段階について議論です。百人一首は10の勅撰和歌集から選ばれていて、そこでは古今集以来の部立(分類)がなされており、特に恋は一から五に分類されてものが多い。例えば、
40番、平兼盛の「 忍ふれと色に出にけり我こひはものやおもふとひとのとふまて」は初期段階で恋一。
45番、謙徳公の「哀ともいふへき人はおもほえて身の徒になりぬへき哉」は、誰ももう自分のことを思ってくれる人がいなくなってしまっているから、恋五。この中間に様々な恋の段階、様相があるわけです。この歌は恋三だなあ!と互いに確認するのが楽しいのです。百人一首には恋に分類されているものは43首とされていますが、それ以外も恋の匂いを感じさせるものが多数あります。「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそをしけれ」(67番、周防内侍)は、一見「恋」のようですが、元の千載集では「雑」とされます。詞書を読めば、男性の戯れにやんわりと返した歌だと分かります。女性はいつものびのびと歌っていますね、とはPさんの感想。

 

  
   

百人一首(10)百円均一

百人一首が100円ストアで売っていると知って、買ってみた。月と風という二種の箱にそれぞれ50首が入っていて、両方買うと百首全部揃う。開けて驚いたのは、札がしっかり作られていることで、サイズは標準の札より小振りだが、持ち運びには都合が良い。こんなカードが良くも100円で出来るものだと思う。しかも国産品。(100円ショップには謎が多い。)まず英人Pさんに「坊主めくり」を教え、「坊主」と「めくり」という言葉の説明もした。当分これをPさんの記憶の確認に使う。
お母さんも、この札で子供たちと遊んで欲しいもの。大げさに言えば、日本詩歌の至宝が詰まっているのだから。



  • 木下 信一 蝉丸の札はどうなってました?
  • 宮垣弘 しるもしらぬもおうさかのせき
    他の歌も、読み札も取り札も、すべて現代仮名遣いとなっています。中学生まではこれでよいかと思います。Pさんは、歴史的仮名遣いもマスターしていますので、どちらでも変わりがないです。
  • 木下 信一 いや、そうではなく、坊主めくりする時に蝉丸の札は一見坊主に見えない、というやつです。
    坊主頭になってました?
  • 宮垣弘 右の写真ご覧ください。
  •   木下 信一 やっぱり蝉丸ですね^_^
  • Yuriko Kobata 子供のころお正月に父が読み手で兄弟3人で取り合いました。古くて多少すり切れたもの。父が読むのを疲れて「もう、よか」というと坊主めくりになりました。百均で売っているなんて、絵はかわいいですが、ぜひ子供たちには遊んでほしいです。
  • 宮垣弘 お父さんが札を読み、子供たちが札を取る ー 典型的なお正月の風物詩ですね。畳が消え、兄弟が少なくなって、家庭から「かるた」が姿を消しつつあります。
  • Toshiro Nakajima われわれは100円という微小単位に目を奪われますが、よく売れる品物は10億円単位で生産されるようです。ダイソー恐るべし。
  • 宮垣弘 まさに「ダイソー恐るべし」ですね。私は表通りから少し入った所の、小さな店しか知らないので、甘く見ていました。
    • Toshiro Nakajima 神戸店は古書店の上にあり、30分は帰れない魔窟です。楽しい時間がおくれます。鍵やドライバー、額縁、文房具もよくそろっていて、男性にはうれしい場所です。
    • 木下 信一 三宮にもダイソーができましたよ^_^