私の「アーサー王伝説」入門(4)  
        (1)へ  (2)へ   (3)へ (5)へ
 Topへ
   原作、原典の知識を持って、その2次、3次の派生物(翻訳、漫画、アニメ、ゲーム・・・)を追っかけるのは、楽しいことなのでしょう。その過程を通じて、原作、原典の理解が進みますが、まったく、似て非なる世界で遊ぶことにもなります。  

  
 サブカルチャの中のアーサー  『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか -変容する中世騎士道物語』 
      岡本広毅、小山真樹子篇 みずき書林

  私は、漫画、ゲームは知らないし、アニメはジブリのものや新海誠の作品に少し触れ程度なので、サブカルチャー界は門外漢である。タイトルや装丁から、オタク向けの、軽い本かと思ったが、読んでみると、意外に学術的?で、典拠、文献を示し、索引もついてしっかりとした内容の本であった。このレベルの高さは、執筆者15名のうち、国際アーサー王学会日本支部のメンバーが6名、その他西洋中世研究者が多くかかわっているためであろう。「アーサー王伝説」愛が隅々まで感じられ、その蘊蓄を傾けた叙述には興味深い指摘が多くあった。

  「アーサー王伝説」は、マロリーやテニスンによって、大成、普及したもので、それ以前に遡るのは、ラテン語、中世の英、仏、独、伊の言葉の世界で、素人にはハードルの高い世界だと思っていたのだが、児童文学として世界に広がり、日本では、変容を遂げながらサブカルチャーに根を下ろしていることが分かる。

  第一部は、いわゆる受容史(翻訳、翻案史)では、漱石が大きな役割を果たしているのだが、テニスンのものから、マロリーのものへの重点の移行は、ラフカディオ・ハーンの影響*が大きいことを指摘している。
第一部では、漱石との関わり合いを、不破有理は「薤露行(かいろこう)」を中心に、小谷真理は「こころ」の分析へと筆を伸ばしており、いずれも面白かった。最後は大御所の高宮利行先生の文で、ご自分の「アスコラット」の発見を含む、西洋への発信、アーサー王伝説への各方面篇波及に触れているが、網羅的だないが、面白かった。
ここまでで、私のようなビギナーには、十分満足する情報が含まれていた。
 
 ハーンの推奨  
  〔* 手元に、ハーンの東大での講義録A History of English Literature(初版1927年、私の手持ちは1953年版)があったので、繰ってみると、確かに、マロリーの『アーサー王の死』Morte d’Arthurを絶賛し、knightとsamuraiとの親近性にも触れ、読むことを勧めている。ハーンはこの本の序論で、イギリスの古い文化と日本の封建時代の徳目との類似性を述べており、こんなところからもアーサー伝説の日本での普及の素地を感じることができた。

なお、池田雅之編訳『小泉八雲東大講義録』は、上掲書とは内容的には全く別物ですが、その中でも「読書について」の章で終わりで「マロリーの『アーサー王の死』のもつ並々ならぬ価値を、皆さん思い出していただきたい。それは、みなさんが購入して手元に置き、再三読むべき数少ない本の一冊だといいたい。その本には、騎士道精神のすべてが描かれている。」と言っている。〕

 
   
  第二部は、アニメ、漫画、ゲームなどサブカルチャーへの「アーサー王伝説」の浸透を論じた部分で、私にこの方面の門外漢で、私にはもう手の出せない世界である。
燃えろアーサー』「宝塚のアーサー王物語」女性アーサー王『Fate』シリーズ(漫画、アニメ、小説)『ドラゴンクエストⅪ』(ゲーム)が、巨大な世界(マーケット)であり、まさしくカルチャーであるが、

論者は、オタク的に集めた情報を、原典に関する蘊蓄を示しながら分析して見せるのであるが、「アーサー王伝説」のどの部分が吸収されていったかが分かる。
例えば『ドラゴンクエストⅪ』では、宗教性、女性崇拝は排除され、誓約という点で武士道とtの対比がなされている。さらには「太古の伝説は現代日本人の手によって再び鍛えられ、新たな英雄のもとでさらなる輝きを放つのだ。」(同書199頁)と言われるとちょっとついていけない。

  第三部は、二次創作ともいえる分野を扱っており、斉藤洋「私の『アーサー王の世界』」はリライトの楽しさを、山田南平×小宮真樹子「永遠の王アーサー『金色のマビノギオン』」漫画の、いずれも、その典拠とする資料や作者の創作態度が披歴されていた。
  岡本広毅「カズオ・イシグロのアーサー王物語  -ノーベル賞作家はガウェイン推し」は、『忘れられた巨人』の見事な紹介文で、イシグロもガウェインも共によく知っている者にして初めてできる豊かな内容であった。いづれ読むことになると思うので、本をイギリスに注文した。

 その他、資料やコラムも充実していた。
「語り継がれるアーサー王伝説 ー 一次資料集」は8世紀からカズオ・イシグロに至るて摘出していて、壮観であり、古い資料が多く翻訳されていることが分かる。日本語だけで西洋中世の研究ができると思わせるが、書誌解題の部分が殆どないのが惜しまれる。

  最後に、私はサブカルチャーの世界に殆ど親しまない。そこへ入るのは、一種の退行現象とみるからで、しかも、私には、少年期に漫画、アニメ、ゲームを楽しんだ体験がほとんどないからである。この分野の文化的価値を軽視するわけではない。
「アーサー王伝説」ファンとしての願いは、この伝説の高潔noblleな要素をサブカル分野でも継承して欲しいということである。