私の「アーサー王伝説」入門 (1) (2)へ、 (3)へ (4)へ (5)へ |
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70歳を過ぎて、まるで、はしかに罹ったように、「アーサー王伝説」病に取り付かれてしまった。恐らく、高齢者罹患の、珍しい症例だと思うので、その過程を記録に残しておきます。 (中間報告といったところ)
私はこれにより西欧中世への一つのヴィジョンを得ることができました。何よりも、シェイクスピアでは、すべてが曖昧になっている、徳目と悪徳がここでは明瞭に示されていて、近世、近代が何を失ったかがよくわかります。 |
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始まり Micheal MorpurgoのAthur High King of Britain |
なぜ、この本を読み始めたか記憶にない。 ○ 遅まきながら「アーサー王」物語を、Micheal MorpurgoのAthur High King of Britainで読んだ。その筆力に圧倒され、少年のよう胸を躍らせて読み通した。アーサー王自らが語るのもよく、子供向けの本にもかかわらず、恋も十分描けていた。私は最良の形でアーサー王伝説に入門したと思う。次はThomas Maloryのものを子供向けに編集したThe Boy's King Athurを読みます。(2013・06・09) |
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The Boy's King Athur | ○ Sidney Lanierによって編纂されたThe Boy's King Athur(初版は1880)はThomas Maloryの原文(1485)をそのまま使っているようで(綴りは近代英語の綴りに変えてある)、古譚の趣があってなんとも好ましい。私はやはり少年の気持ちでわくわくして読んでいる。(私の手持ちの版は1989年刊で、挿絵はN.C.Wyeth)
N.C.WyethはAndrew.Wyethのお父さん。 |
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色々な情報が気になり始めた。 | ○ 漱石がアーサー王伝説を元にして書いた『薤露行(かいろこう)』という作品も読んだ。これは、マロリーよりもテニスンの作品によっていると前書きに書いてあるが、その典雅な文体に目を見張る。現代作家ではとてもなしえない雅文である。私もテニスンに手を出すことになる。本は既に手元にある。その前に漱石とテニスンを結びつける江藤淳の本『漱石とアーサー王伝説』を読むべく入手した。この年になって、アーサー王伝説に嵌まるなんて、困ってしまう。(2013・07・01)
○ 100年以上も前、漱石はトマス・マロリーとテニスンにより、アーサー王伝説に深く沈潜し、『薤露行(かいろこう)』という作品を書いた。この作品は70年後江藤淳によって詳細に分析されることになり、その成果は博士論文『漱石とアーサー王伝説』(1975東大出版会)で、今では講談社学術文庫にもはいっている。この論文はいくつかの視点を提示するのであるが、ともかく、江藤淳が深くアーサー王伝説にはまり込んだことが良くわかる。アーサー王伝説ファンには一体何処に赴くのかわからないまま、文章の細部の分析に付き合うことになり、それなりに面白かった。その結論の意外性は一種のミステリーの味わいがあった。この結論に関しては大岡昇平などとの論争があるそうだが、私は漱石論にまで手を出すゆとりはない。私は原点としてのトマス・マロリーに立ち返るつもりである。(2013・07・14 |
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トーマス・マロりー Le Morte D'Arthur 「アーサー王の死」 を読み始める。 |
○ ウイリアム・キャクストンが1485年出版したトーマス・マロリーのLe Morte D'Arthur(Penguin版2巻本)を読み始める(同)
○ トーマス・マロリーのLe Morte D'Arthur(Caxton版)を読み続けている。何よりも愉快なのはシェイクスピアより1世紀以上も前の文章が読めるということである。シェイクスピアより数等易しく、私の使っているPenguin版には適当に語注があり、巻末には古語のグロサリーも付いているので、辞書をほとんど使わずに読める。ちょっと嘘のような話である。物語を記述する文体は古風で素朴。内容がまたとてつもなく愉快である。一巻がたくさんの章に分かれていて、各章が短く、一気に読めるようになっている。それぞれがadventureになっていて、思いがけない展開をするので飽きることがない。夏の読書には最適です。(2013・07・21)
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つづく |