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「コトリノダンス」  (「ヤングユー」2001年12月号掲載)



西條家は母とコースケ、カンナの三人暮らし。春に離婚して出て行った父親はもう新しい家庭を持っている。かわいがっていたつがいの小鳥も父が連れて行ってしまい、家にはいない。
一方コースケの同級生・森橋さんは母に出て行かれ、父親と暮らしている。しかし最近父に恋人ができたため、家には居場所がない。
迷子の小鳥を拾った彼女は、導かれるようにコースケの家までやってくるが…

いきなり誰のものかわからないモノローグで始まるという、相変わらずわかりづらいオープニング。
ちなみにネタばらしをすると、これは迷子になってしまった小鳥の心の声なのです。
たまたま先日、ささやななえの「私が愛したおうむ」(おうむだけを心のよりどころとして生きる哀しい少女の話)を読んだところだったので、比較するわけじゃないけどちょっと考えてしまいました。やっぱり鳥というのは少女漫画的だなと。しょうもない結論ですみません。



最近の岩館真理子の作品はどうも、バラバラなものをなんとか束ねてるという印象があります。束ね直してると言ったほうがいいかな。(ヘンな言い方だけど、別に悪い意味ではない)

そもそも岩館真理子がどうしようもなく暗い話に手を出すようになったのは「1月にはChiristmas」「わたしが人魚になった日」などからですが(これらは同じ82年の作品)、これ以前の作品にはとくに「シリアス」「コメディ」などの分類はなく、どれをとっても色んな要素が均等につまっており、それなりに「岩館真理子らしさ」をかもし出していました。これは、デビュー後数年しかたっていない作家としては当然のことかもしれません。
上の2作以降も週マでの連載はそつなく続けられていましたが、ヤングユーに移ってからは、作品によってそのベクトルがまったく異なるようになってきました。たとえば「うちのママが言うことには」なんて、考えてみると「えんじぇる」と同じ結婚生活モノなんですが、そのゴタゴタ感はまるで、敢えてロマンチックな部分を排除しているかのようにすら感じられます。ちなみに同時期には「子供はなんでも知っている」「アリスにお願い」などが描かれています。

しかし最近…おおまかに言うと「キララのキ」連載終了後(98年)あたりから、「これはシリアスなのだろうか?コメディなのだろうか?」と判断に迷ってしまう作品が多くなってきました。
そもそもこのふたつに分けて考えること自体がおかしなことなのですが、これまでの作品があまりにも方向性がバラバラだったので、ついつい次はどのタイプかな?と考えてしまうクセがついていたのです。
これ以降はまったくの個人的推測なのですが、これまでの岩館真理子というのはもしかしたら、暗い話が描きたい!明るい話が描きたい!というんで作品ごとに毎回突っ走ってたんじゃないかと思うのです。
で、いくつか作品を消化していく中でなんとなく落ち着いてきて、ひとつの作品の中にいろんな要素を入れられるゆとりが出てきたというか。
このあたりが私には「バラバラなものを束ね直してる」ように感じられるわけです。妙にバランスが取れているというか、作家として別のステージに到達したというか。もっともこれが到達点なのか通過点なのかは、今はまだわかりません。

でも個人的にはちょっと惜しいなと思うところもあります。
これまでの岩館真理子は、シリアスな家庭問題や少々非現実的な事柄を扱う場合、その中にちょこっと現実的なもの、可笑しくてつい笑ってしまうようなものを混ぜ込んで、読者をなごませるというクセのようなものがありました。
たとえば「センチメンタルリング」の人のよい夫婦。「遠い星をかぞえて」の卜部くん。「キララのキ」の心ちゃん(もっとも心ちゃんが冗談を言う場面は、私にはちょっと浮いてるように感じられましたが)。
美しいけれど、ともすればひきずりこまれそうになる暗がりの中にひとつぽっと暖かい灯りが点っているように、これらの要素は読後感をほのぼのしたものにしてくれました。
しかし最近のようにバランスの取れすぎた作品では、これらはほかのコメディ的要素に埋もれてしまい、あまり目立たなくなってしまった。
たとえば「コトリノダンス」で言うならば、カンナちゃんが魔法に凝ってる、という設定ではちょっと大きすぎる。ラスト、鳥になったコースケが「ヘンな家族なの」と言った森橋さんをくちばしで突付いてしまう、あれぐらいのちょっとしたほのぼの感が丁度いいわけです。
もっともカンナちゃんの魔法がなければこの話は成り立ちませんから、そもそも題材選びというか土台から変わってきてるのかなとも思います。



話は今月号に戻って…
お母さんが「でも今は体育会系が好き」とマッチョな男を想像するシーンがあるのですが、これって最近の岩館真理子の好みなのでしょうか。
「月と雲の間」でも、おばさん連中のハートを一網打尽にしていた魚屋のおにいさんがちょっとこのタイプだったし。
どういう男性が好みなのか。気になるところではあります。

それから、岩館真理子の「人物がきょろきょろするシーン」って私昔から好きなんですが、今月号でもカンナちゃんのそういうとこが見られて嬉しかったです。
右向きの顔と左向きの顔とが両方描かれてるんだけど、この大胆さというかほんとにそのまま描いちゃってるところがなんともいえず可笑しい。こういった、悪くいえば手抜き感覚、良くいえばラフなところは岩館真理子のギャグセンスのいちばんの特徴だと思います。



(01/11/12)



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