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岩館真理子に関する評論の紹介です。
(太字部分は、文章のタイトルもしくはキャッチです)



「自閉する快楽」
  東玲子 「imago」96年7号
(ご本人にいただきました。ありがとうございました)

(引用は準備中です)

私が岩館作品に対して感じていたことを見事に文章にまとめておられます。すべて引用したいくらい…
90年代に入ってからの岩館作品が、いかに「少女でなくなった自分」を断罪するものであるか、丁寧に論じた部分には、非常に感銘を受けました。また、一時期の岩館キャラの特徴であった「長い髪」「宵っ張り(で朝に弱い)」などについて考察されている部分も面白かったです。



「吉本文学のルーツ」
  大塚英志 「東奥日報」90年12月?
(当時青森在住だった方にいただいた新聞の切り抜きより。「エンターテイメント」というコーナーに書かれた、吉本ばななとの比較による「アリスにお願い」評です)
「少女まんがの読者たちにとって岩館真理子は特別な存在である。(中略)例えば大島弓子や萩尾望都が手の届かない神様であったのに対し、岩館真理子は(中略)乙女ちっく系のかわいらしい絵を描く少女まんが家としてスタートしながら気がつくと少女まんがの最も良質な表現者として読者の前にいる。そのゆるやかな少女から作家への変容が読者に希望を与えるのである」
「その岩館の最新作「アリスにお願い」は彼女の新たな変容を感じさせる作品である」
「この作品が岩館による「TUGUMI」であることはすぐにわかる」
「その上で「TUGUMI」の、あるいは吉本ばななの欠点は克服されている」
「吉本の欠点は、少女たちの自分探しを主題としながら、この成長の儀式を行うのは実際には別の少女だという点である。語り手の「わたし」は常に傍観者である」
「(「アリスにお願い」では)傍観者は決して免罪されてはいない。吉本の物語の構造を取り込むことでそれまで未整理だった岩館作品の主題が鮮明になり、その結果、セリフや絵の水準はおそろしいくらい高水準になっている」
「吉本ばななという文学に一瞬追い付かれた岩館は再びそれを振り切ってさらなる高みに昇っていったのだといえる」
私は…1:吉本ばななを読んだことがない。2:萩尾望都や大島弓子より先に(「おいしい関係」連載時に)岩館真理子に出会っている。…ので、ここで想定されてる読者、あるいは大塚英志自身とはまったく違うわけですが、興味ぶかく読みました。
(送ってくださったMさん、ほんとにありがとうございました)



「ガラス細工のように繊細な家族ドラマ。マンガの語りの技法はここまで尖鋭化した」
  中条省平 「読んでから死ね!」 文藝春秋・03年初版

週刊文春に連載中の漫画評論をまとめたもの。下の「Jコミック作家ファイル」の前書きも再度収録されています。ちなみに中条省平は岩館真理子について
「「花の24年組」の次の世代で、少女マンガの最もオリジナルな才能を挙げろといわれれば、くらもちふさこ、岩館真理子、高野文子に指を折りたいと思う」
…と、高く評価しているようです。(高野文子の項より引用)
ここでとりあげられているのは当時ちょうど連載終了したばかりの「キララのキ」。その「語りの技法」について、「(夢と記憶と現実との)溶解の深さとスピードの絶妙のコントロールが、岩館真理子の名人芸」とのこと。
「家族というテーマは、少女マンガにとって恋愛に次いで重要なものだが、ほとんど家族という主題だけにしぼって、ガラス細工のように繊細で人工的なファンタスムの迷宮を紡ぎだした作者の才能と、強引なまでの力技には驚嘆させられるばかりだ」
個人的には、キララにせよ他の作品にせよ、岩館真理子の場合恋愛をとりあげようとすると家族が、家族をとりあげようとすると恋愛が、からんできてしまうのではないかと思います。キララもじつはひとりの男性をめぐる物語であったわけだし。
一見(とりわけ年端のいかない「少女」にとって)絶対なものであるはずの「家族」も、じつは恋愛を素に築かれたものであり、もろい部分がある。逆に恋愛も家族に収束する要素を含んでいる。そういうとこがおそろしくもロマンチックで、面白いんじゃないかと思うのです。



「美しくぼんやりとした精神」
  いしかわじゅん 「漫画の時間」 晶文社・95年初版

自他ともに認めるディープな漫画読み・いしかわじゅんがいろいろ示唆してくれる一冊。前置きの「漫画の読み方・青い鳥はどこにいる」は漫画好きなら必読です。

岩館真理子に対しては、最も評価する部分を上記のように表現しています。
丁度「冷蔵庫にパイナップル・パイ」が講談社漫画賞を受賞した際に書かれたらしく、受賞パーティでのエピソードがひきあいに出されています。
なんでも、いしかわじゅんが岩館真理子と立ち話をしていたら、彼女にサインを求める人が現れた。いしかわじゅんは彼女の持っていたグラスを預かったのだけれど、サインを済ませたあと、岩館真理子はグラスのことを忘れてそのまま去っていってしまったとのこと。
「仕方なくぼくは、式が終わるまで、ずっとそのグラスを捧げていたのだ」
「そうなのだ。岩館真理子の作品の特徴は、そのぼんやりさ加減にある。(中略)上品な、上質な、思わず抱きしめたくなるような可憐さを、どの作品も必ずまとっているのだ」
岩館真理子の作品を読み進むと、甘い絵柄の下に実にシリアスな人間関係が横たわっていることに気付かされます。しかしそれらが私達の心にどす黒くのしかかることはない。どこまでいってもおとぎばなしのように美しい。
それはやはり、本人の持つ才能というか人柄なんじゃないかと思うわけです。
「『冷蔵庫にパイナップル・パイ』は子供が主役だ。大人も出てくるが、それは大人のふりをした子供だ。つまり、出てくるのは、全員ピュアな汚れを知らない人間ばかりだ」
「子供が人間のもっともピュアな形であるのと同じように、この作品は、岩館真理子の作品のいちばんピュアな部分を象徴している」
ピュアな人間というものは残酷でもあるものです。



「こんなに可憐で性格悪い美少女なんて…」
  「Jコミック作家ファイルBEST145」 河出書房新社・99年
「岩館真理子が好んで取り上げてきた「きびしい少女」というものも、ある意味珍しい人物像ではなくなってきた、ともいえる。しかし逆に、一億総アダルト・チルドレン化みたいな風潮がはびこる御時世だからこそ、岩館漫画に出てくるような気質と容姿を兼ね備えた女子なんて、やっぱり現実には見当たらないという現実につきあたる。そう、岩館マンガのヒロインを血肉化することは、そもそもグロテスクな行為なのだ」
ひねくれた少女なんてこの御時世、やまほどいるんじゃないかと思われるけれど、岩館真理子の描くような少女は決して実在しない。

ちなみに中条省平によるこの本の前書きでは、「甘美な外見をまといつつも、自己放棄の欲望が浸透している作品」として「キララのキ」があげられています。(もうひとつの例は萩尾望都の「残酷な神が支配する」)



「“あたし”という私的自己と外界との小さな軋轢 もしくは“家族”というアイデンティティの欠如」
  「1億人の漫画連鎖」 メディアファクトリー・97年

リクルートの「ダ・ヴィンチ」編集部によるコミックスガイドブック。
本誌でのアンケート結果やマンガ家さんへのインタビュー、有名作家に対する評論などから、さらに読むべき作品をリンクしていこうというのがテーマのようです。いわゆる「これが好きならこれも読め」というやつ。これをハイパーリンクと捉えると、もしかしたらインターネット的試みだったのかもしれない。

リンクといっても、もとの作品のどの部分をすくいあげるかによって、その行く先はいろいろです。
「岩館真理子からのリンク」は「少女の感性に触れたいなら」「家庭を考えるなら」「謎解きが好きなら」という三項目。ファンからすれば妥当なラインナップでしょう。
「岩館マンガを言葉にしにくい歯がゆさは多くのファンが経験しているはずで、それこそが作品の魅力だとはいえまいか」
「つまり、言語化しにくい少女の感性を、感性の力のみで描ききる点が稀有なのだ。感覚は論理ほど共有しやすい道具ではないが、その感覚を共有できる者には論理よりも深い感動を与えることができる。岩館作品の特殊性とは、論理的構成を無視したいわば“純粋感性”のダイナミズムなのだ」
ちなみにこの本で扱われている他の女性作家は萩尾望都、大島弓子、一条ゆかり、吉田秋生、岡崎京子など。

(01/07/14)



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