岩館真理子に関する評論の紹介です。
(太字部分は、文章のタイトルもしくはキャッチです)
「少女まんがの読者たちにとって岩館真理子は特別な存在である。(中略)例えば大島弓子や萩尾望都が手の届かない神様であったのに対し、岩館真理子は(中略)乙女ちっく系のかわいらしい絵を描く少女まんが家としてスタートしながら気がつくと少女まんがの最も良質な表現者として読者の前にいる。そのゆるやかな少女から作家への変容が読者に希望を与えるのである」私は…1:吉本ばななを読んだことがない。2:萩尾望都や大島弓子より先に(「おいしい関係」連載時に)岩館真理子に出会っている。…ので、ここで想定されてる読者、あるいは大塚英志自身とはまったく違うわけですが、興味ぶかく読みました。
「その岩館の最新作「アリスにお願い」は彼女の新たな変容を感じさせる作品である」
「この作品が岩館による「TUGUMI」であることはすぐにわかる」
「その上で「TUGUMI」の、あるいは吉本ばななの欠点は克服されている」
「吉本の欠点は、少女たちの自分探しを主題としながら、この成長の儀式を行うのは実際には別の少女だという点である。語り手の「わたし」は常に傍観者である」
「(「アリスにお願い」では)傍観者は決して免罪されてはいない。吉本の物語の構造を取り込むことでそれまで未整理だった岩館作品の主題が鮮明になり、その結果、セリフや絵の水準はおそろしいくらい高水準になっている」
「吉本ばななという文学に一瞬追い付かれた岩館は再びそれを振り切ってさらなる高みに昇っていったのだといえる」
「「花の24年組」の次の世代で、少女マンガの最もオリジナルな才能を挙げろといわれれば、くらもちふさこ、岩館真理子、高野文子に指を折りたいと思う」…と、高く評価しているようです。(高野文子の項より引用)
「家族というテーマは、少女マンガにとって恋愛に次いで重要なものだが、ほとんど家族という主題だけにしぼって、ガラス細工のように繊細で人工的なファンタスムの迷宮を紡ぎだした作者の才能と、強引なまでの力技には驚嘆させられるばかりだ」個人的には、キララにせよ他の作品にせよ、岩館真理子の場合恋愛をとりあげようとすると家族が、家族をとりあげようとすると恋愛が、からんできてしまうのではないかと思います。キララもじつはひとりの男性をめぐる物語であったわけだし。
「仕方なくぼくは、式が終わるまで、ずっとそのグラスを捧げていたのだ」岩館真理子の作品を読み進むと、甘い絵柄の下に実にシリアスな人間関係が横たわっていることに気付かされます。しかしそれらが私達の心にどす黒くのしかかることはない。どこまでいってもおとぎばなしのように美しい。
「そうなのだ。岩館真理子の作品の特徴は、そのぼんやりさ加減にある。(中略)上品な、上質な、思わず抱きしめたくなるような可憐さを、どの作品も必ずまとっているのだ」
「『冷蔵庫にパイナップル・パイ』は子供が主役だ。大人も出てくるが、それは大人のふりをした子供だ。つまり、出てくるのは、全員ピュアな汚れを知らない人間ばかりだ」ピュアな人間というものは残酷でもあるものです。
「子供が人間のもっともピュアな形であるのと同じように、この作品は、岩館真理子の作品のいちばんピュアな部分を象徴している」
「岩館真理子が好んで取り上げてきた「きびしい少女」というものも、ある意味珍しい人物像ではなくなってきた、ともいえる。しかし逆に、一億総アダルト・チルドレン化みたいな風潮がはびこる御時世だからこそ、岩館漫画に出てくるような気質と容姿を兼ね備えた女子なんて、やっぱり現実には見当たらないという現実につきあたる。そう、岩館マンガのヒロインを血肉化することは、そもそもグロテスクな行為なのだ」ひねくれた少女なんてこの御時世、やまほどいるんじゃないかと思われるけれど、岩館真理子の描くような少女は決して実在しない。
「岩館マンガを言葉にしにくい歯がゆさは多くのファンが経験しているはずで、それこそが作品の魅力だとはいえまいか」ちなみにこの本で扱われている他の女性作家は萩尾望都、大島弓子、一条ゆかり、吉田秋生、岡崎京子など。
「つまり、言語化しにくい少女の感性を、感性の力のみで描ききる点が稀有なのだ。感覚は論理ほど共有しやすい道具ではないが、その感覚を共有できる者には論理よりも深い感動を与えることができる。岩館作品の特殊性とは、論理的構成を無視したいわば“純粋感性”のダイナミズムなのだ」