林譲治
大年表

戦記という限られた時間枠の中で推移する世界。しかしそこに展開する様々な事象は、限りなく濃密だ。
試験で暗記したあの時この時を君は覚えているか。
「影山酔い(41)人々(11)臨検受ける」
趣味の世界だと完璧なのにな。

「焦熱の波涛」
伸様作成

西  暦

和  暦

記   事

出  典

1942年11月14日

昭和17年11月14日

第三次ソロモン海戦にて、戦艦霧島、比叡を失うも、米戦艦ワシントン,サウスダコタを潜水艦の協力で撃沈する。

焦熱1

1943年2月

昭和18年2月

ベーリング海の援ソ航路攻撃の為の潜水艦基地をアッツ・キスカ両島へ設営する為に、第三〇設営隊が編成される。

焦熱2

1943年2月7日

昭和18年2月7日

日本軍、ガダルカナル島から撤退。

焦熱1

1943年5月
以前

昭和18年5月
以前

米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、毎日の気晴らしにコルト・ガバメントを撃ちっぱなしていた。

焦熱1

1943年5月

昭和18年5月

TF58、燃料切れで漂流中に日本艦隊に拿捕される。前代未聞、抱腹絶倒。

兵隊元帥5

1943年5月

昭和18年5月

TF58拿捕、及びインド洋の制海権が枢軸側の手に落ちた件について、スプールアンス中将がスケープゴートとされ更迭される。

焦熱1

1943年6月

昭和18年6月

スエズ運河経由での日⇔独伊連絡路が確保されたので、連合艦隊司令長官山本五十六大将の発案により、連合艦隊司令部が戦艦武蔵から東京の軍令部内に移転。

焦熱1

1943年6月

昭和18年6月

米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、毎日気晴らしにトンプソンSMGをマガジン2・3本分撃ちまくる様になる。

焦熱1

1943年6月10日

昭和18年6月10日

「煉瓦の夜」(別名「パットンの反乱」)発生。パットン指揮する米第2軍団(英駐留軍)、枢軸側と休戦しそうな英政府にたいしてクーデターを起すが、英軍のカウンタークーデターにより失敗。パットンは戦死。

焦熱1

1943年7月

昭和18年7月

イギリス、日独伊枢軸国と単独休戦。

焦熱2

1943年8月

昭和18年8月

042空の香取(モスキート)による航空管制により、ガダナルカナル島の米軍へ烈風(Fw-190)が夜襲をかける。この隙に内藤大尉指揮の10名の陸戦隊員が「ガダナルカナル奪還作戦」の先遣隊としてガダルナナル島へ上陸。アウステン山山麓へ潜伏。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

高杉少佐指揮の独立降下猟兵第一大隊、042空,陸戦隊先遣隊の支援によりGo244B20機を使ってガダルカナル島アウステン山山麓へ降下。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

降下翌日、独立降下猟兵第一大隊、ムカデ高地へ12cm重迫と105mm無反動砲で夜間砲撃を行い、ムカデ高地の米軍レーダー施設を破壊。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

独立降下猟兵第一大隊の攻撃に連動する様に、ラバウルより一式陸攻三三型装備の701空,755空がカダナルカナル夜間空襲に出撃。直衛には基地航空隊のFw-190。支援には死神部隊042空の二式大艇。プラス、言葉の爆弾、秘密兵器右近中佐!

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

米軍は日本軍空襲部隊に対し、独立降下猟兵第一大隊攻撃前に離陸したB-17現地改造のレーダー搭載空中管制機「クリスタルギャジング」により、先制による迎撃に成功。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

秘密兵器右近中佐の言霊爆弾の炸裂で、米軍の指揮管制はグチャグチャになり、迎撃はファルス(笑劇)となり失敗。しかし、701空も編隊を立直すことが出来ず投弾した為、オンターゲットとは成らず空襲は失敗。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

空襲の失敗により、日本軍のガダルカナル奪還作戦の計画は大幅修正に。その為、ガダルカナルの独立降下猟兵第一大隊にヘンダーソン飛行場への遊撃戦の命令が下る。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

米軍は、遊撃戦を展開する独立降下猟兵第一大隊を空陸から捜索するが発見出来ず。日本軍の使用する兵器を正確に把握する事に失敗したのが原因だった。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

しかも、高杉少佐の命令で米軍が捜索しそうな地区にダミーの砲陣地やガダルカナル版悪魔の園(ブービートラップ陣地)を設置した為に、米軍は益々泥沼にハマッていく。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

第8艦隊旗艦日向艦上で先のガダルカナル奪還作戦の検討会を開く。検討会上、042空司令船引中佐の分析等から陸攻による空襲に疑問符がつく。検討会の結果、船引中佐の発案で、第一戦隊の戦艦大和,武蔵のカダルカナル艦砲射撃が決定する。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

ラバウルからブーゲンビル島への航路に沿って、海上護衛部隊より抽出された第7護衛戦隊の海防艦16隻、及び007空の哨戒により、米潜水艦の活動を封じ込める。この間、米潜2隻が沈められる。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

ウッドラーク島,キリウイナ島の米航空隊、日本軍によるガダルカナル島奪還阻止の為にラバウル,ブイン,バラレの飛行場への連日の攻撃を行う。しかし、ことごとく早期警戒中の042空に察知され、陸軍第6飛行師団の二式単戦「鐘馗」の活躍により阻止される。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

ヨークタウン級(元エセックス級)イントレピッドがハワイ・オワフ島真珠湾沖で公試中に日本海軍潜水艦に撃沈される。

焦熱1

1943年8月

昭和18年8月

中島飛行機小泉工場で、ドイツからの技術顧問団のジタンダ中佐、Fw-190量産の為に悪戦苦闘をするも、しかし、一向に量産ラインは可動しない。

焦熱2

1943年8月

昭和18年
中旬

空母エセックス改め空母葛城、042空の支援でガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を攻撃。米軍は初陣のF6Fも迎撃に投入する。F6Fにより042空副長長友大尉指揮の二式大艇が撃墜される。

焦熱1

1943年8月

昭和18年
中旬

葛城からのレコード(曲名「ワルキューレの騎行」)を使った米軍通信へのバラージジャミングでヘンダーソン飛行場への攻撃は成功。米軍のB-17空中管制機「クリスタルギャジング」も着陸時に滑走路の爆弾孔に脚を突っ込み、全損。

焦熱1

1943年8月22日

昭和18年8月22日

ブーゲンビル島シンプソン湾より、ガダルカナル島逆上陸部隊を乗せた艦隊、進発。艦隊は、戦艦3隻,空母3隻,巡洋艦4隻,駆逐艦・海防艦16隻,輸送船20隻の計46隻よりなる。力入ってます。

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1943年8月22日

昭和18年8月22日

逆上陸部隊は、陸軍第17軍第6師団を主力とし、火力支援の付属部隊として、あの北アフリカの英雄、影山大佐指揮する独立戦車第一連隊もあった。

焦熱1

1943年8月22日

昭和18年8月22日

ガダルカナル島奪還作戦の第一段として、日没前にバラレ基地からの陸攻、及び空母葛城を主力とする第四航空戦隊からの空襲がガダルカナル島へ行われる。

焦熱1

1943年8月22日

昭和18年8月22日

ガダルカナル島奪還作戦の第二段として、夜半に戦艦大和,武蔵を主力とする艦隊の艦砲射撃。ヘンダーソン飛行場、及び周辺陣地の被害甚大。

焦熱1

1943年8月22日

昭和18年8月22日

第三段として、日本軍ガダルカナル島に上陸開始。独立戦車第一連隊は上陸第一波として上陸。上陸第一波は艦砲射撃から生き残った砲台・陣地からの攻撃で海外線に釘着けになる。

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1943年8月22日

昭和18年8月22日

臨機応変、又の名を無理を言えば道理が引っ込む影山戦術のブルムベアの15cm砲による間接射撃により、海岸保を拡大。内陸部へ進撃を開始する。

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1943年8月22日

昭和18年8月22日

米軍、波際陣地の崩壊で手持ちの砲を大量に失った為に、内陸部にバリケードを設置し、M4シャーマン中戦車,M5A1軽戦車を投入するも、ナースホルン,ブルムベアの活躍でヘンダーソン飛行場へ後退させられる。

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1943年8月23日

昭和18年8月23日

夜明けまでに、日本陸軍第6師団ヘンダーソン飛行場の一角を占領する。しかし、米軍は高射砲を平射して抵抗する。しかし、夜が明けると第四航空戦隊の艦載機による空襲で高射砲陣地は壊滅。

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1943年8月25日

昭和18年8月25日

日本軍、ヘンダーソン飛行場を占領。敗走した米軍は血染めの丘に篭城。

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1943年8月25日

昭和18年8月25日

第17軍第14師団を主力とする部隊のガダルカナル島への上陸が開始される。

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1943年8月26日

昭和18年8月26日

血染めの丘、陥落。ガダルカナル島の米軍降伏。

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1943年8月27日

昭和18年8月27日

ヘンダーソン飛行場に日本陸海軍航空隊の第一陣進出。その中には042空の船引中佐もいた。

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1943年8月27日

昭和18年8月27日

船引中佐、“地に足がついた計画”の地上設置電探基地設営の為に高杉少佐のユニバーサルキャリアでアウステン山に現地下見を行う。

焦熱1

1943年9月

昭和18年9月

陸軍北海守備隊第二地区隊(アッツ島守備隊)隊長山崎保代大佐は眠れぬ夜が続いていた。ダッチハーバーやアダック島の無線通信量は顕著に増大し、アッツやキスカへの空襲も激化の一途を辿っていたからであった。

焦熱2

1943年9月

昭和18年9月

アッツ島マサッカル湾に憂国丸型輸送船滅私丸が輸送の為に入港。

焦熱2

1943年9月1日

昭和18年9月1日

輸送船団ヒ55は、ベンガル湾を一路日本へ向かう。護衛は坂上少将指揮の第103戦隊の乙型海防艦8隻と軽空母海鷹。しかし、海鷹の飛行甲板上には、なんと運送中のスピットファイアが20機も駐機されていた。

焦熱2

1943年9月1日

昭和18年9月1日

ヒ55、無線傍受等の結果から米機動部隊の活動を推測。前路哨戒の為に九二七空へ支援を求める。

焦熱2

1943年9月1日

昭和18年9月1日

第一次ウッドラーク島沖海戦発生。ウッドラーク島へ補給しようとする軽巡4隻(デンバー,ホノルル,セントルイス,ヘレナ),駆逐艦8隻、輸送船12隻よりなる米軍輸送船団と、同島を艦砲射撃しようとする空母1隻(葛城),巡洋艦4隻(鳥海,荒神,阿賀野,龍田),駆逐艦1

焦熱1

1943年9月1日

昭和18年9月1日

米軍指揮官ギブソン大佐の誤判断により、護衛隊と輸送船を分離した為に、艦載機により輸送船は撃破される。第8艦隊分遣隊もキリウイナ島から発進した米軍基地航空隊の攻撃を受ける。

焦熱1

1943年9月1日

昭和18年9月1日

米軍基地航空隊は、B-17レーダー搭載空中管制機の支援を受け攻撃するが、CICを用いた右近中佐の迎撃指揮の前に、効率的に防がれる。

焦熱1

1943年9月1日

昭和18年9月1日

空母葛城に巧く接敵し、攻撃しようとしたA-24も右近中佐の舌先三寸に丸め込まれ、攻撃に失敗する。しかし、両軍ともに戦略目標の達成には失敗した海戦であった。

焦熱1

1943年9月

昭和18年9月

米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、トンプソンSMGの撃ちっぱなしでは気分が晴れなくなり、ブローニングM212.7mm重機の入手を検討し始める。

焦熱1

1943年9月
初旬

昭和18年9月
初旬

空母葛城艦上で、映画のロケハン。(世界の)黒澤を監督に、特撮を円谷英二が手懸け、主演に大河内伝次郎を据えて、東宝が世界に放つゴリラとクジラを合わせた様な怪物が活躍する特撮映画の問題作!だったりします。

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1943年9月
初旬

昭和18年9月
初旬

米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、情報参謀レイトン中佐より空母葛城(元エセックス)の件について報告を受ける。ニミッツは拿捕されたエセックス(現葛城)の撃沈と早期のソロモン海の覇権確立の為に、次の戦場をウッドラーク島に設定する。

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1943年9月
初旬

昭和18年9月
初旬

米海軍のウッドラーク島への輸送船団派遣についての情報を仮称情報参謀落合中佐が連合艦隊司令長官山本五十六,同参謀長小沢治三郎等のスタッフに説明する。

焦熱1

1943年9月
初旬

昭和18年9月
初旬

落合中佐は米軍側の意図(日本艦隊をウッドラーク島へ誘引し、撃破すること)を見抜いており、山本長官は、小沢参謀長へ米軍の動きを利用した作戦を企画させる。

焦熱1

1943年9月10日

昭和18年9月10日

ポートモレスビーよりウッドラーク島行きの米軍輸送船団出航。船団は輸送船20隻、直接護衛隊の軽巡4隻,駆逐艦10隻より構成される。実はこの船団、日本艦隊を誘き出す囮だったりする。

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1943年9月10日

昭和18年9月10日

日本軍の第一次攻撃隊、輸送船団を攻撃する。しかし、事前に前方哨戒をしていたB−17レーダー搭載空中管制機に発見され、間接護衛隊のヨークタウン、及びラビ,キリウイナ島の基地航空隊の迎撃を受ける。

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1943年9月10日

昭和18年9月10日

しかし、直衛の零戦隊と迎撃部隊が空戦をしている隙に日本軍の攻撃隊が輸送船団にとりつき攻撃を行い、輸送船5隻を撃破炎上させる。日本軍第二次攻撃隊、第三次攻撃隊も攻撃に加わるが乱戦の様相を呈し始める。

焦熱1

1943年9月10日

昭和18年9月10日

米軍、前方哨戒中のB−17により、空母葛城を発見。しかし、発見したB−17は、Fw-190「烈風」により撃墜される。

焦熱1

1943年9月10日

昭和18年9月10日

米軍、戦爆連合60機の攻撃隊を第8艦隊分遣隊(第四航空戦隊,第一八戦隊主力)に出撃させるが、042空にしっかり発見されてしまう。待ち受けるは、第四航空戦隊の160機の戦闘機。戦闘は大勢に無勢で米軍第一次攻撃隊は撃破されてしまう。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

日本軍第二次攻撃隊の内の九九棺桶、もとい九九艦爆一機、乱戦の中、機位を見失う。しかし、米軍の艦戦の後をつけて敵機動部隊を発見し、通り魔的な攻撃で空母ヨークタウンに25番爆弾を命中させる。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

この命中で飛行甲板上に並べられていた第二次攻撃隊のSB2Cヘルダイバー艦爆に誘爆、飛行甲板上の人間を吹き飛ばし炎上する。しかし、優れたダメコンのおかげで数時間後には発着艦可能にまで復旧し、再度第二次攻撃隊の発艦準備にとりかかる。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

第二次攻撃隊発艦準備中の空母ヨークタウンに凶報が舞い込む。『ウッドラーク島が戦艦の艦砲射撃を受けている』と...

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

帝国海軍第一戦隊の大和と武蔵は、第二水雷戦隊をお供に、ラバウルとムンダの基地航空隊をエアーカバーに042空の上空哨戒の支援を受けて、ウッドラーク島を艦砲射撃。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

この艦砲射撃と先の一機だけの九九艦爆の攻撃に米第5艦隊司令部は、日本軍の意図が絞り込めず混乱する。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

米第5艦隊司令部、空母ヨークタウン上の第二次攻撃隊を空母葛城ではなく、ウッドラーク島を艦砲射撃する大和と武蔵に向ける。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

帝国海軍第一戦隊、及び第二水雷戦隊は、当初の予定通りに反転する。米軍は日本軍の意図が読みきれず、この反転を「栗田健男謎の反転」と呼称する。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

帝国海軍第一戦隊と第二水雷戦隊は、CICによる艦隊防空と直援機、及び空母葛城のFw-190「烈風」により、米軍第二次攻撃隊を蹴散らす。この迎撃戦の最中に、042空の船引中佐、香取を用いてB−17レーダー搭載空中管制機を撃墜する。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

米軍、第一次攻撃隊と第二次攻撃隊の可動残存機を集めて、第三次攻撃隊を編成。米海軍至上命令の空母葛城攻撃に投入するも、042空の支援等により壊滅する。

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1943年9月11日

昭和18年9月11日

空母葛城に九九艦爆により空母ヨークタウン攻撃の報が届く。ここで、右近中佐の陰謀が泉の如く湧き出し、ブインに帰還中の攻撃隊の天山と彗星を故障と称して取り戻し、Fw-190「烈風」15機,天山3機,彗星3機の第四次攻撃隊を編成する。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

支援は042空の船引中佐機。攻撃隊隊長は右近中佐。攻撃目標は米空母。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

軽巡デンバー、日本軍第四次攻撃隊を発見する。艦長のギブソン大佐は空母ヨークタウンに通報するも、輪形陣の穴から攻撃隊にもぐりこまれる。彗星隊の攻撃に2機を撃墜するも甲板と格納庫に被弾、炎上。

焦熱1

1943年9月11日

昭和18年9月11日

さらにレーダーを破壊される。天山隊の内、1機を撃墜するも、2機が魚雷を投下。愛国心のある魚雷は、空母ヨークタウンに2本とも命中する。この攻撃で空母ヨークタウンは大破する。

焦熱1

1943年9月15日

昭和18年9月15日

ルチ大佐率いるハンター・キラー部隊、輸送船団ヒ55を無線傍受で発見。ハンター・キラー部隊はボーグ級護衛空母ピカードを旗艦に護衛駆逐艦エルドリッジ,アーノルド,ケーシーから構成される。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

ルチ大佐、近海に展開しているハンター・キラー部隊に応援を申請すると共に、正確な位置を調べるために14機の索敵機を発進させる。第二次セイロン沖海戦の開幕であった。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

マロウ大佐率いる護衛空母ライカーを旗艦とするハンター・キラー部隊、伊22攻撃中にルチ大佐からの応援申請を受け取る。伊22への攻撃半ばで、マロウ大佐、ルチ大佐への対抗心からヒ55攻撃を決意する。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

伊22虎口を脱すると潜望鏡の目の前には、護衛空母ライカーが進んでいた。絶好な射点についていたがぎょ、魚雷が無い。命拾いのマロウ大佐であった。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

伊22、ペナンの司令部へ発見電を打ち、追跡を開始するも、30分も経たない内に再度の攻撃を受ける。伊22、損傷を受け、米ハンター・キラー部隊を見失う。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

米軍索敵機、海鷹の電探に発見される。坂上少将、米空母部隊からの空襲に対処する為に、積荷のシーファイアを用いた迎撃を柳葉飛行長に命令する。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

ヒ55からの要請により、九二七空の岡村司令、矢部参謀長の進めにより渋々、97艦攻を2機索敵機として出撃させる。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

護衛空母ピカードのレーダー、九二七空の索敵機を発見する。ルチ大佐、索敵機の撃墜を命令する。しかし、97艦攻に電探が装備されていたこともあり、米戦闘機の奇襲にはならず、撃墜されるまでの数分間に幾多の詳細な状況報告電が発信される。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

インド洋艦隊(IMF)の高須司令長官、索敵機撃墜を報を受けて、角田機動部隊(インド洋艦隊(IF))に米艦隊の迎撃を指令する。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

スマトラ島近海を南下中のインド洋艦隊(IF)司令長官の角田中将、「最後まで任務を忘れなかった」伊22の仇を討つのだと、米艦隊の推定位置を中心に零式水偵8機を索敵に発進させる。インド洋艦隊(IF)は、軽巡大淀を旗艦に、軽空母千歳,千代田,瑞鳳,龍鳳の4隻を中

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

インド洋艦隊(IF)の零式水偵、護衛空母ピカードのハンター・キラー部隊を発見する。発見した水偵偵察員、護衛空母を正規空母ワスプ級と誤認。報告を受けた角田司令長官、艦隊直衛の1隻分40機を除いた120機で攻撃隊を編成、出撃させる。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

マロウ大佐率いる護衛空母ライカーを旗艦とするハンター・キラー部隊、全滅。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

ヒ55護衛隊の第一〇三戦隊からの電信をルチ大佐率いるハンター・キラー部隊がHD/DFで受信、方位位置を特定する。これを受けて、ルチ大佐、攻撃隊を発進させる。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

ヒ55、海鷹より柳葉飛行長が雛鳥を率いてシーファイアで迎撃の為に出撃。迎撃部隊の合言葉は、『一撃離脱!』。迎撃とは別に西岡大尉率いる97艦攻4機はハンター・キラー部隊攻撃の為に出撃する。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

柳葉迎撃隊の一撃離脱攻撃に米攻撃隊翻弄される。攻撃機のみを攻撃した為に、米攻撃隊の対艦攻撃能力は殆ど無くなってしまった。柳葉迎撃隊は全機無事に帰還する。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

西岡大尉率いる護衛戦闘機無しの97艦攻4機の攻撃隊、直衛機無しの護衛空母ピカードのハンター・キラー部隊を攻撃。97艦攻1機の損害と引き換えに護衛空母ピカードを撃沈する。米ハンター・キラー部隊二個の壊滅をもって、第二次セイロン沖海戦は閉幕した。

焦熱2

1943年9月15日

昭和18年9月15日

アッツ島に米軍上陸開始。上陸軍は一個師団強の海兵隊2万人。支援艦隊は、新鋭戦艦のアイオワ,ニューキャージー、旧式戦艦のペンシルバニア,アイダホの戦艦4隻、軽空母プリンストン1隻、巡洋艦6隻、駆逐艦21隻他から編成されていた。

焦熱2

1943年9月中旬

昭和18年9月
中旬

軍令部、アッツ・キスカ両島放棄に傾く。

焦熱2

1943年9月20日

昭和18年9月20日

帝国海軍第五艦隊司令長官河瀬中将と連合艦隊派遣の落合情報参謀が軍令部に内緒のアッツ島救出の件で密談。

焦熱2

1943年9月21日

昭和18年9月21日

軍令部、アッツ島救出を検討するも、結局は見殺しにする方針に。

焦熱2

1943年9月27日

昭和18年9月27日

山崎大佐指揮するアッツ島守備隊は、善戦するも衆寡敵せず、決別電をもって玉砕した。

焦熱2

1943年9月27日

昭和18年9月27日

第一水雷戦隊司令木村少将と連合艦隊落合情報参謀、一水戦旗艦阿武隈艦上で釣り糸を垂れながら、キスカ島救出の件で密談。

焦熱2

1943年9月29日

昭和18年9月29日

早朝、重巡摩耶と那智による艦砲射撃がアッツ島に対し行われる。米軍レーダーには、20隻以上のエコーが映るが実際はダミーの伝馬船が殆どであった。

焦熱2

1943年9月29日

昭和18年9月29日

キスカ島を包囲していた米艦隊、アッツ島救援に向かう。これを哨戒中の伊9が発見、日本軍第五艦隊司令部へ発見電を打電する。第五艦隊司令部は一水戦を基幹とするキスカ島撤収部隊へ転電する。

焦熱2

1943年9月29日

昭和18年9月29日

米艦隊、ダミーの伝馬船目掛けて攻撃を開始。ついには砲弾を撃ち尽し、アムチトカ島へ補給へ戻る。

焦熱2

1943年9月29日

昭和18年9月29日

キスカ島撤収部隊、キスカ島鳴神湾へ入港。1時間余りの時間で、キスカ島陸海軍将兵5600人を撤収させる事に成功させる。世に言う「キスカ島奇跡の霧の撤収」であった。

焦熱2

1943年9月30日

昭和18年9月
下旬

輸送船団ヒ55、無事日本に到着。

焦熱2

1943年9月30日

昭和18年9月
下旬

某水交社にて省部の課長・係長(中間管理職)によるヒ55到着の祝宴を行う。話題はドイツ人顧問団、及びドイツに対する批判ばかり。実は自分の無能を棚に上げた話ではあったが。

焦熱2

1943年9月
下旬

昭和18年9月
下旬

命令違反の第四次攻撃隊に参加した空母葛城、及びブインの基地航空隊に対し、連合艦隊司令長官、第八艦隊司令長官、及びラバウル航空隊司令部より感状が送られる。

焦熱1

1943年9月
下旬

昭和18年9月
下旬

空母ヨークタウン、数隻の護衛と共に自力で真珠湾へ航行中に、田辺弥八中佐指揮の伊176潜の攻撃を受け、真珠湾を目前に撃沈される。

焦熱1

1943年9月
下旬

昭和18年9月
下旬

この攻撃により、田辺中佐は“世界の海軍軍人中一番空母を撃沈した男”、或いは“空母ヨークタウンを二度撃沈した潜水艦乗り”の名を残すことになる。

焦熱1

1943年10月
初旬

昭和18年10月
初旬

軍令部、軍令部の意向を無視した連合艦隊によるキスカ島撤収作戦に対して怒り心頭。

焦熱2

1943年10月
初旬

昭和18年10月
初旬

大本営陸軍部により、キスカ島撤収作戦の成功が新聞報道される。実は、連合艦隊司令長官山本五十六に対するお礼を込めた陸軍による援護射撃だったりする。

焦熱2

1943年10月
初旬

昭和18年10月
初旬

天皇陛下自ら「キスカ島の守備隊と連合艦隊はよくやった」発言。裏には陸軍関係者の運動があったりする。

焦熱2

1943年10月10日

昭和18年10月10日

軍令部総長永野修身大将、健康上の理由により職を辞す。連合艦隊司令長官山本五十六大将が後任の軍令部総長となる。連合艦隊司令長官の後任は、小沢治三郎が大将に昇進して就任。

焦熱2

1943年10月10日

昭和18年10月10日

ウッドラーク島の爆撃へ謎の四発爆撃機5機が参加。ベトンで固めたレーダーサイトを攻撃し、ベトンごと粉砕する。さらに四発爆撃機の内の1機は3tクラスの爆弾を2発投下し、地下司令部を吹き飛ばす。

焦熱2

1943年10月10日

昭和18年10月10日

謎の四発爆撃機の名前は、アブロ・ランカスター「勝山」。太平洋戦線の初陣であった。

焦熱2

1943年10月11日

昭和18年10月11日

勝山の爆撃により防御力を削ぎ落とされたウッドラーク島へ、駄目押しの戦艦大和,武蔵の艦砲射撃のもと、日本軍上陸する。抵抗らしい抵抗も無く、ウッドラーク島は陥落する。

焦熱2

1943年10月12日

昭和18年10月12日

右近中佐、ウッドラーク島の米兵捕虜の尋問の手伝い。しかし、ゾロゾロと現れたゲイリー・クーパー氏とご対面する事になる。右近中佐、カマをかけたところ、米兵じゃなさそうな返事が返ってくる。右近中佐は、ANZAC兵ではないかと推理する。

焦熱2

1943年10月12日

昭和18年10月12日

右近中佐の尋問を見ていた落合情報参謀、右近中佐をルイ・アームストロングのレコードを餌に情報畑へ誘う。

焦熱2

1943年10月12日

昭和18年10月12日

霞ヶ関の海軍省・軍令部庁舎で、山本軍令部総長、小沢連合艦隊司令長官出席のもと、ポートモレスビー攻略作戦についての打合せを行っていた。

焦熱2

1943年10月12日

昭和18年10月13日

日本版シービー完全機械化の第一〇三設営隊を投入して、ウッドラーク島の飛行場は、アブロ・ランカスター「勝山」の離着陸が可能なまでに復旧していた。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

〇四二空船引中佐指揮の電探搭載「勝山」1機と七五五空の爆撃機「勝山」4機がウッドラーク島から出撃、空母葛城の艦載機と共にポートモレスビーを空襲。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

「勝山」と空母葛城によるポートモレスビー空襲の報を受けて、真珠湾の太平洋艦隊司令部ではニミッツ太平洋艦隊司令長官とレイトン情報参謀が現状の情勢の分析を行う。空母葛城のソロモン派遣を知り、又もや空母葛城の撃沈を画策する。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

「勝山」と空母葛城艦載機による第四回目のポートモレスビー空襲を行おうとするが、米軍も準備怠り無く、B-17レーダー搭載機を2機も投入して迎撃体制を整えていた。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

空母葛城を中心とする第四航空戦隊にTF58の攻撃隊が接近するのを第四航空戦隊護衛の第一八戦隊の旗艦荒神が電探で発見する。ポートモレスビー空襲部隊に米攻撃隊接近を報告。第四航空戦隊の艦載機はFw-190「烈風」10機を除いて、全機反転する。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

空母葛城に載せられていたスーパーマリン・シーファイア「台風」、迎撃に発進する。清水大尉指揮する「台風」12機が米攻撃隊の攻撃機のみを攻撃する。「陰謀泉の如し」右近中佐発案の弱いもの虐めであった。米攻撃隊は、この迎撃で引き返し、又もや空母葛城撃沈に失敗する。

焦熱2

1943年10月13日

昭和18年10月13日

一方、ポートモレスビー前面でP-38ライトニングの迎撃を受け、「勝山」を3機撃墜され、四回目にしてポートモレスビー空襲は失敗する。

焦熱2

1943年10月
中旬

昭和18年10月
中旬

深夜、ラバウルからウッドラーク島ウォンノル湾へ改憂国丸型の1隻が秘密兵器を輸送してくる。戦車トランスポーターを使用して運び込む表の秘密兵器はドイツ製のA4超大型噴進弾。しかし、本当の秘密兵器は英国製のばっちもんノルデン照準器であった。

焦熱2

1943年10月
中旬

昭和18年10月
中旬

ポートモレスビー攻略は、「勝山」を支援攻撃の主力とする作戦から、第一戦隊の大和と武蔵を投入する作戦に変更された。第一戦隊司令官栗田健男中将は、上陸前艦砲射撃というマイ・ブーム完遂の為に、男の花道に酔いしれていた。

焦熱2

1943年10月
中旬

昭和18年10月
中旬

米太平洋艦隊司令長官ニミッツ、連日の不眠症でナイトキャップをやらないと就寝できなくなる。

焦熱2

1943年10月
中旬

昭和18年10月
中旬

日本海軍の暗号の大規模な改変等から、レイトン情報参謀は、ソロモン海、特にポートモレスビーでの大規模作戦を察知する。

焦熱2

1943年10月
中旬

昭和18年10月
中旬

TF58にアイオワ級戦艦アイオワ,ニュージャージーが編入される。しかし、ニミッツは部隊指揮官ジョン・H・ホーヴァー中将に一抹の不安を抱いていた。

焦熱2

1943年10月19日

昭和18年10月19日

ローマ・ヴェネチア宮のオウムの間にてイタリア・ファシスト党の大評議会開催。ディーノ・グランディがムッソリーニに対し提示した「統帥権の国王への返還」の議案が可決される。

焦熱3

1943年10月20日

昭和18年10月20日

ガトー級潜水艦トリガー、珊瑚海北方で逆探で日本海軍第一戦隊を発見、その旨を打電する。第二次珊瑚海海戦の開幕のベルはなった。トリガー、打電の直後に対潜哨戒機の攻撃を受け、潜航して逃げまくる。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

米潜発見の報を受け、第四航空戦隊の小浜少将等司令部が対策を考えている最中に、〇四二空の電探哨戒機から、米攻撃隊接近中の報告が入る。第二次珊瑚海海戦第一ターン開始。右近中佐、迎撃機を発進させる。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

第四航空戦隊から数十キロはなれた海上で、米第一次攻撃隊と迎撃隊が接触。80機程の米第一次攻撃隊の半数は戦闘機で構成されていたが、日本海軍の迎撃隊も第四航空戦隊の戦闘機をほぼ全勢力でぶつけていたので、米軍は戦闘機の数の優位を図る点では失敗であった。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

日米双方ともほぼ互角の戦闘機数の為や、右近中佐の巧い運用の為により制空権を確保できないまま、空戦は終わった。第一ターン終了。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

日本海軍第一戦隊、大型水上艦2隻の小艦隊が接近するのを逆探が察知。栗田司令官、敵艦隊に対して最大限の防御を行う為、攻撃を決意する。しかし、小浜第四航空戦隊司令官は、この事態にただただ絶句。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

小浜司令官、このミニ艦隊決戦の状態を打破する為に、右近中佐に相談する。右近中佐は直ぐに代替案を二つ提示する。小浜司令官それを採用。雲鷹から艦攻15,艦爆16の攻撃隊が発進する。同時にウッドラーク島の七五五空に出撃要請が出される。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

ウッドラーク島の七五五空、ノルデン照準器搭載の「勝山」に10t爆弾(グランドスラム爆弾)を搭載して出撃させる。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

第一戦隊、アイオワ,ニュージャージーを視認する。合戦準備に入った途端に、第四航空戦隊の攻撃隊がアイオワ,ニュージャージーに殺到する。しかし、アイオワ、ニュージャージーの対空砲火の前に撃墜されまくる。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

大和の松田艦長、砲戦距離を二万八〇〇〇に設定する。取舵をとり、米艦隊の頭を押さえるT字戦法の形に持ち込もうとする。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

距離二万八〇〇〇で第一戦隊射撃開始。電探と測距儀を併用した射撃であった。米艦隊も射撃開始。初弾から夾叉弾!射撃用電探の成果であった。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

武蔵、アイオワ,ニュージャージーから集中射撃を受ける。電探、測距儀を吹き飛ばされ、各砲塔による射撃に陥っていた。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

アイオワ、大和,武蔵の集中射撃を受け、武蔵同様にレーダー、測距儀を吹き飛ばされ、砲塔射撃の状態に陥る。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

ニュージャージー、艦橋に艦爆が自爆。高角砲のFCSにダメージを受け、対空砲火が手薄になる。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

武蔵、非装甲部の浸水増大により、速度が顕著に低下。

焦熱2

1943年10月20日

昭和18年10月20日

アイオワと武蔵の距離、二万付近になる。砲塔射撃の為、手数が多かろうが、砲の威力があろうが、両艦とも中々当たらない。さらに、護衛の駆逐艦を突破した第四航空戦隊の攻撃に邪魔されて、アイオワ益々当たらなくなる。