林譲治 大年表 2 |
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戦記という限られた時間枠の中で推移する世界。しかしそこに展開する様々な事象は、限りなく濃密だ。 試験で暗記したあの時この時を君は覚えているか。 「影山酔い(41)人々(11)臨検受ける」 趣味の世界だと完璧なのにな。 |
「焦熱の波涛」
伸様作成
西 暦
和 暦
記 事
出 典
1942年11月14日 昭和17年11月14日 第三次ソロモン海戦にて、戦艦霧島、比叡を失うも、米戦艦ワシントン,サウスダコタを潜水艦の協力で撃沈する。 焦熱1 1943年2月 昭和18年2月 ベーリング海の援ソ航路攻撃の為の潜水艦基地をアッツ・キスカ両島へ設営する為に、第三〇設営隊が編成される。 焦熱2 1943年2月7日 昭和18年2月7日 日本軍、ガダルカナル島から撤退。 焦熱1 1943年5月
以前昭和18年5月
以前米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、毎日の気晴らしにコルト・ガバメントを撃ちっぱなしていた。 焦熱1 1943年5月 昭和18年5月 TF58、燃料切れで漂流中に日本艦隊に拿捕される。前代未聞、抱腹絶倒。 兵隊元帥5 1943年5月 昭和18年5月 TF58拿捕、及びインド洋の制海権が枢軸側の手に落ちた件について、スプールアンス中将がスケープゴートとされ更迭される。 焦熱1 1943年6月 昭和18年6月 スエズ運河経由での日⇔独伊連絡路が確保されたので、連合艦隊司令長官山本五十六大将の発案により、連合艦隊司令部が戦艦武蔵から東京の軍令部内に移転。 焦熱1 1943年6月 昭和18年6月 米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、毎日気晴らしにトンプソンSMGをマガジン2・3本分撃ちまくる様になる。 焦熱1 1943年6月10日 昭和18年6月10日 「煉瓦の夜」(別名「パットンの反乱」)発生。パットン指揮する米第2軍団(英駐留軍)、枢軸側と休戦しそうな英政府にたいしてクーデターを起すが、英軍のカウンタークーデターにより失敗。パットンは戦死。 焦熱1 1943年7月 昭和18年7月 イギリス、日独伊枢軸国と単独休戦。 焦熱2 1943年8月 昭和18年8月 042空の香取(モスキート)による航空管制により、ガダナルカナル島の米軍へ烈風(Fw-190)が夜襲をかける。この隙に内藤大尉指揮の10名の陸戦隊員が「ガダナルカナル奪還作戦」の先遣隊としてガダルナナル島へ上陸。アウステン山山麓へ潜伏。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 高杉少佐指揮の独立降下猟兵第一大隊、042空,陸戦隊先遣隊の支援によりGo244B20機を使ってガダルカナル島アウステン山山麓へ降下。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 降下翌日、独立降下猟兵第一大隊、ムカデ高地へ12cm重迫と105mm無反動砲で夜間砲撃を行い、ムカデ高地の米軍レーダー施設を破壊。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 独立降下猟兵第一大隊の攻撃に連動する様に、ラバウルより一式陸攻三三型装備の701空,755空がカダナルカナル夜間空襲に出撃。直衛には基地航空隊のFw-190。支援には死神部隊042空の二式大艇。プラス、言葉の爆弾、秘密兵器右近中佐! 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 米軍は日本軍空襲部隊に対し、独立降下猟兵第一大隊攻撃前に離陸したB-17現地改造のレーダー搭載空中管制機「クリスタルギャジング」により、先制による迎撃に成功。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 秘密兵器右近中佐の言霊爆弾の炸裂で、米軍の指揮管制はグチャグチャになり、迎撃はファルス(笑劇)となり失敗。しかし、701空も編隊を立直すことが出来ず投弾した為、オンターゲットとは成らず空襲は失敗。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 空襲の失敗により、日本軍のガダルカナル奪還作戦の計画は大幅修正に。その為、ガダルカナルの独立降下猟兵第一大隊にヘンダーソン飛行場への遊撃戦の命令が下る。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 米軍は、遊撃戦を展開する独立降下猟兵第一大隊を空陸から捜索するが発見出来ず。日本軍の使用する兵器を正確に把握する事に失敗したのが原因だった。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 しかも、高杉少佐の命令で米軍が捜索しそうな地区にダミーの砲陣地やガダルカナル版悪魔の園(ブービートラップ陣地)を設置した為に、米軍は益々泥沼にハマッていく。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 第8艦隊旗艦日向艦上で先のガダルカナル奪還作戦の検討会を開く。検討会上、042空司令船引中佐の分析等から陸攻による空襲に疑問符がつく。検討会の結果、船引中佐の発案で、第一戦隊の戦艦大和,武蔵のカダルカナル艦砲射撃が決定する。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 ラバウルからブーゲンビル島への航路に沿って、海上護衛部隊より抽出された第7護衛戦隊の海防艦16隻、及び007空の哨戒により、米潜水艦の活動を封じ込める。この間、米潜2隻が沈められる。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 ウッドラーク島,キリウイナ島の米航空隊、日本軍によるガダルカナル島奪還阻止の為にラバウル,ブイン,バラレの飛行場への連日の攻撃を行う。しかし、ことごとく早期警戒中の042空に察知され、陸軍第6飛行師団の二式単戦「鐘馗」の活躍により阻止される。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 ヨークタウン級(元エセックス級)イントレピッドがハワイ・オワフ島真珠湾沖で公試中に日本海軍潜水艦に撃沈される。 焦熱1 1943年8月 昭和18年8月 中島飛行機小泉工場で、ドイツからの技術顧問団のジタンダ中佐、Fw-190量産の為に悪戦苦闘をするも、しかし、一向に量産ラインは可動しない。 焦熱2 1943年8月 昭和18年
中旬空母エセックス改め空母葛城、042空の支援でガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を攻撃。米軍は初陣のF6Fも迎撃に投入する。F6Fにより042空副長長友大尉指揮の二式大艇が撃墜される。 焦熱1 1943年8月 昭和18年
中旬葛城からのレコード(曲名「ワルキューレの騎行」)を使った米軍通信へのバラージジャミングでヘンダーソン飛行場への攻撃は成功。米軍のB-17空中管制機「クリスタルギャジング」も着陸時に滑走路の爆弾孔に脚を突っ込み、全損。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 ブーゲンビル島シンプソン湾より、ガダルカナル島逆上陸部隊を乗せた艦隊、進発。艦隊は、戦艦3隻,空母3隻,巡洋艦4隻,駆逐艦・海防艦16隻,輸送船20隻の計46隻よりなる。力入ってます。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 逆上陸部隊は、陸軍第17軍第6師団を主力とし、火力支援の付属部隊として、あの北アフリカの英雄、影山大佐指揮する独立戦車第一連隊もあった。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 ガダルカナル島奪還作戦の第一段として、日没前にバラレ基地からの陸攻、及び空母葛城を主力とする第四航空戦隊からの空襲がガダルカナル島へ行われる。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 ガダルカナル島奪還作戦の第二段として、夜半に戦艦大和,武蔵を主力とする艦隊の艦砲射撃。ヘンダーソン飛行場、及び周辺陣地の被害甚大。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 第三段として、日本軍ガダルカナル島に上陸開始。独立戦車第一連隊は上陸第一波として上陸。上陸第一波は艦砲射撃から生き残った砲台・陣地からの攻撃で海外線に釘着けになる。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 臨機応変、又の名を無理を言えば道理が引っ込む影山戦術のブルムベアの15cm砲による間接射撃により、海岸保を拡大。内陸部へ進撃を開始する。 焦熱1 1943年8月22日 昭和18年8月22日 米軍、波際陣地の崩壊で手持ちの砲を大量に失った為に、内陸部にバリケードを設置し、M4シャーマン中戦車,M5A1軽戦車を投入するも、ナースホルン,ブルムベアの活躍でヘンダーソン飛行場へ後退させられる。 焦熱1 1943年8月23日 昭和18年8月23日 夜明けまでに、日本陸軍第6師団ヘンダーソン飛行場の一角を占領する。しかし、米軍は高射砲を平射して抵抗する。しかし、夜が明けると第四航空戦隊の艦載機による空襲で高射砲陣地は壊滅。 焦熱1 1943年8月25日 昭和18年8月25日 日本軍、ヘンダーソン飛行場を占領。敗走した米軍は血染めの丘に篭城。 焦熱1 1943年8月25日 昭和18年8月25日 第17軍第14師団を主力とする部隊のガダルカナル島への上陸が開始される。 焦熱1 1943年8月26日 昭和18年8月26日 血染めの丘、陥落。ガダルカナル島の米軍降伏。 焦熱1 1943年8月27日 昭和18年8月27日 ヘンダーソン飛行場に日本陸海軍航空隊の第一陣進出。その中には042空の船引中佐もいた。 焦熱1 1943年8月27日 昭和18年8月27日 船引中佐、“地に足がついた計画”の地上設置電探基地設営の為に高杉少佐のユニバーサルキャリアでアウステン山に現地下見を行う。 焦熱1 1943年9月 昭和18年9月 陸軍北海守備隊第二地区隊(アッツ島守備隊)隊長山崎保代大佐は眠れぬ夜が続いていた。ダッチハーバーやアダック島の無線通信量は顕著に増大し、アッツやキスカへの空襲も激化の一途を辿っていたからであった。 焦熱2 1943年9月 昭和18年9月 アッツ島マサッカル湾に憂国丸型輸送船滅私丸が輸送の為に入港。 焦熱2 1943年9月1日 昭和18年9月1日 輸送船団ヒ55は、ベンガル湾を一路日本へ向かう。護衛は坂上少将指揮の第103戦隊の乙型海防艦8隻と軽空母海鷹。しかし、海鷹の飛行甲板上には、なんと運送中のスピットファイアが20機も駐機されていた。 焦熱2 1943年9月1日 昭和18年9月1日 ヒ55、無線傍受等の結果から米機動部隊の活動を推測。前路哨戒の為に九二七空へ支援を求める。 焦熱2 1943年9月1日 昭和18年9月1日 第一次ウッドラーク島沖海戦発生。ウッドラーク島へ補給しようとする軽巡4隻(デンバー,ホノルル,セントルイス,ヘレナ),駆逐艦8隻、輸送船12隻よりなる米軍輸送船団と、同島を艦砲射撃しようとする空母1隻(葛城),巡洋艦4隻(鳥海,荒神,阿賀野,龍田),駆逐艦1 焦熱1 1943年9月1日 昭和18年9月1日 米軍指揮官ギブソン大佐の誤判断により、護衛隊と輸送船を分離した為に、艦載機により輸送船は撃破される。第8艦隊分遣隊もキリウイナ島から発進した米軍基地航空隊の攻撃を受ける。 焦熱1 1943年9月1日 昭和18年9月1日 米軍基地航空隊は、B-17レーダー搭載空中管制機の支援を受け攻撃するが、CICを用いた右近中佐の迎撃指揮の前に、効率的に防がれる。 焦熱1 1943年9月1日 昭和18年9月1日 空母葛城に巧く接敵し、攻撃しようとしたA-24も右近中佐の舌先三寸に丸め込まれ、攻撃に失敗する。しかし、両軍ともに戦略目標の達成には失敗した海戦であった。 焦熱1 1943年9月 昭和18年9月 米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、トンプソンSMGの撃ちっぱなしでは気分が晴れなくなり、ブローニングM212.7mm重機の入手を検討し始める。 焦熱1 1943年9月
初旬昭和18年9月
初旬空母葛城艦上で、映画のロケハン。(世界の)黒澤を監督に、特撮を円谷英二が手懸け、主演に大河内伝次郎を据えて、東宝が世界に放つゴリラとクジラを合わせた様な怪物が活躍する特撮映画の問題作!だったりします。 焦熱1 1943年9月
初旬昭和18年9月
初旬米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ、情報参謀レイトン中佐より空母葛城(元エセックス)の件について報告を受ける。ニミッツは拿捕されたエセックス(現葛城)の撃沈と早期のソロモン海の覇権確立の為に、次の戦場をウッドラーク島に設定する。 焦熱1 1943年9月
初旬昭和18年9月
初旬米海軍のウッドラーク島への輸送船団派遣についての情報を仮称情報参謀落合中佐が連合艦隊司令長官山本五十六,同参謀長小沢治三郎等のスタッフに説明する。 焦熱1 1943年9月
初旬昭和18年9月
初旬落合中佐は米軍側の意図(日本艦隊をウッドラーク島へ誘引し、撃破すること)を見抜いており、山本長官は、小沢参謀長へ米軍の動きを利用した作戦を企画させる。 焦熱1 1943年9月10日 昭和18年9月10日 ポートモレスビーよりウッドラーク島行きの米軍輸送船団出航。船団は輸送船20隻、直接護衛隊の軽巡4隻,駆逐艦10隻より構成される。実はこの船団、日本艦隊を誘き出す囮だったりする。 焦熱1 1943年9月10日 昭和18年9月10日 日本軍の第一次攻撃隊、輸送船団を攻撃する。しかし、事前に前方哨戒をしていたB−17レーダー搭載空中管制機に発見され、間接護衛隊のヨークタウン、及びラビ,キリウイナ島の基地航空隊の迎撃を受ける。 焦熱1 1943年9月10日 昭和18年9月10日 しかし、直衛の零戦隊と迎撃部隊が空戦をしている隙に日本軍の攻撃隊が輸送船団にとりつき攻撃を行い、輸送船5隻を撃破炎上させる。日本軍第二次攻撃隊、第三次攻撃隊も攻撃に加わるが乱戦の様相を呈し始める。 焦熱1 1943年9月10日 昭和18年9月10日 米軍、前方哨戒中のB−17により、空母葛城を発見。しかし、発見したB−17は、Fw-190「烈風」により撃墜される。 焦熱1 1943年9月10日 昭和18年9月10日 米軍、戦爆連合60機の攻撃隊を第8艦隊分遣隊(第四航空戦隊,第一八戦隊主力)に出撃させるが、042空にしっかり発見されてしまう。待ち受けるは、第四航空戦隊の160機の戦闘機。戦闘は大勢に無勢で米軍第一次攻撃隊は撃破されてしまう。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 日本軍第二次攻撃隊の内の九九棺桶、もとい九九艦爆一機、乱戦の中、機位を見失う。しかし、米軍の艦戦の後をつけて敵機動部隊を発見し、通り魔的な攻撃で空母ヨークタウンに25番爆弾を命中させる。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 この命中で飛行甲板上に並べられていた第二次攻撃隊のSB2Cヘルダイバー艦爆に誘爆、飛行甲板上の人間を吹き飛ばし炎上する。しかし、優れたダメコンのおかげで数時間後には発着艦可能にまで復旧し、再度第二次攻撃隊の発艦準備にとりかかる。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 第二次攻撃隊発艦準備中の空母ヨークタウンに凶報が舞い込む。『ウッドラーク島が戦艦の艦砲射撃を受けている』と... 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 帝国海軍第一戦隊の大和と武蔵は、第二水雷戦隊をお供に、ラバウルとムンダの基地航空隊をエアーカバーに042空の上空哨戒の支援を受けて、ウッドラーク島を艦砲射撃。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 この艦砲射撃と先の一機だけの九九艦爆の攻撃に米第5艦隊司令部は、日本軍の意図が絞り込めず混乱する。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 米第5艦隊司令部、空母ヨークタウン上の第二次攻撃隊を空母葛城ではなく、ウッドラーク島を艦砲射撃する大和と武蔵に向ける。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 帝国海軍第一戦隊、及び第二水雷戦隊は、当初の予定通りに反転する。米軍は日本軍の意図が読みきれず、この反転を「栗田健男謎の反転」と呼称する。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 帝国海軍第一戦隊と第二水雷戦隊は、CICによる艦隊防空と直援機、及び空母葛城のFw-190「烈風」により、米軍第二次攻撃隊を蹴散らす。この迎撃戦の最中に、042空の船引中佐、香取を用いてB−17レーダー搭載空中管制機を撃墜する。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 米軍、第一次攻撃隊と第二次攻撃隊の可動残存機を集めて、第三次攻撃隊を編成。米海軍至上命令の空母葛城攻撃に投入するも、042空の支援等により壊滅する。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 空母葛城に九九艦爆により空母ヨークタウン攻撃の報が届く。ここで、右近中佐の陰謀が泉の如く湧き出し、ブインに帰還中の攻撃隊の天山と彗星を故障と称して取り戻し、Fw-190「烈風」15機,天山3機,彗星3機の第四次攻撃隊を編成する。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 支援は042空の船引中佐機。攻撃隊隊長は右近中佐。攻撃目標は米空母。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 軽巡デンバー、日本軍第四次攻撃隊を発見する。艦長のギブソン大佐は空母ヨークタウンに通報するも、輪形陣の穴から攻撃隊にもぐりこまれる。彗星隊の攻撃に2機を撃墜するも甲板と格納庫に被弾、炎上。 焦熱1 1943年9月11日 昭和18年9月11日 さらにレーダーを破壊される。天山隊の内、1機を撃墜するも、2機が魚雷を投下。愛国心のある魚雷は、空母ヨークタウンに2本とも命中する。この攻撃で空母ヨークタウンは大破する。 焦熱1 1943年9月15日 昭和18年9月15日 ルチ大佐率いるハンター・キラー部隊、輸送船団ヒ55を無線傍受で発見。ハンター・キラー部隊はボーグ級護衛空母ピカードを旗艦に護衛駆逐艦エルドリッジ,アーノルド,ケーシーから構成される。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 ルチ大佐、近海に展開しているハンター・キラー部隊に応援を申請すると共に、正確な位置を調べるために14機の索敵機を発進させる。第二次セイロン沖海戦の開幕であった。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 マロウ大佐率いる護衛空母ライカーを旗艦とするハンター・キラー部隊、伊22攻撃中にルチ大佐からの応援申請を受け取る。伊22への攻撃半ばで、マロウ大佐、ルチ大佐への対抗心からヒ55攻撃を決意する。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 伊22虎口を脱すると潜望鏡の目の前には、護衛空母ライカーが進んでいた。絶好な射点についていたがぎょ、魚雷が無い。命拾いのマロウ大佐であった。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 伊22、ペナンの司令部へ発見電を打ち、追跡を開始するも、30分も経たない内に再度の攻撃を受ける。伊22、損傷を受け、米ハンター・キラー部隊を見失う。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 米軍索敵機、海鷹の電探に発見される。坂上少将、米空母部隊からの空襲に対処する為に、積荷のシーファイアを用いた迎撃を柳葉飛行長に命令する。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 ヒ55からの要請により、九二七空の岡村司令、矢部参謀長の進めにより渋々、97艦攻を2機索敵機として出撃させる。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 護衛空母ピカードのレーダー、九二七空の索敵機を発見する。ルチ大佐、索敵機の撃墜を命令する。しかし、97艦攻に電探が装備されていたこともあり、米戦闘機の奇襲にはならず、撃墜されるまでの数分間に幾多の詳細な状況報告電が発信される。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 インド洋艦隊(IMF)の高須司令長官、索敵機撃墜を報を受けて、角田機動部隊(インド洋艦隊(IF))に米艦隊の迎撃を指令する。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 スマトラ島近海を南下中のインド洋艦隊(IF)司令長官の角田中将、「最後まで任務を忘れなかった」伊22の仇を討つのだと、米艦隊の推定位置を中心に零式水偵8機を索敵に発進させる。インド洋艦隊(IF)は、軽巡大淀を旗艦に、軽空母千歳,千代田,瑞鳳,龍鳳の4隻を中 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 インド洋艦隊(IF)の零式水偵、護衛空母ピカードのハンター・キラー部隊を発見する。発見した水偵偵察員、護衛空母を正規空母ワスプ級と誤認。報告を受けた角田司令長官、艦隊直衛の1隻分40機を除いた120機で攻撃隊を編成、出撃させる。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 マロウ大佐率いる護衛空母ライカーを旗艦とするハンター・キラー部隊、全滅。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 ヒ55護衛隊の第一〇三戦隊からの電信をルチ大佐率いるハンター・キラー部隊がHD/DFで受信、方位位置を特定する。これを受けて、ルチ大佐、攻撃隊を発進させる。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 ヒ55、海鷹より柳葉飛行長が雛鳥を率いてシーファイアで迎撃の為に出撃。迎撃部隊の合言葉は、『一撃離脱!』。迎撃とは別に西岡大尉率いる97艦攻4機はハンター・キラー部隊攻撃の為に出撃する。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 柳葉迎撃隊の一撃離脱攻撃に米攻撃隊翻弄される。攻撃機のみを攻撃した為に、米攻撃隊の対艦攻撃能力は殆ど無くなってしまった。柳葉迎撃隊は全機無事に帰還する。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 西岡大尉率いる護衛戦闘機無しの97艦攻4機の攻撃隊、直衛機無しの護衛空母ピカードのハンター・キラー部隊を攻撃。97艦攻1機の損害と引き換えに護衛空母ピカードを撃沈する。米ハンター・キラー部隊二個の壊滅をもって、第二次セイロン沖海戦は閉幕した。 焦熱2 1943年9月15日 昭和18年9月15日 アッツ島に米軍上陸開始。上陸軍は一個師団強の海兵隊2万人。支援艦隊は、新鋭戦艦のアイオワ,ニューキャージー、旧式戦艦のペンシルバニア,アイダホの戦艦4隻、軽空母プリンストン1隻、巡洋艦6隻、駆逐艦21隻他から編成されていた。 焦熱2 1943年9月中旬 昭和18年9月
中旬軍令部、アッツ・キスカ両島放棄に傾く。 焦熱2 1943年9月20日 昭和18年9月20日 帝国海軍第五艦隊司令長官河瀬中将と連合艦隊派遣の落合情報参謀が軍令部に内緒のアッツ島救出の件で密談。 焦熱2 1943年9月21日 昭和18年9月21日 軍令部、アッツ島救出を検討するも、結局は見殺しにする方針に。 焦熱2 1943年9月27日 昭和18年9月27日 山崎大佐指揮するアッツ島守備隊は、善戦するも衆寡敵せず、決別電をもって玉砕した。 焦熱2 1943年9月27日 昭和18年9月27日 第一水雷戦隊司令木村少将と連合艦隊落合情報参謀、一水戦旗艦阿武隈艦上で釣り糸を垂れながら、キスカ島救出の件で密談。 焦熱2 1943年9月29日 昭和18年9月29日 早朝、重巡摩耶と那智による艦砲射撃がアッツ島に対し行われる。米軍レーダーには、20隻以上のエコーが映るが実際はダミーの伝馬船が殆どであった。 焦熱2 1943年9月29日 昭和18年9月29日 キスカ島を包囲していた米艦隊、アッツ島救援に向かう。これを哨戒中の伊9が発見、日本軍第五艦隊司令部へ発見電を打電する。第五艦隊司令部は一水戦を基幹とするキスカ島撤収部隊へ転電する。 焦熱2 1943年9月29日 昭和18年9月29日 米艦隊、ダミーの伝馬船目掛けて攻撃を開始。ついには砲弾を撃ち尽し、アムチトカ島へ補給へ戻る。 焦熱2 1943年9月29日 昭和18年9月29日 キスカ島撤収部隊、キスカ島鳴神湾へ入港。1時間余りの時間で、キスカ島陸海軍将兵5600人を撤収させる事に成功させる。世に言う「キスカ島奇跡の霧の撤収」であった。 焦熱2 1943年9月30日 昭和18年9月
下旬輸送船団ヒ55、無事日本に到着。 焦熱2 1943年9月30日 昭和18年9月
下旬某水交社にて省部の課長・係長(中間管理職)によるヒ55到着の祝宴を行う。話題はドイツ人顧問団、及びドイツに対する批判ばかり。実は自分の無能を棚に上げた話ではあったが。 焦熱2 1943年9月
下旬昭和18年9月
下旬命令違反の第四次攻撃隊に参加した空母葛城、及びブインの基地航空隊に対し、連合艦隊司令長官、第八艦隊司令長官、及びラバウル航空隊司令部より感状が送られる。 焦熱1 1943年9月
下旬昭和18年9月
下旬空母ヨークタウン、数隻の護衛と共に自力で真珠湾へ航行中に、田辺弥八中佐指揮の伊176潜の攻撃を受け、真珠湾を目前に撃沈される。 焦熱1 1943年9月
下旬昭和18年9月
下旬この攻撃により、田辺中佐は“世界の海軍軍人中一番空母を撃沈した男”、或いは“空母ヨークタウンを二度撃沈した潜水艦乗り”の名を残すことになる。 焦熱1 1943年10月
初旬昭和18年10月
初旬軍令部、軍令部の意向を無視した連合艦隊によるキスカ島撤収作戦に対して怒り心頭。 焦熱2 1943年10月
初旬昭和18年10月
初旬大本営陸軍部により、キスカ島撤収作戦の成功が新聞報道される。実は、連合艦隊司令長官山本五十六に対するお礼を込めた陸軍による援護射撃だったりする。 焦熱2 1943年10月
初旬昭和18年10月
初旬天皇陛下自ら「キスカ島の守備隊と連合艦隊はよくやった」発言。裏には陸軍関係者の運動があったりする。 焦熱2 1943年10月10日 昭和18年10月10日 軍令部総長永野修身大将、健康上の理由により職を辞す。連合艦隊司令長官山本五十六大将が後任の軍令部総長となる。連合艦隊司令長官の後任は、小沢治三郎が大将に昇進して就任。 焦熱2 1943年10月10日 昭和18年10月10日 ウッドラーク島の爆撃へ謎の四発爆撃機5機が参加。ベトンで固めたレーダーサイトを攻撃し、ベトンごと粉砕する。さらに四発爆撃機の内の1機は3tクラスの爆弾を2発投下し、地下司令部を吹き飛ばす。 焦熱2 1943年10月10日 昭和18年10月10日 謎の四発爆撃機の名前は、アブロ・ランカスター「勝山」。太平洋戦線の初陣であった。 焦熱2 1943年10月11日 昭和18年10月11日 勝山の爆撃により防御力を削ぎ落とされたウッドラーク島へ、駄目押しの戦艦大和,武蔵の艦砲射撃のもと、日本軍上陸する。抵抗らしい抵抗も無く、ウッドラーク島は陥落する。 焦熱2 1943年10月12日 昭和18年10月12日 右近中佐、ウッドラーク島の米兵捕虜の尋問の手伝い。しかし、ゾロゾロと現れたゲイリー・クーパー氏とご対面する事になる。右近中佐、カマをかけたところ、米兵じゃなさそうな返事が返ってくる。右近中佐は、ANZAC兵ではないかと推理する。 焦熱2 1943年10月12日 昭和18年10月12日 右近中佐の尋問を見ていた落合情報参謀、右近中佐をルイ・アームストロングのレコードを餌に情報畑へ誘う。 焦熱2 1943年10月12日 昭和18年10月12日 霞ヶ関の海軍省・軍令部庁舎で、山本軍令部総長、小沢連合艦隊司令長官出席のもと、ポートモレスビー攻略作戦についての打合せを行っていた。 焦熱2 1943年10月12日 昭和18年10月13日 日本版シービー完全機械化の第一〇三設営隊を投入して、ウッドラーク島の飛行場は、アブロ・ランカスター「勝山」の離着陸が可能なまでに復旧していた。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 〇四二空船引中佐指揮の電探搭載「勝山」1機と七五五空の爆撃機「勝山」4機がウッドラーク島から出撃、空母葛城の艦載機と共にポートモレスビーを空襲。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 「勝山」と空母葛城によるポートモレスビー空襲の報を受けて、真珠湾の太平洋艦隊司令部ではニミッツ太平洋艦隊司令長官とレイトン情報参謀が現状の情勢の分析を行う。空母葛城のソロモン派遣を知り、又もや空母葛城の撃沈を画策する。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 「勝山」と空母葛城艦載機による第四回目のポートモレスビー空襲を行おうとするが、米軍も準備怠り無く、B-17レーダー搭載機を2機も投入して迎撃体制を整えていた。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 空母葛城を中心とする第四航空戦隊にTF58の攻撃隊が接近するのを第四航空戦隊護衛の第一八戦隊の旗艦荒神が電探で発見する。ポートモレスビー空襲部隊に米攻撃隊接近を報告。第四航空戦隊の艦載機はFw-190「烈風」10機を除いて、全機反転する。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 空母葛城に載せられていたスーパーマリン・シーファイア「台風」、迎撃に発進する。清水大尉指揮する「台風」12機が米攻撃隊の攻撃機のみを攻撃する。「陰謀泉の如し」右近中佐発案の弱いもの虐めであった。米攻撃隊は、この迎撃で引き返し、又もや空母葛城撃沈に失敗する。 焦熱2 1943年10月13日 昭和18年10月13日 一方、ポートモレスビー前面でP-38ライトニングの迎撃を受け、「勝山」を3機撃墜され、四回目にしてポートモレスビー空襲は失敗する。 焦熱2 1943年10月
中旬昭和18年10月
中旬深夜、ラバウルからウッドラーク島ウォンノル湾へ改憂国丸型の1隻が秘密兵器を輸送してくる。戦車トランスポーターを使用して運び込む表の秘密兵器はドイツ製のA4超大型噴進弾。しかし、本当の秘密兵器は英国製のばっちもんノルデン照準器であった。 焦熱2 1943年10月
中旬昭和18年10月
中旬ポートモレスビー攻略は、「勝山」を支援攻撃の主力とする作戦から、第一戦隊の大和と武蔵を投入する作戦に変更された。第一戦隊司令官栗田健男中将は、上陸前艦砲射撃というマイ・ブーム完遂の為に、男の花道に酔いしれていた。 焦熱2 1943年10月
中旬昭和18年10月
中旬米太平洋艦隊司令長官ニミッツ、連日の不眠症でナイトキャップをやらないと就寝できなくなる。 焦熱2 1943年10月
中旬昭和18年10月
中旬日本海軍の暗号の大規模な改変等から、レイトン情報参謀は、ソロモン海、特にポートモレスビーでの大規模作戦を察知する。 焦熱2 1943年10月
中旬昭和18年10月
中旬TF58にアイオワ級戦艦アイオワ,ニュージャージーが編入される。しかし、ニミッツは部隊指揮官ジョン・H・ホーヴァー中将に一抹の不安を抱いていた。 焦熱2 1943年10月19日 昭和18年10月19日 ローマ・ヴェネチア宮のオウムの間にてイタリア・ファシスト党の大評議会開催。ディーノ・グランディがムッソリーニに対し提示した「統帥権の国王への返還」の議案が可決される。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ガトー級潜水艦トリガー、珊瑚海北方で逆探で日本海軍第一戦隊を発見、その旨を打電する。第二次珊瑚海海戦の開幕のベルはなった。トリガー、打電の直後に対潜哨戒機の攻撃を受け、潜航して逃げまくる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 米潜発見の報を受け、第四航空戦隊の小浜少将等司令部が対策を考えている最中に、〇四二空の電探哨戒機から、米攻撃隊接近中の報告が入る。第二次珊瑚海海戦第一ターン開始。右近中佐、迎撃機を発進させる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 第四航空戦隊から数十キロはなれた海上で、米第一次攻撃隊と迎撃隊が接触。80機程の米第一次攻撃隊の半数は戦闘機で構成されていたが、日本海軍の迎撃隊も第四航空戦隊の戦闘機をほぼ全勢力でぶつけていたので、米軍は戦闘機の数の優位を図る点では失敗であった。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 日米双方ともほぼ互角の戦闘機数の為や、右近中佐の巧い運用の為により制空権を確保できないまま、空戦は終わった。第一ターン終了。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 日本海軍第一戦隊、大型水上艦2隻の小艦隊が接近するのを逆探が察知。栗田司令官、敵艦隊に対して最大限の防御を行う為、攻撃を決意する。しかし、小浜第四航空戦隊司令官は、この事態にただただ絶句。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 小浜司令官、このミニ艦隊決戦の状態を打破する為に、右近中佐に相談する。右近中佐は直ぐに代替案を二つ提示する。小浜司令官それを採用。雲鷹から艦攻15,艦爆16の攻撃隊が発進する。同時にウッドラーク島の七五五空に出撃要請が出される。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ウッドラーク島の七五五空、ノルデン照準器搭載の「勝山」に10t爆弾(グランドスラム爆弾)を搭載して出撃させる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 第一戦隊、アイオワ,ニュージャージーを視認する。合戦準備に入った途端に、第四航空戦隊の攻撃隊がアイオワ,ニュージャージーに殺到する。しかし、アイオワ、ニュージャージーの対空砲火の前に撃墜されまくる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 大和の松田艦長、砲戦距離を二万八〇〇〇に設定する。取舵をとり、米艦隊の頭を押さえるT字戦法の形に持ち込もうとする。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 距離二万八〇〇〇で第一戦隊射撃開始。電探と測距儀を併用した射撃であった。米艦隊も射撃開始。初弾から夾叉弾!射撃用電探の成果であった。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 武蔵、アイオワ,ニュージャージーから集中射撃を受ける。電探、測距儀を吹き飛ばされ、各砲塔による射撃に陥っていた。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワ、大和,武蔵の集中射撃を受け、武蔵同様にレーダー、測距儀を吹き飛ばされ、砲塔射撃の状態に陥る。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ニュージャージー、艦橋に艦爆が自爆。高角砲のFCSにダメージを受け、対空砲火が手薄になる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 武蔵、非装甲部の浸水増大により、速度が顕著に低下。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワと武蔵の距離、二万付近になる。砲塔射撃の為、手数が多かろうが、砲の威力があろうが、両艦とも中々当たらない。さらに、護衛の駆逐艦を突破した第四航空戦隊の攻撃に邪魔されて、アイオワ益々当たらなくなる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 大和と武蔵の距離が開きつつあることを見て、アイオワとニュージャージ、武蔵を挟撃しようと機動する。大和も武蔵と共にアイオワを挟撃しようとするが、3ノットの速度差と武蔵の速度低下の為、一段と不利な状況になる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 「勝山」、ニュージャージーを目標にグランドスラム爆弾を投下。ニュージャージーに命中。数秒でニュージャージーこの世から消滅。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 大和、ほぼ無傷な状態で半死半生のアイオワに統一射撃を開始。松田艦長の刺し違える覚悟の操艦で距離は二万を切っていた。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 大和の主砲弾、アイオワに2発命中。アイオワの第一砲塔大破。続いて武蔵の主砲弾命中。舷側装甲を貫通し、アイオワの艦内に大量の浸水発生。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワの主砲弾、武蔵に2発命中。艦橋構造物に命中し、電路を切断。武蔵は一時操艦不能になる。さらに三番砲塔に命中。貫通しないものの三番砲塔は使用不能状態になる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワと大和,武蔵の距離が一万五〇〇〇になる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 武蔵の主砲弾、アイオワに水中弾となって命中。アイオワ水線下に大破孔。大量の浸水により、注水も間に合わず、傾斜する。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワの主砲弾、武蔵の水線下に命中。武蔵も大量の浸水により、注水が間に合わず、傾斜する。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 大和の主砲弾、アイオワに3発命中。アイオワ傾斜の為、大落角弾と同じ様に甲板装甲を貫き、艦内で炸裂。機関部を破壊する。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワ降伏。1500名の乗員が脱出に成功し、日本海軍第一戦隊、及び第一八戦隊に救助される。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 アイオワ、乗員の脱出を待っていたかの様に爆沈する。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 日本海軍はアイオワ級2隻を撃沈するも、武蔵が大破。しかも、最後までTF58の主隊(空母部隊)は発見できず、第二次珊瑚海海戦は終わった。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 夜半、ポートモレスビーに対し、大和と第一八戦隊が艦砲射撃開始。上空には第四航空戦隊の戦闘機が直衛している為、ポートモレスビーからの反撃は失敗に終わる。 焦熱2 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ムッソリーニ、国王謁見の為にローマ・サヴォイア荘へ赴く。しかし、娘婿のチアーノ伯、バドリオ元帥等により逮捕される。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 クレタ島ティンパキオン港から、ドイツ空軍水上機動部隊が演習の為に出航。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 夕刻、クレタ島沖を空母1(コンテ・ヴェルテ),軽巡4(アテンドロ,ユーゼニオ,モンテクッコリー,カドルナ),駆逐艦8のイタリア艦隊がクレタ島に向けて航行していた。同艦隊の空母コンテ・ヴェルテに同乗している日本海軍派伊航空教導団の堀田少佐は異様な殺気を感じ 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 クレタ島ティンパキオン港夕刻。大型艦に停泊はドイツ海軍の軽巡ケルンのみ。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 空母コンテ・ヴェルテを飛び立ったサリエリ少佐が指揮する総勢60機(戦闘機G55・20機,艦爆コメッタ「彗星」40機)が空家のクレタ島ティンパキオン港を空襲。軽巡ケルンを撃沈するものの主目標の空母機動部隊は居なかった。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 深夜のローマ・ヴェネチア宮。バドリオ元帥、チアーノ伯等がクーデターの結果報告をまっていたが、最後の海軍からのティンパキオン港奇襲失敗の報を受けて、日本大使館の日高大使に連絡をいれる。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 深夜の地中海を如月少将指揮の第一一〇戦隊が乙の字運動で進んでいた。戦隊は重巡伊吹を旗艦に、航空巡最上,空母海鷹,特型駆逐艦4隻,初春型駆逐艦4隻の計11隻から編成されていた。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 日本海軍第一一〇戦隊に接近する40機の航空機。第一一〇戦隊は電探で航空機の接近を探知するが、接近する編隊も妨害電波を発信し、敵対行為を示す。この敵対行為を受けて、如月司令官は各艦に対し対空戦闘準備を下令し、空母海鷹に迎撃機を上げることを指令する。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 如月司令官は、川西参謀長と状況分析を行う。どうも、接近する編隊は日本艦隊をイタリア艦隊と誤認したドイツ軍艦載機らしい。如月司令官は電探では国籍までは判らない事を利用して迎撃を指令する。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 接近するドイツ軍編隊も目標とする艦隊から迎撃機が発進しつつあることをレーダーで確認する。しかし、ドイツ空軍のレーダーFug220リヒテンシュタインは、柳葉飛行長搭乗のコメッタ「彗星」からの妨害電波(マルコニー社製)で無効にされ、レーダー搭載Bf110Zは撃墜される。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 レーダーを妨害電波で潰されたドイツ軍編隊は、野島大尉指揮する迎撃隊のスーパーマリン「台風」に上空から被られ、Fw-190を1機撃墜される。この時点で日本艦隊を襲撃しようとしている事にドイツ軍側は気付き、編隊に帰還命令を出す。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ドイツ空軍水上機動部隊司令官のゲルリッツ空軍少将は、参謀長ラヘイア大佐と状況分析を行う。イタリア側の離反等の状況から、戦艦を出力とするドイツ空軍水上部隊と合流して、ジブラルタルを経て大西洋へ脱出する事を決意する。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 深夜、ミュフリンク空軍少将指揮する元仏戦艦3隻を出力とするドイツ空軍水上部隊は日本艦隊の側を航行していた。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 両部隊に対し、ドイツ本国から指令が下る。「貴水上部隊は機動部隊と合流の後、ローマ沖合まで進出し、別名あるまで同市を爆撃・砲撃せよ」 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ミュフリンク空軍少将指揮するドイツ空軍水上部隊は、通信傍受等の結果から、別の艦隊が居ることに気付く。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ミュフリンク空軍少将は、ゲルリッツ空軍少将指揮する味方水上機動部隊かと思うが、参謀長グロルマン大佐は色々な条件を加味し、イタリア空母部隊ではないかと判断する。しかも、ラダールゲレート射撃を用いたイタリア空母部隊襲撃を提案し、実行させてしまう。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 日本海軍第一一〇戦隊は、逆探により接近する艦隊のレーダー波を探知していた。電測参謀の津田大尉は、レーダー波の波長等からドイツ海軍の電探であると断言する。 焦熱3 1943年10月20日 昭和18年10月20日 ドイツ空軍水上部隊、砲撃開始!日本海軍第一一〇戦隊、攻撃回避の為に転舵。伊吹と最上が衝突しそうになる。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 早朝、ポートモレスビーに対する艦砲射撃終了。 焦熱2 1943年10月21日 昭和18年10月21日 津田電測参謀の機転で妨害電波でドイツ艦隊に反撃。ドイツ艦隊のレーダーにジャミングをかける。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 如月司令官、攻撃開始を指令。それは、イタリア語の平文による現状を派手に伝えることであった。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 ドイツ空軍水上機動部隊司令官ゲルリッツ空軍少将、この電文を見て大荒れ。独伊の戦争に日本を引き込んでしまったこの行為に「大馬鹿者らが!」 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 早朝のベルリン。ドイツ第三帝国外相リッペントロップは、イタリアの駐独大使ディーノ・アルフェリから『三国同盟の破棄』の文書を手交される。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 リッペントロップは、イタリア側の行為を非難するが、駐独大使からゲーリングの命令によるローマ攻撃命令を聞かされる。それはリッペントロップにとって寝耳に水であり、彼は無力感に襲われるのであった。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 イタリア海軍戦艦部隊、ドイツ艦隊追撃に出撃。戦力は、戦艦2(リットリオ,ローマ)、重巡3(ボルツァノ,ゴリチア,トリエステ)、軽巡8(アテンドロ,ユーゼニオ,モンテコックリー,カドルナ,ダオスタ,アブルッチ,ガリバルディ,レゴロ)の計11隻。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 日本もイタリアと共同歩調を取り、ドイツに対し三国同盟破棄を通告。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 日本海軍第一一〇戦隊、イタリア海軍機動部隊と合流する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 ドイツ空軍水上部隊、日本海軍の水偵にまとわり憑かれながらドイツ空軍水上機動部隊と合流する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 合流後のドイツ空軍水上機動部隊、乗っている艦の排水量の関係でミュフリンク空軍少将が指揮官となる。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 今後の作戦方針を決めようとするが、本国の指示通りにローマ攻撃を行おうとする案(ミュフリンク)と機動力を生かして地中海からの脱出を行おうとする案(グロルマン,ゲルリッツ)に判れて中々決まらない。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 ミュフリンク司令長官、本国へ指示を仰ぐが、直ぐには返事はこなかった。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 グロルマン参謀長、ミュフリンク司令長官に対して、急病になって指揮権をゲルリッツ少将へ渡せと進言。グロルマン参謀長の反乱であった。誰も味方が居ないことを悟ったミュフリンク司令長官、捨て台詞を残して自室に引きこもる。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 指揮権を移譲されたゲルリッツ少将、ローマ攻撃を捨て去り、「我々は、ジブラルタル海峡をめざす!」 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 重巡最上のカタパルトの故障、及び水偵の故障でドイツ空軍水上機動部隊との接触が断たれる。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 日伊連合機動部隊、G55センタウロ、コメッタ「彗星」、スピットファイア「台風」、九七式艦攻から成る攻撃隊を発進させる。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 イタリア海軍戦艦部隊、ドイツ空軍水上機動部隊の艦載機40機前後の攻撃を受ける。イタリア艦隊司令長官カルロ・ベルガミ大将、このドイツの攻撃を欺瞞と見抜けず。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 しかし、如月司令官は騙されず、欺瞞と見抜く。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 イタリア海軍戦艦部隊への空襲とレーダーに捉えた第二次攻撃隊の針路から、サリエリ少佐は攻撃隊の針路を変更する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 しかし、海鷹から発進した柳葉飛行長率いる攻撃隊は、如月司令官の指令で針路を変更せず、保険と称して当初の推定位置へ向かう。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 サリエリ少佐率いる攻撃隊、チャフを散布するドイツ機を発見。ようやく欺瞞に気付く。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 ドイツ空軍水上機動部隊、ラダールゲレートで、海鷹攻撃隊を発見。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 柳葉飛行長率いる海鷹攻撃隊、ドイツ空軍水上機動部隊の電波を拾う。無線にてこの事を報告する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 九七式艦攻、戦艦ヘッセンへ雷撃を敢行。1機を迎撃してきたFw-190に撃墜されるも、発射した3本の魚雷は戦艦ヘッセンへ命中。轟沈はしないものの中破し、速力は10kt以下に落ちる。但し、戦闘力そのものは低下せず。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 サリエリ少佐率いる攻撃隊、ようやっとドイツ空軍水上機動部隊を発見。迎撃に出撃したザイドリッツのFw-190、コメッタを戦闘機と見誤ったり、G55を艦爆と見誤ったり、無線がジャミングされたりで、壊滅する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 吉本大尉率いるイタリアから借りたコメッタ「彗星」の雷撃隊、戦艦ヘッセンへ二波に別れて雷撃を敢行。ヘッセン、5本の魚雷を受けて撃沈する。ヘッセンを守ろうとした重巡プリンツ・オイゲンも5本の魚雷を受けて轟沈する。ミュフリンク少将戦死。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 サリエリ少佐率いるイタリア海軍のコメッタ30機が空母シャルンホルスト,ザイドリッツに急降下爆撃を敢行。ダメコンの不備も重なって、燃料弾薬の誘爆が起こり、撃沈される。ゲルリッツ少将は、軽巡エムデンへ移乗する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 ゲルリッツ司令長官、戦艦ハノーバー,ブラウシェンバイクを中心に不完全ながら対空輪形陣を組み、地中海脱出へ前進する。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 しかし、イタリア海軍戦艦部隊がドイツ艦隊に立塞がる。イタリア海軍戦艦部隊は、ドイツ側火器管制レーダーへの妨害電波、観測機の活用、及びドイツ側司令長官(彼は空軍少将)の不慣れさも手伝い、有利に戦闘を進める。 焦熱3 1943年10月21日 昭和18年10月21日 仏戦艦の間接防御力の低さもあり、軽巡エムデンを除いてドイツ艦隊は全滅する。軽巡エムデンはイタリア海軍戦艦部隊に降伏する。 焦熱3 1943年10月23日 昭和18年10月23日 ガトー級潜水艦トリガー、対潜哨戒機の執拗な追跡からようやく逃れ、艦を浮上させる。 焦熱2 1943年11月 昭和18年11月 日本軍、暗号の改変を行う。 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 艦砲射撃の爪痕が残る日本軍が占領したポートモレスビーに駐屯する独立戦車第一連隊に連合艦隊情報参謀の落合中佐がコリブリ(ドイツ版コメッタ「彗星」)の運用実績を聞きに来る。その時、落合中佐はイタリア海兵隊が対ソ戦線で捕獲したT-34の提供を申し出る。 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 夜半、トラック島からラバウル経由でポートモレスビーへ向かう輸送船団ヒ七八は第一一八戦隊を護衛にニューギニア島近海を航行していた。司令官は磯野大佐、参謀長は森尾少佐。森尾少佐は、磯野大佐の旧弊さに困りきっていた。 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 この輸送船団の上空には、〇四三空の深田中尉指揮する電探搭載一〇〇式司偵が支援に飛行していた。無線に応答しないが敵味方識別装置には反応する機体を電探で発見したが、暫くすると電探と無線にジャミングがかけられる。 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 その隙にP-38とB-17の編隊が輸送船団へ攻撃をかけてくる。しかし、磯野大佐は米軍は夜襲せんの一言であった。 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 第一号特型海防艦の艦載機と、どうにか通じた無線で呼べた基地航空隊で防空戦を展開する。妨害電波を発信していたB-17を撃墜し、どうにか防空に成功したかと思われたが... 焦熱3 1943年11月15日 昭和18年11月15日 輸送船団は足元からの敵潜の攻撃で、壊滅的打撃を受ける。 焦熱3 1943年11月16日 昭和18年11月16日 連合艦隊司令部情報参謀落合中佐を進行役に昨夜の輸送船団ヒ七八壊滅の戦訓研究会が開かれる。敵味方識別装置のパターンが規定通りに変更されていなかった事、そして電探の電波を解析されていた事があげられた。 焦熱3 1943年11月16日 昭和18年11月16日 そして、米軍のエリント施設候補地として、落合中佐はヨーク岬半島の北方、プリンス・オブ・ウェールズ島を示す。 焦熱3 1943年11月16日 昭和18年11月16日 プリンス・オブ・ウェールズ島に対する写真偵察がDH・モスキート「香取」にて行われる。 焦熱3 1943年11月20日 昭和18年11月20日 旧台南空二五一空のスピットファイア「台風」36機、七〇一空のアブロ・ランカスター「勝山」18機、〇四三空の電探搭載空中管制機「勝山」1機がプリンス・オブ・ウェールズ島を爆撃に出撃。 焦熱3 1943年11月20日 昭和18年11月20日 米軍はまたもやジャミングをかけ、無線を使えなくする。しかし、一年前まではまともな無線のなかった日本側は、画板や機体のバンクで意志疎通を図るのに無理は感じなかった。 焦熱3 1943年11月20日 昭和18年11月20日 米軍の戦闘機が迎撃に上がってくるが、二五一空の向井飛行隊長はP-40と思い攻撃を指示するが、P-40とは思えない高速性能を発揮して逆撃する。P-51Aの初見参であった。 焦熱3 1943年11月20日 昭和18年11月20日 しかし、向井飛行隊長は、暫く敵新型戦闘機を観察すると弱点を見抜く。何と、P-51Aは高空性能が悪すぎたのだ。P-51Aを高空に誘き出し、騙し技も加味してP-51Aを撃墜していく。 焦熱3 1943年11月20日 昭和18年11月20日 邪魔者が居ない空を「勝山」18機が180t近い爆弾をプリンス・オブ・ウェールズ島のレーダー施設らしい陣地に投下する。すると、ジャミングが消え、電探が回復する。一応、攻撃は成功したかに見えたのであった。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 ニューギニア島近海を深夜、輸送船団ヒ八一がポートモレスビー目指して進んでいた。護衛は第一一八戦隊。前回の輸送船団ヒ七八の戦訓を踏まえ、前路哨戒に海上護衛及び対潜哨戒が専門の九二一空が飛行していた。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 九二一空が米潜の集結海域を探知する。この報告を受けて、輸送船団は針路変更して米潜を回避しようとする。しかし、米潜の一部が郵送船団目掛けて移動を開始し始めた。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 参謀長森尾少佐は、船団の位置が米軍に知られている事を察知し、米軍機の空襲ある事を考え、対空戦闘準備を下令すると共に、二五一空及び〇四三空に応援を依頼する。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 深田中尉指揮する電探搭載一〇〇式司偵が米軍の電探搭載機を発見する。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 二五一空の「台風」、〇四三空の「勝山」は米軍の無線周波数帯に割り込み、航空管制を始める。米軍も自分の無線周波数帯へのジャミングは出来ないので、航空管制に関しては五分と五分になる。 焦熱3 1943年11月21日 昭和18年11月21日 米軍は、輸送船団攻撃を兼ねてP-38でなくP-51Aを護衛としていたので、高空に編隊毎誘き出されると、B-17もろとも撃墜され、米軍の攻撃は失敗に終わる。 焦熱3 1943年11月23日 昭和18年11月23日 落合中佐と船引中佐は、プリンス・オブ・ウェールズ島のレーダー施設について偵察写真を基に検討を加えていた。落合中佐は、石油タンクの出来そこないの様な、象の檻の様な施設を電波傍受専門の施設であると説明する。 焦熱3 1943年11月23日 昭和18年11月23日 しかし、この施設の心臓部は、ベトンで守られた地下トンネルにあり、上空からの爆撃では、グランドスラム爆弾でも使用しない限り、撃破は不可能であり、グランドスラム爆弾は一発しかない為、又、戦艦撃沈用の為に使用できない。 焦熱3 1943年11月23日 昭和18年11月23日 そこで、落合中佐は、陸軍部隊を使用するつもりであることを船引中佐に話し、陸軍への情報支援を依頼する。 焦熱3 1943年11月23日 昭和18年11月23日 落合中佐は、独立戦車第一連隊の影山大佐にプリンス・オブ・ウェールズ島の攻撃について相談に行く。影山大佐は明日まで攻撃方法について考える事にする。 焦熱3 1943年11月24日 昭和18年11月24日 日本軍の通信を傍受していた米海軍の部隊が部隊隊を特定するのに独立戦車第一連隊の為に大混乱を起す。なにせ、通信傍受の結果、爆撃機を扱う部隊の一つが戦車部隊になってしまうのだからだ。しかし、日本軍の偵察活動等から大規模な攻撃準備をしている事は確信していた。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 プリンス・オブ・ウェールズ島を海軍の「台風」48機、陸軍のコリブリ「彗星」3機、「勝山」3機が攻撃する。米軍はオーストラリア空襲と判断し、P-38,P-51A等の戦闘機を50機程、迎撃に投入してきた。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 囮の七〇一空などに当初は向かっていた米軍機は、プリンス・オブ・ウェールズ島に向かう攻撃隊に気付き、P-51Aの部隊を迎撃に向かわせる。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 七〇一空を先導していた深田中尉の「勝山」をパスファインダーと勘違いして、米軍は攻撃を集中する。深田機は、搭載されていた電波高度計爆弾を退避する為に投下する。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 投下された電波高度計爆弾は、B-17から発信されていた妨害電波に反応したのかB-17の目の前で爆発。B-17と深田機を攻撃していたP-38が巻き込まれる。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 南原少佐指揮する独立戦車第一連隊自走砲大隊のコリブリ「彗星」3機と「勝山」3機は米軍の地下施設目掛けて攻撃する。コリブリ「彗星」は2機を失いながらも地下施設の扉を破壊。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 「勝山」も1機を失いながらも、ダムバスター爆弾を投下。1発が地下施設に突入。施設内で爆発し、施設を完全破壊する。 焦熱3 1943年11月25日 昭和18年11月25日 ラバウル港に停泊していた空母葛城艦上に1機の艦載機が着艦する。何と、イギリスから送られてきたマリーン搭載P-51であった。操縦していた右近中佐は興奮して“これを大量に輸入すべく、お上に進言するざんす”。 焦熱3
西 暦 和 暦
記 事
出 典
なし