国語 (晋語1) 周語へ 魯語へ 斉語へ | Topへ | |
『晋語』は9巻、『国語』21巻の中で最も分量が多い。 中国歴史テレビドラマのような世界が展開する。 献公 在位 前676-651 蕙公 在位 前659-637 懐公 在位 前637-636 文公 在位 前636-628 |
春秋五覇 斉の桓公 晋の文公 楚の荘公 秦の穆公 (呉王闔閭) 宋の襄公 (越王句践) |
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晋語一 武献公 12章 i一 武公、翼を攻撃、哀公を殺し、その宰相である欒共子を生かそうと説得するが、彼は聞かず。二君に仕えないと言って戦死する。 |
前709年の出来事。『左伝』『史記』に詳しい。 |
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二 献公が驪戎を伐とうとした時、史蘇が占って、これを諫めた。「勝が不吉」と出た。その理由を説明する。 献公は無視して、驪戎を伐ち、驪姫を得て帰る。 その祝宴で、献公が史蘇に酒を与えるが、肴はないよ。といったことについての史蘇の言。 史蘇、大夫たちに不安を語る。 「男戎あれば、女戎あり」この場合の戎は兵のこと。 男の軍隊で戦に勝手も女の軍隊によって、晋は負ける。 そのような事例を列挙する。 妹喜、妲己、崩姒、 郭偃(大夫の一人)も.夏、殷、周が滅んだのもよくわかる。 この項、占い解釈などあってよくわら�ない。 |
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三 献公が驪戎を伐ち、驪姫を夫人にし、男子を生む。 史蘇が禍となることを予言する。 その通り、太子は殺され、二人の公子(重耳、夷吾)は亡命する・ |
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四 献公が太子申生を廃し、驪姫との子、奚斉を太子に立てようとする。それに対する3人の大夫の会話。 先君武公の祭りで、奚斉を代理に立てた。これに対し、太子申生は、父に対する、孝、忠、敬、貞の観点から、特に反抗しなかった。 |
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五 献公が狩りに出て、翬柦(てきき)の国から凶兆を感じ、眠れなかった。公は朝見きた卻叔虎(げきしゅくこ)に話した。 彼は、退場して、大夫の士蔿(しい)に言う。夢は翬柦の国の乱政ぶりにあり、上下とも問題があるので、征服できらだろう。私はそのことを言わないが、あなたはそのことを献公に告げよ、と。士蔿は公に告げ、公は喜んで翬柦を討った。その時、卻叔虎は敵城のよじ登ろうとする。部下は止めるが聞かなかった。 |
卻叔虎の行動が興味深い。 | |
六 驪姫は俳優の施と通じており、彼と相談して、三公子をなきものにしようとする。誰からやろうと相談すると、長男申生からやれと言う。二人の大夫に賄賂を贈り、公に、三公子を地方に 移すよう進言し、公はそれに従う。 そうしておいて、驪姫は讒言を始め、申生は罪を得る。. |
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七 前662年、献公は2軍を作り、公が上軍の大将、太子申生を下軍の大将となって、霍(かく)を討とうとした。 士蔿が反対し、献公との問答が続く。王聞かず。士蔿、退席し、そこで起きる不幸を他人に話し、太子の亡命を進めるが、太子従わず。 |
士蔿の反対の理由は、軍統率のリ厘と太子排斥の陰謀を嗅ぎ取っての反対である。 | |
八 驪姫は俳優の施の教唆によって、次のように讒言した。 太子申生は仁者あり民にも人望があり力を持っている。やがて、君が私に迷って暴政をするのではないかと君を弑するのではないか、天寿を全うするには私を殺さないのか? 公は「民を愛する者が親を愛さないものはいようか」というと、 それに対し、驪姫は、大衆の太子を支持する気持ちが大きければ、殷の紂王のような自体も起きかねない。用心してくださいと。 公がどうすればよいかという問いに、驪姫、隠居すゝめて、公が聴かない知ると、太子申生に狄の征伐やらせる事を進言する。 公はそれを申生に命じるが、その際、左右色違いの服を着せ、一か所が欠けた金環付けさせる。御者はこれに付き不吉な予言をする。 勝って帰ったが、讒言が起こった。 |
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九 十七年(前663年)公は太子に山東の皋洛(こうらく)氏を討たせようとした。里克が反対するが、公は聞き入れない。 太子、服装について、里克に尋ねると、君命は軽くないと励ます。遠征途中の孤突(御者)と先友(車右)服装についいての会話。稷桑(しょくそう)まで来て、孤突は前進するのを諫めるが、太子は進めて、勝利して帰る。讒言がますます起こった。 2022・12・02 |
新釈漢文大系『国語 上』ここで終わる ここまでで約1年かかった。 |
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晋語 二 献恵二公 9章 一 太子申が自殺するまで 太子申が稷桑(しょくそう)から帰って、5年経つが、驪姫の、太子申が謀反の志があるので早く討てとの讒言が続く。 献公はその理由がないと。 驪姫は施に、公から太子を殺して、息子の奚斉を立てる許しを得ているが、里克が問題だというと、施は里克を味方につけるのは一日あれば出来る。酒宴の用意をしてくれという。 その様子の描写。 里克は結局、中立を守ることにする。 そのことを、丕鄭に言うと、そんな話は信じられないと言って、驪姫の意図をくじくようにすればよかったと言うが、里克は一旦口に出したことは仕方がないと。仮病を使って朝廷を休んだ。 一か月後、太子は謀殺された。 その手口の描写。 太子に祭肉を献じさせ、その肉や、酒に毒をもり、公子の所為にさせた。 公子は逃げることを 勧められたが、首を括って死んだ。 驪姫の重耳、夷吾への中傷が続いた。 重耳(後の文公)は、狄へ、夷吾(後の恵公)は梁へ亡命した。 公子はすべて逃げ、奚斉を皇太子とした。 2023・1・5 |
新釈漢文大系『国語 下 |
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二 二公子の亡命先についての孤エン、冀芮のアドバイス. いずれも読みが深い。夷吾、2年で呼び戻されて、4年後恵公となる。 |
ここまでの所で、歴史ドラマが一つ書ける。 | |
三 虢(かく)公の夢 夢の内容に晋が入ってくるといいう。史ギンというものが凶とした。公は彼を殺して、国を挙げて祝った。 舟之僑という大夫はその夢を詳しく説いて、凶夢を祝う国は滅びると、晋に逃げた。 虢は六年後滅びた。 |
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四 虢を討つために、進軍は虞を通過させてもらおうとした。 虞の大夫宮之奇が反対したが、虞は許した。三か月後,虞は亡びた。 |
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五 献公が虢を討つ時期に、卜偃に問うた。彼は童謡を引用して答えた。 | ||
六 葵丘(ききゅ)の会へ行こうとしている献公が途中で宰周公という人に出合い、彼がこの会合に行く必要がないことを説き、献公は引き返す。 | 前651。斉の桓公主催。 | |
七 宰孔は、献公が軽々しく、国外に出ることから、早く亡くなることを予言。この年に献公没。 | ||
八 献公の死と恵公の即位 (長い章) 二十六年(全651)献公が亡くなり、里克は奚斉を殺そうと、荀息に話を持ちかける。 荀息(奚斉の傳育官)は、殺すなら、自分も死ぬといって、忠、貞の観点から理由を述べる。 里克はヒ鄭に話を持ち掛ける。 ヒ鄭はまず、荀息の態度を訊いた上で、協力する旨を言う、 その理由が利己的なので、里克は利と義、貪と怨を説く。* 結局、里克はヒ鄭の協力を得て、奚斉、卓子、驪姫を殺した。 荀息は言葉どうり、死んだ。 次は、狄にいる重耳を呼びにやる。 重耳は妻の父、舅犯は相談すると反対。 理由はちょっと分かりにくいのだが、大乱に乗じて王位についてもろくなことはないということか?重耳これに従う。 次ぎ、梁へ亡命中の夷吾の下へ 夷吾、冀芮に相談すると、今が絶好のチャンスだから、持てる財力をフルに使って、帰国するようにと、進める。 そして、秦の穆公に協力を依頼する。 秦では二人の公子のいずれを選ぶかが問題。 縶(チュウ)を使者として二人の公子の良否を判断する。 まず、重耳、舅犯に諮り、断る。 次に夷吾に向かう。夷吾は冀芮に諮り、最大限の賄賂を使って見方に引き入れようとする。 縶、秦に返り、穆公に報告すると、勃興は重耳の方を評価するが、縶は反対する。 九 穆公は晋の冀芮に意見を求める。冀芮は当然、夷吾を推す。 2023・3・22 |
* 夫れ義は利の足なり。貪りは怨みの本なり。義を廃せば、利立たず、厚く貪れば怨生ず。 里克の言葉の中に、 懼為諸侯載とあるのは、 諸侯に載せられんことを懼れると読み、 当時は各国の史官が、天下の大事を記載した。それらが『国語』や『春秋』であると、と注にある。 |
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晋語 三 恵公11章 一.恵公は即位したが、内外にした賄賂の約束を果たさなかった。民衆は流行歌を作った。 佞之見佞 果喪其田・・・・偽善者が偽善者に会って、結局、賄賂の約束の田を貰えなかった。・・・・ 晋の大夫、郭偃は「衆口は禍福の門なり。・・・」という。 二. 恵公即位後、以前驪姫によって殺された、太子申生を、改めて改葬するが、その時悪臭が出た。民衆はまた流行歌を作った。いい格好をしてもダメであると。 「貞しいが、報いがない。・・・」 重耳を待望する歌である。 郭偃がまた感想を述べている。14年したら重耳が帰ってくることを予言していると。 三. |
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