詩の花束(1) 3篇 (2)へ (3)へ (4)へ | Topへ | |
片山敏彦『ドイツ詩集』 水仙 vs Daffodills 吉田精一『藤村名詩鑑賞』 (2)ルイーズ。グリュック (3)エミリー・ディキキンソン (4)「我が愛する詩人の伝記} |
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2015年8月2日 片山敏彦『ドイツ詩集』 みすず書房 1984 お前を産み お前が産んだ 闇の暗さにとらわれ これは、ゲーテが蝶(蛾)を詠った5連の詩「浄福的な憧れ」の2連、3連、5連である。 ーーーーーーー この詩は、生野幸吉、桧山哲彦篇『ドイツ名詩選』岩波文庫にもある。 原詩との対訳本なので、より直訳的である。原詩理解にはその方が有難い。しかし、元来、韻律が大きな要素を占める詩の翻訳は不可能に近いのであるが、訳された詩が、日本の詩としても、ある水準を保持して欲しいもの。 【2021・2・5追記】 ーーーーーーー 原詩は右の通りです。 私は最後の連の「死ね。そして成れ!」は長い間、Sterbe und Werde ! だと思い込んでいたのですが、sterben(死ぬ)の命令形はstirbでした。 1連と4連を意訳しておきます。 この事を賢者以外に誰にも言うな 大衆は直ぐあざ笑うだろうから。 私は炎で焼け死ぬことに憧れる 生きているものを讃えよう。 お前は遠さを厭わないで、 魅せられて飛んで来て 最後には 光に焦れて 蛾よ お前は焼き尽くされる 【2021・10・27追記】 |
Selige SehnsuchtSagt es niemand, nur den Weisen, In der Liebesnächte Kühlung, Nicht mehr bleibest du umfangen Keine Ferne macht dich schwierig, Und so lang du das nicht hast, |
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2016年2月4日 水仙 vs Daffodills 水仙といえば、白の花弁に黄色の蕋(しべ)のある清楚な草花で、その立ち姿がしとやか。私はその香りが好きである。もともと、タンポポのように、空き地に自生す草花であるが、暮れに、花屋で買ったら、1本250円もしたのには驚いた。 |
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2016年6月3日 吉田精一『藤村名詩鑑賞』角川文庫 1961 まだあげ初めし前髪の 藤村が明治20年から24年にかけて、明治学院で英語を勉強し、英詩の美しさを、日本でも再現しようとて行った詩の動きが、新しい時代を開いた。英詩の韻律に負けない、日本語の調べがあることを実作で示した功績は大きい。「小諸なる古城のほとり/ 雲白く游子悲しむ・・・」「名も知らぬ遠き島より/ 流れ寄る椰子の実一つ・・・」朗誦して心地よいものが多い。脚韻支配の強い英詩の影響を振り切り、藤村たちが切り開いた詩歌の韻律は、しばらく詩人たちに引き継がれるが、現在どうなっているのだろうか?ご存知方はご教示頂きたい。 ーーーーーーーー この投稿をきっかけにRieko Oki先生から 明治学院周辺の藤村文学散歩の資料等お送り頂きました。(詳細略)ありがとうございました。 宮垣弘:文学探訪は、ファンの喜びであり、作家や作品への理解が更に深まるものなのでしょう。Rieko先生や安藤先生の記事はいつも楽しみに拝見しています。私は、旅は予め目的を定めぬ気ままな旅が好きだというだけです。 藤村への関心は、日本の詩歌(韻文)の衰退ということがあります。韻律だけではなく詩心の衰退も起きているのではと思うのは、私の杞憂あればと思います。藤村の蔵書を見たいと思ったのは彼がどんな詩を読んでか知りたいと思ったからです。 また、現在大学で英詩の講座がどの程度あるかも知りたいところです。日本人は古くは漢詩、明治の青年たちは西洋の詩(特に英詩)にinspireされて、詩を作ったのですが、現代の若者は、どうなのでしょうか? 安藤聰:詩はよほど好きな人しか読んでいないような気がします。流行音楽の歌詞が伝統的な詩に取って代わっているのかも知れません。韻律の整った詩歌はそういう形で生き残っているとも言えるのでしょうか。国語の授業でもっと詩の暗唱を教えるべきだと思います。 |
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2017年10月23日 人生の中締め(4)Faust 若い時は色んな望みがあって、見果てぬ夢で終わることも多い。 いつか、マッターホルンを登りたいと思って、スイス製の詳しい地図を取り寄せ、随分眺めた時期もあったが、一緒に登りたい思っていた友人が亡くなって、あきらめて、地図も人にあげてしまった。 ホメロスをギリシャ語で読むという夢は、自分の能力を知るにつれ、何時の間にか消えた。物を処分していると、そうした夢を自ら摘み取ることになるのだが、 未だにあきらめきれず、その手掛かりを残しておきたいものも多い。その一つにドイツ語で『ファウスト』を読むと言うのがある。邦訳は図書館に行けばあるので、早々に処分したが、注釈書類が処分されず残った。 当分は読む時間がないのでトラックルームに放り込むことになるが、もし、90歳まで生きていたら、その時、取り出して読み始めようと思う。 Faustは:Das Ewig‐Weibliche /Zieht uns hinan.(永遠にして、女性的なるものが、我らを 引き上げる)で終わっている。そんな風に人生を終えたいもの。 ー--------- Toshiro Nakajima 高橋先生がこのような注釈を出されていたのは、知りませんでした。ドイツ語から英語への移入はドラマです。今はすずめ蜂の巣に悩んでいます。 吉村 雅司 日野原さんは106歳まで活躍しましたね。90歳などと遠慮しないで95,100さいを目指して頑張りましょう。膨大な蔵書の満喫を目指して。
宮垣弘 吉村 雅司 僕は、J5 フランス語です。残念ながら、それはちょっと無理ですね? Toshiro Nakajima |
昔、袖珍本で森林太郎訳『ファウスト』がよく見かけたが、今はどうかしら? ちくま文庫の森鴎外全集11巻、「ファウスト」はその面影を伝える。 その最後は 一切の無常なるものは ただ影像たるに過ぎず。 かって及ばざりし所のもの、 ここに既に行われたり。 名状すべかざる所のもの、 ここには既に遂げられたり。 永遠に女性なるもの、 我等を引きて往かしむ。 2022・7・6 追記 |