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   片山敏彦『ドイツ詩集
水仙 vs Daffodills
吉田精一『藤村名詩鑑賞
 

  
   2015年8月2日

片山敏彦『ドイツ詩集』 みすず書房 1984

  お前を産み お前が産んだ
  愛の夜な夜なの涼しさの中で、
  しずかな蝋燭の灯が輝くと
  お前はふしぎなあこがれに襲われる。

  闇の暗さにとらわれ
  お前はじっとすることがもうできず
  心は駆り立てられるのだ。
  さらにけだかい結合への 新しい欲望に。
  ・・・
  「死ね。そして成れ!」― このことを
  お前がまだ体得しないあいだは
  お前は ただ暗い地上の

 
 陰気な客にすぎないのだ。

  これは、ゲーテが蝶(蛾)を詠った5連の詩「浄福的な憧れ」の2連、3連、5連である。
  この詩を読んだ時、全身に戦慄が走ったことを昨日のように思い出す。60年ほど前、高校時代のことである。この本を柔らかい表紙の新潮叢書で読んだのだが、表紙も取れ、数度の引っ越しの末消えてしまった。ふと懐かしくなって、図書館で借りだしたのが、みすす書房版である。その詩は昔のままあった。当時私の心を惹きつけたのはドイツ文学で、ゲーテ、カロッサ、ヘッセ、マンを好んで読んだ。ドイツ語を一言も知らないで、こんな豊かな世界に入れたのも、片山敏彦、高橋健二・・・多くの独文学者がいたからであろう。仏文学者、英文学者、ロシヤ文学者たちも若者には仰ぎ見る存在であった。こんな人々を媒体に日本文化がどんどん豊かになって行ったのであろう。その伝統をいつまでも保持したいもの。


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  この詩は、生野幸吉、桧山哲彦篇『ドイツ名詩選』岩波文庫にもある。
原詩との対訳本なので、より直訳的である。原詩理解にはその方が有難い。しかし、元来、韻律が大きな要素を占める詩の翻訳は不可能に近いのであるが、訳された詩が、日本の詩としても、ある水準を保持して欲しいもの。
【2021・2・5追記】
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原詩は右の通りです。
  私は最後の連の「死ね。そして成れ!」は長い間、Sterbe und Werde !
だと思い込んでいたのですが、sterben(死ぬ)の命令形はstirbでした。

  1連と4連を意訳しておきます。

   この事を賢者以外に誰にも言うな
   大衆は直ぐあざ笑うだろうから。
   私は炎で焼け死ぬことに憧れる
   生きているものを讃えよう。

   お前は遠さを厭わないで、
   魅せられて飛んで来て
   最後には 光に焦れて
   蛾よ お前は焼き尽くされる


【2021・10・27追記】   
 

Selige Sehnsucht

Sagt es niemand, nur den Weisen,
Weil die Menge gleich verhöhnet,
Das Lebend'ge will ich preisen,
Das nach Flammentod sich sehnet.

In der Liebesnächte Kühlung,
Die dich zeugte, wo du zeugtest,
Überfällt die fremde Fühlung
Wenn die stille Kerze leuchtet.

Nicht mehr bleibest du umfangen
In der Finsterniß Beschattung,
Und dich reißet neu Verlangen
Auf zu höherer Begattung.

Keine Ferne macht dich schwierig,
Kommst geflogen und gebannt,
Und zuletzt, des Lichts begierig,
Bist du Schmetterling verbrannt,

Und so lang du das nicht hast,
Dieses: Stirb und Werde!
Bist du nur ein trüber Gast
Auf der dunklen Erde.


  
   2016年2月4日

    水仙 vs Daffodills

  水仙といえば、白の花弁に黄色の蕋(しべ)のある清楚な草花で、その立ち姿がしとやか。私はその香りが好きである。もともと、タンポポのように、空き地に自生す草花であるが、暮れに、花屋で買ったら、1本250円もしたのには驚いた。
  先日、イギリス人Phさんに、「水仙といえばワーズワスに有名な詩がありますね。」と話を持ちかけたら、「そうですね。水仙は春を告げる花。その花弁がトランペットのよう形をしていて、一斉に ’春が来た’ と告げるのです」私「ああ、イギリスの水仙は黄色なのですね。香りはどうですか?」彼「? 水仙に香りがあるのですか?」私「?・・・!」

  私が英詩に感動した最初のものが、ワーズワスの水仙の詩だった。

  I wander'd lonely as a cloud
  That floats on high o'er vales and hills,
  When all at once I saw a crowd,
   host of golden daffodils,
  Beside the lake, beneath the trees
  Fluttering and dancing in the breeze.


60年前、読んだのは研究社の薄い粗末な本だったが、ネットで調べたら、まだ、売られていた。

 

  
   2016年6月3日

吉田精一『藤村名詩鑑賞』角川文庫 1961

   まだあげ初めし前髪の
   林檎のもとに見えしとき
   前にさしたる花櫛の
   花ある君と思ひけり

  

藤村が明治20年から24年にかけて、明治学院で英語を勉強し、英詩の美しさを、日本でも再現しようとて行った詩の動きが、新しい時代を開いた。英詩の韻律に負けない、日本語の調べがあることを実作で示した功績は大きい。「小諸なる古城のほとり/ 雲白く游子悲しむ・・・」「名も知らぬ遠き島より/ 流れ寄る椰子の実一つ・・・」朗誦して心地よいものが多い。脚韻支配の強い英詩の影響を振り切り、藤村たちが切り開いた詩歌の韻律は、しばらく詩人たちに引き継がれるが、現在どうなっているのだろうか?ご存知方はご教示頂きたい。
本書は原点となる藤村を振り返るのに、ふさわしい本だった。



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この投稿をきっかけにRieko Oki先生から
明治学院周辺の藤村文学散歩の資料等お送り頂きました。(詳細略)ありがとうございました。

宮垣弘文学探訪は、ファンの喜びであり、作家や作品への理解が更に深まるものなのでしょう。Rieko先生や安藤先生の記事はいつも楽しみに拝見しています。私は、旅は予め目的を定めぬ気ままな旅が好きだというだけです。
藤村への関心は、日本の詩歌(韻文)の衰退ということがあります。韻律だけではなく詩心の衰退も起きているのではと思うのは、私の杞憂あればと思います。藤村の蔵書を見たいと思ったのは彼がどんな詩を読んでか知りたいと思ったからです。
また、現在大学で英詩の講座がどの程度あるかも知りたいところです。日本人は古くは漢詩、明治の青年たちは西洋の詩(特に英詩)にinspireされて、詩を作ったのですが、現代の若者は、どうなのでしょうか?
安藤聰詩はよほど好きな人しか読んでいないような気がします。流行音楽の歌詞が伝統的な詩に取って代わっているのかも知れません。韻律の整った詩歌はそういう形で生き残っているとも言えるのでしょうか。国語の授業でもっと詩の暗唱を教えるべきだと思います。
 

  
  2017年10月23日

     人生の中締め(4)Faust  

 若い時は色んな望みがあって、見果てぬ夢で終わることも多い。
 いつか、マッターホルンを登りたいと思って、スイス製の詳しい地図を取り寄せ、随分眺めた時期もあったが、一緒に登りたい思っていた友人が亡くなって、あきらめて、地図も人にあげてしまった。
  ホメロスをギリシャ語で読むという夢は、自分の能力を知るにつれ、何時の間にか消えた。物を処分していると、そうした夢を自ら摘み取ることになるのだが、
  未だにあきらめきれず、その手掛かりを残しておきたいものも多い。その一つにドイツ語で『ファウスト』を読むと言うのがある。邦訳は図書館に行けばあるので、早々に処分したが、注釈書類が処分されず残った。
  当分は読む時間がないのでトラックルームに放り込むことになるが、もし、90歳まで生きていたら、その時、取り出して読み始めようと思う。 Faustは:Das Ewig‐Weibliche /Zieht uns hinan.(永遠にして、女性的なるものが、我らを 引き上げる)で終わっている。そんな風に人生を終えたいもの。


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Toshiro Nakajima
高橋先生がこのような注釈を出されていたのは、知りませんでした。ドイツ語から英語への移入はドラマです。今はすずめ蜂の巣に悩んでいます。

吉村 雅司
日野原さんは106歳まで活躍しましたね。90歳などと遠慮しないで95,100さいを目指して頑張りましょう。膨大な蔵書の満喫を目指して。

宮垣弘
ご声援有り難うございます。90歳になったら、ご一緒にFaustを読みませんか?

吉村 雅司
僕は、J5 フランス語です。残念ながら、それはちょっと無理ですね?

Toshiro Nakajima
ここに写っている本は売らないでくださいね。

Yoko Takeda
マッターホルンを登りたいと思われていたのですね。すごいです。登山は夢がありますね。最近高い山だけでなく低山に登る事でも素晴らしい自然を感じる事も出来ますようで人気があるように思います。私などは身近な手軽ですか、箱根や高尾山などで小さな山で自然を感じたりしています。
御本は収納関係で難しいこともありますよね。素晴らしい本ばかりですね。

Toshiro Nakajima
今、山岳のことを書いています。ウィンパーの遭難にはかなり否定的な意見が多いです。イギリスに高山はありませんから、アルプスへ、でしょうか。

宮垣弘
ウィンパーの『アルプス登攀記』を読んだのは遥か昔のことになりました。マッターホルンのへの憧れはその山容の美しさからでした。先生の山岳論考がどんなものになるか興味深々です。登山はadventureの一種で、英国には、adventureを好む人種の血を引いた人が多く、文化の基底の一つのなっているように思います。ノンセンスなことにも挑戦しますね。
 


昔、袖珍本で森林太郎訳『ファウスト』がよく見かけたが、今はどうかしら?

ちくま文庫の森鴎外全集11巻、「ファウスト」はその面影を伝える。

その最後は

  一切の無常なるものは
  ただ影像たるに過ぎず。
  かって及ばざりし所のもの、
  ここに既に行われたり。
  名状すべかざる所のもの、
  ここには既に遂げられたり。
  永遠に女性なるもの、
  我等を引きて往かしむ。

  2022・7・6  追記