詩の花束(2) ルイーズ・グリュック (1)へ (3)へ
     Louise Elisabeth Glück
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    あなたが英文学の愛好家なら、自分の鑑賞眼をテストする意味で、ルイーズ・グリュックの詩を読んでみてください。
  私は、彼女が2020のノーベル文学賞を受賞したと いうニュースで、初めてその名前を知った。代表作と思える詩集THE WILD IRISを読んでみたが、いくつかの詩句が心に留まったものの、一つの詩が、すっぽりと私の心に収まるものがなかった。彼女が訴えたいものが明確には分からないのである。私は文学鑑賞眼は、世界レベルとは遠く離れているのかもしれれないというショックを受けた。

  ルイーズ・エリザベス・グリュックLouise Elisabeth Glück1943年4月22日 - )
アメリカ合衆国詩人、エッセイスト 1992年の『野生のアイリス(The Wild Iris』でピュリッツァー賞を受賞、その他多数受賞。2020年にノーベル文学賞を受賞した
  If you're a lover of English literature, read Louise Glück's poems to test your appreciation eye.
  I first learned the name in the news that she won the 2020 Nobel Prize in Literature. I read the poetry collection THE WILD IRIS, which seems to be her masterpiece, and although some plarases of her poems caught my mind, there were not one poem on the whole fit to my heart. I did not understand exactly what she wants to appeal. I was shocked by that. I wondered whether my literary appreciation ability might be far from the world level.
  That is where my pursuit of her poetry begins

  
  1.発端:The Wild Iris

コロナ禍の中で、「雑司が谷シェイクスピアの森」の zoomのよるお話しの会(2021・1・13)で、高木登さんがグルックの詩の一部を朗読されて、少し興味を引いたので、ネットで調べて見ると、 その詩も見つかり、グリュック本人の朗読もあった。
(538) Louise Gluck "The Wild Iris" - YouTube
それが下記のものである。


   THE WILD IRIS    Louise Glück

At the end of my suffering
there was a door. 

Hear me out: that which you call death
I remember.  

Overhead, noises, branches of the pine shifting.
Then nothing. The weak sun
flickered over the dry surface.

 It is terrible to survive
as consciousness
buried in the dark earth.

Then it was over: that which you fear, being
a soul and unable
to speak, ending abruptly, the stiff earth
bending a little. And what I took to be
birds darting in low shrubs.  

You who do not remember
passage from the other world
I tell you I could speak again: whatever
returns from oblivion returns
to find a voice:  

from the center of my life came
a great fountain, deep blue
shadows on azure seawater.

 上記は詩集The Wild Iris の巻頭の詩である。拙訳を付けておきました。

 

      野のあやめ

 私の苦しみの末には
一つのドアがあった。
 
よく聞いてね。 あなたが死と呼ぶものを
私は思い出している。

 上空に、ざわめき、松の枝の変化、
そして静寂。 ほのかな日差しが
乾いた地面にちらつく。

 意識として
暗い土に埋められて、
生き続けるのは、辛いことだ。

 そして、それは過ぎた。あなたが恐れるもの、
魂であること、話せ
ないことが、突然終わり、固い地面が
少し傾いた。そして、私が鳥だと
思っているものが、低い藪に飛び込んだ。

 あの世からの道を覚えていないあなたに、
私は言う:また話せるようになったと。何であれ
忘却から戻ってくるものは、
声を探しに戻ってくる。

 私の心の中から、やって来た
偉大なる泉、深く青い
影が空色の海面の上に。

  2021・1・24

 


グルックの詩集はPoems 1962-2012 (Los AngelesTimes Book Award: Poetry) をはじめ、多くの詩集があるが、私は彼女に深くコミットする余裕もないので、取り敢えず、代表作と思えるThe Wild Irisのドイツ語訳本を買った。これには、勿論原詩も付いている。
なぜ、独訳本を選んだかと言えば、ドイツ語の場合は、二人称は、親称(du),敬称(Sie)が有るうえ、名詞の性、格、数がはっきりしているし、動詞も英語より変化がはっきりしているからである。

グリュックの詩の難しいのは、代名詞が何を指すのか分からないことであることである。例えば、youは友達なのか、読者なのか、花など対象物なのか、神なのか、自分なのか? 単数なのか、複数なのか?主語、目的語、補語?

ドイツ語訳はUlrike Draesner。この人のグリュック解釈が翻訳に反映するのであるが、私はそれに依存しながら、英詩を読むことにする。


  
   2:読んで驚いたこと: The White Lilires

詩集を通読して驚いたことは、どれ一つとして、私の心にすっぽりと収まるような詩がなかったことである。ピュリッツァー賞、ノーベル賞と言えば、広くその価値が認められているはずである。私の英語力、鑑賞力に大きな欠陥があるのではないか?

詩集最後の詩を引用しておきます。

   The White Lilies     Louise Glück

As a man and woman make
a garden between them like
a bed of stars, here
they linger in the summer evening
and the evening turns
cold with their terror: it
could all end, it is capable
of devastation. All, all
can be lost, through scented air
the narrow columns
uselessly rising, and beyond,
a churning sea of poppies-

Hash, beloved,It does't matter to me
how many summers I live to return:
this one summer we entered eternity.
I felt your two hands
bury me to release its splendor.


   つづく
 2021・1・24
 








拙訳

白百合たち

男と女が
二人の間に、星座のような
庭を造るように、ここで
彼ら(白百合たち)は夏の夕暮れの中に留まってる。
そして暮れは、彼らのおそれる
寒さに変る。それは
総ての終りかも、
荒廃へ向かうかもという惧れ。総て、皆が
失われかも。香しい空気の中に
無駄なことに、狭い縦列になって立ち上がっている。その向こうには、
泡だつ海のようにポピーが ー

静に!愛しい人よ。何度夏を
迎えるかは問題じゃない。
このひと夏に私たちは永遠と出会った。
私は感じた。お前の二つの手が
その栄光を解き放つために私をすっぽり包んだことを。
   * * *
the narrow columns
your two hands    意味不明。
  
   3. 既視感 :SCILLA シラー草

グリュックの詩の何を言っているのか、私には、よく分からないものが殆どだが、2つの既視感があって、その一つはキャロルの『不思議の国のアリス』の最終章、裁判の場で、証拠として持ち出される詩である。
    
     They told me you had been to her,
         And mentioned me to him;
     She gave me a good character,
         But said I could not swim.   

このような連が6つ繋がって出来ている。代名詞が沢山出てきて、その関連が分からないので、結局、何のことか分からない詩なのである。 

    SCILLA     Louise Glück

Not I, you idiot, not self, but we, we - waves
of sky blue like
a critque of heaven: why
do you treasure your voice
when to be one thing
is to be next to nothing?
Why do you look up? To hear
an echo like the voice
of god? You are all the same to us,
solitary, standing above us, planning
your silly lives: you go
where you are sent, like all things,
where the wind plants you,
one or anthor of you forever
looking down and seeing some image
of water, and hearing what? Waves,
and waves, birds singing.

これはいかがでしょうか?
代名詞が何を指しているか分かりますか?
分からないが、何となく面白いと思ったら、グリュックの術にはまったことになります。

詩は翻訳できないと常々思っているのですが、理解の一つとして、右蘭に愚訳を付けておきます。
   2021・1・25
 
何処かの花屋のカタログ?から、シラ-草

    シラー草

私じゃないの、お馬鹿さんね、あなた自身でもないの、私たち、私たちのことなの ー 波打つ空が、
天の非難のように青い。なぜ
あなたは自分の声を珍重するの?
ある物であることは大したことではありません。。
なぜ、見つめるの?神の声のような
木魂を聞くために?あなたがたは皆私たちと同じ。
孤独で、私たちの上に立って、愚かな
生活を企てている。みなさん行ってください、
あなたがたの送られて来たところへ、皆同じです
風があなたがたを植えた所へ行くように。
あなたがたのだれかが何時までも
見下ろして、水の様を眺めている。
そして、何を聞いているの?打ち返す   
波の上で、鳥たちが歌っている。

  
   4.朝の祈り: MATINS

この詩集には54の詩が集められていますが、そのなかにMATINS(朝課または朝の祈り)というタイトルの詩が7つある。
その一つを掲げておきます。

     MATINS

Unreachable father, when we were first
exiled from heaven, you made
a replica, a place in one sense
differentf from heaven, being
designed to teach a lesson: otherwise
the same - beauty on either side, beauty
without alernative - Except
we didn't know what was the lesson. Left alone,
we exhausted each other. Years
of darkness followed: we took turns
working the garden, the first tears
filing our eyes as earth
misted with petals, some
dark red, some flesh colore -
We never thought of you
whom we were learning to worship.
We merely knew it wasn't human nature to love
only what returns love.


   2021・1・26
 



左記の詩の趣旨を散文的に訳しておきます。


  朝の祈り

天におられるお父様(神さま) 
私たちが天国からはじめて追放された時、あなたは
天国のレプリカを作りました。
その場所は、天国とはある意味では違っていて、一つのことを教えるためのものでした。そのほかは天国と同じです。どちらも美しい、かけがえのない美しさです。
ただ、私たちはその教えが何かを知らなかっただけなのです。
われわれだけになって、互いに消耗しあって、暗い月日が続きました。
交代で庭で働き、はじめて目に涙が溢れました。それは、花びらで地面が煙るような濃い赤や鮮やかな色でした。
あなたのことを思っていませんでしたが
あなたを敬うことを学びつつありました。
ほんの少し分かったことは、愛を返してくれるものだけを愛するのは人間の性に反すると。

  
   5 夕べの祈り  VESPERS

Vespers(夕べの祈り)というタイトルのは9篇あります。その一つはこんなものです。

   VESPERS  夕べの祈り

Even as you appeared to Moses, because
I need you, you appear to me, not
often, however. I live essentially
in darkness, You are perhaps training me to be
resposive to the slightest brightening. Or, like the poets,
are you stimulated by despair, does grief
move you reveal your nature? This afternoon,
in the physical world to which you cmmonly
contribute your silence, I climbed
the small hill above the wild blueberries, metaphysically

descending, as on all my walk; did I go deep enough

for you to pity, as you have sometimes pitied
others who suffer, favoring those
with theological gifts? As you anticipated,
I did not look up. So you came down to me:
at my feet, not the wax
leaves of the wild blueberry but your fiery self, a whole
pasture of fire, and beyond, the red sun neither falling not rising -
I was not a child; I could take advantage of illusions.


 



左記の詩の趣旨を散文的に訳しておきます。

  夕べの祈り

あなたは、モーゼのところに現れたように、
私が必要なら、私のところに現れてくださいます。
しばしばではありませんが。私はもともと根暗い人間です。
ひょっとしたら、あなたはわたしがちょっとした光明にも反応できるよう鍛えておられるのかもしれません。あるいは、詩人たちがそうであるように、絶望に刺激されれておられるのですか?悲しによって自分の本性を現わされているのですか? 今日の午後
あなたがあまねく静寂を与えておられる物質世界で、私は
野生のブルベーリー上の小さな丘に登りました。形而上学的には

歩きながらずっと、降って行ったのです。随分深く

あなたが憐れむほど私は行きましたか?あなたが悩める人を時々憐れんで、神学的な贈り物を授ける時のように。 あなたの予想のとおり、私はあなたを敬いませんでした。それであなたは私の所に降りてこられたのです。
私の足元には、野生のブルーベリーのつややかな葉ではなく、燃えるようなあなた自身、火となった全牧場です。そして、向こうには、真っ赤な太陽が、沈みもせず、登りもせず・・・
私は子供でありません。この幻影を役立てることがで出来ました。

  
   6. 自然観照

彼女の詩を読んでいるうちに少し分かってきたことは次のようなことです。
  彼女は若い頃、拒食症で休学しており、心身とも大きなスランプを経験したと想像されます。Aprilという詩の冒頭は
 No one's despair is like my despair -   で始めています。
私は彼女の詩の多くは、死、挫折、絶望、苦しみ・・・といったものからの、蘇生、復活、回復、覚醒を詠っているように思うのです。
 At the end of my suffering/ there was a door.のdoorはその回復のための扉であって、その扉とは、自然との交流、アイリス、ユリ、菫、・・・などの自然の観照、観入によるものと思います。そして祈り・・・
  このように見ると、彼女の詩が少し身近に感じるようになりました。

写真は自然教育園にて、2020年12月

【ここで、このページを中断します。現役の詩人の詩を余り多く引用すると著作権に触れる惧れを感じるからです。何時か、ご本人のご了解をえて、書き続けることがあるかかもしれませんが・・・】



2021・1・28