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Dガーディアン〜夢守りの民〜
.閉ざされた結界砕かれた心、
              ガラス細工の少女
『硝子−しょうこ−

 

 

 2

   PM 1:00
 
 横浜の駅をスタートし球場を過ぎ、中華街を横目に臨と綾女は硝子を求めて横浜の街を歩いていた。
 二人は、鈴木と書かれた表札の家の前にいた。
 鈴木夫人は突然の来訪者を出迎えることになった。
「夢祭……いえ、鈴木硝子様のお宅はこちらでしょうか? 私は夢守臨」
「私は、夢紡綾女と申します。」
 その風体にいささか怪しんだものの、丁寧な物腰に、鈴木夫人は二人を家の中へと招き入れた。
「それで、いったいどういう御用件でしょうか」
 勧められたお茶を手に持って、綾女はしばし考慮していた。
「はい。どこからお話すればよいのでしょうか……」
 順を追って説明しようとする綾女よりも先に、臨が単刀直入に切り出した。
「硝子様に危険が迫っているのです。硝子様は今、どちらに?!」
「危険? どうしてですか、うちの硝子はただの中学生ですよ」
「硝子様は普通の方とは違うはずです。現に夢魔は夢守りの民の末裔を次々と……」
 臨が高揚しつつ話すのを、綾女がそっと遮った。
「近頃、未成年者による悲しい事件が多いと思われませんか?」
 綾女は喉を潤してから再び続けた。
「もし、今、巷で起きている悲惨な事件の陰にある存在が関与していて、それに硝子さんが狙われていると言えばよろしいでしょうか」
「硝子様はその存在に狙われている一族、夢守りの民の一人なのです」
「お母様には辛い事をお尋ねいたしますが、硝子さんはこちらの本当のお子さんでは……」
 ゆっくりと丁寧に語る綾女の言葉に、鈴木夫人の顔から血の気が引いた。
「私たちは硝子様をお迎えにあがりました。硝子様は、夢守りの民の末裔で」
 綾女にしたのと同じように、臨は夢守りの民のことを話した。
 だが、鈴木夫人の耳には入っていなかった。
「……と言う訳なのです。こうしている間にもどこから夢魔が狙っているかわかりません」
「私たちは硝子さんを迎えに来たのです。手後れにならないうちに……」
 綾女の言葉をさえぎって、鈴木夫人は立ち上がった。
「帰って! 帰って下さい。硝子ちゃんはうちの子です。私がお腹を痛めた子です!」
「残念ですが、あなたでは硝子様をお守りすることができません」
 臨の言葉に母親の顔は昂揚して赤くなった。
 立ち上がって声を荒くすると、わなわなと玄関を指さした。
「帰って下さい! それから、一切うちの娘に変な事を言わないで!!」
 肩を震わせて唇を噛む姿を見て、臨たちは素直に引き下がった。
「わかりました。硝子さんはご存知ないのですね、ご安心下さい秘密は守ります」
 去り際に一言だけ残し、丁寧にお辞儀をして立ち去った。
 そんな姿に目もくれず、鈴木夫人はその場にしゃがみ込んだ。
 しばらく放心した後、鈴木氏へ電話を入れた。
「もしもし、パパ。お願い早く帰って来て! 硝子ちゃんが、硝子ちゃんが……」

 家を追い出された2人は、子を想う母親の気持ちを考えると憂鬱になった。
「すみません、私が先走ったばかりに……」
「臨さん……」
「承知しております、綾女様。このままでは硝子様の身が危ない事は確かです」
 沈んでいた二人の前に、すぅ〜っと紙飛行機が横切った。
 拾い上げた綾女がその中に書かれたメッセージを読んだ。
 そこには硝子の通う中学校が記されていた。
 京都で臨を綾女のもとへと導いた紙飛行機と同じ物だ。
 それを瞬時に悟った臨は紙飛行機の描いた軌跡をたどった先にいた少年に声をかけた。
「この紙飛行機……。キミは?」
 そこにいたのはまだ幼い、いかにも小学生という感じの少年がいた。
「ぼくは吉予夢(きっちょむ)。お二人と同じ夢守りの民の者です」
「夢守りの民? ……男?」
「はい。でも夢守りの民とは言え、男には表立って戦えるほどの力はありません」
 臨に対して、それは知っていますよねという感じで話した。
「もちろん、御館様ほどの人であれば別ですよ。臨さま」
 と吉予夢くんは微笑んだ。
 夢守りの民の男は『夢入りの法』さえ使えず、人の夢に入ることもできない。
 御館様も男なので、夢入り法を使って夢に入ることはできなかった。
 しかし剣術は一流の腕前であり、夢守二天流の伝承者であった。
 臨は剣術を御館様に、術法は刀自様に伝授されたのだった。
「でも、ぼくには見えました。臨さまが綾女さまとお会いする夢、そして硝子さまや沙羅さま、望さまと合流できる夢を!」
「沙羅? 望? 吉予夢、それは夢守りの民の生き残りか?」
「そうです。『今はまだ』5人の夢守りの民が集う姿を予知夢として見られます。しかし、急がないと」
「吉予夢さんは未来のことを夢で予知する力をお持ちなのですね」
「はい、綾女さま。ぼくは寿限夢さんの勅命を受けて、お二人を補佐するように言われました」
 寿限夢は京都で綾女を見守っていてくれた老人で、彼もまた吉予夢同様、夢守りの民であった。
「残念ですが、ぼくでは夢魔と戦うことはできません。しかし、後方支援ならできます」
「それで、私達に硝子さんの学校を調べて教えてくれたのですか。ありがとう吉予夢さん」
 綾女に礼を言われて、吉予夢は頭を掻いて照れた。
「申し訳ありません、この地でぼくがお手伝いできるのはここまでです」
「いや構わない、硝子様の情報をくれただけでありがたい。私からもお礼をいう、吉予夢殿」
「一足先に沙羅さまの情報を集めておきます、お二人とも、お気をつけて!」
 ぺこりと一礼すると、吉予夢少年は北へと姿を消した。
 2人は、自分達にはまだ仲間がいる事を知って、心強く思った。
 そして吉予夢の情報を胸に、硝子を求めて再び歩き出した。

   PM 4:00

 授業を終え、仲良し三人組は教室から移動しながらおしゃべりをしていた。
「硝子、今日はどっち? テニス部?」
「え? 今日は水泳部! 大会近いから」
「さすがは水泳部の強〜い助っ人ね。がんばってね」
「ありがとう。うん、がんばるよ」
 テニス部に籍を置く硝子だが、水泳の才能を見込まれ、顧問に勧誘された。
 初めは断っていた硝子だが、熱心な勧めもあって夏の期間だけ水泳部の臨時部員となっていた。
 そして、水泳部に来る理由の一つ……
 プールからはサッカー部の練習がよく見えた。
 硝子は学校指定のスクール水着に着替えて、準備運動を済ませると、さっそくタイムを計った。
「お、鈴木! 今日は絶好調じゃないか」
「ハイ、絶好調です、先生。がんばりま〜す!!」
 普段から笑顔を絶やさない硝子だが、今日はさらに笑顔に磨きがかかっているように思えた。
 小柄な姿に似合わず、水の中を滑るように硝子は水しぶきを上げて泳いでいた。
 まるで『鈴木硝子』という少女の内にあるガラス細工がキラキラ光っているようだった。
 バスタオルで濡れた身体を拭いて、休憩をしていると、瑠璃が硝子に話し掛けた。
「ね、硝子! これなら、今日はできるんじゃない?」
「え? 何を?」
「またぁとぼけて。大好きな先輩に告白だよ! こ・く・は・く!」
 告白という言葉に硝子の中の熱が、一気にほっぺたに集まったような気がした。
「ホラホラ、遠くから見つめてるだけなんて 流行んないゾ」
 ひざをぎゅっと抱きしめて体育座りしても、横から見れば顔が真っ赤になっているのがわかった。
「い、いいよ、別にそういうんじゃないもん」
 必死に隠そうとする態度は 充分、`そういうの'であることを示していた。
「(先輩……センパイ……)」
 さっきまでの浮かれモードから、「告白」という具体的な行動を考えて冷静になった。
「手紙にすればいいじゃない。硝子」
「あ! そ、そうだね。うん、手紙にしようかな」
 本当はずっと、自分の想いを書いた手紙を持っていた。
 ただ、ずっと渡すことができなくて、それは夢の中でさえ渡しそびれていた。
 お膳立てをしてくれる友達は、部活が終わった後に作戦の決行を告げた。

   PM 5:00

「硝子は……私たちの大事な娘だ。どこの誰だろうと、渡しはしない」
 その夫婦は、じっと黙ったままうつむいていた。
 昨日と同じ今日があり、今日と変わらない明日が来ると信じていた。
 娘を持つ親はいつか子どもが巣立つ日がくると知っている。
 しかし……いまさら大切な娘を奪われることはどうしても我慢がならなかった。
 鈴木夫人からの電話を受け、鈴木氏は職場から早退していた。
 鈴木夫人は、今から14年前のあの日を回想していた。
 ようやく授かった赤ちゃん。それが悲しい顛末でこの世に生を受ける前に消えた……。
 失意の二人の前に現れた、生まれたばかりの赤ん坊を見つけたこと……。
 生まれ変わりか。それとも天が不憫に思った夫婦に授けてくれたのか。
 それからの14年、一度だって、硝子を捨て子だなどと思った事はなかった。
 硝子は自分達の大切な一人娘……。
 その娘の所縁の存在が現れたのだ。
 明かりも点けない家の中、不安におののく夫妻。
 それを、陰から狙う存在がいた。
 声なき声が夫婦に囁く……

―――しかし、硝子とは血が繋がっていない事は事実。
―――いつかどこかの誰かが娘をさらいに来るかもしれない
―――事実、来たじゃないか、娘を取り戻しに、今日、女が……
 知られてはいけない……硝子にだけは
―――言うだろうさ、あの二人は娘をお前たちから引き離すために、本当の親子でないと……
―――渡していいのか? 大事な娘を
 渡しはしない……。
―――誰かに取られるくらいなら
 取られるくらいなら……
―――そうだ取られるくらいなら、いっそ……。
 取られるくらいなら、いっそ……。いっそ……。
 二人の身体に暗黒のオーラが取り巻いた。
 心の奥底にある、不安と恐怖。それを触発し、増殖させて、付け込む輩。
 夢魔。
 本来ならば、人の見る夢に取り憑いて、悪夢を見せ苦しめる邪悪な意識体。
 しかし、敵は初めから二人を狙っていた。
 付け入る隙が見つければ、後は不安や恐れを増幅して、定着してしまえばいい。
 夫婦は、心の隙を付かれた……。
 二人は、すっくと立ち上がると、そのまま夜に向かう街の中にまぎれていった。

   PM 6:00

 サッカー部の練習が終わる時間も知っている。
 友達と別れて、先輩が一人になる場所も知っている。
 恋する女の子は何でも知りたがり。好きな人の事ならなんでも。
 住所、電話番号、生年月日、好きな色から好きなものまで。
 そして、女の子の友情は強い。
 友達が好きな人の情報ならできる限り提供してくれる。
「ほら! 硝子、先輩一人になったよ」
 スパイのように物陰から、3人の少女が意中の先輩を尾行していた。
「えっと、あの……、やっぱり明日にしよう。ね、ほら、今日暑いし」
 くるっときびすを返して帰ろうとする硝子。
「何言ってんの、明日だって暑いし、雨が降ったらそれを理由に伸ばすでしょ」
「ううぅ〜、セっちゃんのいじわるぅ〜」
 硝子は鞄を胸の前でぎゅっと抱きしめて躊躇した。
「大丈夫! 今日の運勢、大ラッキーだよ とっても」
 愛読している占い雑誌を広げて、応援する瑠璃ちゃん。
「瑠璃ちゃんまで〜 あうぅ〜」
 親友二人の後押しを受けて、硝子は徐々に意を決した。
「うん、行って来る!!」
「がんばれ 硝子!」
 相手はまだ自分の後ろで後輩の女の子三人が騒いでいることに気が付かない。
「あ、あの せんぱ……」
 後ろから声をかけようとして……
「こら、硝子、こんなところでそんな小さな声で言ってもわかんないでしょ!」
 もじもじとうつむきながら小声でつぶやいていた硝子の背中をどんと押した。
 すると、硝子は反動で少しづつ駆け出した。
 心臓がどんどん早くなる。
 ドキドキドキドキ。
 そして気が付くと硝子は走って追いついて、そして……
 そのまま先輩を追い越していた。
 さらに、決してスピードを緩めることなく、全力疾走で逃げ出してしまった。
「もう! 硝子ったら!! 待ってよ〜!」
 怪訝そうな顔で首を傾げる先輩に軽く会釈をして親友たちは硝子の後を追った。
 学校と家の通学路の途中、住宅街の中までやってきて、硝子はようやくスピードを落とした。
 その時、前から日傘を差した人が寄ってきた。
「あの、もしやあなたは硝子さんでしょうか?」
 息を整えていた硝子は、着物姿の見知らぬお姉さんに声を掛けられた。
「はぁ、はぁ、はい……そう、ですけど……」
「硝子様、誰かに追われているのですか?」
 着物の女性の隣にいた、もう一人のお姉さんが真剣な顔で聞いてきた。
「いえ、そういう訳じゃないですけど、ちょっと……」
 その答えを聞いて、安堵する綾女と臨。
 ポニーテールの鈴がリンと鳴った。
 二人のお姉さんに見つめられて、硝子は気恥ずかしいような気がした。
 それでいて、どこか懐かしい感覚がした。
「どうして硝子を知っているんですか。親戚にこんなお姉さんいたかなぁ?」
 硝子が不思議そうにしている陰で、臨と綾女は相談した。
「やっとお会いできましたね、臨さん。どうしますか?」
「とりあえず、夢魔が硝子様を襲うかもしれません。覚醒だけは果たしていなければ危険です」
 打ち合わせを終えると、100%の笑顔を添えて、綾女が硝子に向き直った。
「私は夢紡綾女と申します。お手間は取らせません。ちょっとだけ、失礼します」
 熱をはかるように硝子の額に手を添えて、綾女は真名を告げた。
「ユメマツリ…ゆめまつり…しょうこ。夢祭硝子」
 綾女自身も受けた、覚醒の手順だ。
 しかし
「? あのぉ〜 硝子、急ぎますから」
 おでこがむずむずするような感じを受けながら硝子は走った。
「どう言うことでしょうか、綾女様?」
「私自身がまだ、完全に解封の能力を発揮できていないのかもしれません」
 走り去る硝子を追う事もできず、二人はただ後ろ姿を見送った。

PM 7:00

 綾女たちと別れて、硝子はとぼとぼと家に帰りついた。
「あぁーあ、今日も渡せなかった。チャンスだったのに……」
 ずっと前から持っているのにどうしても最後の最後で弱虫の硝子が出てきてしまう。
「ただいまぁ……」
 家に帰ると明かりも付いておらず、誰もいなかった。
「? ママ? どうしたのかな」
 気にはなったが、今は落ち込んでいた硝子には、それ以上考えられなかった。
 部屋に入ると制服が皺になるのも気にせず、硝子はごろんとベッドに横たわった。
「はぁーあ。先輩……」
 小さく写る先輩の写真を取り出してぼんやりと見つめた。
「先輩は、こんな勇気のない子は嫌いだろうなぁ」
 もっと硝子に勇気があったら……
 精神的な疲労と、柔らかいベッドが硝子のまぶたを重くして、そのまま眠りについていた。

*  *  *  *  *  *

 夢の中。硝子は学校のプールにいた。
 見ると競泳用スクール水着とは違う、前に何かの雑誌で見たかわいい水着姿だった。
「あれ? どうして?? クスッ まぁいいか、泳いじゃおう」
 競泳とは違い、水と戯れるように泳ぐ。
 すると一人しかいなかった世界に先輩が登場した。
「先輩!?」
 爽やかな笑顔でゆっくり近づいてくる。
「キミ、鈴木硝子だろう」
「え? どうして硝子の名前を?」
「知ってるさ、有名だから。テニス部だけど水泳部に助っ人として参加してる」
 さらに近づいて、プールサイドまでやってきた。
「……それにたまに水泳部の練習って見えるから」
 硝子がサッカー部を見ているという事は、サッカー部の方からも見えていたということ。
 恥ずかしい、水着を先輩に見られていることがとっても恥ずかしくなっていた。
「硝子。その水着、かわいいね」
 ストレートな誉め言葉に硝子は水の中に沈んでブクブクと、言葉を泡に変えた。
「俺も泳いじゃおうかな」
「え、ええ。でも水着が」
「そんなのなくてもかまわないさ」
 シャツを脱ぎ捨てると、目の前にスポーツマンの男らしい厚い胸板。
 それだけでも、目のやり場に困るのに、先輩は続けてズボンに手をかけた。
「(やぁぁん、どうしてこんなえっちな夢…)」
 顔を手で隠して、後ろを向いている硝子に、背後から先輩は抱きついてきた。
 いや、抱きつこうとしたところに、背後から強烈な視線を感じ、先輩は振り返った。
 すると、夢の中のプールから、はるか遠くにあるはずの校舎の上にその視線の主はいた。
 リリン
 夢の世界に静かに響く鈴の音。
 次第に世界がゆっくりと崩壊しはじめていた。
 この夢を見ている硝子が目覚めはじめているのだった。
 夢が覚めると世界も、夢の硝子も、先輩もみんな消えていく。
 臨も完全に目覚める前に硝子の夢から脱出した。
「あの男は、ただの夢の登場人物か、それとも……」

*  *  *  *  *  *

 臨は少し離れた公園のベンチに座って、硝子の夢の中へと入っていた。
「大丈夫ですか? 臨さん」
「はい、硝子様が目を覚まされたようです」
 気が付いたら、臨は綾女に膝枕されていた。
「行きましょう、綾女様、何か嫌な予感がします」
 立ち上がりかけたその時、
「ねぇ 君、芸能界とか興味ない?」
 趣味の悪いネクタイをした男が臨たちの前に立ち、声をかけてきた。
「ああ、大丈夫、大丈夫。怪しくないから」
 いかにも怪しい男が名刺を手にしながら近づいた。
「ぼかぁ、こういうもので、君を見たときにびびっときちゃったんだよなぁ」
 徹底して臨にだけ話し掛けていた。
「君ならすぐにアイドルデビューできるよ。良かったらちょっとうちの事務所で話だけでも聞いてみない」
 半ば無理やりに引こうとする男の腕をぴしゃりと遮った。
「お前は夢魔か?」
 臨が突き刺すような視線でぐっと男を見た。
 言い訳を思いつかない様子の、スカウトマンに取りついていた夢魔はすぐさま本性をあらわした。
「うぉぉん、いいのぉん、きききみのその未発達な身体がいいんだよ」
「……み、はったつ……」
 臨の顔が少し上気してきたようだ。
「かわゆいよ、お嬢ちゃん、まだ中学生くらいかな」
 気のせいか、臨の髪が少し静電気を帯びたように逆立ったように見えた。
「くんくん、ミルクの香りがしそうな」
 気持ち悪い顔をして鼻を鳴らして臨の匂いを嗅ぎ取ろうとしていた。
「私はそんな香りはしない」
「男を知らない乙女の香り☆」
 この奇怪な男の言動に綾女はどうしていいのかわからず、おろおろとしていた。
「……あの……」
「……ふんっ、そんな手足の伸び切った女に興味はない」
 綾女に一瞥すると、目尻を下げて再び臨に向き直った。
「可愛〜い。おいしそうな若い肢体。そのちっちゃな胸がたまらん! ほ〜らもっとよく見せて」
「……綾女様、ちょっとの間、向こうを向いて耳を塞いでいて下さい」
「はい」
 綾女は言われるままに向こうを向いた。
 次の瞬間、耳を塞いでも聞こえてくる激しい連打、連撃を聞きながら綾女は思った。
「(口は災いの元……ということでしょうか)」
 刀も、術法も一切使わずに、臨は夢魔を一匹葬り去った。


   PM 9:00

 うたたねから目を覚ました時、辺りはもう真っ暗だった。
 硝子がリビングへ降りる。
「……ママ? パパ?」
 誰もいない……。
 キッチンにも、どこにも、夕食の準備すらない。
 今まで、こんなことはなかった。
 書置きがあるわけでもない。
 父親の仕事場へ連絡したが、誰も出なかった。
「…………」
 一人だけの家というのがこんなにも、広く寂しいのだと硝子は感じていた。
 言い様もない不安にかられ、硝子は制服のまま、外へ飛び出した。
「パパー? ママー」
 父親の通うバス停まで駆けて行き、さらに、近所を走った。
 蒸し暑い夏の夜の風が硝子にまとわりついた。
「……いない……どこ……」
 幼い頃、迷子になった時のように、硝子は心細くて、泣出しそうだった。
 心当たりを全て回ってから、硝子が家に戻ると、明かりが点いていた。
 それはまるで灯台の明かりのように思えた。
 硝子の帰るべき家に明かりがついている。
 駆け込んでリビングに行くと、両親は向かい合って座っていた。
「あれ? 二人とも帰ってたんだ。よかったぁ。どこに行っていたの?」
 探していた両親が見つかって、硝子はホッとした。
 しかし硝子の問いかけに二人は答えなかった。
「……」
「……」
「どうしたの?」
 二人とも向き合ったままで、硝子に一度も顔を向けず、無表情で話だした。
「硝子ちゃん 赤い靴が欲しいっていってたよね」
「え! う、うん。買ってくれるの?」
「さぁ、開けてごらん」
 テーブルの上に置かれた箱の蓋を硝子は言われるままに開けて、中身を見た。
「なんだぁ〜。普通の白いシューズぅ」
 特に期待をしていた訳ではないが中には白のシューズしか入っていなかった。
 でも今は両親がいてくれることの方が硝子には嬉しかった。
「ほら、よく見てごらん」
 と、言ったかと思うと、硝子の目の前で信じられないような光景が展開した。
 ブシュッ
 父親が自らの腕にナイフを突き立てたのだ。
 ぽたぽたと鮮血が白いシューズを赤く染めた。
「ひっ! や、やめて! どうしたの? ママ! パパが! パパが!」
「硝子が ほほ欲しがった ああ赤い靴だよ、ほらもう一方も」
 ザクッ
 振り返ると母親が同じように包丁を自分に突き立ててシューズに血を垂らした。
「やめてやめて! 硝子、赤い靴なんていらない」
「そんな、硝子が欲しがったから パパもママも……」
「ほ他に欲しい物はないかい? 硝子のためなら何だって用意するよ」
「そうそう、硝子ちゃんはかわいい私たちの娘だもの」
「いらない! 硝子、何もいらない。だから、ね、二人とも急いで病院行こう」
「履いてくれなきゃ……履いてくれなきゃ」
 硝子は急いでその血染めのシューズを履いた。
「ほら、履いたよ! ありがとう。だからお願い!」
「そうそう、思い出した! 硝子ちゃん、好きな先輩がいるって言ってたわね」
「何? ううん、パパは許さないぞ〜」
 ぴくりとも表情を変えずに会話している二人に、硝子はますます恐怖した。
「まあまあ、パパ。硝子ちゃんだってもう子どもじゃないんですから」
「そ、そうだな。」
「実は、硝子ちゃんを喜ばせようと思って、用意しておいたの」
 戸棚を開けると両手、両足を縛られ、猿ぐつわをされた先輩が転がった。
「せ、先輩!? ま、ママ 一体どうしてこんなことを!」
「決まってるじゃない、硝子ちゃんのためにその先輩を連れて来たのよ」
 恐怖。母親の瞳には尋常でない光が宿っていた。
 硝子は、ともかく先輩の戒めを解いた。
「どうなっているんだ? これは」
「ご、ごめんなさい、先輩。なんだかパパとママがおかしいの。様子がヘンなの」
「なんてわがままな子だ! こんなにもお前のためにしてやっているのに」
 急に不機嫌になった父親のめったに聞かない怒鳴り声に硝子はビクっと震えた。
「本当はパパ、そんな男と付き合うのは反対なんだ」
「あらあら、パパったら ふふふ」
「そうだ、硝子をたぶらかす男なんて生かしておけない」
「あらあら、パパったら ふふふ」
 さらに狂気に満ちた笑いを浮かべる母親がいた。
「さぁ早く先輩さんをこっちへ連れて来て下さいな」
 母親がキッチンに向かって一歩進むと、
「今日の晩ご飯は硝子の好きな先輩にしましょう」
 包丁を片手にニタリと笑うその顔は、優しかった母親とはまるで別人だった。
「やめて! ママ、どうしたの」
「あらあら。じゃ、硝子ちゃんのお友達も先輩と一緒に煮込んであげましょう」
 硝子の背筋に戦慄が走った。
「先輩、逃げて!」
 生命の危険を感じた硝子は、素早く家を飛び出していた。
「こっちだ! 鈴木」
 振り返ると、不気味な両親が後ろを追いかけてきた。
 闇雲に走っていた硝子が後ろを振り返ると、まだ遠くに両親の姿が見えた。
「どうしよう……どうしよう……」
 捕まったら、本当に包丁で料理しかねない常軌を逸した両親の言動。
 硝子は先輩に手を引かれて夜の町を逃げた。
 夜はまだ始まったばかり……。
 夢魔に取り憑かれた両親に狙われた硝子を、闇はただ取り巻くだけだった。
 外は蒸し暑い熱帯夜だった。

 下級夢魔を倒した臨たちが駆けつけた時、硝子の家は静まり返っていた。
 開け放たれた玄関を見て、臨は自分のうかつさを悔やんだ。
「あんな下級夢魔を相手にしていないですぐさま駆けつけるべきだった」
 弾かれたように硝子の家の中に入った臨は、中のただならぬ状態を察知した。
 予感は確証に変わった。
 血痕の残るテーブル。戒めのロープ、そしてもぬけの殻の家。
「しまった。硝子様が危ない」
「探しましょう。まだ近くにいるはずです」
 臨たちは夜の町なかへ、硝子を求めて駆け出した。


 

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