星に願いを
ジンクス。お約束。
それは何気ないことへの意外な意味付け。有意性の発見であり発明である。
そしてロマンチックなジンクスは、いつの時代も生まれ続ける。人々が訪れる新しい場所ごとに、様々なものごとに。
しかして最近のはやりは、なんと言っても「超新星の三度詣で」だそうだ。
名門ツァルト修道荘で共に学ぶ、マソナとカミーユは十六歳である。
占いやおまじないには目がない。
「つまり、宇宙機で飛んでいって、超新星の出をまず一回拝むのね」
マソナが黒い髪をかき上げながら言った。
柔らかい絹で作られた長いケープがさらさらとよい音をたてた。
「超新星の出? 超新星ってなによ」
カードをめくるのに夢中になりながら、カミーユが聞いた。彼女は真っ白な髪に、赤みがかった瞳を持つ。エゲリスのお茶会にでも招待されそうな、トラッドなドレスと靴を身につけていた。
「勉強しなさいよ。大きな星は最期に大爆発しちゃうのよ。それを超新星って言うの」
「ふうん、それで」
「だから、超新星になる前の星って、けっこうふつうの星なの」
「あっ、見っけ」
カミーユは白く長い髪の先を光にかざして、枝毛を調べていた。
「聞きなさいよ。それが超新星になったとたん、パアッて、大きくきれいになっちゃうわけよね。それを超新星の出っていうの」
「それ本当に利くの?」
マソナは自信ありげに、ポンッと手にした雑誌を叩いた。
「きっとね。まず一回拝むでしょ、それから超新星の出を宇宙機でちょっと追い越して、拝むの。飛行機から見る日の出といっしょね。何回でも見れるわけでしょう?」
「ふうん」
「これを二回やって、全部でとにかく三回拝んで、願い事を言えばいいんだって」
「ちょっと、おもしろそうね。宇宙機は?」
と、カミーユ。
「私の愛するギャツビーがいるわ」
ぽっ、頬をそめながらマソナは言った。
ギャツビーは、彼女が十三歳の誕生日に買ってもらったパーソナル宇宙機である。
意志をもつギャツビーは、彼女にとって恋人以上の存在だった。
彼女の悩みもエッチな相談も、日記すら知らないあれもこれも、ギャツビーはみんな知っていた。
出発に準備はほとんどいらない。次の週末に、ふたりは出発していた。もよりの超新星の情報はギャツビーが調べてくれていた。
ふたりは、新調したエレッセとミズノの宇宙服を自慢しあっていればよかった。カミーユのひざのうえには、『総力特集!超新星三度詣で』と、派手なタイトルが表紙の半分をおおう女性雑誌がのっていた。
「ツクハ観光のバスを確認したわ。私達の前方にいるわね。観光会社が眼をつけるくらいだから、きっとここは穴場なのね」
くすくすと笑いながらカミーユは言った。
「この広いところで穴場もなにも。ホームランボールが飛んでくるわけじゃないんだけど」
ちょっとあきれてマソナが言った。
「い、いいじゃない。コンサートじゃ、いっつも苦労してるんだから」
「あなたもパパに宇宙機買ってもらったら」
マソナは、にっこりと舌を出した。
そこに、くぱん、と音をたててカミーユのアッパーが命中した。
「…………!」
思いきり舌を噛んだマソナは、コンソールに乗っていたパイティ茶を缶ごと投げつけた。 カミーユがケーキをわしづかみにした瞬間、ギャツビーが渋いバリトンを響かせた。
「なにをやっているんですか。私を汚さないでください。そのケーキを投げたら、外に放り出しますよ」
「……くっ」
ふたりは妙な姿勢のまま、動きを凍りつかせた。ギャツビーには逆らえない。
「だってーっ、先にカミーユが」
「ずるい! なによ……」
「ああっ、うるさい。ほら、警告します。お楽しみの超新星の前線が近づいています。席についてください。あぶないですよ」
ふたりは宇宙服をつかみ、脱出機めざして走りだした。
ギャツビーのコクピットは機体の中央にあり、外を直接見ることができない。機外に固定された脱出機の透明キャノピーから、肉眼で見物しようというのだ。
ふたりは先を争って席に駆けこんだ。
「ちょっと、静かにすわってよ。ギャツビーはデリケートなんだから」と、マソナ。
「あたしんじゃないもん」
ぎゃあぎゃあ言いながらも、ふたりは必要な操作をこなしていった。
「あと、十秒で光がとどくわ。ツクハ観光のバスでは、もう光を拝んでいるところね。うふふっ、どきどきしちゃうわ」
と、カミーユ。
「光がきます」
ギャツビーが告げた。
ふたりはまさぐるように指をのばし、お互いの手を握りあった。小刻みにふるえるその手はお互いさまだ。期待と興奮で全身が心臓のようにどきどきしていた。
それは突然やってきた。前触れもなにもない。突然のクライマックスである。
バァン! と、光と音の衝撃が真正面から襲ってきた。
ふたりの身体は吹き飛ばされてベンチに張り付いた。
「うひゃーー!」
カミーユがすっとんきょうな声をあげた。焼きつくされるようなイメージのなか、悲鳴さえまわりに伝わらない。
「きれい、きれい! なんなの、これ!」
マソナがジェットコースターシャウトで歓声をあげた。コクピットは、可視域全ての光の乱舞に満たされた。
パレットをひっくりかえしたように、あらゆる色が入り乱れ、それでも白にはならず、まぶしく華麗にふたりを染め上げた。
もちろん、本当は物理的なショックなどない。しかしそんな錯覚がオーバーでもなく実感された。
「ホーリー!」
ふたりは飛びあがるように抱きあった。「ツクハ観光のバスがジャンプしました。現状のコースを維持しつつ、トレスします」
ギャツビーが告げた。
「よろしく。愛してるわ」
マソナは、はしゃぎながら言った。
人はなにもしない。これが今風の宇宙機の操縦というものだ。
ジャンプは一瞬にして終った。バスとの距離はさっきと同じ。二機は約一光分だけ、光の前線から遠のいた。
まるでスイッチを切ったように、超新星の光は消えていた。
「ねえ、マソナ。なに、お願いするの?」
すっかり興奮したカミーユは、頬を上気させて聞いた。
「うーん、迷ってるわ。もう、決めた?」
「ずるい。でも、ふふふっ、聞いて。宝くじでしょう。ゴージャスな彼氏でしょう」
「ゴージャスな彼氏?」
「それから、私の子供は、すごくかっこいい天才に生まれますように」
「なあに、それ」
と、けげんそうにマソナ。
「だって、子供のことで老けこみたくないわ」
「……十六歳の女の子の言うことじゃないわ」「当然よ。感心した?」
「あきれたわ」
ふたりは声をたてて笑った。
「マソナ。話の途中で失礼します」
ギャツビーが言った。
「衝撃波の第一波がバスに到達したのですが、そこで、バスを見失いました。事故が発生した模様です。我々にも退避行動を取る時間がありません。詳細は不明ですが、結界の保持に全力を上げます。危険ですから機内にもどってください」
「……はは、はぁ」
マソナは、まだ笑いをこびりつかせた口元で間抜けな返事をした。すごいことを淡々と告げられて、理解がついていけなかった。
「……な、なんですってぇ!」
「衝撃波が到達します」
ふたりの悲鳴は、さっきとはまったく違う凶悪な衝撃にかき消された。
猛烈な勢いで拡散しつつある超新星の絶叫が二重に展開された結界にさく裂したのだ。結界をすり抜けてくる膨大なエネルギーに機体は激しく翻弄された。
きゅ、きぃきぃーー……
構造材が不吉な悲鳴をあげてきしんだ。
「いたい! いた、いたたっ! なに?」
突然カミーユが顔をおさえて悲鳴をあげた。虫でも追い払うように両手をふりまわして。
「えっ?」
マソナは何が起きたのかわからず、外とカミーユを見比べた。
その顔に、小さく柔らかいものが大量にぶつかってきた。視界が瞬間に奪われた。
なにが、と考えるまもなく、すさまじい量のなにかが、前からおしよせてきた。
「ぶ、ぷふぁっ!」
襲ってきたのと同じ唐突さで、それは止まった。空気を求めて激しくあえいだため、ゆたかな黒髪がヘルメットから半分以上もはみだしていた。
胸をかきむしったその手の上に、はらはらと鮮やかな色の小片が落ちてきた。
「ちょ、ちょっと……なによ、それ」
カミーユが驚きの表情を浮かべて、あとずさった。マソナの髪からはらはらと落ちてくる花びらのようなそれは、あまりにも美しく、この場にそぐわなかった。
「……なに……言ってるのよ。カミーユこそ、その顔。緑や黒のぶつぶつつけて。む、虫じゃないの? どこから出したのよ!」
マソナも負けずに大声で言いかえした。
さきにパニックになった者の勝ちだ。しかし、超新星は逃避すら許してくれなかった。
「きゃああっ!」
カミーユが悲鳴をあげた。
赤いなにかが無数に飛んできて、彼女の全身で砕け飛び散った。
果汁、果肉とはっきりわかる破片が、すごいいきおいで後方に飛んでいった。
「カ、カミーユ!」
マソナははっきり見た。そのなにかーーたぶん、トマトのようなものーーは、キャノピーをつきぬけて飛びこんできた。
いや、高分子製の強化キャノピーは破れていない。
涌いて出た……のだ。
「衝撃波の第一波が通過しました。続いて第二波が来ます。衝撃に備えてください」
ギャツビーが淡々と告げた。
「ギ、ギャツビー。なんなのよ、これ。どうなってるの? なんとかしてよ」
マソナはひきつって叫んだ。
「理解しかねています。無事、帰れたらドキュメントでも書きましょう。一山あてることができるかもしれません」
「なに、言ってんのよー! ばかぁ!」
「第二波がきます」
「マソナ! たすけて!」
カミーユは悲鳴をあげて、マソナの手を握りしめた。
野菜の襲撃に備えて堅くまぶたをつぶり、顔を伏せた。
しかし、今度はいつまでたってもなにもこない。光すら見えない。
するり。
マソナの頬をなぜるものがあった。肉の感触に似たものが、ひとつふたつと後ろに流れていった。
背中がざわっ、と鳥肌たった。
「……ごめんなさい……」
ギャツビーがうめくようにつぶやいた。
「はい、しつれいします。ごめんなさい」
いつもは魅力的な低音が、おどろおどろしく響いた。
同時にマソナは誰かに肩を押された。そう、ちょうどせまい芝居小屋で誰かが通っていくように。
「……えっ?」
予期していなかった感触に、おもわず眼をあけてしまった。
「うっ…………!」
信じられない光景が広がっていた。
窓すら見えなくなるほどの大勢の人間が、次々と正面から涌いて出てきた。
どう見ても人間にしか見えない人々、子供から老人までが、生まれたままの姿で。
ベンチに座り、よけることもできないマソナを押しのけて後ろに去っていった。
「はいはい、ごめんなさい。ごめんなさい」 無声映画に合わせるように、ギャツビーは虚ろな声でくりかえしていた。
「ギャツビー、しっかりして。どうしちゃったのよ。ギャツビー、ねぇ、ギャツビー!」
どんどん多くなってくる人の波に、意識が遠のきそうだ。
自分はなにを見ているのか、ギャツビーがなにを言っているのか、まるでわからない。 いつのまにかカミーユの手ももぎとられて姿が見えない。
「カ、カミーユ、カミーユ! どこ?」
「マ……マソ……」
ぞっ、とうなじが逆立った。
「どこよ、カミーユ。なにしてるの!」
必死に身をよじってふりむこうとした。確かに声は後ろから聞こえてきた。
「ええい! どきなさい!」
人の流れに逆らって立ちあがろうとしたが、あっというまに押しかえされた。ベンチから上げかけた腰を降ろしてしまった。
「あっ……!」
そこにベンチはなかった。
なにか柔らかいものの上に尻もちをついた。
重苦しい宇宙服がまとわりつき、体の自由を奪った。
へんだ。急に眼と耳に激痛が走った。
生命維持装置の自動起動をしめすアラームがやかましく鳴りはじめ、ヘルメットが暴力的な勢いでふくらんだ。
「ひぃっ……」
計器を見て愕然とした。まわりの空気が失われていたのだ。
おしよせる人の波がわずかに減った。しかしその向こう側にあったはずのすべてがなくなっていた。さえぎるものもなく、宇宙が広がっていた。床についたはずの手のひらにも禿頭の感触がした。
勇気をふりしぼって下を見た。
腕から全身へ、自分の身体が獣のように総毛だっていくのが感じられた。
「……神様……」
マソナのまわりには、彼女の知るなにものもなかった。
奇妙に明るい空間が四方に広がっていた。
自分の視力以上にどこまでも遠くが見通せた。だがその視界いっぱいに、人が歩いていた。上下左右、視界のおよぶかぎりを、黙々と進んでくる。
いや、本当にこれは人? 人間なのか? かすかにそう考えた瞬間、情景は一変した。
人と見えていたそれは、生き物の群れ集うものに姿を変えた。植物に動物、鳥、虫、魚。その他、理解を越えた命あるものの大集団。
ありとあらゆる、何かの大行進がそこにあった。
「はいはい、わたしたちにいかせてください」
ギャツビーが奇妙なイントネーションでつぶやき続けた。マソナは、意識が遠のきかけていくのを懸命にこらえた。
「し、死んじゃうの? ギャツビー……」
その声に応えるように、マソナの眼前にすさまじい情報量のパノラマが展開した。
超新星の爆発により、運命を共にすることを強制された星々の歓喜と無念の記憶。
若い星、老いた星。命を育んできた母なる惑星。そして、不毛の石の星。
美しいメランコリックに包まれて、今まさに帰還しようとする巨大な宇宙機。それを迎える懐かしい笑顔の数々。
叡知の結晶たる荘厳な建築物と、その下で永遠の愛を誓いあう若い恋人たち。来世を約束する優しい老人たち。
あふれる、命という命。愛という愛、そして歴史という歴史。
気の遠くなる時間に育まれ、築きあげられてきたそれらのものが、いま境界をとりはらわれて、ひとつになっていた。
すべては超新星の一部となって、宇宙に広がっていった。
「……くっ。カ、カミーユ!」
マソナは、声に出して名を呼んだ。
黙っていては、とりこまれてしまいそうだ。
見えないが、脱出機の感触は、かすかに残っていた。
強くその感触を意識した。
「……マ……ソ……」
見えた!
はるかかなた、信じられない遠くで彼女の宇宙服が搖れていた。
「ギャツビー! 聞こえているんでしょう。お願いだから、動いて。ギャツビーったら!」 急にあたりがうす暗くなった。
なにか嫌な声を聞いたような気がして、目をあげた。
そこには悪夢のように凶悪な姿のなにかがいた。それは塔の下から、落ちてくるリンゴを見上げたような恐怖感を伴って、まっしぐらにむかってきた。
全身がナイフで覆われた、かたつむりのようなかたちをしたなにかだ。
ギャツビーをはるかに越える圧倒的重量感で、視界一杯にせまっていた。
「ギ……ギャツビー、動いて、動いて!」
じたばたと手足がばらばらに暴れた。血が昇って頭が真っ白になっていった。
いまごろパニックにとらわれてしまった。
全身の筋肉が、がちがちに緊張して動かない。ヘルメットを殴るようにかきむしった。
「……きっ……」
空気が塊になって気管を降りてくる。
もしもいま、となりに誰かがいたら、悲鳴をあげて、なにもかもを投げ出しているに違いない。
「マ……ソーナ」
地獄の底から湧きでるような、ひどい声で名前を呼ばれた。耳元でささやくようなその声におもわず堅く目をとじた。
いや、いまの声は。
「ギ、ギャツビー? あなたなの?」
「マソナ。なにをしているのですか? ベンチについていなくては危険です」
腰がなにかに触れた。ベンチだ。ベンチがそこにある。倒れこむように腰をおとした。「まさか……」
呆然と、あたりを見わたした。すべてが元どおりにおさまっていた。
窓のそとでは、いままさに光のショーが終ろうとしていた。しかし不思議なことに正面にあるはずの超新星そのものの光が見えない。
「なに? もどったの? ギャツビー」
信じられないものに触れるかのように、おそるおそるベンチの感触を確かめた。
「私は完全です。今、第二次衝撃波が通過しました。まもなく、第三次がきますが、そのまえに目の前まで来ている小天体を排除しなければなりません」
「小天体? あのかたつむり?」
「正面にあって、超新星の光をさえぎっている遊星のことです」
「だから、かたつむりみたいな奴でしょう?」 手元の掲示板に小天体の観測情報が次々と表示された。この程度ならギャツビーの対塵砲で排除できる。だからギャツビーは少しも焦っていない。
ほかの管制装置もすべて異常ない。
「い、いやぁね。なんだったのかしら」
陽気に努めようと、明るい声で左に座っているはずのカミーユに視線をむけた。
しかし視線はそのまま凍りついた。
……いない。
「カミーユ? どこ? あそんでないで」 狭い脱出機に隠れる場所などない。
「ギャツビー。カミーユは。宇宙服はどこ?」「探知しました。信じられない。後方五キロです。外に出た記録がありません……」
「言いわけはいいわ。私がひろってくる。いそいで! 座標とコースのセットを」
「了解。小天体の到達まで、二十分程度、第三次衝撃波は五分できます。充分注意して」「うん。小天体の排除はまだやらないで」
がくん、と突き放されるショックとともに、脱出機は打ちだされた。小天体に光をさえぎられているために、星明りだけではギャツビーの姿が見えない。
「カミーユ、カミーユ! しっかりして。カミーユ、返事をしてちょうだい」
彼女のところまで加減速に五分だ。まずいことに、第三次衝撃波とほぼ同じにつくことになる。
ギャツビー経由で入ってくるカミーユの宇宙服情報では、間違いなく彼女は生きている。
「マソナ、カミーユまで、四十メートルです。ライトを点灯してください」
「了解……オーケー見えたわ。機外にでます。衝撃波はまだだいじょうぶ?」
「前線は到達しています。本体の到達は完全な予測をしかねます」
後方をふりかえると、大きく展開したギャツビーの結界に前線がぶつかり、美しいタペストリーを広げていた。
逆光に浮き上がるギャツビーのシルエットは、彼女たちを守ろうとする巨人のように、雄々しく、たくましかった。
「ああ、そうだマソナ」
「えっ」
照れを演技した絶妙な間をおいてギャツビーは言った。
「私が、ついています」
「……知ってる」
思わずマソナは笑顔を浮かべた。
与圧ももどかしく、キャノピーをおしあけると、命綱を腰のフックにかけて、暗い宇宙に泳ぎだした。
ガスで姿勢を整える。落ちつけ。慎重に。噴射でカミーユを吹き飛ばさないように。
もう、すこし。
ゆっくりと、体当りするようにカミーユの腕をつかまえた。すばやく抱え込み、フック同士で身体を固定した。
成功だ。
頭部のライトを点灯し、ヘルメットを正面から押し当てて、中をのぞきこんだ。
よかった。怪我はしていないようだ。
「しっかりして。カミーユったら」
二、三発頭突きをかました。かなり、音が響くが、だめだ。ぜんぜん反応しない。
「こちらギャツビー。第三次波の影響で小天体が加速しました。五分以内に戻ってください」
「五分? むりよ。十分以上かかるわ」
「わかりました。不本意ですが、対塵砲で排除します。破片が行きますので、結界の傘から出ないように。四十秒後です」
「り、了解。なんてこと。カミーユ、お願い、目をあけて!」
十分な訓練を積んでいない者が、宇宙で物を運ぶのは至難のわざである。
「このガス、壊れているんじゃないの? ちっともまっすぐいかないわよ」
「……ハ……」
そのとき、声のようなものをたなびかせて、あでやかな姿が視界を横切っていった。
「また出てきたわね。もう、カミーユは渡さないわよ。離れなさい!」
彼女の声が聞こえたように、その姿は、きびすを返してもどってきた。
「ご、ごめんなさい! 気を悪くしないで」 いままでのものとどこか違うそれは、焦点を失いかけた影のようにまとわりついてきた。
結界に発する鮮やかな光を身にまとい、ちかちかと、輪郭を形作っていた。
「に……げ……てーー」
そう言ったのが、なぜかわかった。
美しい娘だった。それも流行のスーツに身を包んだ違和感のない姿だ。いままでひしめいていたなにかとは明らかに違う。
しかもしゃべっていた。少女は懸命になにかを伝えようと、口を動かしていた。
マソナは、ガスの噴射を中途半端に止めたため、体が回転を始めてしまった。
あんぐりとあけた口が閉まらない。
「あ、私も、とうとう……、きちゃった?」 ショックで意識が凍り付いた。
そのときギャツビーから、強烈な閃光がほとばしった。ギャツビーが爆発したのかと思ったほどの激しさである。
しかし対塵砲の斉射は続いていた。
「なに? なにを射ってるの」
「マソナ、退避してください。バスを爆破してしまいました。ボディのほとんどが残っています。衝突コースに乗っていますが、排除しきれません。結界はおそらく持ちません」
「バスですって? あのかたつむりってバスなの? ちょっとまって。人が乗ってるのよ」
結界のすきまから光がさしこみ、あの、気の遠くなる行進が照らしだされた。
「マソナ、おわかれです」
少しの躊躇もなくギャツビーが言った。
「バスの爆破の記録と、私の自我は、あなたの宇宙服の記憶槽に転送しました」
「ちょ、ちょっと」
「心配しないで。バスは無人。もしくは全員が死亡していました」
「ギャツビー」
「罪には問われないでしょう。好運を祈ります。……ありがとう」
「なにいってんのよ! ギャツビー! 逃げて、早くそこから逃げなさい!」
マソナは両手を振りあげて絶叫した。
彼が振り返って笑ったように見えた。
不吉なシルエットが、圧倒的な質量をもって結界に衝突した。ギャツビーのおたけびのように、紫色の放電雲が飛び散った。
結界が崩壊していく。
ギャツビーを遥かに越える大きさのかたつむりが、砕け散るようにつぶれていく。
マソナとカミーユと幽霊の彼女ーーおそらくはバスの乗客ーーは、肩を寄せあうように抱きあって、なすすべもなくその悲惨な事故を見つめていた。
ギャツビーからの距離はほとんどない。破片はまもなく到達するだろう。脱出機の結界も発動機も、この状況を克服できる性質のものではない。
ギャツビーの結界がなくなったいま、ふたたび姿をあらわした者どもがせまっていた。
超新星のまぶしい光は、まるで雲の切れ間からさす神々しい太陽のように、白く清らかで美しい。
「……マソナ。なに? なに、ここは?」
光に照らされたカミーユがまぶしそうに目を覚ました。
「ばか、おとなしく寝てればよかったのに。
ばかね」
マソナは静かにつぶやいた。そう、もうじき自分達もバスの娘といっしょにこの列に加わるのだ。
ヘルメットごしに、マソナの悲壮な表情を見てとったカミーユは、絶望的な状況を本能的に理解した。
「……カミーユ、ごめんね……」
マソナは彼女を抱きしめて、顔を自分の胸に埋めた。これから起こるであろう、恐怖の瞬間を見せまいとするかのように。
カミーユにも、彼女のやさしい気持ちはよくわかった。無条件にその背中に腕を回して、しがみついた。
ふと、マソナは思った。
(そ、か。こんなにたくさんの命や想いがこもってるんだもの。ちっぽけなお願いぐらい、叶うはずよね。ううん、それこそが超新星の願いの形なんだわ、きっと)
だが、だからといって、自分達までその想いの中に引きずりこまれたくはない。
死にたくない!
カミーユが小さく悲鳴をあげた。
「ママ。ママ、ママ助けて!」
ばしっ! と、頬で手が鳴った。
「はぁうっ」
肺から空気が抜けて、カミーユの口から情けない声がもれた。急速に戻った意識が、まわりを把握できずにいた。
「この娘は! 人に心配ばっかりかけて。本当にこの娘は! おとうさんがなんて……」 興奮したかなきり声が頭にくいこんだ。
「聞いてるの! この娘は」
「お母さん、落ち着いて。大丈夫です。娘さんは、もうすこし私達におまかせください。どうぞ、ご心配なく」
泣きぬれた妙齢の婦人が、医師と看護婦にささえられて、部屋を出ていった。
「マ、ママだ」
ベッドに横たわったまま、カミーユは、呆然とあたりを見わたした。
そこは設備の整った清潔な病室だった。
となりにはマソナが鼻から管をつながれたまま寝ていた。どうやら生きているらしい。ふたりとも。
「た、助かったの……ね。信じられない。三度詣でのお願いがつうじたのかしら?」
女の子らしく両手で顔をなでてみた。
よかった。無傷だ。
カミーユは、ぼやける記憶をたぐりよせて、あのときのことを思いだそうとしてみた。
「そうか、確かに光が来るのを三回見たことになるものね。はっ、ものすごい御利益だわ」
ぼんやりとそれを聞いていたマソナが、天井を見ながらポツリとつぶやいた。
「……わたし、まだ願いを言ってない……」
「えっ、なに?」
「まだ、有効よね」
「あっ、ずるい! それはずるいわ。私のはふたり分だったじゃない。わけようよ」
とたんに元気になったカミーユがマソナに詰めよった。
ふふんっ、と笑ってマソナは言った。
「いやよ。これは私の分。ーーそう、お願いはやっぱり、宝くじね。すぐお金がほしいわ」「ああっ、なんて俗物的! このあいだまで、あたしをばかにして……」
しかしマソナはもう聞いていなかった。満足気に鼻を鳴らして枕に顔を埋めた。
彼女の宇宙服には、ギャツビーの自我が転送されているはずだ。そう、彼は生きかえることができる。
また彼に会えるのだ。
この平和な星で、また暮らせるのだ。
超新星には悪いけれど。
マソナはカミーユの罵声を聞きながら、いつしか眠りにおちた。超新星のみんなの分まで幸せになるわ、などと調子のいいことを考えながら。
夢の中では、銀色の髪をやわらかくなびかせた、すてきな青年がマソナとお茶を飲んでいた。
ギャツビーはアンドロイドに生まれかわっても、やっぱり素敵でやさしかった。
了
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