クラウドは、シーツを抱いてうつむいているエアリスの、肩にかかった栗色の髪を見つめた。 セフィロスの恋人……。 そんな存在と知り合い、行動を共にするのが不思議だった。偶然だけではない、なにか運命めいたものを感じた。 セフィロスとのミッションで、彼女の話をしたことがあった。けれども、名前までは聞いていなかったのだ。 「そういえば、セフィロスの髪……」 クラウドは思い出した。ミディール・エリアに陣取るレジスタンスの拠点を叩きに行ったときのことだった。野営のキャンプで火の番をしていたクラウドに、セフィロスがコーヒーを持ってきてくれたのだ。 クラウドは、恐縮して、それを受けとった。初めての、セフィロスとのミッションだった。 並んで腰を下ろした英雄セフィロスは、焚き火の赤を白銀の髪に反射させて、血をあびたように見えた。そのとき、長く、無造作にたらした髪が、戦場にひどく不釣り合いだと思ったのだ。 「その、髪……。願掛けでもしてるんですか?」 古風なことを言う少年戦士に、英雄は笑って答えた。 「昔からこんな風だが、おかしいか?」 「いえ、似合いすぎってゆーか、でも、戦場じゃ、枝毛になりそうってゆーか……」 緊張して、クラウドはおかしなことを口走る。セフィロスは、失笑した。 「面白いヤツだな。今までに、枝毛の心配をしてくれたのは、2人目だ」 「2人?」 「週に2度、トリートメントをしてくれる」 「えっ!? そういえばいい香りが……」 「かんべんしてくれって言ったんだがな……」 クラウドは、ぱちぱちと目をしばたたく。ニッと、見透かしたように口許を笑わせた。 「それって、恋人ですね? さすがだな、写真、持ってないんですか? 写真」 クラウドは、盛り上がって拳を振り回す。 「子供だな、おまえは……」 呆れたようにセフィロスは言ったが、その顔は笑っていた。 「そんなもの持ち歩いて、俺との関係が露見すれば、あいつに危険が及ぶかもしれん」 クラウドはハッとした。そして、彼がどんなにその相手を大切に思っているのかを知ったのだ。 「素晴らしい女性なんでしょうね……」 「さあ……。ただ、ときどき、その意志の強さに圧倒されることがある」 「あなたが?」 セフィロスは、低く笑った。 「信じられないだろう? あいつは、どんな逆境でも、しっかりと背筋を伸ばして独りで立てる女だ」 クラウドは、何だか羨ましく思いながらその男の横顔を見た。こんなふうに、自分の恋人のことを語ることができるなんて素晴らしいと思った。相手を尊敬していなければ、とても出来ない形容だからだ。彼ほどの戦士にそう言わせる女性は、どんな人なのだろうと思ったものだった。 「惚れてますね」 「まだ、臭いセリフを言わせたいのか?」 「だって、こんなによく笑うあなたは珍しい」 セフィロスは、立ち上がった。ふわりと朱に染まった白銀の髪が舞い踊る。 「……運命だ、と思ってる。俺は、あいつを不幸にするかもしれない。それでも、もう、引き返せない」 クラウドは、それ以上何も言えなかった。そこまで想う相手を不幸にするかもしれないと言う彼の、背負ったさだめを慮った。 確かに、そんな日もあったのだ。
エアリスは、黙ってうつむいていた。 「わたし、よく、あのひとの髪いじって、嫌がられてたの。この辺でおだんごにしたり、お姫さまみたいに結い上げたりしてね……」 「お姫さま……」 クラウドは、絶句した。想像すると、似合いすぎてくらくらする。 「エアリスって、俺の女装にも一生懸命だったよな……」 「ごめんね。なんか、わたし、成長してないね」 「でも、あのとき、ヤツが言っていた意味はわかるよ」 「え?」 「いや……。相手がセフィロスじゃなかったら、もしかしたら、俺……」 「クラウド……」 「でも、君は、ヤツのことしか考えてないもんな」 クラウドは、少し考えた。 「それに、ヤツは、君を助けに来たんだろう? 神羅ビルに。……かなわないな、って思うよ」 「そんなの、わたしの勝手な思いこみかもしれない。一言も言わないで、放り出して行っちゃったわ」 「珍しく、弱気なんだな」 「自信、ないの。わたしなんかが、あのひとを本当に止められるんだろうかって……」 「さっきも言ってたな。止めるって? どうやって?」 「わからない。わからないけど、あのひと、言ってた」 『俺がおまえに惹かれたのは、俺を止めることが出来る、唯一の存在だからかもしれない……』 クラウドはため息をついて言った。 「エアリス、それは、どんな言葉よりも重いかもしれない」 「え?」 「セフィロスは、どんなことがあっても、決して、他人に依存したり、誰かを頼みにしたりはしなかった。いいか、どんなことがあっても、だ。それなのに、ヤツは、君に、止めてくれと言ったんだ」 「うん」 「実際、俺にはできなかった。ヤツを止めることなんて。セフィロスは、ニブルヘイムに行く前から、わかっていたんだろうか、あそこに、禁断の知恵の実があるということを」 「かもしれない。ニブルヘイムに発つ前日……」 エアリスは、遠い目で5年前の雨の夜のことを回想した。
激しい雨が窓を叩き、いかずちが、空を切り裂いていた。 腐ったピザと形容されるミッドガルの上部プレートの隙間から、スラムにも雨が降りしきる。 祭壇で、祈りを捧げていたエアリスは、外に車が止まった気配を感じて、ハッと顔を上げた。振り返ると、教会の大きなドアを押し開いて、長身の若者が姿を現した。 「セフィ……」 エアリスは、急いで、男に駆け寄る。雨が、その髪を肩を濡らしていた。 「どしたの? こんな雨の中、風邪ひいちゃうよ」 男は目を細めて、いつも体の心配ばかりする少女を見下ろした。 「明日、ニブルヘイムに発つ。しばらく戻れないだろう」 一瞬、エアリスは、息がとまるかと思った。頭の中で、警鐘が鳴り響く。 「行っちゃ、ダメ」 必死で、男の腕を握りしめていた。 「そうか……」 男は、エアリスの反応を確かめるようだった。 「おまえにも、わかるんだな……」 「え?」 エアリスは、不安な顔で男を見上げる。 「表向きは、異常動作を起こした魔晄炉の調査だ」 「調査? あなたが?」 「何かあると思うだろう?」 「うん。それに……。よく、わからないけど、感じるの。セフィロス、あなたは、そこに行っちゃいけない……」 男は目を伏せた。そっと手を伸ばして、少女の華奢な体を抱きしめる。その腕に、力をこめた。 「苦しいよ……セフィ……」 身をよじった少女の唇を、激しいキスでふさいだ。 「おまえを巻き込んだのは、俺の最大の過ちかもしれない」 その青い瞳が迷いに揺れているのを見て、エアリスの心配は増した。かつて、この男が、こんな目をしたことがあっただろうか。 「何、恐れてるの?」 「俺は、俺でなくなってしまうかもしれない」 「意味、わからないよ」 「声が……聞こえるんだ。俺を呼ぶ声だ。あれは、目覚めろと言っている……」 不意に、キーンと耳鳴りと頭痛がして、エアリスは、こめかみを抑えた。 「エアリス!?」 「……われは……この星の支配者なり……。星に選ばれし後継者なり……。われは……われは……ジェ……」 男は、憑かれたように虚ろに喋る少女の頬を、平手で打った。 「しっかりしろ」 「あ……」 頭を振って、エアリスは、男の顔を見上げる。 「古代種の意識が……。知ってるんだわ。ジェ……ジェノバ……」 「そうか……。やはり、俺を呼ぶのはジェノバか……」 セフィロスは、椅子に腰を下ろした。 「どういうこと? ジェノバって何?」 エアリスは、回り込んで男の傍らに詰め寄る。 「ジェノバは、俺の母の名だ」 「お母さん……?」 エアリスは、目を見開く。 セフィロスの母? しかし、それは、どう考えても、彼女の体を震わせる不安の根源だと思えてならない。 「セフィ……」 男は、何か言いたげな少女の体をかき抱き、首筋に唇を滑らせた。細いうなじを、耳たぶを、熱い吐息が愛撫する。 「や……ごまかさない……で……」 しかし、少女の体はその誘惑にあらがうことはできなかった。じらすように、男が体を離すと、反射的にその胸にしがみついた。 「子供が……ほしいな……」 低く、男が呟いた。突然のその言葉に、エアリスはとまどう。 「子供……?」 「もし、俺が無事に帰れたら……。いっしょに暮らそう」 「ずるい……」 エアリスは、男の腕の中でいやいやとかぶりを振った。 「ずるいよ、セフィ……」 涙が溢れて、頬を伝った。 「もう、戻ってこないつもりなんでしょ?」 「エアリス……」 「わたしのことなんて……ほんとは……どうでもいいくせに……」 男は、そんな少女の体を、きつく抱きしめた。その耳元で、せつなく囁く。 「誰がそんなことを言っている? おまえを愛してる……。このまま、離したくない……」 あまりに強く抱きしめられたので、息が止まってしまいそうだった。少女は、あえぐように、呟く。 「行か……ない……で……」 男は、そっと力を緩めた。腕の中に少女を抱いたまま、決心したように、言う。 「おまえが望むなら、それでもいい」 「え?」 驚いて、少女は顔を上げる。 「だが、任務は放棄できても、あの声には逆らえない。以前、言ったな? 俺を止めてくれって」 少女は、うなずく。 「今がその時と判断するなら……」 男は、着込んだコートの止め金を片手で弾いた。それを無造作に脱ぎ捨てる。逞しい男の胸があらわになった。 男は、少女にもなんとか扱えそうな、サバイバル・ナイフを取り出して、その手にしっかりと握らせた。左手の親指で、自分の心臓の位置を指し示す。 「ここを狙え。ためらうな」 エアリスは、握らされたナイフを見つめた。あまりのことに混乱して、なにがなんだかわからなかった。以前、彼が言っていた、止めるというのは、こういうことなのか? ナイフが重くて、腕が震えた。 「どして、こんなこと、するの?」 エアリスは、立っているのがやっとだった。 「どして、わたし、あなた、殺さなきゃならないの?」 大粒の涙がぽろぽろこぼれて、床に落ちた。少女は、そこに、ぺたんとへたり込む。 「ひどいよ……。できっこないのに……。ひどい……セフィ……」 床に腕を突っ張って、泣きじゃくる少女の傍らに、男は静かにひざまずいた。 「おまえにも、できないか?」 「できない! できない! ぜったい、できないっ!!」 ぶんぶんと頭を振る。 「エアリス……。俺を殺すことができなければ、反対に、おまえが死ぬことになるかもしれないぞ」 「わたしを……殺すの……?」 そっと、顔を上げる。 「わからない。俺の中に眠る何者かが、おまえを生かしておいてはいけないと囁いている。愛すれば愛するほど、その衝動はつのる」 「ジェノバ……? 彼女は、わたしが邪魔なのね?」 外で、稲妻が閃いた。ステンドグラスを通して、色とりどりの光が2人を包みこむ。 「……わたし、そんなの、嫌。負けたくない」 「エアリス……」 「ずっと前から、古代種たちの意識がわたしに言ってた。あなたは危険だって。近づいちゃいけないって。でも、わたしはわたし。たとえ死んでも、あなたを愛するわ……」 エアリスは、涙をぬぐった。頭をまっすぐに上げ、男を見上げる。 そして、花のつぼみがほころぶように、愛らしく微笑った。
「そんなことが、あったのか……」 クラウドは、エアリスの話に打ちのめされていた。あの任務につく前夜に、そんなことがあったなどとは、彼は、まるで気取らせなかった。 「わたし、泣くことしかできなくて、あのひと、抱えてた悩み、わかってあげられなくて……。自分が情けなかった」 「そんなことないさ。……それに、そんな状況で、はいそうですか、とは相手の胸を刺せやしない」 「でも……。あのとき、わたし、ためらわなければ、クラウドのお母さんも、ティファのお父さんも、村の人も死なずにすんだ……」 「それは結果論だ。そのときの君に、そんなことがわかるわけがない」 「でも……」 エアリスは、思い詰めた目をした。 「今なら、出来るわ。この手で、あのひとを……」 クラウドは言葉を失った。本当に、エアリスならばできるのではないかと思えた。 「君の責任じゃない」 エアリスは、ふっと微笑んだ。 「優しいね、クラウド。優しいついでに、もひとつ聞いてくれる?」 「え?」 「はじめてクラウド、家に来たときね、エルミナ母さん、失礼なこと言っちゃったでしょ?」 「そうだったかな」 「うん。ソルジャーはどうのこうのって……」 「あ、ああ……」 ソルジャーなんて……。エアリスがまた、悲しい思いをする……。確か、そんなことを言っていた。 「セフィのこと、隠してたんだけど、バレちゃって……」 「どうして?」 「うん……」 エアリスは、ちょっと目を伏せた。ふわりと手が動いて自分の下腹部に触れる。 「赤ちゃん、出来てたの……」 「えええっ!?」 クラウドは仰天してのけぞった。 「そ、それは……勿論……?」 「そう。セフィの子よ。だって、あのひと、子供が欲しいって言ったから。それもいいかな、って思って……」 「だからってそんな、簡単に……」 「子供ってね、出来るときはすごく簡単に出来ちゃうから、クラウドも気をつけたほうがいいよ」 「何言ってんだ、そんな、俺のことなんか……」 エアリスは、ふふ……、と笑った。 あのときのセフィロスと、今のクラウドは1つしか歳が違わない。同じ魔晄の瞳で、ときどき、錯覚してしまいそうにイメージがダブった。けれども、本当はあまりにかけ離れている。クールなフリを装っていても、クラウドは明るい。セフィロスとは、まるで光と影だ。 「それで、かあさんと大喧嘩して、相手のこと問いつめられて……。わたし、ぜったい、言わないって決めてたんだけど……」 「セフィロスの、死亡がメディアで伝えられたんだろう?」 「うん。もう、泣いて泣いて泣いて……。だけど、赤ちゃんだけは絶対、生むんだって決めて……」 「じゃあ、子供は? どうしたんだ?」 エアリスは、うつむいた。 「ダメだった。育たなくて、流産しちゃったの」 「そうか……」 「掻爬手術のとき、麻酔かけられて、わたし、うわごとで、いろいろ言っちゃったらしいの。セフィロスとか、ジェノバとか……。全部、かあさんにバレちゃって、ソルジャーなんかに騙されて、可哀想にって、泣かれちゃった」 「……それも、辛いな。騙されたなんて言われたくないよな」 エアリスは、弾かれたようにクラウドを見る。 「わかってくれる?」 「あたりまえだろ? 俺だってセフィロスのことは、知ってる。アイツの、君を想う気持ちは真剣だった」 「ありがと。わたし、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない、ずっと……」 エアリスは、髪をとめていた桃色のリボンをほどいた。 クラウドはハッとした。それは、神羅ソルジャー正装用の、ポケットチーフだった。淡い桃色はクラス・ファーストのものだ。 恐らく、セフィロスの……。 ころんと、白く小さなマテリアが髪の間から現れる。エアリスが、母から受け継いだと言っていた、何の力もないお守りのマテリアだった。それを、桃色のチーフでキャンディのように包んで、エアリスは、頭を振って髪を散らした。 その仕草がクラウドの目にはまぶしかった。成熟した女性の持つ、魅力に溢れていた。 「わたし、シャワー浴びてくる。聞いてくれてありがとう、クラウド……」 クラウドは、黙って彼女の後ろ姿を見送った。いつか、セフィロスが言っていた通り、己が背負ったセトラのさだめも、幾多の困難も、全部抱え込んでなお、こうべを上げ、背筋を伸ばして立っている。 美しいと思った。 その、危ういバランスの上に成り立つ彼女の強さが、クラウドの心を乱した。セフィロスもまた、そういうところに惹かれ、愛し、護りたいと思ったのだろうかと考えると、苦しかった。 エアリスの話を聞いてしまったことで、セフィロスのニブルヘイムでの行動に、さらなる疑問が加わったような気がした。 そして、やはり、キーワードは、ジェノバだった。 |