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 「ダンナ様、あと3つ先ですね」

 

 とある昼下がり、私とメイドさんは隣り町まで出掛けました。

 ゆっくりとした電車の振動が、私たちを知らないうちにまどろみに誘っていたようでした。

 ゴトンゴトン。ガタンガタン。

 どのくらいうとうとしたのでしょう。

 ふと横を見ると、メイドさんが私に身を預けて眠っていました。

 暖かい日差しの中で私も、メイドさんもゆりかごで眠る子どものようになっていたようです。

 Pi〜!! 

 車掌さんの発射の笛にメイドさんが起きてしまわないかと心配しましたが、まだ気がついていません。

「メイドさんの寝ているお顔を初めて拝見しました」

 いつものつぶらな瞳を閉じてとっても無防備なお顔のメイドさん。

 メイドさんが私に寄り添って眠っている事がなんだかとても嬉しく思えました。

 しばらくメイドさんを見つめていながら、いつしか私もまた心地よい揺れにウトウトしたようでした。

「……さま、ダンナさま! 起きて下さい」

 気がつくと、私たちは目的の駅を乗り過ごしていました。

 仕方がありません。最寄りの駅で降りて、二人揃ってベンチに腰掛けていました。

 申し訳なさそうな顔をしているメイドさんに私は声を掛けた。

「あ、メイドさん。口元によだれが」

「え? どこですか!」

 慌てて手を口元に当てるメイドさんに、ゆっくりした口調で

「ご安心下さい、冗談ですよ」

「んもう! ダンナ様のいじわるぅ」

 お顔を真っ赤にしているメイドさんがハンカチを出しながらいいました。

「ダンナ様、少しかがんでお顔を近づけて下さい」

「はい?」

「ダンナ様こそ、お口からよだれが……」

「え!? そうでしたか?」

 私が慌てて手を口に持っていくと

「クスッ、御安心下さい。冗談です。お返しです☆」

 ハンカチというアイテムも使われて、すかさず見事に一本とられてしまいました。

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「……(ダンナサマ)……」

 それは本当に小さな声でした。

 いつものようにメイドさんがいらしてくださったのですが。

「……」

「……」

「……」

 声が出ないようでした。

 今日はお休みを! という私の申し出を、メイドさんは控えめに遠慮した。

 声が出ない以外は特別体調が悪いという感じはないようです。

 メイドさんは身振り手振りで何とか会話を試みています。

「ハイ、えっと、それは御茶碗? お箸……。食べている。ご飯ですか?」

 メイドさんがコクコクと首を立てに振る。

「え? それは 置いておいて……」

 かわいい無言劇。いえいえ、メイドさんは一生懸命なんですけれど。

 今度はトースターでパンを焼いて、バターを塗るジェスチャーをしました。

「トースト? あ、はい。そうですか」

 そしてさっきのご飯のジェスチャーを持ってきて、両方を指差した。

「はい、つまり今日の朝食は、ご飯とトースト……随分変わった取り合わせですね」

 私の勘違いにメイドさんは、手を胸の前に置き、身をよじるように揺すって否定した。

 首を横に振った時、一緒に髪がフルフルと揺れた。

「あ! わかりました。ご飯、つまり和食とトースト、洋食どちらがいいのかとお聞きになったのですね」

 正解者の私にメイドさんは 素敵な笑顔をひとつくれました。

「では洋食で。トーストと、あと蜂蜜も用意して下さい。のどにいいかもしれませんから。今日は食事をご一緒して下さい」

 私の答えに、いつもより少しオーバーリアクションで了解の意を表わした。

「それからメイドさん……。さきほどは一生懸命だったので言い出しかねていたのですが……」

 声のないメイドさんが、小首を横に傾げた。

「ジェスチャーよりも、紙に書いて会話をした方が簡単だったのでは?」

 !!

 私がそう言うと、メイドさんは目をクリクリさせた。

 そして、紙とペンを用意してサラサラと書きます。
 
 『全然、気が付きませんでした・・・朝からお騒がせしました』 と。

 でも今日一日、メイドさんの声が聞けないなんて、とっても残念です。

PS、メイドさんははちみつミルクを飲んでしばらくするとまた、いつものように声が出るようになりました。原因は何だったんでしょうか。

 ともかく、メイドさんを応援して下さる皆さん。どうか御安心を☆

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「メイドさん、突然ですが……」

 

「メイドさん、突然ですが……」

 ダンナ様は、お戻りになるとこう切り出されました。

「メイドさん、これから一泊二日で出掛けなければなりません」

「まぁ、それは急なお話ですね。承知しました。早速お仕度いたします」

 着替え、資料書類、ノートにペンケース。

 ダンナ様ご愛用の茶色いかばんにそれらを詰め込みます。


「さぁさぁ、お急ぎにならないと遅れてしまいますよ」

「それでは行って参ります、メイドさん。留守中の事、お願いします」

「いってらっしゃいませダンナ様。お気をつけて」

 バタンと音を立てて玄関の扉が閉まる。

 お迎えの自動車が小気味良い音を立て走り出し、ダンナ様は行ってしまわれました。

 ダンナ様のいないお屋敷。

 書斎にも、寝室にも、リビングにもダンナ様はいらっしゃいません。

「さぁ、お掃除をしましょう」

 ダンナ様が帰ってきた時に、お屋敷全部で快くお迎えできるように。

 でもそんなに時間が掛からないうちにお掃除もお洗濯もみんな終わってしまいました。

 ダンナ様がいらっしゃらないから洗濯物も少ないですし、お茶を入れることもありません。

 無理矢理お仕事を探して、丁寧にしてみても時の経つのが遅く感じます。

「こうなったら床下と天井裏もお掃除しようかしら」


「洗ってある服をもう一回洗濯しようかしら」

 誰に言うともなくつぶやいていました。

 ダンナ様のいないお屋敷はとても寂しい。

 家具も食器もみんな、偽りに見えてしまう。

「ダンナ様……」

 その時、私の言葉に反応したように電話が鳴りました。

「はい、もしもし。ただいまダンナ様はお留守です」

「もしもし、メイドさんですか? 私です」

 その瞬間、電話だけが彩りを取り戻したように思えました。

「ダンナ様! 無事お着きになられたんですね」

「こちらの名産品をお土産に買って帰りますね」

「ハイ、こちらの事はご心配なく。お屋敷のお留守はしっかり守りますから」

 胸の奥から、メイドとして言ってはいけない言葉が出そうになります。

「(お土産なんていりません。ですから早くお戻りになって下さい)」と。

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「ダンナ様のお好きな音ってどんな音ですか?」

 

 それはメイドさんに先程聞かれた言葉。

 昼食が終わって、私室へ戻って考えたのですが、なかなか思い付きません。

 好きな音……。心地よい音。音……。そう思いながら耳を澄ませると。

   ジャブジャブジャブ

 キッチンの方から、メイドさんが食器を洗う音が聞こえてきました。

   キュッキュッキュ☆

 洗った食器を拭く時の音はメイドさんの好きな音の一つだそうだ。

   カチッカチ☆

 胸ポケットにあったノック式のボールペンをノックする音を響かせた。

 私に気がついたメイドさんは、リズミカルにお仕事を始めた。

 キュッキュッキュ☆キュキュッキュ☆

 冷蔵庫から、卵をふたつ。割ってもそのまま捨てずに音を生み出す。

   かちゃっかちゃ☆パキッパキ ペキペキペキペキ、ササッササ☆

 半分になった卵の殻をさらに細かく砕いて捨てるまで。

   ちゃちゃちゃちゃちゃっちゃ カカッカ、カカッカ 

 泡立て器で金属のボウルを鳴らす。

   カッカッカッカカカカカカカカカ

 見る見る卵白はリズミカルな音と共に白くかき混ぜられる。

   キュッキュキュキュ

   カッチカッチカチッカチ

 グラスの縁を、タイミングよく弾くと小気味よく、リンとした音がした。

 お互いに知っているメロディーや、リズムがある訳ではない。

 ただメイドさんのリズムに合わせ、

 私たちにしか奏でる事のできない演奏が続き、

   ジジジジジジジ、チンッ☆

 オーブンのタイマーがフィニッシュを決めた。

   パチパチパチ!

 キッチンの音楽ホールでメイドさんが拍手をしてくれた。

 私は芝居掛かったポーズで、うやうやしく会釈をした。

 私も伴奏者であり合奏者、パートナーであるメイドさんに拍手を送った。

   パチパチパチ!

 するとメイドさんは、ちょんとスカートの裾を摘んでニッコリ。

 小首を傾げて貴婦人の笑みを浮かべた。

 さぁて一体、なにができるのでしょう。

 泡立てられた卵白。熱し温められたオーブン。

 とても楽しみです。

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「メイドさん、どんなお話なんですか?」

 

「どうされました? お嬢様?」

 私がベッドから起きると、そこにはダンナ様が、いえダンナ様とそっくりの方がいました。

「お嬢様? どうしたんですか? ダンナ様?」

「ダンナ様? ダンナ様ならもうお出かけでございますよ」

 混乱する私に、その方は冷静に説明してくれた。

「わたしくは執事でございます。お嬢様。ご冗談はおやめ下さい」

 ダンナ様が執事さんで、私がお嬢様?

「お嬢様、まだ夢うつつのようですね。さぁ御仕度を!」

 ダンナ様、いえ執事さんはかいがいしく私のお世話をしてくれます。

 私が何かをしようとすると

「お嬢様、それはわたくしの仕事。どうかそれを取らないで下さいませ」

 なんだかとても奇妙な感じ。

 同じだと思った他の方の傘を、外で間違えてさしたような。

 どうしても、執事さんの丁寧なお世話はありがたいのですが、凄い違和感。

「……これは……夢?」

 と、言うと、すべてが掃除機に吸い込まれるように消えてしまったのです。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「…………と、いう夢を見たんですよ。ダンナ様」

「そうだったんですか。クスッどんな夢判断ができるんでしょうね」

 いつものティータイム。

 ダンナ様に、昨日見た夢のお話をしていました。

「紅茶、もういっぱいいかがですか? お嬢様」

「いいえ。もう充分ですよ、執事さん」

「…………クスッ」

 二人同時に何だか笑みがこぼれた。

「やっぱり私はダンナ様にメイドさんって言われた方が好きです」

「そうですか」

 夢の中の執事さんは同じように優しい笑顔だけれど、やっぱりダンナ様の笑顔が私は一番だと思います。

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「あの……ダンナ様……」

 

 庭に出て、戻ってきた時、メイドさんが、おずおずと傍に寄ってきた。

「申し訳ございません! 今、ダンナ様のカップをうっかり落して割ってしまいました」

「え!?」

 その声が思ったより大きく聞こえたのでしょうか。

 メイドさんはその小さな身体をいっそう小さくして頭を下げます。

「メイドさん、そこの椅子に座って下さい!」

 うな垂れて座るメイドさんよりも低く、私が身を下げます。

「ダンナ様! 私のこのカップも……ダンナ様が割って下さい。同じように」

 健気にご愛用のカップを震える手で差し出すメイドさん。

 その仕草が可愛らしく、思わずぎゅっと抱きしめたくなるほどでした。

「いえ、カップよりも、メイドさんの足に怪我はありませんか?」

 メイドさんの脚にそっと手を這わせます。

 黒いワンピースの裾は長いので、脚は大丈夫だと思いますが。

「え? あの、ハイ。大丈夫です」

 破片もすでに掃除され、床にもメイドさんの足にも残ってはいません。

「そうですか、よかった☆」

「ダンナ様?」

「形あるものはいつか壊れます。確かに割れてしまったのは残念ですが」

「本当に申し訳ございません!!」

「でも、メイドさんは正直にお話して下さいました。隠し事をしたりせず」

「ハイ。ダンナ様は嘘がお嫌い。私もそれは充分心得ていますので」

「それはとても勇気のいることですね。そんな小さな勇者を許すことができないようでは。『ダンナ様』なんて呼ばれている資格はありませんよ☆」

 ようやく、メイドさんは、いつもの表情を取り戻してきました。

「ですがカップがないと、なにかと不便ですね」

「そうだ! では、これから買いにいきましょうか!?」

「ハイ! ダンナ様☆」

  

 

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