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  「ダンナ様、お豆の用意ができました」

 

 キッチンで炒り豆を作っていたメイドさんが、マスを持ってやってきました。

「鬼は外〜! 福は内〜!」

 私は、ひとしきり豆まきをしました。

「ダンナ様、最近あまり行われていないとも聞きますが、日本の良い風習ですね」

「こうして一年の無病息災を祈願するのですよ。さぁメイドさんも一緒にどうぞ」

「はい、鬼は外! 鬼は外! 鬼は外!!」

 あまり中に蒔かないのは、あとのお掃除を考えているのでしょうか。

 そう思っていると、メイドさんが私の思いを見ぬいたかのようにこちらを見ました。

「こうしておけば、お庭一面に大豆畑ができますね」

 ちょっとだけ、今蒔いた豆が全部芽を出し実をつけたところを想像してしまいました。

「炒り豆、豆パン、きな粉に煮豆、そうそうお豆腐も作りましょうか」

「しかし、わかりませんよ。明日の朝には雲まで届く大きな豆の木が生えているかも!」

「では私は大きな斧を用意してお待ちしてますから、宝物を持って急いでお戻り下さいね」

「そうですね、では失敗しないように書斎の『ジャックと豆の木』を読み直しましょう」

 お互いに軽く笑ってから、メイドさんは空を見上げました。

「明日、小鳥たちがついばみに来るかな……」

 それから私たちは屋敷の中へ戻って豆を拾いました。

「さぁ年の数だけ豆をいただきましょう」

 なんとなしに、じぃっっとメイドさんの手を見つめてしまうと

「ダンナ様ったら、そんなに覗きこまないで下さ〜い」

「あ、すみません。つい……」

 それから年の数だけ、お互いに少しづつ頬張りました。

 ポリ、ポリ

「おや、メイドさん。この豆……すごくおいしいですね」

「ふふっ、炒り方とお塩にちょっと秘密があるんです」

 香ばしく、口の中で広がる絶妙な味わい。

 お互いに年の数だけ豆を食べてしまったのですが、とてもおいしかったので……

「……えっと、来年の分を前借りしてひとつ……」

「あ、ダンナ様ったら……では私もご一緒して」

 ポリ、ポリポリポリ

「……再来年とその次の年の分も先に、今いただいてしまいましょうか」

「ダンナ様ったら来年も同じセリフを言っていそうな気がします」

 メイドさんはこのフライングを軽くいなして、キッチンへ戻りかけました。

 そしてクルっと振り返ると楽しみな予告をして下さいました。

「さぁ残りは明日のお料理に使いますから、楽しみにしてください。ダンナ様☆」


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「ダンナ様! かわいいでしょう?」

 

 ある日の昼下がり、公園に行ったときのことです。

 私が少し離れて戻ってきたとき、メイドさんは腕の中に何かを抱いていました。

「ダンナ様、赤ちゃんを預かってしまいました」

 メイドさんが抱いているのは本当にかわいらしい赤ちゃんでした。

「困ってしまいますぅ。こんな小さな赤ちゃんをお預かりするなんて責任重大で」

「メイドさん、セリフと表情が合っていませんよ」

 私が指摘すると、ますますメイドさんはますます表情を緩めた。

「ふふ、かわいいですよね、赤ちゃんって」

 幼い子に見せるメイドさんの笑顔はいつもより輪をかけて素敵でした。

「でも、大変ですよ。赤ちゃんはお人形さんではありませんからね」

「そうですね、赤ちゃんって人生の中で一番の暴君かもしれません、」

「物言えぬ暴君は、壊れやすい不安定な存在です。丁重に接して下さいね」

「ハイ、心得ています。先ほどお母さんが急いで走って行かれたのできっとすぐに戻

っていらっしゃると思います」

 ところが、どのくらい時間が経過したでしょう。お母さんが一向に戻ってくる気配

がありません。

「どうしたんでしょう。何かあったのでしょうか。心配ですね」

「もし戻っていらっしゃらなければこのままお屋敷に連れていってしまいたくなります」

「ゆっ、誘拐ですか? メイドさん」

 軽くおどける私にメイドさんは笑みを返した。

「でも赤ちゃんのお世話をしてもきちんと変わらずダンナ様のお世話はできますよ」

 笑いながらもお母さんのことを思って、少し心配そうな表情を浮かべるメイドさん。

 赤ちゃんはメイドさんが作ったミルクをおいしそうに飲んで良い子にしています。

 ふと、私は赤ちゃんに声をかけた。

「心配いりません。どんなに辛いことがあってもあなたにはお母さんがいらっしゃいます」

「くす、ダンナ様ったら赤ちゃんにそういうお話はまだ早いのではありませんか」

「そうかもしれません。でも、きっと届くはずです」

 私は赤ちゃんを抱き上げながら、少し大きめの声で再び語り掛けました。

「赤ちゃんのお世話は大変ですから、時には気持ちに余裕がなくなってしまうことがあるでしょう」

 私の言葉の真意がわからず、メイドさんは少しきょとんとした顔をしました。

「疲労や戸惑いで混乱して、つい衝動的なことをしてしまうこともあるでしょうが、

母と子の絆は強いものだと私は信じています」

 メイドさんに赤ちゃんを返したその時、急に赤ちゃんが泣き出しました。

「あらあら、どうしたんでしょう。まだミルクが欲しいのかな? おむつかな?」

 一生懸命あやしてみたりするのですが、一向に泣き止みそうもありません。

「メイドさんのお世話もお上手ですが、本当のお母さんにはかなわないみたいですね」

「ううぅ、やっぱりお母さんに抱いて欲しくて恋しがってるのでしょうか」

「そうだと思います……。そうですよね! お母さん」

 私はベンチの後ろの木陰で見守っていた女性に声をかけました。

 その若い女性はビクッと体を震わせました。

 ごめんなさい。メイドさんがいらっしゃるようなお屋敷なら……というような意味合いのことをつぶやきました。

 最後は涙声になりそうなお母さんに、今度は私が赤ちゃんを手渡しました。

 すると、赤ちゃんはぴたっと泣き止みました。

「よかった。申し訳ありません、やはり私ではお母さんの代役はできないみたいです」

 メイドさんの明るい声にますますお母さんは泣きそうな表情になってしまいました。

 メイドさんに赤ちゃんの荷物をまとめてもらっている合間にそっとお母さんに囁きました。

「事情は詮索いたしませんが、市役所の中には同じように赤ちゃんのことで悩むお母

さんたちの力になってくれるところもあります。きっと相談に乗ってくれると思いますよ。

一人で悩まないでお母さんが小さな一歩を踏み出して見てください。ほら、言うでしょう

『案ずるよりも産むがやすし』って」

「ダンナ様、お待たせしました。ミルクのおむつ、バッグとベビーカーに全部しまっておきました」

 メイドさんの用意が出来たようです。

「なによりも、ちょっと心に余裕がなくなっていると感じた時、いつでも私たちのところに遊びにいらしてください。

メイドさんのいれるお茶はきっと心にも潤いを与えてくれると思いますよ」

「ダンナ様のおっしゃる通りです。お待ちしております。また赤ちゃんを抱かせて下さい」

「ほら笑ってください。お母さんの笑顔が赤ちゃんにも伝わるはずです。もう離さないで下さいね」

 別れ際に私は、もう一度赤ちゃんの顔を覗きこんで声をかけました。

「よかったですね。それと……ごめんなさい。またお会いしましょう」

 こうして赤ちゃんと新米お母さんは公園から帰っていきました。

「やっぱり本物のお母さんにはかなわないです。もっと勉強しないといけないですね」

「いいえ、メイドさんはすばらしいですよ、ですから……」

 と、私はここで口を濁した。親子の消えてしまった方向を見つめながら……

「赤ちゃんのお尻にあざが残ってしまったら、どう償いましょう……」

「?」

「メイドさん、お二人がいらした時は心の安らぐおいしいお茶をお願いしますね。

そして、赤ちゃんのお世話が大変なお話をたくさん聞いてあげてください。

きっとお母さんのためにも、メイドさん自身の将来のためにもなると思いますよ」


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「ダンナ様! チョコレートはお好きでしたね?」

 

 昨夜、メイドさんがいつもに増して満面に笑みを浮かべてやってきました。

「うふふダンナ様、あの明日の午後、キッチンをお借りしてもよろしいですか?」

「ええ、構いませんよ。明日は何かあるのですか?」

「私を訪ねてお友達が来る予定なのです」

 メイドさんがちらりとカレンダーに目配せをしました。

「お料理を教えて欲しいとお願いされましたので」

「なるほど、バレンタインデーがすぐですね」

 私はもちろん快く承諾しました。

「ふふっ、かわいい女の子が訪ねてきますよ。ダンナ様」

 メイドさんはいたずらっぽく囁きました。

 私がいると女性ばかりの華やいだキッチンに水を差してしまうかもしれません。

 そう思って私は出掛ける事にしました。

 私が屋敷の戻った時、入れ違いに中から若いお嬢さんが数人出てきました。

 その中には何度か遊びにいらした方もいました。

 学校の帰りに寄ったのでしょうか、制服姿にリボンが似合うお嬢さん。

 はにかみながら微笑みながら、キチンと挨拶をする姿がとても好感が持てました。

「お帰りなさいませ、ダンナ様」

「あのお嬢さんたちは昨日おっしゃっていた……」

「はい、ありがとうございます。おかげで皆さん喜んでいました」

「そうですか、リボンのお嬢さんも新しい出逢いを見つけたんですね」

 メイドさんはお友達の想いを叶えるために協力していたようです。

「ダンナ様、チョコレートいかがですか?」

 メイドさんが小さな陶器製らしいおなべをミトンのなべつかみで持っていました。
 甘い香りはするのですが……はて、おなべにチョコレート??

「くすっ、チョコレートフォンデュにしてみました。さぁどうぞ召し上がれ」

 ドライフルーツ、マシュマロ、アーモンド、ハート型のクッキー。

 いろいろなものをとろけたチョコレートにからめて食べました。

「はい、ダンナ様。今日はエスプレッソにしてみました」

 甘いチョコレートに少し苦みばしったエスプレッソがよく合いました。

 とてもおいしいくて、ついつい食べ過ぎてしまいました。

「今日は夢にもチョコレートが出てきそうな気がします」

「夢の中と、眠る前に歯磨きもお忘れなく! ダンナ様!」


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「ダンナ様、
   何か面白い記事でも載っているのですか?」

 

 ちょうど、新聞の興味深い記事を読んでいる時でした。

  不意にメイドさんから声を掛けられました。

「ええ、ここなんですが……」

  と、振り返った時、うっかりメイドさんの服を汚してしまいました。

「ダンナ様、大丈夫ですか?」

「あっ! すみません、私としたことが……」

 メイドさんの白いエプロンとスカートの裾に、黒い染みが付いています。

「大丈夫ですか? ああ、服がこんなになってしまって、すみません」

 オロオロとしている私に、メイドさんが小さな笑みをこぼしました。

「クスッ。ダンナ様ったら」

「え? 私、何かおかしな事を言いましたか?」

「だってダンナ様ったら、まるでよそ行きのドレスを汚したみたいにいうんですもの」

「ですが……」

 いつもみているメイドさんの服。それはとてもメイドさんに似合っている素敵な姿。

 メイドさんは小さく咳払いをしてから、諭すようにいいました。

「ダンナ様、これは私の『仕事着』、作業着ですよ。ですから汚れても大丈夫なんです」

 エプロンの裾をちょこんとつまんで軽く持ち上げながら微笑むメイドさん。

「着替えてまいりますね」

 ささっと移動して、てきぱきと染み抜きをしているようでした。

 私はメイドさんの、今の姿以外を拝見したことがありません。

 でも私には、どんな美しいドレスでドレスアップした姿にだって、いつものエプロン姿は引けを取らないと思えます。

 あっ、決してドレスがお似合いではないと言っている訳ではないのですよ。

 どちらがより素敵か、いつか見せていただきたいと思った朝の一幕でした。


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「失礼します。
       ダンナ様、お茶をお持ちいたしました」

 

 客間にはダンナ様とお客様がいらっしゃいました。

 お客様は、女性の方でした。

 お仕事をなさっている感じの方でしょうか。

 派手ではなく奥からにじみ出るような素敵な女性です。

 でも玄関から、こちらへご案内した時の表情は暗いものでした。

 重く、今にも雨が降り出す前の空のようです。

 お客様を迎えたダンナ様は、私にそっと囁きました。

「紅茶はアールグレイを、そして温度はなるべく熱くして下さい」

「よろしいのですか?」

「はい、メイドさんも火傷をしないように気をつけて運んで下さい」

 ダンナ様に申し付けられて、お茶の用意をしました。

 すぐに口を付けては火傷をしてしまうのではないかと思うほど。

「お茶をお持ちしました。カップが熱くなってますので、お気をつけ下さい」

 ティーポットから、カップに注ぐ時、お客様の傍に立って私は気が付きました。

 お客様は泣いていました。しかも声を殺すように……

 ダンナ様は何も言わず、じっとお客様を見つめています。

 声をかけずに。ただやさしく、見守っていました。

 普段のダンナ様なら声を掛けると思うのですが。

 しばらくして、ダンナ様が私を呼ぶ合図がありました。

 ようやくお客様の涙が止まり、ダンナ様がハンカチを差し出します。

 それは熱かったはずの紅茶がすっかり冷めてしまった頃でした。

 お茶をお取替えしようとしたのですが、お客様はその冷めたお茶を口にしました。

「またいつでもいらして下さい。私はここにいます」

 お客様の手から涙に濡れたハンカチを

「ここはいつでもあなたを迎えてくれます。ここでなら泣いてもいいのですよ」

 お客様は雨上がりのようにすっきりとした表情で、お帰りになられました。

 それは明るい太陽のような、周りに元気を与える笑顔。

 私自身、先ほどの泣いている姿を見なければこの方が泣いている姿なんて想像できなかった事でしょう。

 カップを下げる時に、ダンナ様が声をかけました。

「何もおたずねにならないのですね、メイドさん」

「ダンナ様はあれこれと詮索するメイドがお好きですか?」

「いいえ。あなたのようなメイドさんがいてくれて嬉しく思います。ありがとう」


 

 

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