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真四季の私戦

第7章−4

 

 はや天海女は航行することはない。
 いまだに崩壊が続く位相遷移は、海底を攪拌するいくつもの構造物を出現させた。その衝撃は激しい地震となって、天海女全体を揺るがした。天海女は人間たちの心配をよそに、沈没するどころか四十メンツルも隆起していた。
 魅寿司が真四季のかたわらに姿を現した。
「真四季様。約束の刻が参ります」
 彼らはそのときを知っていた。
 魅寿司は自らの判断で、カーベルたちの計画を阻止しようとして動き失敗した。
 そのことについて真四季は、なにも語らなかった。
「魅寿司殿、人間たちの作戦により、天海女はいまや五十ケーメンツルの島と化した。事実上、天海女の水没はあり得ない」
「天海女は海底に底をつけています。これが天海女の沈没なのですね」
 魅寿司は癒えたばかりの腹の傷に手を当てながら言った。
「我々は監察成就の宣言をしなければならない」と、真四季。
「そのとおりです。私はこの晴れのときを待ち望んでいました」
 真四季のまわりに、黒く堅い木のタンスがあらわれた。観音開きの扉を開けると、十二竿の着物が納められていた。真四季は魅寿司の前で着替えを始めた。左端の麻木色の着物から袖を通した。
 魅寿司もまた埋もれ木細工の大きなタンスを召喚した。なかには五十二竿の着物が色の順に吊るされていた。
 彼らは位相空間に隠れていた。位相空間内で彼らがプラットホームとして用いていたのは、外側のない部屋だった。彼らが生活するために、仮に造り込まれたホールだった。
 大きさは人間のホテルのロビーを三つもつないだほどだった。四角い室内は、緑がかった石が床と壁を覆っていた。
 天井には太さが人間の胴ほどもある樹が縦横無尽に走っていた。それらはあきらかに梁としての機能と、装飾的な役割をになっていた。
 床では太い根がタイルを割るように走っていたが、神秘な象嵌細工のようにまったくの平らだった。
 かさこそと昆虫性クンフが歩き回り、構造材としての役割を持つ樹を育て、装飾用の植物を養生していた。
 部屋の半分近くを、様々な植物が占領していた。
 濃い緑がつるを伸ばして、壁と天井を覆っていた。黄色や橙色に熟れた、粒の小さな果物が果汁を床に滴らせていた。
 無数の発光性クンフが飛び交い、葉に光を与え、咲き乱れる花を刺激していた。
 魅寿司はころころとした二羽のペンギン型従属生物を従えていた。彼らの周りには美しいネックレスが降っていた。
 空中から色とりどりの宝石を連ねたネックレスが現れては、ゆっくりとふりそそぎ、床の上で消えていった。二柱は目の端に映るきらめきから好みの物をすくい上げて首にかけていった。
 蝶に似たクンフが神々の顔をかすめて舞い、唇に紅を瞼に青を入れていった。
 神々は汎神族の誇りを得るために身を装った。
 そして彼らは位相空間を離れて、天海女の上空三百メンツルの高みに立った。
 眼下で繰り広げられる人間と、征轟丸の従属生物の血みどろの戦い。
「人間たちはいまだ戦っている」
 魅寿司がつぶやいた。
 しかしそれは汎神族にとって、既に興味の外だった。
「いくさは正しく決着した」
 真四季は水平線に視線を据えたまま応えた。
 彼らの回りには、祝福の花火と鑑賞用クンフの舞が満ちていた。
 監業官としての役目を果たした彼らには、称賛があるだけだった。
 神々の晴れの祝いが始まった。
 太陽とは反対側の空に金色の光が現れた。それは太陽の蜃気楼のように空に輝いた。
 どこからか幻妙な音楽が流れだした。人間には聞き分けられない複数の笛が、一度にメロデイを奏でた。
 青空の金の光から、空を飛ぶ従属生物と空中砲弾である巨龍が歩みだした。大きな者小さな者が光のカーテンをくぐるように姿をあらわした。
 その数はしれない。一列に並び、まるで虹の階段を降りるかのように、ゆっくりと空中を進んだ。翼を持つ者もなぜか羽ばたくことをせず、空中に見えない道があるかのように天海女目指して行列を伸ばした。
 やがて天海女の底から、木の胴を持つ太鼓が轟いた。
 マウライ寺の横の森林がもこもこと盛り上がり、地を歩く従属生物、魚雷の巨龍が姿を現した。
 彼らもまた虹を登るかのような弧を描いて、空にむかい歩きだした。ゆっくりと蛇行しながら長い隊列を組んで、声は出さずに楽器だけを打ち鳴らした。
 太陽を背にしているのに、逆光の中を進むようなきらめきをまき散らした。
「きぃぃぃぃ……っっん」
 魂印塔が金管楽器のような高速言語を轟かせた。
 戦場から空を見上げたミロウドは、天空の異常に気がついた。彼女は法呪の目で不思議な行列を目撃した。
「あれは……死者の行進……」
 ミロウドの直観が告げた。果てしなく続く連なりは、生者の誉れある行進ではない。
 天海女の戦いで命を失った者たちの記録だった。
 天と地からの行進が交わる一点に、真四季らが浮遊していた。
 巨大な神の背丈に倍する帯とマントが空に向かって旗のように吹き上げられていた。どこから照らしだすのか、銀色の光が美しい神々を彫刻のように飾りたてた。
 雪のようなクンフの群れが光を受けて乱舞した。
 地平線の彼方の魂印塔が、真四季と魅寿司の周りにも出現した。
 それは幻影かと思われたが、マウライ寺の直上に現れた白鷺の魂印塔が、地上に溶鉱炉のような熱気を吹きつけてきた。それは実体の魂印塔だった。
 しかし真四季と魅寿司は、鎮魂の行列を見てはいなかった。
 死者の行進を歩む従属生物もまた、神を害することはなかった。
 二柱の神にとって戦いは終わったのだ。征轟丸は正しく天海女に勝利した。
 そして彼らは監業官としての役目を立派に果たしたのだ。
 地上で繰り広げられている人間と征轟丸の従属生物の戦いは、彼らにはひとつの風景にすぎなかった。
「キィイィィッッン」
 真四季と魅寿司の喉から高速言語が放たれた。
 その意味するところは、正しくいくさが完了したことを見定めた、公式の報告だった。
「ガオン」
 金属の樽が転がるような音が天から降ってきた。
 それは世界中の汎神族が、彼らの働きを見定めたことの証だった。
 晴れがましさにはちきれそうな魅寿司は、両手を空にかざして法呪を投げあげた。
 するとたちまち天海女の上空に雲が出現した。
 低い雲、高い雲が薄く伸び上がり、天空に絵筆で掃いたように広がった。
 夏の夕焼け雲が、見るみるうちに秋の暮れ時のうろこ雲に変形していくような、息を飲む造形美。
 赤と紫の美しい色が混じり合い、太陽に透けて、巨大なオブジェを作り上げた。
 交わり千切れて、様々な不思議の形を造り、色を映す雲のなんと美しいことか。
 雲を操り、一瞬の美を堪能するのは、汎神族にとって最も高貴な趣味のひとつだった。
「天に霞を重ねて色す。濡れて接するべにの雲。耐えて漏らさず金の雨粒」
 真四季もまた興に乗り、風を起こした。
 地上から空に吹き上げる上昇気流は、入道雲のように雲を真上に成長させた。
 遙かな神々は、上空に強い風を巻き起こして、秋の筋雲を演出した。
 刻一刻と姿を変える雲の芸術はオーロラでも幻影でもない。汎神族の技術を持ってして実現する超絶の美だった。
 遙かな神が空の彼方から言った。
「こたびの監業みごとであった」
 雲の中で稲妻がひらめいた。
「正しく満ちた正義であった。真四季殿、魅寿司殿の仕事は世界に正しく広告されることだろう」
 魅寿司が頭を下げて礼を尽くした。
「記憶にとどめられし我が姿が栄えあるものであらん」
 いまこの瞬間も、彼らの一挙手一投足が世界中の汎神族に伝えられていた。
 これは記憶を失うことのない、そして子々孫々にまで記憶を遺伝しつづける汎神族にとって極めて異例な事と言えた。
 汎神族は多くの場合、自らを誤ったイメージで記憶されないように、不特定多数の汎神族と接触することを好まない。たとえ誤解であっても自らを不当に記憶 されて、その情報を正す機会もないままに時を過ぎれば、記憶は子々孫々に拡散して事実として定着してしまう。それは汎神族にとって本能的な恐怖を覚えさせ るものだった。
 天海女と征轟丸のいくさは、戦いの結末が40年前に明らかにされていた。
 皆が結果を知っていて、なおかつ決定的な勝敗の瞬間である「約束の刻」の真の姿を誰も知らない。このいくさを予知のとおりに完結させる監業官という役目は、誤解を受けることなく、世界中の汎神族に自らを高い評価のままに記憶させることだ。
 自らを美しく広告する、類まれなるチャンスだった。
 魅寿司が白い両手を上げて言った。
「私は征轟丸が勝利した瞬間に立ち会う栄誉を得たことに感謝する。そして偉大なるいくさ船である彼らに讃辞を惜しまない」
 彼方の神々から称賛の声が上がった。
 それまで口を開くことなく挨拶の華を魅寿司にもたせていた真四季が、手をあげて発言を求めた。
「さて。私から提案がある」
 真四季が言った。
「周知の通り、私はかつて天海女で戦い、そして敗れた」
「その通りだ。真四季殿。貴公は責任を取り、子を成した」
 彼方の神々は輪唱のように言葉を続けた。
「そしていま天海女の戦いは決着した。これにより天海女のいくさ船としての役目は終わった」
 真四季は神々の言葉にうなずくと、はっきりとした声で言った。
「請う。英知あるはらからよ」
 神々の意識が真四季に集中した。。
「私に。この真四季に。天海女と征轟丸を供してほしい」
「なんと? いくさ船をよこせと」
 あまりに法外な真四季の要求に、神々は沈黙した。
「天海女と征轟丸を得て、いかなる事業を行うつもりか」
「いくさは忌まわしい行為である。多くの命を奪い悲劇を産みだす」と、真四季。
「おう」
「後の世のためにも、いくさ船は存在すべきではない。私はふたつのいくさ船を消し去りたい」
「天海女と征轟丸を消すと? それは不可能だ」
「いや。可能である。いくさ船を沈めることができるのはいくさ船だけ。それゆえに邪悪なふたつの船に相い撃ちとなってもらおう」
「しかし天海女はすでに浅い海底に底を支えているぞ。これ以上いかにして沈めるのか」
 魅寿司が頭上に光を発して発言を求めた。
「待て。待たれよ。天海女にはいまだと人と従属生物が住みます」
「征轟丸にはいない」
 真四季はにべもなく言った。
「懸命に生きようとして、私たちの眼下で戦う彼らの姿が見えませぬか。汚れのついた天海女は、汎神族にはもはや不要のもの」
「これは私の興味だよ」
 真四季は光彩を白く染めて魅寿司を威嚇した。
「しかしいったいなにをなさるおつもりか。天海女を砕くほどの爆弾や位相技術は、長く環境を破壊します。世界に取り返しのつかない汚染を残しましょう」
「ふたつの船をぶつけるのだ」
「なんと仰せられる」
「巨大なふたつの船をぶつけ合い、互いの質量で互いを沈めるのだ」
「真四季様。あなたのお言葉は、征轟丸を動かすいうことです。なぜそのようなことができると言われますか」
 真四季はそれには答えずに自分の言葉を続けた。
「巨大なふたつのいくさ船が、海上で衝突するスペクタクル。動きだしたが最後、我等の言葉もとどかないいくさ船を操り、圧倒的な質量をぶつけ合うのだ。原始にして絶対的な力のショー。このようなことがいまだかつて記憶されたことがあるだろうか?」
 彼方の神々に動揺がひろがった。その証拠に水平線にかかる雲が、乱れたうろこ雲を生み出した。
「私は知らない」
 真四季の言葉を皆が待った。
「私はいくさ船の衝突を見た記憶を持たない。仮にただの一神でもその記憶を持つならば、私は邪悪な望みを捨てよう。いかに?」
 彼方の神々は沈黙を持って答えた。
「五十ケーメンツルもの構造物が、ただひたすらに激突する。いくさ船の偉大な記憶を得たいとは思わぬか? 絶えて久しいいくさである。未来において二度と 得ることは叶わない記憶である。子々孫々に伝える記憶として、いまこの時にしか実現できないいくさ船の衝突をいかにとらえるか」
 魅寿司は青ざめた。彼女は信じていた。汎神族は世界の霊長として自然と生き物を守り導く崇高な義務があると。世界の姿も知らず、生きることのみに拘泥する人間やその他の生き物たち。かよわい彼らを守護することができるのは汎神族だけだ。
 しかし真四季は、彼らがあらがう術も持たない超絶の破壊を起こそうとしている。逃げることも防ぐこともできない多くの生き物達が、自分の死の理由すら知らないままに死んでいこうとしている。
「真四季様、監察の諸衆よ。なりませぬ。それは余興のごとき戯れではありませぬか。汎神族の興味を充足させるために、多くの命を奪う権利は何者にもありませぬ」
「……しかし貴重な計測値を得ることができる……」
 彼方の神の一柱が言った。
「……位相遷移を含む物体の現実位相部が物理的に崩壊した場合の法呪展開に興味がある……」
「……崩壊の映像を全方位記録する必要があろう……」
「……夕日が水平線に沈む瞬間に、崩壊が完結する進行を望む……」
 彼方の神々が真四季の言葉に耳を傾けていた。
 魅寿司の目から涙が溢れだした。
「諸衆よ! 真四季様のお言葉に賛同されますか。我等になにほどの権利があって、陸の者、海の者の命を奪うことができましょうや」
 ぼろぼろと涙を流しながら、女神は神々に訴えた。
「いかようにしてふたつのいくさ船を戦わせますか。征轟丸はすでに勝利し、甘い美酒に酔いしれておりましょう。なにゆえに征轟丸は天海女と戦いましょうや」
 真四季は微笑みながら言った。
「いくさ船の本性は邪悪である」
「監業官たる我々もまた征轟丸の勝利を宣言しております。征轟丸がさらに戦う理由など微塵もありませぬ」
「魅寿司殿。忘却エンジンがある」
「なんと?」
「天海女の祭り人ショー・アルルカンの魂袋・忘却エンジンがあるではないか」
「征轟丸に魂袋を使うおつもりか」
 真四季は懐からなにかを取り出した。それは透明な巾着袋だった。中には血の色の紅い珠が不気味に輝いていた。
「……まさか……それは魂袋。いったいどうして」
 魅寿司は息を飲んだ。天海女の海京にあったはずの魂袋をいつのまに。
「天海女に進入した征轟丸の上陸部隊の半数は、魂袋を奪取するために失われた」
「……それを征轟丸にお使いになられるつもりですか」
 魅寿司の高い知性は真四季のたくらみを看破した。
「そのとおりだ。アルルカンの魂袋は、なにも敗北を忘れさせるだけのものではない」
 真四季は歪んだ欲望を、晴れやかな笑顔に隠して言った。
「征轟丸の勝利の記憶を奪うのだ」
「お待ちください。ふたたびいくさを起こすおつもりか」
「征轟丸の勝利の記憶を夢で覆い隠し、天海女に止めを刺すことを求めて、再び戦場に駆り出すのだ」
「アルルカンは天海女の祭り人。なぜにそのような仕事を行いますや」
「彼は人間。見よ。彼は人の娘によって呪われるのだよ」
 真四季は左手をゆっくりと開いた。手のひらの上には、黒い水滴が浮かんでいた。
「それは?」魅寿司が聞いた。
「かつて天海女の魚雷を呪い殺した娘の血だ。喉を切り裂かれた己が血の一しずくで、赤龍と化した魚雷を爆裂させた征轟丸の祭り人の血だ」
「なぜそのようなものが……」
「人には人の呪いが効くのだよ。娘の魂はいまも征轟丸の上にあり、征轟丸をたたえてさまよっている」
 真四季は左手の親指で血をひろった。そして魂袋に拇印を印すかのように押しつけた。血は真四季の指紋を写して忘却エンジンにしみ入った。
 魅寿司が懇願するように言った。
「アルルカン。天海女の祭り人よ。おまえはその役割を受け入れるのか。たった一雫の血がおまえを裏切り者にしてしまうのか」」
 何かに憑かれたようなアルルカンの声が響いた。
「征轟丸……に夢……を」
「おおっ」魅寿司は悲鳴を上げた。
「否と言え。おまえが忘却エンジンを止めなければ、幾万の人間と動物が死ぬのだぞ」
「……我は、夢を記憶とする。征轟丸には、いまだ勝利に奢る刻ではないことを示そう」
「そうだ。アルルカン」
 真四季は満面の笑みを浮かべながら魂袋を見た。
「征轟丸に勝利はいまだ遠いことを夢に見せるのだ。40年もの長き渡り、天海女をたばかったおまえにしかできない」
 魅寿司は滝のような涙を流して食い下がった。
「違う、ちがう。天海女は自らがアルルカンの夢を望んだが故に、魂袋を受け入れたのだ。征轟丸は天海女の攻撃に瀕死の有り様。知性も枯れ果てたいくさ船に忘却エンジンは、なにを成すか想像もできぬ」
 しかし神々に囲まれたアルルカンは、真四季の与えた血の呪いに憑かれた声で、自らの使命を繰り返した。
「すでに矢尽き弓折れた征轟丸は……みずからの巨体を持って……天海女に特攻するだろう」
「アルルカン……!」
 魅寿司の悲壮な叫びを無視して、真四季は高らかに笑った。
「見よ! 彼方の諸衆よ。これが戦いというものだ。私はふたたびいくさの場にあって、すべてを記憶する」
 高々と天にかざした真紅の魂袋には、勝利を目指す気高き白の染みが浮かんでいた。


 

 

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