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約束の刻のはじまり

第7章−2

 

 海女の底から、長い塔が突き出ていた。
 本来なんの目的を持つ物なのかはわからない。人間の城の尖塔にも似た構造物だった。逆さまに伸びた長く固い塔は、深く海底に食い込んでいた。
 天海女の位相崩壊はいまも続いていた。ばきばきと、怪獣の骨がへし折れるような音をたてながら、いくつもの搭と構造物が肥大を続けた。
 移動を続ける天海女は、塔で岩を砕き、海底を掘り返しながら進んでいった。
 天海女が通ったあとは、もくもくと巻き上げられる暗い泥の雲で覆われた。征轟丸の魚雷のセンサーも曇りがちだった。
 塔は圧倒的な質量で海底の岩土と生き物を引っかけて、どんどん肥大していった。


 征轟丸の魚雷が長い眠りから目覚めて海底を離れた。
 必殺の射撃位置を予知して、四十年間ものあいだ待機しつづけた魚雷だ。
 彼らの頭上を通過するように仕向けられた天海女は、このゼロ距離攻撃をかわせるはずもなかった。
 半ば巨龍の姿をとった魚雷はぎょろりと眼をむき、濁った泥の息を吐きだした。冷たい海水をかき分けて、カモフラージュを解き動きだした。その数は二十二。
 天海女の防衛兵器群は、たちまち反応して魚雷の迎撃を行った。
 それ自体が強力な戦闘単位である魚雷は、迎撃魚雷を撃破しながら天海女に向かった。
 そして魚雷は躊躇した。自分が向かっている先は、間違いなく天海女としての反応を返してくる。しかしその姿は、魚雷が知る天海女とは似ても似つかない巨大さだった。
 多くの機能を喪失している征轟丸は、なにも言ってこない。魚雷は自分がどこに突入すればよいのかを判断しかねた。
 その迷いを天海女は見逃さなかった。
「血迷うな。魚雷ども。主たる我を襲う貴様らは裏切り者か」
 天海女は征轟丸の命令コードを複製して魚雷に呼びかけた。
「倒すべき天海女は、貴様らの後ろにある」
 そこには一切の通信手段を失った征轟丸がいた。
 おろかな魚雷どもは、一斉に反転して征轟丸に殺到した。
 魚雷どもは使命を果たす喜びに尾を振り、巨大ないくさ船に突入した。その瞬間、己が欺かれたことに気がついた。
 そこには懐かしい征轟丸の匂いがしたのだ。しかし爆発は止まらない。
「卑劣なり天海女!」
 憎悪の悲鳴をあげながら、魚雷どもは征轟丸の腹のなかで大爆発を起こした。
 しかし二発の魚雷に異常があった。
 彼らは、海底深く伸びた天海女の構造物に接触していたのだ。
 魚雷は巨龍に変身して塔から脱出しようともがいたが、次々と押し寄せる膨大な土砂に阻まれて、身動きすることもかなわなかった。
「……爆発せよ」
 騙されて征轟丸に突入した魚雷の一体から怨念の声が届いた。
 二匹の巨龍は抗議した。
「兄弟よ。しかし我等は天海女の呪的重心に達していない」
「ばくはつせよ……!」
 無念の魚雷は自らの爆発に呑まれながら、越権命令番号で巨龍たちの原子火薬に火をつけた。


 天海女をーーエルアレイをーー不気味な振動が駆け抜けた。
 左右に揺さぶられるような不吉な揺れだった。
「なに?」
 カーベルは寺ほどもある巨大な金龍をにらみつけたまま、異口伝耳でサインに聞いた。
 しかし寺のなかはひどく混乱している様子で返答はなかった。
 金龍は首を巡らせると、カーベルに視線を合わせた。
「ガッガッガッ」
 凶悪な笑い声を上げて首を振り立てた。しかしなぜか攻撃しようとしない。
 金龍はいままでの征轟丸の巨龍どもとなにかが違った。そもそも金龍を初めて見たのはローズベイブの研究所を覆っている姿だった。
 なぜだ? しかしカーベルの瞼には、金龍に喰われたインスフェロウの最期が目に焼きついていた。彼女は金龍の瞳に悪意を見ることしかなかった。
「……ゆるさない……」
 うなじの毛が逆立つような興奮が全身を包んだ。憎い仇がのこのこと姿を現したのだ。
 カーベルは攻撃法呪を構築しようとした。そして気がついた。
 金龍の首筋に女がまたがっていることに。
 太り気味の人間の女だ。まるで従属生物のように金龍を操っていた。彼女はなにかを叫んでいた。手を振りしきりになにかを訴えかけていた。
 金龍の真っ赤な口が洞窟のように開いた。粘液に濡れて光る口腔が生々しく、臭い息すら漂ってくるかと思えた。
 ぐびり、と喉が蠕動して、白い固まりが押し出された。
 カーベルは反射的に法呪を飛ばして白の固まりに着火しようとした。しかし金龍を覆う強力な反呪場が着火法呪を消し去った。
 金龍の長く黒い舌が、白の固まりをうやうやしく空中高くに抱え上げた。
「なんのまねよ」
 カーベルは金龍の次の一歩の先に重力場を構築しようとしていた。
 足の裏の生皮を剥ぐのだ。些細だが生物兵器には有効なダメージを与える。
 金龍の唾液でてらてらと光る白い固まりは人の形にも見えた。人を蝋か包帯でぐるぐる巻きにしたかのようだ。
 金龍はピンクゴールドの不思議な瞳でカーベルを見つめた。まるで白い固まりを彼女に見せつけるかのように。
 カーベルは息をこらして金龍を見た。
「カーベル様……カーベル様。寺にお戻りください!」
 サインの声が耳元で呼んだ。
「いまはだめよ。こいつを。金龍を」
「カーベル様。お急ぎを。戦いは終結するかもしれません。エルアレイが……」
 ノイズがひどい。しかしサインの呼び声は只事ではなかった。
「……カ……ペル様。おはやく……」
「……わかったわ」
 カーベルは視線で金龍に呪い文字を刻むかのように強く睨みつけた。
「ガガガッカッカッ」
 金龍は背を向けて走り出したカーベルに挑むような咆哮を投げかけた。
「…………」
 寺に戻った彼女は、足音も荒々しくサインの元に走った。
 貴重な観測機器に甲冑がぶつかり金属の火花が散るのも気にしない。カーベルはケーブルと蔦の渦巻くサインたち因果療法士のエリアに進んだ。
 白い絹のドレスに身を包んだサインを中心に、因果療法士たちが激論を戦わせていた。カーベルは荒々しくサインの肩をつかまえた。
「サイン。なにごと?」
「おおっ、カーベル様。これをご覧ください」
 表示器を覗き込んでいたサインは、興奮にうわずる声で言った。
 そこに示された情報は、天海女が急速に速度を落としていることを示していた。
「……私たちのいるマウライ寺の海面からの標高が上がっています。天海女の速度は、ほぼゼロです」
「天海女が隆起しているというの? 位相遷移の崩壊が再開したの?」
 質問を浴びせかけるカーベルに、サインは印象照準のバンダナをはずして言った。
「カーベル様」
「はっきり言いなさい。サイン」
 呼ばれて寺のなかに戻ってきたイシマやゲイゼウスたちも、サインのまわりに集まった。
 ミロウドとアリウスは、表示器を見つめて青ざめていた。
「なにが起きたの」
「カーベル様……エルアレイは……天海女は海底に着底しました」
 その意味がすぐには皆の心に届かなかった。
「……なんですって。エルアレイが着底? ほんとうに」
 カーベルは、声を震わせて聞き返した。サインは技術者の確信に満ちた表情で言った。
「すべての反応が、エルアレイと海底の重力結合を示しています。エルアレイは間違いなく海底に達しました」
「…………」
 人々の間に、驚きと興奮の輪が広がっていった。
 ミロウドが聞いた。
「サイン様。それはエルアレイがもう動かない、ということですか?」
「エルアレイはいくさ船としては沈没した、と言ってよいと思います」
 サインの答えにカーベルは息を飲んだ。 
「でも……でもエルアレイは、水没していないわ……」
 カーベルはサインの腕を掴んだ。
「……すごい。やったのね……やったじゃない! エルアレイは航海を終えたんだわ! 私たちは勝ったんだ!」
 本堂の空気が極限まで張り詰めた。そして弾けるように歓声が沸き起こった。
 エルアレイ沈没の言葉が広がるにしたがって興奮は、波のように広がっていった。
「おーーーっ!」
 喜びの声が、次々と人々を巻き込んでいった。
「おめでとうございます。計画成功おめでとうございます。カーベル様。これでエルアレイは、海底に沈むことはなくなったのですね」
 ミロウドが頬を紅潮させて、カーベルの手を握った。
「ええっ、ええっ。みんなのおかげよ。私たちは大地を手に入れたんだわ」
「カーベル。みごとだ。みごとな働きだった」ゲイゼウスまでが興奮していた。
「ゲイゼウス様。勇敢な兵士たちの働きです。そしてイシマ将軍をはじめとするロスグラード自治軍の勇気の賜物です」
 人々は、口々にお互いを褒めたたえあい、手を握りあった。
「まて! 浮かれた大衆ども。なにを喜ぶか!」
 白い目のカリンビールが、人の波をかき分けて現れた。
「天海女が着底しただと? それは天海女の敗戦を意味するのではないか。天海女を人の手で負け船にしたというのか」
「カリンビール。そうよ。やったわ!」
 カーベルは小柄なカリンビールの首に抱きついて振り回した。
「これでエルアレイは、天海女はけっして失われることはないのよ」
「ば、ばかな。こんなことのために我々は祭をおこなってきたのではない」
「だって約束の刻は二発の魚雷で迎えられるのよ。きっとこれが約束の刻なのよ。戦争は終わるのよ! 佐竹様もお守りしたわ。そして天海女も無事じゃない」
「カーベル! おのれカーベル。呪われよ」
「カリンビール。最高の負け方じゃない。みんな助かったのよ。ねぇ、天海女! 聞いてる? 天海女、これが約束の刻なんでしょう?」
 だれもが耳をそばだてた。神々のいくさの最後の一瞬に立ち会った喜びに打ち震えて。
「天海女! もう、いくさは終わったのでしょう?」
「……カーベル……」
 少年の声の天海女が、沈んだ声で言った。
「カーベル。そうだよ。これが約束の刻だ」
 人々の間から再び歓声が上がった。
「そして約束の刻が始まったよ」
「えっ。約束の刻が……始まった?」
 カーベルが聞き返した。
 泣き声にも似た天海女の声が、風のうなりに乗って大地を舐めた。
「……なんだ?」
 人々は耳元で、大地の彼方に視線をむけろと言われた気がした。不思議な一体感が、人間と従属生物たちを沈黙させた。
 エルアレイの進路の海が沸き立った。ぐらぐらと泡を吹いて塩水が沸騰した。
 空気が茶色にかすんだ。空中から糸のような不吉な霞が実体となって湧き出した。
 焦げた綿飴が空中を漂うように、べたべたとしたなにかが肌に貼りついた。蜘蛛の糸が顔に絡みつくような不快な感触。
 それは舌を刺す甘みを持っていた。なにか現世離れした刺激が脳髄を痺れさせた。
 人々は悪夢の中の老人のように、のろのろと手を振り、不快な浮遊物から逃れようとした。
「な……に。これ……天海女……」
 カーベルがやっとの思いで聞いた。髪が松ヤニで固められたように重い。
「僕を覆っていた陰気が物質化しているんだ。もう必要がないから変質して沈殿を始めている」
「……うっ……やだ……気持ち悪い」
「カーベル……僕は負けたんだね」
 天海女は、初めて聞く暗い声で告げた。
「天海女。でも……でもあなたは沈まなかったわ」
「僕は負けたんだ。忘れていた。僕はずっと昔に負けていたんだ。それなのに勝とうとして無様にあがいていたんだね」
 かろやかだった少年の声が、老人のようにひび割れた。
 カーベルは言った。
「どうしたの。なにを言うの。あなたは立派に戦ったじゃない」
「恥ずかしいよ……僕は敗者だったんだ。それなのに忘れることを望んだなんて」
「天海女。あなたはアルルカンといっしょに戦ったわ」
「……カーベル。アルルカンはもういない」
「えっ?」
「魂袋は奪われたよ」
 魂袋が失われた。それゆえに天海女はいまさらながらに敗戦に気づいたのか。
「魂袋が奪われたですって? いったい誰が」
「征轟丸の従属生物の手に落ちた。だれがそれをさせたのかは明らかだよ」
「いったいだれが……」
 人間が物質化した陰気を浴びて地に這いつくばっていたとき、汎神族の誉れの儀式が始まった。
「キ、ィイイィィィィン」
 天空から神の高速言語がほとばしった。エルアレイの空を法呪文が縦横無尽に走った。
 すでに主を失ったはずの四つの丘から魂印塔が出現した。真紅の炎がうずまき、天高く神の姿が立ち上がった。
 魂印塔はいまや六十ケーメンツル四方に及ぶエルアレイの空を端から端まで伸び上がり、天を覆うようにして交差した。地上のどこからでも、神の姿が見て取れた。
 失われたはずのカホウの丘からも神の姿がそそり立った。
 人々がはじめて見る白鷺の姿だ。それは雄々しくたくましい若い男神だった。
「あれが白鷺様……インスフェロウ様」
 だれかがつぶやいた。
「ぎゃああぁぁ」
 征轟丸の従属生物たちの攻撃が再開された。魂印塔の出現に一瞬躊躇した彼らは、すぐに我を取り戻し雄叫びをあげて人間に襲いかかった。
「まだ戦いたいのか!」
 カーベルたちは、無意味に思える戦いの場に再び戻っていった。
「いいか。死ぬな! 我々の戦いは終わったのだ。このくだらない小競り合いで命を落とすことがあってはならない。ぜったいに死ぬな!」
 それがカーベルの命令だった。

 

 

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