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この想いは激情に

第7章−1

 

 十年前。真四季は天海女の乗員として、ただ一柱、戦場を離れた。
 それは戦いのルールだった。
「敗者は子をなして記憶を広めよ」
 ルールは、汎神族の残酷な倫理感だった。
 敗北したいくさ船の汎神族は、二柱が船にとどまり運命を共にしなければならない。
 いくさ船を離れた二柱は、五柱の妻または夫と契り、十柱以上の子供をもうけなければならない。
「敗北の事実を記憶する数の多きは良きかな。敗者は敗北の屈辱と後悔、悔やんでやまぬ敗北の美しき一瞬を永遠に記憶せよ。やがて敗北の記憶は、より多くの汎神族が共有するものとなろう」
「もし君知りうるならば、勝利に打ち震える感動と身を刻まれるがごとき敗北の悲しみのどちらを得るや。我は破滅の味こそ甘美と知る」
「滅びは後がないゆえに完成した美術である。決して色あせることのない至高の刻である。望むならばその瞬間を深くけわしく味わいたい。より多くの滅びの身悶えを記憶したい」
 その論理は汎神族にのみ通じるものだった。
 他者の命をかけた滅びの瞬間を、数多く記憶して、己の身を危うくすることなく、舌の上で飴をころがすように味わい尽くす。
 汎神族にとって、いくさ船の戦いは戦争であると同時にショーだった。
 そしてその記憶をフィルムではなく、記憶にとどめて流布していく。
 時間はかかるが、映像と音ではあらわしつくせない、極限の感情までを内包した記憶の伝播。神々の記憶遺伝は人間の理解を越えた最高のメディアだった。
「そのためには敗者を保護しなければならない。勝利の国、敗北の国は、ともに記憶の濃い者を優遇して、正しいいくさ記憶を伝えなければならない」
「それゆえに汎神族の保護階層は、敗者の血の者が多い……」


 若い真四季は定められた通りに妻をめとり子を成した。
 初めての子供は、まるで犬の子供のように感じられた。あまりに父としての実感がなかった。
 強制とルールの中で生まれた子供は不幸だ。望みもしないおぞましい敗北の記憶を遺伝するために受けた生なのだから。
 子供たちは、それを理不尽であると感じると同時に名誉であるとも感じた。
 真四季は祈らずにはいられなかった。
「願わくば、敗北の中にあっても輝く一瞬を、より輝かしいと誇ることのできる、たくましい魂を持つことを希望する」
彼が監業官として天海女に派遣されたことは偶然ではない。
 真四季はそれを望み、彼の地に立ったのだ。
 そして彼には想いがあった。
 戦士として父として。
 自分の戦いが敗北に終わったことを悔やみ、共に戦った天海女が敗北を認めていないことを哀れに思い、恥の記憶を遺伝した子供たちを救うために。
 彼にできることをしたい。
「優安(ゆうあん)。この子は私の記憶を得たのだろうか?」
 真四季は彼の妻のひとりである優安に言った。
 彼女はいま一人目の赤子を産み落としたところだった。
 白いシーツにくるまれて真四季の腕に抱かれる、目も開かぬ赤子は、真四季と同じ髪の色をしていた。
「真四季様。どうかこの子を愛してくださいませ。私にとっても愛しい嬰児です」
「おまえはさらに私の子を生まなければならない」
「慈しんでお育てもうしあげましょう」
 赤子はときどき痙攣に襲われた。定着しようとする記憶が、幼い彼女にショックを与えているのだ。それは汎神族の赤子にはよくある生理現象だったが、まだ歳若く初めての子供にとまどう真四季は、わが子が屈辱の敗戦に苦悶しているかに見えた。
「やさしい優安よ」
「はい。真四季様」
「私はこの子に。そしてこれから生まれてくる子供たちに栄えある記憶を残したい。そう考えるのは傲慢だろうか」
「気高き覚悟と存じます」
 優安の瞳は銅湖の青だった。切れ長の目は、いつもうるおいをたたえて輝いていた。
 母になるために切り詰めた髪は、つややかな象牙色。小さな愛らしい唇から流れる子守歌は、母と娘を行き来する喜びと悲しみにとまどうかのようだった。
 幼いときには護国法兵士をめざしたこともある才能豊かな娘だった。
 亜ドシュケ閥の宗派に家を持ち、父親は高い地位にあるという。
 本来ならば真四季が結婚できる娘ではなかった。
 彼の二人目の妻もまた美しかった。絶世の美女よと唄われた舞姫。名を千歳雀(ちとせすずめ)といった。
 彼女もすでに真四季の子を妊娠しており、来年の春には子を産むことになる。
 残り三人の妻も、まもなく決定されることだろう。
 その決定に真四季の意志が入れ込む余地はない。
 真四季にとって恥辱である敗戦の記憶は、他柱にとって最高の栄誉となった。
 空前絶後の大海戦を戦い、汎神族の究極技術であるいくさ船・天海女と時を供にした真四季。そして四十年後の約束の刻に敗戦を約束された悲劇の戦士。
 汎神族の理解をも越えた予知戦をくぐり抜けた記憶は、いかなる対価をもってしても得ることのできないものだった。
 ならば一族にその血を迎えたいと思うのは、汎神族の論理である。
 自らが直接に記憶を得ることはないとしても、血脈に希有の記憶を交えることは誉れとなる。
 汎神族の有力な血筋は宗派に関係なく、こぞって娘を差し出した。
 娘たちは汎神族の血の欲求に素直だった。真四季の持つ遺伝記憶の貴賤を問うこともなく、妻となり子を産むことを望んだ。
「優安。あなたは美しい」
 真四季は豊かな母の愛に彩れた彼女を、心から美しいと思った。
「ありがとうございます。真四季様」
 彼女はにっこりと微笑んで右手を差し出した。真四季はその手を取り、睡蓮模様が刻まれた爪先にくちづけをした。
「……しかし私はときどき暗い気持ちになる」
「まあ、稀有の記憶をお持ちの真四季様がそのようなことを言われるとはふさわしくありません」
「あのとき。天海女は勝利を確信した。私もまた敗北を得ることは想像しなかった」
「偉大な戦士であらせられますあなた様にはいつも堂々と誇り高くあって欲しゅうございます」
「征轟丸の姑息なルール破りさえければ、私たちは勝利していたはずなのだ」
 優安は困ったように微笑んで、真四季の手の平にキスを返した。
 唇のぬくもりとやわらかさが、酒のように全身に染み込んだ。
「私は勝者としてあなたに会いたかった」
 真四季は優安をかき抱いた。その熱情に驚く自分がいた。しかしそのことを愛しいと知る魂が心地よかった。
 優安は真四季の胸に身を預けたままささやいた。
「でも、そのおかげで私たちはお会いできました」
「愛している。優安」
 仕組まれた婚姻であるはずなのに、真四季はいつしか優安を心から愛していた。
「うれしゅうございます。真四季様」
「天海女が勝利していたら、私たちは逢うことがなかったのだろうか」
 優安は彼の腕の中から瞳を上げて言った。
「あなたさまと契りました。そして御子を賜りました。優安は幸せでございます」
 なんと正直な娘だろう。
 慎重な言葉選びが真四季には辛かった。
 そうだ。そのときは、彼らは逢うことはなかったのだ。
「優安よ。素直な心よ。私は敗戦の屈辱を伝えることしかできない」
「真四季様。私はそれを誇りとして嫁ぎました。どうか悲しむことのありませぬように」
「私は天海女と征轟丸の海戦を見取る監業官に立候補しようと思う」
「自らいくさ船の敗戦の瞬間に立ち会おうと言われるのですか」
 優安は少なからず驚いて言った。
「そうだ。そしておまえとの子供に、晴れがましい記憶を残したい」
 優安は、はらはらと涙を流した。そして涙をぬぐうこともせずに言った。
「立派な御覚悟でございます。私は真四季様の妻となれたことを誇りに思います」
 真四季は、街を行く女学生にでも触れるかのような慎重さで優安の頬に触れた。
 彼はけなげな妻とひとつになりたいと思った。
「優安……」
 情熱的なくちづけに心が沸き立った。
「優安。愛しているよ。私たちの子供をつくろう。そして心やすらかに暮らそう」
 しかし彼女の言葉は真四季を傷つけた。
「真四季さま……もしお許しいただけますなら」
 娘は汎神族の本能に燃える瞳で言った。
「つぎの御子は真四季様が本懐をとげられたのちに得たいと存じます」
「……そうか」
 優安の罪のない要求に、真四季は優しく笑うのだった。


 インスフェロウのちぎれた身体が宙に舞った。灰色のローブが血と法呪のきらめきをまき散らしてたなびいた。
「インスフェロオォォォォ!」
 カーベルが絶叫した。自らの命令が彼を死に追いやった。自らの正義のために最愛の従属生物が命を落とした。こうなることはわかっていたはずだ。
「インス……インスフェロォ!」
 その叫びにはなんの救いもない。彼女が自身を呪う言葉にすぎなかった。
 ゆっくりと落ちはじめたインスフェロウめがけて、数えきれない奇機が殺到した。
「ぎゃぎゃおおおっ」
 そんな奇機をけちらして、一体の巨獣が踊り出た。
「あれはローズベイブの金の巨龍」
 だれかが言った。そう、金色に輝く手足の短い巨獣は脱出の途中で遭遇した、ローズベイブの研究所を守っていた従属生物だった。
 巨大な顎を洞窟のように広げると、インスフェロウを一飲みにしてしまった。
「がががが」
 金属的な笑い声を上げて、金色の巨獣は地面に潜っていった。
 奇機どもはインスフェロウの血が落ちた場所を去りがたいようすで、演劇会場にたむろする人間のように集まっていた。
「ローズベイブに作られたインスフェロウが、ローズベイブの従属生物に喰われたのお」
 ビバリンガムがため息をつくように言った。
 カチン、とスイッチを切り換えたように、カーベルは命令を発した。
「進むわよ。インスフェロウの作ってくれた時間を無駄にしてはだめだ。はやく」
 インスフェロウの最期に、まるで痛痒を感じていないかのような冷たい表情で人間たちの先頭に立った。
 マギーの門は、そこからわずかに百メンツルだった。
 通路は岩壁に突き当たり途切れた。その正面に、海京から脱出をするための位相遷移装置、マギーの門が美しい桃色の光を発して現れた。
「人間たちよ。疾く門を通過せよ。天海女の地上が汝ら行く先ぞよ」
 ビバリンガムが踊るように腕を振り回して言った。
「さあ、おそろしきカーベルよ。白鷺様を殺した汝も渡りぁ」
 ビバリンガムはしんがりに立ったカーベルに言った。
「…………」
 いつまでも後ろを見ていたカーベルは、すべてを振り切るように門の光に消えていった。


「…………」
 カーベルは自分の涙の冷たさで目を覚ました。
 枕はどこかに行っていた。シーツにうずめた顔に、涙の染みが不快だった。
 カーベルは髪をかき上げてベッドから身を起こした。
 目の前の壁に掛けられた鏡に、ゾンビロウのような肌の色の女が映っていた。
「……なんて顔……」
 あれから三日がたっていた。
 もう幾度も見た夢だ。しかしけっして慣れることはない。
 べったりと糊付けされた舗装道路のように、この記憶は死ぬまで自分をさいなむのだろう。
 しかしそれはプライベートな問題だ。
 カーベルは公人としての自分に戻るために、パジャマを脱ぎ捨てて熱いシャワーのコックをひねった。
 すぐに湯が出てくるのを見て少しだけ安心した。エルアレイのインフラは健在だ。
  今日もエルアレイは動いている。
「……うっ……あ……ああ……」
 長い髪をつたって腰から足に流れていく透明な湯。
 涙は湯にまぎれて誰にも見えない。
 足元のタイルに血のにじみが広がっていることに気がついた。
 カーベルは自分が血の涙を流しているのかと思った。
 しかしそれは生理の出血だった。
「はは……はははっ……」
 身を切り裂く悲しみとは関係なしに、たくましく命の営みを続ける身体が悲しかった。
 それがなぜ戦いの血ではないのかと、魂のどこかで叫んでいた。
「……インス…………インスッ…………」
 

 エルアレイの首都・エルワンには、既に人影がまばらだった。
 マウライ寺には、必要最小限の人間だけが集められていた。それ以外の動ける人間は、ビバリンガムのマギーの門により、どこともしれない異郷の地に脱出していた。
 しかし魅寿司の時間法呪によって固定されて者たちは脱出がかなわなかった。
 彼らは直接に神の意を受けた者たちとして、ビバリンガムも手を出すことができなかったのだ。彼らは人影の絶えた街の中で、彫像のように立ち尽くしていた。
 寺への道を歩くミロウドにはその光景が海京と重なって見えた。
 そんな彼らもいま、人の手によって最低限の解呪が施されて搬送が開始されていた。時間法呪の闇に捕らわれた者たちは、地面から剥がせるだけの解呪を受けて、一人ずつ寺に集められた。
 人間はマウライ寺を最終防衛地点としたのだ。
 寺の大堂には、島中から集められた観測機器の端末が並べられていた。
 とぐろを巻くケーブルの隙間に、いくつものチームに分かれた人間たちが張りついていた。
 カーベルがマウライ寺に遅い出寺をしたときには、すでに業務は全開で回っていた。
「シ・エンタ国から入電。勇敢なる貴島市民の奮戦に報ずる。市民受け入れの準備あり。要請文書を請う」
「カイザリオース国から入電。エルアレイ巨大化を確認。技術部隊編成の要あらば迅速に応えることを約する」
 各国からの支援申し出が、続々と入電していた。
 カーベルたちの作戦行動のほぼすべてが、多くの国に伝えられていた。エルアレイか失われるという前提で、最初は支援に消極的だった国々も、いまは我先に支援を申し出ていた。
 島長ショーマン・ネイサンが皮肉とも感謝ともつかない口調で言った。
「イシマ将軍。ロスグラードが一番熱烈ですよ」
「我々の生命もまたロスグラードの財産ですから」
 当たり障りのない答えで、イシマ将軍はかわした。
 観測室に当てられた小懺悔室では、因果療法士ミュールベンツが、宙に浮かぶ立方体の水の塊に、下から頭を入れていた。鼻から上が水のなかだ。彼には様々なものが見えているようすで、しきりに眼を動かしていた。
 カーベルが腰をかがめて、若い因果療法士に聞いた。
「……で、どうなの。ミュールべンツ。天海女は海底に着底したの?」
「エルアレイは、わずかに動いています。まだ海底には至っていない模様です」
「くそ!」
 カーベルは、椅子の背もたれを殴りつけて立ちあがった。
 空娘と呼ばれる十歳前後の療法士見習いの女の子が、トレイに赤ワインを満たして配っていた。カーベルは二杯を取ると立て続けにあおった。アルコール度数が低く糖度の高い炭酸ワインは頭の回転を良くした。
「しかしカーベル様。エルアレイの回りの海は、巻き上げられた海底の泥で濁っています。海底に触れていることはたしかでしょう」
 ミュールサンツが言った。
「もう時間がないわ」
 顔に皺に寄せることを嫌うカーベルは、面のような無表情で不機嫌をあらわした。
「カーベル様。重力光を確認しました。征轟丸の自己通信と思われます」
 首席因果療法士に就任したサインが、一段高い舞台の上で、カモミールの花束のような表示破を読み取って言った。
「来たか……」
 カーベルが拳を握りしめてつぶやいた。
 彼らが集まっている寺の大堂には、軍令部も同居していた。
 ゲイゼウス、イシマらをはじめとして、作戦にかかわったほとんどの者が待機していた。
 いま彼らにできることがなにかは、誰にもわからない。
 サインたち因果療法士のもたらす情報だけがすべてだった。
 マウライ寺の周囲の陰気が強くなった。不気味な金属質の気配が寺の中にまで流れ込んできた。天海女が接触しようとしていた。
「カーベル。カーベル。僕の声を聞いて。約束の刻が来るよ。長かったそのときまであとわずか。それは2カン後だよ」
 天海女が魔法のように話しかけた。
 法呪をよくする者ならば、誰でも聞き取れる少年の声で天海女が言った。
 カーベルに話しかけることを由とした天海女は、無防備なほどに彼女に声をかけた。
「天海女。2カン後になにが起きるの? 私たちが生きてこの地に留まるためにできることはなに?」
 カーベルの率直な問いに、天海女は幾度めかの同じ答えを言った。
「僕に二発の魚雷が命中するんだ」
「ほんとうにそれだけなの? ほんとうにそのことがあなたの負けになるの」
「そうだよ。カーベル」
 しかしカーベルにはそのことの意味がどうしても理解できなかった。
「カーベル。征轟丸の攻撃が始まったよ」
 天海女が言った。ほとんど同時に因果療法士サインが報告した。
「征轟丸から無数の飛行体が離陸しました。数は……不明です。祭り火に群がるクンフのようです」
 兵士たちは射出兵器を手に取って寺の境内に散開した。
 イシマ将軍が鉄の塊のような、にび色の甲冑を鳴らして命令した。
「いいか。エルアレイはまもなく海底に着底する。エルアレイを守ることを考える必要はない。そして征轟丸の攻撃対象が我々人間であるとは考えがたい。諸君は積極的に戦う必要はない。この寺と、ここに集う人間たちを守れば良い」
「おう!」
 再編成された十七の小隊は、寺の境内を中心に配置についた。
 征轟丸の法呪攻撃に備えるために、兵士と僧兵がチームを組んでいた。
「……見えました。征轟丸の飛行体は生物です」
 カーベルはつぶやくようにたずねた。
「天海女。なぜ征轟丸はこの期に及んで肉弾戦を挑んでくるの?」
 天海女は静かに答えた。
「説明には多くの時間が必要だね」
「この戦いは天海女、あなただけで戦い抜けるものなの? 私たちは自分たちを守るだけの戦いにとどめたいわ」
「それはかまわないよ。このささやかな戦いは、約束の刻に意味のあるものではないから」
「無意味な戦いに命が失われていくのね……」
「未来を知ることはつまらないね」
「……それでも彼らは、未来を自分のものにするために戦おうとしているんでしょう」
 天海女の声が一瞬とぎれた。
「カーベル。君は約束の刻を迎えたあと、どうするつもり?」
「なんのこと」
「君はこの戦いでたいせつなものをなくしているね」
 ビドゥ・ルーガンが贄と連れ去られた。ザイスがミロウドを守って死んでいった。
 そしてインスフェロウを彼女が殺した。
「私怨を晴らす戦いを起こすと思っていたよ」
 カーベルは小さく笑った。
「なによ。そんなことをするな、とクギをさしているわけ?」
「ううん。興味があっただけさ」
「物騒ね。天海女」
「僕はいくさ船だから」


 人と征轟丸の従属生物の戦いが始まった。
 彼ら人間は広いエルアレイの全土を守ることはせずに、マウライ寺を中心とした拠点防御のみに徹した。
「天海女、天海女。私たちを守る戦いを」
 カーベルは祈り訴えた。
 それに応えて、天海女は真横に降る雨を飛ばし、空飛ぶ従属生物を圧倒した。
 なぜ約束の刻が迫った天海女に、征轟丸が肉の攻撃を加えるのかはわからない。しかし恨みを晴らそうとするかのように、後退することを知らない従属生物の攻撃は陰惨を極めた。
「反動性障壁を構築する。右寺僧兵配置!」
 カーベルの命令で、マウライ寺所属の僧兵二十人が隊列を組んだ。
 衝突したものに、等しい力を跳ね返す法呪障壁が寺の上空に展開された。
 それはきらきらと輝き人の目にも見えた。八角形のガラスが立体的に繋ぎ合わせたような不思議な構造だ。
 まるでマウライ寺全体が宝石の泡に閉じ込められたような幻想的な光景だった。
 しかし肉視できるはずの反動障壁めがけて、翼を持つ様々な姿の従属生物は突撃をくりかえした。
 高空からの運動エネルギーがそのまま従属生物に跳ね返る。
 たちまち血しぶきがあがり、薄い血の雲が広がった。
 衝突の衝撃で障壁を破ることはできなかったが、血がけがれを呼んで、障壁の効力は見る見るうちに落ちていった。
 効力を失った反動障壁の切れ間を巡って、死守しようとする人間と、進入しようとする征轟丸の従属生物が激しい肉弾戦を戦った。
 巨龍用の強力な火矢が、棒でも撃ち殺せそうな弱い従属生物を四散させた。
 征轟丸はすでにコントロールのほとんどを失っていた。戦うことを知らない環境生物までが天海女に飛来していた。征轟丸を整備するための従属生物までが天海女に送り込まれた。それはまさに血で血を洗う死戦だった。
 極度の集中で鼻血を流したサインが、極知盤を操作して言った。
「探知。三時の十二に法雲出現。巨大生物が出現します!」
 彼の声と極知盤からの座標情報は、蜘蛛の糸のように寺内に張りめぐらされた糸鏡を通って、過酸化草砲隊に伝えられた。
 糸鏡を抜けた情報は、等身大の鉛鏡に映像として投影された。過酸化草砲の巨大な砲身が、空から降りしきる血の雨に濡れて光った。
「僧兵! 反動障壁補完用意」
 砲兵隊長が命令した。強力な過酸化草砲の砲弾が内側から粉砕する反動障壁を、ただちに張りなおすことを命じたのだ。
 油脂鳥の籠が接続されて、砲口はなにも見えない虚空に狙いをつけた。
 砲弾には貫通型ではなく、残酷な破砕型が選ばれた。
 サインが寺の中から秒読みを開始した。
「5、4、油脂鳥開放、3」
 そのとき征轟丸の従属生物が乱舞する空に、不気味な人型が姿を現した。
 法雲にまたがるように動く、鋼鉄の鎧をまとった筋肉の塊だ。身の丈十メンツルはあろうか。
 手には船ほどもある斧をたずさえていた。
 人々は身の毛もよだつ巨人の姿に恐怖した。ぜったいに地上におろしてはいけない。
「2、点火、1」
 轟音が大地を走り、音と熱が空を破裂させた。
 衝撃波は水蒸気を生み、飛ぶものを叩き落とした。
 砲弾は実体化した巨大ゾンビロウを、腐った桃のように四散させた。
 破砕砲弾の破片は指先ほどに砕けながら、徹底的に肉をすりつぶした。
 九つに折れた斧と、挽き肉と化したゾンビロウの残骸が、腐った肉汁とともにマウライ寺を汚染した。
 強化された骨格だけが、大木のように地面に激突した。
 反動障壁構築のために進出していた僧兵五名が下敷きとなり重傷を負った。
 彼らが構築していた反動障壁が極限まで薄く伸びた。
「私がいきます!」
 ミロウドが叫んだ。
 障壁構築用の布符を折り込んだワイヤー二十メンツルの輪を肩に担いで少女は走りだした。
 自分の体重ほどもある束を、かけつまろびつ敷設していった。
 傷ついた僧兵たちは、折れた腕をかばうこともせずにミロウドの回りに集まった。
「甲を装い打つもの逸らし、呪をまといて法を帰す」
 短い法呪文が幾千回も唱えられた。森の腐葉土が薄皮を重ねて、厚く大地に地層を重ねるように、ワイヤーと符に蓄積された法呪は、従属生物の攻撃によく耐えた。
 しかし寺の中では再び大規模な未確認生命の出現が探知されていた。
「カーベル様。こちらサインです。巨龍なみの重量物が寺の八時六十一に出現します。これは……この位相遷移は……」
「どうしたの。サイン! 聞こえない」
 最前線で激戦を戦うカーベルには、サインの異口伝耳がよく聞き取れなかった。
「カーベル様! エルアレイの中です。内側からなにかが出現します。カーベル様の左です。退避してください!」
 悲鳴のようなサインの言葉が終わるか終わらないうちに、赤黒い位相遷移の闇が現れた。
「ああっ!」
 カーベルたちは、激しい重力移動のために地面に引き倒された。
 小さな従属生物は、力にはじかれて位相の彼方にはじき飛ばされた。
「ぎゃああああおおぉぉ」
 破壊力を持つがごとき雄叫びをあげて、金色の龍が姿を現した。
 大地が瓶の中に押し込まれたようにシェイクされた。
 立つことも寝ることもできない激震の中で、征轟丸の巨龍を上回る体躯を持つ巨大生物がエルアレイの大地を割って現れた。
 カーベルはその龍を知っていた。目に焼きついて離れない凶々しくも美しい怪獣。
「……おのれ……」
 死ぬまで忘れることはない仇。
 それは海京でインスフェロウを食らった金龍だった。


 

 

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