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わたしのおまえ

第6章−7

 

 −−インスフェロウが汎神族ーー
 ーーインイフェロウは白鷺ーー
  その言葉の意味は、ミロウドたち居あわせた人間の心に静かにしみ込んでいった。
「み、魅寿司様……なにをおっしゃいますか……しかしそれは」
 カーベルは質の悪い冗談を聞いたかのように、口もとを引きつらせて笑った。
「インスフェロウは……彼は私に従います。神が、まさか、人間ごときに従うわけがありません」
「聞いてみるがよい。白鷺様に」
「…………」
 カーベルは幽霊を見るような目で、己の従属生物を振り返った。
 インスフェロウはいつもと変わらぬ美しい金の眼で彼女をみつめた。
「カーベル。私はインスフェロウだ。おまえに従う」
「インス……私は、おまえの素体を知らない……」
「魅寿司殿が言うとおりだ。私はかつて白鷺と名乗っていた」
 重いハンマーで心臓に杭を打ち込んまれているかのようだった。
 カーベルは胸の苦しさに凍りついた。
「……でも、どうして……いままでそんなことは一言も……」
「征轟丸の魚雷攻撃によって瀕死の重傷を負った私を、白鷺を、人間の博士ローズベイブが素体として用いたのだ」
「そんなことが許されるのですか」
「ローズベイブがいなければ、私は死んでいたよ」
「……この現実をいつから受け入れていたのですか」
「おまえと会ったときからだ。カーベル」
 カーベルは拳を口もとに押し当てて涙を流した。
 汎神族が人の手で改造されて、あまつさえ人の従属生物として生きることを強制されていた。そのことの恐ろしさに涙があふれた。
「……わたしは……私は……なんてむごいことをしてきたの……」
「ささいなことだ。カーベル」
 カーベルは彼の言葉に頭を垂れた。
 インスフェロウの汎神族を恐れない振る舞いは訳があったのだ。
 神は記憶を忘れることはないが、嘘をつくことを知っている。
「ああっ……わかった」
 魅寿司がため息をつくように言った。
「天海女と同じく白鷺様もアルルカンの魂袋という忘却エンジンに影響されていたのだな」
「魅寿司さま?」
 カーベルが聞いた。
「天海女の勝利のために都合の悪い記憶を隠蔽した魂袋だ」
「ですが、魅寿司様。白鷺様は……インスフェロウ……様は、天海女の敗戦を知っています」
「白鷺様は自らが人の従属生物と化したことを由としている。不満に満ちた心を持たない。それは天海女にとって良いことだ」
「……なぜですか?」
「敗戦の神は佐竹様のように拘束されるのがルールだ。しかし従属生物であるならば、人とともに自由に行動できよう」
「しかし人の従属生物などとして生き恥をさらすことになりましょう」
 カーベルが言った。
「アルルカンの魂袋は、天海女にとって都合の悪い記憶を隠蔽した。すなわち白鷺様がインスフェロウとして生きることに恥を感じるということは、天海女にとって都合の悪いことなのだ」
 神の論理の荒唐無稽さに、人々は言葉を失った。はたしてアルルカン自身が、このことを理解しているものなのか。
「白鷺様が私に従属しているのは……天海女にとって都合が良いからだと?」
 カーベルがのろのろと言った。
「魂袋の力は単純だ」
 魅寿司がゆっくりと言った。
「天海女に都合が良いか悪いかだけなのだ」
「カーベル」
 インスフェロウの力強い確信に満ちた声が言った。
「私はおまえと共にいることを誇りとしている」
「……でも、でも。信じられない。神様がそんなことを納得できるなんて……」
 そのとき、虚空から声が轟いた。
「カーベル。信じろ」
 同時に真っ白な稲妻がインスフェロウに炸裂した。
「がっ!」
 声にならない悲鳴を上げて、インスフェロウの巨体がはじき飛ばされた。
 印肢が数十本も千切れて飛び散った。
 続いて二発三発と、白光がインスフェロウを襲った。
「真四季様!」
 カーベルは神の名前を呼んだ。これが真四季の行いであると、本能的に察したのだ。
 四発目の稲妻が伸びる前に、カーベルは反呪場を展開した。稲妻はインスフェロウに触れる前にはじき返されて、声のした方角で散った。
「カーベル。おまえがいかにあらがおうと、約束の刻は来る。おまえが人間を守ろうとして時間を費やすことは幸いだ。天海女の戦いに関与する時を失うことを意味するからだ」
 真四季はこの場には存在しなかった。
 彼の柱は海京に向かって外部から干渉してきた。位相定数が刻々と変化する現在の海京にシンクロし続けるのは信じられないテクノロジーだった。
 しかしそんなことに気づきもしないカーベルは己の思いを叫んだ。
「真四季様。私は天海女が勝とうが負けようが意に解しませぬ。天海女がエルアレイとして大地を海上に残せば良いのです。私は約束の刻を受け入れます」
「佐竹様がお聞きになったなら、どのように思われることだろう」
 真四季の言葉に、カーベルの胸の奥がうずいた。
「見ろ。おまえたちの招いた結果を」
 彼らの前方に、奇怪な空間が口を開きつつあった。それは天海女がカーベルを海京に呼び寄せたゲートに似ていた。
「なに……あれは」
 カーベルの脳裏に、佐竹の記憶が持つ不吉な映像が浮かび上がった。
 あれはラインだ。位相空間を短絡させて、異なる地域をショートカットさせるための技術だ。では、いったいどこから?
「征轟丸だ」
 真四季は陰鬱な声で言った。
 征轟丸のゲートから桜の樹が根と枝を伸ばしはじめた。天海女を浸食しようというのだ。天海女の異常を、いくさ船たる征轟丸が見逃すはずはなかった。
「どうする。カーベル」
 傷ついたインスフェロウが指示を求めた。
「……インスフェロウ。白鷺様……なんとお呼びすれば良いのですか?」
「カーベル。私はいつもおまえの命令以上のことをしてきたと思う」
「……しらさぎさま……」
 インスフェロウは再び立ち上がった。少しも乱れない自信に満ちた物腰でカーベルの右手を取った。
「しらさぎ……さま?」
 インスフェロウは目で微笑んだ。
 彼女の体をダンスパーティーのように、くるりと回した。そして二人がむきあった瞬間。左手がカーベルの右胸を、パフッとつかんだ。
「……ン……」
 カーベルは妙な声を出して硬直した。
 甲冑の上からだ。直に感じたわけではない。
 しかし豆鉄砲をくらった鳩のような顔で、彼女はインスフェロウの金の瞳を見上げた。
「言ったろう。私はいつでもおまえを愉快にさせる用意があると」
 インスフェロウは笑っていた。
 真四季の攻撃を受けて血を流しながらも、カーベルのためにユーモアを忘れなかった。
「インス……」
「カーベル。これは我々の戦いだ。人間とエルアレイの大地を守るための戦いだ。それで十分だ」
「しらさぎさま……インスフェロウ……私は」
 ふたたび真四季の電光が襲いかかってきた。
 しかしインスフェロウの印肢が一振りされただけで、稲妻はへし折れて地面に吸い込まれていった。
「アドバイスさせてもらうなら、ラインは多くの場合双方向でつながっている」
「双方向……? こちらからも征轟丸にいけるの?」
 戦士の目を取り戻したカーベルに、インスフェロウは微笑んだ。
「私の記憶では、天海女はまだ打撃力を残しているばずだ」
「……ちょっと、インスフェロウ。手」
「なに?」
「いつまで胸を触っているつもり?」
「やあ、しまった。あまりに具合が良かったものだからな」
「ふふん。当然よ」
「ほほおおおっ。まったくであるな」
 甲高い声が言った。
 インスフェロウほどの長身のピエロが、いつのまにか彼らと並んで立っていた。
 その細長い掌が彼女の左胸に当てられていた。
「煮えくり返る情熱の柔肌であるな」
 ビバリンガムはインスフェロウとカーベルに、交互に笑いかけた。
「……き……」
 きゃあ、と悲鳴をあげるかわりに、彼女はビバリンガムの膝を蹴りあげた。
 そしてインスフェロウを拳で力いっぱい殴りつけた。
 インスフェロウは三才児のヒーローパンチでも受けたかのように、気持ち良さそうに笑った。
「わかったわ。征轟丸はここと繋がろうとしているのね。チャンスじゃない」
「チャンス。良い言葉だ」
「インスフェロウ。征轟丸はどこにいるの? それがわかれば、こちらから攻撃することもできるのね」
 カーベルが言った。
 彼女の言葉を合図にしたかのように、地の底から少年のくすくすと笑う声が沸き起こった。
 じわり、と陰気が周囲に染みだした。
 魅寿司が苦しげにうめき声を上げた。
「過激なおねえさん」
 慇懃無礼に少年の声が言った。
 天海女だ。
 カーベルは天海女が聞いていたことを当然のように彼に呼びかけた。
「天海女。天海女ね?」
「そうだよ。僕はあなたの舞を見ていたよ」
「天海女。あなたは知らないの? 征轟丸の居場所を」
「可能性としてしかわからないよ」
「のろしでも上げればいいんでしょ? 簡単じゃない。赤龍を爆発させればイッパツよ」
「赤龍? 征轟丸に取り込まれた魚雷の赤龍?」
「そうよ。魚雷の本性を取り戻せばいいだけじゃないの。簡単よ。アルルカンが天海女にしたように、赤龍からみじめな敗北を忘れさせてあげればいいのよ。そうすれば征轟丸をやっつけられるわ」
「アルルカン。聞いたかい。カーベルは面白いことを言ったよ」
 天海女はカーベルのアイディアに従った。
「アルルカン。赤龍に夢を」
 アルルカンは天海女を通してカーベルの言葉を聞いた。
 そんなことができるものかアルルカンにもわからなかったが、魂袋の力を強くすることを念じた。そこに生まれた忘却エンジンの力は、天海女のすさまじい推論場と重力による情報ネットワークで征轟丸に深く作用した。
 それは征轟丸が世界の裏側にいたとしても確実に作用する技術だった。電波と違って重力による情報伝播をさえぎる手段はない。その妨害の技術を汎神族も持たない。
 世界のいずれに征轟丸がいるかを知る必要がないのだ。
 拡散して実体を失っていた赤龍が、アルルカンの魂袋の呼びかけを聞いた。
 アルルカンの甘い声は、赤龍をして魂袋の呪いに溺れさせた。
 すなわち都合の悪い情報を隠蔽した。
 敗北に捕らわれた哀れな心を消し去り、いまだに戦いが継続している錯覚を覚えさせた。
 カーベルは天海女に言葉のイメージを伝えた。
「赤龍よ。おまえのは天海女の魚雷だ。強く戦い、敵を害する必殺の兵器だ」
 天海女は彼らいくさ道具の論理に沿う翻訳を行い、アルルカンの魂袋を経由して赤龍に語りかけた。忘却エンジンの効力は確実に征轟丸に届いた。
「……かっ……」
 征轟丸の中で拡散していた赤龍は再び考えはじめた。自らが倒すべきは何者かを。 
「卑怯であるぞ!」
 それは征轟丸の叫びだった。
「人はいくさ船を慶ばせるために乗り組むのだ」
「人が直接に我を攻めることは戦規に反するぞ」
 しかしその声はカーベルたちには理解できなかった。
「監業官殿! 人間どもをいさめよ。天海女にルールの尊守を勧告せよ!」
 するどく稲妻が光り、はるか天空から汎神族の意志が示された。それは征轟丸を推しているかに見えた。しかしはげしい電気の嵐も重力ネットワークの情報線には干渉できなかった。
「捕まえた征轟丸だ」
 ロックオンの意識を天海女から受けたカーベルが言った。
「重力波でアルルカンと赤龍の間にラインを開け。みんなで攻撃法呪をたたき込め!」
「応」
 イシマたち人の戦士は、残された装備を繰り出して、巨大な打撃法呪をラインに送り込んだ。
 赤龍はカーベルの声を聞くと同時に、急速に実体化を始めた。
 塵と化した身体が肉となり、情報と化した魂が紅く燃え上がった。
 赤龍を排斥しようとする征轟丸の戦闘従属生物が群がったが、祭り人の送り込んだ破壊性打撃法呪に焼かれて倒れた。
「天海女! ラインに魚雷を送り込んで!」
 カーベルが命令した。そんなことができるかは知らない。しかしできそうな気がした。
「天海女、早く! ラインは法呪を通したわ」
「やってみるよ。カーベル」
 けなげな少年の声で天海女がる答えた。カーベルたちの背後から家よりも大きい真っ赤な光が現れた。眼前にある見えないスクリーンを突き破るかのように、 光の波紋が人間たちの目の前に広がった。人には理解できない征轟丸の防御壁を突き破り、天海女の魚雷が次々と征轟丸の中に撃ち込まれた。
 同時に天海女はあらゆる生物の想像を超えるいくつもの攻撃を加えた。
 征轟丸の攻撃もまた素粒子レベルでラインの周辺を破壊しようとした。
 カーベルたちには認識できなかったが、世界中の僧兵が一致団結しても構築することができない防御法呪が、彼女たちを守っていた。
 いくさ船の戦いは有効な打撃以上に、牽制と攻撃の無効化が激しく交差した。 
「おおおっ。これはなにごとか! このような戦いはありえない」
 征轟丸は悲鳴を上げた。いくさ船らしいすばやい反応で、天海女の魚雷の半数をも迎撃しつつも、押し寄せる物量をかわしきれなかった。反撃するための魚雷を征轟丸は既に持たない。
「ぎゃぎゃおうう」
 征轟丸の内部に至った魚雷たちは、めきめきと変形を初めて赤と青の龍に転じた。彼らは呪いの汚れをまき散らしながら、天海女の位相遷移構造を喰い破り、隠された位相へもぐり込んでいった。
 自在に姿を変える魚雷たちは、紐状になり霧状になり、龍となり、触れるもの全てを汚染した。
 たちまち征轟丸の位相遷移構造の多くの場所に魚雷は蔓延した。


 カーベルは手に攻撃符を持ったまま、カリンビールの元に立った。
 海京の戦士たちは奇機を押し止めて、カーベルと対峙した。
「恐れを知らぬ女。我が海京を破壊した女よ」
 カリンビールが震える声で言った。
「カリンビール。戦いの時よ。力を貸して」
「……これは、いったいどうしたことだ。カーベル。なぜおまえは天海女と語り、真四季様に責められる。おまえはいったい何者だ」
「天海女を海の底に沈めたくない。そしてみんなで生き残りたい」
「おまえに与することは正義なのか? 天海女の大儀に沿うことなのか」
「ぼやぼやしていると、みんな征轟丸の餌食になるわよ」
 カーベルたちの攻撃に傷つき、仲間に支えられている者も多い。手足を失った奇機もいる。彼らの真ん中に立ち、カーベルは傲慢にも自らの要求をつきつけた。
「私たちと共に征轟丸を退けるのよ」
 そのとき天海女がカーベルに呼びかけた。
「大変だよ、カーベル。ラインを逆操作された」
 天海女の攻撃従属生物がラインをさかのぼって、天海女に押し寄せてきた。
 ラインの奥から黄色い光がサーチライトのように照らされた。光の端から人に倍するトカゲの怪物が実体化した。
 なぜ天海女が人の言葉で話しかるのかはわからなかった。天海女にとっては、人が聞き取れる言葉をひとつでも発するあいだに、人が一生かけても語り尽くせない物語を紡ぐことができるのだ。それでも天海女はカーベルに話しかけた。
「征轟丸の従属生物が進入するよ」
「ラインを守れ! 従属生物を活動させるな!」
 カーベルが言った。
 たちまち乱戦の場と化した天海女は、あらゆる法呪と物理兵器の応酬によりつぶしあいとなった。
 ラインを通って、征轟丸から巨大な人間が現れた。
 銀色の身体を持つ、毛のない人間だ。身体に緑の奇妙な文様が描かれた、身の丈十メンツルにも及ぶ異形の者だ。その回りにはウンカのように、白く小さなクンフの大群が乱舞していた。
「人間を素体にした従属生物か」イシマが言った。
 巨人はライン出口の端々に両手両足を当てて雄叫びをあげた。
「しまった。ライン出口を固定された」
 イシマたちは巨人を砲撃した。しかしクンフがバリアを形成して、巨人には傷ひとつつかない。
 カーベルは魅寿司のかたわらに立つビバリンガムに言った。
「極楽ピエロ! どうして戦わないのよ」
「むむむ。我は極楽ピエロかや? しかし戦うことは私の本分ではない」
「だったら魅寿司様をお守りしなさい」
「魅寿司様の目の届くところで働く栄誉は、魅寿司様が目覚められてから行おう」
「バカ!? 私がいいつけてやるわよ、そのセリフ。点数稼ぎの余裕あるわけ?」
「魅寿司様を傷つけたおまえの言葉は矛盾だらけだ」
「理解できないっての? ばか!」
「カーベル。おまえの行動の全体は論理的だ。しかし理解を超えている。おまえは自分がいちばんかわいいのだ」
 ビバリンガムは、笑うように目を細めた。しかし針の穴のような瞳はけっして笑っていなかった。彼女の一言一言をチェックして、言葉と行動を誤ったならば、すぐにでも首を飛ばす用意があるかのようだった。
「……私の正義が、ほんとうにみんなのためにならないのなら、そのときは……」
 カーベルは飛んできた征轟丸の毒槍を甲冑ではじき返すとビバリンガムに向かって言った。
「おまえを殺して、みんなを言いくるめるわ」
「なんと」
 爆煙が渦巻く中、ビバリンガムは対峙している相手が人間であることの非現実感に捕らわれた。
「……魅寿司様はまかせよ。エゴイスティックな魂。時代がおまえに味方しているのならば、抗うことは損であるな」
 無理が通れば道理は引っ込む。
 ビバリンガムは唇だけで笑いながら、人のことわざの意味を噛みしめた。
 ほんとうになにかを守るということは、限りなく独善的でなければならないのかもしれない。それは感情的なことであり、汎神族やその従属生物が人よりも秀でているわけでもない。生物の生存本能に根ざした意識の賜物だった。
「カーベル。魚雷は征轟丸の中で爆発配置につくよ。ラインはもういらない」
 天海女が言った。
「よし。ラインを閉鎖して。巨人ごと押しつぶせ!」
 カーベルが叫んだ。征轟丸が開いたラインを利用したあげく、自らの都合で閉鎖しろという。天海女は彼女の命令を楽しんでいた。
 合理的だがひどいセンスだ。盗人猛々しいにもほどがある。
「インスフェロウ。巨人の足元に重力塊設置。ラインの出口を倍も重くして」
「応。カーベル。肘と膝の間接外側のほうが効果的であるぞ」
「まかせる」
 打てば響くインスフェロウの言葉に微笑みが漏れた。
 良い感じだ。
「ここはもういい。脱出します。煙幕展開!」
 彼女の命令はイシマたちによってくまなく伝えられた。
「カーベル。ライン閉鎖の始末はまかせろ。脱出の先陣を切れ」
「了解。インスフェロウ。まかせたわ」
 人間たちは必死に隊列を組み直して、ビバリンガムのマギーの門を目指して進んだ。
 通路はいまや洞窟の様相を呈していた。崩れかけた通路は、岩と木の根が絡み合う迷路だった。いくつもの分岐を通りすぎた。
 見通しのきかない薄暗く狭い通路の後方から、征轟丸の従属生物が迫り来る不気味な音がこだました。
 天海女と共に巨人を押しつぶし、ライン閉鎖に成功したインスフェロウがカーベルたちに追いついた。
「カーベル。移動速度が遅いぞ。これではすぐに追いつかれる」
「魅寿司様をお運びしているから」
 汎神族の身体は大きい。人の負傷者を運ぶのとは訳が違った。
「インスフェロウ。しんがりをお願い。カリンビール。奇機を五体を彼の援護に」
 カーベルが命令した。
「応」
 インスフェロウは、すぐさま取って返して、従属生物の迎撃に回った。
「……カーベル様……」
 人間たちは息を呑んだ。
 インスフェロウが汎神族・白鷺であると知れたいまも、カーベルは彼を自らの従属生物として使役した。
 誰もがそのようなことをできるとは思わなかったのだ。しかももっとも危険な最後尾に配置するという。
「カーベル様。我らもインスフェロウ様とともに」
 エルアレイ軍の第六小隊が言った。
「……よし。行け」
 カーベルは小隊長である若者の肩に指先で触れて応諾した。
「ありがとうございます」
 若者たち三人は、仲間から重火器を借り受けるとインスフェロウの後を追った。
 さらにその後を、カリンビールの命を受けた奇機が六体進んでいった。
 人々は冷たいカーベルの後ろ姿に恐怖した。
 ミロウドまでが、カーベルから数歩も歩みを遅らせた。
 岩の闇を走って彼らを先回りした征轟丸の狐型従属生物が、死角からカーベルに襲いかかった。
 しかしカーベルは振り返ることすらせずに、狐の首を鷲掴みにした。そのまま地面に叩きつけて、法呪を使うこともなく踏みつぶした。
 彼らの遙か後ろから、インスフェロウたちが敵と激突した音が聞こえてきた。
 信じられない怪物の雄叫びが、長い響きとなって通路にこだました。
 カーベルは自らの手についた狐の血に気づいた。
 大きな曲がり角を曲がるときに、彼女は右手を灰色の岩になすりつけた。
 刷毛で引いたように、真紅の血が^べっとりと帯を引いた。


 傷ついた魅寿司を、大柄な兵士が三名がかりで支えた。女神は眼をつむり、不幸な現実から逃避しているかに見えた。ビバリンガムは女神を慰める不思議な法呪を唱えつづけていた。
 インスフェロウたちの迎撃を突破した怪物が、二匹、三匹と襲いかかった。
 彼らは無能な野獣ではない。征轟丸の従属生物の名前にたがわず狡猾で勇敢だった。
 知性のかけらもない、と見える牙と爪の化け物も、体のいずれかには機械学の兵器をそなえていた。けっして一体では攻撃を仕掛けてこなかった。
「カリンビール。奇機に時限質量場を作って。奴らの攻撃を吸収して」
 カーベルが命令した。
 火薬による固体弾と、法呪の力が狭い通路内で炸裂した。
 攻撃する従属生物も、守る人間の戦士たちも、溢れる力に自らが傷ついた。
 カーベルの指示は、すみやかに実現されていく。天海女の戦士たちが作りだした時限質量場の起動証を背中に張りつけた奇機が二体、征轟丸の怪物たちの後ろに回りこんだ。一体は、空中で氷に切り裂かれて絶命したが、ずたずたの体は生前の意志どおりに彼らの背後に落ちた。
「3、2、1。起動」
 カリンビールが時間を数えきった。その瞬間、勇敢な奇機の背中に質量場が発生した。
「ぎぎっぃぃいい」
 征轟丸の従属生物どもは懸命に反呪を起こそうとしたが、急速に展開した重力場に引きずられて歩みを止めた。その頭上で洞窟の天井が重力に引かれて崩落した。複雑な構造物と植物の固まりが従属生物を埋めつくした。
「イシマ将軍。埋まった征轟丸の従属生物の周囲に炸裂弾を撃ち込んでください。同時に時間遅延場で固定」
「応」
 矢継ぎばやにカーベルの命令が繰り出された。
 その意図に気づいて、ビバリンガムがうなった。
「……おそろしや。従属生物どもが仲間を助けようとした瞬間に、炸裂弾がはじける仕掛けかや」
 一瞬一瞬の時間を稼ぐことが彼らの生還への道だった。

 

 

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