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祭りのあと

第6章−4

 

 一日ほどの時間がたち、祭りは小康状態に入っていた。
 海京の家のひとつにカーベルたちは招待された。間口の狭い家の外観からは想像もできないほど、中の造りは広かった。
 鰻の寝床という造りだ。奥行きが異様なほど長く取られた構造だった。
 その細長い部屋の中央には、小振りな庭園まで設けられていた。
 どこから射し込むのか、薄暮の光が長く部屋のなかを照らしていた。
「カーベル。みごとな舞いであった。天海女への祭として申し分ない働きだった。そちらのミロウドも法呪をよくすると見受けられる。ぜひ舞いを見たいものよ」
 カリンビールはカーベルに白い米の酒をすすめながら上機嫌で言った。
「いいえ。私などはとても……皆様の前で舞うなど、心苦しいかぎりです」
 あまり酒に強くないミロウドは、ほんのりと頬を染めて言った。
 カーベルの言いつけを守り、祭りの間中なにも食べていなかったザイスは、若者らしい食欲で米と野菜を素材とした料理を頬張っていた。
 カーベルは酒はきらいではなかったが、独特の風味を持つ米の酒は苦手だった。
「まずは食べて精をつけたまえ」
 カリンビールは祭りの高揚を無邪気に楽しんでいた。
「天海女は、きっと慶ぶに違いない」
 カーベルたちが招かれた酒宴は、十二人ほどの小さな宴だった。
 座についているのはすべて人間だ。艶やかな祭りの装束を片袖脱いでリラックスしていた。男も女もいる。濃い化粧のために、顔の造りがわからない者までいた。
 彼らの間をまわり、甲斐甲斐しく膳の用意をしているのは、メタン蟹をベースにした人間の従属生物だった。それは陸に住む、座椅子ほどの大きさの紅く大き な蟹だった。長い腕を持つ二本のはさみで器用に皿を運び、とっくりから酌をした。鋭い足先が床を傷つけないように、桜模様のかわいらしい足袋を、六本の足 に履いていた。
「カリンビール。私は初めていくさ船の祭りを見たのですが、見事なものですね」
 カーベルは愛想良く笑って言った。
「いくさ船に乗るということは、一族の名誉である。それはどんな王宮で職につくよりも名誉なことだ。皆、優れた法呪の使い手ばかりであるからな」
 カリンビールは誇らしげに言った。
「……カリンビール。ひとつ聞きたいのですが。天海女の戦いが完了したとき。あなたたちはどこに行くのですか?」
 カーベルが聞いた。
「天海女の勝利とともに我々の役目は終わる。それは寂しいが名誉なことだ。我々は故郷に帰ることになるだろう」
「ふるさとに帰るのですか?」
「もしくは戦うための汚れた存在である天海女に住みつづけるかだ」
「天海女に住みつづけるという選択肢もあるのですか」
 カーベルは驚いて聞き返した。
 カリンビールは陶器の小さなタンブラーから、カーベルの小さなグラスに白い酒をついだ。カーベルは温かい酒を、息を止めて飲み干した。
「神々は天海女に住むことができない。なせならいくさ船には、神々を狂気に陥れる陰気がつきまとうからだ」
 カリンビールが言った。
「陰気……人間には害がないと」
 カーベルの言葉に、カリンビールは白い眼を宙に向けて、両手を広げた。
「この瞬間も、天海女には陰気がたちこめている。戦う心を喚起し、凶悪な決意を確立させる不浄な気だ。陰気の中で神々は生きられない。しかし我々人間にとっては無害なしろものだ」
「カリンビール。もし。もしも。天海女が負けないために私たちが祭り以上のことをしようとしたら、天海女はどう思うかしら?」
「どういうことだね」
 カーベルは箸を置き、居住まいを正して言った。
「私たち人間が積極的に、天海女の勝利のために戦うのよ」
「人間ごときの知恵が、いくさ船の戦いにどれほどの影響を与えると言うのか」
 笑ってカリンビールは言った。
 天海女の海戦を見た者は、それがとても人智の及ぶものではないことを知っていた。
「人間が天海女を守ることのために、自分たちで考えて動くことは禁じられているのですか?」カーベルが聞いた。
「それは知らない。しかし神々はそのような働きを期待していないだろう」
「私は天海女の大地を守るために、もっとなにかをしたいの」
 カーベルはカリンビールの白い眼を見て言った。
 その眼差しに彼は強い情熱を感じた。それは人として祭に望む彼ら、祭り人を熱くする光だった。カリンビールは心地よい興奮に包まれて聞いた。
「なにをしようというのだ? カーベル」
 そのとき法呪の声が祝宴の場に広がった。
「油断するな。カリンビール。カーベルはなにかを企てているぞ」
 その場にいない者の声だった。それはカリンビールたちのよく知る声だった。
「カーベルの灼熱の魂にまどわされるな」
 アルルカンの声が告げた。
「アルルカンか。魂袋から語りかけるか」
 カリンビールは信じられない、という顔で白い目を彼女むけた。
 そこで彼が見たものは、無様にひきつったカーベルの顔だった。
 企みを見透かされた下心ある悪人の顔だった。良心の呵責に白く歪んだ能面のように、薄気味悪い表情を張りつかせていた。
「カーベル?」
 カリンビールがいぶかしげに名を呼んだ。
「……カリンビール。いや、わたしは……」
「アルルカンよ。懐かしい声であるアルルカン。カーベルがいったいなにを企むというのだ。彼女は立派に天海女を祀った」
「わからぬ。しかし彼女の真の意図は、天海女の勝利ではない」
 カーベルが両手を差し出して言った。
「カリンビール。聞いて。この海京ではいまだに天海女の勝利のための戦いが続いているけれど、違うの。もう手遅れなのよ」
「なにを言っているのだ、カーベル。おまえは天海女のために舞ったではないか」
「私は天海女の地表からやってきたわ。私たちがエルアレイと呼ぶ天海女から。そこには外から神様が来られたの」
「神が立たれた?」
「監業官として、二柱の神がこられたわ。その目的は」
 カーベルは必死の思いで言葉を続けた。
「敗戦した天海女が、とどこおりなく最期の時を迎えるため」
 カリンビールはしばし言葉を失った。カーベルの言葉がじわりと心に広がった。
「……アルルカン。カーベルは奇妙なことを言う。天海女は敗戦していると」
「アルルカン! あなたはアルルカンなのね。ならば教えてあげて。あなたは知っているのでしょう? 四十年前の敗戦を。天海女が予知戦で破れたことを」
「……ではなぜ。なぜにおまえは我らとともに天海女のために祭りをしたのだ。あれはただの茶番と言うか」
 血を吐くようなカリンビールの言葉は、カーベルを陰鬱にした。
「カリンビール様。私たちが行おうとしていることは、負けてもなお天海女を存続させるための戦いです」
 ミロウドが言った。
「ばかな。天海女はいくさ船ぞ。兵器が負けて存続することになんの意味があるというのだ」
「それは……でも、地上では人々が生活を持っています。家族が子供を成して暮らしています」
「ミロウド様! そんなことを言ってはだめ」
 カーベルの叱責が飛んだ。
「おおおっ」
 カリンビールが太い唸り声を上げた。
「なんと言った……いま、なんと。地上で人が生活をしているだと? 自らの都合を、天海女の戦に持ちこもうとしているのか……」
 ミロウドの言葉は、カリンビールにショックを与えた。それは彼の想像を超えたシチュエーションだった。 
「なさけなや……おおっ、あわれなり。それが貴様らの本性か。聖なる天海女の戦いに勝利するためにここに集う我らを愚弄する女たちよ」
「いや、違う。まって。カリンビール」カーベルが言葉をはさもうとした。
「天海女を勝利させる正義と大儀を忘れて、あさましくも自らの人間としての生活を目的の中心にすえるのか」
「カリンビール」
 カーベルが伸ばしかけた手を、カリンビールは叩き落とした。
「けがらわしや!」
 白い瞳から涙が流れ落ちた。
「ああっ、くちおしや。あなくちおしや。下劣な品性を看破することもできずに祭りを共にした、我の至らなさよ」
「カリンビール。おねがい、聞いて」
「だまりゃ!」
 百本の笞のような強制言がカーベルを叩きのめした。
「貴様らの本性は、天海女の勝利を願うことではなく、己の命を惜しむことか。聖なる海戦を愚弄する浅ましい魂め」
「人間の命の貴さをなんと考えますか?」
 ミロウドが食い下がった。
「神の主催する戦いと、人の命の重さなど比べられようはずもない」
「だから、カリンビール様。天海女の敗戦を認めてください」
「仮に、仮にである。言葉にするのも汚らわしいが万に一つ、天海女が戦いに破れたとしても、人間はその最期に殉ずるのが道である」
 ぴくっ、とカーベルの拳が痙攣した。
 緑の眼がギラリとつり上がった。
「…………っつさい……」
「なに?」
「うるさいっ! ばかばか、バカじゃないのあんた。ああっ、頭の悪い男って最低!」
 カーベルは膳をひっくり返した。酒と肴が派手に飛び散った。 
「天海女は負けてるのよ。どうしてわかんないのよ。その頭!」
 ズカズカとカリンビールの眼前に進むと、拳で彼の頭を思いきりノックした。
「この頭よ、頭。聞こえる? あ・た・ま。これ頭って言うのよ。ハローハロー? 中に入ってますかぁ?」
「……な、なにを」
「ええっ? ばかよ、バカ。ミロウド様。だめよこいつ。お話しにならないわ。天海女が一足す一は五って言ったら、おお真面目な顔してありがたがるようなバカよ」
「ば、ば、ばか? あ、天海女が五と言えば……五であろう」
「あはははははははっ」
 カーベルは大爆笑した。
「ばか! ほんとにバカね。あんた」
「カ、カーベル様?」
 ミロウドがおろおろと声をかけた。
 カーベルはカリンビールを乱暴に抱きしめた。
 カリンビールよりも背の高いカーベルである。それは包み込むような抱擁だった。
「おおっ」
「……だまって。カリンビール。お願い。もし私たちが戦わなくちゃいけないのなら、これが最後の友情になるわ」
 そしてカーベルはやさしいキスをした。ふたたびカリンビールの眼がひらかれたとき、瞳の色が赤に変わっていた。
「カーベル。危険な女よ」
 口調がカリンビールのものではなかった。
「……だれよ、あなた。いまカリンビールの中にだれか入ったわね」
「おまえの魂は熱すぎる」
「なんだ。アルルカンね」
「その直観だ。理性ではなく、感情で思考する魂だ。そして感情を実現しようとする力を持っている」
「神様は神様の戦いをしているわ。でもなにをやっているのか、ぜんぜんわからないわ。なにが大事で、なにをどうすれば神様は勝利の喜びを得るのか。ぜんっっぜんわかんない」
 カーベルはカリンビールであるアルルカンの鼻先に拳を突きつけた。
「私たちには命を守るべき佐竹様がおられるわ。佐竹様の命をお守りすることと、天海女が勝利することは、関係ないのよ」
「呆れた傲慢さだ」
「あんたたちが、ここにいてもいなくても天海女は負けてる。アルルカン、あんたはそれを知っているんでしょ」
「天海女は負けてはいない」
「アルルカン。私の邪魔をしないで。さもないと魂袋を破るわよ」
「おまえにそれはできない」
「なぜ?」
「魂袋に触れたものは、すべてを忘れてしまうからだ」
「……なんですって? 魂袋は記憶を失わせるものなの?」
「違う。記憶を覆い、希望を現実として認識させるものだ」
 すなわち忘却エンジンだ。
「おもしろいわね。じゃあ魂袋をやぶったら、天海女や人間や従属生物は、天海女の敗戦を思いだすとでも言うの?」
「おろかな考えを捨てよ。天海女はふたたび戦うために動きだした。海京の戦士たちをいたずらに翻弄して、祭をさまたげるな」
「うるさい。アルルカン」
「なに?」
「あなたたちは、かつての戦いの中で敗北した。そして真四季様は天海女の敗戦を変えられないという。勝てないのならば、良い負け方をするように私は戦うわ」
「それは人間にとってのみ都合のよい戦いではないのか」
「わるい?」
 カーベルは冷たい眼差しでカリンビール−アルルカンを見た。
「アルルカン。あなはいったいどうしたいのよ。あなたにとって天海女の戦いの結末は、どうあるべきだと思っているのよ」
「天海女の勝利だ。それ以外にありえない」
「矛盾じゃない? 天海女と征轟丸は同時に同じ結論に達したのでしょう?」
「私は予知を信じない」
「なんですって」
「私が天海女を勝たせてみせる」
「……私は天海女が負けることを前提に考えるべきだと思っていたわ」
 カーベルはアルルカンの気配に狂気を感じた。
「私は天海女の敗戦を信じない。私は天海女を勝たせるためなら、征轟丸にこの身売ってもかまわない」
「…………」
「私は預言する。天海女は征轟丸に勝利するのだ」
 そのとき外で、人々のざわめきが起こった。
 多くの人間があわただしく走り回る気配がした。
 かすかに地鳴りが響く。
 なにか大きな力を持つ者が動いている気配がした。
 警戒を叫び、従属生物を戦闘配置につかせるための怒号が交錯した。
「…………」
 しかしカーベルとカリンビール・アルルカンは視線を結んだまま身じろぎ一つしなかった。
 すばやく外に駆けだしたザイスが状況を見て取ると、ミロウドの元にひざまずき耳打ちした。ミロウドは報告を聞いたとたんに顔色を変えた。そしてカーベルの長い髪の先を掴み、ザイスの言葉を伝えた。
「イシマ将軍らロスグラード自治軍とエルアレイ軍が海京に突入しました」
 建物の外では、退敵防悪の真紅のかがり火が次々と灯された。それは法呪的に敵の意図をくじき退けるための働きを持っていた。通路の角々と家々の戸口にかがり火が置かれていく。カーベルの回りにも防御陣を張るために、二本足で歩く猫が走り回った。
 にらみ合うカーベルとカリンビール・アルルカンは、窓からの紅い光に照らされて血の色に染まった。
「……カーベル……これがおまえたちの戦いか」
 アルルカンは苦々しげに言った。
「そうよ。アルルカン。ぜったいに佐竹様のお命とエルアレイの大地を守るわ」
「私にいったいなにを望むのか」
 アルルカンが聞いた。
「いままでどおりに、あなたはあなたの戦いを続けるべきだわ」
「わかった。天海女に甘い勝利の希望を抱かせよう」
「……よくわからないけれど、そうしてちょうだい。私の声を天海女に伝えてくれると、うれしいわ」
「天海女はおまえの言葉を楽しみにしている」
 カーベルは口の端で笑うと、甲冑を鳴らして走りだした。

 

 

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