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祭りの舞

第6章−2

 

 ーベルは赤金色の甲冑を、慎重に装備していった。
「触れし仇なすもろもろのはらからを退くまどわす金のはがねを我が符が祀る」
 彼女の口からは、とぎれることなく防御法呪築呪の言葉が流れだしていた。
 カーベルの対法呪戦用の甲冑は、一人で身につけることができない。
 たくさんのベルトと符で、丹念に固定されていく。それは攻撃法呪による、激しい反呪から術者を守るためであり、同時に敵からの攻撃を受けたときに、容易なことでは甲冑としての対呪性を失わないためだった。
「我が手にあるは堅く破れぬ呪のかたち」
 ミロウドもまた法呪文を唱えながら、カーベルの背中のベルトを締め上げていった。
 丸い額に粒の汗が浮かぶほどに力を込めて、幾百枚の符を編み込んでいく。
 ミロウドは海京の女が身にまとう祝い服を着ていた。その胸元には、彼女が身につけていたいくつものネックレスが隠されていた。
「……つっ」
 カーベルがちいさく悲鳴を上げた。
「あっ、失礼しました。ベルトがきつすぎましたか?」
「いいえ、だいじょうぶ。……やだ。太ったかしら?」
 くすくすと、ふたりは小さな笑い声をあげた。 
「カーベル様。さきほどの広場で,私は寿命が縮まりました」
 ミロウドが大きな瞳をくりくりさせながら言った。
「カーベル様の機転がなければ、私たちは奇機と呼ばれる化け物たちに食べられていたのかもしれませんね」
「祭りに参加できるなんてついているわ。天海女と接触できるかもしれない。天海女が私たちを海京に呼んだことは事実だわ」
「私たちになにをさせようとしているのでしょう?」
「……天海女は、私たちの目的が海京の破壊であることを知っていると思う?」
「まさか……いくさ船でも、それは」
「わからない。真四季様の言葉が私を呪うの。すべては予知に向かうのだと。もしかすると私たちはエルアレイの最期に手を尽くしているのかもしれない」
「カーベル様」
「アルルカンを見つけたわ。でも私は魂袋を目の前にしても、なにも感じることができなかった。あれはなに? 天海女を勝利させようとしたアルルカンは、魂袋でなにをしようとしたの? 私は……なにも理解できていない」
 カーベルは椅子に腰を落とした。甲冑から下げられた無数の板符が、鈴やかなを音を鳴らした。
「……だいじょうぶですよ。カーベル様」
 少しうわずった声でミロウドが言った。
「きっと、だいじょうぶです。なにがって、聞かないでくださいね。でもカーベル様なら、きっとだいじょうぶです」
「ミロウド様……」
 ミロウドはカーベルの手を取って指先にキスをした。
「わたし、思うんですけれど。カーベル様って外弁慶ですね」
「そと……べんけい?」
「外ではがんばって強い戦士を装っているような気がします」
「そう? でも、ほら。仕事だから」
「きっとインスフェロウ様の前ではかわいい女の子なんじゃないかしら?」
 カーベルは驚いた。無邪気な顔で、誰も知らないカーベルの私生活を言い当てた。
「ええ、そう。普段の私はわがままよ。アレちょうだい、しか言わないの」
「わお。女のロマンですね。無敵の王子様が自分のためだけにお茶をいれてくれるなんて」
「……考えてみると。私って本当になんにもできないかもしれない。雑巾も縫ったことないわ」
「まさか」
「いや、ほんとに」
 ミロウドは、真顔のカーベルをまじまじと見た。
「お料理は?」
「作るのは好きだけど、片づけるのはきらい」
「まさかインスフェロウ様がお皿を洗ってるんですか?」
「うん」
「お掃除は?」
「臭くなければ、あんまり気にしないわ」
「ちらかっていても平気なほうですか?」
「あら。私の部屋はきれいよ」
「……インスフェロウ様が掃除されているからですか?」
「そう」
 あっけらかん、とカーベルは笑った。
「私が小さいときからずっとよ」
 カーベルとインスフェロウの出会いをミロウドは知らない。しかしどうやらカーベルにとっては、そんな生活が日常であるらしかった。
「カーベル様って……お姫様だったんですね」
 カーベルは唇を尖らせて言った。
「えーーっ。でもインスフェロウったらブラシの髪の毛はきちんと取れとか、細かいことにうるっさいのよ」
「あたりまえです」
「信じられる? 私が十四になるまで、お尻を叩かれるときは、パンツを下げられていたのよ」
「……えっ? そ、そうなんですか」
「おまけに沐浴のときも、どこから洗えとか……」
 そのときドアがノックされた。廊下で番をしていたザイスが顔を出して言った。
「カーベル様。カリンビール様がお見えです」
 立派な祭り装束を着たカリンビールが、ドアの前に立った。
「カーベル。美しい甲冑であるな。用意はよろしいか?」
「ええ。いつでもいいわ。カリンビール」
「では行こう」
 カリンビールは長い裾を翻して、廊下を歩きはじめた。


 広場ではすでに舞いが始まっていた。
 広場には三重の八角形を描いて、数十本の白い杉杭が立てられた。その表面には奉納言が濃い墨でびっしりと書き込まれた。それはあらかじめ用意されたものではない。祭りを準備した短い時間の間に、手書きされたものだ。
 紅と白の布が長く広げられて、杉杭通しを結びつけられた。布の途中には、銀の鐘が無数に飾られた。
 広場の北上には穴が掘られて赤土が盛られた。その上に岩で炉が組まれて、香木が燃やされた。緑の炎が燃え上がり、汎神族の体臭にも似た甘酸っぱい香りが立ち込めた。
「はれに請うて人もうす。慈は身をかさね衆民つかうゆえんなり」
 しかしそこに人の数は少なかった。
 かつての祭りでは、男と女とたくさんの子供たちがその空気に酔い、天海女を讃えたものだ。
 いまこの広場に集う人間はわずかに五十人。
 残りの人間は天海女の敗戦が決定した段階で、汎神族により救出されていた。
 時間凍結されて天海女に残された人間たち。彼らは全員が瞳を持たなかった。
 すなわちここに集う人間たちは、アルルカンの魂袋に魂を捧げた者だった。
 祭りの力は、共に祝う者の数がものを言う。
 人間の数が足りないことを、彼らは従属生物でおぎなっていた。
 だが従属生物もまた、異様な風体をさらしていた。正しくは完成された従属生物ではありえない。開発途中、もしくは不完全な従属生物たち。奇機だ。
「カーベル様。すごいものですね」
 ザイスが興奮した面持ちで言った。彼は初めて見る戦闘の祭りに、すっかり呑まれていた。
「ザイス。あなたはお酒を飲まないで。食べ物をすすめられても食べてはだめよ」
 カーベルがザイスの瞳を見つめていった。彼にしみ込んだ佐竹の記憶が興奮をあおっているらしい。祭りに参加したが最後、たちまち飲み込まれてしまうことだろう。
「はい。カーベル様」
 まるで自分に言葉を与えられること自体が祭りへの参加でもあるかのように、ザイスは目を輝かせてうなずいた。
「ミロウド様。ザイスを頼みます。そしてインスフェロウと接触できないかを探ってください」
「カーベル様。どうかお気をつけて。この祭りは奇妙です。参加している従属生物たちの意識が粗雑です。祭りにかたよりがあるように感じます」
「ええっ。私もそう思います」
「カーベル様」
「えっ?」
「沐浴のお話の続きを聞かせてくださいね」
「ええっ」
 舞いが次々と繰り広げられていった。
 白い眼の男と女が一人ずつ広場の中央に進み出て、頭を上下させる激しい踊りが繰り広げた。
 その振りは一見単純だが、上半身の激しい動き以上にステップが複雑だった。まるででたらめに見えるほどのスピードで踏みわけられる足さばきは、長く厳しい訓練の賜物だ。
 舞いは熱狂という言葉がふさわしい、見るものの心を飲む祭だった。
「よお、あっしゃい、あっしゃい、あっしゃい」
 掛け声の中にホーミーによる圧縮された法呪文が流れた。
 広場の中央から西よりに置かれた魂袋は、こころなしか赤の色を強めたかのようだった。
「カーベル殿。ご出陣を」
 白い眼の男がカーベルの脇にひざまずいて言った。
「はい」
 大きく息を吸い込んでカーベルは立ち上がった。
「……いくわよ……」
 ちいさく独り言をつぶやいた。この状況でどんな舞いを舞えば良いかわからなかった。期待に目を光らせるザイスは問題外として、不安そうなミロウドにも、そのことを相談はできなかった。しかしカーベルの心はそのような孤高に慣れきっていた。孤独な決断に麻痺していた。
 いつも先頭をきって戦いに向かうことを義務づけられてきた彼女は、それが当然だと思っていた。
「…………」
 広場の中央に進み出たカーベルを、皆が注目した。
 楽器のリズムが低く単調になり、彼女の舞いに音楽を合わせる用意をした。
 重い甲冑に守られない長い髪が、風もないままに、ざわりと動いた。
 強い意志を秘めた鋭い瞳が、紅い真球である魂袋を見据えた。
「我知りて徳化す影の色。人声応ずる獣あり」
 だんっ、と足を踏みならした。甲冑から下げられたたくさんの板符が、ちゃりんと涼しい音を立てた。
「人の志を得て身を発す。世運めぐるは一年あわく四時のごとし。一治一乱の帰趣ここにあり」
 カーベルは右手を前に伸ばし左手を腰に当て、すり足で三角形を描き出した。
 いつしかリズムを取る太鼓も音をひそめていた。
 わずかに腰を落とした彼女の姿勢は、張り詰めた緊張感をまき散らした。
 とてもゆっくりと上半身が回っていく。濡れた唇は小さく開けられて、白い歯がかすかに見えた。そのすきまからわずかにのぞくピンクの舌は、一時も止まることなく動きつづけていた。声に出さない法呪文が唱えられているのだ。
 半眼からのぞく瞳は、熱を帯びたように潤んでいた。
 彼女の踊りのペースを知った音楽者たちは、パーカッションを押さえて、笛を前面に押し出した。高くかすれた笛の音が海京に流れた。
 かがり火が織りなす光りと影が、カーベルの色を刻々と変えていった。
 長い右足が、すうっと上がった。薄い金属で覆われた金色のブーツが刀身のようにきらめいた。
 ピンと伸ばされた爪先は、柔らかい動きのまま真上をむいた。
 その姿勢のまま三十を数える時間が過ぎ去った。
「ぁぅす!」
 右足が振り下ろされた。しかし爪先は地面に触れることなく右に飛んだ。
「やあああああっ」
 伸ばされた左足を軸にしたまま、カーベルの身体は激しく回転を始めた。
 白鳥舞踏の回転技のように、格闘技の蹴り技ように、カーベルの右足は目にも止まらない速さで空を切り裂いた。
 鋭く回る腰は、強烈な筋力とバランス感覚から、回転軸をそらすことはなかった。
 地面には左足の流れる跡が、有意紋章のように刻まれていった。
「おおっ」
 天海女の戦士たちは、初めて見るカーベルの激烈な舞いに驚嘆の声をあげた。
 笛に混じってパーカッションが熱いリズムを叩いた。
 興奮が祭りの場に満ちていった。
 カーベルの鋭い爪先が、戦士たちの鼻先をもかすめて、熱い汗のしぶきを飛び散らせた。
 香りのよい柑橘類ジャーニャル茶を飲みつづけている彼女の身体は、汗までかぐわしい。そこに人の娘独特の性の香りが入り交じった。戦士たちは、神とは違う鮮烈な汗の香りに酔った。
「きこしめしたれ宗ずるあかしを我にあれ」
 目にも止まらぬ速さで、右足が頭上から振り下ろされた。
 スパァン、と足裏が地面を叩いた。
 実体のないオレンジ色の煙がカーベルの全身から、ぶわっと吹き出して消えた。
 一瞬も止まることなく、カーベルのしなやかな身体は回転を続けた。
 戦士たちは熱狂した。その舞いは祭りの技としては邪道にも稚拙にも見えたが、力を秘めた奉じ事と見えた。
 どこからともなく、蝶の羽をつけた昆虫型クンフが湧き出した。紫の羽をひらひらと打ち振って、カーベルの回りに集まった。クンフどもは飛び散る汗を空中で喰おうとして、激しく飛び交った。羽がカーベルの身体を叩き、虹色に輝く燐粉が甲冑と素肌を染め上げていった。
「カーベル様は、魂袋に語りかけておられる」
 ミロウドがカーベルの意図に気がついたとき、カーベルの踊りは最高潮を迎えた。
 右足を軸にして、地面をえぐるほどの激しさで、爪先立った身体が回転を始めた。
 二回、三回、四回……。
 髪が飛び散り、板符が楽器のように鳴り響いた。
 カーベルに住みついた五匹の楽蛇が、半透明の姿をあらわした。遠心力でとぐろがほどかれて、次々と鎌首を伸ばしていった。
「おおおっ。神の従属生物である楽蛇を従えるかよ」
 戦士たちから驚きの声が上がった。
「いくさに馳せる邪悪のはらから。かぼそき声を世に開け」
 カーベルが強い瞳をきらめかせて叫んだ。
「我に届かん」


 魂袋は人の思いであり怨念だった。
 それは天海女に働きかけて、脳髄を狂わせた。
 勝敗の結審を隠蔽して、見えるはずの結論を被い隠した。
 すなわち天海女に敗戦を忘れさせたのだ。
 それは邪悪な法であり、邪悪は天海女たち戦さ船の正義だった。
 忘却エンジンとしての魂袋。それは敗戦を信じたくない心に強力に働きかけた。
 事実を忘れさせたわけではない。
 積極的に現実から目を背けさせる力を持っていた。
 信じたくない事実を被い隠して、甘い希望のみを現実として信じる。
 それは忘却と同義であるのかもしれない。
 汎神族・佐竹と、神の理解をも超えた超越の戦さ船である天海女をも虜にしたアルルカン。
 そして彼と共に、天海女の勝利のみを信じて魂袋を練り上げた、たくさんの人間たち。
 重なる思いと強い意志の力が、戦のルールをも無視して、戦い続けることを誓ったのだ。
 生き抜き、戦い抜き、勝利をおさめることだけを信じた激烈な誓い。
 しかしそのことはカーベルにとっての正義ではなかった。
 カーベルにとって、天海女の勝利は必ずしも必要なものではないのだ。
 カーベルの正義とは佐竹を守り、人を守り、人の生活と財産を守ることだった。
 そのためには、天海女はいくさ船である必要はなかった。人間の生活と産業の場であるエルアレイでさえあればよかった。
 彼女にとって、守るべき大地はエルアレイなのだ。

 

 

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