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大脱出  

第4章−2

 

 「大脱出」と大書きされたのぼりが、五十本もたなびいていた。
 看板、天幕、ふき流しなど、あらゆるものに「大脱出」の流麗な文字が踊っていた。
 エルアレイの首都エルワンの劇場は、いまやビバリンガムの舞台となっていた。
 ステージに設けられた、神の空間位相装置「マギーの門」は穏やかなピンクの光を放ち、稼働を開始していた。それは神の背丈ほど、つまり人に倍するほどの高さを持つ縦長の箱だった。
「わぁれは人の子のぉ救い主たれぇばあぁ、我が愛はとこしえなれえぇへっええっ」
 ビバリンガムが客席に向かって自画自賛の詩を歌った。
 劇場の職員たちが照明や大道具を揃えていった。彼のワンマンショー開演は六十フン後に迫っていた。
 真四季たち、汎神族の仕事は速かった。
 彼らの使命は天海女の敗北という予知の実現である。そしてもうひとつに、かつての天海女と征轟丸の戦いに無関係な、現エルアレイ住民の退避。移送保護があった。
 そのための準備は、またたく間に用意されていった。
 たて看板が街の通りの角々立てられて、広告書が道と公園にまかれた。人の言葉を話す孔雀型従属生物が家々の窓を巡り、エルアレイが失われることの意義と、人の安全に留意する汎神族の姿勢が繰り返し説明した。
 エルアレイの住人たちは、自分たちが神の島に住み、その遺産を奪取していることの後ろめたさを持っていた。そこに神々がエルアレイを本来の目的で使用するために返せ、と言ってきているのだ。
 人々のあいだから、この島への執着心が急速に薄れていくことはしかたのないことだった。
 真四季とカーベルの問答からわずか二日にして、彼らの意志はエルアレイの人間たちに徹底されていった。
 そして今日。汎神族による人間たちへの脱出説明会が開かれようとしていた。
 真四季にしてみると人間たちの想いは関係ない。あくまで彼ら汎神族の論理に従っているだけのことだ。
 しかし多くの人間たちの目には、神が人間を破滅から救おうとしているかに見えた。そして説明会を主催するビバリンガムは、人間に近い感性でそれを知っていた。
 彼は本気で人間を救うことを誇りにしていたのかもしれない。
「らりろりろりろりこほろろほぉん」
 ビバリンガムがステージの上から歌った。
 直立不動のまま頭だけを盛んに動かして声を発する様はおよそ滑稽だったが、誰一人として笑う者はいなかった。
 人間のスタッフたちは、厳粛な顔つきでその様を見つめていた。
 やがて入口が開かれて、エルワン市民が続々と客席に入ってきた。
 楽団はビバリンガムに指定された歌謡舞踏劇の明るい音楽を、ブンチャカと奏ではじめた。
 ビバリンガムは、頭上でパンパンと手を打ち鳴らして、客先に拍手を催促した。まばらな拍手が会場に広がった。
「よく来た。信心厚く、神の論理に与する聡明な大衆たちよ。心安ずるが良い。そなたたちの生命は我が保証する」
 ビバリンガムはステージの上から、よく通る声で呼びかけた。
「我が使命は、人の子であるそなた達を、この地より無事に脱出させることである。手順を告げよう。最前列の美しいご婦人。舞台に上がられよ」
 五人ほどが腰を上げかけた。ビバリンガムはそのうちの一人を指さして招いた。
「黒髪の美しいご婦人よ。ではマギーの門をくぐっていただこう」
「はっ?」
 驚くご婦人の抵抗を無視して、ビバリンガムは彼女を抱え上げた。
 打合せどおりに楽団は、ズンチャッチャと音楽を鳴らした。
 ビバリンガムは爪先立って左右にスキップしたのち、前に三歩、後ろに四歩ダンスを踊った。
「ほおれ」
 彼は恋人をベッドに放り出すような何気なさで、婦人を光り輝くマギーの門へ放り込んだ。彼女はカーテンの向こうに消えるかのように舞台から姿を消した。
 ざわっ、と劇場が鳴った。人々の驚愕がさざ波のように駆け抜けた。
「これこのとおり。たやすく彼女は安全な地へ逃れた」
 両手を頭上でクロスさせて、満足げにビバリンガムは微笑んだ。
「なに? ご婦人はどこに行ったのかと? もっともな質問である。彼女は神々の庭に降り立った。そこは美しい夕焼けの見える内陸である」
「ざ、財産はエルアレイの通貨で持っていっていいのですか?」
 会場から男が聞いた。
「食べるに困ることはない」ビバリンガムが答えた。
「私の赤ちゃんが寝るベッドはありますか?」
「温かい毛布が用意されるだろう」
「妻は脚が悪いのじゃが、きつい峠はあるまいか」
「気候良く、おだやかな日差しが、美しい妻を温めるだろう」
「私たちはなにを持って神に奉ずれば良いのでしょうか」
「街をつくりなさい。そして子供を産み、作物を育てなさい。人の世はいさかいもあろうが、神への信心と尊敬を失わずにいなさい」
 ビバリンガムは預言者のように言葉を説いた。
 人々は暗示に染め上げられるように、彼の言葉に納得していった。
「我が使命は人の子を天海女から救うこと。滅びより人の子どもを助くることである」
 繰り返しくりかえし、ビバリンガムは訴えつづけた。
「天海女は大きい。人の子は大勢である。限られた時間にすべての者を安寧の地に送り届けるためには、人の子の協力もまた必要である」
「みんな助かるのね」
 熱に浮かされたように婦人が叫んだ。
 助かる。
 真の危機を理解しないままに、人々は助けを欲しはじめていた。
 それは奇妙な高揚感を持って、ビバリンガムと人間を繋いでいった。
 婦人の言葉に違和感を覚える者は少なかった。
 ゆっくりとビバリンガムは婦人を見た。切れ長の眼を見開き、針のような瞳で婦人をじっと見つめた。
 その頬を一筋の涙が流れ落ちた。
「優しき女よ。それは違う」
「えっ? みんなをお助けくださるのではないのですか?」
「我は悲しみ、涙はらはらと落つるさま亀にも似たり」
「貴い涙でございます」
 婦人は意味もなくもらい泣きをして言った。
「予定された天海女の未来に係わる者たち、これあり。その者らは神の秘事に触れなんとしている。神々の計画に干渉する者たちは、この門を通るに値わじ」
「……カーベル様たちだ」
 住民たちは、ショウカの丘の神の救出作戦を知っていた。ビバリンガムの言うことが、神の丘への干渉であると、ただちに察していた。
「そ、それで、私たちまで助からないことにはならないのですか」
 目を血走らせたあさましい男が言った。
 ビバリンガムは露骨に軽蔑の表情を浮かべると、帽子から光る金属片を千切り、目にも止まらぬ速さで手首を返した。
 スパン、と音がした。
 その瞬間、男の首が宙に飛んでいた。
「うわあああ」
 噴水のように吹き出す血を浴びた周りの人間たちが悲鳴を上げた。男の体はその時になって、ようやく倒れた。
「注目せよ!」
 ビバリンガムは自分を指さし、刃物のような声で呼びかけた。
「心せよ! 汝らは人という種である。自らの種に愛と情なき者は子を成すに与わず。我は卑しき魂を敢然、成敗するに躊躇することなし」
「……おおっ」
 人々のあいだから、尊敬のため息が流れた。
「我が意を受けるに同意するか?」
 エルアレイの人々はすでに考える力を持たなかった。圧倒的な論理と倫理の奔流を受けて、心は遠くに去っていた。
「善きと考える者は、沈黙を持って答えるがよい」
 言葉を紡ぐ勇気のある者などいようはずもなかった。それはひとつ間違えると命を落とすことであると理解された。
「善哉、善哉。人の子どもの聡明なる決断に祝福のあらんことを」
 ビバリンガムは満足そうに目を細めていった。
「では美しき四人のご婦人から門に入られるがよい」
 最前列の十人の女性が立ち上がった。
「はれ」
 さすがにビバリンガムも呆れてしまった。
 

  白く沈む記憶の塩が、人の意志を蝕んでいく。
 それは神の情念であり、戦を天命として生まれた狂気の兵器、天海女の正義だった。
 老神・佐竹の記憶である白い知塩は、人の娘であるカーベルを肌から犯し、胃の臓から浸食した。
「ああああっーーー!」
 カーベルの絶叫が病室に響いた。とてつもない怪力で拘束具を引きちぎろうとする様は、とても人間の姿ではなかった。
 荒野での超絶の法呪成就のあと、意識を失った彼女は、エルアレイの首都エルワンの赤立病院に収容されていた。
 しかし真の問題は、白く染まった彼女の錯乱ではない。
「ィィィイイアアアアァァァァァァン」
 ともに収容された老神・佐竹が、高速言語の悲鳴を上げつづけていた。
 明らかに佐竹とカーベルは共鳴していた。老神・佐竹は、人が用意したベッドに横たわり、身じろぎ一つする事なく、ただ延々と神の声を発していた。
 その様は恐ろしく、誰一人として近づく者はいなかった。
「乞う。願わくばその瞳伏せ、胸をおさめて心安らかに休まれんことを」
 僧兵たちが十人ほども束になり、鎮魂の詔を百回も繰り返した。
 しかし佐竹は一向に治まる気配を見せなかった。
  彼らのいる病室は、人の目にはとても豪奢な造りだった。本来は外国からの要人に用いる特別室だ。
 老神・佐竹の二メンツル半もある巨体は、ホテルから取り寄せられた特大のダブルベッドに横たえられていた。
 ベランダと中庭を持ち、重厚な白いカーテンがひかれたその部屋は、人間が二十人は寝られるかと思えるほどに広かった。
 清潔な白に統一された調度品は、リゾートと死の床を共に暗示していた。
 彼らの周りには僧兵のほか、ミロウド、ボンバヘッドなど、佐竹とカーベルを救出した者たちが詰めていた。彼らは一様に白い肌と化していた。
「このままではカーベル様が危険な状態になるのは時間の問題です」
 医師であるテリオがインスフェロウに言った。
「テリオ医師。どうか私とカーベルだけにしてはくれませんか」
「インスフェロウ殿。それは……しかし神はいかがなされますか。共鳴しているカーベル様と引き離してよろしいものですか?」
「ああっ、神もそこに残してください」
 インスフェロウは、どこかぼっきらぼうにささやいた。
 いつにない彼の感情的な様子をいぶかしんだテリオ医師が聞いた。
「神を崇める僧兵を残さなくてもよろしいのですか?」
「どうか。私たちだけにしてください」
 インスフェロウの言葉は、穏やかだが明らかに命令だった。
「わかりました。私は廊下にいます。すぐにお呼びください」
「ありがとう」
 部屋の人間たちはのろのろと扉をくぐっていった。インスフェロウは全員が出たことを確かめて鍵をかけた。
「…………」
 インスフェロウは大きく深呼吸をすると、それまでけっして近づこうとしなかった老神・佐竹のベッドの横に立った。
「ぃぃぃいいいぃぃぃぃぃんん」
 高速言語を語りつづける老神を、じっと見下ろした。
 神の顔には深い皺が刻まれ、地肌の見える長い頭髪は、老いてなお戦うことを強いられた苦痛が沈殿していた。
 いつもは金に光り輝くインスフェロウの瞳も、物憂げな鈍い黄色によどんでいた。彼はゆっくりと指先を老神の頬にむけて伸ばしていった。
「…………」
 インスフェロウはローブを広げて、自分の眼と佐竹を隠した。
 灰色の怪人はささやいた。
「会合重ねて相まみえる機。時を重ねて織り重ぬる機。絹よ麻よと問うこと既に無粋であれば、なにほどの憂いも心にはなし佐竹殿」
「…………むううううむ…………」
 牛のうなるような声を絞り出したのち、神は声を止めた。
 その眉間から、苦悩の皺がわずかに消えた。
「……インス……なにをしているの」
 女性の声が彼を呼んだ。
「……インスフェロウ……」
 カーベルだった。さきほどまで狂気の悲鳴に捕らわれていた彼女が、らんらんと輝く瞳で彼を見つめていた。
「カーベル。気づいたか」
「私は夢を見たわ。神様の夢よ」
 カーベルはゆっくりと上半身をベッドから起こした。
 さらさらと青みがかった白髪が流れ落ちた。彼女はじっと自分の手に視線を落とした。そこに不思議なものが見えるかのように。
「インスフェロウ。私は……こんなに白い手をしていたかしら?」
「おまえが美しいことは。皆が知っている」
「みんなが? あなたが自分の考えを、人の言葉で語るなんておかしいわ。どうしていつものように、私が知っている、とは言わないの?」
 インスフェロウは、彼女の言葉に射すくめられた。心の底のなにかを見透かされたように感じて。
「おまえは神である真四季と語った。そしてビドゥ・ルーガンを失った」
「インスフェロウ。いったいどうしたの? 私の興味ある話題で話しをそらそうとしているならやめてちょうだい」
 緑の瞳が色を変えて黄緑色に光っていた。
 神が人を見つめるように、カーベルの視線はインスフェロウを冷たく捕らえた。しかしカーベルは、そのことになんの疑問も持っていないようすだった。
「外に出よう。カーベル。新鮮な空気を吸ったほうがいい」
 カーベルは小さくうなずくと、さしだされたインスフェロウの手を取り立ち上がった。
「だいじょうぶか?」
「ええっ」カーベルは手をはなすと、自分で白いカーテンを開き、ベランダから外に歩みだした。
 素足のまま、よく手入れされた芝生の中庭に歩を進めた。
 紅い夕日が長い影を伸ばしていた。
 カーベルのシルエットは、複雑に手を振る仕種を映していた。
 インスフェロウはゆっくりと、慎重にカーベルの後をついていった。
「ビドゥ・ルーガンは、残念なことをした」
 言葉を選びながら彼は言った。
 本来ならば、人間として神に愛でられることを喜ぶべきことのはずである。
 恋人が美しさゆえに神に選ばれた。それは信じられない幸運であり、誇りとすべきことである。
「私はぜったいに許さない」
 カーベルが言った。
 その瞬間、彼女の言葉は女の熱を帯びた。
「……ビドゥを……よくも」
 彼女のなかにビドゥ・ルーガンを取り戻すという選択肢はなかった。
 カーベルにとって、ビドゥ・ルーガンは殺されたも同じことだった。人間は神の手に落ちた者が戻るとは考えない。神の所有となった者は、すでに人間ではないのだ。
 カーベルの瞼には、裸にむかれて毛を奪われたビドゥ・ルーガンの最後の姿が焼きついていた。
 その恨みは、青白い情念の炎をゆらめかせた。
 インスフェロウは視線をそらして言葉をかけた。
「カーベル。おまえは真四季という名の神と語った事柄を覚えているか?」
「ええ……ええ。私は神様に逆らった。神々の計画に人の論理で抵抗したわ」
 残酷な微笑みを浮かべてカーベルは言った。
「佐竹様をお守りするはずだったのに、私は人間としてのわがままを言いつのってしまったわ」
 後悔の言葉とは裏腹に、彼女の姿はどこかしら誇らしげだった。
 そこにいるのは、先日まで神に盲目的な恐れを抱いていたカーベルではなかった。
「おまえは変わった。自分の目的のために神である佐竹様を担ごうとしているな」
「佐竹様の記憶が……私に言うの。白い闇の彼方から、何度もなんども。天海女は無念であると」
「しかし天海女の敗戦は決定されたことだ」
「ねえ! 見たでしょ。私が空に姿を投影したのを。私ってすごいと思わない?」
「それは佐竹様の記憶により成しえた法呪であろう。おまえは人間だ。法呪を忘れるかもしれないぞ」
 カーベルはほがらかに笑っていった。
「大丈夫よ。ほら、私って才能あるし。いい女だし」
「おまえ。便秘じゃないか?」
「……インスフェロウ。私は考えたの」
 インスフェロウが会話をリードできない。
 ぽつん、と雨がカーベルの頬を打った。
 よく晴れた空から、雨が落ちてきた。
「カーベル、部屋に入ったほうがいい」
 インスフェロウがマントを広げて彼女の頭上を覆った瞬間、バケツをひっくりかえしたようなどしゃぶりが落ちてきた。
 カーベルは、するりとマントから逃げだすと、ダンスパーティーのステップで、雨の中をくるくると回った。
「ねえ、インスフェロウ。私たちはエルアレイを水没させなければいいのよね? 島のすべてが海の底に沈まなければいいのよね」
「征轟丸の攻撃を避けることはできない。それは必然だ」
「それはどんな攻撃なの?」
 雨音に負けないためには、叫ばなければならなかった。
「おそらく。とどめの魚雷がエルアレイの船底を食い破り呪的重心を破壊する。エルアレイは一気に転覆するだろう」
 どうして彼がそのことを知っているのか、カーベルは聞かなかった。
「インスフェロウ。人間の考えることだから無茶は承知のうえよ。こんなことはできないかしら」
「なんだ?」
 インスフェロウにはカーベルの考えを予想できなかった。それは初めてのことだったかもしれない。
「位相遷移している全構造物を全部。ぜんぶよ。同一位相に展開するの」
「……なに?」
「だから隠れている部分を、ぜんぶこのエルアレイにくっつけてやるのよ。そうしたらエルアレイは二百ケーメンル四方の、国ほどもある島になるんでしょ? 魚雷の十や二十が当たったって屁じゃない」
「……屁……かもしれない」
 インスフェロウは驚愕のあまり、下品な言葉につられてしまった。
 目まぐるしく働いた彼の考えは、否定的な要素をチェックした。
 ジョークを思いついたように笑い続ける彼女の声は、酔ったように陽気だった。
 しかしそのアイディアは完璧にみえた。
「カーベル。位相遷移されている構造体が、我々の相でどのように結合されているのかはわからないぞ。もともとそうは作られていないのだから。分解するかもしれないし、沈没するかもしれない」
「沈没したら、エルアレイは本物の島になればいいのよ。このへんの海は五ケーメンツルも深くないわ。すべてが水没することはありえないわ」
「……カーベル……」
 インスフェロウは腕を伸ばし、ステップでひるがえる彼女の手を取った。そして強く抱き寄せると、覆いかぶさるように抱擁した。
「すばらしい。狂気の発想だ。私の誇る人の娘よ」
「そう、もっと言えばね。エルアレイを私たちの手で沈めてしまうのも手ね。魚雷に撃たれるよりも先に」
「位相遷移されている施設をこの位相に引き出せばよいのだな? しかし原形をとどめる保証はないぞ」
「それをどうこうしようっていうわけじゃないんだから、裏返しになっていようが、三枚おろしでソテーされてようが、全然かまわないわ。逆に変に小賢しく生きているほうが困るわ」
 エルアレイを人間の手で積極的に沈める。
 それはインスフェロウですら想像できなかった計画だった。
 そしてその計画は、かなりリアリティがあるように思えた。
「でも、どうやってそんなことをすればいいのかわからないわ。考えてちょうだいね」
 あっけらかんとカーベルが言った。
「……不思議だ。ついさきほどのおまえは、神のように鋭く傲慢だった。しかしいまのおまえは、道化師のように軽薄だ」
「まるでアリウス様の気分よ」
 くすくすと笑いながらカーベルは言った。アリウスが超越の法呪を操るわけを、彼女はうすうす気づいてしまった。
 空に自らの姿を投影するような法呪を、人間が知るわけがないのだ。そしてまたアリウスの千夜一夜も、人間が操る法呪ではなかった。
「インスフェロウ。すこし眠くなってきたわ」
「ベッドに戻ろう」
 室内に戻ったインスフェロウは、カーベルの服を脱がせて、白い素肌をタオルでていねいに拭いた。白い背中に張りついた長い髪の毛を、小さく束ねながらきれいにぬぐっていった。
「ねえ……すこし恥ずかしいわ」
「そうか?」
 インスフェロウは彼女を軽々とベッドに横たえた。
「おまえは尋常な状態ではない。休め」
「インスフェロウ? 真四季様はエルアレイにおられたのでしょう? どうして監業官のお役目についておられるのかしら?」
「さあな。妻の父親が偉かったんだろう」
「そおなの?」
「冗談だ」
「こんどお会いしたら聞いてみるわ」
「……それがいい」
 インスフェロウは、さらに強くカーベルを抱きしめた。

 

 

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