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想いは形をとろうとするが道理

第3章−1

 

 あ、気持ちが悪い。
 私はここが嫌いだ。
 私の名は白鷺。
 醜悪な赤く乾いた土が広がる大地。
 白く汚れた岩が、むきだしのままに見渡せる。
 潮風の匂いが強く鼻を刺す。
 眼前に広がる鉛色の海原は、大地と同じによどみ痩せていた。
 ここにやすらぎはない。少しも心が潤されることはない。
 身にまとわりつく毒の湿気は心を滅入らせる。
 瘴気に犯された虫どもが徘徊する汚らしさよ。
 邪悪なこの地は、触れるものすべてを犯し穢す。
 陰な気が大地を覆い、空中を舞う植物性クンフまでもが落ち着きない。
 大地のひび割れにかろうじて生えるのは安岐シダだ。安息をもたらすはずの橙色の小さな花弁すら毒々しく見えるのは、香りが不気味に変質しているからだろう。
 大地を覆う邪悪な気を呼吸して、花までが汚らわしいものになっていた。
 吐き気のするこの嫌な匂いは、どこからくるのか。
 まるで自分の身体が内側から腐り、喉の奥に不潔な肉汁が溜まっているかのような不快感。
 原因はわかっている。
 それは防げない。
 なぜなら原因と責任は、私にあるのだから。 
 私がここにいることは、自ら望んだことなのだ。だれにも強制などされてはいない。
 近寄るものを恐怖させるきたならしい呪をいやましているのは、他ならぬ私なのだ。
 私は邪悪を増す記憶に長けていた。私の記憶は戦いのための記憶だ。
 戦は元来、唾棄すべき愚かな行為だ。
 望む者などいるはずもない。
 しかし必要とあらば、それをおこなうのをためらうものではない。
 恐怖すべき呪われるべき戦に用いられる兵器は、邪悪さに比例して威力を増す。
 兵器はまき散らす陰気が大きいほどに合目的であるといえるのだ。
 この新造戦さ船(いくさぶね)「天海女・あまあま」は、多くの博士が幾数十世代にも及び継いだ記憶と最新研究により完成した最強最邪の船だった。
 招勝滅敵の形而上印を具現化した真正方形を基本に、多次元重積構造により地上部分、海面下部分、位相秘匿部分が構築されていた。乗員をも狂気に陥れるほどの凶悪を秘めた戦さ船ながら、倫理的に肉視による絵姿は自然の荒野に準ずる程度にまとめられていた。
 それゆえに天海女の放つ狂気の波動は力の証であり、その邪気が強ければ強いほどに優秀な戦さ船であることが証明される道理だった。
 そして勝利のための巨大な力は私の身体を蝕んでいく。
 しみ込む陰気、チーズのように魂が腐っていく。
 自壊する魂は汁を垂らす。
 ああっ、気持ちが悪い……


 白鷺は天海女のほぼ中央にある樹林環にある桃の木の麓で目を覚ました。
 樹林環は蝦夷杉を三重に巡らせた直径百メンツルの邪気緩衝域だ。敏感な汎神族が天海女の上で太陽の光りを浴びることができるのは、法呪的に安定した樹林環の中だけだった。桃の木は邪気を好み、形のよい実をたわわに実らせていた。鮮やかな緑の葉は陰気を通さず、太陽の光を清々しいものに変えてくれた。
「白鷺殿。おかげんはよろしいですか?」
 初老を迎えつつある男性神、佐竹(さたけ)が近づき腰を下ろした。
 戦さ船・天海女の汎神族乗員は四柱だった。
 戦闘自体は天海女がおこなうものであり、汎神族といえども手出しはできない。戦闘はすさまじい推論と、幾千に及ぶ武器と防御器の同時制御が必要となるため、生き物が介入できる種類のものではなかった。撃ち合う事だけについて言えば、生物が乗り組む必要などないのだ。
 しかし攻撃を、より有利に展開するためには、運を招来し、船体の陰気を増し、天海女に奉じて慶ばせることが必要だった。そのために汎神族と人間と、多くの従属生物が乗り組んでいた。
 四柱の神々は、天海女の四隅をそれぞれ担っていた。
 すなわち歳若い男神である白鷺と真四季(ましき)。
 同じく少女の時代をぬけたばかりの女神、由紀野(ゆきの)。
 そして彼らの代表にあたる首領であり、深い経験と膨大な記憶の遺伝を持つ老神、佐竹である。
 白鷺と真四季は軍令校の同期であり、ともに戦意意匠学を修めていた。これは天海女のような戦さ船を形作り、維持していくのに必要な知識だった。彼らの記憶遺伝そのものが、戦い方面に深かった。彼らは学校で最新の知識を習得したが、それ以前に生まれながらの戦士だった。彼ら二柱が天海女の攻撃力の中枢を支配していた。
 由紀野は、黒い髪を幾つにも編みこんだ、不思議な髪型を好んだ。化粧の薄いその顔は、南方系の彫りの深いつくりだった。健康そうな褐色の肌は、いつもオリーブ油が塗られて、きらきらと輝いていた。
 男神・白鷺は名前のとおり、長く美しい白の髪を持っていた。妙に小作りの身体を持ち、学生時代はずいぶんとからかわれたという。しかしバランスよく小さい顔が、身長の低さを感じさせなかった。
 歳若い男神・真四季は白鷺よりも八歳若かった。汎神族の進学体系では、同期であっても、まれにこのような年齢の相違が起きた。真四季は幼さゆえに白鷺と並ぶにつりあっていた。
 彼らはその血が持つ強力な戦いの記憶と、人間を厭わない素性の良さが新造戦さ船・天海女の乗員として選抜されたゆえんだった。
「これは佐竹様。おかげさまでずいぶんとよくなりました。すっかり天海女の陰気に当てられてしまいました。お恥ずかしいことです」
 白鷺は手にした桃の葉で口許を隠して笑った。
「次の戦いは、この海域全体の覇権を決める重要なものです。戦士であるあなたは万全の体調で、これに臨んでいただかなくてはなりません」
「佐竹様こそお役目ご苦労さまです。佐竹様ほどのお方が補償体であられる天海女に乗り組めることは、無上の喜びです」
 歳を経た佐竹は彼らの代表であるが、戦いそのものには関与しない。彼の役割はカードゲームのチップのようなものだ。
 戦いにはふたつの側面があった。佐竹の言うとおり、制海権を決める戦いがひとつ。しかしその戦いが、天海女と敵の戦さ船である征轟丸(せいごうがん)に一任されるからには、戦さ船自体にも価値がある必要があった。その補償は有形、無形のいずれでも構わないのだが、多くの場合、それぞれの国が有する価値ある人材が当てられた。
 彼らの祖国・宮ノ中国はこの役に、希代の琴奏者であり、いまだ子を成していない文化的保護者である佐竹を任じた。これは極めて有意義な選択として敵国・松葉国にも評価されていた。
「負ければ我等は補償として死ぬ身。かならずや勝ち。我等と祖国に奉じなければならないよ」
 佐竹は誇らしげに眼を細めて言った。
 まったくそのとおりだった。佐竹をはじめ、乗員のすべては子を成していない。つまり自らの記憶を子孫に伝えていない。子を成さずに死ぬことは、汎神族にとって単なる死ではない。考えられる最も悲惨な死だった。自らの存在した証が未来に残らないでは、なんのために生まれてきたと言えるのだろう。
「信じることが肝要だ。自らの勝利を確信し、微塵も疑うことなかれ」
 佐竹が言った。
「信じよ。堅く。何者の誘惑にも惑わさるることなく。そして力が生まれる。力が欲しいと望むままに」
 佐竹は汎神族が人間に語る言葉で言った。しかしその眼は遠く、白鷺を見ていなかった。まるで自分自身に言い聞かせるかのように、彼はつぶやいた。
「想いは形をとろうとするが道理」
 戦いの時は刻一刻と近づいていた。


 人の多くは神への敬愛、尊敬、勝利を信じる心を集めるために搭載されていた。
 そこに妄信は不必要である。神の力を信頼し、勝利を確信する純粋な心。知性を持って正しく状況を理解し、そのうえで自らの栄光を信じる強い魂。人間にはこれを満たす素養があった。
 天海女に乗り組む人間の数は制限されていた。戦いのルールを遵守するならば二千人。構成に決まりはない。赤子であろうが、老衰した者であろうがかまわない。ただし狂信者のごときいびつな性根の持ち主は、同乗を義務づけられている監察玉が封印していった。
 健全にして強い勝利への確信と、自らの神への信仰を多く持つ人間は、天海女のもうひとつの兵器と言えた。
 白鷺はひとり歩き、人の居住地・海京に入った。
 彼はその街の持つ不思議な雰囲気が好きだった。
 海京は天海女の地下に入口があった。しかし海京は次元の異なる位相に築かれていた。広大な空間を有するその地は巨大な天海女の船体にとっても、あまりに大きすぎた。神と人が満足できる広さを確保するために、海京は天海女と重なる位相に置かれていた。
 海京はたっぷりの緑とともに築かれていた。天海女の地上部分に生える宇気杉の根が、天井を覆っていた。太陽光を伝導する宇気杉の根は、たくさんの光を街に降らせていた。
 そこは空気が深い。人の言葉は言う。四つ辻は異界の入り口だと。街に立つとき、白鷺はその意味を理解できると思った。
 きちんと整理されているとは言いがたい街。狭い区画を細い道が走っている。区画は木の塀が高く張りめぐらされて視界がさえぎられていた。さして丈夫でもない薄い木板の塀、目隠し程度のバリアが街を細かく刻んで隠すことの不思議。
 なにげない通りの真ん中に、数百年前に建立された寺院の木の柱が建っている。それは縁起を担いだ人間が、天海女に運び入れたものだ。柱の小さな傷のひとつひとつは、長い長い年月の間に誰かがなにかをした証である。
 自分の人生すら満足に記憶できない人間が、継続した時間のなかで、果てしない歴史を刻む建築物を共有していく。
 書かれた記録を通して情報を共有する者同士が、目的を違えることなく、古い建物の役割を全うしていく。
 汎神族にとって、その継続は奇跡に近い。
 なぜ人間には可能なのだろう。
 稚拙な言語で、紙にわずかな言葉を連ねて、違えることなく歴史が繰り返されていく。
 そこに情報の齟齬が生まれるからこそ、人間には思いもかけない多様性が生じるのだろうか。
 まるで遺伝子が攪拌されるように。知識が混ざり合い、姿を変えていく。
 人が多く生きている街のなかで継続される歴史あるもの。
 古い遺跡が人里はなれた秘境で時を経ることに不思議はない。
 どうして古きものがいまだに機能して彼らの暮らしの中にあるのだろう? 誰かが火をつければなくなってしまうようなモロイものなのに。
 そんなものたちがまとっているすえた香り、見えるもの見えないもの、いろいろなものが染み込んだ深い色合い。
 白鷺は果てしのない人の営みの有り様を不思議な気持ちで見つめていた。
 海京を生活の場にしている、たくさんの人間たち。
 細い小路の奥の生活。
 ままごとのように小さい間口が連なる家々と、玄関の上に掲げられた、藁の呪術的飾り。
 家々は通りに面して窓を設けていた。その窓には古い習慣なのか、必ず木の格子がはめられていた。外から窓の中をうかがい知ることはできない。
 かちゃかちゃという食器の音が奥から聞こえてくるにもかかわらず、人の生活の姿がいっこうに見えない。
 気配がないままに、音だけが人間の街だということを知らせている。
 思い出したように子供や老婆が、どこからともなく現れて、頭を下げながらすれ違い消えていった。
 それが昼も夜もおなじに繰り返されていく。
 だれが住むためにこんな街を造ったのだろう?
 どうしてこんな街を作らなければならなかったのだろう。
 人はもっと広いところに、日の当たる場所に住めるはずなのに。
 なぜ好んでここに住んでいるのだろう。
 人間は日常の生活を、そのまま海京に持ち込んでいた。それが神への信心をいや増すという。
 とてもそれだけでは生活できないだろう串団子屋。
 結納具屋さん。串焼き屋、匂い袋屋。
 白鷺は思う。
 ーー愛しき人間たちにより良い幸運が巡ることをーー
 街にたくさんある社は、ほとんどが訪ねる人もいないのに、きれいに掃除されていた。数えきれない提灯が、夜中までこうこうと灯っている。
 小さな賽銭箱の横には、白い皿に乗ったおみくじが散っている。雨が降ったら汚れるだろうに、紅い紐でくくられたおみくじは土埃ひとつついてはいない。
 誰かが面倒を見ているに違いない。
 湾曲して続く道をまたぐ、いくつもの小さな赤柱門。
 ひとつずつくぐっていくごとになにかに近づいていく。厳粛な気持ちになっていく。
 なにを奉っているのか。なにを拝しているのか。
 人間は独自の宗教を持たない。己の知る汎神族を崇め奉るものなのだ。小さな社のひとつひとつに人間はどの柱を祭り、具象しているのか。
 神が人間に愛されている。
 信じられる神もそれを居心地良く思う。
 そしてそれがしごく自然な超常の街、海京。
 白鷺には人の街が美しく見えた。
 母の腹のように心地よかった。
 この人間たちと天海女に居ることがたまらなく誇らしかった。


 白鷺は人の街、海京の外れにある研究施設「意匠室」を訪ねた。そこではローズベイブをはじめとする人の博士たちが、下等な従属生物の量産を研究していた。
 戦いに使用できる従属生物もまた生産者の属性において厳しく制限されていた。
 すなわち汎神族の生産する従属生物は、その質を問わずに数が限定されていた。人が造る従属生物は、天海女の出帆後千時間の以内で無制限だった。
 清潔な白い建物は、汎神族を迎えることを前提としているために天井が高い。白いマントを羽織った白い髪の白鷺は、その建物によく似合っていた。
「ローズベイブ。この戦をなんと考える」
 白鷺は出迎えたローズベイブに聞いた。
 首筋までのパーマがかかったソバージュ。重く見えがちな黒っぽい赤毛をとても上手に処理していた。すこし……ありそうな体重の持ち主だったが、白珠とまで形容される吸いつくような美肌が、意外と多くの男たちを虜にしていた。すらりと通った鼻筋に、幼児のようなつぶらな瞳。目鼻だちは悪くないのだ。濃い眉にも愛嬌すら感じる。
 歳のころは三十歳代前半ほどか。彼女は人の世界で、長く大学博士の名前を欲しいままにしている不世出の科学者だった。
 ローズベイブは神である白鷺に、遠慮のない目を向けて言った。
「白鷺様。なにをお尋ねになりたいのですか? 戯れであるなら私の邪魔をしないでいただきたい。私は人間です。御柱ら汎神族のように長大な人生を持っているわけでないのですから」
 白鷺はこの女が苦手だった。健全な心を持つ人間で、神への尊敬を持たない者はいない。仮に知性が劣っている生物に対しても、神の威光は等しく働くのが常であった。しかるにローズベイブは、高い知性と汎神族すら一目置く閃きを持っているにもかかわらず、どこか醒めた心を持っていた。
「質問を変えようか。天海女はこの海戦を勝つことができるだろうか?」
「どのようなおつもりでお聞きになられているのか存じあげませんが、もちろん勝つでしょう。私は死ぬつもりはありません。あなたを死なせることは、それ以上にありえません」
「天海女の陰界は充分だろうか。人間たちの信心は確立されているだろうか?」
「陰界は六十二。侵域は二百四。人間は全員健常であり日々の勤めも滞りありません。思惑招来確率は三割七厘。カリニ値に達しています。極めて理想的な状態を維持していると言えましょう」
 ローズベイブは主たる要素をすらすらと報告した。
 しかし白鷺が聞きたいのは、誰かの力強い言葉だった。それが人間のものでも良いとすら思っていた。白鷺は初めての戦闘を前に神経質になっていた。
「ローズベイブ」
「まだなにか?」
「おまえの従属生物たちは健常か? 新しい従属生物の生産はすすんでいるか?」
「……もちろんです。白鷺様。従属生物たちは互いに助け合いながら、戦意を練り上げています。その意味においては人間たちよりも健全でしょう。天海女にいるほとんどの彼らは戦いのためだけに生まれてきた者たちですから」
「彼らに会えるかね?」
「いつでもご自由に。神との接触は彼らの忠誠心をいやますでしょう」
「ありがとう。ローズベイブ。新種の生産も行っていると聞いたが」
「はい。しかしなかなかに良い素体が手に入りませんゆえ。満足できるものは」
「ほお、私は従属生物の生産にはうとい。良い素体とはどのようなものだね?」
「簡単です。知性高く、理性に富み、体力を有し、なによりも強い法呪の才能を持つものです」
「そのような条件を満たす生物といえば、人間くらいのものではないのか」
「……にんげん? 白鷺様。人間といいましたか?」
 ローズベイブは大きく眼を見開き白鷺に寄った。怪しい光を放つ両の瞳で、彼女は白鷺をものほしそうに見つめた。
「ほんとうにそうお考えですか?」
 白鷺は彼女に狩猟者の気配を感じた。無意識に一歩下がっていた。
「人間を素体にした者はいないのかね」
「人間など……取るに足りません。さらなら素質が必要です」
 吐き棄てるようにローズベイブは言った。
 胸の前で握りしめられた拳は、関節が白くなるほど力が込められていた。
「ローズベイブ?」
「白鷺様……」
「人間を超える者だと?」
「人は……とるにたりないのです……白鷺さま」


 波がよせてかえす。
 幾億回のくりかえしの中に、なんの合図があるのだろう。
 唐突に戦さ船の戦いが開始された。
 神秘の双子が、まったく同時に手を打ち鳴らすように、天海女と仇船・征轟丸は、一丈の魚雷を放った。
 その始まりはさりげなく、鐘が打ち鳴らされることもなかった。
 たちまち動きはじめた天海女の推論場に、仇船・征轟丸の情報が集まってくる。
 天海女の四隅に築かれた圏知鏡が青い光を吹き上げて、神の乗組員の魂印塔を構築した。それは瞬く間にうずまく冷たい炎を化して、高く天空まで神々の絵姿を投影した。
 魂印塔は汎神族の戦闘員が健在であることを記す証であり、攻撃の直撃を受けたときの判定規準の一つとなる。現れる姿は搭乗する神が一年の猶予を与えられた中で練り上げた理想の姿であり、方玉に記録されたものである。
 その姿は多くの場合、邪悪であり、洗練された怪異であり、敵を脅迫する意味を形而していた。
 人間たちは定められた手続きに乗っ取り前夜祭を開始した。
 天海女のほぼ中央にある直径五百メンツルの土俵に人々は集まった。その数二千人。白い着物に色とりどりのたすきをかけて、顔には赤と白のペイントを施していた。
 澄みきった青空に幾百本ののぼりが翻った。鮮やかな赤と青に染められた縦長の生地には人々が必勝を願い、思いを込めて書いた詔が記されていた。笛が高く鳴り響き、人寄せ太鼓がポンポポンと景気よく鳴り渡った。
 子供たちの担ぐ神輿が土俵の中心をくるくると回りだした。そのまわりを女たちが二重に囲み踊っていた。手にはある種の海草を乾燥させて作った色房を持ち、三種類の振り付けを思い思いに舞っていた。男たちは左右に別れて四列の直線に並び、腰を下ろして朱色の杯で酒をあおり始めた。
「請す。曙光天地を照らすが如く心機一審、正義を決す」
 ドス。と十条杖が打ち鳴らされた。
 ひとりの美丈夫が詔を唱えながら、環の中心に進み出た。女性のように白く長い脚を、躍り子の足取りで慎重に進めながら、その者ショウ・アルルカン首領は必勝祈願の法呪を紡ぎはじめた。
「暁旬の仁徳ありて暴悪に掣肘す。五倫ふそむればとめて勝利に大學せん」
「よお! あっしゃい、あっしゃい、あっしゃい、あっしゃい」
 リズミカルな合いの手が全員の口から叫ばれた。
 土俵の中心に組まれた祭壇に火がともされた。惜しげもなくくべられる香木と虫綿が炎を染め上げ、かぐわしい煙をたなびかせた。強い酒がカルルカンの口から吹きかけられて、真っ赤な火炎が渦巻いた。
「ありまして銀の音を奉り、金の色布を奉ずべし」


 天海女からの攻撃が開始された。
「すいごう甘客あいまみえるを指し兼ねる。ここにあれ」
 白鷺と真四季が概意にしてこのようなことを発した。その機能はそれぞれの圏地鏡に縛された汎神族四柱の攻撃感性を喚起し、天海女の脳塊を刺激することにある。
「御敵ありましそのかず一つ。聞こえしその名を「征轟丸(せいごうまる)」という」
 征轟丸から二十丈の魚雷が発射された。それは一丈ごとが複雑な軌跡をたどりながら天海女の進路を遮断しようと機動した。天海女からは妨害動機を持つ五丈の魚雷が撃ち出された。それらはあらかじめ展開していた、黒い肌を持つ鯨型従属生物ジャフらにより弾道観測され、軌道修正が加えられた。
 天海女の二ケーメンツル前方を、進路を妨害するように三丈の魚雷が通過した。さらに右前方から直撃軌道に乗り、四丈が迫り来る。天海女は選択の余地なく、左に旋回を開始した。
 それを待ち構えていた五丈の魚雷が深海から断続的に姿を現した。しかしそのことをも予測していた天海女はジャフを二体差し向けて、これを撃破した。ジャフらはそのまま深海に姿を消した。彼らは魚雷を抱えたまま、征轟丸の攻撃に転じた。
 天海女の魚雷は、征轟丸のそれと同様にその進路を妨害し、追い詰めて止めをさそうと徘徊した。複雑に機動する魚雷は海中という立体の空間で、進路を変え、速度を欺き、征轟丸と敵魚雷をだまそうと走り回った。
 征轟丸の大きさは天海女を下回るが、それでも一辺四十四ケーメンツルに及んだ。
 一辺五十ケーメンツルの正方形である天海女も、その巨体ゆえに存在を欺瞞することは困難である。双方の距離は二百ケーメンツルと遠く離れているが、それは海戦という状態にとって、鼻先を突き合わせるほどの距離にすぎない。
 魚雷は人の腕ほどのものから、五十メンツルにいたる巨大なものまで数限りない。そのすべてがクンフなみの知性を有し、群れを成し、龍にまで姿を変えながら怨念を発して、戦いを挑んだ。
 征轟丸は船尾から邪気を含んだ固着性ガスを吹き、六十ものガスバリアを形成した。風を読み、乱気流を発生させて、天海女をその中に突入させようとした。天海女はあえて誘いにのり、無茶とも思える旋回によりガスをかすめた。
 ガスに触れた地上はメキメキと音を立ててひび割れを生じ、茶色く変色した。しかし天海女は船体の一部を犠牲にしてまで得た軌道により、必殺の射線を得た。
 変形成魚雷が四丈、強襲速度で射出された。それは海面上二メンツルを飛び魚のように飛翔し、二百ケーメンツルの距離をわずか十五フンで移動した。
 一丈目は意証結界複合解呪を展開し、五重に結束された征轟丸の防御結界の三層までを浸食した。
 二丈目はそれにより生じたわずか二メンツルの穴に飛び込み、一丈目が解呪に失敗した四層目の結界情報を受信するとともに、浸食場の固定を行った。四層目は物理障壁の一種である。二丈目は迷うことなく爆裂モードにシフトと、小山を吹き飛ばすほどの大爆発を起こした。
 三丈目は一秒と間をおかずに、寸分違わぬ一点に殺到し、熱を大量に放出する爆発と、時間性障壁を解呪する高速言語を放った。
 五層目はこれにより崩壊した。五層目が時間性障壁であることは、天海女の推論だった。その根拠は汎神族にすら理解できない類推演算の賜物だった。
 破れた五層障壁の穴から四丈目の魚雷が突入した。これによりすべての結界が突破された。
 魚雷は征轟丸の船体、すなわち大地に接するやいなや、真紅の龍に変形した。
 二本の脚で立ち上がり、長い尾を真っ直ぐに伸ばし、一声高く咆哮した。
 大気を引き裂くその声は、征轟丸にたかる無数のクンフを破裂させた。
 全身がぶるり、と震えて、余分な鱗を振り落とされた。鱗は汚れを散らして大地を黒く浸食した。
 たちまち迎撃マシンが殺到した。数えきれない蜂型クンフが空を赤黄色に染めて襲い来た。毒バリを乱射しながら赤龍に迫るが、空中に展開された護符に焼かれて、有効な打撃を加えられない。
 赤龍は巨体をかがめて大地をえぐりながら走りだした。
 その上空を先程の結界の穴から突入した第二波の魚雷が四丈、轟音をあげて追い越していった。赤龍の前方に出た瞬間から燃焼性ガスを噴出し、広大な範囲で真紅の大爆発を起こした。ガスは一気に燃焼し、大地の表面を焼きつくした。
 残りの二丈の魚雷は大地に潜りはじめた。中枢部に迫ろうというのだ。最後の一丈は、先の魚雷と同様に龍に姿を転じて大地を駆け出した。その色は青。見る者の血も凍らせるような青だった。
 先行する赤龍は、法呪的に有意な鱗を虫型クンフに張りつかせて空中に散開させた。鱗は論理性、物理性、意証性結界を三重に広く展開して赤龍と青龍を守った。同時に赤龍は腐食性瘴気を垂れ流し、踏みしめた大地のすべてを汚らしくただれさせた。
 青龍は凶眼により、見るものすべてを爆裂させた。文字通り青龍の視線に入ったあらゆるものは、有機物無機物を問わずに炸裂し四散した。
 青龍は赤龍の援護をうけて、征轟丸の中心地まで駆け抜けた。
 中央広場では、天海女と同様に人間たちによる必勝祈願の祭りが行われていた。
 戦いのルールにおいて、生命の確保が重要事項として掲げられていた。
 汎神族、人間を問わずに生命を尊守することは徳の高い行為だ。
 人間たちに向かって、赤龍は明瞭な人語で勧告した。
「すべての知恵ある者どもよ。征轟丸より退散せよ。これより征轟丸を撃沈する。あらゆる祭事を取り止めて、邪悪なる征轟丸より退去せよ」
 しかし征轟丸の人間たちは、逃げようとはせずに邪気払いの法呪を構築しようと集まりだした。魚雷である赤龍、青龍は基本的に人間を害することを由とはしなかった。赤龍はただちに人間の説得にかかった。
「諸衆の奉る征轟丸に奉じるは感心するも、埒もないことであるならば、すみやかにこの場を退散し、命永らえるが肝要であることを知れ」
「怨敵退散、超漁剛伏」
 しかし人間たちは聴く耳を持たずに、意外なほどの速さで攻撃法呪を構築していった。
 熱灯籠と呼ばれるすさまじい高温塊が地面を割って出現した。ひとつ、ふたつとそれらは赤龍を襲った。それらのほとんどは物理障壁に消化されたが、幾つかは見事にそれをつきやぶり赤龍に命中した。しかし身体自体が強力な装甲となっている龍には、微塵の傷をつけることもかなわなかった。
「すでに勝負は決した。天海女は征轟丸に勝利した。この大地を我らが覆い尽くすまで時はわずかなり。己が背を見よ。空を覆い征轟丸を覆い尽くす、我が正義の軍団を」
 赤龍は救済論理に準じて、なおも人間たちの説得を続けた。たとえこの場から彼らを退散させても、真の意味で人間の脅威を減ずることにはならない。彼らに迷いを生じさせ、征轟丸への信仰に疑念を持たせることが必要だった。
 人間を殺すことはたやすい、しかし祭により生じた祈りの思念は、たとえ人間が死んだとしても強くこの場に残り作用した。祭を行った人間が、彼らの目的に疑いを持つことがもっとも効果的な打撃といえた。
 赤龍はこの場に残り、青龍は施設破壊を継続することとした。
 青龍はふたたび走りだした。強靱な脚が大地を蹴り、信じられない巨体が空中に舞い上がった。
 恐れおののく人間たちの頭上を越えてきらめく身体が空を覆った。
 その瞬間。
「この血は呪う」
 人間の祭祀長が、最短の法呪を叫び、金の髪の娘の喉笛を刀でかき切った。
 ひゅうと音が飛び、血しぶきが上がった。
 地から空に雨が降る如く、膨大な血が空高く散った。
 祈る乙女は両のまなこを見開いて、おのが真紅の血の行方を強く見つめた。
「我が心のとどき事を成さんことを……!」 
 それはあたら若い命を散らす、娘の本能の叫びだった。
 魂を乗せた乙女の血の一滴はするどく走り、青龍の尾に取りついた。
「ガ……ゴッ……!」
 青龍は乙女の呪いに捕らわれた。
「穢れよ」
 霞む視界の中で、娘は子を成した母の心にも似た充足感に満たされた。
 巨体はたちまち変形をはじめ、魚雷の姿に形を戻して大地に倒れた。
「我が神の勝利を得んことを歓び奉り」
 祭祀長が祈った。勝利への確信と喜びがすべての人間を満たした。
「これを捧ぐ」
 祭祀長は杖を大地につき立てた。
 杖を中心に半径百メンツルの空間が、十メンツル単位に断裂した。青龍の機体は三つに裁断された。そして大爆発が巻き起こった。
 祭の場のすべての人間はなにを思う間もなく蒸発した。大地は深さ二十メンツルにもえぐれて、征轟丸の装甲を深く傷つけた。
 赤龍は大きく後退したが、損傷を受けることなく踏みとどまった。
「わろし」
 赤龍はうなるように吠えた。
 人間の姿は消えたが、そこには勝利の確信に満ちた人間の想念が濃く残った。赤龍にはその光景がはっきりと見えていた。
 想いは形を成そうとするが理(ことわり)。
 強く信じたことがらは、成就する呪をかけられたと同義である。
 征轟丸は己の勝利を確信した人間たちの信仰により強く活性化した。戦いという場に存在する絶対量の運が傾き、征轟丸の推論場はうなりをあげて未来予測に没頭した。人間の願う力、無心の信心に寄り掛かられる安寧と平和は、征轟丸の幾層に及ぶ思想手順を片端から喚起していった。
 赤龍は幸運の環を断ち切ろうと可能性を探ったが、絶望を与えるべき人間たちは満足と喜びの亡霊と化して征轟丸にはびこっていた。これを説得し、意思を強要することは不可能だった。
 征轟丸の迎撃魚雷が海から上陸し、四つ脚の巨龍に姿を転じた。
「地に異物あり。我に仇なすは条理を汚す。真君の意志あらば我と相対するために日の元に出でよ」
 地下に潜った天海女の魚雷二丈は、迎撃魚雷の呼びかけに応えてまんまと地上に姿を現した。
 たちまち征轟丸の主砲が巨龍経由で放たれて、二丈の魚雷は粉砕された。
 赤龍は征轟丸の巨龍を視認することにより、物理的、恣意的に認識し、容易な法呪では侵されない耐性を得ていた。しかしそのことは防御をわずかに有利にするにすぎない。赤龍は征轟丸への攻撃を断念して巨龍の撃破に専心した。
 次々と繰り出される巨龍の攻撃は、征轟丸の船体がまとう陰の気を帯びて極めて効果的に天海女の赤龍を切り刻んだ。
 赤龍は自らの機体の維持すら放棄した。光線による攻撃を誘うために黒鉄壁を展開した。
 巨龍はとどめをさすことを確信し、大地を覆う陰の気を光の粒へとより集めて、白熱の同位相光として照射した。数万度に及ぶ焦点は、赤龍の下半身を綿菓子のようにとろかした。
「相を写して乗じたぐらん」
 高速言語がほとばしり、赤龍の意識魂が光で織られた法呪文そのものにほどかれた。それは己を焼き滅ぼした必殺の光線を逆流し、巨龍を通過して、征轟丸の情報空次に進入した。そこは陰の気自体を情報通路として、染み渡るように船体のすべてを網羅していた。その構造は天海女と共通であり、赤龍にも理解できるものだった。
 赤龍の意識魂は拡散しつくし、巨龍の全体に広がり薄められようとしていた。
 征轟丸は自身に進入した天海女の赤龍の存在を知り、逆に天海女への反撃に利用しようと画策した。


 

 

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