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ボッシュの格子

第2章−3

 

 大な石と鉄ののやぐらが、高圧蒸気の力でがくんと動き始めた。
 たちまち轟音は周囲を圧し、小屋ほどもあるリールがすばらしい速さで鋼鉄のワイヤーを巻き上げ始めた。
「六番台車に次のコンテナいくぞ。箱番二の十一から十四を受け取れ」
「了解。レール切り換え開始」
「レール切り換え確認。台車よろし。鍵よろし。箱番二の十一入ります」
 旗を降りながら安全確認を行う作業員たちの威勢の良い声が飛び交った。島のほぼ中央に位置する底無しの穴から次々と鉄の梱包が引き上げられていった。
 人の背丈の倍ほどもある緑の塗装の箱が搬出されるその穴は、直径二十メンツルの真円で、百七十メンツルの深さを持っていた。その底では人の作業員たちが、汎神族の遺産を掘り起こしていた。正確には部屋や施設を探検して、取り外せそうなものを回収していた。
 エルアレイはそのすべてが汎神族の造ったなにかである。それは用途のわからない様々なものが不思議な調和の元に構築されていた。人が作った建造物と決定的に違うのは、生きた植物が構造材の一部に使用されていることだった。
 そしてありとあらゆるところに小さな虫とクンフの巣があり、生きていることだった。虫の巣すら構造材の一翼を担っており、不用意に駆逐することはできなかった。
 エルアレイが人に発見されて三十年の時がたつ。人が初めて島を訪れたとき、すでに汎神族の姿は島になかった。人はさっそく島にけがれをつけ、神の使い得 ないものとして、島を我がものとした。人が神の建造物にけがれを付けることはたやすい。不浄のものをあびせるだけで、たやすくけがれとみなされた。不浄の ものの定義は特にない。小便をかけるでもいいし、人の食べ残した残飯を散らすでも良い。
 けがれを受けたものを、汎神族はいともたやすく放棄した。この島に神の姿はなかったが、たとえ舞い戻ったとしても、すでに使用に耐えるものではなくなっていた。
 エルアレイはいつの時代にか汎神族が作り利用したものだった。それがどの時代のことであり、なんの目的を持っていたか。そして、なぜ放棄されたのか。そ れらの疑問のどれひとつを取っても、人は答を得ることはなかった。あえて知ろうともしなかった。超絶の技を持つ汎神族の成し得た成果は、人にとっては自然 現象に等しかった。そこに猟場がある、鉄の鉱山がある。それらと同じほどに自然なことであり、理解を超える神秘であった。
 エルアレイの内部構造は複雑で、島の人間たちが長い年月をかけて描き綴ってきた「構造図」無しには誰も入り込めない。万が一の事故に備えて、内部には二 重三重の安全対策と、千五百カ所にも及ぶ案内板が掲げられているが、毎年かならず外部からの不心得者が無謀な冒険を試みて命を落としていた。
「インスフェロウ殿。検分をお願いいたします。今日の上がりはすばらしいですよ」
 二十四班班長のボンバヘッドが、検察事務所の戸を荒々しく開けて入ってきた。
 穴のすぐ脇に設置されたそこは、不必要なまでに華美だった。エルアレイでは貴重な木材を使った三階建てのログハウス。それは森林資源の少ないこの島では 最高の贅沢だった。しかも汎神族の好む常緑種の蔦をふんだんに取りつかせていたため、神の小屋の風情を漂わせていた。そこは外部からの客を商品の見聞のた めに招くゲストハウスも兼ねていた。
 巨龍の脅威が一段落し、次の作戦、すなわちショウカの丘におられるだろう神の救出作戦を明日に控えた今。そのわずかの時間を惜しんで、発掘は臨時スケジュールで再開されていた。
 経済活動としてのエルアレイの日常は、それほど過密なスケジュールの元で運営されていた。
 インスフェロウもまた、彼の日常の職場である検察事務所に入っていた。ロスグラードをはじめとする各国は、防衛力を提供する見返りとして、それ相応の発掘品の配分と、納品の優先順位を期待していた。
 ボンバヘッドは松の根のような腕で一号サイズのトレイをテーブルに置いた。真っ黒な髭に、油でぴっちりとなでつけた漆黒の髪。南方系の濃い顔立ちと、見 事な逆三角形の肉体がマッチしていた。なぜか妙令のご婦人たちに人気があるという。仕事場が日の届かない地下のせいか、乙女よりも白い肌を持っていた。今 年四十才になる彼は、二十人の男たちの命を預かる採掘班長であるとともに、エルアレイ軍の軍佐でもあった。
 インスフェロウが、照明の落とされた部屋の奥からスイッと歩み出てきた。頭からすっぽりとかぶったフードの下で、金色の眼が穏やかな光を放っていた。
「食器? 皿がきれいに一揃いある。すばらしい。アッカーソーの皇族が欲していたはずだ」
 インスフェロウは、臭いを嗅ぐように顔をトレイに近づけた。発掘された品々のうち、法呪に関係のありそうなものを、彼がよりわける決まりとなっていた。 それは人の創造物でありながら、この地の豊かな汎神族の遺産を活用して造られたインスフェロウが持つ特殊な属性を持ってはじめて可能な作業だった。
 インスフェロウは目を輝かせて、小さな銀色の装置を手にした。
「……これは。演算具の部品ではないか? よくこんなものが腐食されずに」
「そうでしょう? これだけで作業員三人を半年は食わせられます」
 誇らしげににボンバヘッドは笑った。精妙な渦をまく、ぜんまい様の部品は、あたりに繁る植物の気配を察したかのように、ゆっくりと回転を始めた。
「では、これとこのナイフを調べさせてもらおう。あとはけっこう」
 インスフェロウが言った。ボンバヘッドはうなずくと、後ろに立つ作業員たちに指示を出した。
「よし。残りを輸送用箱に詰め込め。午後のミスレス行きの便に渡すぞ。もたもたするな」
 ボンバヘッドは貴重な品々を自分の腕で抱え上げると、作業員たちを蹴り出すように外に出て行った。
 部屋の片隅で、彼らの仕事を見ていた者たちがいた。
 白い青年と目尻の下がった少女。およそ場違いな二人は湯呑みを持ったまま、灰色の怪人の仕事ぶりを見ていた。
「おまたせしました。アリウス殿、ミロウド殿」
 インスフェロウは作業テーブルの上の細々したものを片づけながら言った。
「「ボッシュの格子」について、なにかわかりましたか? アリウス殿」
 アリウスは目の前におかれた木造りの格子に手をかざしながら言った。
「これは不思議なものです。インスフェロウ殿。私の記憶するなにものにも当てはまりません。特異な技術の産物です」
 それは節くれだった茶色い木の枝を、継ぎ目なく組み合わせた素朴な格子細工だった。大きくはない。人の片手に乗るほどだ。
 猫を押し込めるのにちょうど良いほど、とでも言えば良いのか。
 しかし枝のような格子枠の内側は明らかに不自然だった。
 格子をいずれかの面からまっすぐにのぞき込むと、中心には青いものがあった。目を凝らすと、それは海の風景に見えた。まるで観光みやげのだまし絵のように、なにもないはずの空間に、ぽっかりと海原の姿が見えていた。
「このようなものは他にも産出しているのですか?」と、アリウスが聞いた。
「私の知る限りではありません」
 値打ちものを分類評価しているインスフェロウが知らないということは、発掘されていないのだろう。
「ミロウド様のご意見は?」
 アリウスは青い目の少女に聞いた。
「神の島であるエルアレイには、多くの品々が眠っています。しかしその大半は人間が使用していたものと聞きます。まず神の品か、人の品かを切り分ける必要があると考えます」
 少女の聡明な瞳が、二人の異形の者を見つめて言った。
「そしてそのものの用途を類推するために、それがなにかの一部であるか、独立して存在するものかを見きわめる必要があるでしょう」
 アリウスはミロウドの言葉にうなずき、格子を皆の目の前にかざして言った。
「呪的に安定したように見えるこのものは、私の考えでは独立し閉塞した状態で機能を果たしています。私はむしろ、なぜ格子の形を取っているかが興味深い」
「アリウス様。それは……なぜ格子の形……ですか? 形自体に有意性があると?」
 ミロウドが聞いた。
「まるで海の姿が見えるなにかを、封じ込めているように見えませんか?」
「囲い込むという言葉の呪を掛けていると言うことですか」
「そうです。木の枝に見える構造材の持つ意味はわかりませんが、行為としての」
「ではいったいなにを封じているのでしょう? アリウス殿」
 興味深げな眼差しでインスフェロウが聞いた。
「確信があるわけではないのです。インスフェロウ殿。この島、エルアレイは陰な気をまとっています。戦うことに有利な機能の一つではないでしょうか」
 インスフェロウはアリウスの言葉を聞き、しばしなにかを考えている様子だった。ゲーム師が手の内を明かそうか迷っている姿に似ていた。
 やがて意を決したように格子を手にとった。
「ごらんください」
 インスフェロウはボッシュの格子を目の高さに持ち上げた。なにをするのかといぶかる二人の前で、彼は掌を返した。
「……なっ!」
 驚いて悲鳴をあげかけたミロウドの声も届かぬうちに格子は床に落ちた。
 ゴッ……。
 鈍い音の断片が響いた。もろそうな枝が木っ端みじん格子が砕けると二人は考えた。
 視線が追ったその先で、格子はふいに姿を消した。
 それは床についたと同時に消え失せた。
「いったい、なにが……」
 目線をあげたミロウドは、格子を持って立つインスフェロウの姿を見た。
「……なにをされました? 私たちをからかわれたのですか?」
 法呪のプロフェッショナルである少女は、起きたことが信じられずに言った。
「私はなにも呪をかけてはいません。まして手品でお二人をからかう趣味は持ちあわせません」
 アリウスはインスフェロウの手から格子を取りしげしげとみつめた。
「……いま、床についた瞬間に、元あった位置にもどりましたね」
「繰り返し確認されている現象です」
「時間循環でしょうか。いや、もっと能動的ななにか」
「なんらかの力が。一気に解放されているような感触を受けます、アリウス殿」
 インスフェロウはかがみこみ、格子がぶつかったはずの床を指でなぞった。そこにはかすかな血の臭いがした。
「格子の中の海の姿は、創られたものではないのですね?」
 アリウスはそう言ったまま口をつぐんだ。その意識は急速に内側に向かい、全身を覆う記憶の海に沈んでいった。
 彼の体が白いのは、生まれついてのものではない。それは雅流という名の神の実験に供された名残だった。
 とある老神の記憶を、知塩と呼ばれる媒介物質として食した結果、定着した神の記憶の残滓だった。
 ロスグラード自治市の最大機密のひとつだ。彼は神の記憶を持つ人間だった。
 人が神の記憶を、条件付きで取り込むことができることは、アリウスの実験で明らかにされていた。しかし実験は雅流の事故により実験は中断されていた。アリウスが解剖もされずに今生きているのは、希な好運によるものと言えた。
 人間である彼が得た知識は、いかなる人間の博士にも知り得ぬ量と質を誇っていた。
 もっとも汎神族は、無意味な記憶の蓄積を避けるために、代々一つ分野への特化を図ることが多い。アリウスが知塩を食した老神は、神の宗教のひとつであるグリュースト閥の祭ごとに関わる知識を多く持っていた。
 神の宗教の概念を理解できない人間には、およそ無意味な儀礼に関する記憶がアリウスの中に多くあった。
 それでも汎神族が一般的に知る知識のほとんどが、人間にとっては驚異の情報となっていた。
 記憶の海から頭をもたげたアリウスが言った。
「……おそらく圧縮された空間か時間枠のようなものではないでしょうか」
「空間を……圧縮ですか」
 とまどいながらミロウドが聞いた。
「つまりなにが起きるのですか?」
「仮にそうだとして、このことが直接の目的なのか、他の行為の課程における副産物なのかはわかりません。目に見える事象からの推理にすぎないのですから」
「つまりアリウス殿にもわからないということですかな」インスフェロウが言った。
 ミロウドは、ぎょっとして怪人を見上げた。アリウスが怒るのではないかと思ったのだ。
「いじめないでください、インスフェロウ殿」
 まぶしそうな微笑みを浮かべてアリウスは言った。
「わかるとは思っていないのでしょう? インスフェロウ殿」
 独特のふくろうのような笑い声をたてて金色の瞳が笑った。
「いや、さすがにアリウス殿には隠しごとができません。おっしゃるとおりです。私にわからないことを、人の博士がやすやすと看破できるとは考えていません」
「……まあ……」
 あきれてミロウドは声をあげてしまった。
「しかしこのボッシュの格子を研究するためにアリウス様を招かれたのではないのですか」
 気分を害した様子で法呪の天才を誇る少女は言った。
「ミロウド様。アリウス殿の知識が希有なものであることは、良く存じ上げています。その力で私たちを助けていただきたい。そう思う気持ちは謙虚に持っているつもりです」
「では、なぜそのような失礼なもの言いを……」
 そこまで言って、ミロウドはインスフェロウの訴えるような真剣な眼差しに気がついた。
 いたずらな言葉遣いとは裏腹の想いが彼女に訴えかけていた。
「まさか……最初からアリウス様を、戦いに荷担させるおつもりだったのですか……」
 アリウスはロスグラードの誇る貴重な科学者である。ロスグラードは商業都市国家という、ある意味脆弱な基盤にある国であるため、徹底した実力主義、合理主義が貫かれていた。それゆえに知力を持って貢献する者たちには、広範囲にわたる便宜が図られていた。
 その反面、行動の自由を国が制限するという、囲い込みも行われていた。本来ならばロスグラードの法では、アリウスやミロウドのような知的財産として登録されている博士の、生命の危険が考えられる地への出張、派遣は認められていないのだ。
 今回アリウスがエルアレイへの派遣を認められたのは、龍の脅威が一段落していると言うエルアレイ側の主張と、「ボッシュの格子」という不思議を解明することへの強い依頼によるためだった。
 そこにはもちろん「ボッシュの格子」の原理、機能活用により発生する利益において、ロスグラードが優先されるという条件がついての話しだった。
「あの商業国家を手玉にとるとは。あきれた商売上手ですね」
 アリウスはわかっているのか、やる気がないだけなのか。曖昧な笑いを浮かべて椅子に腰をおろした。
 ミロウドは法呪における真の天才である。
 彼女はアリウスに自分のような天才のひらめきを感じられずにいた。
 元来がアリウスは漁師をなりわいとする狩猟者である。勉強が好きな方でもなかった。たまたま神の実験により、人を超えた知識を持つに至っただけの常人である。もちろんその経緯をミロウドは知らない。このことはごく一部の人間だけが知る限られた秘密だった。
 それゆえにミロウドは、他の人々と同様に彼を超絶の博士であると信じていた。しかし彼が研究室を嫌い、あらゆる機会を見つけては、釣りに出かけていることも知っていた。そして漁師と親しくし、粗末な漁船で沖に出ようとしては、研究所の管理官に連れ帰られていることも。
「インスフェロウ様。つまりあなたはアリウス様の研究能力ではなく、戦いのための知識を必要とするがために、この危険な地に招かれたと言うのですか?」
「とんでもありません」
 さも驚いたようにインスフェロウは両手を広げてみせた。
「アリウス殿の知識は、エルアレイの様々な宝を正しい用い方に導いてくださることでしょう。「ボッシュの格子」とて、そのひとつであることに間違いありません。このことはひいてはエルアレイの若者たちの命を守ることになるのです」
「それは……ごもっともです」と、ミロウド。
「この件については時間があります。ゆっくり考えましょう」
 アリウスが気のない様子で言った。
「いいですとも。アリウス殿。ゆっくり考えましょう」
 インスフェロウは「ボッシュの格子」を大事そうに持ち直して言った。
「ところで明日のショウカの丘の救出作戦の集合時間ですが、朝六時ですので、おふたりともよろしく」
「……まあ……」
「朝食にはアイナネギの卵焼きをお付けさせましょう。精がつきます」とインスフェロウ。
「あれは臭いですが、ミロウド殿は消臭の法呪文をご存知ですか?」
「あ、あの……いいえ」
「ミロウド様。インスフェロウ様の言うことをいちいち信じてはだめです。そんな法呪はありません」
 くすくすと笑いながらアリウスが言った。
 ミロウドが大きな目を白黒させる様がよほどおかしかったのか、アリウスはいつまでも声を殺して笑い続けた。
「ミロウド様。あなたはかわいらしい方だ」
 インスフェロウのだめ押しの言葉にミロウドは赤面してしまった。

 

 

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