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我は不憫しておもわざりき

第2章−2

 

 の夜、エルアレイに数多くある酒場のひとつ「ヨモノウミ」は、騒然とした空気に包まれていた。
 巨龍撃退成功はめでたいことだ。しかしそのあとに起こった事件の不穏な空気を人々は察していた。多くの市民が情報を欲して、兵士たちがたむろするヨモノウミに集まっていた。
 その店はかつて発掘品の集積所だった。発掘量の増加に伴い手狭になったため、民間に払い下げられて、市民の憩いの場となっていた。石造りの倉は主人の嗜好でか、過剰に電飾されていた。
 電気の理論は人に明らかにされていない。しかし発電してくれる昆虫と、電気を蓄える、ある種の松が知られているために、人間は限定された状況において、それを活用することができた。
 瓶に水を蓄えるように、電気は松に注がれて蓄えられた。その電気を松の葉の先から電波として植物性発光クンフに照射することにより、美しい発光が得られ るのだ。植物性クンフは毛だるまの蝶といった奇妙な姿をしていた。ポプラの綿毛のように空中を漂う、知性を持たないその群れは、不思議と怪異を感じさせな い美しさを備えていた。
 それは淡く光り、赤に黄色に、ゆるやかに明滅を繰り返した。ふだんは仕事帰りの男たちが語らう場であり、若い恋人たちが甘い感情を高ぶらせる処だった。。
 そのきらめきは人を情緒的にした。
「聞いたか。昼間の五小隊よ。カーベル様とインスフェロウ様のコンビにくっついていって全滅だとよ」
 かなり酔いの回った男が、ビールのジョッキをテーブルの木目にごりごりとこすりつけながら言った。本人はテーブルの仲間だけに秘密の話しをしているつもりなのだろうが、すっかりできあがった声は、あたりに響きわたっていた。
「巨龍はおっぱらったんだろう? さすがじゃねーか」
 禿頭の兵士が新鮮な海老のソテーを噛み散らしながら言った。テーブルの端に座る三人目が、けはけはっと歯の間から空気の抜ける声で笑った。
「でもよ、なんかすごいことになってたったな。帰ってきた連中もみんな隔離されちまったのさ。どうしてだと思う?」
「知ってる。聞いたよ。みんな狂ったんだぜ」
「ばか、よお。死んじまったんだ」
 酔った男がつばきを飛ばして言った。
「やられたのか?」
「違うわ。狂い死んだんだ」
「神様の呪いをうけたそうだ」
 だれもが知りたいその話題に、他のテーブルの客たちも聞き耳を立てた。それを聞いていたのは島の者だけではなかった。
「エルアレイの兵士にはモラルがないな」
 イシマが呆れてつぶやいた。エルアレイから支給されたカジュアルな服を着たイシマと部下たちは、旅の疲れを癒すためにこの酒場にいた。
 昼間の対龍戦もあり、島庁舎での歓迎会は明日に延期されていた。エルアレイの海の幸を楽しみにしていたロスグラード兵たちは、街の飲み食い屋に散ってい た。用意周到な者は、ガイド雑誌を片手に花窓通りに向かっていた。イシマと配下の五名は、ビドゥ・ルーガンの部下が案内してくれたこの店、ヨモノウミを訪 れていた。
 彼らの本拠地であるロスグラードは港町である。近海ものの海の幸には恵まれていたが、ここエルアレイで採れるような遠洋魚となると、なかなか口にするこ とはできなかった。商社員とは違い、兵士である彼らはロスグラードから出ることが少ない。戦にしても防衛戦が主任務であるために、隣街にいくことすらなか なか機会がなかった。
 不思議な深海魚のサラダを前にして、イシマまでが子供のように目を丸くしていた。
「どうぞ将軍。お口にあうかどうか」
 ビドゥ・ルーガンの部下のアミルトン中曹が、ガラスの瓶からビールを注いで回った。
「ありがとう。中曹」
 イシマは杯を上げて礼を返した。
「ルーガン外佐からの心付けがあります。気前良くいきましょう」
 アミルトン中曹は、ふわふわとカールのかかった赤髪をなびかせてウィンクした。
「外佐は来られないのか」
「女性にもてますから。ルーガン外佐は。遅れるとのことでした」
 よけいなことをつけ加えながらアミルトン中曹は言った。イシマは副官と顔を見合わせて肩をすくめた。アミルトン中曹は一人立ち上がり、杯を高く掲げた。
「ロスグラード自治軍の勇気と、対龍戦の勝利を祝い。共に乾くほど杯を重ねん。乾杯」
「乾杯!」
 ある者は底まで飲み干し、ある者は口をつけて杯を置いた。そのことになにほどの意味もない。心意気が友の絆を深めるのだ。
 十人ほどのテーブルは、幾時も立たないうちにグラスと皿の散乱する兵士の宴会場となっていった。
 むう、と空気の動く気配がした。
 店の扉が大きく開かれた。食べ物と汗の匂いが風となって波打った。充満した熱気が扉の外から押し寄せる風で白い湯気となり、カウンターにまで吹き込んだ。
 店に居あわせた者たちは、傍若無人な新客に非難の目を向けた。入り口にはひどく人間離れしたプロポーションの姿があった。
 木のピエロに人の皮を張り付けたような肌を持つ、異常な長身の男だった。いや男に見える、と言った方がよい。およそ性別が判然としない姿形を持っていた。なにより珍奇なのはその服装だった。
 体の半分を占める、竹のように細く長い足。プリンシパルのようなぴったりとした白いタイツを履き、なまめかしい足の線を見せつけていた。上半身を覆うスーツは、めちゃくちゃにプリーツの効いたサテン地であり、赤・青・黄色の原色が千代紙のように散っていた。
 ベルトともサッシュともつかぬ腰巻きには、無数の鈴が下がり、風鈴屋のように涼しげな音を振りまいていた。胸元から側頭部まで伸びたぎざぎざの白い衿 は、針金でも通したかのように固く立っている。うつむいた頭は、道路工事の三角標識のような金ぴかの帽子に覆われて表情が見えない。
 店の男達は、各々の仕草を止めて、その珍妙な客に目を向けた。
 視線を十分に集めたことを確認して、道化のような男は顔をあげた。
コキンと音のしそうな芸者じみた身のこなしで、目線が天井に向いた。
 客達はあまりに場違いな光景に目を奪われた。夜の酒場が朝の神殿の静寂に包まれた。バレリーナのようなその者は、客の注目に満足気なようすで、ゆっくり動きだした。
右のかかとを軸にして、左足をスリ足で一回転した。そしておごそかに長い両手を広げた。
「人の子どもよ。我は救いの御子である」
 劇場歌手のような朗々とした美声が響きわたった。
「聞け、敗者の船に居を構えし愚か者どもよ」
 煙の流れる店内には、コップをテーブルに置く音しか聞こえない。
「呪われし運命のこの地。約束の刻を知らずに浮かれし大衆めら。我が名を心に刻み、我が指示に従い天寿を全うせよ。我は……」
 腰がぐるりとグラインドして鈴が騒々しい音をたてた。右手が天を指し、指先がピンと伸ばされた。
「我が名はビバリンガムである」
 一瞬の後。
「おおおおおっっーー!」
 歓声と拍手が店内に溢れた。
 ビバリンガムと名乗ったその者は納得気にうなずくと、パン、と両手を打ち鳴らしてさらに二回転した。
「聡明なる大衆ども。わが言葉を聞き」
 ぱっ、と帽子が飛び、素顔がさらされた。
「神の予定にしたがうが良い」
 キラリン、と白い歯が光った。
「どわははははははっ」
 大爆笑が酒場で爆発した。小銭が雨嵐とビバリンガムに降り注いだ。
「おっ、大将! 「カイゼル・ロンド」歌ってくれ」
「わははは。「オリゴ海峡冬景色」だ」
 客達は腹を抱えてリクエストをわめいた。
 ビバリンガムは少しだけ奇妙な顔をしたが、そのコインを自分への賛辞と献金であると理解して祝福の詔を放った。
「カリキヤ、カリキヤ(仁を知る者たちに幸いあれ)」 
「ぎゃーーーははははっ」
 客たちは涙を流して笑いころげた。
「す、すごいな。エルアレイの酒場詩人は。たまらないぞ」
 イシマまでもが咳込みながら足を踏み鳴らした。酒場でこんなに大笑いをしたのは初めてだった。いつもは部下たちの愚痴と、たわいもない世間話しが酒の肴だった。
「我は愛を伝える。我は生を促す。我が名を正義と誠実の言葉とともに記憶せよ」
「あっ、ちょっと待て。こいつ! 龍の脚元にいた奴じゃないか」
 一人の兵士が大声で叫んだ。
「そうだ。俺も見たぞ。龍の前にいきなり出てきて、踊りだしたバカ野郎だ」
 その声にビバリンガムは驚くような速さで振りかえった。
「ば、ばかやろうであると! 失礼な。なんと失礼な! いま私を愚弄したのは何者であるか」
「俺さまだ。なに怒ってるんだ、このやろう」
 ビバリンガムは、するどい目付きで兵士をにらみつけた。が、次の瞬間、ボロボロと涙を流し始めた。
「な、なんだよ。いったい」
 驚いて兵士はあとずさった。 
「私は……泣いている」
「見りゃわからい」
「情けなくて泣いているのであるぞ」
「お袋みたいなこと言うな」
 兵士のユーモアに、店内は笑いではじけた。
 レースのハンカチでチンと鼻をかんだビバリンガムは、近くのテーブルから、酒の入った杯を奪い取ると一息で飲み干した。
「おおおーーーっ」
 その呑みっぷりに男達は感嘆の声を上げた。
「我が理性は任務に忠実なり」
「いっき、いっき、いっき、いっき」
 客達は男も女も手を打ち足を鳴らしてビバリンガムに酒をうながした。鍋の蓋が押しつけられて、ボトル二本ものワインがそそがれた。
「いけいけぇーー!」
 ビバリンガムは何を思ったか、テーブルの上に飛び乗った。高い身長のために、すごい音を立てて頭が天井の梁にぶつかったが、意に解さぬ様子で酒をあおり始めた。
「うおおおおぅーー」
 男達は惜しみない拍手と野次でビバリンガムを讃えた。
 右足のかかとでリズムを刻みながら、またたく間に大量の酒は喉を下っていった。
「……ッノオーーーッ。美味である」
 ビバリンガムの言葉、仕草ひとつひとつが大爆笑を取った。
「ふふん、ちょこざいな」
 鼻を鳴らしてイシマが立ち上がった。
「将軍。ここはロスグラードではありませんぞ」
 部下があわてて止めようとした。
 彼はそれにかまわずに、カウンターからウイスキーの小樽をふたつ取ると、ビバリンガムの前に立った。
「我はイシマ・ゴーガン。エルアレイの客である。貴公の健啖ぶりには感銘を受けた。我となせ。友の杯を」
 つまり呑み比べをしようというのだ。
「おお。汝イシマ。良き哉。良き漢哉」
 怪鳥のように両手を広げて、ビバリンガムはイシマを抱きしめた。
 その瞬間、再び扉が荒々しく開かれた。黒い戦闘服を着た男達が三人飛び込んできた。巻きおこった風に翻弄された植物性クンフどもがテーブルの上にまで降り注いだ。
「動くな! 軍令である。全員その場から動くことを禁ずる!」
 夷敵禁縛の札を掲げたビドゥ・ルーガンと、突撃デュウを構えた兵士。そして因果療法士サインがそこにいた。
「巨龍に準ずる道理反応を確認した。巨龍の因子が潜伏する可能性あり。検証終えるまですべての者に禁足を命ずる」
 ビドゥ・ルーガンは左手で短デュウを握り直すと、威圧的に周囲を見渡した。
「因果療法士サイン。反応は」
 ビドゥ・ルーガンが聞いた。
 サインは背負った機能樹の五つに分かれた枝先を酒場の中にむけた。それは悪趣味な盆栽のように歪められた厚真杉だった。陰気に反応して、パキパキと音をたてながらたちまち姿を変えるその様は、人の築いた証理学の驚異だった。
「ビドゥ・ルーガン様。近い。……ごく近くに反応です」
 緊張した面もちでサインは言った。紫色のヨウド液を塗りたくった彼の頭から胸にかけて絡まる厚真杉の根は目までを覆い隠していた。彼は厚真杉が見せる光のきらめきとして外界を認識していた。
「ああっ……ちかい。近いです」
 サインは、臭いをたどる犬のようにうろうろと店内に入っていった。
「どうかご用心を。反応はきわめて近い場所から帰ってきます」
「……まて、サイン」
 ビドゥ・ルーガンが言った。
「ビドゥ・ルーガン様。強い反応です」
「サイン……まて。まつんだ」
 サインと違い、肉眼で店内を見ていたビドゥ・ルーガンは、厚真杉の助けを借りるまでもなく、異常の存在を理解した。
「そなた無粋よの」
 ビバリンガムはサインに近づき、目隠し鬼でも楽しむように彼の回りをくるくると廻った。
「松などかぶっては、キノコが生えるぞ」
 反応が奇妙に移動するのだろう。サインは酔ったようにふらついた。
「ビドゥ・ルーガン様……こ、これはなんと不可思議な……」
「もういい。サイン。さがれ」
 ビバリンガムの存在は、ビドゥ・ルーガンの眼にも尋常ではなかった。
「何者であるか」
 ビドゥ・ルーガンが戦士の瞳で聞いた。
「おお。そなた美丈夫であるな」
「なに?」
「見目麗しいぞ。そのた」
 愉快そうにビバリンガムが笑った。
「貴様、我をたばかるか」
「美しいものを好むは真理であるぞ」
「……きさまあ」
 ビドゥ・ルーガンは、イシマとビバリンガムが並んで樽を持つ状況を図りかねていた。
「兄弟よ。イシマよ。無粋な客は待たせておけよ。乾杯をなすぞ」
「おおっ」と、イシマが控えめに応えた。
「イシマ殿。これはいったい……!」
 とがめるようにビドゥ・ルーガンがうなった。
 しかしそんな彼を無視して、ふたりは小樽を手に取った。
 ガシンガシンと、二度ほど激しくぶつけあい、同時にあおり始めた。
「おう……」
 酔いの残る客たちのあいだに再び浮かれた空気が漂った。巨漢たちの無茶な呑みかたにエルアレイの男達は目を見張った。
 ごきゅごきゅという喉の音だけが酒場に響きわたった。
 ポン、という威勢の良い破裂音ともにビバリンガムの口から樽が離れた。
「ん……んんーーっん。ほう!  極楽往生おおおっ」
 ビバリンガムがわずかに早く呑み終えた。軽やかに腰を振り、泳ぐように両手を振りまわして勝利を宣言した。
 一瞬遅れてイシマが樽を降ろした。
「……むっ! おう。ゲスツ!(ピーな賛辞)やるな兄弟。酒呑みで初めて俺を負かした勇者め」
 イシマは肩で息をしながら、真っ赤な顔で言った。こぼれて流れた酒は胸元までも濡らしていた。
「人の子よ。そなたは恥じることなし。我は神の使いであれば、人より秀でているが道理」
 ビバリンガムは静かに首を振り、愛情を込めてイシマを抱きしめた。
「美丈夫よ。ビドゥ・ルーガンとやらよ。そなたの用事はこのことよりも重要であるというか?」
 満足気な表情でビバリンガムは笑った。
「なにをいうか」
「黒き濡羽根髪の美しき男よ。そなた紳士であるならば、無粋な兇器など脇に置き、友の杯を交わそうではないか」
「……馬鹿なことを……」
「イシマは外からの客と聞く。エルアレイと人どもが呼ぶこの地の者は粋を解さぬかのお」
 細い眼をさらに細めてビバリンガムは、ビドゥ・ルーガンを馬鹿にした。
「…………!」
 ビドゥ・ルーガンはカウンターの樽をふたつ鷲掴みにして、ひとつをビバリンガムめがけて力いっぱいに投げつけた。
「お待ちください。外佐。むちゃです。あなたは……」
 アミルトン中曹が彼の袖を引いた。
「くだらないことだ」
 しかしビドゥはその手を振り払って、ビバリンガムに向き合った。
「良き哉。美しき男よ」
「ビドゥ・ルーガンだ」
「共に杯を空けよう。ビドゥ・ルーガンよ」
 ガプン、と樽が鳴った。
 ふたりは同時に樽をあおった。
 ビバリンガムはイシマとの呑み比べなどなかったかのように樽を傾けた。それに比べてビドゥ・ルーガンの顔は見る見る蒼白になっていった。
 誰の眼にも勝敗は明らかに見えた。まるで大蛇と青大将の勝負のようなものだ。
 アミルトンは「やれやれ」と、肩をすくめると、窓を指さして叫んだ。
「あっ。美少年がいっぱい!」
「んに! ……んんんんんんっ?」
 ビバリンガムが反射的に指の先を見た。
「…………カッ、ハアッ!」
 その一瞬にビドゥ・ルーガンは樽を飲みきった。ビバリンガムは一拍遅れて樽を下ろした。
「……うっ……おう。我の負けぞ」
「ーーーーーーとうぜんだ」
 ビバリンガムは視線の定まらないビドゥ・ルーガンの肩を抱き笑った。
「エルアレイをなめる……んじゃない」
 それだけ言うと、中指を立てた彼は、白目をむいて真後ろにぶっ倒れていった。
「あああぁっ。外佐ったら……下戸なのに」
 アミルトンは甲斐甲斐しくビドゥ・ルーガンを抱き起こした。その顔は白い能面のように硬直していた。
「外佐、外佐。水です。ほら、外佐 」
「……のぉ……」と、ビバリンガム。
「いや、まあ、すごい」と、イシマ。
「彼は本物の勇者であるな」
 ビバリンガムとイシマは顔を見合わせて彼の勇気を称えた。
「ああ、我は不敏しておもわざりき。命によって、この愛すべき人の子どもの仮宿を失わせるとは」
「……なに?」
 そのときになって、イシマはビバリンガムの言っていることが、一貫した意味のあることだと気がついた。
「奇妙な服装の兄弟よ。先程からなにを言っているのだ? そなたはいずれかの使命を受けているのか?」
 ビバリンガムは動きをとめて視線を上げた。男達ははじめてビバリンガムの顔を正面から見た。濃い化粧に彩られた目元、口元。しかし切れ長につり上がった狐のような眼は、白眼のない深紅に染まっていた。その中心に針で穴をうがったほどの黒い瞳があった。
 気味が悪いほどに整った唇が小さく動き、ゆるゆると美声が流れだした。
「この船は滅びを定められている」
 ざわっ、と空気が揺れた。
 周囲の景色が色を失って陰影を濃くして行く。
 男達の血を冷やす冷気が足元から立ち上った。
「これは決定された未来である。神の審議は思慮深い。神は人に寛容であるが、既に下された決定には厳密である。神々の約束された刻は何者にも犯されるべきではない」
 店の中の陽気な空気がたちまち霧散していった。
「我は神の計画を実現するために遣わされた者である。人の子どもよ。良き漢どもよ。そなたたちに罪はない。我が導きに従いてすみやかに天海女(あまあま)から脱出せよ。神々は計画に不要な犠牲が伴うことを望んでおられぬ。良き人生を全うせよ」
「天海女(あまあま)? なにを言っているんだ? いったいなんのことだ?」
 兵士のひとりが圧倒される気持ちを抑えて聞いた。しかしそのことへの回答は得られなかった。
「イシマよ。人の友どもよ。命長らえて再び杯を交わすことを望むぞ」
 ビバリンガムの身体の輪郭が薄れはじめた。異相転移しようとしているのだ。店内から行方をくらまそうとしていた。
「まて。もっと話せ。なにを言っているのかわからない」
 イシマは転移同調してビバリンガムを引き戻そうと試みた。しかし一瞬はやく転移仮数の撹乱が始まり同調は失敗した。
「我らはすぐに会うこととなる。友よ」
「計画とはなんだ。なにが始まるのだ!」
「……馳走になった」
 言葉だけが、蛍のように店を漂った。
 ビバリンガムの気配は酒の臭いとともに消え失せた。
 ヨモノウミの宴は白けた畏怖の中で幕をおろした。

 

 

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