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従属生物インスフェロウ

第1章−3

 

「引力塊の構築急げ」
 カーベルの命令が僧兵に飛んだ。
 時間遅延場の構築は成功していた。巨龍の頭部はすっぽりと漆黒の闇に包まれていた。
「見ろ。貴奴の頭はやはり飾りものだ」
 僧兵のひとりが指さし叫んだ。
 時間遅延場とは、定義された範囲の空間において、時間の流れを遅らせる極めて高度な法呪だった。ゆっくりと流れる時間の中にあって巨龍の思考は事実上停 止しているはずなのに、その歩みは止まろうとしない。大地に対して相対的に停止してしかるべき、時間遅延場を取り付かせたまま、巨龍は前進を続けていた。
 それはすなわち時間遅延場を中和していることに他ならない。ただ時の流れが異常になっているために、場が霧散しないだけだ。
 龍は闇を被ることにより、人の攻撃をまともに受けるようになっていた。考える力を失ってはいないものの、外界の刺激を感じる力は明らかに減じていた。
「……知覚湾曲線、構築完……」
 インスフェロウが低い声で言った。人と巨龍の中間に位置する白い大地から、直線にも螺旋にも見える青白いなにかが伸びた。空気の屈折で、そこになにかがあるとしかわからぬ何気なさで、知覚湾曲線が巨龍の全身を覆った。
 インスフェロウの印肢がさらにざわざわとうごめきたった。
 その瞬間、龍の足元がふらついた。
「引力塊。現出するぞ。全員ひきずられないように気をつけろ!」
 カーベルのよく通る声が人々の耳に届いた。
 陽炎のような空気のゆらめきが、巨龍の左肩近くに出現した。
「ヴ。ヴゥボボホオォォォン」
 それはおそらく龍の悲鳴だった。感覚の一部を奪われた上に、知覚歪曲線により外界への知覚力を曖昧にされていた。
 そこへ引力場が真横から作用したのだ。龍にとっては大地が横倒しにでもなったと感じられたことだろう。
 その証拠に龍は激しく身をよじって右に旋回を始めた。まさに法呪が効果的に作用した証だった。
「いいぞ。そのまま海底にお帰りいただこう」
 カーベルの鎧がシャリンと音を立てて回った。
「カーベルさま、伝令でぃありいますい!」
 オウム鳥の姿をした従属生物が空から舞い降りてきた。
 大きく羽をうち振り減速すると、カーベルの目の前に着地した。
「ロスグラード自治軍がぃ到着いたしました。すでいにい上陸を終えて進行中ぃ。ざん三十フンでぃ到着のよていい」
 会話をするだけの知性を持ち合わせないオウム鳥は一方的にそれだけ告げると、カーベルの了解も確認せずに再び大空に舞い上がって行った。
「いまごろ来たか。もう片がつくというのに」
 ビドゥ・ルーガンが吐き捨てるように言った。
「各国ともに、エルアレイの富を欲するならばそれ相応の力を示してほしいものだ」
「それは違うぞ、ビドゥ」
「カーベル?」
「彼らは我々の見せ場に間に合ったんだ。私たちの力をとくと見ていってもらおう。彼らは好運だ。我がエルアレイ軍の圧倒的な戦力を目の当たりにして、みやげ話を持ち帰られるのだから」
 白い歯をのぞかせて、カーベルはさわやかに笑った。
「自分達が攻めてもかなわぬ相手だと、国に報告してくれるのは、とてもありがたいことだとは思わないか?」
 ビドゥ・ルーガンはちらり、とインスフェロウに視線を向けた。インスフェロウは軽く首を横にかしげてみせた。そのとおりだ、と言っているかのように。
「しかし多くの兵士が傷つき倒れているのだぞ。カーベル」と、ビドゥ・ルーガンは言った。
「それを私に言ってどうする。それ以上に従属生物が消耗されているさ」
 そのとき巨龍に変化が起こった。ありえないことだが、その巨体が変形を始めたのだ。
 時間遅延の闇に覆われた頭のうしろ、首の付け根あたりから、首のようなものが伸び始めていた。あたかもかたつむりが目を体内に引き込み、ずれた位置から差し出そうとするかのように。
「つくづく芸に長けた奴よな。花見の友人として来てほしいものを。きっと人気者よ」
 インスフェロウが拍手をしながら言った。呆れたビドゥ・ルーガンが妙な声でうなった。
「カーベル様。伝令であります! 御耳拝借」
 白いはちまきを巻いた伝令兵が彼女に走りより膝をついた。
「油脂鳥移送班が巨龍から放たれた昆虫系蜂クンフらしき大群と遭遇」
「なに!」
 カーベル達は色めき立った。
 油脂鳥は今回の作戦の要になる従属生物だ。
「御安心を。ロスグラード自治軍がただち合流。被害は鳥篭、十のうち二に過ぎませぬ」
「おおっ……」
 兵士たちの間から歓声がもれた。
「やるな、ロスグラードの者ども」
 カーベルがよそ者を厭うビドゥ・ルーガンをからかうように言った。
「音に聞こえた勇猛の志士だ。その程度は働いてもらわねばならぬ。当然よ」
 少し顔を赤らめてビドゥ・ルーガンは応えた。
「油脂鳥の到着まで時間を確保しなければならない。ビドゥ・ルーガン外佐。臼砲いそげ」
 カーベルが言った。
「まて! 誰だ? 人がいるぞ」
 着弾管制を行うために観測儀を覗きこんでいた兵が叫んだ。荒れ狂う龍の足元に、唐突に動くもので現れた。
「見ろ。人だ。逃げ遅れた兵がいるぞ」
「……いや、なんだあいつ、なにをやっているんだ?」
 兵たちは目にした奇妙な光景を理解できずに口々にまくしたてた。
 龍が巻き上げる白い土煙のなかで、不自然なまでに手足の長い男が、懸命になにかのジェスチャーをしていた。
 龍を指さし、そして頭の上で両手をつなぎ、大きな丸を描く。
 その動作を何度も繰り返していた。まるで龍が安全な生き物であり、攻撃をする必要などない、と言っているかのように。
 龍の質量に侵されて、ぐずぐずになった地面に足をとられながら、その者は千鳥足で兵士たちのほうに近寄ってきた。
「臼砲、撃ち方まて! 第八小隊はあの道化者を救出しろ。もしロスグラード自治軍の兵だったら、そのまま龍の尻尾に縛りつけてしまえ」
 ビドゥ・ルーガンが命令を叫び、第八小隊の若者たち三人が突撃用長デュウを腰だめに構えてバリケードから走りだした。
 深く掘られた壕をふたつ渡りきったところで、カーベルの操るマシ鳥十羽が彼らに追いついた。
 マシ鳥とは人の腰ほどの背丈を持つ飛べない鳥である。強靭な足により、犬よりも速く地をかける事ができた。
 鳥たちは攻撃のためのものではない。厳密なかけあわせの結果で得られた、法呪的に有意な文様を羽に持つことにより、防御法呪を操ることができる種だった。すなわち訓練された発音が羽に現れた文様を意味づけて、強力な物理障壁を構築することができた。
 貝氷と呼ばれる鉄壁の防御法呪。光沢貝の裏側のような、白く虹色に輝く光が兵士たちのまわりに展開した。それは盾十枚にも及ぶ力で彼らを守った。
「……なんという戦い方だ。いかに見ます、ミロウド様」
 ゆるやかな丘陵の頂上にさしかかったイシマたちロスグラード自治軍の目に最初に飛び込んできたのは、龍の攻撃に対してマシ鳥を盾板のように消耗しながら突撃する若者たちの姿だった。
 法呪の限界を越えたマシ鳥は、文様を歪ませ、羽を四散させて死んでいった。
「エルアレイの彼らには生命を愛しむ心がないのか」
 武人の言葉とも思えないつぶやきが、イシマの口から漏れでた。
 任務を全うしようとするエルアレイの兵士には聞かせられない言葉だ。
「…………」
 ミロウドは蒼白な表情を張り付かせたまま、彼らの戦いを見つめていた。彼らがここにたどりつく前に救った油脂鳥移送班も、わずかな兵士が、爆弾を抱えた四つ足の従属生物を駆使して戦っていた。その戦場は血肉が散乱する凄惨なものだった。
「犠牲が増えます……あまりにむごい犠牲が。イシマ様、兵士たちは、龍の前のあの不思議な人物を救出しようとしています。どうか命をひとつでもとどめおく手助けをしてください」
 また一つはぜた羽から視線をひきはがし、ミロウドは懇願した。
 はじめて見る不思議な戦場の光景は、彼女に大きな衝撃を与えていた。
「いくぞ。五小隊。つづけ」
 野太い声でイシマは命令を下して、丘陵を駆け降りた。
 五小隊の九名が彼らの武器を手に後に続いた。
 その瞬間、奇妙な男の姿が消え失せた。まるで落とし穴にでも落ち込んだかのように、すっ、と人の視界からいなくなった。
 巨龍に踏みつぶされたのではない。移動する龍からはすでに数十メンツルは離れていた。
 エルアレイの第八小隊が、わずか二十メンツルまでせまった時に、見誤るはずもない道化のような男は姿を消した。現れたときと同じように不可思議な消滅だった。
「法呪で逃げたか」
 イシマはすばやく状況を確認すると、兵たちに退却を命じた。
 彼はエルアレイのために兵を失うことは極力避けたかった。
 イシマと五小隊はミロウドの待つ本体と合流すると、彼らが救った油脂鳥移送班とともにエルアレイ軍本体の元に参じた。
「ビドゥ・ルーガン外佐、カーベル殿!」
 イシマはエルアレイ軍の指揮官である彼らの元に走りより短く挨拶をした。
 噴煙と爆音のたなびくなかで、ビドゥ・ルーガンはイシマの手を握った。
「イシマ将軍、遠路かたじけない。さっそく我が油脂鳥移送班を救っていただいたとのこと。感謝する」
「貴重な戦力と聞いたが、あのような鳥かごでいったいなにを?」
 イシマの言葉はもっともだった。鳥かごと呼ばれた鉛硝子の筒に封じ込まれた油脂鳥たち。
 その筒自体が過酸化草砲として機能するのだが、これはエルアレイの発明だった。
「いますぐ投入する。とくとご覧あれ」
 自らの戦力を誇示する子どもじみた喜びに頬をほころばせてビドゥ・ルーガンは言った。
「しかしいまの奇人は何者だったのだ」
 イシマの言葉にビドゥ・ルーガンは眉をあげた。
「ロスグラード自治軍の兵ではなかったのですか?」
「まさか。あのような痴れ者は兵の役に値しませぬ」
 ーーでは、エルアレイ軍の者だと? ーー
 さすがに言葉を止めるだけの理性は、よそ者嫌いのビドゥ・ルーガンにもあった。
 その後ろではカーベル、インスフェロウとミロウドが挨拶を交わしていた。
「カーベル様、インスフェロウ様。お役目ごくろうさまです。お噂はかねがね」
 ミロウドが蒼白な顔で微笑みながら言った。
 カーベルがそれに応えた。
「戦いはまもなく終わりましょう。どうか心安んじられますように。ミロウド副祭司長殿」
「どうか皆様が無事に戻られますように」
「精強なるロスグラード自治軍が守ってくだされた油脂鳥と過酸化草砲が龍めを撃退します。我々の最強力兵器です」
「……つつがなくお役目を終えますように」
 ミロウドは招幸去悪の詔を呟き、聖水を振りまいた。
「カーベル様、砲の発射準備開始します」
 兵のひとりが伝令にあらわれた。
「よし。過酸化草砲、発射用意」
 高価な鉛硝子を円筒状に束ねた筒が、麒麟どもに引かれて姿を現した。
 それは直径四メンツル、長さ二十メンツルにも及ぶ細長い巨大な硝子の桶だった。
 板状の鉛硝子を鋼鉄の帯で縛り上げた不思議な筒である。きらきらと日の光を反射するその中には、隙間なくびっしりと蔦が繁茂していた。
 茎には鋭く赤黒い刺を持ち、数え切れない深紅の花をつけていた。南国ものらしいそれは、大きな雄しべを垂らし、肉厚の派手な花びらを広げていた。葉の色は濃くなりすぎた緑だ。
「過酸化草は極めて健常。酸化値よろし」
 筒に取り付いた操作員が三名。そわしなく小さな弁を操作して内部の状態を確認していた。
 試験紙らしい人の背丈ほどもある青いテープが次々と筒から引き抜かれていく。
「砲弾装てんいそげ」
「燃焼用油脂鳥、投入」
 ミロウドは、仰天してその光景を見ていた。
「カーベル様。鳥……いま、鳥と言いましたか? あの、さっきの小鳥ですか?」
「えっ? 油脂鳥ですが。なにか?」
 操作員は密閉した金属の容器を筒に接続した。仕切りの板が開かれて、中から極彩色の小鳥が一斉に飛び出した。
 筒の中の過酸化草の花に鳥たちが群がった。
「あれも従属生物なのですか?」
「そうとも言えます。下がっていてください。まもなく発射します」
「は、はい」
 筒の先端に、とてつもなく重そうな、赤錆色に光る羽付きのモリが装着された。重金属の塊から削りだしたような、それが砲弾だ。
「ぶぶっ、ぶががぁぉぉぉおおん」
 丘の切れ目から巨龍が現れた。全身から不気味な煙をたなびかせて、ゆっくりと歩を進めていた。固定された砲の射線上にあとわずかだ。
「カーベル様……まさか、あの鳥たちは」
 ミロウドは信じられないという顔で筒の中を舞う鳥達を見つめた。
「普通の生き物は、過酸化草の詰まった中になんて入ったら即死します」
 なにを言っているんだ、という顔でカーベルは笑った。操作員の秒読みが始まった。
「来るぞ。3、2、1……撃て!」
 ドワン!
 大地が剥がれるほどの衝撃が走った。
 透明な過酸化草砲の砲身が、太陽のように光と熱を放った。
 圧倒的な質量を持つ砲弾が弓なりに宙を飛び、吸い込まれるように龍の横腹に炸裂した。
 運動量がすべて一点に集中するように計算された砲弾は、はじけてエネルギーを無駄にすることなく、破壊力を効率的に巨龍の身体にたたき込んだ。
「がっ、ごががっんんん」
 悲鳴とも破壊音ともつかない大音響が龍から轟いた。爪が大地を深くえぐりながら、弧を描いて頭の向きを変えた。腹が破れることはなかったが、着弾の衝撃で、巨体は八メンツルは、はじかれていた。その進路は間違いなく数十度もねじ曲げられた。
「成功だ!」
 歓声が兵たちの口から上がった。
「ミロウド様。成功よ。見て! やったわ!」
 カーベルはミロウドの肩を抱きしめて振り回した。
 巨龍の進路は、いまや明確に海を向いていた。
「いい子ね。そのまま海に帰るのよ」
 カーベルは空になった砲の回収を始めた操作員たちに、両手を振ってねぎらいを示した。
「…………」
 ミロウドは呆然と、燃え滓のくすぶる筒を見つめていた。
 あの小鳥たちは、火薬のかわりに消しとんでいた。
「ミロウド姫。残念ながら、あれほどの推進力を得る火薬を我々は持ちません」
 いつのまにか彼女の傍らに立っていたインスフェロウが、その耳もとでちいさくささやいた。
 ミロウドは言葉もなく、金色の瞳をみつめかえした。
 はしゃぐカーベルは、しかしそんな彼女の驚きなど想像もできないようすだった。
「従属生物とは……ものですか?」
「結果を得なくてはなりません」
「あなた、あなたはどうなるのです。インスフェロウ様」
「私は人に造られました。なぜだと思いますか?」
「あなたは、高潔な人格をお持ちです」
「私を人が必要としたからです」
「あなたを多くの人々が求めています」
「しかし私という種を維持するためではありません」
「そんな……ものいいをしないでください。インスフェロウ様」
「失礼。あなたを困らせましたか?」
「……インスフェロウさま……」
 ミロウドはいたたまれずに目を伏せた。
 インスフェロウに背を向けて、この場を去ることはできない。それは彼の言葉に同意するように思えたのだ。下唇を噛みしめてミロウドはインスフェロウのつま先をみつめていた。
 ここは変だ。ミロウドは口に出さずに考えた。
 従属生物というもの自体、彼女の故郷であるロスグラードをはじめ、多くの地では一般ではある。しかしせいぜい低い知性のものをペットとして楽しむか、または高度な知性を付与して人の生活を補助するものとして活用していた。
 ロスグラードにおいてもバッタを素体にした人間大の従属生物が、労働力の補助として導入されていた。いずれにしろ家畜や犬猫のたぐいとは一線を画していた。
 だがこのエルアレイでは、明らかに消耗品として従属生物の生命が消費されていた。
 知性化された命ある生物が、薪や石炭のように使い捨てられていた。
「インスフェロウさま……」
 ミロウドは信じられずに人の姿をした従属生物を見あげた。
 インスフェロウは黙って視線を受けとめていた。


 

 

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