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海ゆくエルアレイ

第1章−2

 

 い、底抜けに蒼い空が広がっていた。
 遥かに白くかすむ水平線は、空の色を映してかすかな線を引いていた。偏西風が表面をどこまでもなぞり、とても小さな波のうねりを作っていた。
 見渡す限りの大海原の中に、不思議な島があった。 
 深海に続くことを意味する深く重い波の中にあって、その島はひどく唐突に浮かんでいた。異様に平らな緑の島。空を飛ぶ手段が人間にあったなら、上空からの眺めに驚嘆したことだろう。
 その島は完全な正方形を描いていた。一辺が五十ケーメンツルほどの四角形。各頂点に小高い丘が四つあるばかりで、他は平地以外ない。しかしそんな島にも人間の生活があった、森と畑が全土を覆い、白い道路が縦横に駆けめぐっていた。
 だが島を遥かに見おろすことができたならば、人間が真に驚くのは、そんな些末なことではない。島の回りに広がる不可思議な波。自然の島ならばけっしてまとわりつかせることのない、長い帯状の波紋。
 島の一角から後ろに向かって、どこまでも長く引かれているくさび型にたなびく波。
 それはまさしく航跡だった。
 その島は海に浮かんでいた。膨大な海水をかき分け、波を蹴立てて海原を進んでいた。人に理解できない超常のちからで、信じられないほど巨大な大地が、音を立てて動いていた。
 人はそのからくりを理解する知恵も手段も持たなかったが、子を成し富を得ることに差し障りはなにもなかった。いまや島には三千人もの人間が定住し、港には多くの貿易船が繋がれていた。
 島の真の素性は知れない。
 ただ汎神族による建造物であることに間違いはなかった。
 汎神族とは世界の霊長である。
 彼らは種としてこの世界に属する意味において人や動物達と変わらぬ存在であったが、属性において際だった特異性があった。その証しに、人も動物もクンフ どもさえも汎神族の姿形と存在に畏敬を感じ、かしこまらずにはいられなかった。姿は極めて人に似ていたが、体格は倍にも及び、美しさにおいては、人が神個 体の優劣をつけることなど想像もつかないほどに秀麗だった。
 汎神族は人の言葉を解するが、彼らの言葉は別にある。人の貧弱な言語では彼らの概念を語ることはできなかった。
  汎神族は特異な発声器官と高い思考能力により、一ビョウの間に二千八百単語を語ると言われる高速言語を駆使して法呪を操った。
 しかし汎神族をして、他の生物ともっとも際だった特徴を示す特徴は他にある。
 それは記憶の遺伝だった。
 彼らは記憶を子々孫々に遺伝した。そのようなことが起こる生物は他にない。古い記憶を持つ神は、生まれながらにして博士だった。
 その知識量は絶大であり、いかに秀才の才能を持つ御柱であろうと、一つの学問に百代の記憶を持つ幼い御柱に及ぶ術はなかった。
 それゆえ神にとって、記憶の持つ価値は絶対であり、記憶にまつわる概念は人の想像力を越えていた。
 人に取って神とは汎神族に他ならない。そのため人は宗教を持たなかった。自らより優れた存在が肉として存在する世界において。道を正しく示してくれる世界において、なぜに不可知な神が必要あろう。
 自らの知る神が最も尊い神である。それが人にとっての神。そのすべてであった。
 しかし当の汎神族は多くの宗派を持っていた。
 「亜ドシュケ閥」「グリュースト閥」「エッジオン閥」「明日雲閥」を四代閥として、その下にいくつもの宗派が名を連ねていた。
 海を航行する島。その超越のした在り様は、間違いなく汎神族の仕事だった。
 海に浮かび、海を航行する神造の島を、人は尊敬と感謝を込めて「宝島」と呼んだ。すなわち人の言葉で言うところの「エルアレイ」である。
 エルアレイの四隅には直径五百メンツルの小高い丘があった。そのうちのひとつ、鮫にかじり取られたように、一角が崩れた丘の名を「カホウ」といい、丘か ら内陸を見おろす形で時計回りにそれぞれ「アッツ」「サキヅケ」「ショウカ」と呼ばれていた。丘は打ち捨てられた古墳のように木々が生い茂り、濃い下ばえ には人の足跡もなかった。
  そこにはいつから住み着いたか知れぬ伊井鹿や狐が、人に狩られることもなく繁殖していた。珍しい菌糸類や山菜も多く生えていたが、人は誰もそれを採ろうとはしなかった。なぜなら丘は神の御しるしが現れる聖なる地であったから。
 神の御しるし。それは百メンツルにも及ぶ神の虚像が丘の上に現れて、悲鳴をーーおそらくは高速言語であろうがーーあげるというものだった。島になんらか の危険がせまった時、神の像は崩れた「カホウ」以外の丘すべてにその姿を現した。人は神の虚像の出現を、島への脅威の前兆として畏れ、そして利用した。
「ア・アッ・アアアアッーーーー」
 その日最初に像を結んだのは「アッツ」の丘の神だった。
  歳老いた女神に見えるその姿は、青い炎が神の姿をした器の中で燃え盛るように虚ろに、しかし激しく翻った。つづいて「サキヅケ」の丘の高齢の男神、「ショウカ」の丘の少年神が宙空に姿を現した。
「ィ……イアアァァーーーン」
 広大な島の果てまでも響きわたる神々の声を聞き誤るはずもない。人はただちに危機の正体を探り当て、迎え撃つ準備を整えた。
 なぜこの島には災厄が襲いかかるのか。なぜ他の地では例もない神の虚像が丘に現れるのか。それも三柱も。結果的に人に危険を知らせている奇跡は、人のためのものなのか。それとも人にはうかがいしれない神の道理なのか。
 すべては謎だった。
 しかし人はこの地に住んでいた。この島は人に多くの利益を与えていた。エルアレイの地下から産出する膨大な汎神族の遺産は、豊かな富を島にもたらしてい た。彼らの生活のためにも、そして産出される神秘の品々を欲する多くの国々のためにも、容易にこの島を去ることはできない。そしてこの島を故郷とする者た ちもすでに数え切れない。命を掛けて守るに値するものだった。
 エルアレイは価値があると同時に、多くの国にとって、頭の痛い問題を突きつける島でもあった。
 エルアレイは常に不思議の脅威にさらされていた。龍の襲来は初めてではない。それどころか、上陸に至らない正体不明の悪意あるものは、数限りなく島の周囲を俳諧していた。
 海を航海する神の島、そこを襲う怪異の龍ども。知られる世界に類を見ない異常な環境。そして神のタブーを犯し、怒りに触れる恐れすらある触れざるべき島。それでも人間達は、その地から産出する様々な神の遺産を欲してエルアレイに固執した。
「見えた。エルアレイだ。エルアレイだ!」
 高いマストから見張りの男が叫んだ。風に飛ばされる声を補うために、しきりに指さす海面には人工の色が漂っていた。
  鋼の板で装甲された軍船の回りに漂う黄色い塗料の帯は、エルアレイの港から流されたマーカーだ。
  一つ処にとどまらないその島は、自らの位置を来訪者に知らせるために、一定間隔で塗料を海に流していた。比較的に潮の流れが安定しているこの海域では、熟練した航海士ならば塗料の帯から島の在処を容易に類推できた。
「右、十度をエルアレイは直進している。速度あげろ」
「面舵十度。蒸気噴出八十」
 エルアレイを訪れる船は二種類ある。ひとつは交易のための商船。そしてもうひとつは、島を守るための軍船である。
  それは交易を独占したい各国が自主的に派遣する援軍だった。ただし強国の独占を避けたい商業ギルドが各国の政府に働きかけて、軍の派遣は持ち回りの取り決めになっていた。
  二週間前に期限が切れて撤退したテンジ国軍に変わって、ロスグラード自治市自治軍がその任につくべくやってきた。
「ミロウド様、イシマ様。エルアレイを肉視しました」
 若い将校が甲板下の暗い作戦室に走り込んできた。
  鈍くきしむ古い木造りの船体は余裕のない造りになっていた。
  天井の低いその部屋では、油煙にくすんだテーブルを囲んでロスグラード副祭司長ミロウドと、自治軍将軍のイシマが上陸事務手続き確認を行っていた。
「ご苦労。ランツ内尉。早告鳥によると島は再び巨龍の襲撃を受けているとのことであるな。印は確認できたか」
 イシマは肉厚の皮のベルトをバシン、と音を立てて締めた。細かな巻きでカールされた赤い髪は被りもののように頭を覆っていた。
  赤銅色の固い髭に、鮫のような肌を持つ巨漢。年齢は三十七歳と言われている。
  将軍職についてすでに八年。つまり二十代で将軍に昇り詰めた秀才である。
 商取引で成り立つ彼らの街、ロスグラードは多くの富が集中する豊かな街だ。そのために外部からの干渉も多い。幾たびに及ぶ侵略や海賊行為の討伐において彼のあげた功績は大きい。
  しかし彼の最大の実績は、五年前に行われた作戦で、聖火香という名の神の城を攻略したことである。聖火香は長くロスグラードに住む神であったが、不可思議 な神々の抗争のなかで責めるべき神としての洛印が押されたのだ。それが本当に正しいことかを知るすべもないまま、彼ら自治軍は神の城を攻め落とした。
  それは人間に取って極めて希有な経験だった。
「はっ、将軍。幾筋もの黒く細い煙が立ち昇るのを確認しています。おそらく既に戦いは始まっていると推測されます」
 初めての実戦に興奮した若いランツ内尉は、頬を紅潮させて言った。
「兵たちの用意は」
「すでに全員が対極大生物一種兵装を整えております。総員意気軒昂」
「敵は神の属性にあるものだ。対法呪装備を再確認させろ。今回は雇兵が三割を占める。くれぐれも命令系統の徹底を怠るな」
「了解しました。将軍」
「内尉様、どうか皆様を生きながらえさせてくださいませね」
「……はっ、ミロウド様」
 ミロウドはレモン色の僧衣を整えながら伏し目がちに言った。
  僧用の対極大生物装備である半透明のゲル干渉材をふんだんに盛りつけた僧衣は、細い彼女の体には気の毒なほど重そうだった。
 彼女はロスグラード市民寺院の女官の長をつとめる地位にいた。
  彼女の生まれは、遠くシャツェの国である。しかし幼いときから並々ならぬ法呪の才能を示した彼女は、修行中であった前ロスグラード寺院長ミッシャに見いだされて、請われてロスグラードに移り住んだ。
 わずか十二歳にして、二万言もの法呪文を必要とする硝子状物理障壁を構築することができたという。それは天才の名に値するものだった。
 異例の早さで副祭司長の地位についた彼女は、若干二十歳の若さである。
  幼いときから寺院の奥深くで法呪の学問と修養に明け暮れてきたために肌は白く、体もひ弱と見えるほど細かった。少年のように短く刈り整えられた金髪は、形の良い頭の線を強調していた。
  前髪はきれいにつり上がった眉にかかるほど。人並はずれて大きな瞳は、歳に似合わない深い知性を感じさせた。
「どうか皆様が無事に帰りの船に集えますように」
 ミロウドにしてみれば、いかに島から産出する神々の品が貴重であっても、故郷からはるばる海を渡った兵士たちが、見知らぬ土地で果てることのほうが心を痛める問題だった。イシマ将軍ほどには割り切ることができない。
「私たちは兵士としての本分をまっとうするのが任務であり誇りであります。ミロウド様」
 若いランツ内尉は目を輝かせながらまっすぐに言った。それはイシマの教育の成果であり、兵としては正しい考え方に違いはなかった。
「よし、いけ。内尉。まもなく上陸だ」
「はっ、将軍」
 ランツはバネじかけのような機敏さで甲板に戻っていった。
「ミロウド様。お心配りはわかるが、あのようなおっしゃりかたは、士気にかかわります」
 イシマは兵に声が届かないことを見定めてから苦言を呈した。
「それは……わかっておりますが、今回は本来、博士によるあの装置の調査が目的でありましたのに。巨龍の襲来に立ち会うことになろうとは、なんと間の悪い」
 ため息をつきながらミロウドは首を振った。
「エルアレイにはインスフェロウ様がおられますゆえ、大過なくおさばきいただけると思いますが」
 イシマは意外そうな顔でミロウドの端正な顔をのぞき込んだ。
「なんと。ミロウド様はインスフェロウ殿をご存知か? 人の従属生物であるあの者を」
「まあ……」
 ミロウドは口元に指をかざして、さもおかしそうに微笑んだ。
「イシマ様もインスフェロウ様に敬称を付けられるのですね? 従属生物であるのに」
「ああっ、その。いちど会議でお会いしたことがあります。エルアレイの防衛会議で。なんとも怪異な風貌にも関わらず、威厳に満ちた者であった、と記憶します。たしか女性とインスフェロウ殿が出席されていた……」
 従属生物ごときを殿よばわりしたことにきまり悪い思いをしながらも、さらに敬称をつけずにはいられなかった。
 人は人の造りだした従属生物に自らの意志による生存権を認めていない。それは神が神の従属生物を自由にすることと同じであり、人が神によって牛や羊のようにほふられることと等しい権利だった。
「カーベル様ですね。彼女も偉大な法呪の使い手です」
 イシマ将軍の脳裏には、およそ化け物じみたインスフェロウの姿がまざまざと思い起こされた。あのときにエルアレイの怪人に挨拶し、頭を下げていたのは彼だけではなかった。
 そうすることが当然と誰しもが感じていた。それほどにインスフェロウの持つ雰囲気は重厚であった。
「従属生物という存在自体が、本来正しいものではないのではないでしょうか?」
 ミロウドは、おそらく何度も口にしたであろう質問をイシマに向けた。
「しかし我々はその恩恵を多大に受けております。特にロスグラードにはバッタ人を始めとして、低級なものから人に準ずるまでの多くの者どもがおります。あの奉仕をなくして我々の生活が成り立つでしょうか」
 イシマは彼の家で、かいがいしく掃除に働く鼠型従属生物のカチューピースを思い浮かべた。
「家畜よりは彼らのほうがましであると考えますが」
 その答は、いつもミロウドが聞かされていたものだった。
  家畜よりは生きていけるチャンスが大きい従属生物のほうがましである。それは常に人が口にする論理だった。
  家畜と従属生物の最大の違いは、そこに人為的な知性が付加されている場合があるということだった。
  人と会話をする家畜はいない。
  従属生物には人と対等に会話を行う知性を持つものが多く存在した。
 しかし繁殖して子孫を残せるものは、驚くほど少ない。多くは素体となる生物を生まれる前の段階で大きく操作するために、生殖能力が欠如してしまうのだ。
「いや、しかしミロウド様。博士により「ボッシュの格子」を調査していただくことが、今回の最大の目的であることに違いはありません」と、イシマが言った。
「そうですね。博士も準備のほどを」
 ミロウドは部屋の奥の暗がりで、小さな明かりをつけて、本を読みふけっていた男に声をかけた。
「はい、いつでも」
 まだ若い男の声が応えた。ミロウドと同じ僧用装備を身にまとった白い髪の男性が荷物を肩にかけて立ち上がった。
  船には慣れているのか、揺れる床を苦にもしないでイシマたちのもとに歩み寄ってきた。
「格子のことはなにかわかりましたか?」
 イシマが聞いた。
「いいえ、残念ながら。現物を拝見してからですね。将軍」
 扉の小さな明かり取り窓から差し込む光が男を照らし出した。
  まぶしそうに目を細めるその者は、白髪であるばかりか、異様なほど白い肌を持っていた。およそ赤みがない、ロウのような白さだった。
  少年の面影を残したぼくとつな顔立ちとは対照的に、黒い瞳は深い英知をたたえていた。
 細身ながら意外にたくましい腕が、僧着からのぞいていた。
 全体の印象がひどくちぐはぐな青年だった。
 あえていうならば学問を知らずに育った田舎の青年が、舞台で学者の役に立つために身を装ったかのような。
 しかし背後から見たとき、全身を覆う気配のようなものは、本物の博士の迫力を持っていた。
「ああっ、海はいいですね」
 潮風を大きく吸い込んで、若者はさわやかな微笑みを浮かべた。
「博士は航海をされたことがあるのですか?」
 イシマはどこかで見覚えのある、この若い博士がなぜか嫌いだった。
「ええ。むかし」
 若者はそんなイシマの心を知っているかのように、ひかえめに笑った。
 ミロウドはいざなうように外への扉を開けた。博士の首筋まで伸びた白い髪が風になびいた。
「では、アリウス博士。まいりましょう」


 

 

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