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巨龍迎撃

第1章−1

 

 の記録にある。
 その島は過去に四度、災厄に見舞われた。
 人の攻撃を受けつけぬ超常の怪物が襲来し、破壊の限りを尽くした。
  人は知恵を用いてこれを退けた。学び、戦う手段を得るために、人は多くの犠牲を払った。
 そして新たな災厄が島を襲った。
 それは記録通りに海からやってきた。
 全長30メンツル。火も槍も受けつけぬ、乾いたタールの皮膚を持つ黒の巨龍だった。
 極端に短い四肢は宮殿の柱ほども太く、身体の四半分を占める頭は、鰐の頭骨に粘土を盛りつけたように凶悪なものだった。
 なぜかそれはひどく造りものじみて見えた。
 巨龍は豪雨を降らせ丘を破り、やぐらほどの高さの津波に乗って島を襲った。
 触れるものすべてを蹴り散らし、にらむままに滅ぼす様はあまりにすさまじく、とうてい人間ごときが抗しうるとは思えなかった。
 しかし島を守る兵士たちは絶望することなく勇敢に戦い、怪物の歩みを遅らせた。
 その三歩を止めるために、犠牲は十人を数えた。
「強弓隊、二列横隊。炸裂弾頭二十八号装備! 構え!」
 若者たちは退かずに弓を引き絞った。
 爪が石を踏み砕き、草原を砂原のように踏み抜く重い脚元にその身をさらして。
「がおおぉぉぉぉんっっっっっ」
 視界が歪むほどの咆哮が轟いた。戦う彼らの鼓膜は破れて血が流れ出した。
 部隊長の命令はもはや聞こえない。だが彼らはここを退くことはできない。その背後には愛する者どもが住む市街地が迫っていた。
 ほうせんかのように降り注ぐ炸裂矢が、巨龍の頭部に集中した。
  昼間の太陽の下でさえ、それとわかる真っ白の閃光をひらめかせて、たてつづけに爆発がおきた。
 しかし生物の常識を超えた化け物は、まばたきすらすることなく粉煙の中から這い出してきた。
 退却につぐ退却で、前線はすでに市街地を囲む石塀の五ケーメンツルまで迫っていた。
 法呪僧兵が二十人、必殺の呪的防御を張る準備を整えて駆けつけた。彼らはマシクの陣型を取り、一斉に法呪文を放ち出した。
「よりよりて細くうがつ志のきこしめしたるこの符に取らせたまいし宙空の浮揚せし位置、四十かける四十枚のこのものに触れし遺棄すべき阻止すべき退散すべきもろもろの胞からは四千度の熱に焼かれ清められるがことわりであるを天地に示す」
 深緑色の礼装をまとった僧兵たちの手から七万言に及ぶ法呪文が書き込まれた符が幾層にも放たれた。
  半紙ほどの大きさの符は、風にさらわれる木の葉のように宙に舞い、糸のつかない凧のように貼り合わされた。それはなんの支持もないままに空中にとどまった。あたかも空中に見えない板があり、そこに符が規則正しく貼られたかのように。
 しかし巨龍は超絶の技に頓着することなく、前進を続けた。
「そを焼くほむらは四千度なり」
 僧兵の法呪文が言いきられた。まさにそのとき、巨龍は符の壁に鼻先から突入した。
「ぶぅ・ああおおぉぉぉぉん」
 符は巨龍に触れるやいなや、端から紙花火のように燃え上がった。
  青色の高温の炎が巨龍の輪郭をなぞるように広がった。激しく煙と蒸気が吹き上がる。しかしそれは汚れや表皮に付着した様々なものを焼いているだけだ。
  僧兵たちの血の滲むような修行の技は、巨龍を清めたに過ぎなかった。
「かっ、かっ、かかっ」
 巨龍は符の壁を通り抜けた口を、裂くほどに開いて首を振りたてた。高い知性を感じさせる黒い瞳が濡れて光った。
「貴様ら笑われているぞ!」
 僧兵たちの後ろから、娘の高い声が叫んだ。
「おう」
「カーベル様」
「おお、遅し。カーベル殿」
「カーベル様が参られた」
 兵士と僧兵は、口々にその名を呼んだ。
「待たせた」
 早駆けの麒麟車から降りた娘は、赤みの強い黄金色に輝く奇妙な鎧をバシャンと打ち鳴らして兵士に応えた。
  それは剣の戦いのための鎧とは明らかに異なっていた。上半身が左右非対象のうえ、動きが制限されるであろう、複雑な凹凸が多数ついていた。
  なにより珍奇なのは、いたるところからじゃらじゃらと下げられた板符の数々である。その表面には微細視鏡で視なければ読み取れない、膨大な法呪文が刻み込まれていた。
「損害は?」娘が聞いた。
「死亡3、負傷78。兵士残95、僧兵残12。全員意気高し!」
 黒髪のビドゥ・ルーガン外佐がカーベルに走りより報告した。 三十歳前後の青年将校だ。総じて兵士の年齢は低かった。
  そのことは島での戦いのすさまじさを物語っていた。
「よし。勝つぞ。外佐!」
 濃い赤茶色に輝くすさまじい長髪が、兜をかぶらない頭で吹き荒れた。
  肌を守る程度の薄い化粧ながら、真っ赤な口紅が美しい顔立ちを引き立てていた。
  深い緑色の瞳と、きりりとつり上がった眉は、その強力な意志の力を誇示していた。
 歳の頃は二十代半ばにもなろうか。すらりとした長身に均整のとれた体格。街娘というよりは、女優の雰囲気を身にまとった、美しく激しい容姿の女性だった。
 彼女に続いて、全身をローブで覆った巨大な男が降り立った。青みがかった灰白色のマントに修道法師のような三角頭襟をかぶり、鼻までを覆うマスクをつけていた。わずかにのぞいた目元も、不思議な闇に彩られていて、なぜか子細を見て取ることができない。
 それは人ではなかった。
  人が創り出した極めて高度な従属生物だった。従属生物とはある種が他の種を、使役することを目的に知性化したものである。多くの場合、知性化の過程で絶対服従を刷り込んでいた。
「案ずるな。我々は四たび龍を退けた。これは五度目にすぎぬ。我らは勝つ!」
 だすっ、とカーベルは足を踏みならした。
「インスフェロウ。龍の軌道を変える。暗く深い海底こそ龍の住処にふさわしい。めまいをくれてやろう。知覚歪曲線用意!」
「応。カーベル。左回りを推奨する」
「よし。左に曲げて蛸どもの揺り篭に叩き込め」
 インスフェロウと呼ばれた怪人は、マントの下から複雑な腕を繰り出した。通常の二本の腕。そして両肩から分岐して生えた、虫の脚のような無数の短い腕。
 それが一斉にうごめきだした。
「………………」
 インスフェロウの喉から聞き取れない低い音が漏れだした。肩から生えた数え切れない外骨格の鋭く小さな腕が、精妙なからくりのように有意の文様を空中に 描きだした。それは印肢と呼ばれる、印を結ぶための機能義肢である。左右で数百本に及ぶ腕は絡み合うように、目にも止まらない速さで、無数の印を同時に 切っていった。
 人は神々の操る高速な法呪文発現手段である高速言語を模倣することができないでいた。
 しかし人は多くの手段を研究し実現していた。そのひとつが無数の手による印切りだった。良く訓練された法呪僧兵の一群は、交響曲を奏でる楽団のように、 調和の取れた高度な印切りを見せるという。それを一体の生物が一つの意志の元でおこなうのがインスフェロウの機能義肢だった。
 カーベルも板符の一つを取り外すと、金メッキを輝かせて法呪をつむぎ始めた。龍の視覚を覆い隠すための時間遅延場を構築するために。
 龍の感覚器官がなにであるかを探る猶予はない。鉄をもとろかす高熱に耐える眼が、人や獣のように、光を捕らえて像を結んでいる保証はない。顔前に時間遅延場を張り付かせて、いかなる器官にも絶対不可視の闇を作ろうというのだ。
「時刻つかさどるーーーー」
 カーベルが唱えかけたその瞬間、巨龍の口から岩が転がり出した。人の二抱えほどもある真っ赤に焼けた真円の巨石が生物の喉から飛び出して、自ら意志を持つように兵士を追い立てた。
「隷マフィス群! 三十一から四十五まで対質量攻撃!」
 ビドゥ・ルーガン外佐が後ろに控える戦闘従属生物に命令を発した。駿足で知られるマフィス鹿を知性化して造られた隷マフィス。その十五体が指向性爆弾を背中にくくりつけた姿で巨石に体当たりをした。
 たちまち起こるすさまじい爆発は、岩をくだくことができないまでも、大きく軌道を変えて人の軍隊を守った。
 地に伏せ首をすくめる兵士たちの上に、生え変わったばかりの柔らかな夏毛がふりそそいだ。
「ズッ……グッ…………」
 いまいましげに巨龍が吠えた。
 果敢な幾頭かは、破壊すべき岩を尻目に龍の本体にせまった。巨龍がなにかを認めて狙いをつけて繰り出そうとした前足を、故郷の岩場を駆け上がるかのように跳ね登り、顔面に向かって炸裂した。
 針の穴から吹き出すような必殺の爆風が龍の顔面を襲う。衝撃で四散した隷マフィスの身体は地面にばらばらと散らばった。至近距離からの攻撃に歩みを踏み違えた巨龍の脚の際から逃げ遅れていた人の兵が二名、肩を支え合いながらよろめき歩みだしてきた。
 獲物を逃すまいとする巨龍はさらに爪を伸ばそうとしたが、さらに体当たりをした新たな隷マフィスらによって、若い兵士たちは生きてカーベルらの元に帰りつくことができた。
 怒り狂った巨龍は、流れる溶岩を血反吐のように吐き散らした。それはすさまじい高温によって、地面をも溶かして兵士たちに迫り来た。
「下がれ、下がれ! 防ごうと思うな。触れてはならん」
 ビドゥ・ルーガン外佐の命令が飛んだ。
 流れに混じって、焼け石が三つ、四つと吐き出された。そのひとつはカーベルとインスフェロウにも迫った。二人は法呪を中断して退避しなければならなかった。
「ええい! ロスグラードからの援軍がくるのは今日ではないのか!」
 カーベルは海に向かって絶叫した。



 

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