ラブドエリスの回りでは、実験器の放つまぶしい光が間断なくひらめき、息苦しさを感じるほどだった。
雅流の姿はもう誰の目にも見間違うことなのないほどはっきりしたものになりつつあった。閉じた瞳が今にも開きだしそうだ。
ラブドエリスは、なぜかそれを恐ろしいことと感じていた。
「おい、ギュリレーネ! なぜだ? こんな形の復活が奴の計画だったのか?」
しかしギュリレーネは答えることなく雅流の姿に見入っていた。
「やい。くそ、知っていたのか? 俺達は成功したのか? 失敗したのか」
雅流が自分の肉体を復活させることが実験であるとは思えない。肉体を新たに得たとしても、記憶が溢れたままの首を復活させることになんの意味があろう。ましてやただそれだけの実験ならば、汎神族が己の肉体を使うとは考えられない。
雅流の実験はラブドエリスの身体に施された時間循環が基本ではないのか。聖火香の事象発生確率をどうしようというのか。
「どうせ人間ごときには、わかりっこないと思ってやがるのか? それならそれで、なにをすべきかぐらいはっきり言いやがれ」
ラブドエリスは言い知れぬ不安の虜となって、いつもにも増して饒舌だった。
そのとき彼らの元に不思議な声が届いた。それは音による声ではなかった。本を読んだときの理解のように、耳以外からの刺激による認識だった。
「勇気ある人間よ。知性ある銀ログム種よ。正義を成せ」
「なんだ、これは? ギュリレーネ聞こえたか?」
ラブドエリスが両耳を手で抑えて言った。
「記憶溢れの研究に名を借りた、雅流の悪しき野望を阻め。人間の心をもて遊び、汎神族の秩序を冒そうとする邪悪なる試みを討ち崩せ」
その声は逆らいがたい威厳を感じさせた。そして彼らへの深い信頼を感じさせる響きを持っていた。声は続けた。
「いま行われようとしている雅流の邪法を阻める手段を我は持たぬ。そこはあまりに特殊な結界の中にある。また事象発生確率の制御により、物理常数が決定できない不安定な空間である。いかなる法呪もきかない究極の聖地と化している」
ラブドエリスはギュリレーネと視線を合わせた。彼女にも聞こえているのだ。不安そうな瞳を返してきた。
「何者か? 汎神族か? グリュースト閥の手の者か? ここは聖火香様の城。雅流様は了解のもとに実験を行っておられる。貴柱は何の権限を持って干渉し異議を唱えるのか?」
ラブドエリスが声に出して叫んだ。答はすぐに帰ってきた。
「大義のために汎神族の法を曲げてあえて名乗ろう。私の名は号羅。グリュースト閥の博士である」
「……隷ラディオの神か……!」
ギュリレーネが汚らわしそうに言い捨てた。
「聞く耳を持たぬわ! 邪悪を言うは貴柱のこと。死体をはべらす者どもに義を説く資格などない!」
ギュリレーネは怒りのあまり、人間の姿を揺らめかせて言い放った。
「聞け。賢き銀ログムよ。我がグリュースト閥から派遣されし、回収隊の二柱が貴公らの手にかかり、果てたることは遺憾の極みながら、それは人間と銀ログムの種としての可能性を誇示したことにより、我々に有意義な記憶を与えてくれた。その勇気と力には敬意を持って接するしかない」
ラブドエリスは黙り込んでいた。号羅の言葉に耳を奪われ始めていたのだ。
「そのときには我がグリュースト閥も雅流の実験を知りたいという、他宗派と同じ欲求しか持っていなかった。しかし今、諸国に蔓延しつつある雅流の計画を知るとき、それは記憶溢れなどという、陳腐な研究ではない、呪われるべき実験の準備と理解するしかない」
「陳腐……? 記憶溢れの研究を陳腐と言われるのか?」とラブドエリス。
「雅流が真に行おうとしている実験に比ぶれば児技にも等しい。他宗派もこのことに気づき、各々の考える正義を成そうとしている。人間・ラブドエリスよ。銀ログム・ギュリレーネよ。聞け。雅流の実験の目的を。そしていますぐ正義を成すことに助力せよ。亜ドシュケ閥・雅流の真の実験は…………」
がりっ、と強烈な雑音が、ラブドエリスたち二人の脳を直撃した。
「がっ……!」
二人は悲鳴をあげてその場にうずくまった。
強力な力が号羅の法呪を破綻させた。
力の源は彼らの眼前にあった。
瞳を見開いた雅流の姿だった。
ラブドエリスとギュリレーネの二人は激しく雅流のことを考えた。彼らのイメージする神の姿が固定されていた。
「雅流様……」
ギュリレーネが震える声でその名を呼んだ。 雅流の声がどこからか流れた。眼前の姿は口を動かすことはなかった。
「ギュリレーネ。ラブドエリス。実験の継続を乞う。我はいまだ首球にすぎぬ。聖火香の実験を受けて再生を試みるものなり」
ギュリレーネは雅流の足元から仰ぎ見て聞いた。
「お言いつけください。なんなりと」
「記憶溢れに至らない時の私を思い起こせ。姿を記憶から呼び起こし、実験器に伝えよ」
ラブドエリスは雅流の考えていることが薄々理解できた。
「たやすいことでございます。雅流様。ああ、記憶が止まりません」
ギュリレーネのイメージが奔流のように実験器に流れ込んでいくのがわかった。
雅流の姿がどんどん美しくなっていく。ギュリレーネの主観的なイメージが形になっていった。
「雅流の計画? 雅流の陰謀……」
ラブドエリスはギュリレーネのイメージに介入してバランスを取ろうとしたが、号羅の言葉が邪魔をして集中しきれずにいた。
「私は甦る。実験の第一は今まさに成功しようとしている。この歓喜。我が記憶は溢れつつもさらに積むことを求める」
「実験の第一…………?」
ラブドエリスは雑念が次々と沸き起こるのを、どうしようもなかった。雅流はなにを考えているのか? 第一とはなにを言うのか?
目の前の雅流の姿がギュリレーネのものとなっていくのを止められない。
「ラブドエリス」
雅流が名前を呼んだ。
「ラブドエリス、私たちが初めて会った時を覚えているか?」
ーーやられた! ーー
ラブドエリスがそう考えたとき、彼はすでに初対面のあの瞬間、時代を思い出していた。聖火香の城から飛ばされた彼が、雅流の実験体となったあのときを。
雅流がまだ記憶溢れにおびえることもなく、若い力に満ちていたあのころを。
「得たり」
雅流の満足気な言葉が響いた。
「ギュリレーネ。時間循環。玉石を撃て」
ラブドエリスの口から命令がほとばしり出した。
「応」
かっ、と開かれたギュリレーネの口から金色の玉石が撃ち出された。ラブドエリス、アリウスの時間を固定しているそれだ。
光の尾を引いて、玉石は雅流の喉もとに命中した。
「時間固定まで十」
ギュリレーネが銀ログム種の正確さをもって秒読みを始めた。
「……俺はなにをしたんだ……」
ラブドエリスは呆然と事の展開を見ていた。
なぜ自分の口を突いて命令が放たれたのか。雅流の計画を知っていたかのように的確な、おそらく完璧な命令を下した。まるで用意されていたかのように。
雅流の時間固定が完成しようとしていた。
「すばらしい。すばらしい、雅流様」
両手をもみ合わせてギュリレーネが喜びの声をあげた。
「あと、わずか八でございます」
そのとき轟音が炸裂した。
低音と高音が暴力的に響いて階段の下の部屋が破裂した。白い爆風と火薬の臭いが濃厚なスープのように吹き付けてきた。
「なにごと?」
ギュリレーネの敏感な聴覚が、強烈な音に犯されて血を流した。
こんな凶暴なやり方をするのは人間以外にいない。合目的な強引さだ。
ラブドエリスは本能的にそれを知り、視界のきかない爆煙の中めがけて爆竹塊を投げ込んだ。激しい閃光を伴う爆発が起こり、人間の悲鳴がこだました。
反撃の短槍がラブドエリスたちに向かって飛び出してきた。しかし盲撃ちの攻撃が当たるわけもなかった。
土ほこりをうち払うように、白い貴金属の鎧が、舞い現れた。
「しまった……」
ラブドエリスがうめいた。
「ギュリレーネ。あといくつだ」
「七と半。ラブドエリス」
「それだけ持たせればいいんだな?」
「護国法兵士と戦うというの?」
「逃げたけりゃ、止めないぜ。でも、そのときは俺が先に逃げるからな。言えよ」
「雅流様に報じるのが私たちの使命よ」
「……俺は好きでやるだけだ」
だん。と護国法兵士が片足を階段にかけた。
しゃららん、と薄い金属が触れ合う音が響く。
美しい女神の後ろには、戦闘従属生物と見まごうばかりの武将が控えていた。イシマ将軍だ。
彼は階上のラブドエリスたちの姿を認めた。鋭い視線を向けて言った。
「そこにおられるのはラブドエリス殿とお見受けするが、いかに?」
「おう。慧眼恐れ入る。貴公は?」
「私はロスグラード自治軍将軍イシマである。義の為に号羅様の支援を行うものである。勇者ラブドエリス殿。貴殿の勇気と技量をむざむざと失うことは忍びない。どうか投降して命を長らえたまえ」
イシマ将軍は心からの想いで言った。
「我らには号羅様を始めとして、護国法兵士・由美歌様がおられる。万に一つも勝機はありませんぞ」
「言うな。貴公こそ隷ラディオごとき魂卑しき畜生に率いられることを潔しとはすまい。由美歌様。護国法兵士ともあろう正しき資質を持つ神が、このような端たる任務に就くことをなんと考えられるのか?」
しかし由美歌はラブドエリスの言葉に惑わされることもなく、また一歩階段を上った。
「ちっ、人間の浅知恵なんか気にしないってか? ならば力で語ろうか」
ラブドエリスはバリケードにしていた長椅子を由美歌めがけて投げ落とした。すさまじい質量が石の階段を削りながら落下した。
兵士たちは我先に奥の部屋に逃げ込もうとした。だがイシマ将軍は、ずいっと由美歌の前に進み出ると、ラブドエリスを越える力を見せつけた。まっ逆さまに覆いかぶさる長椅子を両手で受けとめた。
厚い胸板に阻まれて、椅子は不気味な音を立てて竜骨を折った。
「運動量攻撃」
ギュリレーネが法呪文を唱えた。彼らの回りの土ほこりが羽虫系クンフに姿を変えた。次の瞬間、強烈な加速を持って、クンフどもは由美歌に殺到した。
「…………」
護国法兵士は解呪を専門とするものである。あとわずかに近づいたクンフは絹を越した豆乳のように、姿を変えて人畜無害な煙と化した。
「ばかやろう。そんなんじゃだめだ。質量攻撃しかないぜ」
ラブドエリスは右腕の内装兵器を閃かせて、イシマ将軍たちの頭上を撃った。人の武器にはない超高熱が石の構造材を爆発させた。凶悪な岩石塊が彼らの頭上に降り注いだ。
しかしそれすらも由美歌に害することなく綿のように軽いなにかに変身した。由美歌はすべてが遠い世界で起きていることでもあるかのように、優雅に振る指先を止めようともしなかった。
奥の部屋に逃げ込んだ兵士たちが、喚声を上げて階段に殺到してきた。
「ちくしょう!」
ラブドエリスが背嚢に入れたすべての爆薬を投げつけようとした。
そのとき彼らの後ろから高速言語がほとばしった。
由美歌が棍棒で殴られたように、はじき飛ばされて尻餅をついた。
「あっ……!」
女神の口から法呪文と命令以外の声が漏れた。
兵士たちは、信じられない光景に目を奪われた。
無敵と信じる護国法兵士が攻撃を受けた。
たちまち勢いを失った人間たちは、声の主をおそるおそる探った。
「……アリウス!」
ラブドエリスが一番驚いたかもしれない。
そこにはアピアの首筋に手を当てて立つアリウスの姿があった。
「記憶潜行が終わったのね?」
ギュリレーネが二人の姿の意味を理解できずに聞いた。
「ッキイイィィィッンン」
アピアの口から完璧な高速言語が放たれた。階段の途中に透明障壁が展開された。
ガラスのかけらを張り合わせたような、光の屈折を伴う物理障壁だ。
「すげえ。アピアの神の創造物としての属性を利用しているのか。やるぜ、アリウス」
ラブドエリスは素直に感嘆の声を上げた。対隷ラディオ戦でギュリレーネの声帯を使ったときと同じだ。神の記憶を持つアリウスだが、肉体が人間のそれであるため、高速言語を発声できない。汎神族の造ったリ・ラヴァーが神に近いことを知って、その組織を武器として利用したのだ。
老神の記憶は多くの法呪を持っていた。
「いけるかもしれない。ギュリレーネ、時間固定まで残りいくつ」
「四と十。もう少しよ」
ギュリレーネも希望に目を輝かせて言った。
振り返る彼女の眼前には、時間固定の完成を待つ雅流が目を閉じて立っていた。
雅流の姿は美しく圧倒的だ。ラブドエリスの知る神の姿そのものだった。
「アリウス。聖火香様はどうしたんだ」
ラブドエリスが聞いた。
「知りません。気がついたときは、僕たちだけでした。避難されたのではないでしょうか」
アリウスが淡々と答えた。汎神族ならそうするだろうことを知っていた。
「来るわ! 気をつけて」
ギュリレーネが言った。
由美歌が再び立ち上がり、ゆっくりとした踊りを舞い始めた。
仕草のひとつひとつに、先ほどとは違う緊張感が張り詰めていた。それは人間の目にも明らかだった。
「本気だぜ」
ラブドエリスが言った。
ぶいんっ、と空気が膨張する音が響いた。
ラブドエリスの眼前に人間が現れた。階段の上にイシマ将軍の部下が二人涌いて出た。
たった今まで階段の下で由美歌の後ろに隠れていた兵士たちだ。それが一瞬の内に階段を登りきり、ラブドエリスのほんの目の前に姿を結んだ。
「う、うわわわあ」
兵士の一人が、よく訓練された理屈抜きの動作で槍を繰り出した。それは虚を付かれたラブドエリスの太股に突き刺さった。
「ちっ」
ラブドエリスは一瞬遅れて刀を振るうと槍を切り捨てて、返す刃で兵士を叩き斬った。
もう一人の兵士は反応が遅れた。襲いかかったギュリレーネの爪を浴びて、階段を転がり落ちた。
しかし次の瞬間。再び兵士が二名、彼らの前に実体化した。
彼らを斬るのに、六度もの打ち合いを要した。人間の順応力は極めて高い。兵士たちは由美歌の意図をすばやく理解して自分の番にそなえた。
ラブドエリスたちがずばぬけて強いことはわかったが、倒せぬ相手ではないことを本能的に察していた。
「よいか。ラブドエリス殿、ギュリレーネ殿を倒せば報償は望みのまま。雅流様を確保すれば、名を神々の記憶に止めることとなろう」
イシマ将軍が巧みな言葉で兵士たちのプライドを刺激した。
矢継ぎ早やに送り込まれる兵士たちを、ラブドエリスらはぎりぎりの戦いで退けた。アリウスの法呪攻撃も護国法兵士の想像以上の技量の前に解呪されていく。
「畜生! アリウス。なんとかしろい!」
とうとうラブドエリスは悲鳴を上げた。すでに押し戻した兵士は数は九に及ぶ。相手は素人ではない。それだけでも驚異的な数字と言えた。だがラブドエリス自身、限界を感じていた。次にイシマ将軍が転送されてきたら凌ぎきれない。間違いなく剣の戦いに破れるだろう。
「……ラブドエリス」
ギュリレーネが階段を指さした。いつのまにか由美歌が段の中すぎまで来ていた。
アリウスが懸命に維持している法呪物理障壁の解呪に手間取っているだけにすぎない。それも着実に突破しつつあった。
ラブドエリスたちに残された時間と空間はわずかだった。
「………………!」
それまでアリウスの砲台となっていたアピアが何事かをつぶやいた。自分の力が及ばないことのくやしさに歪んだ唇で、人間の言葉で呪祖を吐いた。
由美歌の舞いが止まった。
なにか信じられないものを感じた驚きで、初めて彼らにその顔を向けた。
若い女神の美しい瞳がラブドエリスたちを貫いた。神を前にして硬直する人間の本能が強烈に沸き起こった。
「…………ばか」
アピアが確かにそう言った。
アピアは顔を伏せたまま、驚き立ち尽くすアリウスの手を振り払い、拳を振るわせてささやいた。
「ぶす……!」
がたっ、と階段に鈍い音が響いた。
由美歌がよろめき、壁にすがりついた。
その神々しい顔が蒼白になっていく。
「ぶす、ぶす、ぶす!」
ヒステリーを起こした少女のように、アピアは下品な言葉を連呼した。
「あんたなんか、ガキじゃない!」
だだん、と激しい音を立てて、由美歌は階段を滑り落ちた。
アピアの罵倒のひとつひとつが銃弾のように神の胸に食い込んだ。
「バカにしないでよ。クソがきのくせに!」
清楚なアピアのたたずまいから想像もできない悪口が、はじけるように飛び出した。
「ラブドエリス! なんとか言ってやってよ。私のオリジナルなんでしょう。生意気な小娘に言ってやりなさいよ! いわし頭の腹くだしとか、白うじキュウリのたくわん女とか!」
「う……いや。えっ?」
ラブドエリスはしどろもどろになって、アピアの顔を見返していた。なにが起きたのかぜんぜん理解できなかった。
「……しょんべん臭い鎧なんか着てんじゃねーぞ。この便座頭……ってか」
「そうよ、もっと言ってやりなさい!」
神を侮辱する言葉を人間は持たない。ラブドエリスは人間やクンフに対する悪辣な言葉を並べ立てた。しかしそれ以上にアピアの迫力はすさまじかった。
「悔しかったら三回まわってヘソをお見せ!
べそべそ泣きながら廊下の端をなめてるんじゃないわよ。あんたの髪にはクンフのハラワタがお似合いよ。優しいママのとこに帰るなら邪魔しないから。ほら、泣きなさいよ。ほら、ほらほら!」
ひくっ、と由美歌の顎がしゃくれた。幽霊に出くわした少女のように、情けなく足を広げて座り込んだ。
ラブドエリスが小声で言った。
「やーい。ばーか。あーほっ。おまえのかーちゃん、でーべーそー……」
しかしアピアは容赦しない。
「ばか! やくたたず! いじけむし!
赤たくあんのしっぽ頭で、去年のイカスミ饅頭を食べちゃうゲロスパ娘! あんたみたいな役立たずなんていらないわ!
顔を見たくない!
鼻水で顔を洗って出なおしていで! 便所サンダルくわえてアラスカスにいけえ!」
「…………キィ……」
超音波の悲鳴が城を揺るがした。
法呪文ではない。神の高ぶった絶叫が由美歌の喉から吹きだした。
「………………ッ!」
すさまじいエネルギーにアリウスの透明障壁が砕け散った。しかし由美歌は悲鳴を上げ続けた。精神のバランスが崩れていた。
人間に正面きって愚弄された。
その記憶を自分が得てしまったことの恐ろしさに、魂からの悲鳴を絞り出した。
いちはやく状況を押さえたのはイシマ将軍だった。法呪による透明障壁が消失したことを理解した。
「おおおおおっ」
剣を振りかざし、雄たけびを上げて一気に階段を駆け上がった。
「ラブドエリス殿! お覚悟!」
家屋の梁ほどもある重剣で、ラブドエリスめがけて撃ちかかった。
「ぐっ……!」
ラブドエリスはかろうじて剣で受けとめた。だがその剣ごと後ろにはじき飛ばされた。サイの突進を食らったような衝撃だ。
ギュリレーネが鉄針を飛ばした。しかしそれも左手に持った下水道の蓋のような盾で阻まれた。
アリウスがアピアのもとに走りより、再びアピアの首をつかんだ。
「イイイィィン」
法呪文がイシマ将軍に炸裂した。将軍の体が階段の下まで転送された。
「将軍!」
兵士たちがふっとんできたイシマ将軍の巨体を支えた。
「いまぞ! 戦え勇者たち。名を成すときぞ」
イシマ将軍は法呪の直撃を受けた衝撃にひるむことなく、兵士たちを鼓舞した。
「つづけ。我が戦士ども!」
将軍ははじかれたように階段を駆け登った。
「うおおおっ!」
兵士たちはイシマの気合いに乗って、我先に後に続いた。
「やべぇ! アリウス、雅流を転送しろ。どこでもいい。ギュリレーネ、撃てるものはなんでも撃ちまくれ!」
ラブドエリスは手にした飛び道具という飛び道具をすべて乱射した。兵士たちの悲鳴と鎧に弾かれる弾丸の火花が階段を満たした。
「雅流様。時間固定まであと一でございます。しかし火急のとき、雅流様の超絶の法呪で時間固定の場を保持してくださいませ。私の力で場ごと転送いたします」
アリウスは老神の口調ですばやく言った。
「……承知……」
発音すること自体が難儀そうな様子で、雅流は答えた。
「アピア殿。どうかお気を静めて。喉をゆるりと開いてください」
「……はい」
さきほどの下品な仕草を恥いるように、アピアはアリウスの両手を喉に受けた。
「ア・ア・ア・アアァァァ……ン」
じょじょに高まる高速言語が長く響いた。狭い踊り場の天井に壁に、強烈な反響を繰り返しながら、十一万文字の長呪文が圧縮されて充満した。
「急げ! 勇者ども!」
イシマ将軍の努号が雑音となって、法呪文の完成を遅らせた。しかしラブドエリスの使う低練度のものとは違う、圧倒的な質の差が着実に法呪の完成を進めた。
雅流の回りの空間が光を帯びはじめた。どこから溢れるのか、白くまぶしい光が雅流とアリウスたちをひとつに包み込んだ。奇妙な光の中には、すでに将軍たちの叫びも届かない。アピアの喉から流れる法呪文だけが響いた。
「早くいけ!」
ラブドエリスは手持ちの手投げ弾すべてを鷲づかみにして叫んだ。
「マシュー、俺達を守ってくれ!」
全ての芯管を点火して、階下に向かって投げつけた。ラブドエリスはギュリレーネを抱え込むと、マシューの羽をかざして床に伏せた。
「後退!」
イシマ将軍の必死の命令が響いた瞬間。十五発の手投げ弾が爆発した。
熱と爆風は階段から下に続く部屋までをなめ尽くして窓から吹きだした。紅蓮の炎は城の下にいた隷ラディオたちにも見えた。
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