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い・ぢ・わ・るな恐竜

第2章−3

 

「……失礼いたします。マシューですが」
 小さく扉が開き、若バッタが顔を出した。 部屋の中の正面にディナーのときと同じに優しく微笑むギュリレーネが立っているのが見えた。
「失礼してよろしいでしょうか。奥様」
「まあ、遅くまでお務めご苦労さまです。どうぞお入りなさい」
 扉の裏側にギュリレーネ。ソファーの後ろにラブドエリスが潜んでいた。マシューの目の前に立つ優しいギュリレーネは、シーツに投影された幻影にすぎない。
「実はお話しがあります……」
 客はふたりだ。足音が室内に完全に入った瞬間、ギュリレーネは扉を荒々しく閉めて上に飛び上がった。意表を突かれて立ち尽くすマシューの身体が横殴りに突き飛ばされて床に転がった。細い首をまたぐようにラブドエリスが剣を突きつけた。
 あとから入ってきた細身の人影は、倒されるマシューに目を奪われて、頭上から襲いかかってきたギュリレーネに手もなく押し倒された。
「かり凝り固まり人倫の儀則これ開放すること及ばざる」
 ギュリレーネの口から聞き取りがたい法呪文がほとばしり、扉が法呪的に封印された。
「お、お助けくださいませ!」
 マシューはじたばたと手足を打ち振って逃げ出そうとあがいた。
「これは……驚いた」
 ギュリレーネは押し倒した人間の首に食い込みかけた顎を開き、顔を上げた。
 じっと恐れげもなく彼女を見上げる人間は、まだ幼さの残る少女だった。しかしギュリレーネを驚かせたのは少女の顔だった。
「リ・ラヴァー……」
 まぎれもないラブドエリスの顔がそこにあった。
「…………」
 まっすぐにギュリレーネを見上げる瞳は、見まごうこともなく、ラブドエリスの不遜さと勇気をたたえていた。
 もしも彼の戦闘力と狡猾さを持ち合わせているのなら、身体を接していることは危険だ。
 ギュリレーネは少女を抑え込む幻影を残したまま、剣の間合いの外まで退いた。
 窓辺にいたあの少女だった。
 意外なことに女顔のラブドエリスは美しかった。
「お、お慈悲を。ラブドエリス様……!」
 マシューは祈るように第一、第三肢をキシキシとすり合わせた。
 ラブドエリスが小声でつぶやいた。
「いい子だ。おとなしくしろ。おまえたちだけか? 正直者には寿命をプレゼントするぜ」
「アピア様がラブドエリス様をお助けしろと」
 マシューは両目を緑色の堅い遮光膜で覆い必死につぶやいた。
「リ・ラヴァー・アピアです」
 少女がささやいた。ギュリレーネの残像にだまされることなく、すっと身体を起こした。
「アピア……二千十五番目のことね?」
 ギュリレーネが言った。
「そうです。はじめましてギュリレーネ様。はじめまして。男の私」
「お、おう」
 ラブドエリスは珍妙なものを見る目付きでアピアを見つめた。
 実際、奇妙な気分だった。犬猫と違い人間には双子や三つ子が生まれることは少ない。自分と同じ顔があるというのは、考えられる中でもっとも奇妙なことに違いなかった。
「サギマン様はあなたを聖火香様の贄にするおつもりです。ワイン煮のシチューにして寺に献上すれば、聖火香様はお戻りになられると考えています」
「ああっ? どういう理屈だ?」
「隷ラディオ様がサギマン様にお話しされているのを聞きました」
「トカゲの尻の毛め! 俺達がここにくることをどうして知ってやがったんだ。奴はここにいるのか」
「いいえ、もうずいぶん前にいらっしゃったきりです。最近お姿をみていません」
「あてずっぽうなのか」とラブドエリス。
「それでサギ坊主は、そんなでたらめを信じてやがるのか」
「あの、でも、違うのですか? あの方は聖火香様のお付きだったと聞きますが」
 マシューがおずおずと言った。ラブドエリスは声を上げて笑った。ギュリレーネがずるそうに言った。
「下僕などではありません。鑑賞用のペット、せいぜい金魚ていどのものですわ」
「悪食なとこなんぞ食事の世話が楽だよな」
 ラブドエリスはげらげらと笑いながら言った。
「ラブドエリス」
 アピアが呼び捨てで名を呼んだ。
「毒には当たらなかったのですか? 平気ですか? すぐ動けますか?」
「ああ、もちろんだ。サギ坊主ごときの浅知恵なんてお見通しだぜ」
「ははあ」
 さも関心したようにマシューが腹の脇の気門からため息をもらした。
「アピア。助けてくれるって? 計画を聞こうじゃないか」
「はい。ラブドエリス。あなたが雅流様の実験を継いでいることは知っています。聖火香様とお会いする必要があることも」
「リ・ラヴァーはそんな情報を知らされているの? なんのために?」
 ギュリレーネが冷たくつぶやいた。
「アリウス様という、神様にも人間にも見える不思議な人が夢でおっしゃいました」
「なんですって。アリウスが」
「おい。ギュリレーネ。話がぶっとびすぎててついて行けないぜ。誰か事情を一から十まで知っている奴が、下手な台本でも書いているとしか思えねぇ。こいつらに俺達の幻影をかぶせて、サギ坊主にシチューの具にでもさせたほうがいいぜ」
 ギュリレーネは慎重に考えながら聞いた。
「アピア、彼の言うとおり話のつじつまが合っているとは思えないわ。これからどうしようというの?」
「私たちリ・ラヴァーは、もともと神様とのコンタクトはとれません。でも聖火香様とラブドエリスを会わせることに協力することはできます」
「いったいどうやって」と、ギュリレーネ。
「有効かどうかはわかりませんが、隷ラディオ様の方法をやってみることはできるでしょう。だめならまた他の方法も。なにしろ私たちは八千人もいます」
 にっこりと笑ってアピアは言った。
「ラブドエリスのかわりにシチューになると言うの? それは良い考えね」
 ギュリレーネは思案気に言った。
「おいおい、おまえらなにをほざいているんだ。そんなシチューを聖火香が食いにくるとでも思っているのか。隷ラディオがもったいぶって喰っちまうだけだぜ」
 ラブドエリスはすこし焦って言った。
「アピアとか言ったな。リ・ラヴァーは俺に尽くすために汎神族どもがプレゼントしてくれたとでも言うのかよ」
「……それでも良いかと思います」
 アピアは真剣な顔で言った。
「まじかよ」
 吐き捨てるようにラブドエリスは言った。
「だいたいがアリウスだ? あの小僧が夢に出てきたってのはどういうことだ? やつはいつからそんなに偉くなりやがったんだ」
「アリウスが知塩を食し終えたのかもしれない。人間が神の知塩を食することは、おそらく前代未聞のこと。なにが起きても、それを正確に記憶することが大事だわ」
 ギュリレーネがつぶやいた。
「とにかく俺はここを出る。雅流の実験を手伝うのさえかったるいのに、サギ坊主の野望なんぞに付き合ってられるかよ」
「計画は?」と、ギュリレーネ。
「ばか、決まってるじゃねえか。家から出るときは玄関から出ていくのが礼儀ってもんだ」
「……待って。私たちはゆっくりしすぎたわ。せっかくマシューが警告してくれたのに。お迎えが来たようよ」
 遠くの廊下で大勢の人間が、息をひそめている気配が感じられた。
「へんっ。気にするねぇ。しょせんは人間だ」
 ラブドエリスは、ばん、と勢いよく扉を開けて廊下に出ていった。
「あっ……あ、そんな」
 マシューはあわてて彼のあとを追おうとしたが、考え直して安全な窓際まで戻った。
「やれやれ、ね」 
 ギュリレーネは荷物を持つとラブドエリスのあとに続いた。
 廊下は高い壁際に架けられた蝋燭の炎で、ほんのりと明るかった。
 長い廊下の突き当たりから右に折れた廊下の続きに、人間がたむろしているのが、ありありと感じられた。
「やい。サギ坊主! そこに居るならとっとと出てこい。うまい飯に免じて、尻っぺた十回ぶん殴るんで許してやるぜ」
 返事はない。
「おい! 剣でも法呪でも好きな仕置きが待ってるぜ」
 彼の言葉で決断したかのように、なにかをけしかける声がした。
 次の瞬間、廊下に敷かれたプルシャ絨毯の一部が羽ばたき空中に舞い上がった。
 それは毒々しい絨毯の柄そのままの巨大こうもりとなってラブドエリスに襲いかかった。
「キイィィーーッ!」
「お? おおっ」
 とっさに避けかねて、鍵爪の攻撃をマントの端に受けてしまった。爪後がたちまちミイラのようにひからびていった。
「どじ」
 ギュリレーネは鼻で笑って走りだした。こうもりには目もくれずに廊下のつきあたりを目指した。
「こうもりと遊んでらっしゃい」
 全身をひどく前傾させた不自然な姿勢でギュリレーネは走った。
 ーー実際は四つ足でだがーー
 長いナイフを振りかぶった男達が二人、人間にしては見上げた早さで飛び出してきた。しかし切っ先は彼女にかすることもなく宙を切った。
 ギュリレーネの両肩がかすかに上下しただけで、男たちは蹴つまづいたように倒れていった。男たちの首筋に麻痺性の法呪性鉄針がくい込んでいた。
 すこしも速度を落とすことなく、直角に近い角度で彼女は廊下を曲がった。
「がっ……」
 ギュリレーネは、そこにいた者に目を奪われた。ありえないもののはずだった。
 鋭いナイフのような爪が、圧倒的な質量と速さを持ってギュリレーネの肩口をとらえた。
「ギニィ!」
 獣の悲鳴を上げて華奢な身体がはじきとばされた。鮮血が糸を引いて天井まで散った。
 後を追って走っていたラブドエリスはきわどいところで再び振り降ろされた爪を避けた。
「……隷ラディオ!」
 半ば闇に包まれた通路を圧するかのように、鎧を身にまとった凶悪な恐竜が立っていた。
「ラブドエリス。待っていたわよ。もう、こんなに待たせて。い・ぢ・わ・る」
 親しげな声をかき消すように、必殺の回し蹴りが唸りを上げて襲いかかってきた。
 ラブドエリスは首を捻挫しそうな早さで体をかわし、かろうじて爪先をのがれた。髪がごっそりと引きちぎられた。
「貴様! なんのつもりだ」
 ラブドエリスは隷ラディオの動きを止めるために叫んだ。正面きっての戦いで勝てる相手ではない。
 鋼の束のような筋肉の塊の四肢と、身体の半分程もある尾。鮫にも劣らぬ巨大な顎と全身をくまなく覆う樫のような鱗。
 格闘戦では人間大の二足歩行生物で、おそらく史上最強であろう。
 しかも防具と攻具を兼ね備えた白銀に輝く鎧に身を包んでいた。斧の塊を着ていると言ったほうが的確かと思われた。
「サギマンをだまして俺達に毒をもらせたな。聖火香を呼び戻すためだと? 笑わせるぜ。しかもリ・ラヴァーなんぞ飼いこみやがって」
 あなどって軽装鎧などで戦いに望んだことを激しく後悔した。
 足元に横たわるギュリレーネは完全に意識を失っている。ラブドエリスは脱出の方法を懸命に考えていた。
「あら、サギマンに言ったことは嘘じゃないわよ。聖火香様を呼び戻したいの。それにあなたたちもほしいわけよ。かひひぃ」
 凶悪な長い口がどうやって人間の言葉を操っているものなのか。しかし漏れ出す笑い声は獣にふさわしい音だった。
「リ・ラヴァー? あははん。あんの小娘のことなんて知らないわ」
「嘘つきめ。焦らなくても、俺達は聖火香様に会いにいってやるぜ。美人だからな」
 隷ラディオは、びくっと全身を震わせた。
「おおうっ、び、びじ。汎神族に対してそんな言葉を使う権利があなたにはあるの?」
 じりじりと後退しながらラブドエリスは、かかとでギュリレーネの頭をつついた。戦うには彼女の力が絶対に必要だ。
「いつからサギマンを操っていた?」
「サギマンなんて知らない。ローリーセバスチャンとかいう人間の男と意識結合できるのよ。私。彼、この街で顔が広いからなにかと助かるわ」
「サギマンじゃないのか? じゃあよ、いっしょに聖火香の城にいこうじゃないか。いいだろう?」
「聖火香様には生きて会ってもらう必要はないのよ。その前に畏れ多くもあなたに会うことを自ら希望している御柱もおられるし」
 御柱とは汎神族の個人を指す尊称だ。
「なに? ……貴様、まさか宗旨替えを……」
 ラブドエリスがそこまで言ったとき、うしろから人間が掴みかかってきた。あやうく首筋を取られるところだった。身体を反回転させざま、相手を確認もせずに手にした長い刀を胴にたたき込んだ。
「…………」
 人間は悲鳴も上げずに廊下の壁までふっとんだ。土壁がばらばらとはげ落ちた。
「ほおっ、相変わらず人間ばなれした馬鹿力ね。あなたを強化生物にしてみたいものね。あの御柱にお頼み申し上げてみようかしら」
「なに」
 ラブドエリスは、視界の端で動くものに目を奪われた。腹をまっぷたつに割ったはずの人間が立ち上がろうとしているのだ。腹筋のほとんどを失った身体は残りの筋肉で立とうと無様にあがいていた。
「……ゾンビロウか。貴様、グリュースト閥に宗旨替えをしやがったのか」
 バン! と、床を蹴る音がとどろいた。隷ラディオの巨体が天井近くまで飛び上がった。
 黒と白銀の塊と化した肉塊が軽々と空中に舞った。凶器の塊の中から、破砕器のような両足蹴りが飛び出してきた。
 ラブドエリスは曲芸じみた早さで法呪文を叫んだ。
「時刻つかさどりし虚誕の詞をあざむきて、右に左に囲いし覆いし点座の時を兆数が除する値に遅らせ刻む」
 同時に剣を手放すと、領域を定義する空間割りを右手で刻んだ。
 ぎゅん、と彼の目の前、一メンツルに真っ黒な空間が出現した。
 蟹箱ほどの大きさの輪郭が不鮮明なその中に、隷ラディオの両足が捕らえられた。
 それは空中に突如出現した足場のように隷ラディオの身体を空中にとどめた。
  第一撃を封じられたことを知った隷ラディオは、尾の先を覆う鉄球からバネ仕掛で鉄杭を四方八方に飛び出させると、大時計の振り子のように下からラブドエリスに叩きこもうとした。
 しかし尾の攻撃を予想していた彼は左手で抜いた短デュウを、狙いもつけずに黒の空間の下めがけて連射していたため、あとわずかのところで鉄球ははじき返された。
「げっぐ。やるわね。あいかわらず呆れた反射神経ね。時間遅延法呪を使えるなんて聞いてないわよ」
「ば、ばかやろう。てめぇの臭え足なんて近づけるんじゃねぇ。むだだ。俺には勝てない」
 心臓をばくばく言わせながらラブドエリスはうそぶいた。
「げっげっげ。でも、もうすこしだったわね。いまのうちなら逃げられたのにね。未熟ね」
「けっ、余裕って言ってほしいね」
 ラブドエリスの右手もまた時間遅延の暗闇に捕まっていた。
 真っ黒な闇の中、これ以上強力なものはない時間の呪縛に、右手と両足を捕らえられた二人は動くこともかなわずににらみ合った。
「ほらほら、けがらわしいゾンビロウどもにとって喰われるわよ」
 恐竜の言葉の通りに、もう一体のゾンビロウが麻痺を抜け出して迫ってきた。
 短デュウは撃ち尽くしている。剣は床の上だ。左手で操れる武器は、もう携帯していない。
「法呪が切れた瞬間に私の爪にかかるか、生きたままゾンビロウに喰われるか。おとなしく雅流様の首を渡せば爪にしてあげる。まぁ、私ったらなんて寛大なんでしょう。人間風情に死ぬための選択をさせるなんて」
「わかった。くそ。ゾンビロウを止めてくれ。貴様のきたねぇ爪のほうが百倍もマシだぜ」
「良い心がけだわ。ていねいに食べてあげるわよ」
 恐竜にしてはかん高い笑い声が響いた。ゾンビロウは剣をかまえたまま、ラブドエリスの後ろで立ち止まった。
「畜生。なんだって雅流や聖火香を裏切ってグリュースト閥に寝返りやがったんだ。教えろ。死んでも死にきれねぇ」
「人間なんかに理解できるもんですか。でもいいわ。化けて出られたら不吉だものね。あんたならやりかねないわね」
「おう、毎晩きっちり夢枕で皿を数えてやるぜ」
「まあこわいこわい。聖火香様はね。私を殺そうとしたのよ。だからグリュースト閥の号羅(ごうら)様におすがりしたの。号羅様は生き物を大事にされるお優しい方でね。聖火香様や雅流様のように、生き物を実験に使うことをなんとも思っていない御柱たちとは全然違ったわ」
「なにを? グリュースト閥だって記憶溢れの研究をしているぜ」
 隷ラディオは、ほぉとため息をついた。
「アプローチが違うのよ。いい? 雅流様の実験はご存知のとおり、時間循環を使った可能性についてよね? 実験体さん。聖火香様の実験は、法呪を使って記憶溢れが起きなかったかもしれないことにすることなのよ。ほらっ、わからないでしょう?」
 さも哀れむように隷ラディオは笑った。
「もっとやさしく言うとね。現実には記憶溢れが起きてしまったけれど、それが起きなかったかもしれない。だから大丈夫、って状況を造ることなの」
「そんなことができるのか?」
「あら、お馬鹿なあなたにも雰囲気は伝わったかしら。号羅(ごうら)様は違うわ。もっと機械学的にスマートなのよ。溢れた記憶を神様の頭から吸い出して機械樽に集めてね、頭の中をすっきりさせるの」
「まさか。記憶を頭からすいだしてしまうだと? 汎神族がそんなことを許すものか」
「ぐぐぐっ、そうよ。聖火香様も雅流様も認めなかったわ。そして古くさい自分の実験のために罪もない生き物たちをクンフのように殺していったわ」
「それで自分の番が来たから裏切ったのか?」
「号羅様にお会いできたことは幸いだったわ。私は汎神族への信仰を失わずにすんだのだもの」
 隷ラディオの言い分は説得力を持ってラブドエリスの胸にせまった。彼らはともに神の実験体なのだ。
「……てめぇの裏切った聖火香はどこにいっちまったんだ。まさか喰ったんじゃないだろうな」
「いまでも城にいるわよ。サギマン達はいないと思っているようだけどね。なぜかしらね」
「城に結界でも張ってあるのか?」
「あんたが昔、無茶な殴り込みをしてから、実験が外に漏れ出さないようにしているらしいわよ。お優しい方ね」
「そうか、城にいるのか。それを聞ければ十分だぜ」
「なんですって?」
 ラブドエリスは短デュウを捨てると、左手のひらを、闇から出た右手の肘に押し当てた。
 キュバッ、と鋭い音と閃光が狭い廊下を包んだ。激しい光に目が眩んだ隷ラディオが次に眼を開けたとき、そこにはいままさに腕が再生しつつあるラブドエリスが立っていた。もう時間遅延の闇に捕らわれていない。
「ぎゃああぁ、あ、あんた自分の腕を切ったわね。ゾ、ゾンビロウ、襲え!」
 ラブドエリスは若い神から奪った内装兵器で、右手を断ったのだ。
 静かに屈み込み足元から剣を拾うと、動き始めたゾンビロウを一刀のもとに切り捨てた。
「ありがとうよ。いろいろ聞かせてもらってよ。礼だ。受け取れ」
「ち、ちょっと」
 隷ラディオの反論を待たずに、左手の内装兵器から真っ青な熱玉を時間遅延の闇に撃ち込んだ。
「ぐぎゃ、な、なんてことを。あんた、ちょっとあぶないじゃない!」
 隷ラディオはすごい勢いで全身をくねらせた。しかし闇から足を抜くことは力では不可能だ。闇が消えたとき、熱玉もまた進み始める。のがれられない死の宣告だ。
「おら、ギュリレーネ。いつまで休んでやがる。いくぞ」
 ラブドエリスはギュリレーネを抱き上げた。意識を失っているものの、娘の姿をまとったままだ。傷は見た目ほどひどくないのであろう。
「ラブドエリス、ね、ねぇ。冗談でしょ? ねえったら、ラブドエリス。まっ、まって」
 無敵の肉体を駆使することなく、絶体絶命の状況に陥ったことが納得できずに、隷ラディオは叫んだ。
「グリュースト閥に助けてもらうんだな」
 ラブドエリスは振り向きもせずに、とマシューの待つ部屋に向かった。
「い、いけずーー!」

 

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