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ようやく探し当てた結城屋敷の周囲は騒然としていた。 「綾女様、可哀相に……」 「まだお若いのにね……」 黒と白の葬列。悲しみの波動。臨は身体が震えるのを感じた。 「そんな……長が……間に合わなかったっていうの?」 参列者の一人に訊ねた答えは、『結城家の御当主の葬儀』というものだった。 結城家の葬儀の様子を目の当たりにして、何日もの疲労が一気に臨を襲った。 「綾女様はまだお若いのに、お気の毒な事だ……」 そんな臨の気持ちにとどめを刺すように霊柩車が臨の側を通過した。 (すべてが間に合わなかったのか) 臨の耳にはその後に続く「両親を失って」という言葉は聞こえていなかった。 綾女の葬儀だと勘違いした臨はもうどうしていいのかわからなくなった。 と思った瞬間、気力だけで歩いていたが、ついに気力を超えた疲労で倒れ込んだのだった。 「いけない……今、夢魔に襲われたら……ひとたまりも……ない」 薄れ行く意識の中でそう思いながらも、やっと突き止めた結城家で見た葬儀。 探し求めた長である者は、すでこの世の人ではなくなってしまったのかと思うと、
張りつめていた緊張の糸が途切れ、そのまま気を失った。 「ん?
お、おいキミ、しっかりしろ!」 『織り鶴』グループの社員であろう男が、葬儀から帰る途中でいき倒れている少女
を見つけ駆け寄った。 「……綾女さま……」 「おひいさま、ですと?」 弔問客の背後に白い髭を蓄えた老人がいきなり声をかけた。 白い髪と白い髭は、さながら七福神の寿老人のようだった。 「今、確かにおひいさまの名を口にした……。お若いの、手を貸してくれんか」 留守を任された老人は臨を屋敷の中に運んだのだった。
斎場の、長いような短いような時間。 小さな箱になってしまった両親を抱え、綾女は屋敷へ戻ってきた。 もう一度手伝ってくれた人や参列した『織り鶴』グループの関係者にお礼を込めて
頭を下げた。 その後ろから叔父の泰一郎と知三郎が周囲に威圧的な態度を見せた。 「さぁさぁ帰った帰った。綾女も疲れてる。これから親族だけの大事な話があるからな」 早くも主人のような顔をして人払いをし始めた。 綾女は私室に帰って、喪服から普段着の着物に着替えると古い織り機の前に座った。 そして、作り掛けの織物を、静かに黙々と織り始めた。 トン、カラ、ガッタン、ギッギ。トン、カラ、ガッタン、ギッギ。 古めかしい木製の織り機は、寡黙な綾女とは対照的に動く度に音を立てていた。 両親から贈られたはた織り機。それは綾女の誕生日に贈られたものだった。 七夕の夜、ひこ星と織り姫の話を聞いて、珍しくワガママをした物だった。 「一本の糸が紡がれてやがて一枚の織物となる。いいか綾女、人も人と人との絆の糸
を紡いで生きて、そして生かされているんだよ」 両親から贈られた言葉が蘇り、綾女の頬に一筋の涙が伝わった。 側には事故を報じた新聞があった。 『母親が突然娘を刺殺』『女子高生が自殺』『謎の突然死』様々な記事がある中で
、両親の死亡事故は、地元の新聞にも大きく載っていた。 『織り鶴グループの当主、結城夫妻、交通事故!』 見晴らしの良い直線コースであり、どうしても事故を起こすとは思えない状況。 もしや飲酒運転という可能性も考えられたが、運転していた結城氏からはアルコー
ルは検出されなかった。 「お父様、お母様。私は一体これから……」 「おや、綾女サン。また新聞なんか読んでるのかい」 悲しみの中にいた綾女を、中年女性が声を掛けて引き戻した。 綾女の父、徳二郎の兄である泰一郎、その妻が太った姿にぴったりの声で。 「おば様……」 「そんなの見ても気が滅入るだけだよ」 「ですが……」 「ちょっとこれからのことを相談しようと思ってね。みんな広間にいるから来ておく
れ」「はい……」 綾女は重い気持ちで返事をした。 おばが邪な含み笑いを浮かべていた事に、綾女は気がついていなかった。 広間の前の廊下で、結城家に仕える下男の老人が声を掛けた。 「おひいさま……いつお戻りに?
大丈夫でございますか。おひいさま」 白いヒゲをたくわえた老人の心配する様子が、綾女には手に取るようにわかった。
綾女が生まれた時からずっと世話をしてくれている老人、寿限夢(じゅげむ)だった。 「ええ。つい先ほどです。心配をかけてしまってすみません」 そして無理に作り笑いをする彼女が、老人には痛々しく思えた。 「爺はおひいさまが生まれた時からお側におりましたからな。おおそうそう、実は……」 昼間行き倒れた少女の事を話そうとした老人だったが二人の会話に泰一郎が割って
入って来た。 「いつまでそんなとこにいる。下男はさがっていろ。さ、綾女こっちへ」 「あの、おひいさま、実は……」 これ以上話しているとまた老人に対する風当たりがきつくなると考え、すまなそう
に会釈をした。 「スミマセン。おじ様がお呼びですから、あとで伺います」 襖を開けて中に入ると、広間には4人の親戚縁者が揃っていた。 泰一郎とその妻、数子。知三郎とその妻、潤子。 綾女が入って来るのを待ちかねていたように話し掛けてきた。 最初は知三郎。痩せたインテリ風の彼は銀縁の眼鏡で綾女の顔に近づいた。 「なぁ綾女。お前からも言ってくれ、うちに来るって。不自由はさせないよ」 「そうそう、私を本当のお母さんと……いいえ、姉だと思っていいのよ」 「フン、なに言ってんだか、年増が!」 「何か言った? 数子お義姉さん? ふん、このくそばばぁ!」 おば二人がキツイ視線で睨みながら火花を散らしていた。 「まったく、綾女はもう子どもじゃないぞ」 女二人の争いをよけて、泰一郎が綾女の肩を叩きながら話し掛けた。 「しかしこの家を守るにはお前はまだ若い。無理をする事はないて」 養子縁組みを目論む、知三郎夫妻。しかし泰一郎は別の方法を考えていた。 「綾女には婿をとってもらってだな、幸い心当たりがある。わしの部下で……」 「待ちな! 泰兄は黙ってろよ。またこの『織り鶴』の店を潰す気か」 「なにを! お前こそ、死んだあいつの後ろでちょろちょろしていただけではないか」 次第に語尾が荒くなっていた。 「まったくあいつがちゃんと遺言状を残さなかったのがいけないんだ」 「何言ってる。そんなものがあったら泰兄になんて何にもねえだろうが」 「何だと! 末のお前なんかもっと怪しいではないか。お前、まさか遺言状を!」 (嗚呼、また……) 綾女はうつむきながら、目を伏せた。 ここにいる4人の腹の底は、死に群がるカラス以上に真っ黒なのか。 綾女を中心にしていたはずの親族会議が、いつの間にか彼女を離れたものとなった。 険悪な雰囲気が渦を巻き、部屋中の空気が澱んだ。 「……」 タイミングを見計らったように、外にいた老人がおずおずと声をかけた。 「あの〜、おひいさま……」 「どうしました? 寿限夢さん」 「実はおひいさまのお知り合いの方かもしれない方が……奥に」 「今、参ります」 すっと立ち上がり部屋を出ようとした綾女。 「ま、待て綾女! わしも行く」 まるで席を外したら逃げられるとでも思っているのか、親族はゾロゾロと綾女の後
を付いて来た。 「こちらでございます、おひいさま」 客間の畳に横になっている少女がいた。 座布団を二つ折りにしたまくらに頭の乗せ、服はあちこちすり切れて泥と埃で薄汚
れた少女。 「この方が家の前に? いえ、私は存じませんが」 綾女の知り合いでないとわかると、泰一郎が途端に語気を強めた。 「愚か者! そんなどこの誰とも素性のしれない者を屋敷に入れるなどとは!
何年
ここで働いているんだ、じじい」 「はぁ……しかしおひいさまのお名前をうわ言で……」 「そんな事で浮浪者をみんな保護する気か。おおかた葬式饅頭目当ての家出娘だろう」 イライラした口調で老人の行動を責めていると、綾女が素早い指示をした。 「手桶と手ぬぐいを私の部屋へ運んで下さい。こんなところでは冷えてしまいます」 遺産の話を切り出したい親族はイライラしはじめていた。 「そんな事は誰か他の者にやらせればいいだろう。おっ! そうだお前がやれ」 「何でこの私がやらなくちゃならないのさ! 誰かいないのかい」 夫婦で面倒な事を押し付けあっていた。 「……皆を帰らせたのは兄貴だろうが」 言葉の中に特段、刺はないのだがこういう状態はますます険悪なムードを増した。
「私が運びます。寿限夢さん、お湯を入れた桶と手ぬぐいをお願いします」 肩にもたれさせて、綾女は健気に運ぼうとした。 気を失っている少女の顔は白く、異常に軽く感じた。 今更、手助けをするわけにもいかず、親族は居場所の無さにすごすごと広間へと帰
って行った。 「綾女、広間で待ってるから早めにな……」 あまり重いものなど持った事のないお嬢様だったが、予想以上の軽さに戸惑いなが
ら、綾女一人で少女を二階の自室へと運んだ。 頼まれた物を持って来た老人は、布団に寝かせた。 そして少女を着替えさせようと侍女のような事をしているお嬢様に老人は驚いて声
を掛けた。 「おひいさま、そのような事はこの爺めが……」 「いけません。相手は女の子なのですから、さぁ殿方は席を外して下さい」 いい年をして殿方と言われたことに妙なむずがゆさを感じながら老人は部屋を出た。 懇々と眠る少女。お湯に浸した手ぬぐいを固く絞って少女の顔を拭いた。 「まぁ……」 奇妙な服を一度脱がせてから、汚れたサラシを外して代わりに包帯を巻いた。 自分の着替えを着せ、再び布団に戻した。 側にいて看病していたが、その間も目を覚ます様子はなかった。 「……あやめ…さま…ゆめつむぎ、あやめ様……」 「え?」 見知らぬ少女のうわ言に自分の名前が出たことに驚いた。 「夢紡?」 聞いた事はないが、どこか懐かしい響きの言葉だと綾女は思った。 綾女は不思議な少女を優しい瞳で見つめた。 そしてまるで子どもをあやすように、布団の上からポンポンと軽く打った。 それは覚えていない昔、母親にしてもらった仕草だったかもしれない。 「あなたは一体、どなた? でも……あなたのおかげで助かりました……」 その顔に翳りが差した。親戚達の傍にいるのは、正直、辛かった。 「あのまま、あそこにいたらおじ様、おば様たちを嫌いになりそうでしたから」 綾女の戻るのが遅い事に痺れを切らせた泰一郎が大きな声を出した。 「綾女! いつまで待たせるつもりだ そんな小娘は放っておけ!」 「おじ様。怪我をされた方が眠っているのです。どうかお静かに願います」 「……と、とにかく下にいるからな、早く来るんだ」 綾女の言葉に一同はぶつぶつ言いながら下がった。 いつまでも、親族たちを待たせる訳にはいかなかった。 しばらく少女を看病しながら、小さな溜息をついて立ち上がった。 重い気分で、そっと自室の障子を閉めた。 電話を掛けようとしていた綾女に後ろから声がした。 「おひいさま……」 老人が、廊下の隅に控えていた。 かかりつけの医師を呼ぶために、受話器をとったのだが、なぜか電話が通じなかった。 「念のためにお医者様をお連れして下さい。ただ……」 電話が使えない旨を話した。 「……承知致しました、おひいさま。では行ってまいります」 頼まれた医者の所まで、車を使っても30分以上はかかるのだった。 「おひいさま、くれぐれもお気をつけて」 何度か心配そうに振り返ってから、老人は出かけて行った。 広間に戻ってみると誰も居らず、仏間の方が先ほどまでとは違う雰囲気で騒然としていた。 「では株と現金はお前らにくれてやるから、店の権利はわしがもらおう」 「お義兄さん、それはないでしょう。うちの人の方が才覚はありますから」 「二人分の生命保険もかなりの額になるはずだから……えっと、それも……」 「現金はもちろんだが、店の権利の半分は俺にもある、徳兄、いや社長が言っていた」 「そんな口約束は無効だ!」 「名前だけの会長は口出しするな」 「なんだと 弟の分際で!」 兄弟が、『織り鶴』グループの権利をめぐってついに争っていた。 女たちは綾女の母の物を我が物にしようと目を血走らせていた。 「この大島紬は私よ」 「この真珠があたしのなら、当然、これの合う着物ももらうのが当然でしょ」 親族会議は、いつの間にか綾女がいないのに勝手に形見分けになっていた。 すぅっと障子を開けると、言い争っていた者たちがぎょっと振り返った。 「あ、綾女……。な、なんだ早かったね」 「あああ、これはだからね、形見分けを……」 先ほどまで殺気立っていた知三郎がヘラヘラと作り笑いを浮かべて綾女をみた。 「そ、そう。我々も亡き二人の思い出を分けて欲しくてな」 言い訳を見つけながらも各々、掴んだ品を離そうとしなかった。 端からみても明らかに己の欲のためだけの行動としか思えなかった。 (はぁっ……) 綾女は目を合わさずに、小さな溜め息をついた。 物言わぬ綾女に、その場の空気は泥沼のような混沌としたものになった。 沈黙の中で柱時計の時を刻む音だけが重苦しさを増していた。 「チッ……」 誰かがこの状況に口火を切った。 「大体、こんな小娘に遺産をくれてやる必要なんかないんだよ」 それはさっきまでヘラヘラ笑みを浮かべていた知三郎だった。 綾女の背筋にゾクっと寒いものが走った。 知三郎の言葉には氷の刃のような冷たさがあった。 「大体、この娘はもともと捨て子。いいや徳兄がどこの女に産ませたか知れない子だ」 「そうさ、結城家の恥さらしだ……わしは最初からそう言ったんだ」 綾女は身につまされる思いがした。 「あいつはお前と違って外に女作るようなヤツじゃない。嫁の方の不貞で出来たのを
隠しているんじゃないのか」 「違うね、どっちとも血の繋がりもない結城の家とはまったく無関係な娘だ」 ビクッと綾女の身体が強ばった。 「綾女、お前だって知っているんだろう。自分が結城の家の者ではないと!」 それは今まで皆、知っていてそれでいて口にすることのはばかられるタブーであった。 綾女自身も、自分が両親と血の繋がりがない事を知っていた。 「じゃぁ遺産がこいつに入るなんておかしいじゃないか!」 「そうか綾女! お前こそ遺産目当てにこの家に来たんだな。いいやそうに違いない」 それはもうムチャクチャな理論だった。 綾女が黙っていると、次第に調子付いて凶の形相を浮かべ攻撃してきた。 「み、皆さん、お願いですからやめて下さい。お父様とお母様の前です」 醜い言い争いに綾女がいつになく声を震わせた。 「……」 重苦しい沈黙。綾女の言葉にいらだちを覚え、不自然な空気が流れた。 その時、突然気配が急変した。 「そうだ、やめようじゃないか」 「そうだ、やめようじゃないか」 「そうだ、我々がいがみ合うことはない」 「そうだ、我々がいがみ合うことはない」 「そうだ、それよりももっといいことがあるじゃないか」 まるで決められていた段取りのように、それぞれが同じ口調、同じリズムで語り始めた。 「そうだ、我々の邪魔者は……」 「そうだ、我々の邪魔者は……」 ゆらりと4人が綾女に向き直る。その瞳には生気がなく、邪な気配を含んでいた。
「我々の邪魔者は……我々の邪魔者は……」 「我々の邪魔者は……お前だ!」 「お前だ! お前だ!」 「お前が邪魔者だ!」 4人が一瞬にして白目を剥いて、口をパクパクし始めた。 おばは髪を振り乱して奇怪な動作をし、それをきっかけに口の周りと顔の皮膚が硬
質化してくちばしのように変わった。 白目を向いて首をギギギと曲げると、ユラユラと気味の悪い動きをし始めたのだった。 どす黒い腹を象徴するように身体がだんだん黒く変化した。 「クワァー! カァ〜!」 部屋にいたはずの親族がすべて大きなカラスの化け物に変貌し、綾女のすぐ隣りで
奇行に走っていた。 「だ、誰か……」 綾女の声は誰にも届いていなかった。 電話! 110番! ちらと頭をよぎったが、すぐ電話が通じない事を思い出した。 いつもなら何十人もいる店の者には臨時で休みを与えてしまったし、常にいる老人
も医者の所まで使いに行ってしまった。 ここにいるのは綾女と奇妙な行動を取り始めた親戚縁者ばかりだった。 それがいきなり化け物となり、何がなんだかわからなくて混乱をするばかりだった。 綾女の上品な声では、結城家の敷地を越え、外にいる誰かに助けを求める事も難し
かった。 逃げようにも出口を塞がれている上に、着物というのは機敏な行動には不向きだった。 「クワァー! カァ〜!」 尖ったくちばしで綾女に襲いかかっていた。 ビリビリッ! 「ああぁっ!」 袂が引き裂かれ、よろけた拍子に裾が乱れた。 「お、お、おじ様、やめて下さい」 綾女の白い肌がますます血の気を失い白くなった。 まっくろい眼は綾女を映し近づいてきた。 もはやカラスの化け物の顔からは表情を読みとる事すら無理だった。 四方をぐるりと囲まれて綾女は完全に逃げ場を失った。 リンリンッ……チリリンッ 襖の奥から澄んだ鈴の音が聞こえた。 「醜い……」 少女の声が仏間に伝わった。 「クワァ? カー」 「遺産に執着する心に付け込んだ夢魔の仕業か、それともこれがここにいる人々の本性か」 スッと開いた襖の奥から姿を見せたのは、おさげ髪の小柄な少女、臨だった。 綾女のお古の寝間着を着ていた。 「気がついたのですね、よかった……あ! いけません! 早く逃げて」 綾女の言葉を受け取りながら、臨は親戚達の異常な雰囲気にも物怖じせず、挑むよ
うな精悍な表情を見せていた。 「夢守臨……」 「ゆめもり、りん……さん? あなたは一体……」 「はい。あなたが綾女様なのですね……お捜しいたしました」 初めて出会った臨と綾女。夢守りの民の長と戦士の出会いだった。 「あなた様を守り、夢魔を倒す為やってきました。綾女様」 部屋を充満していた不気味な気配が一層濃くなった。 それは綾女にも感じとれるほどだった。 夢魔だけが持つ、特有の魔性気を感じ、臨は構えた。 精神を集中させると全身からオーラが溢れ、それを纏い、戦闘衣へと変身した。 日本鎧のようなパーツ、肩あて。小手。額に輝くのは不思議な紋様の描かれた鉢金。 夢魔と戦うためのこの姿、本来ならば変身変化は夢の中だけでしかできない。 しかし夢魔の放つ『魔性気』の漂うフィールド『魔性力場』の中でならば、例え現
実世界でもそれが可能なのだ。 両手を下げ気味にしてから、気合いを入れ、天を仰ぐとその右手にのみ一振りの刀
が出現した。 「私は夢守りの民の戦士、夢守臨。人に仇為す夢魔を倒す者」 それを見て、綾女は小さな悲鳴を上げた。 「り、臨さん、何をなさるつもりですか?」 綾女は請うような瞳で臨を見つめた。 「……」 臨はその願いを理解した。 「承知しました」 ハッキリと判るように刀を逆刃にして、フっと微笑んだ。 「ですが少しだけ、金に狂った腐った性根を叩き治しましょう」 「臨さん」 「夢魔……それは人の夢に忍び込む魔物。そしていつしか本体を乗っ取り厄をなす」
「カァ〜クワァ〜 カネ〜 金〜」 近づいて来た叔母の肩辺りに臨の逆刃が振り落とされた。 後頭部からうなじにかけて打ち込んで当て身を食らわせたつもりであった。 しかし、4人の烏亡者は何度打ち込まれても、すぐに起き上がって来た。 臨は4人の烏亡者の正体を探りあぐねていた。 綾女には、ああは言ったものの、殺さず倒すのは難しかった。 一匹の夢魔が一度に4人に取り憑くとは考え難く、少なくとも4匹の夢魔がいる可
能性があったのだ。 さもなければすでに『定着』されている可能性も……。その見極めは難しかった。
「綾女様、お逃げ下さい」 いくら屋敷が広いとは言え、刀を振り回して戦える程ではなかった。 最初はいいが多勢に無勢。回り込まれて両腕を捕まれてしまった。 「しまった!」 動きは鈍重であったが、一度臨を捕まえると、その常人を超えた力を見せていた。
両腕にそれぞれ一体づつ、そして身体と脚にもう一体づつ。 小柄な臨を4人の烏亡者がぎりぎりと締め付けた。 「臨さん……」 何かにとりつかれたような親戚が、自分を助けてくれた少女を寄って集って苦しめている。 「かー、カァー」 「金ー。かねー カァー」 くちばしが臨を襲う。紙一重でかわすがその時、服の端を切り裂かれた。 彼女の着ていた服の傷の意味を綾女は理解した。 本当の金の亡者になった浅ましい姿に、綾女は胸が痛んだ。 (遺産の為にみんなが変わってしまったのなら、こんなものはいりません) 綾女は自分に不相応な遺産をもらうつもりはなかった。 「そんなに欲しいのでしたら……」 綾女が文箱から大切な物を店の権利書も屋敷の書類も投げ付けた。 「……全部差し上げます」 親族の頭上に、ハラハラと紙幣や重要書類が散らばった。 「かね〜、かね〜」 それに気を取られ、臨を捕まえていた手が緩んだのだった。 「これも、これも。これも! ですからもうやめて下さい」 取り合いをしていた着物も、貴金属も権利書も片端から投げ付けた。 「!」 その時、頭上に投げられたはずのものが、不自然な跳ね返り方をしたのを臨は見逃さなかった。 「たぁ!」 臨は脇にいた知三郎のみぞおちに渾身の力を込めた一撃を喰らわせた。 床に散乱した紙幣や書類を貪欲に拾い集める輩を避けて、臨は綾女を後ろに庇った。 「綾女様、こちらへ」 綾女の手を取って仏間を出て渡り廊下、屋敷から結城家の弓道場へと逃げ出した。
化け物と化した4人がよたよたと追いかけてきた。 その手には持てるだけの財産を抱えていた。 しかし顔はまるで別な方向を向いて、振り子に似た動きをしていた。 4人の動きの頂点が、一定の方向にあるのを見て、臨は全てを察知した。 「そういうことか。夢魔が4体もいるにしては魔性気が弱いと思ったら」 刀をかざし高くジャンプすると、4人の烏亡者のはるか頭上高くを攻撃した。 「タァァー!」 ブツン。 目に見えないところに、刃は確かな手応えを感じた。 すると今までの亡者の動きがカクンと止まってバッタリと崩れ落ちたのだった。 そして文字通り糸の切れた操り人形のように動かなくなったのだ。 「ああ、おじ様たちがもとの姿へ戻っていきます」 顔の色も、硬質化していた口も元の人間に戻っていった。 しかし臨は床には目もくれずに、油断無く天井を見上げ叫んだ。 「素直に出てきたらどうだ、さもなくば!」 言うが早いか、臨は弓道場の的場へと後ろに跳躍しながら、術法を繰り出した。 「 臨 空 天 神 波 !」 白い気功の一撃が、道場の天井に入ったかに見えた。 が、そこの影に張り付いていた夢魔本体を直撃した。 ドサっと天井から落ちてきた物体がグロテスクな姿の正体を見せた。 顔、上半身は芋虫かカイコに似て、身体は蜘蛛という異形の化け物であった。 複数の夢魔がいるように見えたが、蜘蛛型夢魔が糸で操り人形のように操っていた
のだった。 8本ある脚のうち、4本を巧みに操り細い糸を絡めていた。 「よく見破ったナ。あのままこの木偶をオ前が殺してくれれバ良かったのに」 小さな口を蠢かせ、聞き取りにくい声で蜘蛛夢魔は語った。 「御館様がよく言っていた! あれはお前たち夢魔がよく使う姑息な手だと」 夢魔に対して強気の発言をしている臨だが、実は内心胸を撫で下ろしていた。 (綾女様に言われなければ、あのまま夢魔の思惑通りに斬っていただろう) 結城家の弓道場は、不気味な夢魔と臨の戦闘場となった。 蜘蛛と芋虫を合わせたような姿の夢魔に対し、峯打ちにしていた逆刃を元に戻して
戦闘体勢になった。 両手でしっかり刀を握り、一刀両断の形で攻撃した。 「やぁぁぁつ!」 大きく振りかぶって真正面から切りつけるが、夢魔は3本の脚でサッと身をかわした。 逆に別の脚を鞭のようにしならせて背中を強かに打ってきた。 「うぁ!」 小柄な臨が弓道場の的場まで弾き飛ばされた。 「どうした? 所詮、オ前が強いのは操ラれていた木偶にだケか」 毒々しい色をした柔らかい腹を切りつけようとしたのだが、臨の攻撃はかすりもしない。 それに、当たってもダメージを与えるには至らなかった。 後ろへ回り込もうとしても、臨の動きそれよりも早く夢魔が攻撃を仕掛けてきた。
「臨さん!」 傍で見ている綾女からも、パワーで負け、スピードでも負けており、逆に夢魔の攻
撃は確実に臨を苦しめていることが判った。 上方から下方から多面的な攻撃をしてみるが、力負けして臨の刀は押し返されていた。 刃を交えた瞬間、不気味な脚に臨の攻撃はすべて弾かれていた。 夢魔強し。 「これならどうだ。臨 空 天 神 波 !」 大地を蹴って宙に舞い、臨は術法を放った。 が、重ねあった脚が防御をすると、蜘蛛夢魔はこの術法に耐え抜いた。 「さッきは不意を突かレたが、そうデなければこの程度の攻撃、何でもなイわ」 「お、おやめなさい!」 弓道場から弓と矢を持って来た綾女が、矢を番えて構えていた。 「シャシャシャ」 震える声の綾女に蜘蛛夢魔はせせら笑った。 「ほ、本当に、やめないと……や、矢を放ちます」 ゆらりと振り返って沢山の脚を動かし、綾女に近づいた。 「お前にハ無理だ」 「綾女様、危ない!」 綾女に襲いかかろうとする蜘蛛夢魔の前に、臨が飛びついて楯になった。 「ああっ……」 綾女の放った矢は見当違いの方向へ飛び、臨は綾女を庇ったまま払い飛ばされた。
「臨さん……私、何も役に立てなくて……」 己の非力さを嘆く綾女に、首を横に振って、それを否定した。 綾女のせいではない、と。 (しかし、このままでは……勝てない。綾女様をお守りすることも……これまでか!) と思った時、思いもよらない所から鈴の音色と、術法が飛んできた。 「 臨 空 天 神 波 !」 背中から後頭部へ術法を喰らい、敵は狼狽した。 「ぎゃぁ! ナ、なに? なゼ後ろから?」 月影の下、腕組みをしながら孤高に立つ人物がこちらを見ていた。 「なるほど、不意を突けば「この程度の術法」でもダメージを受ける訳か」 目を凝らして見る綾女と臨。 背後から姿をみせたのは、臨。もう一人の臨だった! 綾女は部屋の内と外を見比べていた。 「臨さんが……お二人?」 「右臨、苦戦してるな」 「遅いぞ左臨。迷子になってたのか?」 同じ顔をした二人が苦笑いをしていた。 綾女を連れて逃げる右臨と、左臨は臨空天神波で続けてけん制する。 「シャァー! そレが噂の多身術か。しかシ2人だろウが変わりはシない」 「右臨!」 「左臨!」 ふたりの臨は互いに顔を見合わせ、それぞれ右臨は右手を、左臨は左手を重ねた。
小さなリズムが重なると綾女の見ている目の前で、二人の『臨』は文字通り一体化
した。 二人の臨が一心同体! 臨は本来の力を取り戻した。 「今までの私は、半分の力でしかなかった。これが夢守臨の本当の力だ!」 夢魔は4本の足腕を振り降ろし、次々と襲いかかってきた。 が、臨は全てを紙一重でかわしていた。 内側からみなぎるパワー! これまでの、何か足りない未完成のものとはまるで違
っていた。 動作も先ほどまでとは違って格段に素早くなっていた。 くるりと身を踊らせると、ドフッっと鈍い音がして、臨の拳がめり込んだ。 「グわぁつ ウげっ!」 先ほどまでの攻撃とは、一発の重みがまるで違った。 その小さな身体のどこにこんな力があるのか、夢魔は身を守るのが精一杯のようだ。 少女と化け物の闘いを見ていて、あまりに先ほどとの違いに、綾女は呟いた。 「お強い……。先程の臨さんとはまるで別人のようです……」 パワーもスピードも、全てにおいて、先ほどまでの臨とは比べものにならなかった。 夢魔の攻撃はまったく当たらなくなって、逆に臨の攻撃は確実にヒットしてダメー
ジを与えていた。 「こうして本来の力を取り戻せば、二本の刀が招来できる、覚悟しろ!」 臨はこれまで多身術で一本しか出せなかった一刀の制限を解かれ、二本の刀を振り上げた。 「夢守二天流、壱ノ太刀!」 避ける間もなく、雷のような素早い刀の攻撃が夢魔を斬りつけた。 そして夢魔の、毛むくじゃらの長い脚が4本、付け根から切られた。 「シャシャシャ〜!」 動けなくなった分、口と尻から糸を吐き出して抵抗した。 「遅い! 夢守二天流 参ノ太刀! 飛鳥飛翔煽」 臨の持つ二本の刀が大空を羽ばたく鳥のように素早く動き、見事に切り刻んだ。 移動の足を切られ、鞭の如く操っていた足腕も、からめとる糸もすべて封じられた。 「馬鹿ナ、これほどマでとは……しかシ……まだ 負けたわけではない」 ボロボロに痛めつけられた夢魔は、そんな中で死中に活を見い出そうとしていた。
「負けナいのが勝チ。そうだ、ツまりコうだ!」 臨に向かう事をせずに、傍らにいた綾女に向かって行ったのだった。 黒い霧状に姿を変え、隙をついて、口から綾女の中へと侵入した。 「ぁぁっ」 「しまった!」 口を覆っても隙間から侵入してこられて、綾女はガクッと崩れ落ちた。 「綾女様、しっかりして下さい」 肩を揺り動かしたが、綾女が目を覚ます様子はなかった。 綾女の内側、喉の奥から絞り出すような微かな夢魔の声がした。 「〜このまマ、こいつの中にイて、定着してしまエば結局はオレの勝ちダな〜」 ヤツにはもう戦う力は残っていないはずだった。 だが綾女を楯に、全てを防御にまわせば負けなしというしたたかな計算だった。 「卑怯な……」 意を決した臨は綾女の傍らに、その身を横たえた。 「綾女様、今お救い致します」 臨が傍らに寄りそうと、すぐさま深い眠りに落ちた。 臨の身体から半透明の意識体が抜け出ると、次の瞬間、綾女の身体に重なり消えた。 夢の中、精神世界へ臨の意識体は移動しているのだった。 人の夢の中へと入って行く『夢入りの法』。 夢守りの民に受け継がれた特殊能力であった。
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