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Dガーディアン〜夢守りの民〜
2.閉ざされた結界悲しみの織り姫
『綾女』
 

 

 

 1

 ーい! 『夢語 望−ゆめがたり のぞみ−』です☆
 えっと、一体どこまで話したのか、みんな覚えてる?
 夢守りの民の末裔を探して旅立った臨。彼女が最初に求めたのは、長の転生者

 『夢紡 綾女−ゆめつむぎ あやめ−』

 でも臨ちゃんってば、まだ長である綾女ちゃんの名前も知らないの……。
 どうするんだろう。
 ってな訳で物語は続くのだった……


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


2.「閉ざされた結界、悲しみの織り姫『綾女ーあやめー』」


 郊外にある、見通しの良い直線道路は夜の闇の勢力圏だった。
 一定の間隔で立つ街灯が、辛うじて原始の闇から人の恐怖を和らげ、安心させていた。
 そんな静寂と闇の両方を引き裂いて、爆発音が鳴り響いた。
 ドゴォォーン!
「…………」
 少女がそこにたどり着いて見たもの、それは黒煙を上げて炎上する一台の車だった。
 身体のあちこちに小さな傷をにじませ、服も身体もすすけたように汚れていた少女。
 幼い顔立ちでありながら奇妙な武闘着のようなものを着た少女が、炎に包まれた車
に駆け寄ってみた。
 乗っていた人が絶命しているであろう事は明らかだった。
 京都へ向かう彼女の横を、その車が追い抜いたのは、ほんの少し前だった。
 居眠り運転か、それとも飲酒運転なのか、大きく蛇行して暴走する車。
 追いかけたのは、微かに黒い闇の気配を感じ、助けだそうと思ったからだった。
 が、万全の状態ではない彼女が車に追い付いた時には、すでにこの有り様で、魔の
気配は炎と闇の狭間に打ち消されていたのだった。
 夢魔の気配を察知することのできる少女。
 少女の名は臨。夢守臨。
 ごうごうと燃え盛る炎は、自分の大切なもの飲み込んだ時のそれを思い出させた。

 炎に包まれた館の中で、恐ろしく長い刃に貫かれた御館様、返す刀で斬られた刀自様。
 臨はまだ二人を亡き者にした相手の正体もわからなかった。
 炎の揺らめきの中、天とも地ともわからない所から『その声』は聞こえた。
「ふしゅるふしゅる……違っタか……マあいい。やつらの関係者に違いなかッた……」
「げへへ……じゃ、お互い散るか……」
 炎上した車からますます真っ黒な煙が吹きあがった。
 それに紛れて天と地の二方向に黒い影が移動した。
(今のは、やはり夢魔……いったい何を?)
 草木と一体化し、敵に気取られぬように気配を殺しながら魔性気を探った。
 しかし、もう『その声』は聞こえなかった。
 しばらくすると、ようやく遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえて来た。

「……」
 この場に留まっては第一発見者として行動を制限されてしまうに違いない。
(今、余計な事に関りを持つのは得策ではない)
 そう判断し、臨は静かに死者へ黙祷すると、再び京の町を目指して走りだした。
(どこ……。どこにいるの、我ら夢守りの民の長……)
 臨は不安を振り払うように、頭を振った。
 リン、リリン
 すると、おさげ髪の先に付けられた、小さな鈴が揺れて鳴いた。

 臨が去った後、消防と警察が事故処理を進めていた。
「え〜、こちら京都パトロール01号。事故現場です。運転手、及び同乗者は死亡。
恐らく即死。ナンバーから持ち主は……ん? こ、このナンバーは……」
 でっぷり太った警官は声を震わせた。
 助手席に装備されたPATシステムの端末で事故車の照合をしていた警官が叫んだ。
「結城の……『織り鶴』グループの当主、結城様の車です!」
 この界隈で『織り鶴』グループを知らない者はいない。
 古い者なら『織り鶴堂』の時代から……。
 それほど名の知れた総合企業だった。
 結城家の一人娘、綾女にその両親の死亡が報告されたのは、それから1時間も掛か
らなかった。
 疾走する臨は、この車に乗っていたのが結城夫妻である事を、そして夫妻の一人娘
である綾女こそが捜し求めている夢守りの民の長である事を、まだ知らなかった。
 そして綾女自身も、自分が夢守りの民の長である事を知らずにいたのだった。


 結城の跡目をめぐって、醜い争いが起きようとしていた。
 これだけの大棚になると、主人が死ねばその手のもめごとが起きるのはある程度し
かたのないことで、ましてやこの古い商屋が軒を連ねる京都では、よくあることでは
あった。
 ただ、この結城家において他と違ったのは、それが素直な父から子への相続ではな
かったということだ。
 『織り鶴堂』はもともと京織物を中心にした老舗の店であった。
 良い品を作り、手堅く商いをしており、大きな利益を得る事もなかったが、堅実な
経営でごひいきのお客も少なくなかった。
 代々、織り鶴堂の暖簾を守ってきたのが結城家の先代の当主『結城王将』。
 結城家の歴史を背負ったような昔気質の頑固者だった。
 彼には3人の跡継ぎ息子がいた。
 その王将を半ば無理矢理隠居させ、跡を次いだのが3人兄弟の長男、泰一郎だった。
 泰一郎は実権を握ると織物だけでなく、全国の土地を買い不動産業にも手を伸ばし
た。
 『織り鶴堂』の折り鶴のマークを冠した『織り鶴』グループを組織し、多角経営で
商売の手を広げたのだった。
 不安を口にする人々をよそに、最初は順調に経営を続けたのだが、才覚のない泰一
郎は支店を軒並み経営不振にするばかりか、本業の店の経営にまで破綻をきたしそう
になった。
 その時点で、まだ健在であった先代の権限で泰一郎を会長というポストに置いた。

 代わって何とか経営を持ち直したのが綾女の父、徳二郎だった。
 京都の本業に力を注ぎ、広げすぎた経営の手を縮小させ、不動産関係は全国に点在
するマンション経営と将来性のあるホテルに絞った方法で何とか軌道修正をさせたのだった。
 泰一郎が潰しかけた『織り鶴』グループを持ち直したのは徳二郎の力だった。
 さらに、王将の逝去でバラバラになりそうなグループの経営の危機を、従業員、職
人、経営陣が一丸になって逆に結束を固める事に成功したのだ。
 その徳二郎がこのような事態になって、泰一郎は再び社長の座に返り咲く事を画策
していた。
「あいつがいなくなれば、グループを継ぐのはわしだけだ。このわしが作ったグルー
プだ。誰にも渡してたまるか。ましてあんな小娘には!」
 三男の知三郎もこの期に便乗して、持ち直した『織り鶴』グループを狙っていた。

 しかし知三郎は泰一郎以上の遊び人であり、徳二郎に何度となく注意をされていた

「ふっ、徳兄が死んだ今、俺がグループを牛耳ってやるさ」
 葬儀を手配しつつ、知三郎は野望に燃えていた。
 ……そういった事情で、若すぎる娘の相続をあっさりと認めるには、彼らの胸
中のしこりはあまりにも大きすぎた。


 夢紡家が葬儀の支度に騒然としている頃、臨は京の町をボロボロになりながらさま
よっていた。
 古都、京都。朝もやの消えかかるその片隅でリン、リリンと小さく鈴の音が響いた。
 学校の制服を現代風に着崩している二人の学生は、噂話に花を咲かせていた。
「ねぇ3組の子が突然死んじゃった話知ってる?」
「聞いた! 心臓発作だっけ? 眠っててそのまま……って聞いたよ」
「昨日まで元気だったらしいのにね。なんか多いみたい、最近。怖いわぁ」
 と、その時、通学途中で見かけた奇異な存在を見かけ、ひそひそと囁きあった。
 奇妙な風体の少女を指さしながら。
「ちょっと。なぁに、あの子」
「わぁ、ホント。何だろう」
 そこには自分と同い年、もしくは年下に見える少女がうつむいて歩いていた。
 いかにも疲れたという感じで、足どりも重く、彼女の長い髪の先に結わえた鈴が動
く度にチリリンと鳴っていた。
 少女の服は武道の稽古着にも見えたが、それ以上に奇異なのはその汚れ方だった。

 砂埃で汚れ、さらにあちこちにすり切れた跡があった。
 朝の通学風景にそぐわないその姿はどう見ても普通ではなかった。
「きっとあれでしょ、映画村のちょい役とか……」
 関らないように遠巻きにひそひそと話す。
 しかしそんな声に臨は構っていなかった。
 夢守りの民の長を探すべく京都までやって来た臨だったが、一口に京都と言っても
広い。手がかりも乏しく、途方に暮れていた。
 休む間も惜しんで、夢守りの民の事を探したが、誰も知る者はなかった。
 わかったのは、最近、京都で眠ったまま突然死亡する女の子が増えているという事
だった。
(夢魔だ……夢魔も夢守りの民を探しているんだ)
 原因不明の奇病とも言われているが、臨だけはその原因を知っていた。
 長の探索で体力の消耗を極端に減らそうと最小限度の動作で動いている臨だった。

 急にその前へ大男が立ちはだかった。
「おいキミ! どうしたんだ、そんな格好で、学校はどうしたのかね?」
 ゆっくりと顔を上げて見ると、制服・制帽に身を包んだずんぐりむっくりの警官が
立っていた。
「ん? ははぁ、家出だな。ちょっと来てもらおうか」
 そう言うとニヤリと笑った。
「……」
 警棒を片手に臨の後ろから行き先をぞんざいに指しながら歩く警官と臨。
 素直に連行される臨が振り向きもせずに周囲を見つめ、つぶやいた。
「……霧が出てきたな……」
 先ほどの朝靄とは異質な霧が辺りに立ちこめていた。
 ニヤニヤしながら臨を連行する警官は、警察署へ行くというよりも段々人影のまば
らな所に向かっているようだった。
 バス通りの広い道だったのが、段々狭い道へ。大きな建物があったのが、家すら見
えない寂しい所へ。
 時折、後ろから臨のふともも、上から胸元を覗きこむような視線があった。
 臨は幼い顔をしているが、その体つきは鍛えられ、そして充分に肉が付いていた。

 逆にそんな少女のアンバランスさが魅力的だとも言えた。
「へっへ……」
「おまわりさん、どこへ連れて行く気……」
 舌なめずりをしそうな警官に、抑揚のないトーンで臨が話した。
「どうせならもっと人の居ない所にして欲しい……」
 挑発とも思える言葉に、警官の目玉がそれぞれ奇妙な方向を向いた。
「ガキのくせにわかってんのか、それとも……」
 腐った水のような臭い息を荒くして、警官は顔を近づけた。
「わかっている……。お前の企みなんて。人がいると迷惑になるから」
 だんだん霧が濃くなっていた。それはもう周囲の様子が見えなくなるほどに……。

「ぐへへ。それなら話が早い」
 喉の奥から空気をこぼすような風に笑うと、それまでの警官の顔から、下卑た魔性
の顔に変化した。
「まず先に私の身体が目当てか? 命はその後と言う訳か……夢魔!」
 臨はバッと間合いを取って振り返ると、まっすぐに警官の顔を見据えた。
「それだけ魔性気を発して分からない訳がないだろう。どうやらお前はあまり智恵の
ある夢魔ではないな」
 警官の身体が膨れ上がったかと思うと、制服がはじけとんだ。
「ぐっ、ぐっ若い娘、少女の身体。胸……ふくらみ。腰……肌、からだ、ぐへへへへ」
 太った警官の背後にいたのは、亀のような甲羅を背負った夢魔だった。
 首を奇妙にぐねぐねと曲げてみたり、威嚇するようにいっぱいまで伸ばしてみたり
してから警官の身体から分離した。
 いつの間にか臨の辺りは真っ白な濃い霧に包まれていた。
「現実世界と夢の世界をつないだか」
 本来、夢魔が現実世界へ実体を伴って現われる事など有り得ない事だった。
 実体を持つには、人に取り憑いて完全に『定着』するか、夢の世界と現実世界を結
ぶ空間を作り出すしかなかった。
 夢魔はぎとぎとと頭をねとつかせながら目を細めた。
「ぐへ、あちらでは充分におまえを楽しませられないからな」
「夢魔がふざけたことを」
「ぐぐぐっ、たのしませてやるとも、俺は技巧者だからな」
「私にかなうというのか」
「がっがっがっ。そうか。おまえはテクニシャンか」
 夢魔は両手を打ち、いやらしい唾液を散らして大笑いした。
「せいぜい楽しませてもらおう。小娘!」
 得意げな夢魔に対して、臨も負けてはいなかった。
「魔性力場に入れば、それはこちらも好都合。はぁぁぁ!」
 日本鎧の雰囲気で、機動力に富んだ少々露出の高い姿に変身した。
 臨も戦士の姿に身を変える事ができるのは夢の中か、夢魔の持つ魔性気の強い場所
『魔性力場』の中だけだった。
「行くぞ! 夢魔!」
 さらに、武装した少女は何もない空間から、右手と左手の両方に刀を出現させた。

 と、同時に思い切り振りかぶって、二本の刀を振り降ろした。
「たぁぁーー!」
「ぐっぐっぐ!」
 亀夢魔は、立て膝を着くような格好で背中を向けて、甲羅を盾にした。
 カキンッ!
「っ……」
 鋭い金属音響き、臨の両手に痺れが伝わった。
「無駄無駄! そんな、なまくら刀ではこの甲羅には傷ひとつつけられまい!」
 首をにゅるりと延ばして、舌を見せながらせせら笑った。
 絶対防御を誇る甲羅、装甲の頑強さには負けない自負心を持った亀夢魔だった。
 それに対して、疲労困憊のはずの臨が不敵な表情で構えた。
「……傷など付けるつもりはない……。叩き割るだけだ!」
 相手は防御に絶対の自信を持っているはず、つまりそれを壊せば必ず勝てる。
「硬い甲羅が刀で斬れる訳があるか!」
「言ったはずだ、叩き割ると!」
 臨は全身のバネに加えて脚力に瞬発力を重ねた。
 充分に助走を付けて体重を乗せ、両手の刀を十文字に合わせて全力で激突した。
 高速で接近し、身体と刀に光さえ放ちそうな気を発して臨は叫んだ。
「夢守二天流、弐ノ太刀! 十」
 今は亡き御館様から、幼い頃から鍛えられた剣術流派『夢守二天流』。
 臨はその全てを伝授された訳ではない。
 が『壱』『弐』『参』ノ太刀はほぼ御館様に匹敵するだけの修得をしていた。
 『弐ノ太刀』という技自体が破壊力重視であるのに、弐ノ太刀『十』の型はその中
でも群を抜いた破壊力を有していた。
 夢魔は断末魔の悲鳴を上げる間もなく、自慢の甲羅は完全に十文字に砕けた。
「うげぇ? うげうげうげぐえ!」
 己の死よりも自らの甲羅が割れた事に、信じられないという顔をしていた亀夢魔は、
あたふたとしていた。
「……何人だ?」
 臨は消滅しかけている夢魔に問いかけた。
「一体、何人の夢守りの民を殺した」
「げへ、さ、さぁてね。この地には夢守りの末裔が多いようだ、げげ。今夜中に京都
にいる全ての夢守りの民を皆殺しにしてやる」
「さぁ言え、京都にいる私の他の夢守りの民の所在を! 長はどこにいる」
「も、もう遅い。殺った夢守りの民の末裔は一人や二人じゃない、げげ」
 喉元の左右から挟みこむように2本の刀を突き付け、凄んだ。
「夢守りの民の長がいるはずだ! 答えないか!」
「すでに何人かの娘は我等がめぼしを付け、押さえた。げへ、長は今頃……だが教え
てなどやるか!」
「言わねば、斬る!」
 しかし、臨が両刀を振り下ろすまでもなく、亀夢魔は消滅した。
「くっ……」
 手がかりをまた失い、臨は唇を噛んだ。
 次第に亀夢魔の作り出した霧が晴れてきた。
 気が付くと、臨は気を失って倒れている警官の横で目を覚ましたのだった。
 一体いつ夢の中に入ったのか、わからない。
 亀夢魔の霧の中を歩いているうちに、この警官の夢に入り込んでしまったのだろう。
「思うこと、夢に見ることは、別に悪い事ではない」
 警察官という真面目な職業にいながら、魔が刺すという事もある。
 少女に悪戯してみたいという秘めた欲望に夢魔が取り憑いたのだった。
「ただそこで夢魔の誘いの乗ったのはあなたの責任。自分の立場、職務を忘れないことだ」
 倒れている警官にビリビリになった制服と、言葉を掛けてから、臨は見えない敵の
群に向かって叫んだ。
「何匹でもかかってこい! 夢守りの民が戦士『夢守臨』はここにいる!」
 聞こえているのかいないのか。空は何も応えなかった。

 館を出てから臨に安息の時はなく、この亀夢魔で倒した夢魔は実に三匹目だった。

 これまでの夢魔の行動は常に陰に潜み、暗躍していた。
 夢魔にとって夢守りの民は天敵である。
 夢魔の方からこんな風に現実世界まで襲ってくるなどと言うこともなかった。
 ところが電車に乗れば座席で居眠りをしていた人の夢から出現し臨を襲った。
 周囲の状況に構わず襲いかかる夢魔の攻撃に、臨は人々を巻き込まないように雑踏
から離れなければならなかった。
 今の臨は修行の身であるのに、たった一人で戦わなければならないのだ。
 どんな苦しい夢魔との戦いも、どんなに辛い御館様の修行も臨には耐えてこられた。
 しかし御館様と刀自様を失い、見知らぬ街の中、どこにいるともわからない人を探
すという事は臨にとって最も辛かった。
 気が付けば、疲労で臨の脚は鉛のようになっていた。
 行き先のない迷子のような臨……。
 完全に霧が晴れると、スーっと、どこからか紙飛行機が臨に向かって飛んできた。


【結城家の主が夢守りの民の長。真名は「夢紡 綾女」】

 読むが早いか、臨はキョロキョロとこれを飛ばした相手を探した。
 だが、もうどこにもその気配はなかった。
(罠?)
 そんな思いがよぎったが、もはや手がかりは何もない。
 藁をも掴む気持ちで、臨は紙飛行機の手紙にあった結城家を探し始めた。
 すでにはるか彼方を行く少年がいた。
 臨の旅立ちを見送った少年。
「頑張って下さいませ、臨さま……」
 少年、吉予夢(きっちょむ)はそう一人ごちて人込みに紛れた。


(私は何をしているのでしょう……)
 結城綾女−ゆうきあやめ−は、ぼんやりとそんな事を考えていた。
 悲しみが深すぎると涙も出ない、とはこんな事なのだろうか。
 京都の織物産業を中心に多角経営をしている『織り鶴』グループ。
 その当主であった結城夫妻の事故から一夜明けて、結城屋敷では、盛大な、それで
いて静かな葬儀がしめやかに執り行われていた。
 多くの人々が重苦しい雰囲気の中を次々と参列し、焼香していった。
 綾女は喪服に身を包み、人々に向かって、ただ人形のように繰り返し頭を下げていた。
 線の細いお嬢様であるが、精一杯喪主の代表を務めていた。
 色白な肌と長くたおやかな黒髪が喪服と合いすぎて、ますます参列者の悲しみを誘った。
 気取った所も無く、控え目で誰にも優しい性格は、綾女を知るすべての者に愛されていた。
 しかし彼女に聞こえないように、同情というベールの下に隠した興味本意で人々は
ひそひそと囁いていた。
「旦那様と奥様が一度に御亡くなりになるなんて」
「ああ、お嬢様も大変な事だなぁ」
「しかしひどい事故だったらしいな」
「全身が火傷とすごい傷で、警察の検死官も苦労したらしいぜ」
 好奇心で他人の不幸にカラスたちが騒ぐ。
「店は、いや『織り鶴グループ』はどうなるんだ?」
「遺産はそうとうなものらしいな」
「お嬢様が継ぐのが正統かな」
「しかし旦那様が亡くなって、他の御親族たちがにわかに色めきだってるというし」

「俺はヤだぞ、あいつらが社長で来るなんて」
 黒い服の存在があちこちで集まって顔を寄せ合っている。
(黒の集団、「死」に群がるはカラス。まるでカラスのように見えてしまいます……)
 綾女は詩の一小節でも読むように心で呟いた。
 葬列に集まる人々。その姿はカラスに似ていた。
 町の名士でもあった結城家当主夫妻の突然の事故死には町だけでなく、結城家の経
営する店と、関連企業の関係者も不安の色を隠せなかった。
 そんな囁きを聞こえないものとして、綾女は喪主の努めを果たしていた。
「お忙しい中、早々といらしていただきましてありがとうございました」
 声を懸ける参列者に、人形のように繰り返す綾女の言葉。
「何事もすべては運命だったのでございましょう……」
 力なく答える綾女の後方から怒鳴り声が聞こえた。
「なんだこの安いものは! この結城の家がケチだと思われるぞ」
 葬儀社の者や葬儀委員をしていた店の者たちが嫌な顔をした。
 それは知三郎が、葬儀の何かに文句をいっている様子だった。
 見た目の派手さや自分を誇示する事ばかり考える知三郎の姿は醜かった。
「知三郎! 何だその成金趣味は。金を無駄に使うな」
 知三郎とは逆に、泰一郎は金に執着する金の亡者だった。
「何だと、金を出しているのはこの俺だ。しみったれな兄貴は黙っててくれ」
「弟のくせに! ちょっとばかり金回りが良いからっていい気になるなよ、ギャンブル狂が」
「……」
 急な悲しみに遺族は多少おかしくなる事もあるという。
 少しのことに腹を立て、言わなくてもよい事を口走り、それを聞いた人がまた怒る
という繰り返し。
 険悪なムードも綾女には、奇妙に別世界の事のように感じられた。
 綾女はただ葬儀に参列する人々に頭を下げ、それ以外の一切を乗り込んできた泰一
郎と知三郎たち親族が取り仕切っていた。
 綾女は、外で受付をしている者たちへ温かい物を差し入れるように頼みながら、争
う二人の前に近寄った。
 そして険悪な空気が漂う中を、すっと割って入り真っ直ぐに泰一郎と知三郎を見つ
めた。
「あの、葬儀のお花も品物も私がお願いいたしました。過度なものはお父様の御意志
に背くと思いましたので」
 丁寧に言い述べると、再び葬儀の手伝いをしている者に労いの言葉を掛けて、参列
者の対応に戻って行った。
「くっ、小娘が……」
「ふん、あいつのほうがお前よりよっぽど大人だ。知三郎」
 やり場のない想いをぶつけ損なった二人は憎々しげに綾女を後ろから睨んでいた。

 葬儀の全てが終わると、住職が綾女の前にやってきた。
「この度は誠にご愁傷様でした」
「ありがとうございました、お寺さま」
「綾女お嬢さん、気をしっかり持ちなさい」
 両親を一度に失った娘さんを元気付けていたが、すぐに立ち上がった。
「実はまだこの後にも葬儀が続いておりましてな……」
 早々に立ち去らねばならない事を詫びながら立ち上がった。
「近ごろ、よく人が亡くなる。病気、事故……そして自殺や殺生。世も末だわい」
 綾女も、最近巷で奇妙な死亡記事が多くなっているのを思い出しながら、住職の言葉に肯いた。
 住職は世を憂いながら結城家をあとにした。
 出棺前、綾女は喪主として、参列した人々に挨拶をした。
「皆さん、本日はご苦労様でした。今日、明日はお店も閉めますので、故人の冥福を
祈りつつ、ゆっくりお休み下さい」
 織り鶴堂の時代から働いてもらっている職人たちにも休みを与え、死出の旅に送り
出した結城家の屋敷は、閑散とした静けさに包まれようとしていた。



 

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