その4
#名前は、すべて、旧姓で書かせてもらいました。
その1 1974〜1979は、こちら
その2 1980〜1989は、こちら
その3 1990〜1999は、こちら
その4 2000〜
■■■2000年(平成12年)27年目■■■
1 2000年度になり__が部長になる。
【2001年(平成13年)3月発行 葦芽39号より】
第19回 県高等学校総合文化祭
1.日時・場所 2.出場者 3.記録 4.出場者所感 5.顧問所感
放送部
1 11月12日 郷土文化会館
2 武田侑子
3 入賞
4 今回初めて高文祭に参加しました。コンテスト自体まだ二度目で、朗読部門は初
めてでした。実を言うと原稿を書いたのが本番二週間前、練習を始めたのが高文祭が
開幕されてからというとてもあわただしい状況でした。なぜ朗読部門にしたかという
と、前回アナウンス部門でコンテストに出たときに原稿を考えるのに苦戦したからで
す。とはいえ、朗読の方も大変でした。本の指定がないため、初挑戦の私はどんな本
を選べばよいのか分からず、締め切り直前まで迷いました。最終的に私は小泉八雲の
「怪談」を読むことに決めました。一週間前に昼休みや放課後の練習が始まり、限ら
れた時間の中で一生懸命に発声や朗読をし、先生や先輩のアドバイスのおかげで何と
か様になりました。
当日、風邪で喉を痛めていたためいつもより低い声になってしまったが怪談話だっ
たのが救いでした。結果は入賞。自分でも驚きました。また今回は開会式の司会を務
めるという大変貴重な経験をすることも出来ました。次はアナウンス部門で全国大会
を目指したいです。(武田)
5 十一月十二日郷土文化会館にて行われた、県総文祭放送部門には、本校放送部から
五名の生徒が出場した。その上、三人には、司会進行の大役が、任されたが、無事役目を果たすことが出来た。
放送部は、少数ながらよい素質を持った部員が揃っており、日頃の練習如何では、
全国大会を狙うことが十分可能である。今回入賞、奨励賞にそれぞれ一名ずつ選ばれたことが何よりもその事を証明している。
顧問の指導力不足や部員全員がなかなか揃わないといった問題はあるが、是非とも
昼休みや放課後集まったものだけで自主練習を継続的に続けて欲しい。あれだけの直前
練習でどれほど上達したかは本人が一番よく知っているのだから。(北原)
放送部
A(年間)
6月 県放送コンテスト
9月 体育祭アナウンス
10月 野球秋季大会アナウンス
11月 野球四国大会アナウンス
11月 県高文祭
(普段の活動)
1 お昼の放送
2 コンテスト前放課後練習
B なんとなく湿っぽい食事中ありませんか?そんなとき、スピーカーから流れる
音楽から笑いが生まれることもありますよね。
我が放送部は、このようなお昼の放送をはじめ、体育祭のアナウンスやコンテスト
出場などを中心に活動しています。
また、部員が増えたら、希望次第でラジオドラマなども作っていこうと思うし、お昼の
放送も音楽だけじゃなくみんなに楽しんでもらえることも企画していきたいので、
しゃべるのが大好きなあなた、もしくは、放送関係のことに興味のある人は誰でも
いいので、放送部に入ってみませんか?そして、私たちの力で市高放送部に革命を・・・・!!(上原・武田)
【全国高等学校総合文化祭放送部門】
1 8月7〜10日
静岡県富士市
2 村永奈緒
4 私の3年間を振り返ってみると、部活ばっかりしてきた気がします。全国大会に
行きたい!そう思いがんばってきた私にとっては、全国行きのキップは、最高のプレゼントでした。
人間信じてがんばり続ければできないこと(叶えられないもの)はないと思いました。
5 7月のNHK杯、8月の全国総文祭ともども全国レベルの高さを思い知らされたが、
本人にとっては、「高校生活のハイライト」とも言うべき最高の思い出となった。
二年上の先輩に憧れ、放送部に入部し、よいと思うことなら何でも吸収しようとする
前向きな姿勢と、地道な練習がここまで彼女自身を育ててきたのだと思う。
これらも研鑽を続け、何年か後には顔写真と自ら書いた文章で葦芽の別のページを
飾ることを楽しみに待ちたい。(北原)
お願い:間違いや、追加の情報がありましたら、林まで連絡いただけるとうれしいです。
このページに使った画像
リクエストBOX 2000年夏撮影