このページは、私の思いつき・好きなことを書く
1ページにしたいと思います。
今月も私の呟きを聞いてください
【3月です】
卒業の季節
それぞれがいろんな思いを持ちながら過ぎていく月ですね
故郷の幼なじみより「最近”ひとりごと”」が更新されてないねー
そういわれて発憤した私なのでした(笑)。そして読んで頂くことに感謝しながら
また時間がある限り更新していきますので(^ー^)ノ ヨロシク
《3月7日》
今日は小学校・中学校を共に過ごした仲間との同級会
3年ぶりです
私の飛行機の時間に合わせてくれ、3時過ぎに空港へマイクロバスが到着です
懐かしい顔が座ってます。「おかえりーー」と迎えてくれた幼なじみ
いつものように中学生の時に戻り、皆○○ちゃん!です
今年は32名の参加。ということは約半分の出席かな
卒業後はじめての参加の方もいます。「だ〜れ?」なんて言いながら・・・
”乾杯”は一番遠くからの参加と言うことで私
皆それぞれ本当によく頑張ってます。この会がある度に元気をもらいます
故郷で頑張ってる友は、定年はなく農業に従事しそれぞれが専門の栽培をしてます
2次会3次会・・・・ホテルの一室に集まっての思い出話
悪ガキだったK君は、今でも元気元気。「孫ができたよ」ってかわいい笑顔に(⌒^⌒)bうふっ
「風呂が閉まるよ」と慌ててお風呂へ駆け込み・・・・
《3月8日》
昨夜遅かったため、皆の朝は遅い
朝食時も眠そうに・・・
今日は日本一の吊り橋「九重”夢”大吊り橋」へマイクロバスでかけます
あいにくの曇りでしたが、長さ390m・高さ173mを渡ってきました、秋は紅葉で最高かも
中の一人が高所恐怖症。青い顔をしてついに渡れず・・・・
そのあとは私のリクエストで「榎木孝明美術館」へ
俳優としてもすてきな方ですが、スケッチがまたとっても大好きで、展示の作品は心癒されます
淡い水彩のタッチの絵は本葉にすてきです〜
5つの美術館が並んでいたので、それぞれをのぞいて。ある部屋へ行ってびっくり!
なんとそこには「大野克彦」」さんの美術館も
大野さんは両腕を切断し、義肢で絵やエッセーを書いてる方。以前テレビで拝見して
一度は見たいと思ってたので、本当にラッキーでした
優しい絵と文。何度も出てくる「感謝」「ありがとう」の言葉。感動でした
天気は雨で寒い時でしたが、心はほんわか。暖かい気持になって嬉しかった
思わぬ出会いに感謝です
それぞれ思い出いっぱい、懐かしさいっぱいの二日間は終了
また2年後の再開を約束してお別れしました。次回は名古屋で開催されます
皆に元気をもらい、また”がんばろう”の気持をもらいました
《3月9日》
母へ会いに施設へ出かけました
「帰る」そういうことが多くなったので、私の帰省は伝えてなく「面会ですよ」で始まります
今月から部屋が変わって少し心配しましたが、母は中の皆さんと話をしながら過ごしてました
びっくりしてたようですが、職員さんに「よかったねー」そういわれて嬉しそう
母と外出して叔母(母の妹)のところへ行きました。久しぶりの外出でお腹いっぱい食べてました
母はとにかく食欲旺盛。私の2倍は食べるかなー(笑)。だから元気なのかもしれない
その間に、実家へ戻り、水道・電気をチェックしたら
なんと水道管のの継ぎ手が今年の寒さで水が漏れてます。w(゚_゚)w オオー!、困りました!
今月末にはまた帰省なので、何とか修理をとお隣へ頼んできました
やはり家を空き家にしてると、いろんなところで支障が出てきます。見つかってよかった!
母を施設へ送るとき、母が「帰ろうかな」そういったと叔母と大笑い
母は施設があまり好きじゃないのに・・・ねー
叔母が部屋を見たいとのことで、一緒に行くことにしましたが、その間も叔母の
「もう帰るといわんのよ」って母に何度も念押し。しかし母は笑ってごまかしてた。母の気持もわかるけれど
今は自宅での一人住まいはなかなかできないし・・・
私達が戻る時、母に施設長が「玄関に出て見送ろうね」そういって肩を抱いてくれました
そして看護士さんなど大勢に囲まれた母の姿。母が小さく見えましたが
この中にいる限りきっと大丈夫。そう確信しました
忙しい3日間でしたが友人に会い、母に会い、そして故郷の空気を吸って元気をもらいました
ありがとう!・・・でした
《3月10日》
こうして”ひとりごと”を再開しながら、やっぱり書くことは好き!と思いました
辛いときもこのひとりごとに随分助けられたし、もう少し書こうという気持になりました
書くことで文自身に言い聞かせたり、改めて自分を見つめ直したりの日々でした
母のことですが、施設にお世話になって1年半が過ぎました
半年ぶりに会った母は元気そのもの。ただ「帰りたい」の気持ちは変わらずなので心痛みます
友人達は言います。「今あなたがしてることはぜったい間違いじゃない」と
でも、やはり母の顔を見ると心は迷います。「これでよかったんだろうか・・・」といつも考えます
ぜったいに100%満足はいかない。だったら今できることをするしかない
そう自分に言い聞かせてますが・・・正直難しいです
今の施設の方は本当によくやってくださいます
これが仕事とはいえ、頭が下がります
本人が納得するまで、そしてできる限りの要望は聞きますと話してくれました
それは話の中でしっかりとくみ取れます。感謝しかないで
私はいろんな面でまだまだ元気でいなければいけないのです
そんな中で、最近少しずつ明かりが見え始めたような気がして嬉しい。ほんの少しですが・・・
「明けない夜はない」 「期待しないで希望を持ちましょう」そういわれた言葉が
ようやく少しわかります
明日を信じていきましょう
《3月13日》
「四角い箱を○ちゃんにあげて」そういってたから
「わかった」そういっておいたよ
今朝の夫の話です
じつは昨夜私が寝言を言ったようなんです
でも、それがどんな夢だったのか全く覚えてないんですねー
寝言は自分ではわからない世界だから・・・・怖い。恥ずかしい(~_~;)
しかし誰に何をあげようとしたんだろう。未だに不明
しかし夢には答えない方がいいって聞いたんだけどなー
《3月14日》
ある方の納骨式に出た夫が言います
「俺はお葬式やお墓の概念が変わったな」といいます
その方は無宗教
そして家族が外国へ行ってらっしゃるので、お墓をたたんで納骨堂へ移し
永年供養をお願いしたという。これもいいかなと夫は言います
味気ないと言えばそうですが、これから先は子ども達の負担になりたくない
今わが家には義理の両親が入ってるお墓があります
幸い近くですので、行くことは可能です
しかし、実家のお墓はこれから先どうなるんだろうという危惧もあります
母がとても気にしてることですが、果たして兄が見るだろうか
そして孫の代になればどうなるんだろう
子どもにはいろんなことに縛り付けたくないと思う
自分のこれからのこと、ちょっと考えるこのごろです
《3月16日》
「これは虫歯のお薬なんだよ」そういいながら食べるのがおかしい
お菓子を食べるときに言うYたんの言葉のです
そういえばそうかーと妙に感心するばーばなのです娘が聞いたか怒るだろうなー
子どもの発想って本当におもしろい
「Yはねけいさつさんになって、じーじもスピード出したら捕まえるからね
そしてその捕まえたお金はYたんのおこづかいになるんだよ。だからいっぱい捕まえるの」って
警察→ごみ収集車の運転手→警察に戻った。警察官の夢はこのところ変わらない
果たして警察官になるのでしょうかYタンは??
そしてお小遣いをいっぱいためられるんでしょうか。ばーばは楽しみ〜
《3月19日》
施設へ入所してる母が、相変わらず「迎えに来て」のはがきが届きます
それだけ元気な証拠として安心はするものの、やはり頻繁になると私も辛くなります
決して嫌な思いでいれたわけでもなく、94才の母が一人で暮らすにはもう限界だと
思ったからなのです。叔母も賛成してくれたし・・・
確かに、家で好きなように暮らしてきた母にとって、決められた中での生活は窮屈でしょう
でも、私の気持ちもわかろうとせず、もう自分のことでいっぱいの母
いろんなことを話しても聞き入れません
不満はわかります。でもねー。私の気持もわかって欲しいのよね
今日もはがきが届きました。「早く迎えに来て・・」と
《3月21日》
今日の新聞のエッセーを読みながら・・・・なるほどと
エッセーストの岸本 葉子さんの書かれた物から抜粋です
かって入院したときに、三度の食事が出てくるありがたさを感じた
でも、これは限られた日数だから開放感に浸れるが、これがずーっと続くと辛いかも
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提供側はどれほど努力しても、普段食べ慣れた物と異なる
老後もなるべく施設に入居せず、家で暮らしたいと思うのは、食習慣の問題が大きい
なじんだ食習慣を、できるだけ保ち続けたい
これを読みながら、きっと母も原因は「食」にあるんだなと思った
これは以前から思ってはいました
太りすぎないように、間食が多すぎないように、決まった時間に食べましょう
この決まりことが母には苦痛なんだと思います
もうこの年にになって、好きなものを好きなだけ食べさせて上げたい気もしますが
でも、健康を考えればお任せが安心です
母の気持、わかってはいてもなかなかかなえてあげられない辛さ
私の気持ちは、今の母には通じないと思う
でもいい!。母が元気でいてくれてくれる方がいいから・・・
3月23日〜30日まで故郷へ行きました