辻まこと   (1)    (2)へ (3)へ
      Tsuji Macoto


   1913年(大正2年)~1975年(昭和50年)
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  山歩きに熱中していた時期があった。山旅の楽しさ、喘ぎながら登る山道、花、鳥、遠望の峰々、山懐に抱かれてする幕営。山奥の露天風呂。いっぱしの山男になって、沢登りや高山縦走も味わった。都会にあって「山恋」という気持ちになったこともある。

  そんな時期に、辻まことの作品に出会った。
彼のエッセイとイラストや絵は、山の気をたっぷり含んでいて、私の好みに合った。

 山歩きをしなくなって20年以上になる。
 引っ越しの度に、山の本は書架から消えていったが、彼の本だけは今も残っている。

  もう山歩きの体力はない。時々、辻まことの本を取り出して、山の気を吸う。
 

  
   辻まこと『山からの絵本』創文社
          初版昭和41年、右は51年(6刷)

  彼の本の素晴らしさは、文章もさることながら、挿絵がそれだけで味があり、文章と上手く響き合うのである。
  最初、彼の絵に接したときは、そのイラストはどこか、人工的な線が多いのに気になったが、プロの絵描きとして十分の技量の持ち主だと分かる。挿絵画家と画家の中間位の作風である。

  カラー頁(オフセット印刷)16葉、モノクロ挿絵多数
これらの絵だけ見て想像するのも面白い。勿論文章も面白い、

 目次:(大項目のみ)
  夏の湖
  小屋暮らし
  秋の彷徨
  峠のほとけ
  一人歩けば
  絵はがき三通
  キノコをさがしに行ってクマにおこられた話
  はじめてのスキーツアー
  三つの岩
  けものたち
  白い散歩 
  三本足の狐
  ある山の男
 
     秋の彷徨  「仙人の実験」   ー 同書62頁より

・・・ もっとじっと動かないで ー そうだ、躰がだんだん冷えてきて自分の手足が周囲の樹々の枝や根のようにおもわれてくるまで ―鳥の羽音も、枝のすれ合う音もないこの静寂に同化するときまでじっとしていると、不思議なことに自分が森の一部分であり、天地全体の脈が自分の血液をも支配しているという大きな生命の実感が湧いてくる。すると突然ある香りが自分を包む。なんだか感覚が遠い森の外れまで、いやもっと遠くまでとどき、霞は自分の吐いた息のように見える、
 森の本当の香りは、仙人になって見ないと判らない。


左の絵はこの文章のためのもの。

その下のモノクロの絵は、仲間に飯の用意が出来ていると知らせる旗を描いている。
  小屋ぐらし「メシだぞォー」

辻まことの作品は、ただ、山や森林を描いているのではなく、そこで出会う、人、動物、植物がっ混ざって、一つの自然を作ってい。
 都会から、その自然、その中の自由さを求めてやって来る。
 著者も、そして、読者も。

 山の気は、彼の作品の至る所にあるのだが、そこで出会う人間も山の気を醸している。
 この作品の最後の文「ある山の男」のなかのキンサクという男もそうである。
  短いから、この一篇を読めば、私の言いたいことが分ってもらえると思う。


   2022・4・9
 


  
   辻まこと『山の声』東京新聞出版局 
     初版昭和46年  右のものは昭和53年第二刷

目次

  あてのない絵はがき(5篇)
  多摩川探検隊
  ツブラ小屋のはなし
  けものみち
  ムササビ射ちの夜
  森で
  割箸工場へ
  谷間で失った肖像
  風説について
  一所懸命の人
  長者の婿の宝船
  ずいどう開通
  山の声
  白い道
  引馬峠
  山の歌
  スキー場で
  無法者のはなし
  イヌキのムグ
   あとがき

 
   この本はこんな文章から始まる。

 「小鳥たちの声を聴くと、よくあんなちっぽけなノドから大きな音が出るもんだと感心してしまう。 ・・・
 専門家に言わせると、小鳥は歌っているのではなく叫んでいるので、領有空間の宣言だそうだと、ちょよっとその方のことに詳しい人はすぐ教えてくれる。・・・
一定の目的がなければ行為はあり得ないと考えるのは、いかにもガリ勉人生の優等生の意識だ。
行為があったために何となく目的が生じることだってある。・・・

  鳥居尾根より

  貴方は優等生になっていませんか?
辻まことはそんな世界から私たちを連れ出してくれます。

  山の声の中には、そこに住む人間も含まれます。その人間が、開発などによって変貌する姿も描いて見せ、 「谷間で失った肖像」もそんな作品の一つで、人は山(自然)からr離れると人相も変わります。

 辻まことの魅力は、ただ山歩きが好きなだけでなく、地元の人との交流から、山の気を引き出していることです。
  そして、何よりも、山を歩く自分に向けられている。

自然の中に孤独な自分を置いてみて、さて私はなにをためすためつもりなのだろう。はっきりした考えで山へきたわけではないが、なにかすこしはかり自分で人間を実験してみるつもりがあったように思うのだ。
  「ムササビ射ちの夜」より

  この文でも分るのだが本とタイトルとなっている「山の声」は辻まことの声でもあります。
  「自分の内なる鼓動が、私の足を運ばせて山の方に向かわしめるとき、自覚した目標のはるかに遠い距離から呼ぶ声に本当はさそわれているかも知れない自分を、私はいぶかしく眺めるときがある。
  「山の声」より
 




犬と狸の合いの子はイヌキと呼ぶことにして、そんなイヌキの話が、2話出てきます。

  
    辻まことの作品 (太字は私の持っている本)     

虫類図譜 芳賀書店 1964 のちにちくま文庫 
山からの絵本 創文社 1966
山の声 画文集 東京新聞出版局 1971 のちにちちくま文庫 
山で一泊  辻まこと画文集 創文社 1975.2
  ー---------- 以上が生前に出版。
すぎゆくアダモ 創文社 1976
  ー---------- 以下は第三者による編集もの
辻まことの世界 正続 矢内原伊作編 みすず書房 1977-78 
辻まことの芸術 宇佐見英治編 みすず書房 1979.12
山と森は私に語った 白日社 1980.6
居候にて候 三浦健二朗編 白日社 1980.10

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この他に下記のものを含めて色々あるようだが、未見。

辻まこと全集 みすず書房、

辻まことアンソロジー 未知谷、2011-13年

『遊ぼうよ』2011年
『ひとり歩けば』2011年
『すぎゆくアダモ』2011年
『山中暦日』2012年
『山谷晴天』2013年
 古い本には奥付に著者の印の押された検印紙がついていたものだが、いつの頃から姿を消した。
 辻まことの「検印紙」




辻まことの本は左記のように死後編纂のものが出ているようだが、是非、元版のもので読んで欲しい。