岡 潔 ・山崎弁栄  Topへ
     私は、岡潔のエッセイを、発表の都度に読むという幸運に恵まれた。この人の言説は、数学の深い探求による覚醒(悟り)と芭蕉など日本文化への沈潜によるもので、その目で見ると、戦後の風潮(特に教育)には強い懸念を抱きます。次々と出されたエッセイはその警鐘です。
  一頃その著作は殆ど持っていましたが、引っ越しの時手放し、今は殆どありません。新に買ったり、図書館で借りて再読しています。

人間の建設
無邊光
『春宵十話』
『数学する人生』
  昭和37年(1962)4月15日から26日、毎日新聞に「春良十話」という随筆が連載された。
私は25歳,,社会に出て一年目、その連載を感動しながら読んだ。以降、岡潔の本は出版の都度読んだので、岡潔の同時代的ファンである。
  下記『春宵十話』参照。

  芭蕉への道 へと繋がった。

  2023・3・1
 

  
   小林秀雄・岡潔 『人間の建設』 新潮文庫  2016年13刷

 岡潔の本は、いつも同じことの繰り返しが多いが、それだけに、まともで、かけがえのないものを表しているので、何度読んでも面白いのである。今回も、再購入、再読であるが、やはり面白かった。

 岡潔の思想のバックボーンは「情緒」なのであるが、普通我々の使っている情緒とは異なり、我々の根底に流れている何物かである。それを言葉で表現するのは難しいので、何度も繰り返すことになる。今回は、小林秀雄がそれをかなり引き出しているように思う。

 「科学的知性の限界」の所で、数学が知性の世界だけでは存在しえない。感情の満足が必要と言っているあたりから、情緒の本質に迫る。集合論の実例は面白い。
「人間と人生への無知」の所で、時間は情緒の一種、「本然の感情の同意なしに数学でさえ存在し得ない」
「近代数学と情緒」の項では、数学概論を述べながら、光明主義にもふれ、「懐かしい」という事が話題となる。仏教では本当の記憶は頭の記憶より大きく広がっていると。

 小我、無名、情緒から離れた教育への警鐘

 小林秀雄からは、ゴッホ、アインシュタイン、ベルグソン、トルストイ、ドフトエフスキーの評価、「評論の極意」といった話題が出される。

 対談の最後は「素読教育の必要」性について、互いに共鳴し合って終わる。 意味を孕んだ「すがた」に親しむことの大切さ。

 文庫本の巻末には茂木健一郎の「解説」が付いているが、その中で、「声を出して詠みたい対話」と言っているのは同感である。
 肉声が聞こえる対話だあった。

  2022・12・23

  私の印象では、二人の対談は、すれ違いの雑談だと思うが、この頃、既に小林秀雄は「本居宣長」に取り組んでをり、情緒は「もののあわれ」を連想する、(p82)と述べているが、二人の対話はこの事についても深まっていない。

 2023・3・13

  岡潔はプレーヤーで、小林秀雄は評論家。基本的なスタンスが異なる。読者は観客といったところ。

  2023・3・17

 

『対話 人間の建設』新潮社、1965年。 
『対話 人間の建設 新装版』新潮社、1978年3月
『人間の建設』〈新潮文庫〉新潮社、2010年3月。

岡潔  (1901-1978)
小林秀雄 (1902-1983)



1960年 岡、文化勲章受賞
1962年 毎日新聞に「春宵十話」掲載
1963年 『春宵十話』出版
1965年 小林秀雄との対談

  
      山崎辨栄『無邊光』講談社1969
        まえがき ー 岡 潔

  岡潔が山崎辨栄の光明主義を信奉しているということから買った本だが、難しそうで、書架に半世紀も積読状態であった。今初めて読み始めてみると、驚いたことに読めるのである。
  私自身少し成熟したのではないかと、喜びながら通読したが、すべてが分かったわけではない.。悟りの内容を4つの智として表したもの。
 
  岡潔の「まえがき」は彼が繰り返し話す、脳の話、唯識、芭蕉、発見の喜びなどで、お馴染みのものであった。

  本文大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智の4部に分かれる。
  円智ー観念、 性智―理性、 察智―知力、 作智ー感覚から見た、宇宙で、iいずれも、辨栄上人の悟りの内容を示される。

  初学者が軽々に紹介することは憚れるが、(406頁以降に要約がある。)私個人の次のような問題に、大きく光を当て頂いた。

   大円鏡智では、主観・客観の問題 心と物、 観念と意志

   平等性智では、個、自我の扱い、差別の発生。
             宇宙を貫く「理」

            偏執性、依他起性、円成実性

   妙観察智では感知する力の源自由意志心霊自由
        「内容を啓示する性なり」「弥陀より衆生に智見を与える機能」

   成所作智では、感覚と意識の関係。
        肉眼、天眼、法眼、慧眼、仏眼。

  この本を理解するには、修行が必要。頭では分らない。 
  ただし、オカルト的な要素はなく、科学者と自認している人たちが読んでも矛盾を感じないはず。


巻末ぬ編者による辨栄聖者略伝が付いている。
12歳の時、弥陀三尊を宮中に想見し、21歳出家。以降厳しい修行と勉学と修練の生活がえがかれている。常人には及びもつかない。

山崎 弁栄 (やまざき べんねい、安政6年(1859年)2月20日 - 大正9年(1920年)12月4日 ) 浄土宗の僧侶。明治時代後期から大正時代に浄土宗の社会運動である光明主義運動を行った。光明学園の創設者。
https://www.yamazakibennei-museum.com/bennei-about.html

    2022・12・08
 



《白隠禅師坐禅和讃》より
 「いわんや自ら回向して 直に自性を証すれば・・・
 三昧無碍の空広く 四智円明の月さえん・・・」

この四智が、この本で詳しく説明されている。

  
   
20年

岡潔(1) 『春宵十話』

  芭蕉に関する私の先生は、数学者・岡潔である。岡潔は、芭蕉のことを芥川龍之介に教わったと言っているので、ちょっと変わった系譜である。
芭蕉の「春雨や蓬をのばす草の道」に対して、「万古の雨が降っているでしょう」と言われれば、まさにそのように感じたし、多くのエッセイに、上手に芭蕉を引用されてので、その都度、私は頷いた。
  彼が28歳の時、フランス留学の際にも芭蕉の連句集携えて行くのであるが、その時、五七五、17文字の儚なく小さなものに、芭蕉がどうして全人生を託すことが出来たのかという疑問を抱いている。芭蕉自身は、いろいろ試みたが、「つひに無能無芸にして、ただ此の一筋に繋がる」(笈の小文)と言っているのだが、岡潔がその答えを得たかどうか知らない。
  私の岡潔との出会いは、はっきりしていて、毎日新聞に、彼の「春宵十話」という随筆が連載されていて、強く心を打たれたのが、きっかけである。調べてみると、1962年、私が大学を出て、会社勤めを始めたころである。その後、岡潔の本は、ほとんど読んだし、10冊近く持っていたが、引っ越しの際、ほとんど処分してしまった。
  数学上の世界的な発見を何度もし、文化勲章も得た方であるが、エッセイは、その経験と直観力によるもで、譬えが戦前のものが多いので、今の人からは、忘れられているのではないかと調べてみたら、多く、文庫本となって、生きていることが分かった。懐かしく、『春宵十話』を読み返してみた。
 発見の鋭い喜び、大脳前頭葉、無差別智、情緒・・・この人の本は、絶えず同じことが繰り返され、時には、大脳前頭葉が頂頭葉へと変化するのであるが、最も重要なのは「情緒」である。この情緒は、感情の在り方などといったものとは違い、人間存在の根底にあるなもので、直接言葉では表現できないものであるが、まず、自分の体験を使い、あるひは芭蕉とか、道元とか、仏教用語などで、読者に伝えようとしているのである。
もう、全作品を追う時間はないが、つぎは、数学者の編集になる『数学する人生』を覗いてみようと思う。

 

  
   

岡潔(2)『数学する人生』森田真生編  新潮文庫

  冒頭の「最終講義」は、岡潔の最晩年の、京都産業大学の講義を、編者の手で、まとめられたもので(つまり速記録ではない)、岡潔の思想を概観するのにふさわしい。「懐かしさと喜びの自然学」いう副題を付けている。自分とは何か?生命とは何か?心とは? 情緒の根底に触れると、懐かしさと喜びあると。
  〔京都産業大学の講義については、『情緒の教育』の中にも,1971年10月19日のものが、収録されている。こちらは録音から起こされたようで、岡潔の、天衣無縫の話しぶりがよく写されている。講義のなかで、自分の話を聴こうとしているものは、400人中、2、30人と言っておられるが・・・・〕
  2部「学ぶ日々」では、若き日の3年間のフランス留学時代は生き生きと語られてる。このラテン文化との接触があったればこそ、後の彼の「日本的情緒」への確信へと繋がって行く。
  3部「情緒とはなにか」岡潔の思想の根幹をなす部分であるが、これを要約説明することは難しい。一般に、自然の中に、その一つして、人間もあり、その中に、心もあると思われているが、これは誤りで、心の中に自然もすべてのものがあるとしている。悟りの世界で、私はこれ以上説明しない。
4部「数学と人生」  ミチ夫人の「文化勲章騒動記」を含め、岡潔の日常が髣髴とし「数学する」ことはどういうことかわかって来る。
  編者の序と長いあとがきと魚川祐司の解説がついているので、岡潔入門といったところ。年譜もついているが、どんな著作が何時発刊されたか分らないのは惜しい。
編者、森田真生は、岡潔の死後7年(1985年)生まれの若い方であるが、岡潔に傾倒して、大学で文系から数学へと進路を変えた人である。