エーリヒ・フロム (1) (2)へ Erich Fromm(1900-1980) |
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アドラーを読んでいるうちに、何故か、同時代の、フロムを読みたくなった。 昔、一度、「自由からの逃走」など、齧ったことあるのだが、すっかり忘れていて、今回改めて、The Art of Lovingを取り寄せ、読み始めたら、その、明快な話の運びに吸い込まれてしまった。 流れるような文体なので、全文を読まないと味わえないのだが、 読書の備忘として、私の関心事を、幾つか、メモしながら読み続けることにする。 「精神分析学と禅仏教」 次頁 2024・1・7 |
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The Art of Loving by Erich From 初版は1956年 本書は59周年記念版 Ⅰ Is love an Art? Artには適訳がない。芸術、技術、技巧を含むもので、本書は 愛はアートであるという立場を取る。 愛をたまたま経験する楽しい感覚という見方をしない。 人々はこんな偏見を持っている: 愛を、愛することより、愛させるという面から考える 愛は学ぶべきものでない 対象が問題で、能力の問題ではない。 購買意欲をそそるか否か? 恋に陥ることと、愛の状態であることと区別を知らない。 最初の一歩は、生きることと同様、愛することもアートであることに気付くことである。 アートである限り、理論と実技(practice)が必要で、その2つが一体となっていることで、アートは完璧なものとなる。 さらに、アートの巨匠になるためには、アート以外に重要なものは他にないという、究極の関心事とならなければならない。 以下、理論編が本書の大半を占める。 (以上は下手な要約です。原文6頁。) 愛がアートであることの意味も開示されることであろう。 2024・1・8 |
「愛することの技術」と訳してしまっては、本文の趣旨に反する。 序文に 「愛の簡単な技法(easy instruction)を期待する人には、この本を読んでも失望するだろ。」とある。 |
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Ⅱ The Theory of Love 1.Love, the Answer to the Problem of Human Existence 人間存在の課題への答え 「愛の理論は、人間存在の理論で始めなけれはならない」で始まる。 人間は自然(パラダス)から、離れてしまった。その状態に戻るには、理性を開発し、人間としての新しい調和を探すことである。 理性のお陰で、人は「自分」というものに気付くと、それが、ばらばらの存在(separete entity)であり、生死もままならず、一人ぽっちで、自然や社会の前では、頼りない存在であることが分る。 separatenessが不安を呼び起こす。 罪や恥の感情も起こす。(アダムとイブの例) このseparatenessをいかに克服し、unionを達成し、自己の個人生活を超克し、償いを見出すか、ーこれが、何時の時代でもどんな文化においても、あらゆる人が当面する課題である。 色々な答えがある。宗教や哲学の歴史もその答え。 答えは、個人の個人化の程度にもよる。 幼児の場合、人類の場合、 原始的状態、自然とのつながりを離れるほど、separatenesskからの脱出には、新しい方法が必要となってくる。 この目的のために人がとる方法しては; ①orgiastic states(飲めや歌えの大騒ぎ) 原始的な部族の祭り、セックス、ー不安や罪悪感はない。 個人ー飲酒、ドラッグ、セックス ー不安や罪悪感が残る。 ② グループとその習慣などへの順応(conformity)による結合(union) 群れ(Herd)への順応。 国家、協会、各種グループ。(帰属意識も含まれると思う) 民主制と独裁制とはやり方が異なる。 多くの人は自分自身の意志で順応していると思っている。 異なっていることへの懼れ 差異の消滅と平等性とは関係がある。 皆神の子である。 タルムード、カント・・・ 現代社会では、平等性はonenessよりsamenessである。 男女の性の問題。 ②の方法は、緩やかだけれど、永続性があり、①は②が働くなくなったときに生じるともいえる。 おきまりの仕事と娯楽: 人は「朝9時から夕5時までの人」 nine to fiverになる。 労働者、事務員、マネージャー・・・ 組織の中の決められた仕事をするだけ。 娯楽、読書、観劇、ルーチン化される。 人は、このルーチン化された活動の中で、一度の生を与えられ、希望と失望、哀しみと恐れ、愛への憧れ、無、separatenessの恐怖をどのようにして、忘れるべきであろうか? ③unionへの第三の道は創造的活動(creative activity)である。芸術家または職人(artizan)になる。 自分以外のものと、自分を結び付ける。自分で計画し、作り、結果を見る。 存在問題の唯一の部分解は人と人の結び付きによって、その人間と愛の中に、融け合う(fusion)ことである。 それが人間の最も強い動因であり、根本にある情熱ある。 融合には色々な形がある。 symbiotic union(共生的結合)ー母親と胎児 受け身的ーマゾチズム 能動的ーサディズム 成熟した愛は、個人の統合性を維持した条件下の、結合である。愛におけるパラドックス ー 二つのものが一つになり、しかも、二つのまゝ。 Love is an activity power in man activityの意味 :外的な目的のためにエネルギーを使う。人の生来のお力を行使する。自由の下で、主体的に。 与えることであって、貰うことではない。 与えることは何かをgiving up することではない。 The marketing character/The producive character 後者にとって、givingは能力、生命力の証であって、歓びである。性の領域、物を与える領域、最も重要なのは人間の領域 物質以外のもの:歓び、関心、理解、知識、ユーモア、哀しみ 生きているという自己の感情。 マルクス (ちょっと長い引用) 人や自然に対する関係は、あなたの真に、個人の生命の明確な表現でなくてはならない。 与えることとしての愛に能力は、性格の成熟程度に依存する。 愛の基本的要素: care(気配り、思いやり) responsibility((必要への対応、) respect(ありのまま、独自でかけがえのないものを見る)) knowledge(相手のsecretを知る) 愛は愛する者の命と成長への能動的な関心である。 聖書、ヨナの例。 神を知ることについて、 男女の愛についてー聖書、神話、イスラムの詩人ルーミーの詩。 二極性とその統合。 フロイドの誤り。 性的欲望を愛と合一への欲望と認めない。 フロイド批判と擁護。 2024・1・12 |
Ⅱ部の第1章は、巨視的な人間論で、(私流の乱暴な要約であるが、)人間が知性により「個」の自覚することよって、根源的なものから分離(separate)した存在であり、絶えず、これを克服して、根源的なものへの復帰(union)を求めている。 人間の営為もその観点から理解できる。、愛もそのための能動的な行為であると説く。 やさしい英語ほど日本語に訳すのは難し(art, life, separete etc.) 図書館から翻訳を借り出した。 『愛するということ』鈴木晶訳 新訳版 紀伊国屋書店 1991年 翻訳書を手にするとき、訳者がどんなスタンスで訳したのか、「訳者あとがき」を見るのが楽しみだが、本書は、そっけない。 原文123頁に対して、訳文は訳注を含め209頁。 〇 アドラーが、原単位として、個人indivisualを置き、自己以外のもの、他者への関心の重要性を捉えるのに対して、フロムは、個この自覚から、原初的なものからの分離から、再び復帰をめざす。 つまりAと非Aとの関係なのであるが、西洋では、思惟の出発点として、Aは堅い個人なのである。 近世西洋の思想の原点は、このA,つまり、個人としての人間からスタートする。これがルネッサンスからつづく現代の我々の世界観である。 私の知る、インド、仏教思想は、A,非Aと別れる以前から考察する。 唯識もその例である。 〇本書の発刊の翌年m1957年、メキシコで、 「禅仏教と精神分析学」という国際的なワークショップが開催され、鈴木大拙、フロムも参加し、その一部が本になっている。 Zen Buddhism and Psychoanalysis 翻訳は東京創元社 やがて、この本も読むことになろう。 2024・1・17 |
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2.Love Between Parent and Child 母親はunconditionalと父親はconditionalと愛の違いを述べたもの 3. The objects of Love 多くの人は愛は対象によって作られ、能力、活動、魂の力と思っていないので、正しい対象を探す必要と思っている。 一つの対象のみ固執するのは本当の愛ではない。 しかし、対象によって、愛の型に差異があることを否定するものではない Brotherly Love 兄弟愛 最も基本的な種類。聖書の「自分と同じように隣人を愛せよ。」も同類。根本はみんな核(core)は一つ。困っている人、貧乏人、他所者・・・才能、知性、知識などの差は取るにたらない。 人類は兄弟(とはテキストにはない) Motherly Love 母性愛 上記2に述べた子供の生命、成長への無要件の配慮に加えて、「生きることへの愛」を子供に植え付ける事が大切。「乳と蜜」 成長しつつある子供への母性愛は幼児期とは異なる。 ナルシシズム、所有欲、支配欲から離れたものでなければならない Exiotic Love 異性愛 他の人間と完全に融合したいという願望で、排他性がある。肉体的に結合することによって、孤立を克服しようとする。性欲は愛によって駆り立てられることもあるが、征服欲、虚栄、破壊など烈しい感情とも結びつく。 異性愛が愛と呼べるのは、自分の本質(essence)から、相手の本質を愛する時である。我々は一つ(idential)であると認識すれば、誰を愛するかは問題ではない。愛は意志の行為である。 西洋社会では、愛が自然に生まれ、自分ではコントロールできない感情に突然とらわれるもの、という誤解がある。それも誤りでないのだが・・・ Self Love 自己愛 他人を愛するのは美徳だが、自己を愛するのは罪だという考えがある。利己主義、ナルシシズム。 フロイト説 ーリビドーが自己に向かう自己愛と他に向う愛とは排他的である。ーは間違っている。 自己も人間の一人。 利己主義と自己愛は正反対。 神経症的な「非利己主義」の事例の研究。 エクハルトからの引用 Love of God 神への愛 愛を求める基盤が、分離(separateness)による不安を、合一(union)体験によって克服しようとするものだあるならば、宗教的な愛も同じものである。形は色々ある。 母兼的宗教、父権的宗教 人格神的なものから、正義、真理、愛とといったものの、統一原理の象徴となって行く。 「神」が象徴しているものを、実現したと望むようになる。 有神論的体系、非神学的な神秘主義においては、精神世界が実在すると見る。 西洋ー最高の真理は思考のうちにあると考える。 東洋における宗教的態度は、逆説論理学的、行為により、神との一体化をはかる。 人類の発展過程から、女神ー父なる神ー原理ー神との合一と進み、もはや、神について、象徴的にしか語らなくなる。 2024・1・18 |
〇 愛から直ぐに恋愛を連想し、恋に落ちる(falling in love)と、自己のコントロールを越えて、特定の男女が引き合う状態をイメージする。 この恋愛については本書は深く掘り下げていない。 愛は、あくまでも能動的、意志と決断の行為という側面が、全編に流れている。 〇愛の対象についての記述は各論ごと、さらに展開すべき要素があり、その探求のきっかけになる事柄を多く含む。 特に、神への愛は、宗教史、神学に及ぶもので、簡単な摘要を憚る。 |
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Ⅲ Love and its Disintegration in Contemporary Westaern Society 西洋現代社会において、上述の愛は、次第に減少し、偽物の愛が横行している事を述べる。 人間が部品化、商品化によって、自分からも仲間からも自然からも疎外されている。その救済は、集団への密着、同調により、孤独を回避し、娯楽、買い物などによって、紛らわす。 ハックスレー『すばらしき新世界』が描く。 結婚を「チーム」と見なす風潮、フロイドの影響により、愛を性という観点から見る見方が広がる。 色々な(神経症的な)愛の形について述べる。 母親中心的人格、母親中心人格、偶像崇拝的愛、など。 不幸な結婚への考察もも面白い。 愛とは何であるかを再度述べる。 神への愛も変質、偶像崇拝への退行、 宗教は、自己暗示、精神療法とく組む。 神はいわば、宇宙株式会社の社長 |
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Ⅳ The Rractice of Love practice(実践、練習) 鈴木晶訳では習錬 これを学ぶことが出来るか?愛は自分自身で体験するしかない。処方箋はないか、マスターするには一般的な必要事項はある。 ①discipline規律ーこれが無いと散漫になる。 ②concentration集中ーこれについては詳しい記述がある。 ③patience忍耐 ④spreme concrn with the masterry of the artー②と合わせて、愛する意外に心を散らさない事。 これらの実地での実行 集中するとは「いま、ここ」に生きること。 自分自身に敏感になること。運転の例、母親の子に対する例。自分の身体にいたいする敏感さを、他者にも。 最も大切なことは、成熟した、愛することのできる人間が現前する事により、伝わる。 成熟した人生へのヴィジョンをを喪失すると、文化の伝統はほうかいする。 ナルシシズムの克服。 ナルシシズムの対極は客観性。 精神病者ー自分の作った内的世界を現実と見る。 客観的であるための理性には謙虚さhumilityが必要。 ナルシシズムなどの影響から脱失、再生するには、 「信じる」faithが必要。理に適ったrational信念ーその基本は 生産的であること。 自己自身を信じること。self, core in my personality 他人を信じること。他人の可能性を信じること。赤ちゃんの例。 信念には勇気が必要。勇気は危険を冒す能力、苦痛や失望をも受け入れる覚悟readinessが必要。 愛の実践に当たって、能動的activityであることが必要。 自分の力を生産的productiveに用いなければならない。 愛と普通の世俗的生活とは両立しないのか? 現代の社会の仕組みは自己中心主義的。愛は二次的な現象? 愛が個人的、些末な現象でなく、社会的な減少となるためには、社会構造を変革する必要がある。 人間が愛を実現するには、社会システムに奉仕するのではなく、、人間が最高位に立たなければならない。 社会現象として愛の可能性を信じることは、理に適った信念である。 2023・1・21 |
〇愛が能動的行為である事を前提に、愛の実践についての、幅広く、さまざまな問題を考察している。 いちいち思い当たることがあり、興味深いのだが、最後には社会システムの問題に及び、議論は拡散した感じ。 ***読み終えて*** 〇愛を根源的なものからの分離によって、個としての不安を解消するために、原初的なものへの回帰、統合(union)を求めようとする人間の営みの一つであるという点、愛を能動的な活動と捉える点。大いに共感した。 愛の様相の色々な対象を分けての考察、現在の社会システムでの問題、j実践への配慮、色々と思い当たることが多かった。 〇愛を信じることが、理に適った信念である。と宣言していることに愕いた。 〇 人間の本質、社会の在り方、大きな問題を論じているこの作品は、少々重たかった。 〇愛の総てを論じることは出来ない。 2023・1・22 |
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フロムの結婚 上記のThe Art of Loving(50周年記念版)には、Rainaer Funk著Mrion Hausner Pauk訳の伝記的あとがきが付いている。 これは読み物として面白く、 Love in the life of Erich Fromm は、ユダヤ人両親の一人息子として、その愛を一身にうけ育ったことから、彼の結婚生活に付いて触れていて、フロム理解には優れた記述である。著者は70年代フロムの助手を務めた人。 結婚生活ついては、ネット上にも余り詳しい情報がないので、要点をまとめておきます。 Frieda Reichman 精神科医、11歳年上、結婚、1926~ 2年後から別居生活。フロム、31年 結核でスイスへ、34年アメリカへ移民。 Karen Horney 15歳年上、精神分析家、結婚に至らず、41年関係終わる Henny Gurland 同年齢。フランスからの移民、写真家、44年結婚。 47年ヴェルモントに家立て、犬を飼う。 彼女に難病発生、専心看病。健康のため、メキシコへ転地。病気良くならず、51年自殺。 Annis Freeman 2歳年下。アメリカ人、3人の夫を亡くした未亡人、 53年結婚、彼女のプランで家を建てる。(メキシコ・クエルナバカ) 56-73までここに住む。乳がん発症。85年没。 56年The Art of Loving出版。 本書では、その後の反戦活動、晩年、自己の夢の分析、禅、マインドフルネスの実践、八シズムやエックハルトへの関心を示すほか、日常生活でのフロムの愛の実践について描いている。 2024・1・25 |
〇良い伝記は、作品理解に、深みを益す働きをする。左記もその例。 〇フロムが人生後半、メキシコに居を移した理由も分った。 本書にはPeter D. Kramer のIntroductionが付いて、その中にこんな記述がある。 彼の女性の好みはeclective(折衷的)であったとし、その意味は、年齢、タイプ、人種ど拾い人との関係に触れている。 Karen Horneyとの交際の頃、Katherine Dunham. Martha Grahmとも付き合いなど。 そして最も愛したのは、Annisで、28年間、熱れるな愛を捧げたと記している。 2024・1・17追記 |
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