小林秀雄著 本居宣長 ③41章~
                     の読書摘要
 ①1章~20章
 ②21章~ 40章
 
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  四十一 秋成と宣長との論争 続き

少名毘古那神についての事績について、宣長の妄想と秋成はいう。

宣長の古学の開眼は契沖による。
和漢ともにはかりがたきことおほし。ことに本朝は神国にて、人の代となりても、国史に記する所神異かぞえがたし。ただ仰てこれを信ずべし」(万葉代匠記、巻第一)

ふる物語をみて、今にむかしをなぞらへて、むかしを今になぞらへて、よみならへば、世の有さま、人の心ばへをしり、物の哀をしる」(紫文要領、巻上)

日ノ神の論争。
秋成ー天地内の異邦まで照らすのはおかしいのではないか?
宣長―唐天笠などの天地は皇国の天地と別なるや、
日神と申す御号をいかにせん

歌と物語とは、言語の働きの粋をなすもの

   2023・9・23

  
 
四十二 宣長の「皇国を万国の上に置むとする」「日本魂」に対して、秋成がオランダの地図をもちだし、我が国はいかに小さいかをいう。
これに対して、宣長はそのようなことは誰も知っていることだと取り合わない。

「古学の目」に「古への実マコト」がおのづから映じてきた。
古事記は、「上ッ代の清らかな正実マコトをなむ」を記したものと見る。

   2023・9・24

四十三 神「迦微」という言葉の詳しい吟味。
「あやしさ」
熊沢蕃山の歌
  かれぬべき かれ野の尾花 かれずあるを かれすこそ見め かれぬかぎりは
蕃山の説「その著者に、道徳の学なかリし故に、寓言しよううまであしし、せめて寓言すとも、莊周などのやうに、理を明らかにしたらば、よかるべし、・・・

これに対して宣長は「さかしら」と反論。
彼は、神の物語呈する、分別を超えた趣を、「あはれ」と見て、この外へは、決して出ようとしなかった。

眞淵 「国意考」 儒仏の思想の輸入以前の、わが国固有の姿を存した上代の道を説いた。
老荘に近い。「凡天地の間に生として生けるものは皆虫にあらずや、・・・・」

宣長「くず花」で「かの老荘は、おのづから神の道に似たる事多し、おれかのさかしらを厭て、自然を尊むが故なり。・・・   さて、神の道は、さかしらを厭ひて、自然を立てる道にあらず、もとより神の道のままなる道なり。・・・・

徂徠の老子観

   2023・9・25

四十四 眞淵が没年(明和6年1769)、宣長あてに「人代を尽て、神代をうかが」はんとするに当たり、老極まって、まことに遺恨である旨書き送っている。

眞淵の学問の経歴を少し。
万葉から祝詞へ

齋藤信幸当てに「先年より只今は、皇朝の大道を得たりと覚ゆる事侍り、こは筆頭につくしがたし。・・・」

この頃、宣長は『古事記伝 三之巻』を書き上げていた。

   2023・12・28
3か月ぶりの再開。

四十五 眞淵の考えと追求続く。

ひたぶるに、直く、明く、清く、雄々しき、上ッ代の「一つごころ」

『祝詞考』

皇朝にて神といふは、天地の御霊を本にして、人の霊うぃうひ、又鳥獣草木までも神とす。  (古今集序別考)

眞淵と宣長の差異についてのこの章は難し。

天若日子の挿話。眞淵の解釈に反論。

   2023・12・29