江戸の学問と学び |
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日本が近代化の成功したのは、江戸時代の学問・教育の高さに負うところが大きいのだが、我々はそのことを忘れている。廃仏棄釈や、漢籍教養の否定、など過去を否定することによって、近代化(西洋化)が出来たと思っているので、過去の事を教えないのである。 日本は日本文化の上に、中国文化(特に漢字・古典)を載せ、発展してきて、さらに、西洋文化を取り入れ、近代化を達成してきたのである。 私自身、余りにも江戸時代を無視してきたような気がする。 福沢諭吉 『福翁自伝』 前川勉『江戸の読書会 会読の思想史』 辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』 |
『江戸の本屋さん』 本居宣長 |
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福沢諭吉の若い時の勉強ぶりを見てみる。 『福翁自伝』p15~16 引用。太字:書名、人名 年十四、五歳にして始めて読書に志す根 どうも十四、五になって始めて学ぶのだから甚だきまりが悪い。 所が 左伝通読十一偏その中、塾も二度か三度か れで 白石 2022・8・12 |
左記は福沢諭吉の20歳位の読書歴であるが、 これは、我々が大学に入る前に相当する。 諭吉はその後長崎遊学、緒方塾での蘭学を学ぶことになる。 私は30半ばにやっと論語を読み始めたが、左記の内、書経、世説 春秋左伝は通読するのにもずいぶん時間がかかったが、諭吉は十一回も読んでいるとは! 世説新語何れ読む予定。 |
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前川勉『江戸の読書会 会読の思想史』 平凡社2012 江戸時代の教育、その中で、会読という方法に焦点を当てて、調べた本である。 学習方法として、素読、講釈、会読の中で、特に会読の意義、形態、実情、その推移など資料を示しながら詳しく述べてある。 会読は、自発的な結社であり、対等に、他者とのコミュニケーションができ、独善を防ぎ、楽しい時間が持てる。 学校の先生やサークルを運営している人には、多くの示唆を与えると思うが、余りにも豊富な内容を持つので、読み通すには骨が折れる。 ー------ 読書メモ 第一章 会読の形態と原理 中国・朝鮮のように科挙の制度のない日本では、学問は直接には立身出世に繋がらないのになぜ、多くの人が儒学を学んだのか? 聖人を目指した(修身) いつか政治を担うことを夢見て(経世済民) 「門閥制度」からの自由 会読、共同の読書の楽しさ、 朗読、仲間 三つの学習方法 素読、講釈、会読 素読 7,8歳から14歳 四書、五経丸暗記 テキスト の身体化 「字突き棒」 復唱、暗唱、テスト(句読考試) 講釈 15歳から 山崎闇斎 「道統」の体現者として、 説法に近い 石田梅岩 荻生徂徠の批判 学習用のテキスト p49~50 同一テキストが必要。 大量印刷「江戸の本屋さん」 武士教育の藩校は農民、町人の庶民教育、寺子屋とは別系列。会読はもっぱら藩校 会読の3つの原理 相互コミュニケーション性 対等性 車座, 結社性 自発的集団 期日、場所を決める 様々な結社、田中優子『江戸のネットワーク』 階級からの解放 第二章 会読の創始 伊藤仁斎(1627-1705)五経の会読;同志会(月3回) 会長、講者あり、 「学問はまさに勝心を以って大戒と為すべし」p76 荻生徂徠(1666-1728)の会読 「東を言われて、西について納得する」p82 「自身にわれと合点すること」p85 翻訳のための読書会 「訳社」 月2回、 太宰春台の会読ルール「紫芝園規条」 会読と遊び ホイジンガ、カイヨワの説 ルールと異次元空間 寄合との差 第三章 蘭学と国学 蘭学: オランダ語原書を読むことは、パズルを解くような楽しみがあり、前野良沢、杉田玄白の『解体新書』は有名であるが、洋学を学ぶ者の間では盛んに行われ、英独仏の原書に及んだ 国学:本居宣長(1730-1801)ー易経、史記をはじめ。多くの漢籍の会読に参加している。萬葉集の会読、160回 賀茂真淵(Ⅰ697-1769)古事記会読、 立身出世ではなく、生きた証「名」を残したい。 宣長の自画像、 共同で検証される「発明」=真理の喜び 第四章 藩校と私塾 藩校 276校 (明治2年1869調べ) 属性より実績。 藩校240校の内、70%が輪講、会読実施 藩校は就学を強制。 私塾は自発的、武士以外にも門戸開放 広瀬淡窓(1782-1856)の咸宣園、 三奪法(年齢・学歴・門地を白紙に)月旦評 1801ー1856の入門者、2915人 武士5.5%、僧侶33.7%、 庶民60.8% 奪席会 適塾の会読 オランダ原書の会読、1~6級、各10~ 15人、各組に塾頭、塾監、一等生、月6回 自由・対等の猛勉強、楽しみ 藩校における勉学へのモチベーション 会読 熊本藩校時習館の例:句読斎→蒙養斎→菁莪斎 福岡藩 甘裳館 亀井南冥の私塾蜚英館 南冥の蟄居 寛政異学の禁(寛政2年1790)松平定信、林家の私塾に対tして、朱子学以外(I異学)を禁じた。 初学の徒への基準 昌平坂学問所開校 (1797) 精思 虚心 多くの疏釈本 幕臣以外にも入学可能となった。(1802) 書生領 各藩から優秀な学生の留学先となった p200 内訳あり。 名士たちとの面会、談論 卒業生が各藩の藩校の教授となった。 例:中津藩の白石照山 講釈の講堂型から会読の多数教場型へ 試験制度と世襲制度との衝突 論議と虚心 第五章 会読の変容 藩財政難 人材育成の必要性高まる。 国政を論じることを禁止 会読のメンバーが同志的結社(徒党) 例:薩摩藩 近思録党 金沢藩 黒羽織党 水戸弘道館 会読に藩主斉昭も参加 他に私塾あり(青藍舎、弦斎塾、南町塾など)他藩のものも來る。 福地源一郎(1841-1906)の幕府衰亡論 吉田松陰(1830-59と横議・横行 「書」から「為」へと。草莽崛起 横井小南(1809-69)と公論形成 『近思録』の会読。 「縁を離れて論じあう場」 虚心と平等 中村正直、阪谷朗廬、千秋藤篤。齋藤竹堂、古賀侗庵、・・・ 第六章 会読の終焉 明治初期の会読全盛 慶応義塾でも会読(1868) 「学制」(1873制定)における輪講 以下略 おわりに 人文科学研究所における会読 面白く楽しい 自発的結社 異質な他社との交わり 2022・09・26 |
391頁、学術書であるが、惜しいことに、巻末に 参考文献がない。索引があれば価値が随分上がる。 江戸時代の学問の様子は、私が知らないだけで隋分と調べられている。 下の写真の右端は 武田勘治著 1969年講談社刊 522頁 |
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辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』2021 この本は、江戸の学びの世界を概観できる、優れた思想史である。 闇斎、仁斎、徂徠、益軒、梅岩、宣長、篤胤などの代表的な思想家を取り上げ、その学問的雰囲気や思想の根幹となる所を分かり易く述べている。 彼らがどのようなメディアを通じ、思考形成し、また、発信したのか視点をからましている。素読、会読、講釈、出版・・・一口に言うと知の<身体性>であるが、メディア革命の渦中に我々が、それを取り戻すことを期待している。 以下:備忘メモ 序章;唐木順三の説を引いて、鴎外、漱石など「明治第一世代」は四書五経の素読の経験者で、「形式と型と規範」を持つのに対して、次の「大正教養派」は「自らの内省的な中心」としていて、型を喪失している。 翻って学校教育はどうであったろうかを概観する。 知の身体性、アジア思想伝統の欠落。 江戸時代の思想をメディアの視点からも問う。 第一章:「教育社会」の成立と儒学の学び 手習塾(寺子屋) 商業出版、和刻本、訓読体漢文 第二章:明代朱子学と山崎闇斎 朱子学、四書学の受容から体認自得 次々出される訓読テキスト。様々な訓点本。 禅との対抗「体認自得」 他者との関係性を重視、「敬」 幕藩領主への影響力、 激しい口調の講釈、門人6000人。 講釈 ー 知のメディア 第三章:伊藤仁斎と荻生徂徠 伊藤仁斎(1627-1705) 朱子学(闇斎)を乗り越える。 会読 ―同志会の尊重、会の後、酒席 論語空間の発見 「最上至極宇宙第一論語」 体験的没入。 「人倫日用」 孝悌忠信 浅見絧けい斎の批判 荻生徂徠(1666-1738) 31歳の時、柳澤吉保に仕える。 政権中枢に居たことのある儒者 『蘐けん園随筆』 『訳文筌低蹄』 講釈十害論 白話体の『大学諺解』で学ぶ。 従来の訓読法で自力で読めるようになったら、:」「訓点本から無点本(白文)に切り替える。「体格」を理解する。看書 「道」のパラダイム転換 ーー道とは「先王の道」 礼・楽・刑・政。五経重視。古文辞学 「塾習」 会読、輪講も重んじる。。 第四章:貝原益軒 (1630-1714)のメディア戦略 独学自習、14歳から学ぶ。 福岡藩の藩儒、7年間京都、 多くの人的ネットワーク形成 「理」を追及する朱子学者、経学の著作は少ない。 「民生日用」 役に立つこと、「術」の学 天地につかえる思想、 自然界まで探求の対象とした 儒者はない。 {礼}身体技法。 『益軒十訓』『大和俗訓』 読み書きそろばんの域を超えた教養としての読書 商業出版に対応。 第五章:石田梅岩と石門心学 石田梅岩(1685-1744) 20年 呉服商の奉公人、読書と耳学問 開悟り体験 人の道は「孝悌忠信」 45歳公開講釈 文字への不信、声の復権 会輔席、月次会、弟子たちとの共同研究ー『都鄙問答』 後継者・手島堵庵(1718-1786) 石門心学の組織化と普及 各地に施設(会輔席のため) 最盛期180余り。 道話のは発明。開悟「体験知」それを誘うための語り。 柴田鳩翁(1783-1839)道話 寛政の改革、松平定信ら石田心学に近づく。 第六章:本居宣長と平田篤胤 本居宣長(1730-) 医者になるため京都遊学1752から5年半 「在京旅日記」1856を境に和文体へ 生涯、和歌1万首以上。 漢字は借り物。やまとことばを求めて「古事記」へ 「物の哀をしる。 歌会 詠歌 声の共同性。身体を持った声。 出版も盛ん、よく売れた。 平田篤胤(1776-1842) 宣長の影響、「没後の門人」 死後の霊魂の行方。外憂内患 人々の心の落ち着きどころ求める。 服部中庸の『三大考』を前提に、『霊能真柱』 神職支配の吉田家と白川家 共に篤胤へ接近 精力的な講釈、出版 『古史成文』『古史伝』 俗信、祭礼の取り込み。『仙境異聞』 門人500人、幕末には4000人 尊王攘夷の一翼を担う。 終章:江戸の学びとその行方 江戸期の学びの伝統は思想の近代にいかなる意味があったか? 明六社(1873) 森有礼社長、洋行経験者の知識人 一種の学会、演説内容を「明六雑誌」へ。3200部 中村敬宇(1832-1892)ロンドン滞在中、漢籍の素読を日課。漢学の素養ある方が、英学で伸びが早いい。 漢学廃止に反対。 中江兆民(1847-1902) 留学後、漢学を学びなおす。ルソーの『社会契約論』を漢文で翻訳。 自己形成の拠り所 素読「己をむなしくする体験」 「身体化」「礼」 「道の追及」「天地の理」 「型」の喪失したひ弱なった近代的自己「個性」 これらを受け継いだ学校教育、ラジオ、テレビは出版文化を共存していたが・・・近代の終焉。 インターネットの急速な発展、知の<外部化> パンデミックの身体性の疎外。 江戸の学びとその身体性が呼び戻されることを期待する。 2022・10・9 |
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