中国の歴史(3)      (1)へ (2)へ  Topへ
   中国の歴史書の古典は「左国史漢」と言われる。即ち、「春秋左氏伝」「国語」「史記」「漢書」で、「国語」は未読だが、他の3書は一通り読んだ。特に「史記」は我が最大の古典、5指に入る。その後の2000年の中国の歴史については、無関心に過ぎてきたが、コロナ禍の巣篭もりで、テレビで中国歴史ドラマを見るのをきっかけに、歴史熱が湧いてきた。そして、宮崎市定先生が良き先達となっている。

宮崎市定『中国史 上下
宮崎市定『東風西雅抄
宮崎市定『遊心譜
宮崎市定『中国に学ぶ
宮崎市定『西アジア遊記』 NEW
 

  
   宮崎史学

  私が宮崎市定の著作を愛するのは、何と言っても、分かりやすく、面白いということである。
  時には、小説家張りに、細部を描いて見せるし、それでいて、単なる事実を書くのではなく、歴史家としてのものの見方を示しているからである。
  一口に言うと「血が通っている」のである。
  「歴史学はどこまでも事実の理論の学問」(『中国史 上』p6) 抽象語(例えば、律令国家)が独り歩きするのを戒めるのである。

  大きな視野に立った歴史を鳥瞰できるし、細部にも目を向ける。
その知識は、並みの読書人の何百倍と思われる程である。

  「読者に興味をもって読ませるためには、著者がその問題に興味をもつばかりなく、書くこと自身に興味をもって語るのでなければならない。それは、教室での講義でも同じことで、話す方が興味をもって語るのでなければ、聞く方が退屈するのは当たり前である。」『東風西雅抄』岩波現代文庫136頁、「概説と同時代史」

  こんな著者の本が、面白くないはずがない。

  2021・3・9
 

  
   宮崎市定『中国史 上下』 岩波全書(今は岩波文庫)

  著者70代後半の、宮崎史学の総集編ともいうべき書である。長年の研究の中で、頭に残ったことを、類書や自分の概説書も参考にせず、もっぱら、記憶の中から吐き出したものである。

上巻:総論では、歴史とは何かから始まり、古代・中世・近世・最近世という時代区分論で、各時代を鳥瞰する。東洋、西アジア、ヨーロッパの3地域に分けて論じ、世界史略年表で視覚化して見せる。 
  歴史家は権力と独立していなけれはならないという。
凡そ一つの職業を選ぶには、最小限の覚悟がいる。昔から歴史家は筆を曲げてはならぬことが要求されてきた。」(同書26頁)

第一篇:古代史(三代~後漢)  第二篇:中世史(三国~五代)

下巻:第三篇:近世史(北宋・遼~清) 第四篇:最近世史(中華民国、国民政府、人品共和国)

参考文献解説:これは、本文に対応する本人の著作の紹介で、宮崎史学を深めるのに、大変役立つ。例えば、最近世史の著者の考えをもう少し知りたいと思うと『東風西雅』に幾つかの論文があることが分かる。
歴代王朝の領土を示す面白い地図も付いている。

  この本は、少し中国史に馴染んだ人が、この大歴史家がその時代をどう要約しているか、見るのに適している。

本書は中国語、韓国語にほ翻訳されて、外国でも読まれているという。

   2021・3・10
 

  
   宮崎市定『東風西雅抄』岩波現代文庫

最近世史の宮崎市定の考えは、この本のⅢ新中国への視角に次の論文が収録されている。( )は初出の年号
   「人民共和国の前途」  (1949)
   「歴史からみたチベット国境問題」 (1959)
   「文化大革命の教訓」  (1968)
   「最近の中国国際関係の見方」  (1972)
   「批林批孔の歴史的背景」  (1974)
50年も前の時事評論であるが、背後にある、官僚主義の弊害、人口問題、領土問題、中ソ確執の背景など歴史家の目が光る。

本書の冒頭は;
横光利一と歴史」 〔1976)は1936年著者がフランス留学のための渡航の箱根丸で、同船の横光利一と親しくなったことやパリで再会す話などから始まる。後に横光の『旅愁』の中に、その航海の様子などが借景として利用されていることご知って読むのだが、そこに出てくる青年が歴史専攻となっていて、自分のことを指しているように思えると言う話である。

その後に、当時の洋行者の心理を取り上げた幾つかのエッセイが続く。

随筆集らしい軽い文も集められていて、何処を読んでも面白い。  

   2021・3・10

最初は拾い読みのつもりが、面白く全頁通読した。

 「太平洋の奴隷貿易」「オリエント・過去・現在」 「日本の東方史学」なと纏まった論考もあるし、京大東洋学の学風を作った先輩学者の姿の伝える文章も面白かった。その他、短文のエッセイ、皆面白かった。特に「色即是空」「心即理」など。

  2021・3・19
 

  
   宮崎市定『遊心譜』中公文庫 (1995)

後から読んだ。
  「Ⅵ自伝」は所謂「私の履歴書」のようなものでなく、学生時代の内藤湖南宅での会合、中国視察、フランス留学などの出来事を、新聞などの寄稿文を年代の古いものから載せたものである。

  「Ⅴ師友」羽田享先生を始め、関係のあった人々の著作へ序文などを集めたものである。「矢野仁一先生のこと」では九十九歳まで研究を続けられた先生の長寿法に触れる。この話は「Ⅰ連関」の冒頭にも出てくる。

 「Ⅳ学会」師友よりやや学問の領域に踏み込んだ文が収められちいる。「波多野宗教学受講記」は後の先生の歴史学に影響をを与えたことが分かるし、「『東洋史史研究総目録』序」は東洋史研究会の成り立ちに詳しい。
 「Ⅲ国際」主として中国、ソ連の外交問題を、雍正帝の辺境地への態度などを上げ、史家の眼で論じている。領土問題が核心で、30年前の提言は現在でも十分通用する。この編だけでも読む価値がある。

 「Ⅱ遊心」 「Ⅰ連関」 この2編は、短い雑文でどれも面白いが、特に、手持ちの書から19の文字を取り上げ、その書影を掲げてのエッセイは文人宮崎市定の一面を知ることが出来た。

 「自序」は宮崎の絶筆となったと、いつもなら礪波 護(となみ まもる)の解説が素晴らしい。

  宮崎市定の随筆集(5冊)
 『中国に学ぶ』1971
 『木米と永翁』1975
 『東風西雅』1978
 『独吟抄』1986
 『遊心譜』1995

   2021・3・29
 

  
   宮崎市定『中国に学ぶ』中公文庫(1971)


著者の古希の時に編まれた随筆集。巻頭に著者に寄せられたお祝いの詩と巻末にその解説がついている。

どの1篇も面白いのが、特に、再読したいものを記しておきます。
中国人の歴史観」これはある意味で史書入門、「中国思想の本質」は中庸を中核に据える。「中国の農民運動」は太平天国などを例にとり分かりやすい。

中国商人気質」「中国の人物と日本の人物」は人物のスケール比較。

論語の学而第一」は「君子」の新しい解釈。実は私は宮崎史学に触れる前にこの人の『論語の新研究』を読んており、懐かしくなって取り出すと、1993年1月17日読了と書かれたあった。そのころまでは漢籍を楽しんでいたことが分かる。この一文は宮崎論語の格好の入門書

文化大革命の歴史的意義」は1968年の講演録で、問題を中国の歴史を貫く官僚制の問題と見ている。半世紀まえのものであるが、現在でも読むに値する。

Ⅵ 中国と欧米」中国のシナ趣味のことも書いてあるが、客員教授として、フランス、ドイツ、アメリカに駐在した時の記事が面白い。こんなことを書ける人は稀である。

Ⅶ師友を偲ぶ」では、内藤湖南、桑原隲蔵、矢野仁一、バラジ、安部健夫が収めれれており、師友への敬愛の想いが伝わってくる。特に内藤湖南は詳しく、博士の学説の真髄を伝えていて、湖南を読みたくなる。

   2021・4・6
 

  
  宮崎市定『西アジア遊記』(中公文庫)


   「1937年の秋、私は留学先のフランスから、はるばる中東へ向かって旅立ち、バルカン、トルコを経て知り合レバノン、パレスチナ、イラク、さてはエジプトと1ヵ月半ほどの単身で遍歴し、再びパリに舞い戻った。」(同書244頁)

  これが第一部の概要です。もし、あなたが海外の一人旅をした経験があるなら、とても面白いもので、今から85年も前の旅行記ですが、決して色あせたものではありません。著者35歳の若さをそのまま記録に残しています。彼は、英語、フラン語が出来、ドイツ語、アラビヤ語も少し話すことができたと思われるますが、治安の未知の国での一人旅はまさに冒険です。
  宮崎史学のバックボーンとして、このような胆力と才覚があることを忘れてはならないと思います。
  著者が撮影したと思われる写真が挿入されているが、文庫版のせいか、質が悪いのが残念です。旅装についても詳しく知りたかった。

  第二部は西アジアの歴史ですが、歴史上、シリアを中心として、西アジアが持つ大きな役割を映し出したものです。これは宮崎史学の西アジア重視の核となっている文章だと思います。歴史だけが興味がある方は、第二部だけを読んでも面白いと思います。
  ただし、原書は1944年発刊のもので、その後、この地域の大きな変化については、触れていない。

   この本は入院中読んだ2冊目の本です。

      2021・7・13
 


1937年著者の旅行コース