「甘え」と祈り 1 「甘え」と祈り 2へ 「甘え」と祈り 3へ | Topへ | |
「甘え」⇒「祈り」⇒「我と汝」へと進んでゆきます。 | ||
|
||
土居健郎『甘えの構造』弘文堂 1971(左)増補普及版 2007 (右) |
||
|
||
土居健郎『「甘え」の構造』続き この本は英、仏、独、伊、韓に翻訳され、海外にも反響を呼んだようだが、例えば、李御寧『「縮み」志向の日本人』1982では:「甘え」は日本語特有のものではなく、韓国にも同様の言葉もあり、土居健郎の視点が西欧対日本と狭いもので、東洋全般の視点も必要という。 |
||
|
||
「甘え」と祈り 土居健郎『「甘え」の構造』で私が最も刺激を受けたのは、いわゆる、文化人類学的な「日本人論」ではなかった。この本でも論じているが、もっと人間の本質、そして、宗教の分野へと導いていった。「甘え」は母と子と間に成立する依存関係を原型としていることは間違いないが、その底にあるのは、「愛」である。この愛の基盤のないところに甘えは発生しない。意識、無意識に、このことを確認しているのが「甘え」だと思うのである。それが拡大し、家族、所属グループへと広がっていくのであるが、その最大のものとして、私は、宗教に及ぶと考えるのである。それは神(創造者)への甘えではないか?特に「祈り」がその甘えを表しているのではないかと思うのである。精神科医の著者が、「甘え」の幼児的側面を否定的、消極的にとらえるのではなく、肯定的な面も捉えているのは、治療家としての経験にも裏付けられているのであろうが、深く人間(生きもの)の本質を見通しているようにも思える。 |
||
|
||
「甘え」と祈り(2) 「甘え」を「愛」の確認、要求だとし、「祈り」は神(創造者)への甘えであると私は理解した。これによって、さまざまな展開が可能で、その先は自分で思索を続ければよいのだが、「甘え」の元祖・土居健郎先生のお考えをまずお聞きするのが礼儀であろう。図書館から2冊借り出して読んだ。その一つ; |
||
|
||
「甘え」と祈り (3) ◎土居健郎『信仰と「甘え」』増補版 春秋社1992 なお、本書は次のようなテーマを含む。 |
||
つづく | ||