声を聞かせて

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3 逢瀬                       
 
 僕は朝から、ずうっとひとつのことを考えていた。
 今日は火曜日。あいつに指定された日。
 あいつは来いとは言わなかった。待っているとも言わなかった。ただ、あそこにいるから、そう言っただけ。それって、選択権は僕にあるっていうことなんだろうか。この先どうするかは、自分で選べっていうことなんだろうか。
 もし僕が今日行かなかったら、あいつはどうするんだろう。奴は僕の名前も、僕の学校も知っている。だからその気にさえなれば、簡単に僕を見つけられるはずだ。この間みたいに電車でだって待ち伏せられるだろう。
 でも、はたして奴がそうまでするのかどうか、僕にはわからなかった。もしあっさり諦められたら、僕とあいつとの関係はそれっきりだ。たった一度のセックスだけで終わってしまう、それだけのもの。
 僕はそれが怖かった。もう一度あいつに会いたかった。どうしてなんて自分にもわからない。体が目当てなんじゃない。でも心が何を望んでるかなんて、僕だってわからないんだ。ただ逢いたいと思う気持ちだけ。
 僕が朝から何度目かの溜め息をついていると、悟が寄ってきて不思議そうに尋ねた。
「なんだよ、元気ないな、夕日」
 僕はちらりと見上げて、また目を伏せた。
「そう? 別に何にもないよ」
 突っ放すようにそう応えると、悟は呆れたように肩をすくめた。
「なに先手うってんだよ。言いたくないことなら、べつに聞かないぜ、俺。具合でも悪いのかなって、ちょっと心配になっただけじゃないか」
 少し怒ったように眉をしかめる。僕は自分勝手に拒絶したことに、素直に申し訳なく感じて謝罪した。
「ごめん。ちょっとイライラしてた。悪い」
 うなだれていると、悟は僕の前の席に座って、心配そうに顔を覗き込んだ。
「無理には聞かないけどさ、悩んでんなら話すと楽になるってこともあるぜ。俺じゃ頼りになんない?」
 僕は彼の顔を見て、力無く笑った。
「そんなことないよ。悟は誰よりも頼りになるよ。……でも、そういう問題じゃないんだ。ごめん、話せなくて」
 悟はしばらく心配そうな眼差しを向けていたが、優しく笑って、子供をなだめるように僕の頭を撫でた。
「無理に聞かないっていってるだろ? ただおまえって、何でも独りで抱え込むたちだからさ。気になったんだ。あんまり頑張りすぎるなよな」
「頑張ってないよ、なんにも」
 僕は笑みを返して応えた。なにかを頑張る以前の問題なのだ。最初の一歩を踏みだすかどうかで迷っているのだから。
 でもその一歩は、きっととても重いものだろう。この先僕の生きる道を変えてしまいそうなほど、重大な気がする。そしてその道の先に、あいつがいるのだ。名前すら知らない、あの男が。
 思わずまた溜め息が漏れた。悟が心配そうに見ていたけど、何も聞かなかった。
 放課後、僕はあの駅のホームで、独りたたずんでいた。時間は五時ちょうどだ。随分悩んで、随分いろいろと考えたけど、結局僕の中に出た結論は、あいつにもう一度逢いたい、それだけだった。
 もう一度会って、それでこの先どうするか決めよう。二度が三度になるのか、それとももうこれっきりで終わるのか、あいつに会えば答えは出る。そんな気がした。
 あのトイレの前に行くと、この間と同じように、あいつは片手にメットをさげて壁にもたれて立っていた。長い髪がしだれかかって、綺麗な顔を隠してる。きりっと硬く結んだ口許だけが見える。
 僕は彼の姿を目にした途端、心がぎゅっと締めつけられた。逢いたかったんだとつくづく実感した。この感情はなに? どうしてこんなにこいつのことが頭から離れないんだろう? まだ今日で二回目なのに、心が求めてやまない。なぜ?
 僕が声もかけずにじっと見つめていると、あいつが視線を感じたのか顔をあげて僕を見つけた。その瞳が、少しだけ嬉しそうに見えたのは僕の気のせいだろうか。
 あいつは何も言わずに僕の横をすり抜け、外へと向かった。僕は黙って後をついていった。この前とまったく同じだ。ただひとつ違ってるのは、今度は確かに僕の意志できたということだった。
 またあのマンションに僕らは行った。着くと同時に、彼は玄関先で僕を引き寄せ、口づけしてきた。
 今度は僕も抗わなかった。彼の背に手を回して、力一杯抱きしめた。押し入ってくる舌に、自分から絡めていく。彼の手が僕の髪をかき乱す。僕の心をかき乱す。
 その日、僕らは狂ったように互いを求めあった。
 服を脱ぐのすらもどかしかった。シャワーも浴びずに、僕は自分から彼に抱きついて、唇を求めた。
 熱く激しいキス。頭の芯がくらくらする。それだけで荒く早まる息を抑えて、すがりつくように僕はあいつの舌に応えた。
 彼の手が僕のあそこを探り当てて、優しく愛撫してくる。もうそれだけでイッてしまいそうなほど僕は感じた。
 必死に引き止める僕の舌を残して、あいつは唇を離した。解放されると、自分でも恥ずかしくなるほど次から次へと声が漏れた。
「あ、ああ、ん、やぁ……、ああ」
 あいつは触れるほど間近でじっと僕の顔を見つめながら、手であそこへの愛撫を続けた。強く、優しく、僕を自由に翻弄する。あそこの先から熱い液体がとろとろと流れだしていた。彼はそれをたっぷりと手に絡めて、巧みな指使いで僕のものを弄んだ。
 僕は狂うほど感じながら、彼の視線に身を切られるような羞恥を感じて、途切れ途切れに訴えた。
「い、いや。やだ、見ないで。恥ずかしい……」
 でも彼はそんな僕の願いなどきいてはくれなかった。じっと熱い眼差しを注ぎ、空いているもう片方の手で、汗で濡れて額にまとわりついた僕の髪を、優しくかきあげてくれた。
 きっと時間にすると、ものの十分もたっていなかったんじゃないだろうか。だけど僕は彼の手とその視線にすっかり高まってしまって、もう今にもイッてしまいそうだった。
「あ、あ、やだ、いっちゃいそう。どうしよう……」
 僕が情けなく喘ぐと、彼は少しおかしそうな口調で応えた。
「いいぜ、いっても。我慢するなよ」
「だって……、ん、あ、は、恥ずかしい。見るなよ……」
「だめ。イクとこ見たい」
 あいつはぶっきらぼうにそう言った。まるで情け容赦無い。僕はせめてもの救いを求めて、ぎゅっと固く自分の目を閉じ、あいつの視線から逃れた。
 ドクンドクンと脈打ってるそれを感じたのだろう。彼はいっそう強く激しく愛撫してきた。僕の肉体はあっさりと白旗をあげて降参した。
「あ、あああっ!」
 あいつに見つめられたまま僕はイった。息が出来ないほど感じてしまう。びくんびくんと体が震えて、僕は余りの快感に恐ろしくなって、彼の胸にすがりついた。
 しばらくの間、そのまま身動きできなかった。自分がどうにかなってしまった感じがして、襲ってくる快楽の余波に僕は震えていた。奴は黙ってそんな僕を受け止めていてくれた。
 どうにか深く息をつけるようになった頃、彼はそっと僕の頬に口づけた。まるで小鳥みたいに柔らかくついばむ。それは情けなく彼にその瞬間を見られて恥ずかしがってる僕の心を、優しくときほぐしてくれた。
 そう、こいつは時々凄く優しい。なんにも甘い言葉なんて言わないけど、僕はその優しさにすっかり酔わされてしまう。愛されているような錯覚さえしてしまう。バカな僕。そんなわけないのに……。
 僕は荒い息が収まるのを待って、すがりついていた彼の胸から離れた。そして、そのまま奴の下半身のほうへと擦り下がっていった。あいつが戸惑うように呟いた。
「おい、なにを……」
 僕は顔をあげて答えた。
「舐めてやるよ。僕、独りでいっちゃったから」
 あいつのびっくりした表情を見ながら、僕は自嘲的に言い訳した。
「あんまり、うまくないかもしれないけど。二・三回しかしたことないから」
 そして僕は彼に返答の間を与えずに、彼のものを手にとって唇を押し当てた。ぴくんと彼と彼のものが震える。僕の手の中でそれは見る間に大きくなってきた。何度かキスして、それからすっぽりと口の中にくわえこんだ。
 彼に言ったとおり、あまり経験はないのだ。先輩のを少ししてみただけ。それだって最後までイカせたわけじゃない。でも彼を感じさせたいという気持ちだけは強くて、それだけを思いながら、僕は必死になって奉仕した。
 舌で舐めたり、唇で扱いたり、思いつくかぎりのことをやった。僕は自分の口の中で、あいつのものがすっかり硬くなっていくのを感じて嬉しかった。
 感じさせてあげたい。僕があいつから受けた快楽の、何分の一にも満たないかもしれないけど、彼をいかせて満足させたい。こいつの……喜ぶ顔が見たい。
 そんな思いを抱いて、僕は一生懸命愛撫を続けた。あいつのものが脈打ってるのを感じる。このまま口でいかれてもかまわないと本気で考えてたのに、あいつは冷たくそれを拒否した。
「もういい。離せ」
 僕はわずかに口を開き、首を小さく左右に振ってくぐもった声で応えた。
「やだ。やめたくない」
「だめだ。いっちまう」
「いってよ、このまま」
「いやだ。おまえの中でいく」
 それは強烈なキーワードだった。僕の意志を根こそぎひっくり返す。僕が抵抗する気力を失って口を離すと、あいつは僕の腕を引っ張って、ベッドに押し倒した。仰向けに寝ころがった足を高く持ち上げられ、つながる部分があらわになる。奴の視線をそこに感じ、僕は恥ずかしくて両腕で顔を隠した。
 生温かい何かが触れた。それがあいつの舌だとわかると、羞恥と興奮は倍増した。
 そんなところも舐められて感じるのだ。くすぐったいけど、ぞくぞくした。体の奥から何かが沸き上がってくる。耐えきれないもの、全身を震わせるような快感だった。
「ん、ん……! あ、あん。いや……だ、やめ、て……」
 襲い来る快楽の化け物が怖くて、僕は必死に上に逃がれた。自分という生き物がこんなに淫乱であさましいものだったなんて、知らなかった。
 奴の舌が追ってくる。逃げる僕を捕らえて、いっそう激しく刺激してくる。僕は感極まって嗚咽を漏らした。涙がぽろぽろと溢れ落ちた。
 どうして泣いちゃうんだろう。何だか凄く情けなくて、それに……淫らな気がする。感じて泣くなんて信じられない。こんなの絶対に変だよ……。
 奴があそこから口を離して、じっと僕を見つめた。不思議そうな瞳の色だ。この間とは違って、痛みや嫌悪で僕が泣いているとは、彼も思わないだろう。きっと凄く変に思ってるに違いない。きっと凄く呆れてる。
 でもあいつは、バカにしたり笑ったりしなかった。そっと唇を寄せて、僕にキスした。何度も何度も、まるで小鳥がついばむみたいに、優しく口づけてくれた。僕は彼の首に両腕を絡ませて、その体を引き寄せた。触れ合う肌が熱い。じっとりと汗ばんでいる。
 彼の胸の中で、僕は本当に幸せだった。肉体の快楽じゃないんだ。もっと別なものが僕をどうしようもなく心地よくさせる。だから彼が入ってきて凄く痛かったけど、絶対悲鳴をあげたくなかった。
「ん……!」
 僕は必死に声を押し殺して唇を噛んだ。涙がにじんで溢れだす。慣れていないそこは、やっぱり物凄く痛かった。ともすれば逃げだしてしまいそうになるのを、必死の思いで耐えて彼に強くすがりついた。
 あいつが僕の中をかき乱す。彼の荒い息が耳元に聞こえてきた。感じてるんだ、そう思うと、とても嬉しかった。
 そのうち痛みの中に別の感覚が少しづつ生まれはじめた。お互いの体でこすれあって刺激されてるあそこが気持ちいいのかと思ったけど、でもそれだけじゃないみたいだ。奴とつながってる部分と、それにかき乱されてる中が感じてる。不思議な感覚。例えようもない。快感よりは痛みのほうが遙かに大きいけど、でもそれは身のうちを震え上がらせるような感覚だった。
「ん……はあ、ああ……あっあ、ん」
 唇から喘ぎ声が漏れた。なんだか、変だ。なんか怖い。このままずっとされてたら、おかしくなってしまいそう……。
 でも僕はもう、この快感から逃げられなかった。どこまでも果てし無く落ちていく自分を感じながら、未知のなにかを求める欲望を止められなかった。僕はぎゅっと奴の背中にしがみついた。
 でも、幸か不幸か、その知らない何かを知る前に、彼が僕の中に精を放った。小さいうめき声が聞こえたかと思うと、じんと体の奥が熱くなった。あいつは思いっきり強く僕を抱きしめた。
 あいつがイった瞬間、僕も少しだけイって、ちょっとびっくりした。射精するほど感じてなかったはずなのに。でも奴が果てて、その事実に僕は凄く感じたのだ。精神的エクスタシーっていうんだろうか。彼がイっただけで満足してしまった。なんか、そんな自分が不思議な気がした。
 あいつは長い間僕の上で身動きひとつせず、荒い息を整えていたが、やがてゆっくりと体を起こすと、体の下の僕をじっと見下ろした。相変わらずの無表情。無愛想もいいところだ。満足してるのかどうかさえわからない。
 彼はしばらく無言で見つめていたが、そのうち傍らに座りなおして、サイドテーブルにおいてあった煙草を吸いはじめた。慣れた手付きで一本取りだし、火を付けて深く吸い込む。あいつの吐いた白い煙が、部屋の中に充満した。
 あいつは一言も喋らなかった。いいとも悪いとも言わない。表情にも現さないので、僕はあいつの機嫌をどうにも伺うことが出来なかった。何も言わずに煙草をふかしている姿を見てると、話しかけるのもためらわれた。
 先程までの甘い幸福感が微塵に消えていく。僕はとても寂しくなった。
 結局、こいつにとっての僕は、ただのセックスの相手にすぎないのだ。終わってしまったら、それでお終い。会話を交わす価値さえ無い。何も話す必要のない相手……。
 目頭がじわっと熱くなった。僕は慌てて溢れてきた涙をシーツで拭った。
 こんなに冷たくされてるのに、また逢いたいと思ってる僕。終わった瞬間から、次のセックスのことを考えてる僕。なんてバカみたいなんだろう。思いっきり一人相撲だ。こいつに会えば答えが出ると思っていたのに、逢う前と何にも変わらないじゃないか
 こいつに逢いたい、逢って傍にいたい。確かなのはその気持ちだけ。この先どうしたらいいのかも、どうすべきなのかもわからない。ましてや、奴の気持ちなんて全然わからない。僕たちの間に、次があるのかさえも……。
 僕はベッドから起き上がると、床に散らばっていた服を拾って、着はじめた。あいつがぼそりと声をかけた。
「シャワー浴びないのか?」
 僕はそっぽを向いたまま、かすれた声で応えた。
「いい。家で浴びる」
 そのまま無言で身支度した。最後に制服のブレザーを拾い上げようとした時、あいつは煙草をもみ消してベッドから立ち上がり、服を着はじめた。僕はまじまじとあいつの体を眺めた。
 細身だけれど、すごく引き締まった肉体をしていた。腕とか首筋とかなんて、固く張った筋肉がしっかりついている。体のあちこちに何処かにぶつけたような青痣があった。なにかスポーツでもしてるんだろうか。それとも実は暴走族かなんかで、喧嘩なんて日常茶飯事だとか……。
 そうだ。僕はこいつのことをなんにも知らないんだ。話だってろくにしてない。ただこいつの胸に抱かれて、こいつに狂わされて、終わったら駅まで送ってもらって、それでお終い。いったい僕はこいつとなにをしているんだろう。
 ぼんやりと部屋に立ち尽くしてると、あいつは支度を終えて声をかけてきた。
「行くぞ」
 一言言って、玄関へと向かう。だが僕が動かずに突っ立ってるのを見て、怪訝そうに眉をしかめた。
「おい?」
 僕は足元の床を見つめたまま、消え入りそうな声で尋ねた。
「……いつ……の?」
「え? なんだって?」
「今度いつするの? またやるんだろ?」
 顔をあげると、あいつの訝しげな顔が目に入った。ちょっと困惑したように憮然としている。奴はしばし考えてから、淡々として言った。
「火曜と金曜の五時に、あそこにいる。十分待って来なかったら帰るから」
「……わかった」
 僕は小さく応えて、顔を背けた。そしてあいつの横をすり抜けて、さっさと外にでた。それは精一杯の僕のプライドだった。なんにも悩んでないふり。体だけ求めてるふり。あいつに執着なんかしてないふり。
 でも、あいつはそんな僕の気持ちなんてまるで気にしようともせず、無口のままいつもと変わらぬ態度で、僕をバイクの後ろに乗せ、駅まで連れていった。
 僕は一っ言も喋らないであいつと別れた。一度もあいつのほうを振り返らないで、背中でバイクが行ってしまう音を聞いていた。
 エンジン音がいつまでも耳に残って、こびりついていた。


 それから、僕とあいつとの体だけの付き合いが始まった。
 指定された日に、僕は必ずあそこに行った。いつも五分ぐらい遅刻していく。するとあいつはたいてい先にきていて、同じ場所で同じポーズで待っていた。先に来てない時は、その後にやって来ることはまずなかった。僕は二度ほど待ちぼうけを食らわされ、トイレの前で、ぼんやり遠くを見つめて待っていた。いつも三十分ぐらいそうしていた。
 遠くに誰かの影が見えるたびに、あいつかと思い、胸をときめかせ、そしてすぐにがっかりしてまた待ち続けた。
 会えた時は、僕たちはまたあのマンションへ行き、何も語らず、ひたすら体だけを求めあった。回を重ねる毎に、僕は自分の体がどんどん強く激しく反応していくのを感じていた。あいつのやり方に慣れていくのを感じた。あいつのキスや、あいつの巧みな指使いを、体も心も抵抗無く受け入れる。いつもいつも酔わされた。
 そして、入れられることにも段々慣れていった。痛みはやはり感じたけど、いつの間にかそれよりも気持ちいいと感じる面積のほうが多くなって、僕はあいつに突っ込まれて情けなくヒイヒイ喘いだ。
 僕は抱かれると、ほぼ毎回泣いていた。自分がそういう人間だったなんて、僕自身でさえ知らなかった。どうしようもないのだ。情けないし、みっともないから止めようと思うんだけど、自然と涙が溢れて止まらない。あいつも最初はそんな僕に戸惑っていたようだったが、その内それを当然の反応のように受け止めていた。
 僕たちはお互いに慣れ、どういう風にすれば感じるのかとか、どうすれば相手が喜ぶのかを少しづつわかっていった。短い逢瀬のなかで、二度イク時もあった。
 もっとも、酔わされているのは殆どが僕なのだ。もともと最初っからあいつには死ぬほど狂わされて、あさましく乱されたのだ。それがあいつに抱かれることに慣れるに連れ、不安や緊張が少しづつ薄らぎ、いっそう激しく感じるようになった。声なんて出しまくりだし、必ず泣いちゃうし、自分から快感を求めてあいつの動きにあわせるようなことさえした。
 僕はそんな自分が怖かった。どんどん淫乱になっていくのが恐ろしかった。いつか彼無しでは生きていけなくなるような気がして、とてもとても不安だった。
 だって、ここまであいつに慣らされながら、僕はまだ彼の名前さえ知らないのだ。彼が何歳で、どこに住んでて、どんな風に日々を過ごしているのか、何ひとつ知りはしない。僕たちは相変わらず、ほとんど会話なんてしないのだから。

 それはあいつと逢った八度目の時のことだった……。

 
     
                                            ≪続く≫
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