魔法経済概論
魔法の定義について
魔法とは魂の質的変化に伴い産み出される力を利用する。魔法は自然発生的に発現するものではない。あくまで生物の能動的意志により作用する。魔法の種類は現実的に数えられるものではない。一般に広義な概念であり昨今においては魔法と機械学の境界が曖昧になるのが現実である。 多くの場合次のとおりに分類される。
1 物理系 エネルギー変換系(運動エネルギーを熱エネルギーへ変換など) 物質変換系(物質の組成に作用し転位させる) 2 情報系 情報開示系(予知、過去視・他) 情報伝達系(以心伝心・他) 3 基幹系 生物の生体活動を維持しつつ、認知及び生理に作用する。 生物の生体活動を維持しつつ、種としての形態に作用し変身を促す。 生物の生体活動を停止させるための作用を及ぼす。 4 資源系 魂への干渉に関わる一切
現在も次々と開発される魔法においては、従来の分類が及ばないものも見られる。再分類を急ぐことが望まれる。本件は他の研究に委ねたい。 本論において重要となるのは「3基幹系」「4資源系」の解釈である。 魔法を再生産可能な資源・商品として捉える時にこれら2系への十分な理解と想像力が必要となる。
魂の定義
それはかつて言われた生命の連なりの中の一個人に対する分け前のようなものではない。ましてや持ち主の死後に別界に生まれ変わるものでもない。 魔法経済で言うところの魂とは、遺伝史と密接な関係を持つ時間制御要素である。遺伝史は生物の細胞の中にあって、生物の進化と形態を語るものだ。 広く知られているように遺伝史には不必要に見える情報が多く含まれている。かつてたどった進化の過程を後生大事に抱え込んでいる。これら多くの情報は、不活性化し眠りについている。 「魂」は遺伝史の持つ時間要素を制御する働きを持つ。生物は種によってそれぞれに似た種類の魂を持ち、遺伝史に含まれた進化の情報を調和のとれた形で制御している。魂の制御がはずれたとき、遺伝史は不当に活性化し、不必要な情報の発現を始める。このことは肉体的な変化を促すだけではない。時間軸に沿った働きを持つ魂の抑制が外れるということは、元来、魂が持つ「運」という要素への干渉が活発化することを意味する。幸運、不運といった、結果的に本人の時間に影響を与える要素が、制御されないままに発現することとなる。 極端な例を示す。ある人間が魂の減衰により「鳥」になったとしよう。しかし類まれな幸運を持ち、以前に買っていた宝くじが大当たりをとったり、彼を捕獲しようとする者たちがことごとく失敗する、といったことが起こりうる。 宝くじの当選は「鳥」にとって幸運とは言えないが、狩人に捕らえられないということは「鳥」には幸運である。 逆に我々が主観的に悪運と言うものを呼び込む可能性も高まることに留意しなければならない。 「幸運」も「悪運」も魂にとっては「極端な運の状態」に変わりはない。
魂の質と量について
魔法資源となる魂は質と量で測ることができる。 質とは時間蓄積を言う。人が進化してきた長い歴史の過程が時間要素として蓄積された形が「質」として規定される。 対象となる時間の厳密な検証は完了していない。研究者によっては、単細胞生物の頃からの時間蓄積であると言い、人によっては脊椎動物として魔法行使の可能性を持ち始めた瞬間からの蓄積であると言う。この答えはさらに多くの研究を要することだろう。 間違いなく言えることは、人が生物として進化してきた長大な時間が私たちの魂の中に力として蓄えられており、私たちはこの力を魔法として自在に扱えるということだ。私たちが同一の「人」という種である以上、基本的に蓄えられた時間に差はないはずである。しかし現実には人により魂の総量に差がある。魂の差の最も大きな要素が「量」である。 魂の「量」では、人が人として生きていくために最低限必要な量を人間の魂一単位として規定される。 魂は生命活動において必要な資源である。そして量は基本的に生物の質量に比例する。虫よりは花。花よりは犬。犬よりは人。人よりは鯨。きわめて単純明快な資源である。 ではなぜ魂の「量」は生物の質量に比例するのか。魂は生物の持つ「識域干渉場」の範囲内に留められるという。「識域干渉場」とは生物の細胞が発生する磁源波が一定の強さで及ぶ距離を言う。「識域干渉場」は同一生物おいても個体差がある。おおむね生命活動が活発な個体の「識域干渉場」は遠くまで及ぶ。「識域干渉場」は相互干渉しないので、同一空間に多数の個体が共存しても魂に影響はない。 「識域干渉場」は生物の細胞から発するために、基本的に質量が大きいほど魂の総量は増大する。そして生命活動が活発な個体ほど魂の総量は増すこととなる。 ここでは魔法と魂の関係、そして社会と魔法経済のかかわりについて考察していきたい。
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