「………………」
雅流からの答は光のなかだった。
白い闇のなかで、雅流は姿を結んだ。
かろうじて雅流だとわかる、ぼやけたなにかだったが、彼らにはそれが雅流の精いっぱいの力であるとわかっていた。
このごに及んで、雅流は彼らになにかを伝えたがっていた。
「雅流様。雅流様!」
ギュリレーネが蜃気楼のような姿に近づこうとしたが、それはできなかった。いま彼らがいるわずかな一点から、かろうじて雅流の姿は見えていた。動くと視界から雅流は消えた。
「無理してやがる」
ラブドエリスがつぶやいた。
「雅流。なんだ。消えちまう前に、言いたいことは早く言え。本当に力つきちまうぞ」
「ラブドエリスの言うとおりだ。心して聞こう。おまえの言葉を」
聖火香は聖母の優しさで言った。
雅流の姿がわずかに鮮明になった。
「……実験なかばで退くことは無念である」
ゆらゆらと姿が揺れた。
「泣いているのか?」
ラブドエリスは目を疑った。
「雅流様。実験の計画がなんだったのか、話してはくれませんか? 僕たちにできることはないのでしょうか?」
アリウスが身を乗り出して聞いた。
「神への道…………」
ゆっくりと雅流は言葉を紡いだ。
「リ・ラヴァーを使い世界中に私の名を知らしめた。それは予想以上の成功をおさめた。人間の情報伝達力、共有する力は汎神族を大きく越える」
「そりゃあそうだ。人間は一人で覚えるんじゃなくて、大勢が同じネタを共有してこそ、情報に付加価値を見いだすんだぜ。汎神族といっしょにするない」
ラブドエリスが呆れて言った。なにをいまさらと。
「はははは」
雅流がつらそうに笑った。
「私は言葉でそのことを知っていたつもりだが、正しく理解していなかったらしい。当初の予定以上に私の噂は広がった。しかも不正確にだ」
「雅流様は賛美されておりました。美しく徳の高い崇高な神であると」
ギュリレーネが訴えた。
「私は事象発生確率制御装置と私自身開発した法呪により、人間の間に広がった理想の姿を実在化するつもりだった」
「……なんだって?……」
ラブドエリスは理解できずに聞き返した。
「人々の心のなかにできた私の姿。理想の神の姿。それは人間の記憶に留まった形である。人間が個々に想い描くあるべき神の姿。それが人々に満ちたとき、私は実験を完成させるはずだった」
「神のなかの神の実現……」
アリウスはおぼろげながら雅流の言葉を理解した。それは壮大なイメージだった。
「人間の心に記憶として固定された神の在りよう。望む理想の姿。それをある瞬間にすべて複写し、私のなかで現実化させる。私はあらゆる人間の理想たるべき神の姿をこの身に現すことになったはずである」
聖火香ですら、雅流の言葉に息を飲んだ。
なんとすさまじい計画であることか。
なんと飛躍した実験であることか。
なんと傲慢な夢であることか。
「そのためのひとつの課題として、事象発生確率の制御と、グリュースト閥の記憶が必要だった」
「号羅が聞いたら怒るぜ。号羅の究極の目的だ、雅流の手順のひとつだなんてよ」
すっかり度肝を抜かれたラブドエリスは、惚けたようにつぶやいた。
「しかしそれは人間にとっての神であって、汎神族にとっての神ではないのではありませんか?」
アリウスが聞いた。
「それでよい」
雅流は満足したようすで肯いた。
自分の言葉が正しく理解されたとの確信を得て微笑んだ。
「それでよいのだ。賢いアリウスよ」
「おい、雅流! 俺みたいにあんたのことを大っ嫌いな奴もいるんだぜ。そんな記憶も取り込もうってのか。気分悪くするぜ。ぜったい」
ラブドエリスが食ってかかった。
すっかり興奮していた。雅流のとほうもない計画を聞いて、その可能性の恐ろしさに気がついて、いてもたってもいられなかった。
「よい。歓迎する。ラブドエリス」
いとおしそうに眼が細められた。
「小さき者たちよ。愛しい者たちよ。おまえたちの想いが私を生かす。ああっ……それを知ることの喜びよ……」
雅流は自分の回りを取り囲む、大きな力と想いにいま初めて気がついた。
「必要とされることのあるは、これほどに……」
恐れ悔やむ必要などない。
彼らは自分のために力を貸してくれる。
自分の夢を理解してくれる。
「聖火香……」
「なにか?」
「私は神に触れた気がするよ」
「そうか……そうだな。きっと彼らもまたおまえにとっては神なのだ」
「うむ」
雅流の眼が閉じられた。
満足という言葉が全身を包んだ。
「雅流?」
聖火香が声をかけた。雅流のイメージが薄れていくように見えた。
「おい! こらっ、ちょっとまて!」
だん! 強く足を踏み鳴らして、ラブドエリスが前に出た。
「なに、成仏しようとしてるんだ。ふざけんじゃねーぞ。盛り上げるだけ盛り上げといて、ちゃんちゃん、なんてシャレにならねぇ!」
ギュリレーネが真剣なまなざしで、ラブドエリスの失礼な物言いにうなずいた。
アリウスも両手を差し出して言った。
「そのとおりです。雅流様。私たちはまだここにいます。私たちはまだあきらめていません。雅流様の夢をともに見ることを望みます」
「いいか、雅流。おまえは黙って見ていろ。おとなしく昼寝でもして力を取り戻せ。復活しろ。そうすればくだらん神様ごっこを続けられる。俺達はいつでも付き合ってやるぜ」
ラブドエリスが拳をつきつけて言った。
「いまは号羅のくそったれを、こてんぱんにぶちのめしてやるときだ。二度とふざけたマネを考えないように、下水の底に叩き込んでやる。そうすれば雅流。おまえのやることを邪魔する奴はいない」
雅流の満足気な笑い声が小さく響いた。
ごおっ、と風が舞った。
彼らは先ほどと変わらぬ、戦場のまっただ中に立っていた。雅流の法呪は消えていた。
雅流は首球に姿を戻し、ラブドエリスの手の中で静かに輝いていた。
「ラブドエリス」
聖火香がその名を呼んだ。なにをなすべきか全員が心得ていた。
各々のできること、すべきことを心に刻んでいた。
ラブドエリスは首球を聖火香に渡した。
「持っていてくれ。そして守ってくれ。持ちこたえてくれるだけでいい。あの号羅の生臭野郎なんざ、俺とギュリレーネでぼっこぼこにしてやる」
「そう、ぼっこぼこにね」
凶悪な光を両眼にたたえてギュリレーネは口の裂けた笑みを浮かべた。
「ラブドエリス。雅流は幸せな神だ。私もおまえのような者と時間を過ごしたかった」
「まあっ、隷ラディオもあれはあれで、けなげな奴だけどな。こきつかっても感じない鈍感な奴だし」
ラブドエリスは笑って言った。
聖火香も優しく神の微笑みを浮かべた。
「ああっ、知っている。よく知っている」
首球を抜かれた事象発生確率制御装置は形を失い、青っぽい水蒸気のようなものに姿を変えた。
それはなぜかアリウスのほうに向かいだした。ゆっくりと細い糸のように形を変えながら、アリウスの胸元に近づいていった。
「な、なに?」
アリウスは自分に向かってくる装置に驚いて横に体をずらした。しかし装置は後を追うように彼の方に先端を向けた。
「……おい。おまえに気があるみたいだぞ。なにかプレゼントでも隠してるんじゃないのか?」
ラブドエリスが言った。
「えっ? あ、ああ。これだ!」
アリウスは胸元からペンダントを出して高くかざした。すると装置はペンダントを追うように、すうっと上を向いた。
「マロウンと雅流様の属性にあるものです」
マロウンの薬指と雅流の血が封じられた、金属塊で作ったペンダントだ。リューがまだ生きていたときに雅流がアリウスに与えたものだった。
装置はペンダントに吸い込まれるように中に消えていった。
聖火香が納得して言った。
「事象発生確率制御装置はマロウンを基材として作っている。自らの属性に引かれているのだ」
「ラブドエリス様。これを持っていってください」
アリウスがペンダントをラブドエリスの手に渡した。あまり美しいとはいえないその塊は、たしかに懐かしい雅流の臭いがした。
「さあぁって。一発いくぜ! ギュリレーネ。号羅のド畜生がお待ちかねだぜ」
ラブドエリスはアンプルの効力が続く長剣を引き抜き、切っ先を天に向けて宣言した。
「カブの毛野郎の赤さび号羅め。墓場の納豆糸にかけて、自慢の底抜け樽のうえでタコ踊りをさせてやるぜ。ぜったいだ。絶対にだ! 寝小便シーツでも頭から被って泣きべそかきやかがれ!」
言うが早いかラブドエリスは走りだした。
一瞬の間をおいて、ギュリレーネは後に続いた。
近づいた戦場は、予想以上の混乱を極めていた。
叩きつぶされたゾンビロウの腐った臭い。胴体を失っても、うごめき続けるいやらしい手足。首。はらわた。
地面を黄金に染める、生臭い知塩の海。憑かれたように知塩をすくい喰らうリ・ラヴァーたち。その気の遠くなるような数。
「ガ・ゴ・ギィ・ダアアーー」
号羅の口から漏れる音は、すでに法呪文としての意味をなしていなかった。
鉄の輪が、いままさに号羅の元にたどりつこうとしていた。
前面に立ちはだかり、押し返そうとする隷ラディオの姿が、押し寄せるゾンビロウたちに飲み込まれていった。側面から雷撃の法呪を放つ、一柱の護国法兵士の姿があったが、ほとんど焼け石に水だった。
もはやゾンビロウとリ・ラヴァーと樽が幾層に折り重なっているかもしれない状態になっていた。
生物の体と音と臭いが、すべて混じり重なり、自分の身体すら見失いそうな、どろどろに解け合った最悪の状況を呈していた。
ラブドエリスは手投げ弾をゾンビロウの群れの中に投げ込んだ。しかしあまりに密集しているため、爆発はほとんど吸収されて、わずか一・二体の自由を奪うのがせいぜいだった。
「畜生! ギュリレーネ。号羅に運動量攻撃」
「応」
ギュリレーネが法呪を発動し、回りの石や樽の破片を号羅めがけて飛ばした。しかし号羅の回りには、信じられないほど強力な結界が展開されているらしくかすりさえしない。
「ラブドエリス!」
ただ一柱踏みとどまっていた護国法兵士が彼の名を呼んだ。
「……由美歌様。由美歌様か!」
ラブドエリスは驚いて叫んだ。
「なぜ、こんなむちゃを」
「私は汎神族。見て記憶したいの。この偉大な神たちの実験を。そしておまえたちの勇気と決断力を」
護国法兵士にしては豊かな表情で由美歌は笑った。
「さあ、どうするの。ラブドエリス」
期待に満ちた少女の瞳がラブドエリスを見つめた。自分のアイドルを見つけた人の娘にも似た熱い視線だ。
「私に見せて。人の決断、機転による戦いを」
「……おう」
「我々汎神族にはできない、記憶に頼らぬ戦いというものを」
「おう!」
それはほんの思いつきだった。
彼らを守って死んでいったマシューとの、無駄口がヒントだった。
リ・ラヴァー・アピアと過ごしたわずかの時間。なぜ彼女は窓で泣いていたのだろう?
リ・ラヴァーは罪の存在である。本来ありえぬ者たちである。オリジナルであるラブドエリスと会うことで、八千人の彼女たちは一人に戻らなくてはいけないのではないのか? それが正しいことならば、一度は生を受けた彼女たちは……そんな妄想がきっかけだった。
「見ろ! 号羅」
ラブドエリスは号羅めがけて短デュウを撃った。もちろん効果は雪玉をぶつけた程度のものだが、確実に注意はひいた。
ラブドエリスはペンダントを掲げて叫んだ。
「これが聖火香様の実験だ。事象発生確率制御装置だ」
「……こごああっ」
「良い声だ。さあ、見ろ。どうだ。おまえはこれを知らないだろう。人間の俺が知っているのに、おまえは知らないだろう。なんて無知な奴だ。笑ってやるぜ。わははははっ」
「ごっぐっ。事象発生ーー。聖火香の偉業なり。人間風情にこの貴重な実験は無用なり。我が手にゆだねよ」
号羅は食いついてきた。
「いいぞ。次だ。ギュリレーネ聞いてくれ」
「はい」
こんなときになんだがラブドエリスは驚いた。
ギュリレーネが「はい」と言った。ラブドエリスにだ。
「……お、おお。悪いが俺はこいつをコントロールする自信がない。言う通りにやってくれ」
「命令のままに」
「……………………」
ラブドエリスは早口でギュリレーネに指示を伝えた。
「何ビョウかかる?」
「手順設定に十七ビョウ」
「すぐかかれ」
「応」
ギュリレーネはペンダントに向かって高速言語による圧縮された手順命令を送り込んだ。
「わ・た・せ」
号羅が樽を引きずって這いよってきた。
「げっ。やべえ」
ラブドエリスはギュリレーネの前に立ち、迫りくるゾンビロウどもを斬り伏せた。
号羅は急速に快復しつつあった。
彼はリ・ラヴァーをも樽の連結の一部として取り込みつつあったのだ。リ・ラヴァーに記憶を奪われていても彼女たちを結合してしまえば、状況は変わらない。
繊細な汎神族には似合わない、強烈な生命力を発揮して号羅は知塩の保持に執念を燃やした。
「キュアアアァァァァッーーーーン」
由美歌の援護法撃が号羅の足を一瞬止めた。
「でああっ」
ラブドエリスはわずかに崩れた号羅の法呪障壁の隙間に内装兵器を撃ち込んだ。
「きゃああ!」
しかし攻撃は盾にされたリ・ラヴァーを四散させただけだった。
「ち、畜生! 罰あたりめが!」
「あ・と・九・ビ・ョ・ウ」
高速言語に混じらせて、人間に聞き取れる音でギュリレーネが言った。
いまや戦いの構図は、ラブドエリスたち対号羅に絞られていた。
それこそラブドエリスの望む形であった。号羅の集中をすべてこちらに向けなければならない。
鉄の輪が号羅の背後で立ち上がり始めていた。まるで日輪を背負う太古の東洋の地縛神のように、鉄の輪が号羅の後ろで威力を発し始めた。
邪気と呼ぶにふさわしい力がラブドエリスたちを襲った。理屈抜きの恐怖と吐き気と自己嫌悪の波動がどしゃぶりのようにふりそそいだ。
「ひぃ……き、ううっ」
繊細な護国法兵士・由美歌が身悶えして悲鳴をあげた。人間のラブドエリスには想像もできない苦痛を味わっている。
「げぇええーーっ。けっけけっ。ひょおおっ」
とんでもない奇声が響きわたった。 大地を震わす様々な号音の中を切り裂いて、笑い声は全員の耳に届いた。
号羅ですら振り返った。
その号羅の顔に、なにか熱いしずくがふりかかった。
「……ごっ、が……?」
「俺のケツをくらえーーっ。ぎゃひゃひゃ」
最低最悪の罵倒が号羅に浴びせられた。ラブドエリスですら赤面するような、えげつない悪口が行動を伴ってふりかかった。
「ぎひぎひぎひぃ。しょっぱいか?」
隷ラディオが鉄の輪の上から聞いた。
「………………」
号羅は絶句した。
「さいっ……てえーー。いや。すげえ」
いちはやく状況を理解したラブドエリスが呆れて言った。隷ラディオは鉄の輪の上で小便をしたのだ。汚れをつけるために。
神のものに法呪的汚れをつけるために。
小便をかけられた鉄の輪は、急速に威力を失っていった。
「れ、れい、隷……。ぎ・ぎゃあああああっ」
「設定完!」
「ぎゃあああぁぁぁあああ!」
号羅の悲鳴にかき消されながら、ギュリレーネの声が届いた。
「やれ。知恵ってものを見せてやれ!
号羅を無限にふやしちまえ! 」
「応!」
雅流の血が、マロウンの肉が、事象発生確率制御装置を活性化させていた。
ペンダントから延びた力線が、号羅を確実に捕らえた。
「ぎぃ…………」
その瞬間。
号羅の存在が、一意ではなくなった。
号羅は無限に存在してよい。
号羅が無限に存在する確率はきわめて高い。
この世のすべてに号羅という存在が満ち溢れているべきだ。
「わっ」
おそらくそれは、世界中の生き物が発した驚愕の声だったろう。
世界のありとあらゆるところに、号羅のリ・ラヴァーが現れた。地上に海に空に、ありとあらゆる空間に号羅の姿が現れた。
すべての号羅が状況を把握しようと、まわりを観察した。あたりを見回し、臭いを嗅ぎ、音を聞き、生き物を脅した。
光が音がすべて違った。同一の体験をした者などただの一柱もなかった。
「そのまま! 三ビョウ保持」
ラブドエリスが命令した。
「ラ、ラブドエリスススス。待てええ! 待ってくれれぇぇぇ!」
すべてを理解した眼前の号羅が叫んだ。
ラブドエリスの意図を瞬時に見抜いたのは、まさに神の洞察力だった。
「三・二・一」
ギュリレーネが数えきった。
「定義! この世に号羅は一柱である!」
ラブドエリスが宣言した。
号羅のリ・ラヴァーが、世界中から消え失せた。現れたのと同じ唐突さで消失した。
号羅は眼前の一柱となった。
「あっ!」
ビシリ、と音を立てて、ギュリレーネの手の中でペンダントは砕けちった。
装置は限界まで力を振り絞った。
号羅の姿が、不気味に膨らんだ。
それは元々の一柱に違いないが、記憶の量が決定的に違った。
「……ぐ……ごっあああぁぁぁ…………」
号羅の間延びした悲鳴が、ゆっくりと流れた。
「ラ、ラ、……ブド……た……す……」
号羅はラブドエリスに助けを求めた。
号羅の目から耳から口から、ありとあらゆるところから、知塩がはみ出してきた。
だらだらと、まるでヨーグルトが羊の胃袋から絞り出されるように、純白の知塩が流れ出してきた。
無限といってよい数に存在した三ビョウ間の記憶がすべて、一柱の号羅に集約されたのだ。
いかなる神といえど、その量に耐えられるはずもない。
一柱の記憶量をはるかに越える情報が集中した。それは記憶溢れなどという生易しい状態ではなかった。
事象発生確率の制御以外に成しえない、有史以来初の法呪攻撃だった。
「いっぱい覚えられてよかったな。……本望だろうぜ。号羅様」
ラブドエリスは押し寄せる臭気に耐えながらつぶやいた。
「……ン………………」
哀れな音を最期に、号羅は沈黙した。
無数のゾンビロウどもも同時に活動を停止して、いやらしい汚水袋に変わっていった。
「ううっん……」
「……ああ……」
記憶探索線による結合をまぬがれた、リ・ラヴァーたちは、やがて自らの意志で立ち上がった。雑多な役にも立たない記憶の屑を大量に摂取したまま、黄金色に輝く髪をなびかせて立ち尽くしていた。
彼女たちのこれからの人生がどのようなものになるか、それは想像もつかなかった。
「ひゃっ、ひゃっひょーー! ラブドエリス、さいっこほほおおおぉぉーー!」
汚れを受けて、早くも錆はじめた鉄の輪の上で、隷ラディオが叫んだ。
「……なんだ、あいつ。自分の小便でよっぱらってるんじゃねーか?」
呆れてラブドエリスは笑いだした。
「あっ、ああ。まったく。よくわからない奴」
地面に座り込んでいたギュリレーネに、ラブドエリスは手を差し延べた。
「やい! このおむつ野郎、隷ラディオ! なんで味方しやがった。せっかくのおいしいところだったのによ!」
ラブドエリスが中指を立ててどなった。
「げっぐ。あんただけに良い役させたんじゃ、由美歌様に申し訳たたないじゃない!」
「ゆ、由美歌様だあ?」
ラブドエリスとギュリレーネは、けなげに戦い抜いた護国法兵士を振り返った。
血と汚物に汚れた鎧を身にまとった女神は、それでもやはり美しかった。
兜を脱ぎ、汎神族でいう少女の表情を見せた若い神は、すばらしい笑顔で笑った。
「彼流の正義のあり方だそうです。号羅様は悪であると知れたので、私に帰依すると」
「それって、いったいいつの話し?」
ラブドエリスが聞いた。
「つい、さっきよ。ふん! ほらあ、私って良い子だからぁ」
ふんぞりかえって隷ラディオはいばった。
「これでも私は正義を愛するのよーー!」
「わかった! もうなにも言うな。わけわからねーー。由美歌様を喰ったら承知しないぞ!」
由美歌はそんなやりとりを、とても楽しげに聞いていた。
そして聖火香は、雅流の首球をレンスファの彼の城に安置すべくこの地を去ることとなった。新たな、より完成された事象発生確率制御装置を完成すべく研究を重ねるために。
雅流の首球にはギュリレーネによって、再度時間循環の宝玉が埋め込まれた。
聖火香か、またはその子孫が研究を完成させるまで、閉じた時間の中で、ゆっくりとした眠りに流されていくことだろう。
「ラブドエリス。私とともに来ないか?」
聖火香はなごりおしげに聞いた。
「ああっ。まあ。気がむいたら寄らせてもらいます。聖火香様。当分は温泉でも行って、ゆっくりさせてもらいますよ」
「ほかの閥の神々が黙っていないわよ」
「そのときは、笛を吹きますから、赤いマントをしょって助けに来てください」
楽しそうにラブドエリスは笑った。
「それより、アリウスとアピアを頼みます。もうふつうの社会じゃ生きていけない奴らですから。でも実験体にするのは勘弁してやってくださいよ。連中は十分すぎるほど尽くしたはずだ」
「わかっている。繁殖させて楽しむつもりだ」
「そ、そう……わるくない」
「ギュリレーネ。おまえはどうするの?」
「命令のままに」
「私とともに来る?」
「……そう……私も繁殖に興味があります」
聖火香とラブドエリスは意外な答に彼女の顔を覗きこんだ。
「ほお。貴重な銀ログム種と、どこかで知り合っていたのか。それは気がつかなかった」
聖火香が言った。
「まったくだ。聖女みたいなふりして、スミに置けないぜ。このイタチ娘が」
「そのために、事象発生確率制御装置の完成を急いでほしい」
「どういうこと?」
聖火香が聞いた。
「私はラブドエリスの子を生んでみたい。強い子が生まれるに違いない」
ギュリレーネは淡々とすごいことを言ってのけた。
「な、なに、言ってんのかわかってるのか? おまえ」
予想もしなかった台詞を突きつけられて、ラブドエリスは珍しく動揺した。
「装置で人間にでもなるつもりかよ。やめろよ。だっておまえ、祝言はなに派でやるんだよ。おまえの友達なんて、どうやって招待すりゃいいんだか……」
「なにを言っているの? あなたを銀ログムにするに決まっているでしょう」
「……げっ」
「ぷっ」
聖火香は思わず吹き出してしまった。
手にした雅流の首球もわずかに暖かくなった気がした。
聖火香はひさしぶりに心の底から笑った。汎神族の温かい豊かな笑い声で、空に向かって笑った。
そして。
汎神族の記憶溢れはいまだ解決されない。
了
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