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第一章−一

 

 人の時代であった
 
世界は、人間達と精霊達が共存する、不思議な空間であった。
 遥か古に栄えた精霊達は、その偉大なる王者ーー聖霊王の死とともに急速に勢力を衰えさせ、その数は激減した。
 死に絶え、絶滅した霊の種類は、数百とも数千とも伝えられている。
 わずかに残るは、霊力も神力もほとんど持たぬ、下級の精霊や妖精達、そして幾種類かのジンや妖鬼だけであった。
 彼らは、数こそすれ人のそれよりも優ってはいたが、その力は世界にとって、なんの意味も持たぬ、無用な存在となり果てていた。
 精霊の時代は終わっていた。
 かわって世に台頭してきたのは、人間達であった。
 人間は、短い一生という限りある時間の枠に縛られながらも、その旺盛なる生命力と貪欲な精神力で、世界に広く浸透し、どんどん勢力を増していった。
 活発な行動力をもつ彼らは、やがて大地を支配した。
 世はなるべくして人のものとなり、かつての住人、精霊達は、いまやひっそりとその片隅を借りる無益な存在として、細々と生き続けているだけであった。
 時代は、確実に人のために回っていた。


 さて、人間達の住むこの世界には、ふたつの種族が存在し、地を二分して生きていた。
 正しく言えば、空間を二分していた。
 太陽の光降りそそぐ広い大地には、光の国シャインフルーと名づけられたる国があり、そこには銀紋族と呼ばれる種族が暮らしていた。
 彼らは、かの聖霊王の血を受け継ぐ種族として、誇り高く、清廉、正義を重んじる意気貴き一族であった。
 銀紋族の者は、皆濃い褐色の肌を持ち、その髪は太陽の日差しのごとく明るい色をしていた。男達の肉体はたくましく鍛えられ、女達は健やかに多くの子供を生んだ。
 彼らの精神はいつも清らかで、愛や信頼をかてとして暮らしていた。
 銀紋族は、この世に最も力強き一族として、世界に広く君臨し、豊かな大地の恵みを受け、おおいにその国力を富み栄えさせていた。
 彼らは世の正義であった。
 
 一方の種族は闇紋族と呼ばれていた。
 彼らは、シャインフルーの北のはずれに大きく裂けた大地の割れ目より下、地底にその国を持っていた。
 国の名はダークネシィア。その名の現すとおり、光のない、暗く冷たい闇と岩の国であった。荒れ果てた土地に、ささやかな数の人々が、力なく暮らしていた。
 彼らは皆、真っ白な肌と、闇のように漆黒な髪と瞳を持っていた。肉体は細くひ弱で、なによりもその心が、邪悪な精神に満ち満ちていた。
 闇紋族は銀紋族とその国を憎み、そねみ妬んで、豊かな大地を手にいれようとして、ひたすらに闘いを挑む歴史を繰り返していた。が、その圧倒的な国力の差は如何ともなしがたく、彼らは決して勝利を得ることはできず、長きにわたって敗者の座に甘んじざるえなかった。
 それでも彼らは勝つことを望み、願い続け、そのためにはいかなる手段をも厭わなかった。彼らは良心を失っていた。
 彼らは世の邪悪であった。

 銀紋族は闇紋の一族を深く拒絶していた。
 闇紋族は、遥か昔あの普く世を制したと伝えられる、いと気高き聖霊王が、己の心の中から取り除いた邪悪の部分を地の奥深くに封印したときに、王から一片の哀れみという魂を奪い取り、それを命とてし生まれたといわれる、呪われた一族であった。
 それゆえ彼らの魂は汚れていて、その心根の醜さは生来のものであると、誰もが信じて疑わなかった。当の闇紋の人々ですらも、それをかたく信じていた。
 銀紋の人々は断固として彼らを排斥し、その存在を否定していた。
 ふたつの種族は、気の遠くなるような長い長い年月をかけて、互いに憎みあい、忌み嫌ってきたのである。
 
 これは、そんな世界の話である。

 ーーーー封印された宝玉は、これを語る。

『時は、光の国第十五代国王バソート王の時代における世である。
 ある時、バソート王の前に、ひとりの予言者が現れ、これを語った。
 その者いわく、
「今や、正しきことはすべて失われてしまった。憎悪は清廉の仮面をつけ、無慈悲は正義の衣をまとって、世界はただ強者のためにのみ存在している。
 世は邪悪に満ち満ちている。
 だが、気高き王の魂は、決してそれを許しはしないであろう。必ずや、正しき裁きが下るであろう。
 今より長き日々すぎし未来の果て、時が満ち、運命の扉は開かれる。
 扉を開く鍵は、ひとりの御子である。
 その者は、最も強き光の血と、最も強き闇の血を、その身にいだいて生まれる。
 その者は、ふたつの血の逆なる流れゆえに血の涙を流し、血の苦しみをその生涯とする。
 しかしやがてその血はひとつに混ざり、その者が真に目覚めるとき、聖霊王は復活する。
 その時、銀紋と闇紋の世界は砕け、この世は終わる。
人々はその姿を失うであろう。
 世は、聖霊王の手によって、ひとつの幕を閉じるであろう。
これは遥かな未来における、世界の姿を告げる予言である。
これは真実の予言である」
国王バソートはこれを聞き、おびえ、震えあがった。光国終末の言葉に震えあがった。
 またバソート王はこの予言が人々の口の端にのぼり、世に広がるのをも恐れた。世が乱れるのを恐れた。
王は、予言語りし者の命をもって、光王の力をして、この予言を封印した。
 かくして言葉は封じられた。
 予言は永遠に世界から失われ、未来永劫宝玉の内に眠り続けるのである』
  
 ーーーーこれは、封印された宝玉が内包する、第四の、真実の伝説である。


  一章  出会い 


 季節は春のなかば。
 光に愛されし銀紋族の国シャインフルーは、いままさに爛漫の花の盛りを迎えようとしていた。
 蓮華、沈丁花、エニシダ、水蓮。様々な種類の草花達が、時みじかしとばかりに競って咲き乱れている。そして、その甘い蜜に誘われた虫や精霊達が、色鮮やかな花弁の上で歓喜の乱舞をくりひろげていた。
 王宮の中庭にもうけられた東屋に腰掛けて、少年は魅いられたようにそのさまを眺めていた。
 ふいに春の風が突風となって少年の体を包みこんだ。輝くような金髪がなびき、前髪におおわれていた額があらわになる。その理知的な広い額のまん中に、くっきりと銀色の星型の紋が刻まれていた。
 褐色の肌にひときわ鮮やかなその紋は、銀紋族王族の、しかも王位を継承することが許された直系の者にのみ現れる、血統の証だった。
 紋をいだいて生まれた少年、名はユウラファーンという。現国王キィリンクの長男で、第一継承権を持つ十七歳になったばかりの若き王子である。夢と活力にあふれた、国民の希望の象徴であった。
南側の渡り廊下から、まだ十歳前後の幼い少女が、薄紅色のローブの裾をひるがえしながら駆けてきた。その娘の額にも、少年と同じ銀の紋が輝いている。少女は彼に抱きついて、まぶしいほどの笑みを浮かべた。
「兄上様ったら、またこんな所でぼんやりして。父上様に見つかったらお説教されてよ」
 ユウラファーンは優しく微笑み返し、わざと情けない顔をして答えた。
「ああ、メイア、頼むから父上には内緒にしておくれ。今朝剣術の稽古に遅刻して、お小言をいただいたばかりなんだ。勉強を怠けてるのまで知られたら、ひどいお目玉をくらってしまうよ」
「うふふ、大好きな兄上様のお願いなら、きいてさしあげてもよろしいわ。でも頼みごとにはお礼が必要よ。ね?」
 メイアと呼ばれた少女はきどって小首をかしげて見せた。だが大人びたしぐさとは裏腹に、瞳も笑顔もまだまだ幼くあどけない。大人の口調をまねた生意気さが妙に愛らしく憎めなかった。
「僕の姫君はなにがお望みなのかな。青い羽の小鳥? それとも新しい髪飾りかい?」
 ユウラファーンの言葉にメイアは身をのりだして答えた。
「あのね、兄上様。私、日陰の中だけに咲くというダークローズの花が欲しいの。誰に頼んでも持ってきてくれないんですもの」
「ダークローズ? そりゃあそうだよ。あれはダークネシィアの花で、この国では売買はタブーだ。どこにも売ってるはずはない」
「でもトルガー大臣のところのリノは持ってるわ。紫色の花びらで、とっても不思議な香りがして。リノったら得意そうに見せびらかすのよ。私悔しくって」
「うーん、それはきっと大臣が戦の時に自分で摘んできたんだよ。前回の戦いはダークネシィアの領土にまで進んだからね」
「じゃあ今度戦のある時は、兄上様が取ってきてくださる? ねえ、次の戦はいつなの? ねえ」
 少女の無知ゆえの残酷な問いに、ユウラファーンは苦笑した。
 どう言ってきかせれば、この幼く純粋な子に戦いの意味を教えることができるというのだろう。自分ですらもが前回やっと出陣を許されたばかりなのだ。それも戦場とは名ばかりの、前線を遠く離れた営地の中で。
(友達は皆、剣を片手に国を守っているというのに、僕だけがいつも……)
 思いだすと気が沈み、ユウラファーンは小さくため息をついた。メイアがめざとくそれに気づいて、心配そうに顔をのぞきこんだ。
「どうしたの? ご気分が悪いの? それとも私、なにかいけないことを言ってしまったのかしら」
ユウラファーンは首を振った。
「なんでもないよ、メイア。いい子だね。……そうだなぁ、すぐにとは約束できないけど、いつか必ず僕が取ってきてあげるよ、ダークローズの花を。だからその願い事は僕以外の誰にもいっちゃいけない。いいね?」
「わかったわ、兄上様。約束よ。きっとね」
 メイアはにっこりと微笑んで小さなてのひらを差しだした。ユウラファーンは自分の手をそれにあてると、約束の呪文を唱えた。
 メイアは満足そうにそれを聞くと、兄の首に抱きついた。早くに母を亡くした二人きりの兄妹は、誰よりもお互いを愛しあい、必要として育ったのであった。
「ユウラファーン! メイア!」
 太い声がふたりを力強く呼んだ。ふりかえると、壮年のがっしりとした男が優しい眼差しを向け手を振っていた。
 男の額にはやはり銀の紋が刻まれている。その胸元に、中央に黒い星の入った水晶の玉が、美しく細工された首飾りとなって搖れていた。
 銀色がかった長い髪を丁寧に編み、しわのめだちはじめた聡明な面立ちは、一国の王としての威厳を余すところなく伝えている。
 国王キィリンクであった。
「父上様。会議はもう終わったの? メイアと遊んでいただける?」
 厳格なる王も愛娘の抱擁の前にはあっさりとその相貌をくずし、満面に笑みをたたえて少女を軽がると抱きあげた。
「残念だが、まだまだおまえと遊ぶ暇はなさそうだよ。この後にもいっぱい仕事がつまっているんでね。すまないね、お嬢さん」
 王は不服そうに唇をとがらせる娘の頬に接吻すると、今度は厳しい表情でユウラファーンを見つめた。
「ユウラファーン、いまは勉強の時間ではなかったかね。むこうで教師が青い顔をして探しまわっていたぞ」
「はあ……」
 情けなくうなだれる息子の前に立つと、いっそう険しい眼差しで彼を見すえた。
「自分では充分学んだと思っているかもしれないが、おまえは次代の国王となるべき者。知るべきことは山のようにある。怠けて花を眺めていたって、国も人も動かせぬのだぞ。ーーおまえは頭もいいし、剣も強い。人の上に立つ技量を持っている。だが少しばかり自覚が足りないようだ。王たるもの、己の運命をしっかりと見すえて生きなくてはならん。いつまでも子供のように勝手気ままな振舞いをしているようでは、いつまでたっても一人前とはみなされぬぞ。わかっているのか、ユウラファーン」
 父王のきつい戒めの言葉に返事もなくうちひしがれている兄を見て、メイアがあわてて助け船をだした。
「あのね、父上様。先日いただいた小鳥のつがいが卵を生んだのよ。ちっちゃくて可愛いの。全部で三つよ。お見せしたいけど、そんなお暇もないのかしら」
 王はにっこりと笑うと、いまのいままで説教していたのも忘れたように、これ以上はないというくらい甘い顔を少女に向けた。
「それくらいの時間なら、会議を遅らせてでもつくってやるぞ。なんせ姫君の頼みだ。騎士たるもの、従わねばならぬからな」
 そう言って王はメイアを抱きかかえたまま、王宮に向かって歩き始めた。その肩ごしに少女はそっと兄に目配せした。
(いまのうちよ。早く逃げて)
 愛らしい瞳で小さくウィンクする。ユウラファーンは唇だけ動かして返答した。
(助かったよ、メイア。ありがとう)
 そっと背を向けると、足を忍ばせて退散する。もちろん王は気づいてはいたものの、呼び止めて叱るような無情な真似はしなかった。
(やれやれ、まったく、兄妹仲の良いのはうれしいが、十七にもなったというのに、いつまでも妹とじゃれあってばかりで。あれが大人になるのはいつのことやら。恋のひとつでもしてくれれば、少しは成長するのだろうが……)
 王はほっとため息をついた。
 宮廷にはいると、軍務大臣のアプロスが待ちかまえていたように近寄ってきて、声をひそめて話しかけた。
「王、先日お話した例の一件ですが、先方から使者がまいりまして、ちょっと……」
 王はたちまち厳しい表情にもどり、眉間にしわを寄せてうなづいた。
「待て、私の部屋で話そう。まいれ」
 王は抱いていたメイアをおろすと、少女の背をそっと押しやった。メイアが不満そうに文句をとなえた。
「あら、ひどいわ、アプロス。せっかく父上様をつかまえたのに、連れていっちゃうなんて。ずるいわ」 
「大事な用だ。わがままを言ってはいけないよ、メイア」
「だって……」
「すみませんね、メイアさま。少しだけ父君をお貸しください。話はすぐに終わりますから」
 膝をおって優しく話しかける老いた男の顔には、深いしわと一条の傷跡が刻まれていた。それは彼のたどってきた険しい生涯を物語るものであった。
 メイアはしかたなく納得し、しぶしぶと自室に戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、王とアプロスは声をひそめてささやきあった。
「闇の使いはまだ王宮に?」
「いえ、手紙を置くとすぐに消えました。下級霊のようでしたから、光の中は弱いのでしょう」
「そうか」
 王は苦々しい顔つきで目を細めた。
 ダークネシィアからの使者に、人がやってくることはほとんどなかった。いつでも、邪悪な闇の精霊がつかわされてくるのである。
それは、闇紋族の者達だけが使う、妖かしの技であった。
人々はそれを闇の力と呼ぶ。
 闇に属する精霊や妖精たちを、支配して忠実なるしもべとしたり、またその魂を吸収して自らの力へと変えるのである。
 もっとも、闇の人間達すべてが強大な力を持っているわけではない。ほとんどは下級霊を利用しての、些細な日常の手伝いや使い走りといった他愛のない程度のものである。
 だが、ときとしてーー特に訓練された戦士などは、剣に代わる攻撃の手段として光の国の戦士達を脅かす程の威力を発揮してきた。そのため、銀紋の人々からは恐れられていた。
 銀紋族の人々はそんな力をもってはいなかった。
 古においては、銀紋族も彼らと同じように精霊達を支配し、利用していたと言われている。しかし活力に満ちあふれた彼らはそんな力を使わずとも充分に生きてゆけ、それ故にいつしかその能力を失っていった。
 逆に脆弱な闇紋族は日々の暮らしにもその精霊の力に頼らざるをえなく、故に技は途切れることなく子子孫孫に伝えられてきたのである。
 いまでは光の国では聖なる石を持つ王だけが、その石の力を借り、光の精霊の力を借りて行うことができる。そしてそれは世の正義のためにだけ使うことが許されていた。
銀紋族の人々は、闇紋族がたとえ彼らの仲間とはいえ闇の精霊達を己のために利用するのを、神聖な聖霊王の遺産を汚す許しがたい行為とみなし、忌み嫌っていたのである。
ふたりがキィリンクの部屋につくと、アプロスは側に人けのないのを確認してしっかりと施錠した。鎧の胸元から黒い羊皮の巻物を取りだし、王に差しだす。キィリンクはそれを受け取って声にだして読み始めた。
「『此度の戦いの勝利に、謹んでお祝いの言葉を申しあげる。貴殿の部下はみな優秀にて、勇猛果敢なる兵士である。残念ながら、わが軍は力及ばず、素直に敗北を認め、ここにダークネシィア国王クトルリンの名にかけて、今後いっさいエフォルクの谷間に侵攻しないことを誓うものである』 ……ふん、誓うときたか。あやつらの誓いほど意味のないものも珍しいというのにな。愚かな戯言を」
 キィリンクは嘲るようにつぶくと、また続きを読みだした。
「『ところで、これまでにも幾度となく使者をつかわし、お願い申しあげてきた例の件についてであるが、なにとぞこれは双方の政治時背景とは無縁のものとして考えていただきく存ずる次第である。もちろん、聡明にして慈悲深きキィリンク王なれば、拙などがあえて口出しするまでもなく重々心得ておられるものとは思うが、あの一件は、あくまでも個人的な頼みごと。同じ立場の者として、私の心中を察していただきたく、こうして筆をとった次第。なにとぞこの愚かな男の願いを叶えていただきたく候。嘆願成就の暁には、両国に多大なる益がもたらされること、これ必定である。双方の平和のためにも、かの者の解放を強く望むものである。ーーダークネシィア国王クトルリン』。ーーほ、相も変わらず口先の巧みなことよな。どう思う、アプロス」
 老兵士はむっつりとしたまま首を振った。
「一から十まで虚言の塊。申しあげることはなにもございませんな」
「ふん、まったく片腹痛いわ。己こそが諸悪の根元であろうというのにな。なんにしても、これほど頻繁に親書が届くところを見ると、奴らもいよいよ焦ってきたようだ。やはりあの噂は本当なのかもしれん」
 と、それまで冷静なる態度で耳を傾けていたアプロスが、ずいと身を寄せ鋭い眼光で王に迫った。
「王よ、いまこそ始末をつけるべき時です。一刻も早くあの者を抹殺なされませ。悪しきこと、災いのおこる前に」
王はしばし沈黙し、慎重な様子で口を開いた。
「……しかし、あれを殺せば間違いなく全面戦争を引き起こすのだぞ」
「その時はその時。向かってきたならば討つまでのことでございましょう。ーーそれよりも、あの者が生きてこの世にいることこそが、よほど私には忌まわしい。あれはすべての害悪の象徴です」
 キィリンクは部下のただならぬ迫力に一瞬たじろいで身を引いたが、すぐに表情を曇らせ眉をしかめた。
「言いすぎだ、アプロス。あれにも……同族の血が流れておるのだ。それも……直属の、な」
「王よ、そのようなことを申しておられるから、いつまでも闇の者がつけあがるのです。いらぬ情けは無用。さっさと始末して、その首をクトルリンに送ってやればよろしいのだ。それでいっさいのけりがつく」
「アプロス!」
「あなたは! キィリンク王!」
 アプロスは感窮まったように、どん、と両手で眼前の机を叩いた。だがさすがに王に対して不遜な態度をとってしまったことに気づき、激した感情を抑えるように大きく荒い鼻息を吐いた。
「私は……心配なのです、キィリンク王。戦よりもなによりも、……ユウラファーン様のことが。あなたはご自分の息子の運命を憂えてはいらっしゃらないのですか? 王よ」
 キィリンクの顔からすっと血の気がひいた。唇の端がかすかにひきつっている。喉から絞りだすようにかすれた声で返事をかえした。
「ならばおまえは、なぜ私が十七年前、この手を血で汚したと考えているのだ? すべては愛しいわが子の為。しいては……国の為に」
「ではなんら迷うことはございませぬ。いますぐ立って、この忌々しい事態に幕をおろしに行くべきだ。あなたがやれないと申されるのなら、私がこの手で」
「もういい! 黙れ!……わかっている、わかっているのだ、アプロス」
 王は額をおさえて黙りこんだ。
 アプロスは責めるような眼差しを向けじっと王を見つめていたが、やがて無言のまま出ていった。あとに残された王はひとり苦悩に沈んでいた。

  *       *

 木々の枝をはじいて、小りすのように妖精達が飛び跳ねていた。宙を舞う露の滴が、木漏れ日の中できらきらときらめく。ユウラファーンは思わず見とれ、足を止めた。
 王宮の裏手にあるこの森は、いまなお人の手の入らぬ古の自然の姿を色濃く残している場所である。見かけなくなって久しい魔物や妖鬼も、ここにはまだ生き残って暮らしているとも言われている。
 出入りを禁じられているこの森だが、こうして足を踏み入れてみると、まさしくここが人々の恐れる神秘の場所であることをユウラファーンはしみじみと感じていた。
 世界最強にして慈悲深く、普く世を制したと伝えられる、偉大なる聖霊王。その最も強き血の後継者といわれる銀紋族。中でも純粋なる血統を守り続けた王族の彼にとって、普通の人間には不気味ですらある不思議の世界は、えもいえぬ魅力に満ち溢れていた。
 一足進むごとに俗世の匂いをうち消してゆく木々の息吹は、いたるところに存在を感じさせる精霊達と相まって、一種近寄りがたい雰囲気をかもしだしていた。確かにここならば、王宮の背後を守る自然の要塞にはうってつけと言えるだろう。
 ユウラファーンは下草を踏みわけながら、ゆっくりと歩いていった。
 タブーを破ってこんな所までやってきたのには、ふたつの理由があった。
 ひとつはメイアとの約束である。
 ダークローズの花はシャインフルーでは絶対に咲かないといわれていた。闇の花にとって、この国の陽の光は強く眩しすぎるのだ。
 だがこの森の奥にあるという岩窟の中になら、もしかしたら咲いているかもしれない。そこはかの地の底の国のように、日も射さず、寒く、流れる水は指をも凍えさせると聞いた。
 戦を待ち望むことなどできないし、かといって花ひとつの為にダークネシィアに降りるような危険な行いも許されない。貴重な銀紋の世継ぎとして、愚かなふるまいはそのまま国を滅ぼすことになりかねないのだ。
 しかしこの森ならば、たとえ魔物や鬼がいるとしても光の中である。敵国よりはずっと安全といえるだろう。愛しい妹のためにも、ぜひ一輪の花が彼は欲しかった。
 そしてもうひとつの理由とは。それはもっと他愛のないばかげたことであった。
 先日友人達に誘われて、下町の豊穣祭に出かけていった時のことである。ユウラファーンは、流れ者であきらかに闇紋族の血をひくと思われる薄い肌の色をした怪しげな占い師の老婆に出会った。その老婆は頼みもしないのに、顔をあわせるなり彼にこう告げたのである。
『北東、ヨグルリ月夜明けの方向、光なきほこら。それがおまえを呼ぶ場所だ。運命をつかさどる聖霊ウネメスが、おまえに隠された双子を授けるだろう』、と。
あまりの突然のことにユウラファーンやまわりの者が面食らって唖然としている間に、老婆はどこへともなく消えてしまい、その言葉だけが残された。ふってわいたような出来事であった。
 運命の双子。それは遥か昔からシャインフルーに伝えられる不思議な言い伝えだ。
 守護月、守護星、守護神という旧占星学上での三つの星まわりを同じくするふたりの者は、聖霊ウネメスによって、血や年齢、性別になんら関係なく、双子のように深い絆でもって結ばれている、というのである。
 いったんその双子が巡り会ったならば、決して離れることはなく、生涯運命を共にする。異性ならば最高の伴侶、同性ならば比類なき友として、永遠につながれているのだ。
 いま若者の間では、恋人さがしのひとつとして運命の双子を見つけることが流行り事のようになっていた。そこに突然こんな予言である。当然のように友人達は皆そろってはやしたて、ユウラファーンは閉口した。
 王族である自分が己の意志で伴侶を選ぶなど、夢のまた夢であることはよくわかっていたし、またあまり占いも信じてはいなかった。きっとあの老婆は、額にある銀紋をめざとく見つけて王子の自分に媚びをうったのだろう。運命の定めた相手など、そう簡単に見つかるわけもないのだ。
 だがそれでも、一抹の期待といったものが胸に残り、あとでこっそりとその方角を調べたところ、この森に相当することがわかった。それでメイアの件にこじつけて、自分を納得させてやってきたというわけである。
 だが実際ここにきてみると、やはりあの占いはまったくの虚言であったことがよくわかった。この森で会うものといったら妖精か魔物だけだ。とても人間がいるとは思えない。
 ユウラファーンははるばる禁を犯して出かけてきた自分がおかしくて、ひとり笑った。明るくはりのある声が森の木々にこだまする。小さな妖精達が彼の発する生命力に満ち溢れた気に魅かれて、まとわりついてくる。それを引き抜いた草の穂ではらいながら、彼は奥へと進んでいった。
 しばらく行くと、やっと正面に洞窟が見えてきた。入口で一瞬躊躇したが、意を決して踏みこむ。中は深くひんやりとしていて、ときおり天井からしたたり落ちてくる水に驚かされた。
 五・六十メートルも進んだところで、岩肌に珍しい花苔が咲いているのを見つけた。やはり闇の中でだけ生息する植物で、ダークローズ同様ダークネシィアにしか咲かないといわれている花である。ユウラファーンは自分の思惑がかないそうな可能性に、喜び勇んで歩を進めた。
 数分も行くと道が二股に別れていて、彼は立ち止まった。どちらに進むべきか迷って奥を覗きこんでみる。すると、その片方が奥の方でかすかに輝いているのに気がついた。
 ユウラファーンは眉をしかめた。太陽の光ではない。青白く、なにか異様な輝きである。怪訝に思った彼は、不安を感じつつも、その正体を見きわめようと光源に向かって歩きだした。
 ゆうるりと右にカーブした洞窟を曲がると、ふいに目もくらむほどの強烈な光の壁が現れ、ユウラファーンは思わず身を引いた。
 魔物の仕業かと、あわてて腰の剣に手をかけたが、すぐにそれが自分の知っているものであることに気づき、手を止めた。
「これは……光の結界」
思わず彼は独りごちた。それは、光に属する精霊たちの魂を集めてつくった、闇のものを排するための結界であった。
「だが、なぜこんな所に……?」
 父王キィリンクのなした仕業であることはわかっていた。銀紋の国には聖なる石を持つ王以外にはその力を使える者はいないのだから。
 恐る恐る手を伸ばしてその壁に触れてみる。多少ピリピリした感触はあるが、傷を受けるようなことはない。光の種族の純血種である彼にとって、聖なる光の力の結晶ともいえるそれは危険な障壁でない。
ユウラファーンは壁を前にして、しばし悩んだ。
 これ以上進むべきか否か。滅多に使われることのない光の力を使ってまでも封じられたこの場所には、多分危険きわまりないもの、目に触れてはいけないものが隠されているに違いない。その禁を破ることは、王子といえども簡単に許されることではないだろう。
 だが考えなおしてみれば、そうまでしても失わずに守っておきたいほどの貴重なものが中にあるということだ。彼はむくむくと好奇の芽がわきたってくるのを感じた。中を見たい。いったい何が隠されているのかを知りたい。どうしても。
ずいぶんと思い悩んだ末、彼はその押さえきれない感情の前にあえなく屈服した。王族としての自覚も責任も、若者の未知なるものへの好奇心には勝てなかった。
 ユウラファーンは一度大きく深呼吸すると、腰の剣を鞘ごと抜いてまず最初にその壁に差しいれてみた。剣はなんの抵抗もなく、すうっと根元まで一気に入っていった。壁のむこう側にはそれに触れてくるものの気配はなかった。すぐそこに凶暴な魔物が潜んでいるといった訳でもないようである。
 彼はゆっくりと引き抜いて剣を腰に戻すと、今度は自分の手を慎重に差しこんだ。
 心を研ぎ澄まし、緊張しながら少しづつ奥まで腕をさし入れる。手首のあたりまで入れて一旦止めた。ユウラファーンのしなやかな褐色の腕は、白く輝く光にすっぽりと隠れ、壁の中に埋没していた。
 精神を指先に集中する。とりあえず近くに魂の存在はないようである。ユウラファーンは意を決して足を踏み出した。吸いこまれるように彼の体が壁の中に消えてゆく。むきだしの顔や腕の肌が火にかざした手のひらのようにひりひりと熱く感じ、彼はわずかに顔をしかめた。
 無造作に編んだ金髪のおくれ毛が陽炎のようにゆらゆらと揺れたち、衣の裾がふわりとなびく。一瞬の苦痛のうちに、ユウラファーンは結界を抜けて封じられた世界へと入りこんでいた。
 最初に目に入ってきたのは、床に敷き詰められた真っ赤な絨毯だった。
 それも草原羊の毛をふんだんに使った厚く柔らかな高級品で、王宮の自分の部屋に敷いてあるのと同じような品物だ。
 ぐるりとあたりを見わたしてみると、そこはまるで宮殿に戻ってしまったのかと錯覚させるほど丁寧にあつらえられた、ひとつの部屋であった。
 豪華な彫り飾りのついた机。座り心地のよさそうな厚いクッション敷きの椅子。金の燭台に銀のカップ。なにもかもが見慣れたものに溢れている。ただ美しく編まれたタペストリーの隙間に見え隠れする岩肌だけが、ここが洞窟の中であることを物語っていた。
どんなに危険な秘密が隠されているのかと期待と不安に胸をときめかせていたユウラファーンは、すっかり拍子抜けして、ため息をついた。
(ここは……、父上の内緒の書斎かなにかなのかな?)
 そんなことを考えながら、のんきに部屋を見まわした。椅子の背には脱ぎ捨てられたガウンがかけられており、グラスには酒が中途半端に残っていた。まるで今の今までそこに誰かがいたかのようであった。
 ふと気づくと、壁の片隅に厚い更紗の織物を扉代わりにした出入り口があった。どうやら奥にもう一部屋あるらしい。勝手に踏みこむことに多少良心の呵責を感じながらも、ユウラファーンは好奇心に誘われそこに向かった。
 片手で重い更紗を持ちあげ、頭をくぐらせる。そして中を目にした途端、思わず驚愕の声をあげ、立ち止まった。
 そこに、ひとりの青年がいた。
 その青年もまた、ユウラファーンの突然の出現に彼同様ひどく驚いて、座っていた椅子から弾けるように立ちあがった。
 青年は大きく目を見開き、声もなくユウラファーンを凝視している。ふたりはあまりの出来事に、お互いなすすべもなく黙って見つめあっていた。
 ユウラファーンは呆然としつつも、なめるように青年を見いった。
(何者だ? なぜこんな所に……)
 もちろんどう考えたって、答などわかるわけもない。だが目の前の男について、はっきりしていることがひとつだけあった。
 彼は闇紋族の人間。しかも闇王クトルリンの血を引く直系の、多分ーー王子だ。なぜなら彼の額にもまた、血の証をしめす闇の紋がくっきりと現れていたからである。それもユウラファーンとは違って、黒曜石のような真っ黒な色の星型の紋が。
 敵国の者を前にしながら、ユウラファーンの心には少しも危機感はわいてこなかった。青年があきらかに丸腰であったせいもあるが、なによりもその信じがたいほどの美しさに圧倒されたのである。
 青年は透き通るように真っ白な肌の色をしていた。
 光の下に生きる銀紋族とは違い、地底に住む闇紋の者はみな一様に白い肌をしている。だがその中でも、これほどまで見事に透明に輝く肌の者には、いままで一度だって出会ったことはなかった。
 闇の王は骨が透けるほど蒼白き肌を持つと噂に聞いたことはある。だが実際見たわけでもないし、想像もつかなかった。しかし今ここにいる者はまさしくそれだ。触れるのもためらわれるほどに、柔らかで、またはかなげであった。
 そして、その肌に包まれたすばらしく美しく、すばらしく妖しげな面立ち。
 細く高い鼻。優美な弧を描く薄い唇に、尖った顎のしなやかなライン。額の紋と同じ色をした黒曜石のような艶やかな瞳。青年というよりは、まるで見事に開花した女性のようなかんばせである。驚きにやや歪んではいるが、その美しさは少しも損なわれてはいなかった。
 柔らかに波うつ漆黒の髪は、編まれることもなく奔放に肩や背にしだれかかり、毛先は豊かに地に届いていた。ユウラファーンも王族の習いとして腰にかかるまでの長い髪をしていたが、そんなものの比ではなかった。きっと生まれてから一度もはさみを入れられたことがないに違いない。
 青年は衿の立った黒いシャツに、同色の暖かそうな厚手のローブを羽織っていた。足にはしっかりと長いブーツを履いている。顔と手を残して全身黒という色で覆われた彼の体は、驚くほどに細く華奢で、白い肌をいっそう際だたせていた。
 ユウラファーンはあまりにも自分達銀紋族とは違うその容姿に愕然とした。
 それに、世の中にこんな美しいものが存在するとはとても信じられない。本当に生きているものなのだろうか。
 たっぷりと数分は無言で見つめあった後、先に口火を切ったのは青年のほうであった。
「……おまえ、どこから入ってきた?」
 ユウラファーンはその声に我に帰って、戸惑いつつも素直に答えた。
「結界を……抜けて」
「結界を? あれをどうやって?」
「僕には通れる。光の、壁だから」
 青年は信じがたいといった表情を浮かべ、自らの目で確かめるように結界に向かって歩きだした。するりと側をすり抜けてゆく。ユウラファーンは慌ててあとを追った。
 青年は壁の前で立ち止まり、恨めしそうな視線を向けてつぶやいた。
「これを通って……か。ふふん、いとも簡単そうに。十七年間もの長い間私を閉じこめたこれを……」
 青年は眉をひそめ、白い手を伸ばした。掌が壁に触れそうなほど近づいたその途端、壁は突然凶暴な獣のごとく牙を剥き、稲妻のような小さな光を放って青年の手を撃った。青年は強烈な苦痛にとびのいた。
「あつっ!」
「大丈夫か?!」
 ユウラファーンはとっさに青年に駆け寄った。思わず手にした彼の手は驚くほどに冷たかった。
 そっと掌を見ると、痛々しく火傷を負っていた。ユウラファーンは二の腕に巻いていた飾り布をはずし、青年の傷をおおって巻いた。青年は不思議にあらがいもせず、なされるがままにユウラファーンを見つめている。ユウラファーンが顔をあげると、その黒い瞳に出会った。優しい眼差しであった。
「おまえは……キィリンクの息子か?」
 ユウラファーンはちょっと驚いたが微笑んで答えた。
「そうだ。第一王子ユウラファーン。きみは、闇紋族の王子だね?」
「それは……言えない。私の名はゼルファだ」
「隠しても無駄だよ。そんなに鮮やかな闇の紋が、額にあるじゃないか。王子の印だ。だろ?」
 青年は寂しげな笑みを浮かべると、小さく首をふった。
「言えないのだ、私の出生に関することは。言いたくても言えない。封印されている」
「封印?」
 ユウラファーンは眉をしかめて問い返した。
「封印って……、伝説の……封印のことか?」
 青年は無言でうなづいた。ユウラファーンは驚いて、思わず声高に反論した。
「まさか! そんな、そんな闇紋族の者に対して封印が行われたなどという話、僕は聞いたこともないぞ。大体誰がそんなことを……」
「この世に伝説を封印できる者は、たったひとりしかおるまいに」
青年はユウラファーンとは対称的にあくまでも静かだった。
「……父上か。しかし、なぜ父がそんなことを?」
「それも言えぬな。残念だが。ーーなんとも空しい会話だな。ちっとも話が進まない。せっかくのお客様なのにね。おまえ……ユウラファーンといったな。酒は飲めるか?」
「少しなら」
 青年は部屋の片隅の戸棚から銀のグラスを取りだすと、テーブルの上の紅桜酒を注ぎ入れ、ユウラファーンに差しだした。ユウラファーンは杯を受け取ってすすめられた椅子に腰掛けると、青年を見つめたまま黙々とすすった。
 さまざまな疑問がわいてきた。この者はいったい何者で、なぜこんな所に閉じこめられているのか。どうして父はなにも自分に話してくれないのか。そしてーーいったい、なんの為に封印などをおこなったのか。
 伝説の封印。それは聖なる石を持つ銀紋の王だけに与えられた、おおいなる力の技である。
 世界に、人の世の口の狭間に、どうしても伝えたくない事実がある時、それを光の力で宝玉という形にして中に封印してしまうのである。
 一度封印された事柄は誰もその話を口にだして語ることはできない。永遠にそれを知る者の心の中と、そして宝玉の内に秘められたまま、眠り続ける。語られぬ話はそれ以上誰にも伝えられることはない故に、その事実は時とともに世界から失われてゆくのである。
いったん封印されてしまうと、もうそれを解くことは誰にもできない。唯一銀紋の王だけは宝玉の内を見ることができると伝えられてはいるものの、歴代の王の中で誰もそんなことをした者はいなかった。国を滅ぼす行為として絶対的な禁忌であったから。
そのように極めて強い効力を持つ技であったから、その力が行使されることは滅多になかった。
 また、この技を使うためには人の命の力が必要であった。
 ひとつの封印につき、一つの命が犠牲になる。一人の人間が死んでゆくのである。古より残されている宝玉はいま五つ。つまり五人の者が、伝説の封印のためにその命を捧げたということだ。その行為が容易に許されるものではないことは当然だった。
 ユウラファーンはそれほどのことをするに踏み切った父の心情について、ひたすら考え悩んでいた。
(いったい何を隠そうとして、そして誰が死んだというのだろうか? ……彼の出生? この男は、ただの闇の王子ではないのか? では、なんなのだ、彼は?)
「わからないことだらけでいらいらしてる、といった顔つきだな」
 ゼルファと名のった青年は面白そうににやにやしながら、ユウラファーンを興味深げに見つめていた。
 知的で冷たい印象を与える風貌ではあったが、その眼差しには熱く堅い意志を秘めているのが感じられる。ユウラファーンは目をそらすこともできずに、じっと見返した。
 ゼルファは優雅なしぐさで肘かけにもたれかかると、くつろいだ態度を見せて言った。
「むなしい答を浴びるほど聞いてかまわぬというのなら、なんでも聞くといい。そのうちの幾つかなら答えられるものもあるだろう」
 ユウラファーンは促されるままに質問した。
「なぜここに入れられている?」
「言えない」
「君の両親の名は?」
「それもだめだ」
「君は、いくつ? いつからここにいる?」
「歳は十九になったばかり。ここには十七年前からいる」
「十七年! 十七年間ずっとか! 独りっきりで?」
「ああ、独りで。もっとも世話役の女がやってはくるがな。口と耳に魔物の呪いを受けた混血の端女だ」
「ずっと、ここにか……。まさか、一歩も出ずに?」
「そうだ。私に与えられたのは、ここと隣の二部屋だけだ」
 ユウラファーンは愕然として押し黙った。なんというむごい仕打ちだろう。十七年間もの長い間、こんな狭く暗い場所にたった独りで閉じこめるとは。あの優しく慈悲深い父からはとても想像できない行為である。
「なぜそんな酷いことを、父上は……」
 思わずもらしたつぶやきに、ゼルファが冷やかに返答した。
「すべては封印に関連したこと。私には何も語れぬ。知りたければキィリンクに聞くがいい。ーーいや、それも無駄か。封印とは、かけた本人にすら有効なのだそうだからな。なんとも融通のきかぬ力よな。もっともおまえ達銀紋は、それもまた潔しと誉めたたえるのであろうが。は、まったく馬鹿げた話だ。はっはっは」
 ゼルファは乾いた笑い声をあげた。それはユウラファーンの心に深く強く突き刺さる。ユウラファーンはうつむき、唇を噛みしめた。
「君は……父を、憎んでるのか?」
「ああ憎い。当然だろう。こんなめにあわされれば」
「……すまない」
 うなだれるユウラファーンに、ゼルファは急に態度を変えて、優しい響きをこめ話しかけた。
「おまえが謝ることはない。あいつの息子だからといって、おまえを責めたりはしない」
「だが……、すまない」
 かたく口を結び、ユウラファーンはこうべを垂れた。ゼルファはじっとその姿を見つめていたが、やがて椅子から立ちあがると、ゆっくりとユウラファーンのほうに近づいてきた。
 目の前の床に優雅な猫のような仕草で腰をおろすと、正面から見あげてつぶやいた。
「……不思議だ。実に不思議だ。私は銀紋の奴らの誰に対しても強烈な違和感を感じるが、おまえは違う。いや、違和感どころか、親近感すらおぼえる。ふふ、妙だな。初対面だというのに。なぜおまえといると心が安らぐのだろう。こんなおかしな気分は初めてだ」
 ユウラファーンもつぶやいた。
「僕も……不思議だ。君を見ると心が騒ぐ。胸が高鳴る。でも、少しも君を憎いとは思わない。討ちたいとも思わない。君は闇紋の人間なのに。どうして? 君は何者だ?」
「私はゼルファだよ、ユウラファーン」
「……ゼ・ル・ファ……」
 ユウラファーンはその名前を口にして、甘い響きに当惑した。

    *       *

 爽やかな風が吹き抜ける昼下がり、王宮の中庭の芝生の上では激しく剣のぶつかりあう音がしていた。
 ふたりの男が、近づき、とびのいて離れ、輝く汗を散らしながら互いに息をきらして戦い続けていた。
 片方の男は、がっちりとした肩幅と厚い胸板を持った逞しい体躯の青年である。むきだしの腕や足に幾つかの傷跡が残っていることから、幾度となく実戦をくぐり抜けてきた兵士であることがうかがえた。
 死の縁すらも渡ってきたのであろう。青い瞳は不屈の精神力と自信にあふれ、活力に満ちていた。
 もうひとりの者はまだ若かった。エウルリ鹿のようにすんなりと伸びきった肢体をいささか持て余し気味に扱いつつも、鋭い反射神経と軽い身のこなしで、相手に劣る力の差をカバーしている。
 まだ腕も肩も細くなよやかだったが、その戦いぶりは決して負けることはなく、唇には薄く笑みすら浮かべていた。
 金色の髪が搖れるたびに、額の中央にある紋がきらきらと光る。ユウラファーンであった。
「いいかげんに降参しろよ、シンオウ。息があがってるぞ」
「そちらこそ、ユウラファーン王子。動きが落ちてきましたよ。ーーほら、そこだ。そんな情けない返しじゃ、……ふう、実戦には通用しませんな」
「言ったな。ようし、これで、決まりだ! どうだ!」
「わわっ、まいった! 降参です、くそ」
 シンオウは芝の上に転がったまま荒い息をくりかえした。ユウラファーンも肩を激しく上下させ、爆発しそうな心臓をなだめている。
 しばしの休息の後、ユウラファーンは手を差しだして剣の教師をひっぱりおこした。
「もう一戦やるかい?」
 シンオウは大袈裟に手を振って、大きく息を吐いた。
「いいえ、結構ですよ。さすがの私もばてました。おしまいにしましょう」
「じゃあ今日の剣の授業は終わりだね。もう行っていい?」
「どうぞ」
 ユウラファーンはにっこりと笑うと、さっと身をひるがえして飛ぶように駆けていく。あっという間にどこかに消え去って見えなくなった。
 その後ろ姿を楽しそうに見守っていたシンオウのもとに、いつのまにか王が寄ってきて話しかけた。
「少しはまともな腕になったかね、あれは」
「どういたしまして。たいした上達ぶりですよ、王子は。三本に一本はとられます。もうりっぱに一人前の剣士ですな」
「なんの、まだ子供だ。ゲームのように剣術を楽しんでいる。あれではとても一人前とはいえぬわ。あいつはどうも真剣味というものに欠けておるな。甘やかして育てたつもりでもないのだが、困ったものだ。優しさだけでは国を守ってゆくことなどできぬのに……」
 キィリンクは冷たく評するとため息をついた。シンオウは笑って弁明した。
「王よ、ユウラファーン様はまだ十七ですよ。望みすぎはお可哀相です。良き世継ぎではありませんか。知にすぐれ、剣にもたけ、性格もまっすぐで清らか。人望も厚く、誰からも慕われる。これほどの若者は滅多にいないと思いますが」
「いささか誉めすぎではあるが、おまえがそう言ってくれるのは嬉しいな。ーーところであいつはどこに行ったのだ? ずいぶんと慌てていたようだが」
 シンオウはくすくすと笑った。いぶかしそうに見るキィリンクに、にやにやしながら答える。
「それが……、王もまだご存じないようですね。どうも王子はようやく熱き矢をお心にお受けになられたようで。恋をなさっているのだと思いますね」
 王は一瞬目をむき、すっとんきょうな声をあげた。
「恋! ユウラファーンがか?」
「はっきりお伺いしたわけではありませんがね。なんせどんなに問いつめても、行く先も相手の名もおっしゃろうとはしないもので。悪い相手にひっかかっているのではないかと、それだけは心配なのですが」
 王はユウラファーンの消えた方向を見やりながら、感慨深げにつぶやいた。
「あいつが恋をな。ついこの間まで、メイアさえいれば他の誰もいらぬという顔をしておったのに……。ほお、あいつがな」
 キィリンクは多少複雑な心境ではあったものの、なにかほっとするのを感じた。
勿論恋愛のすべてが幸福につながるというわけではないし、また王族の宿命としてすべてを認めてやれるわけでもない。しかし、どんな結果にしろ、その新しい体験はきっと彼を成長させてくれるに違いないのだから。
「まあ、泣いて帰ってきたら、酒でも飲ませて慰めてやってくれ、シンオウよ」
「おや、端から叶わぬ恋ととってかかっておりますな、王は」
「あたりまえだ。あのぶきっちょにそうそう女が落とせるとは思えぬわ。おまえだってそう思って、のんきにかまえているのだろうが」
王とシンオウは顔を見合わせて笑った。
 一方、そんなことを噂されていようとは夢にも思わぬユウラファーンは、誰にも行き先を気取られないよう慎重に気を配りながら、ひたすらゼルファのもとへと向かっていた。
(キィリンクには絶対に悟られるな。もし知れたら二度と会えなくなるぞ。私達が会うのは、間違いなく禁忌なのだから)
 何度となくゼルファに念を押されたのを、思いだしては苦笑する。
 確かに、封印までして隠している者と秘かに会うことは、激しく父王の怒りをかうに違いない。敵国の王子と仲良くなるのも、歓迎されはしないだろう。
 だがユウラファーンには決して損失ばかりがあるとも思えなかった。いずれ自分が王になった時、心通う闇紋族の存在は、戦いばかりの両国に暖かなつながりをもたらしてくれるかもしれぬではないか。それを話すとゼルファは馬鹿にしたように笑うのだが。
 ユウラファーンはため息をついた。
 ゼルファと自分は出会ってから間もないにも関わらず、部族の違いを越え、深い友情をきずきつつある。なのに、こんなにも信じ愛しあえる友の処遇を、なにも助けてやれぬのが辛かった。
 いったいいつまで、こんなふうにこそこそと人目を気にして会っていなければならないのか。運命的な出会いすらをも感じた相手だというのに。
 そう考えた時、ふとユウラファーンはあることを思いだして愕然とした。
(……運命的? 運命って、まさか……)
ユウラファーンはすっかりその思いつきにとりつかれ、一目散に洞窟へと走った。もうすっかり慣れっこになった結界を苦もなく通り抜けると、友の待つ部屋へと大急ぎで駆けこんだ。そしてにっこりと笑顔を見せるゼルファに、息を切らしながらたずねた。
「ゼルファ、君、君の生まれた月と日にちは言えるかい?」
「なんだい、ユウラファーン。来る早々」
「いいから教えてくれよ、早く」
「ミズラ月の中十四日。それがどうかしたのか?」
「確か旧占星学の暦一覧表の載った本があったよな。ええと、これじゃない、これ……これだ! 見つけた!」
 少年はぶつぶつと独り言を言いながら、書物の棚から一冊の古い本を選びだした。訳のわからぬ行動を怪訝な顔つきで見ているゼルファを後目に、彼は焦る気持ちを抑えつつページをめくった。
「あったぞ。ええと……生まれた年は僕より二年前だから、……この列だな。ミズラ月、中十四日、と。よし、さて守護神は誰だ? ……ユーテス。守護月はマイミズラ、守護星は……リテリウス! やっぱりそうだ!」
 ユウラファーンは嬉しそうに叫んだ。しびれをきらしたゼルファが後ろからのぞきこんで尋ねた。
「いったいなにを見て喜んでるんだ、おまえは?」
 ユウラファーンはふりむき、晴やかな笑顔を返した。
「ゼルファ、初めて会った時、君は僕に初対面なのに親近感を感じるっていったよね。それは僕も同じだった。その訳がわかったよ。僕らはね、双子なんだ。ウネメスに定められた、運命の双子なんだよ」
「運命の双子? なんだい、それ?」
「三つの守護霊が同じ者を、シャインフルーではそう呼ぶんだよ。年齢や血のつながりはいっさい関係なく、本当の双子以上に強い絆を持つという。そしていったんその相手同士がめぐりあったならば、生涯離れることはなく、運命をともにするとも言われている。だから僕達はこれからもずっと一緒にいられるんだよ、ゼルファ」
 ゼルファは目を丸くし、それから少し呆れたように微笑んで見せた。
「なんともロマンチックな言い伝えだな。ふふ、おまえ本当に信じているのか?」
「信じてるさ! 空の下で生きる銀紋族にとって、星と月は大いなる影響力を持つ。守護の違いで生死が別れることだってあるんだから」
「白い肌の私にもか?」
 ユウラファーンは言葉につまった。
 そうだ。興奮してすっかり忘れていたが、ゼルファは闇紋族の人間なのだ。地底の国には星も月も関係ない。従って占星学も存在せず、三つの守護霊も無縁のもの。
 つまり、運命の双子などというものも存在しないのだ。彼は、運命の相手などではありえないのだ。
 ユウラファーンはがっくりと力が抜けて椅子に座りこんだ。浮かれた気分がいっきに落ちこんでゆく。頭の中が真っ白になって、惚けたようにくうを見つめた。自分の思いこみを頭から信じきっていただけに、その反動は大きかった。
 最初はからかうように笑っていたゼルファだったが、少年のあまりの落胆の様子に、側に寄って金色の髪を優しく撫でつけて慰めた。
「そんなにがっかりするな。運命なんて関係ないさ。私はおまえが好きだし、おまえも私を好きだろう? それでいいじゃないか。星のつながりなどなくったって」
「そりゃあ……そうだけど」
「それに……」
ゼルファはふとなにかを思いついたように言った。
「まんざら感違いともいえぬかもしれんぞ。だって私には、……半……」
 ゼルファの言葉が突然とぎれる。胸に手をあて、苦しそうに眉をしかめて口をつぐんだ。彼の急の変化にユウラファーンは驚いて顔をのぞきこんだ。
「ゼルファ? どうした?」
「なんでもない。封印に……触れただけだ。胸が痛む……」
「大丈夫か?」
 心配そうな瞳を向けるユウラファーンに、ゼルファは蒼い顔にかすかな笑みを浮かべて答えた。
「もう治ったよ、優しいユウラファーン」
 少年の柔らかな髪に手を伸ばし、いとおしそうに触れながらささやきかけた。
「おまえの髪。……きれいな色、暖かな陽の色だ。私はなにを見ても美しいと感じたことはないが、おまえだけは別だ。生気に溢れ、生きる喜びが伝わってくる。この世の幸福が伝わってくる。……ああ、美しい私のユウラファーン。おまえは私を信じられないほど穏やかにする。おまえといる時だけ、私は自分が冷たき血の者であることを忘れるのだ」
 ゼルファはなにかに願いすがるかのように、瞳を潤ませて語った。
「なにをいってるんだ、ゼルファ。君はいつだって優しいじゃないか。僕は正直言って、闇紋の人間にこんなに暖かな心を持った者がいるなんて思ってもみなかったよ。皆冷酷で残虐な奴らばかりだと、ずっと信じていたんだから」
「それは……間違いじゃない。闇の者は冷たく残忍で、裏切りも嘘も苦痛ではなく、微笑みながら人を殺すだろう。己を見ればわかる。私はそういう男だ」
「君はそんな奴じゃない」
「そういう者だ。おまえが真実の私を知ったら、きっと離れてゆくだろう」
「ゼルファ……」
 黒い瞳が深い悲しみを訴えていた。その眼差しはユウラファーンの心を震わせた。少年はいらだちに唇を震わせながら言葉を返した。
「なぜ、そんな悲しいことを言う? 真実の君とはなんだ? いったい君になにが隠されているというんだ? 教えてくれ、ゼルファ」
「ユウラファーン……」
ゼルファの顔に困ったような笑みが浮かぶ。
「ああ、わかってるさ。くそっ、封印か! 君を知りたい。君のすべてをなにもかも知りたい。なのに……手だてがない。どうすればいいんだ? 僕はもう我慢できないよ。父に問いただしてみる。なにか手だてがあるかも知れない。いや、とにかくここを出してくれるようだけでも頼んでみよう。たとえ何があろうと、こんな所にいつまでも居ちゃあいけないんだ」
 そう言うと早計にも出てゆこうとするユウラファーンを、ゼルファは蒼白になってひきとめた。
「やめろ、ユウラファーン! 二度と会えなくなってもいいのか?」
「そんなことはさせない。説得してみせる。僕らの友情を切りさく権限は父上にだってないはずだ。君をここからだすよう頼んでみる」
「無駄だ。おまえはなにも知らぬからそんな甘い夢が見れるのだ。キィリンクの怒りは、おまえの言葉で消せるようなものではない。私の憎しみもだ。私達は敵なのだ。それも……血を、つ……。くそ……、胸が痛い。封印が私を苦しめる」
ゼルファは胸を押さえてかがみこんだ。額に汗がにじみだす。蒼い顔がいっそう血の気を失い、彼は苦しそうに低くうめいた。ユウラファーンはあわてて彼に駆け寄った。
「ゼルファ! しっかりしろ」
 苦痛に顔を歪めながら、ゼルファはユウラファーンの胸にすがって訴えた。
「……頼む。今はまだ誰にも話すな。私から離れるな。頼むから、ユウラファーン」
 しがみついてくる彼の体は信じられぬほどに華奢だった。ユウラファーンよりふたつも年上だというのに。
 ユウラファーンはその肩を抱きながら静かにうなづいた。
「ああ……、わかった。わかったよ、ゼルファ。誰にも言わない」
それでもゼルファはまだ不安げに、しっかりとユウラファーンの服をつかんで離そうとはしなかった。ユウラファーンはそんな彼を安心させるように、笑みを浮かべて見せた。
 だが内心ではいっそう思いが深まってゆく。ゼルファの過去を知ることの重要さを、隠された事実を知る必要性を。
 それはとてつもなく重大で大切なことなのだ。それがゼルファを苦しめ、自分を苦しめ、多分父をも苦しめて悲劇を生みだしているのだ。事実を知りたい。どうしても。そして、そのすべての謎を解く鍵は、封印にある。
 ユウラファーンはゼルファの細い肩を抱きながら、ひとつの決心を固めていた。

    *      *

 静かな夜が訪れていた。
 すべての魂が眠りにつき、聞こえてくるのは闇夜の森でささやく夜鴬の鳴き声だけ。さきほどまでさざめいていた木々の梢さえ、今ではおとなしく身をひそめていた。
 夜空の月は冴えわたり、蒼白い光が窓からさしこんでくる。そんな薄闇の中、ユウラファーンは寝床の上にあぐらを組んで、静かに目を閉じていた。
 彼の意識はすでにその肉体にはなかった。捕らえた精霊の魂とともに、どこか遠い場所をさまよい漂っている。
 それはゼルファに教わった技のひとつだ。精霊や妖精の魂の力を利用して行うそれは、闇の国の者達が使う技と同じものである。ただ違うのは、闇紋族の人々は闇に属する精霊達を、ユウラファーンは光の精霊を使うということであった。
 ゼルファは、その封じられ限られた世界の中で、生まれながらにして持つ闇の力を自らの力で会得し、自らのやり方で鍛錬して、極めて強力なるものになし得ていた。誰を教師としたわけでもないのに、その力は驚くほどに強かった。
 最初にそれを教えようと言いだしたのはゼルファの単なる気まぐれだったが、ユウラファーンが素直にその申し出を受けいれたのは、ある強い決意からであった。
 もちろん光の国において、その力の行使が王以外に許されないことはユウラファーンもよく知っていた。だが彼はひそかに期待していたのだ。もしも鍛錬したならば、聖なる石の力なくしても自分にゼルファを閉じこめている結界を消すことができるのではないかと。
 自分は直系の王族だ。光の国の世継ぎだ。血に秘めた力は間違いなく王に匹敵するはずである。なれば訓練しだいではいまでもその力を使うことは可能なはずである。あの光の壁さえ消すことができたなら、ゼルファを逃がしてやれるのだ。あの冷たい洞窟の地獄から。
(父上を説得して、それでどうしても駄目だったら、僕が彼を逃がしてやるんだ、闇の国へ。たとえそれが父の意志に反したことであっても。どんなに怒りをかうことになっても……)
 その強い決意のために、ユウラファーンは敢えて禁を破って力を教わることを決めたのである。
とは言え、最初はなかなか思ったようにいかず、幾度もあきらめかけた。だが一度要領を得るとその後は驚くほどの成長ぶりで、ゼルファも目を見張るほどであった。
ある程度力がついてきたのを実感すると、ユウラファーンは当初の目的のほかに、もう一つ欲がでてきた。それはゼルファにかけられた封印の内容を知ることである。
 父王を説得するにあたっても、ゼルファの素性に関する真実は絶対に知っておく必要がある。いったい彼の背負っている運命の何がいけなくて、あんなひどい罰を与えなければならないのかを。
 捕らえた精霊の魂が、命の力尽きてぽうっと弱々しく光って消えていった。
 ユウラファーンはその命の絶える瞬間に、また別の精霊へとのり移った。そのものの持つ自我を吸収して、ユウラファーンの意識で支配する。そうすることで、その魂が死ぬまでの間はユウラファーンの思うがままの下僕となるのである。
 もう幾晩もの間、ユウラファーンはこの行為に没頭していた。いったい何匹の精霊達の命が無駄に消えていったことだろうか。それはユウラファーンの優しい心に大きな呵責を残したが、それでも彼はやめようとはしなかった。
 彼は探していたのだ。絶対に見つけなければならないあるものを。封印の宝玉を。そのありかを。
 それは多分ひとつの小部屋、あるいは一段の棚といったほんのわずかな空間なのだろう。そこに宝玉は眠っている。たった五つの輝く玉。だがなによりも暗き伝説を秘めた玉が。
 その場所は王と他数名の信頼された側近しか知らぬ秘密の場所である。世継ぎの王子であるユウラファーンにさえ、まだ知らされてはいない。いずれ王位を継ぐ時がくれば、その秘密は自ずと証かされることになるだろう。だがその日まで待ってはいられない。今すぐ捜しださねばならないのだ。
 精霊の魂に意識を乗せて、ユウラファーンは王宮のありとあらゆる場所を飛びまわった。だがさすがにそう簡単に見つかるものではなかった。
 何度も挫折しかかりながらも、その都度ゼルファを思うことで自分を奮い立たせて続けてきたユウラファーンであったが、さすがに毎晩の捜索に疲労がつもり重なっていた。
(ふう、今夜も収穫はなしか……。しかたない。この霊の力がきれたら、それで終わりにしよう)
 燐光のように蒼白いその光は、ふらふらと漂いながら王宮の廊下を進んでいった。
 ひとつの部屋の前に出た。そこは歴代の王の肖像が置かれた人けのない一室だった。飾られた絵以外にはなにもない、ただ広いだけの部屋である。たまに古い儀式の際にだけ、晩餐の会食に使用されるぐらいで、普段は滅多に使われることはない。
 ユウラファーンに操られた魂は、小さな鍵穴から、すうっと中に入りこんだ。部屋は暗闇につつまれ靜まりかえっていた。
隅から隅まで調べつくし、得られるものもなく部屋を出ようとしたその時、部屋のどこからかごくわずかな、だが異質なる気が発散されているのにユウラファーンは気づいた。
(なんだ? 精霊のものではない。もっと別の……。まさか、まさかここに……?)
 一変して緊張し、精神をとぎすませてじっくりと少しづつ壁を探ってゆく。多分外見からはわからぬように綿密に偽装された隠し部屋になっているはずだ。はやる心を押さえつつ、なめるように壁面を這っていった。
 七代目の王の肖像画の前まできた時、彼の意識が強烈な何かに反応した。異質な力が絵の裏側にある。わずかでありながらものすごく強く、ユウラファーンを遥かに越えた未知の力が、確かにそこに存在している。
 哀れな精霊の魂が恐怖に身悶えしているのが感じられた。ユウラファーンはゆっくりと絵と壁を浸透し、内部へと進入した。壁の中には巧妙につくられたごくささやかな空間が存在し、そしてそこに五つの輝ける宝玉がひっそりと並んでいた。
 それはまさしく、伝えられる話の通り、人の命をもって創りだされたに違いない。なんという輝き、なんというすさまじき力であろうか。
 封印という言葉にふさわしく、その気は内部にむかって発散している。にもかかわらず、なおも漏れてくるその激しさ。目を射るような鋭い光のさま。半端な力では解放することなど到底不可能であることがすぐにわかった。多分王自身にも無理であろう。
 だが、中をのぞくだけならば、あるいはユウラファーンにも可能かもしれない。宝玉の内包している事実を吸収すれば、たとえ口にだして語ることはかなわなくても、少なくともゼルファと同じ過去の記憶を共有することができる。隠された彼の秘密を知ることができるのだ。
 ユウラファーンは慎重にそれぞれの玉を探った。遥かな古のものからごく最近のものまで、命をかけても人々の口の端から奪い取らなければならなかった深刻なる事実がそこに眠っていた。決して後世に伝えてはならない悲惨な出来事の結晶が眠っていた。
ユウラファーンは一番左側に置かれている宝玉に見当をつけた。
(多分一番新しい気を感じるこの宝玉が、ゼルファの出生を秘めたものに違いない。だがはたしてこの霊の魂で太刀打ちできるだろうか? この強大な力の技に……)
 ユウラファーンは懸念しつつ宝玉に霊を近づけていった。すでに自己の意識を失っているはずの魂が、猛烈に抵抗する。本能的に危険を感じているのだろう。いやいやをするように瞬き震えるそれを無理矢理押さえつけ、ユウラファーンは精霊を動かした。
 霊が宝玉の一端に触れた、と感じたその瞬間、強烈な衝撃を浴び、一瞬にして魂は霧散した。同化していたユウラファーンの意識が激しく放りだされる。引き裂かれるような苦痛が彼を襲った。
 強烈なショックにもうろうとし、気がついた時には、ユウラファーンは自分の肉体に戻って寝床の上に倒れていた。起きあがろうとすると頭の芯がつーんと痛んだ。
「ふう、酷い目にあった。なんて力だ。やはり直に触れるしか手はないようだな」
 ユウラファーンは立ちあがると、肖像画の部屋へ向かって走りだした。一分でも早くその内容を知りたくてたまらなかった。
 寝静まった長い廊下を足を忍ばせて駆けてゆく。普段使用されない場所なので、見張りのひとりもいないのは好都合だ。部屋に着くと、あたりを見渡してからそっと扉を開け、中に入った。
 明かり一つない真っ暗闇だったが、ついさっきまで精神がこの場に存在していたので、室内の様子は手にとるようにわかった。まっすぐに例の絵の前まで進み、慎重に額絵を取り外す。下から現れた壁は一見普通の壁だったが、掌で探ってゆくと小さな裂け目があり、隠し扉になっているのがわかった。
 指先に力をこめる。ゆっくりと壁が開いて中からまぶしい光が射し、あたりを照らした。
(あったぞ! ついに見つけた!)
 ユウラファーンはしばらくの間、感慨深くそれを見つめていた。やがて背を伸ばして深呼吸し、気を整えた。はたして自分の力で吸収できるであろうか。だが今更後戻りはできないし、する気もない。タブーであることはわかっている。しかしゼルファを救うためにはどうしても全てを知らなければならないのだ。ユウラファーンに迷いはなかった。
 ひと息大きく吸いこんで、両の腕を前に伸ばした。己の掌の中にすべての気が集まってゆくのが感じられる。それが充分なだけの力を満たした時、彼は一番左端に置かれた宝玉に向けて両手を差しだした。ユウラファーンの気を感じ取って、宝玉の輝きがいっそう強まったように見えた。
ユウラファーンは意を決してその玉をつかんだ。その瞬間、王宮中に響きわたるほどの壮絶な叫び声をあげた。
「うわあああぁっ!」
 手の中から宝玉がこぼれ落ち、つられて棚にあった他の物も幾つか転げ落ちた。だがユウラファーンにはそれを拾う力も、慌てて逃げだす力ももう残ってはいなかった。
 彼はすでに意識を失い、散らばった宝玉の中にその身を横たえていた。無惨に火傷を負った両手を胸にかかえるようにして。
 肉の焼ける匂いが部屋に充満していた。

 

 

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